今日は、お返事エントリーです。2月3日のエントリー「明日、マスコミがいない」のコメント欄で、草食レプ様からコメントをいただいたのですけれども、お返事が結構長くなったので、エントリーとして挙げさせていただきます。
まず、いただいたコメントを次に引用します。
こんにちは。1.責任の種類
こちらのブログの内容はだいたい賛同できたのですが今回は珍しく意見が違います。
放送時間が10時からという時点でR指定とまではいわないまでも子供が対象ではないということになっていると思います。
>それを、なんでもござれのファミレスの風体でいながら、中略
>だけど、その常識では有り得ないことが有り得てしまっているのがマスコミではないの>か。
ドラマの内容は事前に情報誌でも出ていますから確認できます。
養護施設の話であること、ポストというあだ名の由来など。
公開されている情報を調べずに見て不快に思うのは本人の問題ではないでしょうか。
外食するときはネットで口コミを調べて判断するのは日常的にしていることだと思います。
協議会が批判する自由は当然認めないといけませんが、だからといって内容の変更、放送中止を求めるのはやり過ぎではないでしょうか。
スポンサーのヘタレぶりも情けない限りです。もしかしたら年間契約で個々の番組までチェックしていないのかもしれませんが・・・。
じっさいに感動的ないいドラマだと思います。
誰もが不快に思わない、傷つかない作品なんてありえないと思います。
抗議するよりこんなことぐらいで「心が折れてたまるか」ということを子供たちに教えることが大切だと思います。
草食レプ様より
この問題については、色んな意見があると思いますし、草食レプ様のような意見も当然あるかと思います。ネットなどをみても、意見は分かれているようです。
結局、日テレは、全国児童養護施設協議会に、施設の子供が傷ついたりすることはドラマの意図するところではなく、重く受け止め、衷心より子供たちにおわびすると謝罪。これまで以上に子供たちに配慮するとし、すでに主体的に番組制作に生かしていると回答したと伝えられています。
この問題については、2月3日の衆院予算委員会で、田村厚労相が「入所している子に自傷行為があったとの報道があるので、全国児童養護施設協議会に確認して調査したい」と発言するまでになっていますから、傍目からみても、おおごとになっているわけです。
では、公開されている情報を調べずに見て不快に思うのは本人の問題か否か、についてなのですけれども、これは地上波の視聴者に「視聴する責任」があると考えるかどうかの問題だと思うのですね。視聴する方にも「視聴する責任」があると思えばこそ、公開情報を調べ、視聴した結果、それをどう感じたかについても、本人がその責任を負うべきである、とまぁ、こういう考え方だと思います。確かに、この見方にも一理あると思います。
ただ、「責任」と一口でいっても、その中にはいくつかの種類があります。例えば、責任を持って仕事をする時の"責任"と、なんらかの損害なり過失なりを起こしてしまったときの"責任を取る"とでは、その意味が違います。前者はまだ結果が出ていないときに追う責任、すなわち「遂行責任(responsibility)」であり、後者は結果が出たことに対する責任、すなわち「結果責任(accountability)」です。
つまり、何らかの仕事に関する責任には、仕事を始めるに当たって負う責任(遂行責任)と、その仕事の結果に対する責任(結果責任)の2つがあるということですね。
けれども、普通、人は未来を予め知ることなんてできませんから、仕事を始めるとき、すなわち遂行責任を負う段階では、その結果を100%予期することはできないという意味で、程度の差こそあれ、何らかの不確実性を抱えることになります。要するに、遂行責任を果たそうと思えば、"不確実な何か"を一緒に背負い込まなければならないということです。
そして、その仕事によってもたらされた結果は、その果実を受け取る人にとって、不利益にならないものでなければならず、万が一そのようなことが起こった場合、釈明し被害を補償するなどの後始末が要求されます。これが結果責任です。
つまり、責任には、インプットの段階で不確実な何かを背負うことを受容しながらも、そのアウトプットについては、確実なものが要求される面があるということです。
この辺りについては、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann 1927-1998)がその著書「公式組織の機能とその派生的問題」で次のように述べています。
