占い師シンの希望への道標

はじめまして。 占い師のシンと言います。 ご相談者の方に希望の光が少しでも射し込む様に、 ほんの少し背中を押したり、 悲しみや辛さを癒して頂ける様な鑑定を心掛けています。 このブログでは私の占い鑑定のご案内や、 幸せになる為のヒント、日々の出来事を、マッタリ綴って行きたいと思います。 どうぞ肩の力を抜いて。 ゆっくり、焦らずに。 幸せへの道を歩いて行きましょうね。

随分とご無沙汰になってしまった。


読者の皆様には大変申し訳ない事をしてしまった。


ここにお詫びを申し上げたい。


言い訳になってしまうが、入院・手術・リハビリと過ごしておった。


年を取るとあちこちにガタがくるな。


なかなかブログにまで手が回らない状態であった。


今回をもって、このブログは再開したいと思う。


さて、いくつか大切なお知らせがある。


まずは、先代のシン氏の事である。


この話、儂も最初に聞いた時には驚いた。


何せ、『生きていた』のだ。


ただ生きてはいたけど、もう以前のシン氏は存在しない。


もう違うということだ。


この件については次回、書こうと思う。


次に、このブログについて。


シン氏の残した未出のブログの原稿は、まだまだある。


数年前はぴんとこなかったが、改めて読み返すと、今の世界情勢や価値の変換を先読みしていた(霊の世界の住人に教えられたか?)フシがある。


ブログの本当の悪の記事もそうであるが。


だからこそ、記事を今後も出していく事は、少しでも読者の為になるのではないかと思う。


原稿の誤字脱字や文章の修正、真偽の確認があるので、ゆっくりしたペースにはなるが。


最後に、コメントの解放も考えておる。


ただし儂はスピリチュアルの専門家ではないので、質問を受けたり、討論をしたりは出来ない。


基本的に返信は無いと思ってもらいたいところではある。


大切なお知らせは以上である。


遅々としたペースでの出稿ではあるが、そのあたりはご了承願いたい。


それから、読者諸氏には多大な感謝を申し上げたい。


本当にありがとう。









新年のご挨拶をと思っていたが、ワシのブログでは無い故、自粛させて頂こうと思う。


以前に比べると訪問者数は減っているが、時折見に来てくれている方々がいるようだ。


本当にありがたい事だ。


のんびりとした記事の出稿になると思うが、どうか今年も宜しくお願い申し上げたい。


また、私事で色々あった故に、記事の原文の修正が進まないまま本日に至っている。


早めに出稿出来るように努めたい。


それにしても今年で元号が変わる。


それまでにワシが生きておれば、昭和・平成・新元号と渡って生きていく事になる。


感慨深いものである。


平成は色々とあったが、戦後すぐの昭和から今まで生きてきて思う事がある。


明らかに人々の意識が変わったと思う。


そして日本人からは、太古より脈絡と続いてきたものが明らかに失われてきている。


それは、本当の祈りである。


祈りの本質が明らかに失われてきており、代わりに別の性質のものに変わりつつある。


その性質とは、欲を求める心である。


祈りが、欲を求める願いになっているのだ。


寺社は本来、願い事を叶える所でも、開運を求める所ではない。


祈りの本質とは、人の為に祈るものである。


家庭内の神棚や地域の祠・地蔵や道祖神・寺社からは本来の祈りをする者が、ひと昔に比べて減ってきている。


また、信仰を集めていた寺社からは人が減っていき、ご都合主義なパワースポットと言われる所には、欲を叶えようと人が集まっているという。


元神職のワシからすると、嘆かわしい事ではある。


このブログを読んでくれている読者諸氏には、伝えたい事がある。


自らの欲に忠実な願い事を、祈りとしないで頂きたい。


家族や身内、友人や知人、恩師、見知らぬ人。


誰でもいい。


是非、人の為に祈って頂きたい。


人の為に祈るのであるから、神社での開運やパワースポット、何とか流の参拝法などは関係無いのである。


人の為に祈る事こそが本質であり、それが結果的に日本を良くしていく事に繋がるのである。

いつかまた、日本人の心が豊かになる時が来る事を信じていきたいものである。(和風翁)


















さて、前回。

心霊の世界、スピリチュアルに於いて私はある事を伝えたいと思い、ブログの主旨を変えたと、お話しました。

その本題に入る前に、少し知っておいて貰いたい事があります。

またかよ!?いつになったら本題に入るんだよ!

