光透波〜癒しの言霊〜

光羽(ことは)のスピリチュアルブログ
魂と心と身体の癒しをお手伝いします。
すべてがワンネスでありますように.。.:*・゜

今の現実にDVという言葉があります。
一般的には暴力が主になっていますが、いろんなDVが存在するのが現状です。
セクハラやパワハラなどもその一種に入ると感じます。
言葉のDVもあります。

よく世間で耳にするのが、
「ゆとり世代だから痛みが解らない」
とか言いますが、ゆとり世代だからその人たちが悪い訳ではありません。
その「ゆとり世代」を育てたのは今の社会です。
そういう風に育ててしまった今の大人の責任です。
DVは今に始まった事ではありません。
昔からある事です。
DVと名前がついただけの事です。
昔は人を教育するのには叱るだけでなく業種によっては手や物が飛びました。
しかしあまり問題にならなかったのは、当時はそれが当たり前の様な風潮もありましたし、手や物が飛んでも、その行動には愛があったからこそだと思います。
今、DVと呼ばれるものは、そこに愛はなく。「自己満足」と「自己中心的」な要素が多いからと感じます。
「自分の想い通りにいかないから」
などと、相手のペースや力量を完全無視し、自分のペースだけに合わさせようとする考えが根本かと思われます。
ゆとりは表面的な体面や過保護すぎる考えから、学校から道徳の時間さえなくしてしまった。
なくすなら、その部分を家庭がきちんと教育しなければいけなかったのに、過保護になりすぎている親が叱る事もなく子供の機嫌のままに育ててしまった事や経験しなければ成長できない部分を「かわいそうだから」とか「危ないから」とかいう親のエゴで経験させなかった事で、世間一般的な常識も思いやりも人としての尊厳すら失われてしまった部分もあります。
こういう流れがあるので、ゆとりで育って来た子供達が悪いのではなく、そういう流れを作ってしまった親世代に責任はあります。
ゆとり世代ではない人たちはきちんと世の中でマナーやモラルが守れていると言い切れますか?

道路では車は平気で信号無視する、一旦停止しない、スピードの法廷速度は守らない、周りの事を考えず自己中な運転をする、お酒を飲んで運転する。
自転車は携帯いじりながら、音楽聞きながら、傘さし運転、並んで運転する。
歩行者は並んで歩く、他の人が通ろうとしてもよけない、横断歩道を使わずに平気で道路を横断する。
電車では荷物を平気で隣の席に置く、足を組む、携帯で電話をする、大声で話す。
飲食店やスーパーなどでは子供を走らせても、土足のまま椅子に立っても注意しない、買う前に商品を食べるor飲む、店のものを無断で持ち出す、買わないのに商品を手で押しまくる。

・・・など書いていけばキリがないですが、これはゆとり世代だけではなく、いい年をした大人もやっていますよね?
子供は親や大人の背中を見て育ちます。
いくら説教した所で自分や周りの大人がやっていれば、意味もなく。
ひとくくりにゆとり世代だからと言ってしまうのはどうなんでしょうか?

このネット時代に人の批判や悪口を安易に書いてしまう事や、自分が楽しいから、面白いからだけでネット上に上げてしまう事。
人としてどうなのよ?
って批判するより、自分の身近な人たちはどうなのかちゃんと確認し、正していますか?
批判や悪口をネット上に上げてしまう
自分では正義感ぶってやっている事かもしれません。
だけどそれは自分の観点だけのエゴだと言う事に気がつきませんか?
言われた方や聞いてる方の事は考えていませんよね?
あなたは人の事を批判できる程偉いのですか?
それに対してのスペシャリストですか?
相手を宥める事で使う言葉なら癒しにもなります。
だけど自分の観点だけで物を言う、自分の観点だけで思い込み人への接し方を変えてしまう
これは自分本位での主観であって、他人には関係のない事。
それをまったく無関係の人に発信する
そのリスクをどう考えているのでしょう?
大げさに言うとあなたの自分のエゴで人の人生を左右してしまうと言う事です。
それを客観的に考えて正しいと思うなら責任を持ってしてもいい事ですが、自分の感情任せにだけでやっている事なのなら人としてどうなのよと感じます。
あなたは人の人生を左右できる程、偉くて正しいのでしょうか?

