{%CDwebry%} 今日はこの話題です。
1.日本と韓国がうまく付き合えない原因は何か
9月9日、評論家で拓殖大教授の呉善花氏が帝国ホテル大阪で「なぜ日韓は和解しえないのか」をテーマに講演を行った。
呉善花氏はその中で、日本と韓国がうまく付き合えない原因は、小さいために気づかない、日韓の価値観の違いにあると述べている。
呉善花氏によると、韓国は儒教社会、とりわけ朱子学を軸とする国家で、歴史的に文治主義の韓国からみれば、日本人は戦いが好きな野蛮人で、今叩いておかないと軍国主義に戻るかもしれない。だから反日を繰り返して静かにさせておこうと考えるのだという。そして、韓国人の価値観は絶対的なものであり、これが正しいと思えば答えは一つという考え方で、話し合いの余地はない。故に、いろいろな見方があるという日本の考え方は価値観として認めらず、日本人の多様性は、韓国人にとっては不安を覚え、信用できないという方向につながるのだという。
呉善花氏は、韓国人はなぜ自分が不幸なのかと過去をみて現在を考え、延々と恨み続ける「恨」がいいことだとする価値観があり、こうした日韓の価値観の違いを互いがすぐに理解するのは難しいと述べ、日韓はしばらく「間」を取った方がいいと結んでいる。
「間」を置いたほうがいいという呉善花氏の見解には全く同意するけれど、韓国人が、なぜ自分が不幸なのかと過去をみて現在を考えるのであれば、自分自身にその原因があるのではないか、とならないのが不思議でならない。少なくとも、自分と相手双方に非があるのではないかと考えてみるのが、公平な立場だと思う。だけど、彼らはそうしない。
8月28日、韓国の趙兌烈外務第2次官は、ソウルで演説し「韓日関係の悪化を、両者に非があるという視点で批判したり、むしろ韓国政府の過去に執着した態度に原因を見いだしたりする見解に、全く同意できない」と、日本側に責任があると主張している。
"正しいと思えば答えは一つ"という考え方自体は否定しないけれど、その"正しさ"が時代や地域ごとに変わったり、異なったりする可能性に思い至らないまま放置するならば、それは思考の硬直化を招くだけ。
2.適者生存
ネットには、ユーザーの質問に他のユーザーが答えるというQ&A方式の掲示板などがあったりするけれど、その中の一つ『Yahoo知恵袋』で、「弱者が生き残れない自然界に対して、弱者を税金などで保護する人間社会は理にかなっていないのでは?」という質問に対する、ある回答者の回答がとても興味深いとネットで話題になっている。
質問と回答は2011年6月と3年も前のものなのだけれど、今だに話題になるということは、それなりに優れた回答だということなのだと思われる。少し長くなるけれど、次にその回答を引用する。
この回答者は「『適者生存』の意味が、『個体が生き延びる』という意味で無く『遺伝子が次世代に受け継がれる』の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです」と述べているけれど、この"遺伝子"という言葉を"民族"に置き換えてみれば、それはそのまま、国家・民族の生存戦略として当てはまるように思える。
3.日本民族と韓国民族の生存戦略の違い
『Yahoo知恵袋』の回答者は、自然界の生存戦略のやり方には無限と言っていいほどあるとして、「必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り」と述べている。
確かに、人間社会も、高度に科学文明が発達して忙しく生きる国もあれば、昔ながらの農業など、一次産業を中心に生活する国もあり、その形態は一様ではない。
例えば、大洋の小島で魚を釣って自給自足して、昼になれば昼寝をし、夜になれば歌を謳ってノンビリ暮らすなんて生活は、さしずめ"ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略"に相当すると思われる。その意味では、国家・民族には各々違った生存戦略があるといっていい。
では、日本と韓国の民族としての生存戦略とは何なのか。
呉善花氏が指摘するように、日本人の価値観は重層的かつ多様で、"絶対正義"とまで呼べるものがない。歴史的にみても、日本民族は古くから外国の文明・文化を輸入しては採りいれ、時として、それらを日本流に改造した。その一方、時代や社会に合わず、使わなくなったものであっても、別段捨てることはしなかった。
日本は、"形質的イレギュラーの遺伝子"であろうが何だろうが、取りあえず箪笥にしまって多様性を確保し、その上で時代の要請に応じて、もっとも適応する"遺伝子"を取り出して社会に適用するという生存戦略をとってきた。
いわば、WindowsのようなOSだけ用意して、その時、必要とする価値観を海外から輸入してインストールしては使うという"柔軟な"生存戦略を採ってきたといっていい。
※この辺りの詳細については、拙著「日本的価値観の構造」を参照されたい。
それに対して、韓国の生存戦略は、その時代時代の最強国家の価値観に、自らの価値観を合わせるという戦略を採った。価値観や考え方のレベルから、何から何まで最強国家と自らを一体化させ、彼らに敵視されるのを回避することで、生き延びる道を選んだ。(事大主義)