「責任は、不確実さを吸収するとともに他者の意識にかかる負担をも軽減するような、情報処理の社会的な過程であるとすることができる。この過程のなかで、責任は、不十分な情報にとって代わることによって、確実な情報がある場合と機能的に等しいはたらきをするのである。」では、今回の「明日、ママがいない」問題について、視聴する側に、この責任が課せられるのだとすると、その責任とは「どんな番組なのか最後までみないとわからないという不確実さを吸収する(=遂行責任)と共に、それを観た人に対する負担を軽減するもの(=結果責任)」と定義づけることができるかと思います。
ニクラス・ルーマン
草食レプ様のいう「ドラマの内容を事前に情報誌で確認する」とか「外食するときはネットで口コミを調べて判断する」というのは、遂行責任を果たす際にその不確実性を少しでも減らすための行為だと言えますし、「こんなことぐらいで『心が折れてたまるか』ということを子供たちに教えること」というのは、観た人に対する負担を軽減する、結果責任を果たすための行為だと言えます。
けれども、これは、あくまでもテレビの視聴者は、番組を観る際には須らく、遂行責任と結果責任を負っているという前提での話です。ですから、果たして、視聴者は、何時如何なる場合でも「視聴する責任」があるのかどうかという観点が重要になると思うのですね。
2.視聴者に責任が発生する条件
普通、仕事を他者に発注する際には、契約を結びますけれども、この契約行為によって責任の範囲と所在が明確になり、仕事として成立します。同様に、もしも放送する側が、視聴者に責任を求めるのであれば、その視聴する仕事を請け負うという一種の契約というか、「受諾確認」が必要になると思います。これがないと、視聴する側も責任が取れないからです。
例えば、新薬の効果を確認するために、製薬会社が一般の人に対してモニターを募集することがありますけれども、製薬会社は、応募した方と必ず契約書を交わし、万が一副作用が出た場合の対応や保障について説明をします。視聴者に視聴責任を求めるということは、その善し悪しは別として、視聴した結果について何らかの反応を期待しているということですから、新薬の効果確認と同様に、契約が必要だと考えます。22時からの放送だから、子供は対象ではない、というのは契約ではありません。
では、テレビで、視聴者との契約が成立しないかというと、勿論、そんなことはありません。WOWOWなどの有料放送ではしっかりと視聴者と契約を結びますよね。卑近な例では、ビジネスホテルで、宿泊部屋に備付のテレビで映画だとか、"怪しい"ビデオには、何分いくらで料金が掛かるようになっているところもあったかと思いますけれども、あれなども、課金というシステムを介して、視聴者と一種の契約を結んでいると見做すことができると思います。
けれども、民放の番組(地上波)は、課金などありませんから、視聴者から、「視聴する意思の確認」は原則取れません。それ以前に、不特定多数を対象とした、無料放送という時点で、視聴する意思を確認する必要を認めていないと考えられます。ですから、無料の地上波では、契約など、そもそも発生しないと考えるべきだと思います。
契約がなければ、視聴者に遂行責任や結果責任が課されることはありませんから、視聴するにあたって、何らかの不確実さを吸収する義務も発生しません。従って、「ドラマの内容を事前に情報誌で確認する」とか「こんなことぐらいで『心が折れてたまるか』ということを子供たちに教えること」も義務ではなくなります。
もちろん、契約や義務がなくても、自主的に遂行責任を果たす視聴者は、現実にいるのでしょうけれども、それをスタンダードとするのは危険だと思いますね。
ですから、契約が成立しない地上波で、放送する場合には、不確定多数の誰に対してでも、極力"無害"な内容にするよう努力するべきだと考えます。
この辺りについては、評論家の岡田斗司夫氏が、自身の公式メルマガで、打ち切りは仕方ないと述べています。次に一部引用します。
『明日、ママがいない』の打ち切りは、仕方ないと考えます。3.11後、しばらく、地上波では、津波の映像が悉く自粛され、一切放送されませんでした。被災者の感情に最大限配慮する必要があったためですけれども、それについての批判は特にありませんでした。確か、映画「のぼうの城」も水攻めのシーンが津波被害を連想させるということで、公開が1年先送りされたとも聞きます。
おはよう! 岡田斗司夫です。
今日のテーマは日曜・・・エンタメパーティー(映画・テレビの話題)です!
