今日はこの話題です。
1.カルマ返しに遭うイギリス
6月17日、前日に訪英した中国の李克強首相が、エリザベス女王と面会した。面会は居城ウィンザー城で行われ、李首相は、エリザベス女王に「両国関係は、正しい軌道に沿って発展している」と述べたという。
ただ、今回の面会には一悶着があったとフィナンシャル・タイムズやザ・タイムズが伝えている。
何でも、李克強首相の訪英前、ヒースロー空港での歓迎式典の段取りに目を通した中国側が「李首相の飛行機からVIPエリアまでのレッドカーペットの長さが十分ではない。 3メートルも短い」とクレームをつけたのだそうだ。その時は、キャメロン首相の筆頭補佐官が「カーペットはあなた方の要求を満たすことを約束する。他に懸案の事項がある」と対応し、事な気を得た。
またザ・タイムズは、中国側と英政府との日程調整の際、李首相とエリザベス女王との面会を強く希望し、実現しなければ訪英を取り消すとの「直接的な脅し」があったと報じている。ザ・タイムズは、女王が外交戦で「人質」にされたとし、「英国が巨額投資で損をしないよう必死になり、英中関係の不均衡が拡大している証拠だ」と指摘している。
ナンバー2とはいえ国家元首ではない李首相が、イギリスの国家元首であるエリザベス女王との面会を希望したのか。巷では色んな憶測がされているけれど、中国は、李首相の訪英は、2013年のキャメロン首相訪中の返礼と位置づけている。
キャメロン首相は、訪中前年の2012年5月にダライ・ラマ14世猊下と会談したのだけれど、当時の中国政府は内政干渉だと猛反発。中英間の経済交流にも悪影響がおよび、中国からの投資が急減した。
最初は、イギリスも「誰が誰とどこで会うかは、自分で決める権利がある」と頑張っていたのだけれど、それも長くは続かず、イギリスは折れた。2013年12月2日、キャメロン首相が中国を訪問。大口商談や経済交流に関する数々の協定と引き換えに、「イギリスは西側世界における最強の中国支持国になるだろう」とか「イギリスは中国の主権と領土保全を尊重し、チベットが中国の一部であることを承認しており、チベット独立は認めない」と述べ、中国に屈服した。
それならばと中国は、いわば"御褒美"として、首相より格上の国家主席である習近平総書記との会談を実現させた経緯がある。中国にしてみれば、今回の李首相の訪英は、この時の返礼であるからには、今度はイギリス側が首相より格上の女王と面会させるのは当然という論理なのだ、という指摘がされている。なるほど、そうかもしれない。
結局、イギリスはここでも折れ、エリザベス女王との会談を実現させる代わりに、液化天然ガス(LNG)の対中輸出など総額140億ポンド(約2兆1400億円)超の契約を結んでいる。
もちろん、こんな札束で頬を叩くような中国のやり方にはイギリス国内でも反発の声が上がっている。ガーディアン紙は、キャメロン首相が共同記者会見で、今年、発生から25年を迎えた天安門事件に触れなかったと指摘し、李首相について、「新たな属国に気前よく金品を与える植民地の総督のようだ」と皮肉っている。
まぁ、ただ、イギリスがこんな目に遭うのも、香港を植民地にしていた"カルマ返し"の一種にも見えなくもない。それでもイギリスにとっては屈辱的なことだろう。ただ、そこはそれ、強かなイギリスのこと、何処かで何等かの形で仕返しをするのではないかと思う。
テレビの映像では、李首相と会った、エリザベス女王は笑顔をみせて対応してはいたけれど、どこまでそれが本心なのかは何ともいえない。去年の5月、エリザベス女王即位60周年の祝賀行事が行われたのだけれど、我が国からも天皇皇后両陛下が招かれ、英国行幸啓されている。
エリザベス女王は両陛下を満面の笑みで迎えられているのだけれど、それと比べると、李首相と面会したエリザベス女王の笑顔はやや硬く見えてしまう。もしかしたら、エリザベス女王とて、内心は面白くなかったかもしれない。
それを裏打ちするのかどうかは分からないけれど、ネットの一部では、エリザベス女王が李首相と面会した部屋は、高貴な方を迎える部屋ではなく、"平民"と会う部屋だったという噂が流れている。階級社会のイギリスでは、十分あり得る話。
