2024.06.06、枕草子論、56
1.はじめに
 平安期の名作には、日本初のエッセイ清少納言の枕草子がある。思ったことを記述すといった現代人には親しみやすいとあって、今日にも読み継がれている。ここでは枕草子論として、今日的視点も入れながら、作者の思いがどう表現されているのか、当時の社会の様相とともに述べたい。
2.清少納言について
 枕草子がなぜ書かれたかについては、まずは作者清少納言がどんな職場環境で仕事をしていたかを明らかにしておかねばならない。以下に述べる。
<1>人物
 まずは、名前から。清少納言は、清原家の少納言という役職の家柄をそのまま文学女史の名前になったという。当時は女性に名前をつけはしたが、記録に残すことはなかったためであるので、後世に名を冠らせたという。
<2>宮使い
 貴族の出てあるから宮中への宮使いが当時の花の職業であったことであろう。清少納言が使えていたのは定子中宮であり、定子はいまでいうレベルの高い知的サロンを催し、女官と共に供与を磨いていたといわれている。なお、ライバルである紫式部とは、清少納言が宮中を去った後、5年後に紫式部が彰子につかえるために宮中に入ったので、両者には面識はなかったという。
<3>枕草子の執筆へ
 研究者によれば、定子の知的サロンで知の楽しさを満喫していた清少納言が定子中宮にかわいがられており、何時しか定子中宮を喜ばそうと思い立ち、また霊視中宮からも執筆活動の道を用意されたのではという。
3.枕草子の構成
<1>全体構成
 枕草子については;定子をほめること、定子のすばらしさを記述すること、定子が清少納言の能力の発掘したこと、が背景となっている。(上節にも記したとおり)
 枕草子の内容は、宮中での出来事を記した日記、かわいらしいものなどに着目したテーマ、自然や人間に関してのエッセイ、この3点が挙げられる。研究者によれば、この3点は実は共通して、定子のためのものという。言われてみれば、定子のサロンをもとに繰り広げられた文学世界の一翼を担うとして、日々の生活、周辺の環境に着目したといってもよいようである。
 まお、定子没落後においても、清少納言は枕草子にて定子のやさしさを記している。この点が、紫式部には気に食わなかったようである。
<2>文の構造
 清少納言の執筆にあたり、深い目的は文の構成に現れていると研究者は指摘している。
a.使用する言葉
 形容詞の多用;おかし、愛でたし、めでたし、かしこし、など
  注;めでたしとは最高の誉め言葉。例は 中宮様の着物はめでたし
b.女性たちの心情表現;ポジテイブが多い中で、あさまし、にくしのネガテイブ表現もある。
 白黒明確にする気質;
 和歌を使ってのコミユニケーション  
c.感嘆(おかし)の文学;知識や教養を日常生活でうまく使っている。
d.センス;語彙が豊富でありセンス抜群
 春といえば一般には桜や梅をさすが、枕草子では「あけぼの」とするいいセンスだ。
 ただし、春はあけぼのは定子のことのようだとの研究者談。
 4.批評・評価
<1>ライバル紫式部による事情(平安期批評)
 平安期、二大作品は世に出回り、両者お互いに作品を互いに作品を読んでいて意識していたのは当然である。
 式部日記では、式部は清少納言をこっぴどく批判している。源氏物語では、女性の生き方を問題にしたのに対して、枕草子は単に日常の事を扱ったに過ぎない、といった捉え方であったのでないか。特に、定子のつらさに触れられていないからウソっぽいともいっている。
 これに対し、清少納言は源氏物語を批評したということはなかった。どちらかと言えば、清少納言はマイペースで日常をおもしろくと捉えていたのと、定子の失脚で悔しさいっぱいの感情を停止をおもんばかってあらわにできなかったのであろう。
 清少納言の思いを考えると、紫式部はもしかして嫉妬していたのではないのか。
5.まとめにかえて、枕草子の今日への影響
 枕草子はさすがに日本初のエッセイと言われるだけに、何か自由奔放に風景や人間模様を文章化している。言葉は人間行動地リンクしてるだけに、そこに文字の世界を入れることこそ、実際の役目があったともいえる。こうしたことが、清少納言を先人として、後世に道を開いたと言え、ここに行動、言葉、文章がリンクしたということができる。
A.付録;平安期の女性のお召し物
 十二単については、重ね色の組み合わせで色彩のグラデーションが美しい。この十二単は12枚の重ね着ではなく9枚ほどとのことである。着着には従者の助けを借りて30分ほどかかる。もともと、十二単は10-20kgある。今でも京都加茂賀も社では着付けのデモが行われており、従者2名による着付ショーが楽しめる。