『明日、ママがいない』というドラマについて、議論が起きています。
頭のいいひと、というか「クリエイター系」の人たちは、だいたいが「このまま続けさせろ」「ちゃんと番組を見れば誤解するはずが無い」という意見のようです。
で、僕が気になったのは「こういうクレームでオンエアをやめたら、テレビはますますつまらなくなる」「制限ばかりでは面白いモノは作れない」という意見です。
これ、ウソですよね。だって、ほかのドラマも同じ条件で健闘してるんですよ。
「この表現でクレームつかないか?」って、制限を意識しつつ、その範囲内でせいいっぱい面白さを追求している。
『あまちゃん』なんてNHKの朝ドラですよ。
もっともっと制限の多い中で、ちゃんと面白いの作ってくれました。
だから「こんなのでクレームついて打ち切りになるようだったら、テレビはおしまいだ!」
というのはウソ、というか「王様、それ言い過ぎ」です。
1970年代後半、ロボットアニメがテレビにあふれた時期がありました。
当時のロボットアニメは、いまより制限がずっと多かったのです。
主人公ロボの変形・合体シーンは毎回必要。
オモチャを売るためにボーナスシーズンには新兵器を出す。
もちろん、その当時も「こんな制限ばっかりじゃ、面白いアニメは作れない」という人はいっぱいいました。
でも、そんな時代に超ヒットアニメが生まれました。
『機動戦士ガンダム』です。
それら制限を受けなかったから,面白いアニメが作れたのでしょうか?
いいえ、違います。
ガンダムはオモチャ屋さんの制限をせいいっぱい守った中から生まれてきました。
制限があればアニメが、そしてもちろんドラマが作りにくくなるのはあたりまえです。
でも、その範囲内で作るのが「プロ」でしょう。
内容をちゃんと理解できずにクレームつける方が悪い?
《中略》
制作者の意図をちゃんと理解して観て欲しい、と言うなら「誰でも観れる」メディアでやらなきゃいいんです。
「ちゃんと理解しろ」というなら、「ちゃんと理解できる人だけ」が観れる環境で提供すべき。
具体的に言うと テレビにそこまで要求するな が僕の意見です。
テレビは「無料でいろんな映像が観れる」という素晴らしい仕組みです。
スイッチを入れると誰でも観れる。
「誰でも」だからこそ、制限はあって当たり前。
本当に面白いことをやりたいなら、観たいなら、舞台や映画に行けばいい。
無料なんだから、プロなんだから、制限の中でやるのは当たり前です。
「面白いモノを無料で観たいからクレームつける奴は死ね」という意見は、思考停止しています。
「こんな表現で傷ついた。オンエアをやめろ」という人たちをクレーマーと言うなら、
「面白いんだから、そのまま続けろ。傷つく方がおかしい」という人たちだってクレーマーです。
テレビがそんなに「面白い」必要はないんです。
それよりも「誰でも観れる仕組み」のほうを絶対に優先すべき。
つまり「無料で」「誰でも」がテレビの使命であり、報道を含めた役割だと思います。
テレビを見る側、僕たちは「そりゃみんなが見るモノだから、仕方ないよな」という大人の判断を持つべき。
本当に面白いモノは、カネを払って見るのが当たり前じゃありませんか?