2.格式と日英を結ぶトーゴー
この辺りの格式について、イギリスは譲らない。ネットには日本贔屓の外国人の話を集めたサイトとか沢山あるけれど、その中に、日本の元華族の家柄を持つ、大学の先生が、イギリスで講演を行ったときの体験を聞いて紹介した記事がある。少し長くなるけれど、次に引用する。
大学時代にたまたま知己を得た先生から直接聞いた話です。陛下の存在のみならず、東郷平八郎など、歴史上の偉大な人物を数多く生んだ日本は、"無形の財産"というべき途方もない宝を沢山持っている。だから、中国が金に物を言わせて威張れば威張るほど、世界は、逆に日本という存在を再評価していく可能性があると思う。
この先生は家系をたどれば河野水軍に行き着き、祖父の代には子爵だったという家柄のお方でした。調べればすぐわかるんですが、一応ここではI先生とします。私がお会いしたときはすでに引退しておられましたが、現役の時にはベストセラーになったものも含め何冊も本を出された経済学の大家でいらっしゃいました。
そのI先生がイギリスで講演をなさった時のお話です。
イギリスの空港について入国審査の列に並んでいると、スーツ姿の男がスッと横に来て、「ロード・I、どうぞこちらへ」と言うんだそうです。
「いや、入国審査をしないと」と答えると、
「ええ、しかし貴族の方には専用のゲートがあります」
と言いだすので先生は面食らってしまいました。
「何かの間違いでしょう。私はただの一般市民です」
「いいえ、あなたは子爵です。たとえ日本で貴族制度がなくなったとしても、ここイギリスでは子爵の家の方は子爵なのです」だそうで。
<中略>
I先生の講演は英海軍の将校クラブだかの依頼だったので、会場も海軍の将校専用の建物だったのですが、その玄関ホールに入ってすぐのところに英海軍の栄光の歴史を彩る品々が展示されていたそうです。
最初にあったのが古ぼけた二角帽で、聞けばかのネルソン提督の遺品とのこと。しかし二番目に並んでいるのが日本刀で、不思議に思ったI先生が尋ねると、(軍刀だったかもしれません。ちょっと記憶が曖昧)
「これはアドミラル・トーゴーから我がロイヤル・ネイビーに贈られた刀です」とのこと。
「英海軍ゆかりの品々の中に日本の提督のものがあるとは少し不思議ですね。しかもあのネルソン提督の隣とは」
とI先生が漏らすと、案内係の人(この人も将校)は実に不思議そうな顔をして、
「偉大なアドミラル・トーゴーから刀を贈られたのは我がロイヤル・ネイビーの誇りです。そしてその品を収めるべき場所は我がロイヤル・ネイビーの誇る偉大なアドミラル・ネルソンの隣以外にはありえません」
てなことを言われたそうで、I先生は東郷平八郎はイギリスでも有名なのか、と驚いたそうです。
<中略>
本番の講演にて。
I先生を含む数人が順に講演する形式だったのですが、先生がトリでその前がなんと当時の首相サッチャー。
普通こういう場では偉い方が後なので「何かの間違いでは」と慌てたら、やはりそこも貴族制のイギリスならでは、(イギリスでは)爵位のある先生と首相とは言え平民のサッチャーでは「身分が違う」からだそう。
で、先生の講演の前に略歴などの紹介があるんですが、
「ヴァィスカウント・Iは日本で800年以上に渡ってネイビーであった家柄であり…」 (河野「水軍」を訳すと「ネイビー」だそう。ちなみに先生のお兄様も日本海軍の士官で、先生も士官学校を受験したものの体が弱く落ちてしまったそうです)
との紹介に聴衆(全員が英海軍将校)がどよめいたそうです。
あとで先生が聞いたら、紹介が半分誤解されて、まず800年前という中世から日本にネイビーがあり(!)、(今貴族ということは)その時代から続く貴族で(!) 、しかも代々ネイビーということは日本海軍における超名家なのか(!)、と何重もの驚きだったのだろう、とのことだそうです。
で、無事講演も終わった後、その英海軍将校クラブだか主催のパーティがあったそうです。会場は英海軍の建物の中でも貴族以上の身分の人間しか入れないところで、いくつも配置された大き目の円テーブルのそれぞれに座れる爵位が決まっている。
