憲法とたたかいのblog

労働者のたたかいの歴史、そして憲法について動画とあわせて追求していくブログです

2014年07月

労働組合・労働者の権利ABC、労働組合誕生の歴史・労働運動史エピソード・産業革命期の初期労働者

憲法とたたかいのブログトップ
【このページの目次】
◆労働組合とは、労働者の権利とは、労働者の団結の映画リンク集
◆マンガ・労働組合誕生の歴史
◆連載・労働講座きほんのき
◆厚労省=労働組合基礎調査あらまし(2017年)
◆労働組合はどのように誕生したのか(筆者論文)
◆労働組合運動史エピソード
◆産業革命と初期労働者のたたかい

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◆◆労働組合とは何か、労働組合誕生の歴史リンク集
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【わかりやすい労働組合とは何かの動画】

★★全労連:労働組合は未来へのドア❶24m
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53894858

★★全労連=労働組合は未来へのドア❷6m
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53904202

★★全労連=2016年労働組合入門 わくわく講座
【16年度】
❶労働者の働き方・働かせ方10m
https://m.youtube.com/watch?v=nRE2jyqJRhg
❷労働者の権利10m
https://m.youtube.com/watch?v=sNxcQt9FTl0
❸労働組合の組織と運営13m
https://m.youtube.com/watch?v=n190iA3ZkBc
❹(1)賃金・労働時間16m
https://m.youtube.com/watch?v=MfBcUJLz7_k
❹(2)雇用問題・ジェンダー問題15m
https://m.youtube.com/watch?v=KkfzPThPGzg
❹(3)社会保障・労働安全問題10m
https://m.youtube.com/watch?v=Qh38xB2Pgu8
❺ナショナルセンター・全労連13m
https://m.youtube.com/watch?v=SCFxKlbNVyA
❻補講=国際活動10m
https://m.youtube.com/watch?v=HJCqncxG9Vo

【15年度】
はじめに=歓迎のあいさつ9m
https://m.youtube.com/watch?v=sACTsjDBsDo
❶こんな職場なんとかしたい、労働組合とは17m
https://m.youtube.com/watch?v=0zY2c5L5D2g
❷労働者・労働組合の権利10m
https://m.youtube.com/watch?v=4IH5BKBUqfA
❸労働組合の組織と運営18m
https://m.youtube.com/watch?v=-LSFZRPITNA
❹(1)賃金など要求18m
https://m.youtube.com/watch?v=t5NSn4bM2pM
❹(2)雇用・ジェンダー9m
https://m.youtube.com/watch?v=I0EdS444WO0
❺ナショナルセンター・全労連12m
https://m.youtube.com/watch?v=bW6DflNKpWo
❻補講=国際活動17m
https://m.youtube.com/watch?v=r7rIvWWDigc


◆幻燈文化社その他の労働組合入門動画

★★労働組合の任務と活動15m
https://m.youtube.com/watch?v=29rOUYnuh5U

★★労働協約と労働者
https://m.youtube.com/watch?v=qYkSA_d32PI

★★労働組合ABC13m
https://m.youtube.com/watch?v=yk-h-tuwT8Y

★★労働組合あればこそ13m
https://m.youtube.com/watch?v=wM1yvU6pe_A

★★What's ユニオン17m
https://m.youtube.com/watch?v=0INdM19hdGU

★★今日からあなたも組合員9m
https://m.youtube.com/watch?v=aHE3A1C1RXI

★★労働組合の生い立ちと私たちの権利17m
https://m.youtube.com/watch?v=ymMi0pSh_V0

★★ろうきんの歴史(TV今日は何の日)11m
https://m.youtube.com/watch?v=Lf1pXQY9jeI


◆当ブログ=ストをうったプロ野球選手会103日の闘い(選手会のストの動画は、労働組合とは何かを教えられる)
http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/2994360.html

◆当ブログ=自交総連グリーンキャブ労働組合の組織・学習活動(力強い労働組合の一例)
http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/3077812.html

◆当ブログ=労働運動の再生をめざして=再生の教訓、労働総研などの調査から(いきいきとした労働組合をつくるために)
http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/6164792.html

★★連合=What's UNION? 〜労働組合からあなたへのメッセージ〜
⚫︎第1部16m
組合の力があれば〜4人からのメッセージ〜
https://m.youtube.com/watch?v=Jn4g8Dkl_M0
⚫︎第2部16m
https://m.youtube.com/watch?v=RhGUP_Cs-sk

【働くものの権利】

★★20140213明日から役立つワークルール~初めての労働法~「残業代、もらってる?」24m
https://m.youtube.com/watch?v=gHkr1q1-6hY

★★明日から役立つワ―クル―ル~初めての労働法~「退職を迫られたとき」24m
http://m.youtube.com/watch?v=UnvAGfwhdAU

★★NHKオトナへのトビラTV 「働くルール」 労働基準法 知らないと損をする!
https://m.youtube.com/watch?v=T7bMAHGyJKg

★★東京都労働局=若者必見の労働法解説動画

★★知らないと損する労働法Ⅰ 【①~③全編】18m
https://m.youtube.com/watch?v=wrwnq08i5UI

★★知らないと損する労働法Ⅱ【④無理なシフトを頼まれたら...シフトの強制・解雇編 】5m
https://m.youtube.com/watch?v=5cXuMAuFyvo

★★知らないと損する労働法Ⅱ【⑤授業準備はタダ働き...コマ給・給料未払編 】5m
https://m.youtube.com/watch?v=FDGYyQe9PRw

★★知らないと損する労働法Ⅱ【⑥キャンペーンのノルマが...自爆営業・給料天引編】6m
https://m.youtube.com/watch?v=cFcyTyWlSZQ

★★「どうする? あなたの身近な労使トラブル」(労働委員会とはの動画)
❶2m
https://m.youtube.com/watch?v=svsGPQwPWFU
❷20m
https://m.youtube.com/watch?v=KyyZrYLYuvk
❸20m
https://m.youtube.com/watch?v=Ahtm2OcbFCs
❹18m
https://m.youtube.com/watch?v=UhhZgsfujjQ
❺18m労働委員会のあらまし
https://m.youtube.com/watch?v=MCfBh3i_mlk

★★労働法を職場に活かす-講師 笹山尚人弁護士60m 作成者:吉岡力image
http://m.youtube.com/watch?v=EKr7uurqAY8

◆書評・「働く」知識を学ぶ
(赤旗17.09.10)
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◆当ブログ=ワークルール(労働法)を学ぶhttp://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/4776449.html

◆全労連・権利手帳PDF9p
http://www.zenroren.gr.jp/jp/data/2015/techo2015.pdf

★★GHQがつくった映画=労働者の権利❶労働協約❷労働基準法(経済文化局。貴重な労働者教育用の映画。戦争直後の炭鉱・金属工場の職場や労働者の状態も分かる。計50m)
https://m.youtube.com/watch?v=ywgIeBgkCiY

◆厚労省=マンガ労働法Q&A PDF29p
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/151120roudouhou.pdf

◆川村=学校で労働法・労働組合学ぶ(高校編)
http://e-kyodo.sakura.ne.jp/roudou/151120koukouhen.pdf

【労働者・労働組合描いた映画】

★★当ブログ=映画・「ドレイ工場」
(労働組合結成まで、結成後の労働者の姿をいきいきと描く)
http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/2802425.html

★★ケン・ローチ監督・映画『ブレッド&ローズ』
(SEIU に加盟したメキシコ移民女性労働者)
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53867027

★★映画『ノーマ・レイ』(Norma Rae)(アメリカの繊維女性労働者が労働組合結成に立ち上がる姿描く)
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53553195

★★ゾラ原作・ジェルミナール産業革命期の初期炭鉱労働者のたたかい❶70m
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53773265

★★ゾラ原作・ジェルミナール産業革命期の初期炭鉱労働者のたたかい❷70m
http://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53773315
【赤旗17.07.02】
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★★映画=わが谷は緑なりき(フォード監督。イギリスの炭鉱労働者描く)
http://nicoviewer.net/sp/sm18269626
❷❸は下部から

【マンガ・労働組合の生い立ち】

◆◆7508マンガ・労働組合の生い立ち.pdf (以下マンガからの抜粋)

【土地を奪われた農民たち】
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【綿紡績工場の周辺に住み働く】
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【低賃金・長時間労働・失業とケガ・病気】
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【ただ怒りをぶつけるだけの機械うちこわし】
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【団結はパブで始まった=仲間助ける共済活動】
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【パブでの金の管理はマスターに(後の書記長)】
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【ストライキが労働組合発展のゆりかごに】
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【労組とストの嵐に対抗して資本家は団結禁止法】
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【団結権だけでなく時短など勤労権獲得のたたかい】
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【参政権獲得のたたかい=チャーチスト運動も】
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【それは世界最初の労働者階級の政治闘争】
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◆労働組合があるのとないのでは、こんなに違う=賃金・一時金・退職金など
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★★全労連第24回非正規交流集会=労働組合ってすばらしいトーク37m
https://m.youtube.com/watch?v=wwfbITkhaSQ
https://m.youtube.com/watch?v=Sgz569vlmZ4
https://m.youtube.com/watch?v=Muwjz3a1HR8

★全国福祉保育労働組合
⚫︎あってよかった労働組合3m
https://m.youtube.com/watch?v=-ZYXprde6oA
⚫︎いま伝えたい 福祉は権利3m
https://m.youtube.com/watch?v=LsAVyRGnWho
⚫︎処遇改善を4m
https://m.youtube.com/watch?v=hjjC_3vAeZE
⚫︎私のメッセージ(1)3m
https://m.youtube.com/watch?v=-KNwUyXsWAQ
⚫︎私のメッセージ(2)4m
https://m.youtube.com/watch?v=7ifgB_SA0D4
⚫︎共同シンポ=福祉は権利30m
https://m.youtube.com/watch?v=7fn72JaWizM

★★首都圏青年ユニオン
❶いまの若者はどんな世界で働いているか:15m
https://m.youtube.com/watch?v=lvbKv91gisU

❷「ブラック」の濃度を薄めるために労働組合がある13m
https://m.youtube.com/watch?v=myMpjvRlf_U

❸一人ひとりが「自分の言葉」で伝えよう19m
https://m.youtube.com/watch?v=Uc0-r0C31jw

★★「人間らしく働きたい!労働組合の役割」(音声のみ)講師・槙野理啓(関西勤労協)120m=広島労働学校プレ企画
http://m.youtube.com/watch?v=Etp5OZpXgEA

◆◆クミアイって=神奈川県医労連の中村さん
赤旗18.05.15
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★★小山=労働講座「労働組合とは何か〜職場や社会における役割」80m
https://m.youtube.com/watch?v=qbhKQsh-9n4

★★熊沢誠=「労働組合運動とは何か」講演=企業別組合脱皮
(2)〜(15)は下部から。計80m
(1)https://m.youtube.com/watch?v=vxtPRZWLL4g

【わかりやすい資本主義のしくみ】

◆石川康宏=社会って資本主義で終わりじゃないの?
http://walumono.typepad.jp/1/2008/02/post-200d.html

◆石川康宏=企業のもうけは、どこからくるの?
http://walumono.typepad.jp/1/2008/02/post-145d.html

◆石川康宏=社会はかわるし、かえられる」ってホント?
http://walumono.typepad.jp/1/2008/02/post-d9fc.html

◆石川康宏=日本社会にひろがる貧困と格差の克服を
http://walumono.typepad.jp/1/2007/04/post_cba0.html

◆石川康宏=青年が「人間らしく」働ける社会でこそ
http://walumono.typepad.jp/1/2006/09/post_88c8_1.html

◆筆者=賃金から考える資本主義(民青新聞)
http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/3601668.html

◆劇画マルクス
https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5R1hadWZBUndYaWs&usp=docslist_api
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◆理論劇画・マルクス『資本論』
https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5OHdUd3VkaG1zVTA&usp=docslist_api

★★池上彰の世界を変えた本 カール・マルクス「資本論」46m
https://m.youtube.com/watch?v=vMVVkn_B_0k

★★映画=マンガ・マルクス「資本論」(イーストプレスまんがから全16話)
http://www.veoh.com/m/watch.php?v=v124473371tNhP2Q8s

