更に更に昨日のエントリーのつづきです。



昨日のエントリーでは、消費の二極化を睨んで、各社がプライベートブランド商品の高付加価値化を図ろうとしている話を取り上げたけれど、では、「消費の二極化」によって、どんな商品が求められるようになるのか。

筆者は、以前、「満足とは何か」というエントリーで、商品における満足とは、仏教でいう「抜苦与楽」とほぼ同義であると述べたことがある。

「抜苦与楽」とは、その名のとおり、苦しみを除いて、安楽を与えることを指し、仏教では、仏や菩薩が衆生を苦しみから救い、福楽を与える「慈悲」の心の顕れだと説明している。

では、まず、実生活における「苦」とは何かを考えてみたいのだけれど、仏教は「苦」の種類について説いておいる。有名な四苦八苦がそれ。
「生」   ・・生まれる苦しみ
「老」   ・・老いの苦しみ
「病」   ・・病にかかる苦しみ
「死」   ・・死ぬ苦しみ
「愛別離苦」・・愛するものと別れる苦しみ  
「怨憎会苦」・・怨み憎む者と会う苦しみ    
「求不得苦」・・求めても得られない苦しみ  
「五陰盛苦」・・肉体煩悩にまつわる苦しみ
釈迦は人生における「苦」にはこれら8つの苦しみがあると説いたけれど、仏教が説く「解脱」とか「悟り」といったものを除いたとしても、現代日本では完全に消し去ることはできないとはいえ、それなりに軽減している。

例えば、病気ひとつとっても、国民皆保険制度によって、高度な医療を安価で受けることができる日本は、病という「苦」を軽減する社会システムを整えているし、処方される薬は、正に「病」の苦しみを緩和する「抜苦」の商品だといえる。

また、人間関係を理由に退職するなんてのも、よく聞くけれど、これだって、「怨憎会苦」という苦しみから逃れる行為だと見ることもできる。だけど、そんなことができるのも、社会が高度に発達して、様々な職業が存在し、転職するチャンスがある社会であればこそ。なんとなれば、"ノマド"のように、他人に会わなくても仕事ができるケースだってある。これが例えば、戦乱の世だったり、生きるためには何でもしなくちゃいけないような社会だったりしたら、嫌な人とは会いたくないなんて言ってられない。

「求不得苦」にしてもそう。日本のような経済大国で暮らす人々にとっては、余程の贅沢品でもない限り、求めても得られないなんてことはない。

つまり、日本は、完全にではないにせよ、それなりに四苦八苦が軽減された"極楽浄土"に近い国であり、そこで生活できること自体が、世界からみれば、「恩恵」であるということ。

このように、日本では、インフラと社会システムの力で、四苦八苦が最初から軽減されている。当然、それに伴って「苦」を抜く商品は日本に溢れることになる。

だから、そんな日本で更に"もの"を売ろうとすると、必然的に如何に「楽」を与えるかに重心を移さざるをえない。ブルーオーシャンは「楽」を与える中にある。



では、商品における「楽」とは何かということになるのだけれど、大きく、物理的・肉体的な「楽」と、精神的な「楽」の二つに分けて考えてみたい。

物理的・肉体的な「楽」とは、肉体を酷使しなくても、要を足すことができるということ。たとえば、携帯電話は、"直接相手と会わなくても会話ができる機能"を持った商品だと定義することができるけれど、この機能によって、人は相手先に出向かなくてもよくなるから、その分だけ「肉体的疲労」をさせないという「楽」を与えてる。一言でいうと、「便利」な商品がこれに相当する。

これに対して精神的な「楽」とは、心が満足するというもの。五感を通じて形成される意識の次元で満足を与えるもの。例えば、好きな音楽とか物語とかを聞いたり読んだりしたときに感じる精神的充足感がこれに当たるのだけれど、これには物理的・肉体的な「楽」は必ずしも必要ではない。それどころか肉体的な「苦痛」を伴ってさえも成立する場合がある。

例えば、山登りが大好きな人にとって、格安ハイキングツアーといった商品は魅力的なもの。たとえ、山を登ることで、肉体的な疲労を感じたとしても、本人は満足し、喜んで代金を払う。だから、精神的な「楽」を与える商品は、「便利な商品」とは限らない。如何に心を揺さぶり、精神的な満足を与えることができるかどうかに最大の主眼を置いている。

だけど、人の心は千差万別。何が好みで、何をすれば満足するかなんて、一概に定義することは難しい。さらに、心は、予め覗くことも出来ないときてる。ゆえに、精神的な「楽」を与える商品なんて、そう簡単には創れない。

それに対するヒントがあるとするならば、筆者は「物語」がそれになるのではないかと考えている。

アリストテレスは『詩学』のなかで、悲劇とは痛ましい感情の清めだと述べている。悲劇で描かれるモチーフや登場人物の悲しみや苦悩に共感することで、心の奥底の感情が揺さぶられたり涙を流したりし、その結果開放感が得られ、癒される(カタルシス)と指摘しているけれど、こうした「物語」が商品に付加されることで、その商品は、精神的な「楽」を与える商品へと転換するのではないかと思う。

オリンピックが感動を呼ぶのも、選手の過去の奮闘や影の努力といったものがあればこそ。あれほど期待され、本人も頑張っていたのにメダルに手が届かなかった"悲劇"とか、影で支えてくれた恩師の想いといった「物語(実話)」がそこに付随しているから。

そうした「物語」の部分を如何に商品に織り込んでいけるかがポイントになると思う。

よく、コンビニなんかで、アニメのキャラをデザインしたタイアップ商品を販売したりしているけれど、あれも一種のプライベートブランド商品だといえる。だけど、それがブランドになって売れるか売れないかは、そのアニメの人気に大きく依存する。単に、可愛らしい、あるいはカッコいいキャラがついているからブランドになるのではなくて、その作品の中身、「物語」にどれだけの人が共感を覚えているのかが鍵を握る。

最近は地方を舞台にした、「御当地アニメ」が流行っているけれど、あれなども、御当地の人を中心とした共感を得るための試みだと思うし、アニメの舞台となった地方をファンが尋ねる「聖地巡礼」なんかは、その作品の「物語」に共感し、それを追体験或いは共有したいという気持ちの表れではないかと思う。

今、「ふなっしー」が大人気だけれど、非公認ゆるキャラだった「ふなっしー」は最初全然知られず、人気もなかった。だけど、「ふなっしー」がここまで人気者になったのは、ヨレヨレでも頑張るその姿や、ギャラを東北の被災地に寄付するなど、その人柄いや梨柄が知られるにつれ、「ふなっしー」の物語として共感された面もあるのではないかと思う。

筆者は去年5月のエントリー「クールジャパンは物語から生まれる」で、クールジャパンには物語が必要だと述べたことがあるけれど、消費の二極化がすすむのであれば、尚の事、その商品に如何にして「楽」を与える要素を織り込むことができるかが大切になってくると思う。




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