世の中何が100%正しくて100%間違っているかなんて、そのそれぞれの置かれた環境や現状で変わってくるものです。
人として 最低限でも モラルや思いやりをもって生きていきましょう。
自分の考えがすべて正しいと思わないようにしていきましょう。
言葉は癒しにも凶器にもなります。
精神的にもかなりえぐるような傷を負わせます。
あなたにその権限があるのか、逆の立場だったらどうなのか。
言われた方にも問題はあるのでしょうが、「先に」「後に」ではなく、なぜそれを言われたのか考えましょう。
そして自分が何が間違いで何が正しいのか考えましょう。
あなたが気がつかない所で人が傷ついてるのかもしれません。
だけど自分は間違っていないからと全否定をするのではなく、言われた事も受け止められる様、自分と向き合いましょう。
言われたからやり返す
それは感情論であって大人がする事ではありません。
全ての人に好かれようというのは無謀な話ですが、その時々の感情で態度を変えていてはあなたの信用度が下がるだけとなってしまいます。
例えば、お互いが誤解があり、それを認め合い、謝って仲直りしたのなら問題はないのですが、
そうでなくて、単に批判する相手が変わったからと、今まで批判していた人たちと絆を密にしていこうとかとなると、それは八方美人で自己都合の為だけの絆となってしまいます。
そうなったら、その方々とも信頼関係等生まれるはずがありません。
人間だから、考えも性格もそれぞれ。
周りを自分に合わせようとするのではなく、お互いが歩み寄って妥協する部分は作っていかなければ協調性もなにもできませんよね。
感情論で動かない人にとっては、上記の動き方をする人を冷ややかな目で見ている反面、大人の対応で差し障りなく接していくだけであって、必ずしも信頼を置いている訳ではないのです。
自分だけが住みやすい環境を作るのではなく、周りの人たちの事も考えて動いていく世の中にしていきたいですね。




ここの所、産地偽称や不適切表示などのニュースが出ています。
確かに、偽称や不適切表示をする側が悪いのですが・・・
それってした側だけの問題かと考えた時に疑問が出ました。
どんな問題も相手が100%悪いと言う事はありません。

細かい事を例題で言えば、

○交通事故で優先道路を走っていたのに、優先ではない方から走って来た車にぶつけられた
 これは割合で言えば優先ではない方からきた車の方が悪くなります。
 しかし、優先道路だからと言う「思い込み」「注意力怠慢」があるのです。
 道がある以上、人や車などは通ります。
 「交差点や繋がる道があるから、車や人や自転車がでてくるかもしれない」
 という考えがないから注意力がなくなっているわけです。
 だからこそ運転していれば左右確認、後方確認、前方確認が必ず必要なわけです。
 だから保険会社の言う所の10:0はあり得ない訳です。

いい例題ではないかもしれませんが、私が言いたいのは、偽称問題や不適切表示問題は、消費者側の流れがそうさせてしまった経緯があるように感じます。
世の中不況でお給料が上がらない、カットされた、リストラされたという事があり、「安くないと買ってくれない」流れがありました。
確かに給料カットや生活状況が苦しく、安く安くとなる気持ちも私も主婦なので解らなくもありません。
ですが、そういう流れで企業や販売側からしてみれば、安く売る為にはどうするかというと、
●少しでもコストがかからない事
●人件費を削る
●薄利多売思考

になるわけです。
そうすると、日本製品は高いから、安くすむ輸入品に頼るか、生産者に無理難題を言う
しかなくなる訳です。
でも、日本人は安くなきゃ買ってくれないけど意識的にブランド志向と言うものがあって、名前が知れているもの以外には手を出さない傾向があります。
考えは浅はかかもしれませんが、そういう流れの中で売る為には悪い事なのですが、「解らないだろう」という事でそういう事をしてしまっている。
偽称した側を擁護するつもりはありません。
ただ、世の中の流れの中で消費者側がそうだったからそうしざるを得なくなってしまったケースもあると言う事です。
ただ、残念なのは
偽称した側はなぜプライドを持って対処しなかったのか。
売上げばかり気にした結果だと思います。
確かに働いている人の生活を守る為やお店を維持していく為に売上げ数字と言うのは重要です。
だからといって偽称してもいいという事にはなりません。
物が安くなると言う事はどういう事かと言うと
それを作っている方々が手間隙かけて時間をかけて作っているのに、その労力以下の値段でしか売れない
となる訳です。