★★NHK1週間で『資本論』
全4回×25m 的場解説
http://www.veoh.com/m/watch.php?v=v124473062p9s4w6gn

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◆◆赤旗連載・労働講座きほんのき
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❶賃上げとは(3/15)
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❷有期雇用への転換(3/23)
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❸労働契約(4/8)
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❹三六協定(4/12)
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❺管理職(4/15)
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❻メーデー(4/18)
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❼変形労働時間制(5/19)
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❽最賃(6/1)
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❾過半数代表(6/27)
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⑩裁量労働制(7/6)
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⑪年次有給休暇(8/22)
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⑫解雇の金銭解決(12/20)
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◆◆2017年(平成29年)労働組合基礎調査のあらまし=組織率17.1%最低更新
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◆厚労省=調査の概要
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/roushi/kiso/17/index.html

◆調査の概要とは全労連見解の報道
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◆全労連のコメント

【談話】2017年「労働組合基礎調査」の結果について

 厚生労働省は本日、2017年の「労働組合基礎調査」の結果を公表した。労働組合員数は998万1千人と前年より4万1千人(0.4%)増加した。組合員数は2011年に1千万人を割り込み、その後減少を続けていたが、一昨年の0.1ポイント、昨年の0.6ポイント増加に続き3年連続の増加となった。組合員数増加の主な要因は、女性とパートタイム労働者の組合員数の増加(女性が7万6千人、パートタイムが7万7千人の前年比増)である。パートタイム組合員は120万8千人となり、労働組合員全体に占める割合も12.2%(前年比0.8ポイント上昇)となった。それでも推定組織率は女性が12.5%、パートが7.9%であり、全体の推定組織率17.1%に比べると組織化が進んでいない。
 雇用者数が約100万人増えたため推定組織率は17.1%と前年より0.2ポイント低下した。総務省「労働力調査」(2017年10月速報値)によれば、就業者数は6581万人(前年同月比61万人増加、58ヶ月連続増)となっている。そのうち、正規雇用は3485万人(前年同月比68万人増)、非正規雇用が2041万人(前年同月比5万人増)となった。全産業すべての地域で労働組合の結成を促進していくことが求められている。とりわけ非正規雇用労働者の組織化は重要である。2018年4月から有期雇用労働者の無期転換がはじまり、すでに各地で雇止めなどの労働相談が相次いでいる。2018年10月からは派遣労働者の申し込みみなし制度もはじまる。非正規労働者の組織化をさらに強めていることが必要である。
 産業別の組合員数では、製造業が260万8千人と最も多く、次いで卸売・小売業が141万3千人、運輸業、郵便業が85万9千人などとなっている。前年に比べ増加幅が大きかったのは、宿泊業・飲食サービス業2万9千人増、卸売業・小売業2万7千人増、生活関連サービス業・娯楽業2万0千人増などである。一方で減少幅が大きかったのは、情報通信業2万5千人減、製造業1万4千人減、公務1万2千人減などとなっている。宿泊業・飲食サービス業や卸売業・小売業などのいわゆるサービス産業に就業する労働者の増加が大きく、製造業や公務に就労する労働者の減少が続いていることからも労働者の非正規労働者化が進んでいることがうかがえる。サービス産業で働く外国人労働者も近年目立つようになってきており外国人労働者の組織化も求められる課題である。
 主要団体別の組合員数では、地方組織単独加盟の組合員を含めて、全労連は前年比5千人減の77万1千人となった。ただし、年金者組合なども含めて全労連が独自に掌握している組合員数は、2017年6月末の現勢調査で104万人である。「労働組合基礎調査」での前年比の減少数は1万人を下回り、各地方・地域、単産・単組の奮闘で減少傾向に歯止めがかかったとも言える。他方で連合は同4万9千人増の692万人、全労協は同5千人減の11万0千人であった。
 各地で組織拡大4カ年計画の具体化が進み、調整会議の開催も37都道府県で行われ「全員参加の組織拡大(総がかり行動)」の推進が図られている。また、この秋からの無期転換にむけた運動も積極的に進められ組織拡大につながっている。共済加入も契機としながら拡大運動の新たな手応えがひろがっている。職場からの闘いを強化すると共に、とくに非正規雇用労働者や若者、女性などの組織化を推進して、「150万全労連」をめざす飛躍を実現する決意である。

◆◆正社員中心の労働組合からの脱皮を(平成経済)第2部・昭和モデルの崩壊:3 非正社員、守らぬ労組

朝日新聞18.02.11

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 「働く人の味方」だった労働組合が、平成に入って大きく変わった。長期不況でリストラの嵐が吹き荒れるなか、余裕を失った「正社員クラブ」は、自らの職や賃金を守るため非正社員の拡大を黙認した。働く人の間に分断ができ、その溝を埋める役割を労組は果たせていない。(大日向寛文)

◆改正法骨抜き「問題ない」

 労組ならば非正社員でも味方になってくれる――。そんな期待は裏切られた。

 東日本の自動車部品メーカー工場で期間従業員として働く40代男性は昨年秋、社内の労組を初めて訪ねた。改正労働契約法の「5年ルール」の趣旨を骨抜きにする会社の規則を変えてもらうためだ。

 この会社では、継続して働ける期間の上限を2年11カ月としている。その後は6カ月の「空白期間」がないと仕事に戻れないため、いつまでたっても通算勤務期間が無期雇用の権利を得られる5年を超えない。正社員登用制度もあるがハードルは高い。直近の試験は日程すら事前に教えてもらえず、受験した3人の同僚はみな落ちた。

 「半年の空白期間があるので、無期転換の権利を得られない。組合としてどう考えているのか」。そう質問したが、対応した労組幹部は「制度に問題はない」という立場を変えない。「まずは組合員になりたい」と申し出ると、「組合員になりたい期間従業員は他にはいないはず」と、応じてくれなかった。

 けんもほろろの労組を前に、この男性は制度変更をあきらめざるを得なかった。事を荒立てて会社ににらまれれば、いまの契約すら更新を拒まれ、雇い止めになりかねないからだ。「立場が弱い非正社員は『出る杭』にはなれない」。男性は悔しそうに語った。

 実際、雇い止めされる非正社員も少なくない。

 凸版印刷の男性契約社員(56)は昨年1月、雇い止めを通告された。雇用期間は18年3月末まで。無期転換の権利を手にできる1日前に打ち切られることになった。上司から「法律でここまでしか雇えない」と説明されたという。

 子どもは私立大学に通う。自宅の住宅ローンも残ったままだ。夜も眠れないほど悩むが、社内の労組には相談しなかった。

 「うちの労組に契約社員は相談できない」。以前、組合員の同僚に言われたことが記憶にあるからだ。毎年春闘の時期になると、職場は賃上げの話で盛り上がるが、自分の給料は働き始めた7年前から1円も上がっていない。「下手に労組に相談したら、会社に筒抜けになる」とすら思う。

 いまは社外の労組に入り、会社に雇い止めの撤回を求めている。

◆組織率の低下、止まらず

 労働組合の中央組織、連合が誕生したのは、平成が始まった1989年だ。

 労働者のなかで労組に加入している人の割合(組織率)は49年にピークの55・8%にのぼったが、89年には25・9%に落ち込み、運動を立て直すことにした。

 だが、連合発足後も組織率の低下に歯止めをかけられず、17年は17・1%と過去最低を更新した。不況や規制緩和で平成の間に急増した非正社員を、組合員にしてこなかったことが影響している。09年に34年ぶりに上昇に転じたが、リーマン・ショック後の大量雇い止めで分母の労働者数が減ったのが大きかった。

 「正社員の雇用や賃金を守るための防波堤」という労組の意識を変えようと、連合の4代目会長、笹森清氏は、中坊公平・元日本弁護士連合会会長ら7人の外部有識者の力を借りることにした。「大企業で働く正社員の利益のみを代弁している」「変化に十分に対応できていないことは明らか」。03年にまとまった報告書は、厳しく連合を批判し、改革を求めた。

 それから10年余。有識者の一人だった神野直彦・東大名誉教授は「報告書の指摘はほとんど実行されず、いまも課題がそのまま残っている」と話す。

 連合の非正社員の組合員は、全体の15%の106万人。その4分の3を、繊維や流通などの労組でつくる産業別労組「UAゼンセン」が占める。こうした業界は非正社員が多く、正社員だけでは労働者の過半数を代表する労組がつくれない企業が少なくない。自動車総連の組合員に占める非正社員の割合は3%、電機連合はわずか0・4%だ。

 トヨタ自動車やホンダなど大手自動車メーカー全8社が「5年ルール」を避ける仕組みにしていることが昨年11月、朝日新聞の報道で判明した。

 報道直後、連合は「残念」とコメントしたが、傘下の自動車総連に改善は求めなかった。自動車総連も、自動車大手に期間従業員の正社員への登用制度があることなどから、「問題ない」との考えだ。

 しかし、非公表のホンダを除く大手7社の16年度の正社員登用は、期間従業員全体の8%にとどまる。取材に自動車総連首脳は言った。「法律に書いてあるとおりにやって何が悪い」

◆存在意義、問われる連合

 平成に入って労働運動の土台もぐらついた。89年にベルリンの壁が崩壊、社会主義が一気に色あせた。

 そこにバブル崩壊後の長期停滞がのしかかる。わずかな賃上げしか獲得できない春闘は、労組の求心力を失わせていった。

 02年の春闘では、空前の利益をあげたトヨタ自動車がベースアップ要求にゼロ回答。大企業が一斉に追随し、トヨタ出身の奥田碩・経団連会長は「春闘は死語」と言い切った。

 連合6代目会長の古賀伸明氏は「次の時代に何をすべきか考え続けたが、平成では答えが見いだせなかった」と振り返る。

 戦後、日本の労働運動は企業別に組織した労組を中心に展開してきた。欧米で主流の企業をまたぐ労組に比べ、「企業の成長が第一」という目標を労使で共有しやすい。労使協調は生産性向上に貢献し、企業別労組は、終身雇用、年功序列と並ぶ日本型経営の「三種の神器」とされた。

 だが、右肩上がりの経済成長が終わると、弊害が目立つようになる。労使協調につかった労組はリストラの嵐に抵抗できず、非正社員や中小企業の社員に手をさしのべなかった。

 ある連合の元幹部は、連合を国際連合に例える。もともと連合は、政権奪取のために路線が違う労組が「数合わせ」で合流した側面が強い。対立を防ぐため有力産別に「拒否権」を持たせた。有力産別代表らによる三役会は、一人でも反対すれば決定できない慣例を続けてきた。

 今月5日夕、東京のJR有楽町駅前で、連合の神津里季生会長は訴えた。「大企業と中小企業で格差が開いた。これでは意味がない」

 連合は今春闘で、賃金格差の縮小に重点を置く。抜本的な解決には、大企業に利益が集中する経済構造の変革が欠かせない。それでも大手労組の動きは鈍い。「自分たちの組合員のボーナスを減らしてでも、下請けの利益を増やせとは言えない」(大手自動車労組幹部)からだ。

 こうした現状に、日本総合研究所の寺島実郎会長は警鐘を鳴らす。「自分の給料がいくら上がるかだけに関心を持った運動が、若い情熱を持った人を引きつけるわけがない。連合は存在意義を問われている」

◆キーワード

 <労働契約法の「5年ルール」> 2013年4月に施行された改正労働契約法に盛り込まれた。契約が繰り返し更新されて同じ会社での勤務期間が通算5年を超えた場合、無期雇用契約への転換を申し込める。申し込みがあったら会社は拒めない。ただ、再雇用まで6カ月以上の空白期間があると、それ以前の契約期間はリセットされ、合算されない。
 
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【筆者作成】
◆◆労働組合はどのように誕生したのか
(「学習の友」連載=労資関係と暮らし改善の道❸)  
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 第1~2回では、なにが私たち労働者の暮らしと労働条件の悪化の原因なのか、そして労資の利害が根本的に対立していることについて明らかにしました。今回は、労働者が、これまで貧困など自分たちの苦しみをどのように解決しようとしてきたのかを中心に、団結とたたかいの役割についてのべたいと思います。