2024.04.18 源氏物語の社会学的評価について、55
(0)はじめに
 世界最古の小説と言われる源氏物語について、最近はブームとなって、現代訳本が多く出版され、NHKの2024年大河ドラマにもなっている。また、文学者や歴史学者による源氏物語講演会も多々催されている。その多くは、源氏物語の色恋や処世術的な立ち回りが関心事とあって、その関係の論述が多い。
 そのなかにいても、哲学と文学の学際域においては、物の見方が違っていて、それこそ今日的意味およびそれは本来如何にあったのか、するどく分析しているものも少なくはない。
 本稿では、これまでの論評や主張を今日的市民視点で再構成してみることにした。まとめに際しては、物語がその背景や社会的事情に加えてて今日的な意味について扱うことにした。

(1)源氏物語の執筆目的
 いつだれが書いたのかは不明であるが、紫式部日記の記述と整合するとして、作者は紫式部と言われている。しかし、何を目的に書かれたかは知る由もないが、天皇家を題材にして時の天皇の関心を得ようと時の権力者藤原道長の要請によったともいわれている。ある文学少女が気の向くままに書き綴ったとの見方もないわけではないが、やはり社会の醸成のもとにかかれるべくして書かれたとみるのが自然であろう。
 となると、書き手の時代要請に対する捉え方として執筆意図がしっかりとあることになれば意図は何かが知りたい。それにはやはり当時の社会状況が問題である。古代から男尊女卑の社会であれば、女性の生き方や己の存在を問うのは至極当たり前であり、文才があればその才を持って女性問題を世に問うてみたくなろう。今日の女流歴史家の方は、時代を越えて問うことが目的だと言い切っておられている。ただ、そこまでの闘争心あってのものよりも、その時代に最大限ベストを尽くしたというべきかと思う。

(2)構成
 物語は3部で構成され、一部は主人公光源氏のサクセスストーリー、二部は光源氏の生涯後半期、三部は光源氏の子の半生である。二部から三部にかけて、話はどろどろとえげつなくなっているという。
 ではなぜえげつなさまでを描写する必要があったのであろうか。上記項目の目的に挙げたように、時代の批判ということであればもっとエッセイのようにするとかはなかったのであろうかと思われるが、そこは文才でルポルタージュではなく現実に接近した物語で、ルポ以上にリアリテイを持たせることができたのであろう。
 何せ事実報道ではなく、人の感情・感性に訴えるのであるから効果抜群なのである。哲学者ローテイはいう、人を動かすのは理論ではなく文学である、と。

(3)読み継ぎ
 当時は男性は漢文で文章を作成していた。平仮名は女性や子供用なのである。これが幸いして、女性は世代を超えて長きにわたって読み継いでいけたのである。ある人曰く、アングラ文化と。確かに。
 そこで今一つ問題あり。当初は目木版技術もなく、写本は書き写しそのものとなると、正確に写本できたのであろうか。聞くところによれば、平安期の写本は全く存在せず、鎌倉期になってやっといくつかみつかった写本を基に、当期の知識人が検討を加えて、平安期の原文を作ったと言われている。そして、江戸期に入れば木版技術により、本が数多く印刷されたという。

(4)近代にて
 天皇家の日常を記した物語は、天皇制時代では不敬にあたり、発禁処分となっていた。当時は天皇は神であり、絶対的存在であったので、源氏物語の描写は天皇制権威を失墜させかねないとして、圧殺されたのである。
 戦後は自由民主の時代となって、源氏物語が蘇った。女性問題は慰安なお続く大問題ゆえに、今なお源氏物語が読み継がれるのも道理である。

(5)古文を構成する文語体
 古代期の文を古文と称し、現代の文は現代文もしくは単に文といったところである。古文が現代文に変遷した経緯を見ながら、古文の特徴を理解したい。
 文学者によれば、当時の紙は貴重品であったことにより文語は密度濃く情景や情緒を盛り込み、また音韻を持ち味としたのである。その最たるものが短歌であったという。
 そんな古文において、時がたつにつれ、文語体がより意味を分かりやすく、また発音がしやすい言語となっていった。この一連が市民化(カジュアル化)といえ、これにより、文語体が口語体に変わり、文語体イコール口語体となったといえる。

(6)現代訳
 古文が現代文に表現され直す場合(翻訳)、古文の特徴として背後の状況のニアンス化やリズム・余韻がかき消えてしまっていることが指摘されている。このため、現代訳はその点をなるべく補うようにと心がけられてはいるが、文体進化の過程で欠落したものは回復は無理ということである。だからこそ、古文理解には古文の文体で解釈をしていくべきなのであろう。

