b.味;西では「辛い」、東では「しょっぱい」
(2)食
c.豆腐:西では「絹豆腐」、東では「木綿豆腐」
最近、外国人の排外主義が横行している、と同時に、日本人は最高、日本人ファースト。日本人オンリー、等といたように人種優性志向が復活したかと間違うほどに、社会の状況は歪んできている。こうした問題に対して足して、人道主義、人権といったことで人間育成が広範囲に必要となってきた。それとともに、なぜ差別が起こるのか、同族意識との対比で考えることもまた必要となっている。特に、排外主義者が民族とか、国家の国民の位置づけを含めいいように捻じ曲げている。
▲ここでは、そうした状況の改善を目的として、国家、国民、民族といった。個人と社会の関係性について、歴史認識のものと詳述することとした。論点を専制国家から国民国家への変貌に設定し、特に専制国家から国民国家へ移った時の民衆の位置付け方について論を進める。以下に述べる。
(1)国民国家;国民国家が誕生したのは、専制国家が破綻したあとに民衆が一部リーダ-のもとで行動に出たからであり、リーダーは民衆のそうした力を軽視できず、民衆を国家体制に組み込まざるを得なかったのでは。その時に、リーダ-は民衆を国家に帰属するとした。専制君主が民衆を配下に置いたが、今度はリーダ-は民数を配下に置くのではなく国家が置くとしたのである。民衆のさらなる革命が恐ろしかったのであるといえる。
(2)民族・国民;民族・国民という概念は近代になってできた概念である。日本では、日本人・日本民族とかいう概念は明治になってからである。外国の場合もそうである。例えばフランスでは、革命後には市民という概念ができ、その後の国家が国民国家とよばれた。また、戦争の時代に入ると、戦争は国家総動員で実施する総力戦となり、民衆を戦争にかりたてる仕掛けに国民や民族という縛りが国家に必要となったといえる。
(3)民衆と国家;民衆が国家をつくり、国家が民族をつくる。国家が民族を束ねて対外活動(戦争、掠奪収奪の経済活動)により民族(国民)に利益を享受する、という構図が根本にある。民族へのサービスがあるからこそ、民族の名を国家が借りれるからこそ戦争まですることができる、と捉えられる。もし国民が多民族でバラバラなら、より一層の富を求めて、他国を侵略することもなかろう。多民族国家では、例えばアメリカでは、一国の衆をアメリカ人としてのくくりで国家の侵略性が根付いている。
▲まとめ;以上みてくると、権力を持った方が国家運営を行う際に、各種行動に効率を高め効果を生むように最大限のレベルを考えれば、国民・民族といった国家のアイデンテイテイを各自持つようなシステムが必要であり、そう駆り立て体制のムードが必要であるといえる。こうした状況を変えるようなことは今なお認められないので、懐柔策を講じることが多い。となれば、真の解決には、人道主義・人間性追求といった面からの社会構成における余裕を作り上げることしかない、考える。ただし、今の時代、国家も国民も社会システムの上で構成(制度構成)され、国家にリーダ(政治家)も国民もいることはいうまでもないことである。