◆生まれたとたんにたたかいはじめた労働者階級


 労働者は、資本主義の発展とともに、とりわけ機械制大工業が確立した産業革命によって大量に生みだされた階級です。労働者がどのようにたたかったのか、原点ともいうべき世界最初の資本主義国であり世界最初の労働者が生みだされた一八世紀後半から一九世紀のイギリスを例に紹介しましょう。
 労働者の多くは農民出身でした。土地をとりあげられ暴力的に農村を追放された農民が、裸一貫で都市に家族ぐるみで大移動して、労働力以外なにものも売るべきものをもたない労働者として綿工業などの工場で働くようになったのです。そのほとんどが工場の周辺の粗末な住宅に住みつきました。
 きのうまではまったく見知らぬ何百人もの労働者が同じ工場の屋根のもとに集められ、機械作業を共同しておこなうようになりました。知らず知らずのうちにおたがいが顔見知りになります。同じ農民出身であること、共同で作業をしていること、なによりも同じひどい境遇のもとにおかれていることから、労働者どうしに「同じ仲間だ」という連帯感が生まれたのは自然のなりゆきでした。
 朝早くから深夜にいたるまで一四~一五時間もつづく長時間労働、とても生活をまかなえない低賃金、劣悪な住宅、首切り自由など働くルールゼロ社会、失業したりケガや病気になったら、たちまち一家が路頭に迷う、不安そのものの社会保障ゼロ社会、こんな悲惨な境遇に労働者が不満を抱くようになるまで、そう時間はかかりませんでした。
 労働者は、我慢してばかりいたのではありません。個々バラバラのたたかい、自然発生的なたたかいがまずはじまりました。最初は、個人的な盗みをしたり、職制に暴力をふるったりします。さらに、「機械うちこわし」といって工場の機械をこわしたり、製品を川に投げ捨てたりする集団的な暴動で、まさに怒りを資本家にぶつけた行動でした。しかし、これらの行為は、ただちに犯罪として警察に逮捕され処罰されてしまいます。犠牲ばかりが多く、得るものより失うものの方が大きい無益な抵抗であることを、労働者はみずからの経験を通じて学びとっていきました。

◆パブやストライキが労働組合誕生のゆりかごに

 いまも同じですが、当時の労働者も仕事帰りに居酒屋(パブ)◆1に立ち寄って、黒ビールで疲れをいやしていました。ビールをくみかわすうちに、仕事や暮らしや家族のことなどの話題へ発展していきます。こうした腹をわった話し合いが、労働者どうしの連帯感を急速に高める役割をはたしました。パブでは、失業やケガをしてこまっている仲間を救うために、ハンチング(帽子)をまわして「なあ、みんな、ビールをもう一杯飲んだと思ってカンパしてくれ」というカンパ活動もよくおこなわれました。失業や病気・ケガは次から次へとおきてくるので、やがて給料の一部を出し合ってそれを貯め、仲間が困ったときに助け合う共済活動のようなものをはじめるようになりました。この貯めたお金をあずかって支給することをまかされたのがパブのマスターでした。のちの労働組合の書記長のルーツともなります。労働者の最初の団結がパブで生まれたのです。その団結は、同じ職場でなく、最初から企業の枠をこえた同じ職種の仲間どうしでつくられたことが特徴です。

 しかし、こうした共済活動だけでは、悲惨な境遇をとても改善することはできません。また、何人かで相談して資本家に「お願い」という形で要請しても、資本家に無視されるのがオチでした。

 労働者の団結を飛躍させるきっかけになったのは、ストライキ◆2という闘争手段の発見です。
 ストは、突然賃金を切り下げられたり、仲間が機械にはさまれ殺されたとき、「冗談じゃない。バカらしくてやっちゃーおれない」と作業をストップする形で自然発生的におきました。工場長は「早く仕事につけ」と労働者をどなりつけ、資本家も大あわてします。うろたえる相手をみて、ストが、かつての暴動や「機械うちこわし」と違って、なにもこわすことなく、それでいて資本家に大きな打撃をあたえ、要求を実現する上できわめて有効な闘争手段となることに労働者は気がつきました。

 やがてパブは、ストを相談する場所になります。労働者の多くが、要求やストなどの戦術について合意・納得していなければストは成功しません。ですから話し合って合意を固めるスト委員会のような組織やその指導者(のちの労働組合の委員長のルーツとなりました)が、どうしても必要になります。パブでビールを飲みながらの話し合いですから、ときにはケンケンゴウゴウ、騒然とした状況になります。そこをスト委員長が徹底した討論で一致点を見つけ出し、ストが敢行されていきました。

 当初は、要求が実現すればスト委員会は解散していました。けれども一時的なスト委員会によるストや一時的な要求実現だけでは、必ずその後の資本家のまきかえしで負けてしまいます。試行錯誤がつづくなかで、やがて資本家とたたかって日常的に労働者の生活と権利をまもるための恒常的な団結の組織として、一八世紀の後半期に労働組合が世界ではじめて誕生したのです。パブでの共済組合や議会への請願団から労働組合が誕生する場合もありました。このようにパブでの共済活動やストは、労働組合を誕生させるゆりかごのような役割をはたしたのです。

◆政府・資本家団体を相手とするたたかいへ


 ストや労働組合の社会的なひろがりは、資本家にたいへんな脅威を与えました。ですから資本家も結集して産業別の資本家団体をつくり共同で対抗するようになりました。資本家は共同の力で、警察を動かしてストを弾圧し、◆3さらに政府を動かして団結禁止法を制定し(一七九九年)、労働組合をつくることもストも、すべて犯罪としてとりしまりました。

 弾圧下の非合法のもとでも、労働者・労働組合はたたかいをやめることはありませんでした。パブの入り口に小さな穴をあけ、そこから警官の立ち入りを監視して組織をまもったりしました。非合法のもとで「機械うちこわし」などが再び行われる場合もありましたが、労働者・労働組合は、政府や議会に団結禁止法の撤廃を要求するなどねばりづよい行動をつみかさね、ついに団結禁止法を撤廃させ、団結権をはじめてかちとることに成功しました(一八二四年)。

 しかし、団結禁止法を撤廃させた後も、まだまだたいへんでした。ストをすると犯罪として刑事罰◆4でとりしまられたり、資本家からストの損害賠償を訴えられたり(民事罰◆4)するなど、さまざまの弾圧がつづいたからです。しかし、これらに屈せず、とうとう一八七五年には刑事免責を、一九〇六年には民事免責をかちとります。


 実に100年にもおよぶたたかいを通じて、労働者の生活と権利をまもる上で欠かせない、労働基本権(団結権・団体交渉権・団体行動権)を、名実ともに手にすることができたのです。
 団結権だけではありません。参政権のなかった労働者は、普通選挙権の実現をもとめて一八三六年から一八四八年にかけてチャーチスト運動◆5という一大政治闘争もおこないました。政府の弾圧によって運動は衰退していきますが、やがて一九世紀後半から二〇世紀初頭に段階的に普通選挙権が実現していくことになります。

 まだ、あります。団結禁止法撤廃以降、労働者・労働組合は、一四~一五時間にもおよぶ長時間労働を法律で規制することで、健康をまもるとともに文化的活動、社会的活動を保障させる、たたかいをはじめます。長時間労働を規制するには、個別企業や産業別の闘争だけでは不十分で、法律による規制が決定的な役割をはたすからです。法律による規制は、最初は児童や女性に、やがて成人男子労働者へとひろげられていきます。一八三三年には工場法が制定され工場監督官(今の日本の労働基準監督署の監督官にあたる)も生まれます。一八四七年には、労働組合などの「一〇時間運動」の成果としてついに一〇時間の標準労働日◆6を獲得します。これは児童と女性に適用されたものですが、成人男子へと波及し一九六七年に男子にも適用されていきます。これらのたたかいは、二〇世紀前半の八時間労働制につながる基礎を築くことになります。このイギリスの労働者・労働組合の標準労働日獲得のたたかいは、その後の体系的な労働者保護法◆7を軸にした働くルールを保障する勤労権獲得のさきがけとなりました。つまり、賃金や労働条件の最低限を法律で定め、それ以下で労働者を働かせる使用者は罰せられることで、人間らしく働く労働者の権利を保障するルールが、史上はじめてつくりだしたのです。

 さらに二〇世紀にはいると、労働者の暮らしの改善にとってきわめて重要な社会保障制度実現のたたかいへと労働組合の闘争領域がひろげられます。

◆団結とたたかいこそ貧困打開の唯一の道

 以上紹介したイギリスの労働者・労働組合のたたかいは、多くの資本主義諸国の労働者・労働組合のたたかいとも共通するものでした。戦前、絶対主義天皇制の過酷な支配のもとにあり、権利を奪われていた日本の場合も同じです。労働組合やストのひろがりにたいして、一九〇〇年に治安警察法◆8が制定され、労働組合をつくったり入ったりストをおこなうことが禁止されました。しかし、労働者・労働組合は、治安警察法一七条撤廃のたたかいをねばりづよくすすめ、一九二六年に削除させました。また普通選挙権獲得◆9や労働者保護法制定のたたかい◆10にもとりくみました。それらのたたかいは、戦後の日本国憲法で明記された団結権、勤労権、生存権などの実現につながります。その実現には、イギリスの労働者たちをはじめとする世界の労働者のたたかいの成果が大きく反映したのです。

 資本主義のもとで、労働者は資本家の搾取のもとにおかれ、おたがいに競争させられ、状態の悪化を余儀なくされます。しかし、労働者は、その現実に決して甘んじていたわけではありません。一人ひとりが資本家に対抗してもとうてい勝ち目はありませんが、多数であるという数の力を結集して団結し、そして学んでこそ、はじめて資本家に対抗する力関係をつくることが可能となります。労働者は試行錯誤しながら、また、学びながら、この事実を自覚し、やがて労働組合という団結のとりでをつくりあげ、それをより所にして今日にいたるまで生活と権利をまもってきました。

 しかし資本家も、必ずこれに対抗して労働組合を弾圧し、分裂・弱体化させる方策をとってきます。さらに政府を動かし、弾圧法や低賃金政策などさまざまな法律・制度を制定・活用して搾取の強化をはかろうとします◆11。

 これに対抗するためには、労働者が資本家や政府の攻撃を上まわる団結をつくりだす他に道はありません。イギリスの労働者たちは驚くほど早くから、職場・地域で個々の資本家や資本家団体とたたかうだけでなく、強大な政府を相手にたたかってきました。労働者の状態を改善するためには、法律・制度がたいへん大きな役割を果たすことに気づいていたからです。昔も今も同じです。団結を拡大して国政・地方政治への影響力を強め、労働者・国民の生活をまもる法律・制度をつくり改善していくたたかいを、私たちも重視していく必要があります。

 労働者は、汗まみれとなり時には血を流して、団結とたたかいによってみずからの生活と権利をまもりつづけてきました。「自己責任」だからと自力で解決する道、あきらめてがまんする道、会社を大きくして資本家の恩恵に頼ろうとする道、など別の道もなかったわけではありません。しかし、これらの道を選択しませんでした。たとえこうした道を選択しても労働者の状態を根本的に改善することは不可能だからです。なぜならば、前回のべたように、労資の利害は根本的に対立しており、団結とたたかいによって資本家と政府に譲歩をせまる以外に資本主義が必ずもたらす労働者の貧困を打開する道はないからです。このように団結とたたかいこそ人間らしい労働と暮らしを実現する唯一の道なのです。


◆1 日本の居酒屋と違ってもっとひろく、新聞や雑誌、玉突き場もおかれ、ときにはバザーなども開かれ社交場のような役割ももっていました。

◆2 賃金や労働条件の改善を要求し、それが受け入れられなければ一定期間働かないというという労働者の闘争手段。当時の綿工場では、よく蒸気機関を停めて機械作業を中止においこむ形でストがおこなわれました。

◆3 以上のようなイギリスの労働者の労働組合結成や資本家の弾圧の経過は、映画「ドレイ工場」と同じだと思いませんか? 今日の日本の職場でも同じ労働運動発展の法則が働いているのです。

◆4 刑事罰とは刑法などでストを犯罪として取り締まること、刑事免責とはストが犯罪とならないこと。民事罰とは民法などでスト損害を要求できること、民事免責とはストで損害を要求されないこと。日本の労働組合法ではストについて刑事免責・民事免責を明記しています。

◆5 男子普通選挙権などを要求する人民憲章の実現をめざす運動。議会への請願運動やストとの結合など多様な形態をとった労働者階級独自の世界最初の政治闘争。

◆6 法律による1日の労働時間の規制

◆7 労働者に有利な労働条件を享受する権利を保障する法。日本では労働基準法、労働安全衛生法、最賃法など。

◆8 日本の労働組合結成はイギリスから約100年後。その弾圧のために1900年に治安警察法を制定し、その17条で労組結成の運動やストへの参加の煽動を禁止しました。

