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12月20日、内閣府が20日に発表した「外交に関する世論調査」によると、中韓に対する悪感情が過去最高となっていることが明らかになった。

それによると、中国に「親しみを感じない」と答えた人は、 「どちらかというと感じない」との回答を含めると、前年比2.4ポイント増の83.1%。韓国に対しても前年比8.4ポイント増の66.4%で、中韓両国とも1978年の調査開始から最高となった。

一方、親近感を感じるとの回答は、「どちらかというと感じる」も含めて対中国で前年比3.3ポイント減の14.8%。 対韓国で前年比9.2ポイント減の31.5%と、こちらも過去最低。

まぁ、中韓が日本に対して、やらかしてきた数々を思えば、当然過ぎる反応だと思うけれど、中韓も日本の世論の変化が気になっているようで、先日の衆院選で、自民が圧勝したことについて「安倍をまた選択する日本国民が理解できない」だの「右傾化」だの反応している。

12月19日、中国の環球時報は、「日本の主婦がネット右翼に変身、中国や韓国を批判」と題した記事を掲載し、日本の30~40代主婦の一部は、空き時間で、領土問題や米軍基地問題で愛国情緒を扇動するような言動を繰り返し、中には日の丸を掲げてデモ運動に参加する「ネット右翼主婦」となっているとし、彼女らが増加傾向にあると報じている。

環球時報は、その理由に「日中・日韓関係の悪化」を挙げ、報道やネット掲示板で過激な言論が多くなっているために、暇な時間によくネットサーフィンする主婦がこれを目にし影響を受けたのだろう、と結んでいるけれど、言論による影響をいうのであれば、テレビや新聞・週刊誌でも同じこと。

彼らは、いかにもネットのせいだ、と言わんばかりの報じ方をしているけれど、寧ろ、何故彼女らが、暇なときに、テレビや新聞ではなく、ネットを見るようになったのかを考えたほうがいい。

ネットの登場で、情報源が新聞・テレビだけだった時代から様変わりした。国民が新聞・テレビ以外の選択肢を持てるようになり、その結果、暇つぶしでさえも、新聞・テレビを選ばなくなった。

新聞・テレビもそうだけれど、ネットとて、本体そのものは、ただのインフラであって、情報を伝達する媒体に過ぎない。多少、使い勝手の差はあるかもしれないけれど、重要なのは、そこに如何なる情報が乗せられるか。コンテンツの質と量。

仮に、ネットコンテンツが本当に下らないものであれば、自由競争である限り、やがて飽きられ、見捨てられる。今のところそうなっていないのは、ネットコンテンツに一定上の価値があると受け止められているからこそ。それはまた、朝日誤報を取り上げるまでもなく、新聞・テレビなどの既存メディアに対する信頼が低下していることの裏返しでもある。

その朝日はというと、12月20日、「(言論空間を考える)拡散する排外主義 東島誠さん、白井聡さん」という記事で、社会思想史家で文化学園大学助教の白井聡氏の言を借り、日本は退行し、中国や韓国は文句ばかりで生意気だからイヤ。米国も最近は冷たいからイヤ。批判する人はみんなイヤ。自分はなんにも悪くない、と「子ども」になった、と批判する。

白井氏は、日本が戦争責任に向き合えない根源には、対内的な責任を自分達の手で裁かなかった事実があり、その「一丁目一番地」の責任問題で誤魔化しをしたものだから、他の責任に向き合える訳がないと指摘する。そして、自己正当化ばかりしていると、軽蔑されるだけだとした上で、「子ども」を成熟に導くにはメディアの役割が重要であり、民主制にとって決定的に重要なのは公開性だとし、歪な「内輪」文化を変えるべきだと主張している。

この白井氏の主張には頷けるものがあると思うけれど、朝日はそれを世に問う前に、まず自ら自身が振り返ってみる必要がある。

慰安婦誤報(捏造)以来、朝日は世間からの批判を浴びるようになったけれど、朝日バッシングは異常だの、誤報は朝日ばかりじゃないだの、反論している。

だけど、自身の間違いについての責任も取らず、批判されるのがイヤだという態度は、白井氏のいう「子ども」と何が違うのか。

例えば、先の記事中の白井氏の言葉を朝日の慰安婦誤報問題に当てはめて、冷戦→吉田証言、日本→朝日、戦争→報道、国策→編集方針と置き換えて書き直すと次のとおり。
吉田証言(冷戦)が崩壊し、朝日の報道(日本の戦争)責任を問う声が高まると、朝日(日本)は被害者意識をこじらせていきます。悪いのは朝日(日本)だけじゃないのに、なぜ何度も謝らなければならないのかと。対外的な報道(戦争)責任に向き合えない根源には、対内的な責任、つまり、でたらめな編集方針(国策)を遂行した指導層の責任を、自分たちの手で裁かなかった事実があります。

責任問題の「一丁目一番地」でごまかしをやったのだから、他の責任に向き合えるわけがありません。

≪中略≫

ここまで来たら、やってみたらいかがですか。「内輪の論理」がどこまで通用するのか、試してみたらいい。
わずか4つの単語を置き換えるだけで、違和感なく意味が通ってしまう。朝日はまさに自分の記事のロジックで自身が批判されることをしている。

とすると、白井氏の言に従えば、朝日の問題の根元には「内輪の論理」があるということになる。

最近、ネットの一部で「リベラルの人の不寛容さ」を指摘したツイートが話題となっている。

これは、慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者の植村隆氏が勤める北星学園大に対する取材で感じたこととして、朝日の北海道報道センター記者である関根和弘氏の一連のツイート。

関根氏は取材で一連の問題にからみ、批判と同時に「間違いはどんな組織にもある。ひるまず頑張って」、「バッシングなんて気にすることないから。どんどん昔の朝日のように鋭く突っ込んでよ」などと"激励"してくれる方々がいるとしながらも、その多くが「朝日を批判している人たちは単なるバッシングでよくわかっていない人だから聞く耳を持たなくていい」という趣旨に聞こえ、それに「取り込まれる」ことに"怖さ"を感じたと述べている。

そして、植村氏本人にも会い、特集記事が出ても多くの批判、抗議、疑問が投げかけられている以上、朝日のしかるべき立場の人間同席で、植村氏自身の口で説明を尽くすのがいいと伝えたのだという。

何でも、秋以降、植村氏は小さな集会などに出て自ら説明したり、文藝春秋に手記を出したりしているけれど、集会に参加される方は基本的に、その多くが朝日「シンパ」の方々のようだとし、関根氏は「植村さんの言葉を本当に届けるべきは、そうしたインナーサークル的な人たちではなく、別の人たちではないか、と個人的には思っています。」と述べている。

これが本当であれば、植村氏の行動は、朝日シンパの集まりで話しては"激励"を受けて返ってくるという、正に「内輪の論理」そのものではないのか。

「内輪の論理」から脱するべきと述べた白井助教は、件の記事で「民主制にとって決定的に重要なのは公開性です。そのような常識を、日本の政治家は欠いているのではないか」と述べているけれど、朝日シンパの集まりで"激励"されて悦に入っているのなら、この指摘は、そのまま朝日にも当てはまる。

リベラルの不寛容さについてツイートした関根氏について、ネットでは「朝日にこんな人がいたとは」とか「潰されるなよ」とか驚きの声が上がっているようだけれど、こうした声が上がることそのものが、朝日という存在の本質を現しているように思えてならない。