これは見方によっては、コバンザメというかなんというか、主体性のない生存戦略に見えなくもないけれど、最強国家がある限り滅びないという意味では、一つの戦略だといえる。ただ、あえて、欠点を挙げるとすれば、世界がいわゆる群雄割拠の状態となり、果たしてどの国が最強国家なのか分からないときに弱点を露呈する危険があること。
この場合は、状況に応じて、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、その場その場で"最強"と思える国に近づいていく、いわゆる「コウモリ外交」をすることになる。
今の韓国はまさにこの状態で、最強国家とみた、中国とアメリカの間をフラフラしている。
どのような生存戦略を取ろうとも、結果として生き残れば、それはそれで正しい生存戦略だとするならば、"半万年"の歴史があると主張する彼らは、彼らなりの生存戦略でもって国家運営をしていることになる。だけど、それが日本の生存戦略とマッチするかどうかはまた別の話。
世界の国々は、それぞれの生存戦略でもって生き延びようと凌ぎを削っている。それは世界覇権を狙うことであるかもしれないし、周辺国との連携による安全保障かもしれない。
世界覇権を狙う中国は「中国系アメリカ大統領の誕生」を目論んでいるという噂も一部にある。その意味では、今、世界覇権を握っている「ビッグ・アップル」が、いつの間にか「苹果(ピングォ)」に塗り替わっていないとは限らない。
…生存戦略しましょうか。
1.日本と韓国がうまく付き合えない原因は何か
9月9日、評論家で拓殖大教授の呉善花氏が帝国ホテル大阪で「なぜ日韓は和解しえないのか」をテーマに講演を行った。
呉善花氏はその中で、日本と韓国がうまく付き合えない原因は、小さいために気づかない、日韓の価値観の違いにあると述べている。
呉善花氏によると、韓国は儒教社会、とりわけ朱子学を軸とする国家で、歴史的に文治主義の韓国からみれば、日本人は戦いが好きな野蛮人で、今叩いておかないと軍国主義に戻るかもしれない。だから反日を繰り返して静かにさせておこうと考えるのだという。そして、韓国人の価値観は絶対的なものであり、これが正しいと思えば答えは一つという考え方で、話し合いの余地はない。故に、いろいろな見方があるという日本の考え方は価値観として認めらず、日本人の多様性は、韓国人にとっては不安を覚え、信用できないという方向につながるのだという。
呉善花氏は、韓国人はなぜ自分が不幸なのかと過去をみて現在を考え、延々と恨み続ける「恨」がいいことだとする価値観があり、こうした日韓の価値観の違いを互いがすぐに理解するのは難しいと述べ、日韓はしばらく「間」を取った方がいいと結んでいる。
「間」を置いたほうがいいという呉善花氏の見解には全く同意するけれど、韓国人が、なぜ自分が不幸なのかと過去をみて現在を考えるのであれば、自分自身にその原因があるのではないか、とならないのが不思議でならない。少なくとも、自分と相手双方に非があるのではないかと考えてみるのが、公平な立場だと思う。だけど、彼らはそうしない。
8月28日、韓国の趙兌烈外務第2次官は、ソウルで演説し「韓日関係の悪化を、両者に非があるという視点で批判したり、むしろ韓国政府の過去に執着した態度に原因を見いだしたりする見解に、全く同意できない」と、日本側に責任があると主張している。
"正しいと思えば答えは一つ"という考え方自体は否定しないけれど、その"正しさ"が時代や地域ごとに変わったり、異なったりする可能性に思い至らないまま放置するならば、それは思考の硬直化を招くだけ。
2.適者生存
ネットには、ユーザーの質問に他のユーザーが答えるというQ&A方式の掲示板などがあったりするけれど、その中の一つ『Yahoo知恵袋』で、「弱者が生き残れない自然界に対して、弱者を税金などで保護する人間社会は理にかなっていないのでは?」という質問に対する、ある回答者の回答がとても興味深いとネットで話題になっている。
質問と回答は2011年6月と3年も前のものなのだけれど、今だに話題になるということは、それなりに優れた回答だということなのだと思われる。少し長くなるけれど、次にその回答を引用する。
“え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません。弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません。虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています。なるほど、中々鋭い回答だと思う。筆者なりに、この回答を纏めると、「自然界の掟は、個体レベルでは『全肉全食』、種レベルでは『適者生存』であり、その"適応"の方法は無限にある。人間は出来るだけ多くの「弱者」を生かすために「社会性」という生存戦略を取っている。」になるかと思う。
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です。
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます。
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます。