◆9 自由民権運動や明治期の労働組合のなかで早くも普通選挙権のスローガンが掲げられ、大正時代に普通選挙運動が高揚し、1925年に男子のみの普通選挙法が治安維持法とひきかえに成立。

◆10 労働時間制限など工場法をもとめるたたかいは明治期の労働組合からとりくまれ、1911年に工場法が成立1916年施行。この工場法は、12歳以下の児童労働の禁止、16歳以下の児童と女子に12時間以上の労働と深夜労働を制限、しかも15人以上の工場に限定するなどきわめて低い水準の保護法でした。

◆11 今日の日本の労働法制改悪や社会保障改悪は、イギリスの労働者たちをはじめ世界と日本の労働者がかちとってきた勤労権や生存権などのたたかいの成果を産業革命の時期の一九世紀段階にもう一度戻すような攻撃です。
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◆◆労働組合運動史のエピソード
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◆労働組合はパブからはじまった(浜林正夫)
◆ストライキのはじまり(浜林正夫)
◆日本のストライキのはじまり(谷川巖)
◆日本の労働組合のはじまり(浜林正夫・犬丸義一ほか)
◆赤旗のはじまり
◆メーデーのはじまり(小林勇)
◆フランスの反ファッショデモ=統一戦線のはじまり(小林勇)
◆労働用語の由来


◆◆労働組合はパブからはじまった
(浜林正夫)

 イギリスの労働組合がパブから生まれたということは、よく知られているが、その理由については余り知られていない。パブというのは、いまでもイギリスにはいたるところにある酒場だが、パブリックハウス(公共の家)の略称で、もともと宿屋や食堂を兼ねた町や村の集会場であった。18世紀ごろ、職人や労働者が友愛協会という一種の共済組合をつくるようになると、そのときにもパブにその事務所がおかれ、そこで定例の会合が開かれ、共済の掛け金もパブにおかれた箱に入れられたので、友愛協会は、別名「ボックス・クラブ」とも呼ばれていた。会議のあとは、ビールパーティが多かったので、パブの方でもよろこんで事務所を提供し、パブの主人が基金を管理するなど友愛協会の事務を引き受けていたのである。そこで人手を必要としている雇い主の方もパブへいって職人や労働者をさがすようになる。パブの主人は職をさがしている職人や労働者のリストをもっており、雇い主の間で就職のあっせんをし、ときには賃金の支払いもパブでおこなわれていた。パブは一種の職業紹介所でもあったのである。

 やがて大工はどこのパブ、仕立て屋はどこのパブ、というように、業種によって集まるパブが決まってくるようになる。そしてそこで賃金や労働時間についての交渉がはじまる。職人や労働者は、パブを拠点として組織をつくるようになり、たとえばロンドンの洋服仕立て職人は、18世紀のはじめに5つのパブにクラブをつくり、これが連合して職能別組合をつくっていたが、18世紀の後半になると加盟クラブ数は42に増え、代表者会議と執行委員会を組織し、基金ももつようになっていた。このように組織化がすすんでくると、雇い主の側は、パブを嫌い、パブ以外のところで人をさがすようになる。しかし、パブを通さないで人を雇うと、これは「もぐり」だということになり、この雇い主にたいしては、一切求人に応じないというボイコット戦術がとられたばかりでなく、しばしば「もぐり」の職人や労働者にたいして暴行が加えられることもあった。このため、雇い主の側もパブを拠点とした職人や労働者の組織を「必要悪」として認めざるをえなくなり、同時に政府や自治体にたいして団結禁止法の制定を要求しつづけてたのである。パブの主人は、職人や労働者の団結を助け、その味方になることもあったが、ときにはツケで飲ませて賃金の大部分をまきあげてしまうこともあり、労働者たちは「パブにしばりつけられている」という状態におちいったともいう。

 このように、イギリスの初期の労働組合は、パブを拠点として、企業の外にできたのである。日本のような企業内組合では、まず会社に就職してから組合に入る。会社がつぶれれば組合もつぶれる。しかし、イギリスの場合は、まず労働組合に入る。組合が就職をあっせんするのだから、組合に入らなければ職につくことはできない。会社がつぶれても組合はつぶれないから、失業したら組合へもどって別の働き口をあっせんしてもらうことになる。これがクローズド・ショップ制(労働組合員以外は雇用しないという制度)なのであって、イギリスの労働組合の誕生期をふりかえってみると、この制度ができあがってきた事情がよく理解できるであろう。

◆◆ストライキのはじまり
(浜林正夫)

 ストライキを日本語に訳すと「同盟罷業(ひぎょう)」ということになるが、いまの若い人たちは「同盟罷業」といわれても、なんのことかわからないだろう。ストライキは、野球のストライキと同じ単語で、これをストライキと発音するのは、明治時代の英語の読み方である。ではなぜストライキが「同盟罷業」という意味になったのだろうか。字引を引いてみると、船の帆をおろすという意味もある。ストライキの語源は、この「帆をおろす」ということだったといわれている。世界でもっとも権威があるとされているオックスフォード英語辞典によると、1768年にイギリスのある港町で水夫たちが賃上げを要求し、船主がこれをみとめなかったために、船の帆をおろしてしまって出港を拒否したというのが、ストライキという単語が「同盟罷業」という意味で用いられるようになったはじまりだという。最近の研究では、1768年が最初の用例ではなく、もう少し前からストライキという言葉が「同盟罷業」の意味で用いられていたとされているけれども、18世紀のイギリスでストライキをあらわす言葉としてしばしば使われていたのは、「ターン・アウト(出ていく)」という言葉である。

 この頃のストライキはどのようにおこなわれたのだろうか。古い例では、1677年にイギリス西南部のある町で起こった織布工のストライキの記録がある。それによると、アトキンズという織布工が賃上げを要求し、職場放棄をして街頭に出て「おれにつづけ」と方々の職場へよびかけをし、しだいに仲間を増やして、フィドラー(バイオリンの一種)ひきを先頭に町をねり歩いたという。まだ工場制度ができる前のことだから、労働者が一カ所に集まって仕事をしていたわけではなく、方々の家で親方のもとで2人とか3人とかで仕事をしていたのである。アトキンズのよびかけに応じて、労働者たちが職場からとびだして行列に加わっていったので「出ていく」という言葉がストライキの意味になったのである。おもしろいのは、出ていった労働者が楽隊つきで街頭をねり歩いたということである。これはこのストライキのときだけではなく、18世紀の末ごろまではストライキにつきものの光景であったらしい。これは村祭りの風習を受け継いだものである。その目的は、もちろん一つには、他の労働者へ参加をよびかけることにあったのだが、もう一つにには町中の人々にむかって自分たちの要求の正当性を訴えるということでもあった。さきにあげた1768年の水夫のストライキのときでも、水夫たちはまず町中を行進し、町の中央の広場で自分たちの要求書を読み上げ、それから港へ行って船にのりこんで帆をおろしたという。労働者がまだ分散して働いていた時代だから、雇い主も1人ではなく多数であった。したがってこういう形で労働者側は統一要求を雇い主全体につきつけ、いわば町ぐるみで闘争を組織したのであった。賃金も企業ごとに決められたのでなく、町単位で職種別に決められていた。だから労働組合も企業の内部にではなく、企業の外に、町単位で職種別につくられていったのである。

◆◆日本で最初のストライキ
(谷川巌)

 日本最初のストライキは、山梨県の甲府の製糸女子労働者によって行われました。1876年に中澤喜八か経営する生糸製作所です。同じ甲府の雨宮製糸のストは有名です。1885(明治18)年、山梨県甲府の製糸女子労働者(当時女工、工女といった)によって行われましたが、翌86年には、甲府雨宮製糸の女子労働者たち百余名が6月14日、近くの寺にたてこもってストライキに立ち上がりました。それは、県下の製糸業者が同業組合をつくり、「工女取り締まり規約」を定めて、実働14時間をさらに40分のばし、これまで「上等」で1日32.3銭であった賃金を22.3銭に切り下げようとしたのにたいして、がまんができなくなったためでした。

 「すこし遅刻しても同盟のきびしい規制でようしゃなく賃金を引き下げられ、長糞、長小便は申すにおよばず、水いっぱいさえ飲むすきのないのに、工女たちは腹をたて、雇い主が同盟規約という酷な規制をもうけ、わたしらを苦しめるなら、わたしらも同盟しなければ不利益になり、優勝劣敗今日において、かかることに躊躇すべからず。先んずれば人を制し、おくるれば人に制せらる。おもうに、どこの工女にも苦情あらんが、苦情の先鞭はここの紡績工場よりはじめん、といいしものあるやいなや、お竹、お松、お虎のめんめん、ひびきの声に応ずるごとく…」といっせいに職場をひきあげて、近くの寺にたてこもったと『山梨県労働運動史』はのべています。

 会社はびっくりして、「首謀者」と話し合った結果、6月16日には、出勤時間を1時間ゆるめる、その他優遇策を考える、ということで争議は解決しました。この雨宮製糸のストライキは、同じようなひどい規制で苦しめられていた他の製糸工場へとひろがっていきました。(谷川巌『日本労働運動史』より)

◆◆日本で最初の労働組合
(犬丸義一)

 日本の資本主義の発達とともに労働者階級が形成され、労働者階級の闘争もはじまりました。当初は自然発生的な闘争でした。明治の初年から生野鉱山、佐渡銀山、高島炭鉱などで自然発生的な暴動が起こっています。また1886(明治19)年には、山梨県甲府の雨宮製糸の女子労働者によるストライキが起こっています。この前年にもストライキが甲府の製糸工場で起こっています。これらが日本で最初のストライキです。まだ労働組合はなく、自然発生的なたたかいでした。1894~95年の日清戦争は、産業革命の契機になり、労働者階級が成立し、労働者のストライキ闘争が各地に起こりました。当時の労働情勢はおよそ次のようでした。1894(明治27)年には、10人以上の従業員を使用する民営工場の数は、5985でしたが、1897年には、7327工場に増えます。労働者数も40万人をこえ、その65%、26万人は女子労働者でした。こうして日本における資本と労働の対立が一定の物質的基礎をもって展開される条件が成立しつつあったのでした。1897(明治30)年には、これまで一桁から二○件台だった労働争議件数が一挙に116件にはねあがりました。資本の搾取と支配にたいする労働者のたたかいは、個人的抵抗の段階から集団的暴動をへて、ストライキを武器とする団結、労働組合結成へとすすんできたのです。

 争議の頻発を契機に労働者の組織が次々につくられました。4月に城常太郎らによる職工義友会がつくられました。その演説会では、「労働組合をつくることは労働者の利益を促進する最良の手段である」「労働者は自分自身と家族のためにも、いまこそ勇気を出して立ち上がるときだ。そしてその義務があるのだ」とよびかけられました。
7月には、アメリカで労働組合運動を学んだ高野房太郎、片山潜が労働組合期成会を結成し、全国を遊説して労働組合の結成をよびかけました。12月には、機関誌「労働世界」が発刊されました。期成会の設立趣意書はこううたっています。「労働者を労働組合に組織することによって労働者に自主独立の気風をよびおこし、労働者の権利と地位をまもるとともに、みずからの経済的地位を友愛的にまもるために共済活動をすすめる」(口語訳)。しかし、期成会は、その名称が示すように、労働者に労働組合をつくるようによびかけ、準備をするための団体であり、それ自体まだ労働組合ではありませんでした。1897年の12月には、金属機械工を中心に鉄工組合が1184名で結成されました。これが日本最初の労働組合でした。いまからちょうど100年前で、今年は日本の労働組合の歴史も100年を迎える記念すべき年なのです。この翌年の2月25~27日には、日本鉄道で労働者のストライキ闘争がたたかわれ、この闘争のなかで日本鉄道矯正会(日本鉄道会社の機関士、火夫の組合=98年4月)がつくりだされました。労働者の基本的大衆組織である労働組合を結成するに至った点で、従来の自然発生的段階と異なった新しい組織的闘争の段階を迎えたことを示しています。またこの翌年には活版工組合(99年)がつくられました。この結成には、労働組合期成会の働きかけがありました。約2000余名が参加しました。この当時の労働組合は、共済活動を主とするものであり、賃上げなどの労働条件の向上のためにストを最後の武器として労働協約を結ぶことを任務とする組織て゜はありませんでした。また労働組合運動と平行して社会主義運動も起こり、社会主義協会などがつくられました。労働組合運動の前進に驚いた資本家階級と政府は、1900(明治33)年、治安警察法を制定し、弾圧をはかります。その17条は、実際は労働者の団結権、ストライキを弾圧する法案で、これに違反すると犯罪者として逮捕されるので、発足したばかりの労働組合運動には大打撃で「労働組合死刑法」とよばれ、やがて労働組合運動は消滅したのでした。 (『学習の友』97年10月号より)
  