ここは伯爵、こっちは男爵、などなどで、一つだけ空いているのは女王用、とのこと。I先生も子爵用のテーブルにつき、食事を頂かれたのですが、隣の席に座っておられたかなりお年を召したイギリスの子爵の方が、
「ロード・I、日本の海軍の名家の方と同席できて喜ばしく思います。ロイヤル・ネイビーの者は日本海軍に大きな敬意を抱いています。とりわけアドミラル・トーゴーは私にとっても特別な存在なのです」
と、感慨深そうに子供の頃の思い出を語って下さったそうです。
そのイギリスの子爵の方の回想。
「あの時私は10歳でした。まだ幼かったとは言え、私の父は将軍であり、いずれ私もそうなるのですから、日本とロシアの戦争の行方をずっと気にしていました。もっと正確に言えば、同盟国である日本が敗れた後のことを気にしていたのです。あの日の前夜も、私はそんなことを思いながらベッドに入りました。
日本の艦隊とロシアのバルチック艦隊が近々決戦するかもしれないということで、父はもうしばらく帰っていませんでしたし、もうまもなくロシアにアジアの覇権を握られる、そうすれば我が大英帝国はどうなるだろう、と幼いながら不安を抱いていたのです。
今でもはっきり覚えています。 あの素晴らしい日の朝、私は執事の呼ぶ声に起こされたのです。
『ロード、ロード、起きなさい』
まだ眠いのにうるさいな、まずそう思ったことを覚えています。
『うるさいな、どうしたというんだ』
『日本とロシアの艦隊が対馬沖で戦闘をしたのです』
『そんなのわざわざ起こすようなことじゃないだろう。それでロシアが勝ったんだろう?』
『違います。日本が勝ったのです』
『なにっ!』
ベッドの上に跳ね起きたのを覚えています。まさかそんなことが起こるなんて、夢にも思っていませんでした。しかし私の驚きはそんなものでは終わりませんでした。
『今朝方、お父上が急使をよこしたのです。ロード、バルチック艦隊は全滅しました』
『全滅!あのバルチック艦隊が!』
『ロード、それだけではありません。バルチック艦隊を撃滅した日本の艦隊は、まったくの無傷だそうです』
私は絶句してしまいました。我がロイヤル・ネイビーでさえ何度も苦い思いをさせられた、当時世界で最強とも思われたあのいまいましいバルチック艦隊が、相手に何の損害を与えることもできずに全滅した、そんなことがありうるなんて。死者が甦ったと言われた方がまだ信じられたでしょう。
『その日本の艦隊はどんな天才が率いていたのだ?』
『アドミラル・トーゴーという男です』
アドミラル・トーゴー!その名前は以来私の心にずっと刻まれています。失礼ながら、私は我が大英帝国が栄光ある孤立を捨て日本と同盟を結んだことをはなはだしい愚行だと思っていました。野蛮なアジアの未開国と誇り高き我が大英帝国が対等の立場であるなどと!
しかし、あの時私はあまりにも幼稚であったことを思い知りました。
アドミラル・トーゴーのような天才が生まれた国が、野蛮な未開国であろうはずがない。それどころか、我々こそがこの偉大な国を尊敬し教えを請うべきなのだ、と。
ロード・I、それからの80年、私の日本に対する敬意が薄れたことは一度もありません。たとえその後の戦争に敗れようとも日本は常に誇り高く偉大でありましたし、戦争に勝った我々が今日のような苦境にあえいでいるのに負けた日本は以前よりずっと大きな繁栄を手にしているではありませんか。
ロード・I、日本はこれまでも、これからも、我々の誇るべき友人であり、偉大な師であるのです。
そのような日本の、それもアドミラル・トーゴーに連なる海軍の血筋の方と列席できたことは、私にとって生涯の喜びです」
こう語りながら、老子爵が『アドミラル・トーゴー』と口にするたびに本当に子供に戻ったように目を輝かせるのが印象的だった、とI先生はおっしゃっておられました。
<後略>
「日本びいきの外人を見るとなんか和むスレのまとめ」より抜粋引用
日本が持つ"無形の財産"は、意外と世界と日本を水面下で繋げる力になっているのかもしれない。
コメント
コメント一覧 (2)
一番悲しいのは当の日本人が過去の日本人のことを知らない。
あるいは知らないように仕向けられたまま、ということですね。
日露戦争について日本以外の視点からみたことなんてありませんでした。
なるほど、そりゃ驚きますよね