何て突っ込みが入ってきそうですが、もう暫くお付き合いを願えたらと思います。



私達は人生を生きていると、様々な事に遭遇します。

良い経験も、悪い経験も、嬉しい事も、楽しい事も、悲しい事も、腹が立つ事も、沢山ありますよね。

今まで生きてきて、なーーーーーんにも無かったわ、何て事はありません。

その中でも良い事については、スピリチュアルビジネスや、なんちゃってスピリチュアルの方々が語り尽くしていますので、悪い事についての話をしたいと思います。



世の中には昔から、悪があります。

それは変わらずに確実に、連綿と存在しています。

善悪の定義は時代や国の法律・文化・風習慣習・思想によって微妙に異なります。

単純に、ここまでが悪だ、というのを断定するのは難しい問題です。

だけどそんな事を言っても話が進みませんので、秩序、道徳、倫理、に反することを悪として進めていきたいと思います。

単純に、人の道に反すること、と思われても構いません。



さて、人の道というものは、神への道でもあります。

そこから外れるというのは、神への道を外れるという事になります。

神への道を外れるというのは、対極の方向に向かう事でもあります。

神への道には、その先にいるのは神ですよね。

では、神への道に外れるという事は、神と正反対の者への道になるという事です。

そしてその先にいるのは…

という事になりますね。

人の道を外れる事を外道とはよく言ったものです。



ところで、悪の本質を突き詰めていくと、欲になります。

自らの欲に忠実になる。

そういう者たちは、その欲を満たす為にはあらゆる手段を使いますし、自分以外の者は欲を満たす手段であり、慈愛の欠片もありません。

それで自分以外の人がどうなろうと、一切関心はありません。

自分の欲が満たされるか満たされないか、それだけが関心なんです。

スピリチュアルで説く愛とは全く正反対ですよね。



さて、現実の悪について少し語らせて頂きたいと思います。


本当の悪は、表に出てきません。
それは巧妙に隠れているのです。

善に紛れ込み、善のふりをする。
ほとんどの人が、その悪に気付きません。

稀にそれに気付いても、それを語りません。
語れば自分がどうなるかを知っているからです。

自らの命を顧みず真実を表に出しても。
本当の悪によって、あらゆる手でそれは潰されていくのです。

本当の悪というのは単独ではありません。
複数です。複数をなしているのです。

それに対して、真実を知るものは単独か、数人。
集団の前に、個人の力など、像に踏み潰される小動物のようなものです。

集団の前では、個人の力など、無力に等しいのです。

だからいくら真実を知っていても、知らないフリをして日常の平和を選択するのです。


善人や味方の中に紛れ込む悪。
対立している様に見せかけて騙す悪。

そこには、単純明解な悪というものがありません。
わかりやすい悪というのは、信念や思想信条の違いともとれます。

だけど本当の悪というのは、そんなものではありません。
単純明解な悪でさえ、本当の悪に転がされてしまうのです。

善であれ、悪であれ、そこには信念があります。
本当の悪は、その信念でさえ利用するのです。

いつの時代も、人々はそれに踊らされ、騙され、搾取されてきました。

それが、この世の真実の一つです。

目に見える悪だけが、悪だ。
表に出ない悪など、無い。
そう思っている内は、幸せなんです。

そして同時に、何も真実を知らないとも言えます。

本当の悪は表に決して出てこない。
これがこの世の真実であり、現実なのです。




……いくつか削除した箇所がある。都合により、としか言いようが無い。それにしても確かに、現実に本当の悪の黒幕は中々尻尾を出さないね。悪人が善人のふりをして、表の面しか知らない者は簡単に騙される。悪人の様に批判非難されている人が、実はそう言われる程の悪人ではなく、むしろ善人であった。これも良くある話。まるで狐と狸の化かし合いだな。(和風翁)






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