今回の議論で、あまりにクリエイターサイドや知識人からの切り口がワンパターンなので、危険を承知で「言いたいこと」を無料メディアで書いてみました。
ああ、なんか自己矛盾?
岡田斗司夫メルマガより一部引用
「明日、ママがいない」を見て、フラッシュバックをおこし、リストカットした若者がいるという話もあります。
「強くなれ」と教えるのは良いのですけれども、教えた次の日から急に強くなれる訳でもありません。極端なことを言えば、彼らが強くなるまでの間に、何百人、何千人と死んでしまうことだってあるわけです。誰もが"獅子の子"とは限らないのに、それを皆、千尋の谷に突き落として、生き残ったものだけ相手にしていいのかという観点もあると思うのですね。
R指定の映画でも地上波で放送するときには、R指定の原因になるような部分をばっさりとカットして、編集しなおした物で放送しますよね。「誰でも観れる」メディアであればこそ、それなりの配慮は必要ではないかと思います。


コメント
コメント一覧 (6)
「ちゃんと理解しろ」というなら、「ちゃんと理解できる人だけ」が観れる環境で提供すべき。
具体的に言うと テレビにそこまで要求するな が僕の意見です。
※私はこの方意見に全面的賛成です。「そこまでしてやるか?」ざけんなよ!です。
良いと思う視聴者がいる一方で, この様な
番組は放送しないで欲しいと言う視聴者がいる.
そして, 抗議の様子をスポンサーが判断した.
ここには何の問題もないと思う.
より良い解を求めるなら, 同じスポンサーの下で
一日だけドラマの代わりに検証番組を放映し,
その結果を見てもらって意見をもらえば良い.
これは国民の表現の自由と責任に合致する.
問題と言えば, スポンサーにしても企画側にしても
しっかりとした社会的判断をせずに話題だけで
番組を作り, スポンサーになるからだろう.
だから簡単にへたれる. この公共の電波を私物化
しているメディアの構造を問題にすべきだろう.
私のコメントに一記事を割いていただきありがとうございます。
ただ、私にはニクラスさんのいっていることは
難しくてわかりません。
それに責任問題とかそんな難しいことをいっているのではないのです。
例えば。
相変わらずオレオレ詐欺の被害が増えています。
「まだ騙される人がいるのか」
と思わないでしょうか?
これほど問題になっているのに
なぜ本人確認もしないで振り込んでしまうのでしょう。
オレオレ詐欺は本人の努力でかなり防げると思いませんか。
なぜ自分で確認して判断しないのでしょう。
『明日、ママがいない』もこれと同じ感じがしたのです。
「子供はドラマがつくり話かどうかわからない」
とおっしゃるかたがいます。
分別のつかない頃の子供は親が守らないで誰が守るのですか。
里親ならなおのこと今回のドラマを
子供に見せていいかどうか考えないのでしょうか。
我が家にも小学生がいます。
いっしょにテレビを見るときには内容に気をつけて
子供にふさわしくない内容なら録画して子供のいないときに見ます。
携帯やネットでも小さい子供がいる場合はファイルターを設定しますよね。
親としてやるべきことをせずに何でもクレームをつければいいのでしょうか。
テレビ番組の内容は玉石混交です。
NHKですら偏向報道を平気でしているのです。
子供に害が及ぶと思えば見せないようにするなり、
勘違いしないように説明するなりするのが親として当然だと思います。
「入所している子に自傷行為があった」と報道されていますが、
なんで施設にいて自傷行為に及ぶようなナイーブな子供に
あのドラマを見せるのでしょうか。
理解に苦しみます。
それが正しいかどうかはわかりませんが、実際はそうでしょうね。
視聴率が稼げればいいという意図で製作しているのか、社会問題に切り込みたいという意識を持ち放送しているかにより、正邪が分かれるところかな。
物心ついた子供にも責任は無いとはいえないので、逆に言えば悪を犯させないような大人の配慮が必要かな?