                   
以下『物語日本労働運動史』(犬丸義一・中村新太郎、新日本出版社)から鉄工組合の状況を紹介しましょう。

 「まず最初に鉄工組合が1897(明治30)年12月1日、東京神田のキリスト教青年会館で発会式をあげ、鉄工(金属工)1180人をはじめ、労働組合期成会会員、来賓あわせて1300人が集まりました。来賓には、大審院長、農商務省工務局長、逓信省技師、砲兵工廠技師などが顔をみせ、…最後に”鉄工組合万歳”を三唱、”君が代”をうたって式をとじました。まもなく官営東京砲兵工廠の鉄工六百数十人がどっと参加してきました。…このように鉄工組合の結成にあたった組合加入者は、第1に砲兵工廠など官営企業に属する労働者が中心でした。当時の砲兵工廠は、企業のなかではめずらしい大量生産体制をとった工場であり、鉄工組合結成の活動家は、このような産業的諸条件のなかから生み出されたものでした。また、彼らは、第二に、ほとんどが旋盤工・仕上げ工という新しい技術にもとづく新型職種の労働者でした。第三に、彼らは、下級職長以下の若手熟練工でした。彼らは、職業別に団結して、たがいに情報を通じ合って、労働諸条件の共同向上をはかり、当時の『富国の道』である新しい工業化の条件に積極的に呼応し、自分たちの地位を高めるために鉄工組合に結集したのでした。彼らの主張は、職業的労働組合主義でした。…鉄工組合の規約は全文130条にちかい長いもので、本部の事務分掌は”救済””会計””庶務”にわかれ、”救済”に重点がおかれていました。…いわゆる共済団体の性格をもっていました。また規約第101条は、組合員が雇い主と紛議を生じたときは、その紛議にたいして”仲裁の労”をとることを規定しています。このような点が当時の組合の特徴で、賃金、労働時間をはじめ、いっさいの労働条件の維持と改善のために労働者の基本的三権を行使する今日の労働組合とはだいぶ違っていました」。

  つぎに日鉄矯正会の労働者のたたかいです。「現在のJR東北本線(上野-青森)は、そのころ最大の鉄道会社だった日本鉄道会社(資本金1000万円)が経営している民営鉄道でした。路線延長1285キロ、従業員は1万人をこえていましたが、労働者の待遇はひどいものでした。

  1898(明治31)年2月、日本鉄道の各駅に、どこからともなく一通の”秘密印刷物”がまいこんできました。このビラは、機関方、火夫のたえがたい生活を”日清戦争中、鉄道従業員は準軍人とよばれ、まるで馬車馬のように運転しているではないか”と訴えていました。さらに”待遇を改善すること、機関方、火夫一同臨時昇給のこと””機関方を機関手に、心得を機関心得に、火夫を乗組機関生に、掃除夫を機関生と、名称を改めること”。そしてこの要求を、二銭の郵券(切手)を奮発して、東西南北より、社長、副社長、課長に嘆願することなどを訴えていました。…この結果会社には各駅から請願書がぞくそ゛くと送りつけられ、会社は密偵により、”首謀者”10人を解雇。これにたいして福島駅をはじめ東北各駅から400余名がストライキに入り、24日夜から…一列車も走らずという状況になりました。…日本で最初の大規模なストライキは、世論の支持と機関方のかたい団結によって2月27日までつづけられ、労働者側の大勝利に終わりました。…4月5日、約1000人の日鉄機関車乗務員たちは、日本鉄道矯正会という労働組合を結成しました。これこそ闘争の中でつくられた戦闘的労働組合であり、片山潜は日本鉄道矯正会を”交戦的労働組合の標本”とよびました」。

  この日鉄労働者の闘いの具体的な状況は、『学習の友』97年10月号から開始された「物語・日本の労働組合」の第1回「日鉄同盟罷工と石田六次郎」(三上秀光)をぜひお読み下さい。

◆◆たたかいのシンボル、赤旗の由来は?

2008年7月23日(水)「しんぶん赤旗」

 〈問い〉 労働者のたたかいのシンボル、赤旗の由来は? フランス革命と関係はありますか?(東京・一読者)

 〈答え〉 赤旗は「古来、奴隷・労働者が支配者に反抗する場合、用いられた」(冨山房『国民百科大辞典』)といわれ、エンゲルスの『ドイツ農民戦争』にも「〔1525年〕農民は蜂起し…、沼で囲まれた陣営に集結して、赤旗をうちたて…部隊をつくった」という記述がみられます(全集7巻387ページ)。

 18世紀末のフランス革命では当初、赤旗は異なる意味をもちました。(平凡社『世界大百科事典』は「赤は革命の象徴であるといわれるが、起源を探ってみると、元来の赤旗は反対の性質のものであった」と記述)。

 1789年バスティーユ襲撃ののち、国民議会はパリ市内の暴動に備えて、戒厳令の際には家の窓に赤旗を掲げ、治安が回復したら赤旗をしまうという軍法を定めました。しかし91年7月、国民議会の命令で軍隊が市民を虐殺、怒った民衆は翌92年、「戒厳令の旗、即ち有産階級の弾圧の流血的象徴である赤旗を奪った。彼らはそれを反乱の信号、またはむしろ新権力の標章となす」(ジャン・ジョレス著『仏蘭西(ふらんす)大革命史』平凡社)のです。ジョレスは、赤旗はけっして復讐(ふくしゅう)の旗ではなく「自己の権利を意識する新しい権力の輝かしい旗であった」とも書いています。

 しかし、権力をにぎったジャコバン派は赤旗を自分たちの旗にはせず、三色旗を掲げました。その後、1831年のリヨンの絹織物労働者の蜂起では「絶望と困窮」を示す黒旗が掲げられました。

 それが大きく変わるのは1848年の二月革命でした。バリケードに最初は赤旗と三色旗が並んで掲げられますが、ルイ・フィリップ王政にたいする批判が高まるにつれ、三色旗は少なくなり、多くの死者がでた6月蜂起では赤旗が高々と掲げられました。マルクスは「6月反乱者の血にひたされてはじめて、三色旗はヨーロッパ革命の旗―すなわち赤旗となった!」(『フランスにおける階級闘争』全集7巻32ページ)と書きました。

 1871年、樹立された史上初の労働者階級の政府パリ・コミューンは、赤旗を標識にしました。マルクスは「旧世界は、パリ市庁の屋上にひるがえる労働共和国の象徴、赤旗をみて、怒りの発作に身をふるわせた」と書きました(『フランスにおける内乱』全集17巻320ページ)

 こうしたフランスでの経過をへて赤旗は、世界の労働者、人民のたたかいのシンボルになっていったのです。(喜)

 〈参考〉 浜林正夫『パブと労働組合』新日本出版社所収のコラム「赤旗の由来」〉〔2008・7・23(水)〕

◆◆メーデーのはじまり
(小林勇) 

 1889年パリで開かれた第二インターナショナル創立大会のいちばん重要な決議は,5月1日を国際労働運動のデモンストレーションの日とさだめたことであった。この決議は,1890年5月1日を期して8時間労働制のためのゼネストをおこなうよう訴えたアメリカ労働総同盟(AFL)の提案を支持したものであった。この決議にもとづいて,ヨーロッパとアメリカでメーデーがたたかわれた。その後の大会でもこの決定かくりかえされ,5月1日はついに世界の労働者のきまった行事、世界的なたたかいの日となった。

 アメリカ労働総同盟が最初にメーデーを提案したのは,決して偶熱ではない。当時、ヨーロッパでもアメリカでも資本主義が急速に発達し、階級闘争もますます鋭くなっていた。とりわけアメリカで階級闘争は激烈をきわめ、激しいストライキかあいついだ。シカゴは闘争の拠点となっていた。要求の中心は8時間労働の実現であった。そのころすでにアメリカでは多くの労働組合が10時間労働を獲得、さらに8時間に短縮しようとたたかっていた。1886年、シカゴでは緊張は3月から4月にかけて日ごとに高まった。もし5月1日までに8時間労働制が認められなけれは、当日を期してゼネストが敢行されることになっていたのである。

 その日、シカゴは快晴たった。土曜日で,ふだんなら仕事のある日なのたが,工場や倉庫は閉じたままで、ひっそりとしていた。ただ大通りだけがデモ行進に参加する労働者の群れで、活気があった。警官隊との衝突や流血の惨事などどこにも見られなかった。こうして5月1は事もなくすぎ、州の軍隊も警察も平常の勤務にもとった。事件が起きたのは翌々日の日曜日のことであった。夕方、ヘイマーケット広場で集会が開かれていた。その日、同じシカゴで農機具工場のストライキを警察が攻撃、6人の労働者を殺したことに抗議するためであった。集会が解散する直前、待機していた警察隊が突如おそいかかった。大混乱のさなか、恐ろしい爆発が起き、7人の警官と4人の労働者が死んだ。後年、これがでっちあげであることか明らかになったが、この爆弾事件を理由に数百人もの労働者が逮捕され、その後の裁判で主謀者として指導者7人に死刑、1人に15年の禁固刑が申し渡された。こうしたきびしい弾圧は、8時間労働の要求が当時の資本家にとって,いかに重大な脅威であったかを物語るものである。

  労働者の怒りと抗議は全米に燃えひろがり、AFLは、1888年の大会で、90年5月1日を全国ストの日ときめ、第二インターナショナルもこの決定を支持したのである。注目されるのは,第二インターナショナルの討議のさい、改良主義的指導者が5月1日のかわりに5月の第1日曜日を行動の日とすることを主張したことである。狙いはメーデーを闘いの日でなく休養の日に変質させることにあった。イギリス労働組合会議(TUC)などは、実際にもその通りにした。AFLの場合は,自らメーデーを提唱しておきなから,その後の労資協調路線の末、メーデーを5月第1月曜の「レーバーデー」に変えてしまった。しかし今日,英米なと世界各地で、5月1日は労働者の国際的なデモンストレーションの日として圧倒的多数の労働者・労働組合によってまもられている。

◆◆フランスでの反ファッショのデモ=統一戦線のはじまり
(小林勇)

  1960年安保闘争のときには、いわゆるフランス・デモをさかんにやったものである。両手をひろげて隣りの人と手を結び、道路一杯に広がって行進するのである。たが本場(?)フランスのデモで両手をひろげるのは、道路の両側面で、行進を守るように進んでいる人たちだけ、あとは道路をぎっしり埋めつくしたデモ隊がゆっくりと、力強く前進していくのである。それにしても1934年2月12日のパリのデモは、これまでとは一風変わっていた。その日の昼すぎ、それぞれ別個に隊列をくんだ二つのデモ隊が,ヴァンセンヌ散歩場を幅一杯に,ゆっくりと向かいあって進んだ。一つは反共の労働総同盟(CGT)、もう一つは労働総同盟から排除された統一労働総同盟(CGTU)であった。あと30mでぶつかるという地点で、二つのデモ隊がしばらく停止した。すれ違って進むか、引きかえして背を向けるか、それしかないように見えたが、もはやそれは不可能であった。数日前から力強く吹いていた統一の風が突風化した。二つの隊列はそのまま進み,歓呼の声をあげてまじりあい、一つの隊列にとげあった。

  この日フランス全国の300都市て500万の労働者が24時間の全国ストを展開した。これはフランス労働運動史上初めてといっていいほどに成功したゼネストであった。パリでは100万をこえる労働者がストに参加し、デモを展開した。パリのデモも最大の大衆的示威運動となったのである。1933年にヒトラーが政権をにぎることに成功したことから、各国のファシスト勢力も大いに奮いたった。翌34年2月、フランスの反動勢力もいよいよ実力を行使する時が来たと考えた。かれらは当時、フランスの政界をゆるがした一大汚職事件を利用した。それは日本のリクルート事件にも匹敵するものであった。ファシストの諸団体は反政府デモをくりかえし,さらに暴動をひきおこして下院の奪取までくわだてた。この混乱で内閣は総辞職し、そのあとをついだ内閣もわずか一日で辞職、結局,半ファシスト的なズーメルク政権が出現した。
  2月12日のゼネストはこうした状況のなかでたたかわれた。フランスの労働者階級はセネストの成功をかちとることにより、ファシズムを敗退させた。この反ファシズム闘争で決定的な勝利の要因は、労働者階級のたたかいであった。しかしこのたたかいが有効てあるためには、労働者階級の統一が必要であった。2月の闘争はまず行動の統一を実現した。そればかりか、1936年の組織の統一を可能にしたのである。もともと分裂(1921年)は、反共の幹部によるものであった。だがそれ以後CGTは、労資協調の傾向を強め、しだいに力を失なってきた。それでもかれらは、たび重なる統一の呼びかけをかたくなに拒否してきたのだが、ついに2月12日のデモで、統一派も総同盟派もがっちり腕をくみ、ついに組織の統一にまで前進した。そればかりか統一行動の発展は、中間層の人びともひきつけ、人民戦線の強力な基盤をつくりあげたのである。この点で2月12日のデモは、フランス労働運動史のーエピソードというには、その意義は余りにも大きいかもしれない。