私は編み物雑貨を作って販売しているのですが、それで例えると

大きめストール1枚作るのに毛糸が約10玉かかります。
安いのでも1玉 平均250円とすると10玉で2500円。
編むのに一日7時間編んで、3日かかりました。
とすると、普通のバイト料 東京最低賃金でいうと869円×7時間で一日6083円
6083×3日間=18249円
18249+材料費2500円=20749円
デザイン料抜いたとしてもここまでの費用がかかるのです。
しかし、ここまでの値段だと売れないので、他の作家さんもそうでしょうが、手間賃を最小限にします。
私の場合、そのストールは8000円で販売しています。
要は材料費+1日と三分の一くらいの手間賃での値段設定。
そこまで削っています。
編み物の場合は毛糸と編み棒と時間があれば出来るのですが、野菜やお肉や養殖業(魚など)の仕事となると、苗代、土地代、肥料代、飼料代もかかる上に時間もかなりかかります。
主婦としてみれば野菜もお肉もお魚も安い方がありがたいのですが、今の価格だとちゃんと生産者さんたちの労力に見合った価格で買われているのかと考えると大いに疑問です。
はたして、生産者さんたちの時給はいくらなんだろう?

私も利用はしていますが、100円均一のお店が出始めてから、安いからとばかりにそれが当たり前になり、手作り品にまで同じ値段を求める方々もいると言う事。
以前、手作り品を販売するイベントに出た時に、レース糸で編んだ直径役15cmのドイリーを「100円にならんの?」と言われました。
材料費だけでも500円はかかっているものなのに。
安ければ安いほど、人は物の価値を見いだせなくなってしまう。
この時そう言う事を感じました。

アセンションを迎え、流れが変わって来た今、全ての人ではないけれど、本物志向の方が増えて来ています。
かつてのブランド志向ではなく本物志向
自分でちゃんと見て、価値があると思えば、安くなくてもその値段で買う人が増えています。
私も雑貨を作っていて、「売れればいい」と変な値段設定で売るのではなく、ちゃんと価値を解ってくれて大切に使ってくれる方に買っていただきたいので、あえてあまり安くもしず、値引き販売もしていません。

私が霊視鑑定を無料から有料に変えた理由もそこにあります。
無料でやっていると人は無料だからと簡単に聞きに来て、言われた事に対して考えず対処しない、依存系の人が増えたからです。
ぶっちゃけ話、人はお金が絡むと真剣になる傾向が強い。
お金を払ってでも相談に乗ってほしいと言う事は真剣なんです。聞くだけで終わらないんです。
無料だからいつでも簡単に聞けると思ってしまっているから、言われても「ふ〜ん」で終わってしまう。
こちら側としては霊視すると言う事は精神力も体力も使って見ているのに。
お互いが「お金をもらう立場」「お金を払う立場」という事で対等でなければ真剣な話が出来ない。
こちらもお金をいただいている以上責任をもって仕事させていただいていますし、無責任な言動は出来ません。
「お金」と言う事で、金儲けと思う方もいるかもしれませんが、私自身、この仕事でどんどん稼ごうという気はなく、私を必要としてくださる方がいる限りやろうと決めています。
実際、青梅の物産展では通常の価格ではなく、地域活性化イベントなので10分1000円でやっていますが、私のクライアント様は「正規の値段で」と言ってくださいます。
私にそれだけの価値を見てくれてるんだと感謝しています。

長々と、脈略のない文章になってしまったかもしれませんが、ここの所感じた事そのまま書いてみました。

ご無沙汰しております。
すっすみません〜
パスワード忘れてしまってそのままでした

また再開しますのでよろしくお願いします。

このページのトップヘ