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません。ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです。
種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません。「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです。必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り。
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです。
そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです。10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります。
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する。個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です。
どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します。人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました。
生物の生存戦略としては大成功でしょう(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。
遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです。(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです。「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです。
この回答者は「『適者生存』の意味が、『個体が生き延びる』という意味で無く『遺伝子が次世代に受け継がれる』の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです」と述べているけれど、この"遺伝子"という言葉を"民族"に置き換えてみれば、それはそのまま、国家・民族の生存戦略として当てはまるように思える。
3.日本民族と韓国民族の生存戦略の違い
『Yahoo知恵袋』の回答者は、自然界の生存戦略のやり方には無限と言っていいほどあるとして、「必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り」と述べている。
確かに、人間社会も、高度に科学文明が発達して忙しく生きる国もあれば、昔ながらの農業など、一次産業を中心に生活する国もあり、その形態は一様ではない。
例えば、大洋の小島で魚を釣って自給自足して、昼になれば昼寝をし、夜になれば歌を謳ってノンビリ暮らすなんて生活は、さしずめ"ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略"に相当すると思われる。その意味では、国家・民族には各々違った生存戦略があるといっていい。
では、日本と韓国の民族としての生存戦略とは何なのか。
呉善花氏が指摘するように、日本人の価値観は重層的かつ多様で、"絶対正義"とまで呼べるものがない。歴史的にみても、日本民族は古くから外国の文明・文化を輸入しては採りいれ、時として、それらを日本流に改造した。その一方、時代や社会に合わず、使わなくなったものであっても、別段捨てることはしなかった。
日本は、"形質的イレギュラーの遺伝子"であろうが何だろうが、取りあえず箪笥にしまって多様性を確保し、その上で時代の要請に応じて、もっとも適応する"遺伝子"を取り出して社会に適用するという生存戦略をとってきた。
いわば、WindowsのようなOSだけ用意して、その時、必要とする価値観を海外から輸入してインストールしては使うという"柔軟な"生存戦略を採ってきたといっていい。
※この辺りの詳細については、拙著「日本的価値観の構造」を参照されたい。
それに対して、韓国の生存戦略は、その時代時代の最強国家の価値観に、自らの価値観を合わせるという戦略を採った。価値観や考え方のレベルから、何から何まで最強国家と自らを一体化させ、彼らに敵視されるのを回避することで、生き延びる道を選んだ。(事大主義)
これは見方によっては、コバンザメというかなんというか、主体性のない生存戦略に見えなくもないけれど、最強国家がある限り滅びないという意味では、一つの戦略だといえる。ただ、あえて、欠点を挙げるとすれば、世界がいわゆる群雄割拠の状態となり、果たしてどの国が最強国家なのか分からないときに弱点を露呈する危険があること。
この場合は、状況に応じて、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、その場その場で"最強"と思える国に近づいていく、いわゆる「コウモリ外交」をすることになる。