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◆◆労働用語の由来
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◆「ストライキ」という言葉の起源

 労働者が団結して労働力の提供を拒否し作業を中止する争議行為のことをいいます。このStrikeは、「帆(ほ)を降ろす」という船乗り言葉からきています。帆船での航海中、イギリスの船乗りたちを文字どおり死ぬほど苦しめる船主や船長がいました。「もう少し人間らしく生きてるように扱ってもらいたい」という嘆願も無視されたとき、彼らは船主にたいして抗議をして、言い分を聞いてもらおうということで、帆を降ろして船を立ち往生させたのです。

◆「サボタージュ」という言葉の起源
 
 Sabotage=「怠業」=外形的には、仕事を継続しながら、意識的に資本家の指揮命令に部分的に服しない争議行為のことをさします。フランス語のSabot(木靴)からきています。フランスの初期の労働者、とくに工場で働いていた貧しい労働者たちは、木靴をはいて仕事をしていました。余りにも工場主や親方が苛酷な仕事を押しつけてきたとき、彼らは木靴で機械をけとばして、機械の一部をこわして抵抗しました。そして機械を直すつかの間の休みを楽しんだことからこの言葉が生まれました。なお現在欧米ではサボタージュは言葉通り機械などの破壊行為として使われています。

◆労働組合の旗の赤色の起源

 第2インターが決定した1890年に世界的に第1回メーデーが開催されたとき、赤旗を先頭にたててデモが行われました。それ以来労働組合や社会主義政党が赤旗を掲げるようになりました。もっと起源をたどれば、フランス革命時代、ジャコバン党が権力を握った1792年に「宮廷の反乱にたいする民衆の戒厳令」と書いた赤旗をたてて、反革命をおさえつけてからは、赤旗は、「民衆の旗」としてシンボル化され、1848年の2月革命のときにも、1871年のパリ・コミューンのときにも赤旗が掲げられました。UI(ユニオン・アイデンティティ=労組の「シンボル革新」)で労組の旗を青色に変えたりするのも、メーデーを5月1日以外にするのと同じ歴史的な伝統を放棄するものです。

◆「左翼」という言葉の起源

 ー般に「左翼」は進歩・革新勢力、「右翼」は、保守・反動勢力を意味します。この言葉は、フランス革命期の国民大会で、議長席から見て右側の議席にジロンド派(穏健派)、左側の議席にジャコバン派(急進派)が占めたことに由来します。労働組合は「左翼」の一翼を担っていますが、労働運動の「右翼的潮流」は、「右翼」を補完します。

◆サラリーマン、ボーナス、給料という言葉の起源

 賃金は「サラリー」「給料」「月給」「俸給」などとよばれています。もとはラテン語で「塩を買うための支給金」のことです。Salariのsalは、塩という意味です。古代ローマの兵士たちは、労働に必要な塩を買う代金を支給されていました。後には塩を買うことは名目だけになって、「兵隊の給料」の意味になり、その後「給料」とよばれるようになったものです。そして「サラリー」をえて生活している人のことを「サラリーマン」とよぶようになったものです。「ボーナス」(bonus)も古代ローマの「兵士の特別手当」から出たものです。日本語の「給料」は、「料」は、「糧」という意味、「給」は「たまわる」という意味、つまり「家来に与える米、品物」をさします。語源は唐時代にさかのぼりますが、明治のはじめに官吏に「年俸ヲ月賦デ給ス」ようになってから生まれた言葉です。続きを読む

マルクス生誕200年注目されるマルクス、マルクス・エンゲルス紹介、資本論など古典紹介

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【このページの目次】
◆マルクス・エンゲルス、科学的社会主義古典リンク集
◆マルクス生誕200年注目されるマルクス
◆石川康宏=わかりやすい科学的社会主義の解説論文リンク集
◆マルクス・エンゲルスの略歴
◆マルクス・エンゲルス古典抜粋から
◆マルクス・エンゲルス・レーニンの古典の紹介
◆志位=マルクス生誕200年に思う(いま日本共産党綱領がおもしろい―激動の情勢のもとでの生命力=志位委員長の講演から)

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◆◆マルクス・エンゲルス、科学的社会主義古典リンク集
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(表示画面の上部の下向き矢印マークを強くクリック→全ページ表示)
◆劇画マルクス
https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5R1hadWZBUndYaWs&usp=docslist_api
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◆理論劇画・マルクス『資本論』
https://docs.google.com/folderview?id=0B6sgfDBCamz5OHdUd3VkaG1zVTA&usp=docslist_api

★★池上彰の世界を変えた本 カール・マルクス「資本論」46m
https://m.youtube.com/watch?v=vMVVkn_B_0k

★★映画=マンガ・マルクス「資本論」(イーストプレスまんがから全16話)
http://www.veoh.com/m/watch.php?v=v124473371tNhP2Q8s

★★NHK1週間で『資本論』
全4回×25m 的場解説
http://www.veoh.com/m/watch.php?v=v124473062p9s4w6gn

◆◆(映画)「マルクス・エンゲルス」 共産主義生んだ若き革命家
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★★予告編2m
https://m.cinematoday.jp/video/VIYUTa0szGAMqU

(マルクス・エンゲルス』は、ドイツの思想家カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの若年期を描く伝記映画、歴史映画である。2017年2月12日、ベルリン国際映画祭で初公開され、同年ドイツやフランスで劇場公開された。史劇映画を対象とするフランスの映画賞fr:Festival international du film de fiction historiqueの最優秀映画賞ならびに脚本賞を受賞した)

2018年4月20日朝日新聞=映画時評

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「マルクス・エンゲルス」
 今年はカール・マルクスの生誕200年である。彼の生みだした共産主義という思想で世界は大きく動いたし、今も広く力を保っている。ただ旧ソビエトの解体と東ヨーロッパ諸国の共産圏離脱で彼の名声は大きく揺らいだ。しかし簡単に忘れられていい人物ではない。彼は何を残したのか。

 この映画は1840年代のヨーロッパの田舎から始まる。貧しい人々は森で樹(き)の枝を拾って薪にするのが習慣だったその頃、森に落ちている枝でも勝手に拾うのは盗みだという法律ができて貧しい人たちが森で警官に追われるようになる。そこでこんな事態を引き起こした国家と法律を弾劾(だんがい)する若きドイツ人新聞記者カール・マルクスの登場となる。

 この正義派の熱血青年は哲学で先輩たちに論争を挑み、また経済学の若き革新的論客のエンゲルスと出会って意気投合する。やがて彼らが「共産党宣言」の草案を書き始めるまで、若き日の革命家たちの姿が描かれ、演じられている。

 その思想の現状を知る現代人としては印象は複雑である。人によっては彼らは小生意気な若造たちにしか見えないかも知れない。ラウル・ペック監督はあくまでもマルクスを支持し尊敬する立場でこの映画を作っているが、押しつけがましいところはない。ただマルクスが共産主義思想に達した時期の、ヨーロッパの社会状況と、学者、思想家、社会運動家たちの動向と、今に似た世相とを極力正確に再現しようと努めている様子だ。地味だがそこが良い。マルクスを演じるアウグスト・ディールも、颯爽(さっそう)としてはいるが勿論(もちろん)聖者ではない。(佐藤忠男・映画評論家)
28日公開
【赤旗18.04.27】
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◆◆国民文庫電子化
http://www.geocities.jp/mlismtxt001/
(こんなページがあるんですね。大変な労力に感謝。残念だが、このページはいずれ消えゆく運命にあると思われる。必要な方は、作成者に感謝しつつ、早くDownloadした方が。スマホなどで見れるので便利)

🔷は電子化粗入力完了

🔷共産党宣言・共産主義の原理 <国民文庫 1>
🔷新訳 空想から科学へ<国民文庫 2>
新訳 経済学批判<国民文庫 4>
革命と反革命<国民文庫 5>
新訳 ドイツ・イデオロギー<国民文庫 6>
新訳 『資本論』綱要<国民文庫 8>
ドイツ農民戦争<国民文庫 9>
新訳 自然の弁証法 1<国民文庫 11a>
新訳 自然の弁証法 2<国民文庫 11b>
家族,私有財産および国家の起源<国民文庫 12>
哲学の貧困<国民文庫 13>:某氏からの寄贈
新訳 フォイエルバッハ論<国民文庫 14>
新訳 ゴータ綱領批判・エルフルト綱領批判<国民文庫 15>
婦人論<国民文庫 16>
新訳 反デューリング論 1<国民文庫 19a>
新訳 反デューリング論 2<国民文庫 19b>
文学・芸術論<国民文庫 20>
🔷新訳 賃金,価格,利潤<国民文庫 21>
🔷新訳 賃労働と資本<国民文庫 22>
フランスにおける階級闘争<国民文庫 24>
全集版 資本論 全9冊 <国民文庫 25>
経済学・哲学手稿<国民文庫 27>
資本主義的生産に先行する諸形態<国民文庫 28>
直接的生産過程の諸結果<国民文庫 29>
へーゲル法哲学批判序論<国民文庫 30>
フランスにおける内乱<国民文庫 31>
🔷新訳 国家と革命<国民文庫 102>
🔷新訳 帝国主義論<国民文庫 103>
民族自決権について他<国民文庫 104>
🔷共産主義における『左翼』小児病<国民文庫 105>議論用臨時(部分)
唯物論と経験批判論<国民文庫 116> 議論用臨時(事項索引)
貧農に訴える<国民文庫 121>
経済学的ロマン主義の特徴づけによせて<国民文庫 143>
🔷レーニン主義の基礎<国民文庫 201>
🔷新訳 弁証法的唯物論と史的唯物論<国民文庫 205>
🔷マルクス=レーニン主義古典入門<国民文庫 401>
🔷金融資本論1<国民文庫 420a>
🔷金融資本論2<国民文庫 420b>
🔷反ファシズム統一戦線<国民文庫 425>
🔷ソ連邦共産党史1<国民文庫 435a>
🔷ソ連邦共産党史2<国民文庫 435b>
カールとローザ-ドイツ革命の断章<国民文庫 441>
🔷叙事詩 ウラジーミル イリーチ レーニン<国民文庫447>
🔷ソヴェト大百科事典版 世界の共産党<国民文庫 706>

🔷毛沢東選集1巻〜5巻(国民文庫ではないです)
http://www.geocities.jp/maotext001/
北京 外文出版社(1968年)
毛沢東のほとんどの文献。これは便利。

🔷ルカーチ=階級意識論(未来社刊)


◆古典日本語原文
杉田玄白プロジェクト
http://www.genpaku.org/sugitalist01.html
には、以下の文献あり。他にも「国富論」「君主論」など。

▼マルクス、カール『資本論』pdf 版
原題:Das Kapital
訳者:山形浩生
公開:2004/03/16(序文)
http://cruel.org/books/kapital/kapitalband1.pdf

▼マルクス、カール『共産党宣言』html版
原題:Communist Manifesto
訳者:永江良一
公開:2002/07/20
http://page.freett.com/rionag/marx/mcp.html

▼マルクス、カール『フォイエルバッハに関するテーゼ』(エンゲルス校訂版)html版
原題:Thesen uber Feuerbach(ドイツ語原文より)
訳者:永江良一
公開:2000/12/07
http://page.freett.com/rionag/marx/thf.html

▼マルクス、カール『フォイエルバッハに関するテーゼ』(マルクスオリジナル版)html版
原題:Thesen uber Feuerbach(ドイツ語原文より)
訳者:永江良一
公開:2000/12/30
http://page.freett.com/rionag/marx/thf.html