(7)音読と黙読
 古文の現代化により、今一つ失われているものがある。古文ではすべて音読する。例えば、和歌は音読の物。一方、現代はほとんどが黙読である。優雅に文を謳うということではなく、文は情報として捉えられているせいか、声出しは不要であるとされている。しかしながら、文学教育や人間教育の場合、言語の感性的要素の理解には音読がもっと進められるべきであろう。

(8)言語と文化
 最近心理学では言葉と心を一体的に捉えるようになってきた。これに伴って、自己啓発にも言語を多用せる傾向が強くなり始めている。その一方では、そのようなアプローチは思考のロジックに言葉と心を乗せる方法であるだけに、真の心の問題とはかけ離れているとの見方もあり、言語として文学の機能をもっと理解すべきとの考えが活発になり始めている(哲学者ローテイの考え)。
 このことを踏まえて、源氏物語を展望すると、言語と心はいうまでもなく言語と文化をもリンクさせることができる。そしてまた、社会の在り方を示唆することもできれば国の在り方も視野に入ってくる。これが感性からの文化性や社会性なのである。
 そうした文化論は科学技術を基調にした文明論とは大きく異なる。文明で社会を作り国をつくったとしても、文化性がない限り人間性はそこには望むべくもないだけに、文学の機能をもっと認識すべきである。よって、源氏物語は、世の中のブームからさらに一段踏み込んで、技術振興からの脱却への大きな流れをつくることになる。

(9)おわりに
 結論は上節のとおりである。そう考えると、源氏物語が世界初の物語としてあの時代に誕生し、今この世の中に大きな問いかけをしていることに改めて大きく驚ろくしだいである。

2023.11.15 災害被災地における復興の在り方、54
 災害対応あり方や進め方の研究を覗いてみて、災害復興の在り方についてまとめてみることにする。
▲ まずは復興の在り方を問題として、これまでの復興が行政主体の事業としてなされており、被災者の意向が反映されていないのはなぜか、と問題提起し、これについては被災者を主体とすることが肝要とされている。

 では、そのためには何をすべきか、として端的にいえば「人間の復興」であり「コミユニテイの健全化」を謳っている。すなわち、被災者において、生活の質の向上、コミユニエイの質の向上、環境の質の向上の3点が挙げられていた。なお、これら3点を纏めてQOLというべきものであり、QOLには人間の社会的満足(やりがいなど)の次元をも含めているが、ここでいう人間復興や健全化とは表現上相違があるものの、本質は両者同じであり、後者の場合には人間素養の充実があれば生きがいについても当然発展を内含しているというニアンスがある。

 再び、QOLのもとで何を成すべきか、多くの知見を列記する。

・行政と連携して、被災者の声を十分に聴く。

場合によっては追跡調査も必要。非サイゴン時点、5年後10年後、生活がどう変わってどう思っているかの声は被災生活の言語としても貴重な意見となるからである。

・現状復興というこれまでの復興では、どうしても質の低下は免れない。希望の持てる復興とすべきである。これは人権そのもの、復興権というべきである。最近は住まい研、環境権、と板長に人権として位置付けることが多くなった。

・復興を質の低下をもたらしているのは、社会における分断化や孤立化が背景にある。これをどうするか考えていくべきである。

・多様な価値観を受け入れ、認め合う寛容性を持つようにすべき。そのための教育も必要である。

▲ 上記お様な一般路に対して編者の私の考えは、復興という緊急性のなかにも、長期的展望を取り込んだ施策が必要という考えを持っている。しかしながら、大勢は緊急時において何をなすべきかであり、編者のような考えは悠長と捉えられている。本当にそうなのであろうか。生活の健全化は日頃の行為の蓄積であり、緊急時にお行ける対応で瞬時に身に付くものではなく、日ごろからのモノがたとえ健全化途中であっても、緊急時においてもなにがしかの働きがある、と考えている。今少し説明を加えれば、日ごろの健全化を目指す姿勢といった素養は気風あるいは雰囲気、社会素養)といってもよい。気風から常識や社会意識が形成され、時には世論として政治的な力を有することにもなる。今流の書投げを延長するなら、編者の考えに行きつくはずと思っている。


▲感想; 本論への感想をいただいた。

僕は、生活に「仮設」はないと思っています。今の復興計画、事業から、仮設という言葉を取り除けば、その、うまくいってない実態が浮かび上がってくると思います。震災後、被災地、被災者をテーマにしたドラマをいくつかみましたが、それらを通して感じられたのは、上記のことでした。

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