今の韓国はまさにこの状態で、最強国家とみた、中国とアメリカの間をフラフラしている。
どのような生存戦略を取ろうとも、結果として生き残れば、それはそれで正しい生存戦略だとするならば、"半万年"の歴史があると主張する彼らは、彼らなりの生存戦略でもって国家運営をしていることになる。だけど、それが日本の生存戦略とマッチするかどうかはまた別の話。
世界の国々は、それぞれの生存戦略でもって生き延びようと凌ぎを削っている。それは世界覇権を狙うことであるかもしれないし、周辺国との連携による安全保障かもしれない。
世界覇権を狙う中国は「中国系アメリカ大統領の誕生」を目論んでいるという噂も一部にある。その意味では、今、世界覇権を握っている「ビッグ・アップル」が、いつの間にか「苹果(ピングォ)」に塗り替わっていないとは限らない。
…生存戦略しましょうか。
コメント
コメント一覧 (9)
いえ、日比野さんのことではなく…中韓が、です。
関わりたくない…。
大国主が領(うしは)ける国 我(あ)が御子の知らさむ国
【シラスとウシハク】ねずさんの ひとりごと より
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2161.html
「国譲り神話」は、わたしたちの国が、戦(いくさ)よりも話し合いで解決する精神や、敗れた側を皆殺しにしたりするのではなく、その名誉を讃え尊重するという日本的心の教えとして紹介されることが多いのですが、実はもうひとつ、大切な教えがあるのです。それが、昨日、ちょっとご紹介しました、「シラス」と「ウシハク」です。
大国主が領(うしは)ける国 「ウシハク」
我(あ)が御子の知らさむ国 「シラス」
情報は、共有化しただけでは、何も生みません。そこに協力と共同があって、はじめて、具体的な動きとなります。
つまり特定の権威のもとに、みんなが集い、そこで情報を共有化して、みんなで、何事かを行う。これが「シラス」における統治手法です。
これに対して「ウシハク」とは領主が全ての人、物を所有し好き勝手に統治する絶対君主が治める社会です。
要するに、世界中が19世紀までずっと「ウシハク」という統治形態しか知らなかった世界にあって、唯一日本では、はるか太古の昔から「シラス」国を築いて来たし、それが天照大神の御心であるということなのです。
その「シラス」は、漢字で書いたら「統らす」です。この統治の中心にあるのが、万世一系の天皇の御存在です。
天皇の御存在がなければ、「シラス」国つくりができないからです。
国民の安寧は失われ様々な歪みがさらに進み、犯罪率、自殺率、海外への移民希望の高さとして現れているかと思います。普通なら戦略の見直しをはかるんですが、民族主義の無謬性ゆえ自己反省を伴う原因追求ができず、結局ごく表面的な解決(≒装飾された先送り)に終始せざるをえません。
内部改革により時代に適応できない国の末路は、これまでの歴史に記されているとおりではないでしょうか。
進化論の学者の多くが支持している考え方だが,
学会等ではまだ多数になっていないと
(ある本に)書いてあるのを読んだ.
特に, 米国の一流大学で教えられる
進化論は「強者生存」的な教え方を
しているそうだ. そこから, マルクス主義の
階級闘争の理論が出てくるし,
米国の大資本の市場占有の正当化が
行なわれる.
この様なこともあってか, ダーウィン流の
進化論で認められている事実に正面から
反駁した論文は学会誌に中々載らないという.
最近の似た話しは地球温暖化である.
注意深い研究者の多くは最近までの
地球温暖化論争に批判的であったが
例の「ホッケースティック」温度上昇理論
に反駁する論文を書いても論文誌に
載らないことが多いので批判を避けたと聞く.
日本では理解し難いかも知れないが,
欧米では論文が載らないと研究資金が
もらえない. ある程度の生活費も
そこから出すので, 論文が載らないと
生活できない. だから, 論文が載らない
研究はやらないのである.
論文の査読は一見中立的であるが,
実際には様々な思惑が入ってくる
人間社会のでき事である.
に大金を投入すると, 「××は嘘だ」
という研究は日の目を見なくなる傾向がある.
進化論の後には「トリクルダウン理論」
を喧伝する大資本が控えているし,
温暖化の後には「排出権利権」を狙う
大資本が控えている.
地球温暖化といえば, そろそろ寒冷化と
乾燥化による砂漠化の心配をするべきだ.
繩紋時代の最盛期は現在より数度温度が
高かったが, 生産性は高まっていた.
むしろ, 寒冷期に砂漠化のために
人類が追いたてられて移動した.
数度でも温度が下がると, 中緯度付近の
砂漠化は多くの命を奪うことになる.
鎌形赤血球とマラリアの関係が有名ですね!
鎌形赤血球の人は先天的に貧血になり易いがマラリアに罹り難いためマラリアが流行し易い地域では多く残っているようです。
日本が関わっているときには封印されているが、鮮人の政治家が開封し暴れているということでしょうか。
このシナ・ボールを封印する政治家が、韓国に出てこない限り発展や繁栄はあり得ないということでしょうか。