▼マルクス、カール『価値、価格そして利潤』html版
原題:Value, Price and Profit
訳者:永江良一
公開:2001/03/07
http://page.freett.com/rionag/marx/vpp.html

▼マルクス、カール『フランスにおける階級闘争 1848-50年』html版
原題:The Class Struggles in France, 1848-50
訳者:永江良一
公開:2001/03/07
http://page.freett.com/rionag/marx/CSF.html

▼(マルクス、カール)『マルクス・インタビュー』html版
原題:Interview with Karl Marx(原文はほかにもいくつかWeb上にある)
訳者:山形浩生
公開:1999/01/01
http://cruel.org/books/marx.html

▼エンゲルス『イギリスにおける労働階級の状態』山形訳
http://genpaku.org/engels01/workingclassj.pdf
★『イギリスにおける労働階級の状態』(岩波文庫)
(上)コメントhttp://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-874.html
(下)コメント
http://ueshin.blog60.fc2.com/blog-entry-862.html

◆テーマ「『資本論』」の記事:未来 ―私達の力で歴史を動かそう!
http://s.webry.info/sp/f-mirai.at.webry.info/theme/a2a55e6ce4/index.html

◆エンゲルス『空想から科学へ』解説:Internet Zone
http://ratio.sakura.ne.jp/old/wrintigs/engels1.html
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◆◆マルクス生誕200年、注目されるマルクス
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◆◆きょうマルクス生誕200年 多面的業績語る独大統領“マルクスは現代に通じる”

2018年5月5日赤旗

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(写真)生誕200年を迎えたマルクスを特集するドイツの新聞や雑誌(伊藤寿庸撮影)

 【ベルリン=伊藤寿庸】ドイツのシュタインマイヤー大統領は3日、ベルリンで、同国出身の思想家・革命家カール・マルクス生誕200年に当たり、マルクスの多面的な業績や現代的な意義について触れる講演を行いました。

 同大統領は、マルクスが「熱烈な人道主義、出版の自由、人間的な労働条件、8時間労働、女性の役割の評価、環境保護」に取り組んだと指摘。現代のグローバル化を予言し、“労働者と機械の競争”などの分析は、現代の労働者が直面するAI(人工知能)、ロボットなどの問題に通じると述べました。

 マルクスが、経済学者、哲学者、歴史学者、社会学者だっただけでなく、ジャーナリスト、労働運動の指導者、教育者でもあり、政治的迫害を受けた人、亡命者でもあると指摘。マルクスが「ドイツの思想家」であっただけでなく、国際主義を体現していたと強調しました。

 ドイツでは有力週刊誌紙が、マルクス特集の別冊を相次いで発行。マルクスの生地トリーアでは誕生日の5日、生家を博物館にした「カール・マルクス・ハウス」が改装を経て再び公開されます。

 左翼党系のローザ・ルクセンブルク財団はベルリンで「マルクス生誕200年 政治・理論・社会主義」と題する国際会議を2日から5日間にわたって開催し、若い学生などが多く参加しています。

◆◆生誕200年注目されるマルクス
赤旗18.05.05きょうの潮流

 いま「0」ユーロ紙幣が世をさまよっています。きょう、生誕200年を迎えたカール・マルクスを記念して出身地ドイツ・トリーアの観光局が発行。各地から注文が相次いでいるそうです▼欧州の各紙が特集を組み、米国でもミレニアル世代の3割が好意的と答えるなど、世界中で注目が高まっているマルクス。まだ電気も電話もない、日本でいえば江戸から明治の時代の人物に、なぜこんなに引きつけられるのか▼先日、若者たちを中心に、現在の社会をマルクスから考えるという集いに参加しました。持てる者と持たざる者の格差、働くために生きているような日々、夢や希望をあきらめざるをえない人生。こうした現実を変えたいと▼そこにはマルクスが最初に名付け、仕組みを解き明かした「資本主義」社会のもうけ最優先がもたらした病理がありました。いまや資本主義のゆきづまりを口にする人は多い。19世紀に生きた思想家は資本主義をのりこえた先の未来社会まで展望したのです▼理論家としても、それを実践する革命家としても活躍したマルクス。その理論と姿を学ぶことで、いまも世界や日本でよりよい社会をめざして立ち上がる人びとは励まされ、勇気づけられています▼過酷な労働のもと搾取され続ける苦しみから逃れようと社会変革に情熱を燃やした若きマルクス、エンゲルスを描いた映画も公開中です。170年前に彼らが世に出した「共産党宣言」。最後の文句が現代によみがえります。“万国の労働者よ、団結せよ”

◆◆マルクス生誕200年記念国際セミナーネパールで開催
2018年6月2日赤旗

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(写真)発言する日本共産党の森原公敏国際委員会副責任者=5月30日、カトマンズ(佐伯一郎撮影)

 マルクス生誕200年を記念する国際セミナーが5月30、31の両日、ネパールの首都カトマンズで開かれました。日本共産党の森原公敏常任幹部会委員・国際委員会副責任者が初日の全体会で「カール・マルクスの革命論の発展」と題して発言しました。同国政権与党のネパール共産党が主催したセミナーには、アジアを中心に18カ国の23政党・政治組織が参加しました。

 初日冒頭の基調演説で、ネパール共産党のシャルマ・オリ共同議長(同国首相)は、「人民の複数制民主主義」の基本路線を堅持し、あくまで平和的な手段で国家建設に取り組むと強調しました。

 森原氏は、マルクスとエンゲルスの著作からの引用を示し、2人が多年にわたる研究とたたかいの実践を経て、「多数者による多数者のための革命」(多数者革命)の考えに到達したと指摘。その上で、日本共産党がこの多数者革命論に基づいて、議会で多数を獲得し、国民の納得を得ながら段階的な社会発展の方向をめざしていることを紹介しました。

 森原氏の発言後、参加者からは「初めて知る分析だ。非常に興味深い」「あなたの意見に賛成だ」「発言原稿の全文がほしい」などの反応が寄せられました。

 ネパール共産党は今年5月、ネパール統一共産党(UML)と、かつての毛沢東主義派共産党のうち武装闘争放棄を定めたネパール共産党(MC)とが統合して創設。国会で約3分の2の議席を占めています。

 森原氏は、オリ氏をはじめ元首相のネパール氏、ポカレル国防相ら旧知のネパール共産党指導部と相次いで懇談。参加した各国の政党と意見交換しました。(カトマンズ=佐伯一郎党国際局員)

 参加した政党・政治組織の所属国は次の通り。ネパール、オーストラリア、バングラデシュ、ブラジル、中国、ドイツ、インド、日本、北朝鮮、ラオス、モロッコ、ロシア、南アフリカ、スリランカ、米国、ベトナム、ベネズエラ、ザンビア。

◆◆AIなど技術革新と労働者=資本論から
赤旗18.05.29
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◆◆マルクス生誕200年、日本でも記念出版
赤旗18.05.27
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◆◆「マルクス紙幣」注文殺到 生誕200年記念、額面はゼロ

2018年4月30日朝日新聞

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ドイツ・トリーア市観光局が売り出した「0」ユーロ紙幣=市提供
 「資本論」で知られるドイツ出身の思想家カール・マルクスの生誕200年を記念し、額面ゼロの「マルクス紙幣」を地元の観光局が売り出したところ、世界中から注文が殺到し、増刷に追われている。

 発行したのは、マルクスが生まれたドイツ南西部トリーアの観光局。マルクスの肖像画が描かれ、額面は「0」ユーロとなっている。「マルクスは貨幣に対する疑念を訴えていた。主張の根幹をおもしろく伝えようと思い、0ユーロ紙幣の企画を思いついた」と広報担当者。

 5月5日の生誕200年を前に4月16日、1枚3ユーロ(約400円)で5千枚を売り出した。インターネットを通じて世界各国から注文があり、すぐに売り切れた。すでに2万枚の増刷を発注したという。

 (ベルリン=高野弦)
◆◆マルクス生誕200周年=マルクスの理論家・革命家の両面に光が

市民運動の発展と響きあう、志位委員長 講演で強調

2018年4月23日赤旗

 22日に開かれた「日本共産党と大学人のつどい」(主催=全国学者・研究者党後援会)の記念講演で、志位和夫委員長は、「マルクス生誕200周年を迎えた今年、世界でマルクスへの注目が高まっている」とのべ、「世界や日本でわき起こっている新しい市民運動に参加しつつある広範な人々にもマルクスが響きあい、共感をもって受け入れられる条件が広がっているのではないか」と強調しました。

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(写真)マルクス特集をした独紙「南ドイツ新聞」と英紙「フィナンシャル・タイムズ」
 志位氏が、ヨーロッパでマルクスの人気が高まっているとして紹介したのは、独紙「南ドイツ新聞」が2018年元日号でおこなったマルクス大特集です。「生誕200周年を前に、かつてほとんどなかったほどカール・マルクスの人気が高まっている」「『共産党宣言』にはきわめて現代的な考え方が見られる」などと注目しています。

 さらに志位氏は、英紙「フィナンシャル・タイムズ」(18年3月10、11日号)の大特集を紹介。この特集では、筆者が資本主義の熱心な支持者でありながら、『共産党宣言』は今日的意義をもっていると主張。「現代の富の配分を目の当たりにすれば、マルクスとエンゲルスは愕然(がくぜん)とするに違いない」、「世界人口の上位1%が残り99%の人々と同等の資産を所有する異常な現実に直面している。持てる者が持たざる者に対してこれほど優位に立ったことは、史上かつてなかったことである」「万国のアクティビスト(積極行動主義)よ、団結せよ!」と呼びかけています。

 志位氏は、今日のマルクスへの注目について、▽資本主義の矛盾を明らかにした理論家▽社会を変革する革命家――という両面でマルクスに光があたっていると強調。「マルクスの生涯をたどるとき、その時、その時の人民の革命運動に飛び込み、情熱的に連帯し、その中で自らの理論を鍛え上げ、豊かにしていった生涯だったといえると思います」と述べ、1848年のヨーロッパ革命・ドイツ革命で民主共和制と国民主権の旗を掲げ、50年代は亡命先のイギリスでチャーチスト運動への連帯に取り組み、60年代はアメリカの南北戦争での奴隷制反対のたたかいに熱く連帯し、70年代にパリ・コミューンへの連帯と教訓を引き出す取り組みに情熱を傾けたことなどを挙げました。

 志位氏は、「今、世界でも、日本でも、現状変革をめざす新しい市民の運動がわき起こっています。マルクスの革命家としての生涯は、この運動に参加しつつある広範な人々にも響き合い、共感をもって受け入れられるのではないでしょか」と語りかけ、日本共産党としてもこの機会にマルクスの魅力を広く国民のなかに明らかにする活動にとりくむ決意をのべました。

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◆マルクス生誕200年=色あせない経済分析力
赤旗日曜版18.01.28
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◆マルクスの考え 英BBCが検証、資本主義の危機を大きく説明


2012年10月9日赤旗

 英BBC放送は今月1日、カール・マルクスの資本主義分析に焦点をあてた1時間番組を放映しました(3日に再放送)。シリーズ「マネーを極めた人たち」の3回目(最終回)。ケインズ経済のケインズ、自由主義のハイエクに続く登場です。シリーズでは「(3人が)いかに20世紀を形づくるのに一役買い、今日の世界に大きな影響力を行使し続けたか」を、BBCの経済担当編集者ステファニー・フランダーズさんが検証します。

 フランダーズさんは番組で、マルクスの資本主義の“崩壊”の考えは「間違っているように思える」と述べていますが、それでも「最近の不況は普通でない。資本主義の危機のようだ。マルクスほど大きな説明をした人はいない」と語っています。

 さらに「今日、世界のビジネスの中心で、資本主義についての彼の考えが真剣に受けとめられている」と報告し、インタビューしたスイスの大手銀行UBSのジョージ・マグナム氏の次のようなコメントを紹介します。

 「彼(マルクス)の分析はとても当たっており、今日、経済で起きていることの多くを説明している」

ゆかりの地訪ね

 フランダーズさんはマルクスの考えをこう紹介します。

 ―「世界は資本家と労働者に分かれ、その対立が危機の要因」

 ―「資本家はもうけのため労働者への支払いを絞る」

 ―「資本家が労働者に売ろうとするものを、労働者が買うのに十分なマネーを持たないときに、危機となる」

 フランダーズさんは番組でこれらを検証していきます。マルクスゆかりの地を訪ねながら、マルクスに批判的な論者のコメントを織り込み、視聴者に問題を投げかけながら進みます。

 彼女は、資本家がもうけのために労働者の賃金を抑えて労働者と利害が対立することを、19世紀の炭鉱現場、80年代のレーガン、サッチャー時代、今日の格差の劇的な拡大などで跡付けます。

革命の条件は…

 フランダーズさんはマルクスの革命についての考えにも言及。「マルクスは世界を解釈するだけでは不十分で重要なのは変えることだと述べた」が「革命を急がなかったようにみえる」と述べて、「資本主義から得られるすべてのものを得たときに革命をなしえる」とマルクスは考えていたと紹介します。

 しかし彼女は、マルクスが解明した、訓練され組織された労働者階級の反抗の増大など資本主義に代わる社会への諸条件の具体的内容には踏み込んでいません。

 フランダーズさんはソ連・東欧について「マルクスが予見した豊かで発達した国での革命はなされずに、貧しい国ロシアで起きた」と振り返ります。そして「より公正な対案を求める人たちは、ベルリンの壁の東側で起きた独裁、政治的抑圧、人々の生活破たんを繰り返してはならないことを承知している」と語っています。 (ロンドン=小玉純一)

◆歴代トップ10にマルクスも、独テレビ

(031110赤旗)

【ベルリンで片岡正明】ドイツの公共放送ZDF(ドイツ第二テレビ)などがおこなっている歴代の偉大なドイツ人コンクールで七日、トップ百までの人物が発表され、カール・マルクスが十位の支持率を得ました。マルクスはエンゲルスとともに、科学的社会主義の基礎を築き、「資本論」はドイツのどこの公共図書館でも置いてあるなど、今もドイツ人の誇りになっています。トップ10については、さらに郵便、電話、はがき、メールによる人気投票をおこない、「もっとも偉大なドイツ人」を選びます。

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◆◆石川康宏=わかりやすい科学的社会主義の解説論文リンク集
http://walumono.typepad.jp/1/
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1957年北海道札幌市生まれ。立命館大学産業社会学部中退、同2部経済学部卒、京都大学大学院経済学研究科後期博士課程修了。現在、神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。マルクスの経済・社会理論を背景に、経済、政治、ジェンダー、歴史「慰安婦」、原発・エネルギー問題などを論ずる。憲法が輝く兵庫県政をつくる会代表幹事、全国革新懇代表世話人など各種市民運動にも積極的に参加。ゼミ生等と毎年「慰安婦」被害者がくらす韓国「ナヌムの家」を訪れ、最近では原発被災地ふくしまにも(ゼミでの出版物は「石川康宏ゼミナール」のページに)。ブログは「はげしく学び はげしく遊ぶ(石川研究室)http://walumono.typepad.jp/」。著書に『橋下「維新の会」がやりたいこと』(新日本出版社)、『マルクスのかじり方』(新日本出版社)、『若者よ、マルクスを読もう』(内田樹氏との共著、かもがわ出版)、『憲法が輝く兵庫県政へ 2009年兵庫県知事選挙の記録』(日本機関紙出版センター)、『輝いてはたらきたいアナタへ』(ゼミ編著、冬弓舎)、『女子大生と学ぼう「慰安婦」問題』(ゼミ編著、日本機関紙出版センター)、『覇権なき世界を求めて』(新日本出版社)、『現代を探究する経済学』(新日本出版社)などがある。

◆◆石川康宏=マルクス生誕200年、マルクスってロックだ
赤旗日曜版18.05.06
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◆古典教室第1巻を語る=マルクスを読み いまに生かす=社会変革決める「上部構造」の闘争
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-10-11/2013101108_01_0.html

◆古典教室第2巻を語る=『空想から科学へ』――科学的社会主義の入門書
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-11-22/2013112208_01_0.html

◆『古典教室』第3巻を語る(上)第4課 エンゲルス『フランスにおける階級闘争』への「序文」=
マルクス、エンゲルスは、こうして多数者革命論を発展させた
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-19/2013121909_01_0.html

◆『古典教室』第3巻を語る(下)=第5課 マルクス、エンゲルス以後の理論史=曲折の歴史をへて 科学的社会主義の大道へ=レーニンの時代、スターリンの時代
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-12-20/2013122009_01_0.html

◆インタビュー「マルクスに学び、現代社会を解いていく」
http://walumono.typepad.jp/1/

◆研究ノート「資本主義の『発展』を考える」 立命館大学経済学部PDF15p
http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61517.pdf

◆論文「マルクスの資本主義分析と未来社会論」 関西唯物論研究会編『唯物論と現代』第48号
http://walumono.typepad.jp/1/2012/08/03-01.html

◆インタビュー「マルクスの目で現代を見て、社会を変える」 (「経済」)
http://walumono.typepad.jp/1/2012/05/04-01.html

◆インタビュー 「資本主義の根本に立ち返る/マルクスの思想を今に生かす」 共産党兵庫県委員会
http://walumono.typepad.jp/files/紹介マルクスの思想を今に生かす.jpg
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◆座談会「3・11で露呈した日本資本主義の矛盾」石川発言
http://walumono.typepad.jp/1/2011/10/28-1.html

◆論文「マルクスによる『資本主義の発生・発展・死滅』の理論」 関西唯物論研究会編『唯物論と現代』第45号
http://walumono.typepad.jp/1/2011/01/論文マルクスによる資本主義の発生発展死滅の理論.html

◆書簡「もし今、マルクスが生きていたら『若者よ、マルクスを読もう』によせて」(「経済」)
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/書簡もし今マルクスが生きていたら.html

◆講演「資本主義の発展段階と戦後日本経済史」(季論) http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/講演資本主義の発展段階と戦後日本経済史.html

◆学習論文「いまマルクスがおもしろい「民主青年新聞」
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第1回自信をもって生きるために.html
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第2回若いマルクスのバイタリティー.html
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第3回-ものの見方を学んでみよう.html
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第4回-資本主義っていったい何だろう.html
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第5回-よりましな社会をつくっていこう.html
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第1回自信をもって生きるために.html
http://walumono.typepad.jp/1/2010/10/学習論文いまマルクスがおもしろい-第7回マルクスをどう読んでいくか.html

◆書評「マルクス『インタナショナル』・エンゲルス『多数者革命』」
http://walumono.typepad.jp/1/2010/09/書評インタナショナル多数者革命.html

◆書評・森岡孝二著『強欲資本主義の時代とその終焉』(桜井書店、2010年)
http://walumono.typepad.jp/1/2010/08/書評森岡孝二強欲資本主義の時代とその終焉桜井書店2010年.html

◆講演録「学生時代にこそマルクスを-理論と生き方の両面に学ぶ」
http://walumono.typepad.jp/1/2010/08/学生時代にこそマルクスを.html

◆書評・鶴田満彦著『グローバル資本主義と日本経済』
http://walumono.typepad.jp/1/2010/04/書評鶴田満彦著グローバル資本主義と日本経済.html

◆金融経済の規制と資本主義の限界
http://walumono.typepad.jp/1/2010/01/金融経済の規制と資本主義の限界.html

◆大企業の社会的責任を考える(民青新聞)
http://walumono.typepad.jp/1/2009/11/post-5100.html
http://walumono.typepad.jp/1/2009/11/post-75b8.html
http://walumono.typepad.jp/1/2009/11/大企業の社会的責任を考える第3回.html

◆エッセイ「『理論劇画・マルクス資本論』--夏休みに読んでほしい、読みたいこの一冊」
http://walumono.typepad.jp/1/2009/07/post-d65f.html

◆論文「マルクス・恐慌・『資本論』-経済危機とブームのなかで」 勤通大
http://walumono.typepad.jp/1/2009/06/post-d99e.html

◆書評「マルクスの理論の全体像-革命家ゆえの革新と幅の広がり/不破哲三著『古典への招待(下巻)』」
http://walumono.typepad.jp/1/2009/05/post-0aa4.html

◆「資本主義の限界」を考える(「経済」)
http://walumono.typepad.jp/1/2008/12/post-f108.html

◆碓井敏正・大西広編著『格差社会から成熟社会へ』を手がかりに 報告1:経済学の立場から
http://walumono.typepad.jp/1/2008/12/post-0b86.html

◆書評「科学的社会主義の多様な発展/不破哲三著『古典への招待(中巻)』」
http://walumono.typepad.jp/1/2008/11/post-f73b.html

◆講演録「世界の構造変化と日本経済」
http://walumono.typepad.jp/1/2008/08/post-dc64.html

◆書評「科学的社会主義の誕生と発展/不破哲三『古典への招待(上巻)』」
http://walumono.typepad.jp/1/2008/05/post-d9ff.html

◆社会って資本主義で終わりじゃないの?
http://walumono.typepad.jp/1/2008/02/post-200d.html

◆企業のもうけは、どこからくるの?
http://walumono.typepad.jp/1/2008/02/post-145d.html

◆社会はかわるし、かえられる」ってホント?
http://walumono.typepad.jp/1/2008/02/post-d9fc.html

◆日本社会にひろがる貧困と格差の克服を
http://walumono.typepad.jp/1/2007/04/post_cba0.html

◆青年が「人間らしく」働ける社会でこそ
http://walumono.typepad.jp/1/2006/09/post_88c8_1.html

◆人口変動とマルクスの資本主義分析
http://walumono.typepad.jp/1/2006/08/post_a64d.html

◆「人間発達の経済学」とマルクス・労働運動
http://walumono.typepad.jp/1/2006/06/post_6839.html

◆ノート「論文『マルクスと「マルクス主義フェミニズム」』(仮題)のためのノート」
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-bfd1.html

◆勝ち組・負け組」論をはねかえせ
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-8500.html

◆不破哲三『「資本論」全3部を読む』第4~7冊
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-1867.html

◆ジェンダーを考える--家庭の役割をふくめて搾取解明したマルクス
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-178f.html

◆川上則道『「資本論」で読み解く現代経済のテーマ』
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-29cb.html

◆世界情勢の発展と「帝国主義」-レーニンの時代と現代http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-33db.html

◆ノート・論文「世界情勢の発展と『帝国主義』」のためのノート 
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-2bdb.html

◆不破哲三『「資本論」全3部を読む』第1~3冊
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-c32a.html

◆不破哲三『マルクスと「資本論」①~③』
http://walumono.typepad.jp/1/2008/01/post-f6b2.html

◆インタビュー「マルクスに学び、現代社会を解いていく」
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◆◆マルクス・エンゲルスの略歴
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▼1818
ラインラントのトリーア市にユダヤ人弁護士の子として生まれる(5)。
ローマ帝国の一首都だったトリーアは、19世紀初頭、住民の95%がカトリックだったが、父ハインリッヒ・マルクスはカール誕生前プロテスタントに改宗。
▼1820
エンゲルス生まれる。
▼1824
洗礼して改宗。
▼1830
トリーア市のフリートリヒ・ギムナジウムに入学(10)。→フランス7月革命
▼1835
トリーアのギムナジウムを卒業し、ボン大学法学部に入学(10)。ベルリン大学法学部に移る(10)。
▼1837
ヘーゲル哲学の研究に専念し、またベルリン大学にてBバウアーらへーゲル左派(ベルリン・グループ)と交る。
▼1838
父ハインリッヒ・マルクス死亡。
▼1839
ギリシア哲学に取り組む。博士論文「デモクリトスとエピクロスの自然哲学の差異」執筆。
▼1841
イエナ大学哲学部より博士号取得(4)。ベルリン大学卒業(5)。フォイルバッハ『キリスト教の本質』発行を知る(7)。スピノザ『神学・政治論』および『書簡集』の抜粋ノートを作成。
▼1842
『ドイツ年誌』のために「プロイセンの最新の検閲訓令に対する見解」執筆(43年に『アネクドータ』で発表)。『ライン新聞』(1月創刊、編集長へフケン)に一連の論文を寄せる(5―)10月から実質上同新聞の編集長。トリーアからルーゲに手紙を送り、ベルリン自由人(Eマイエン、Lブール、Eバウアー、Kナウヴェルクら)を批判。歴史研究のノート(クロイツナハ・ノート)を執る。
▼1843(25歳)
「ライン新聞』編集部を発禁直前の3月17日に去る。その後ルーゲ、ヘスとともに『ドイツ年誌』に代わる評論誌の発行を計画。タイトルを『独仏年誌』発行地をパリと決定。
フランス側の執筆者との交渉開始。
クロイツナハでイェニーと結婚(6)。『独仏年誌』のために「ユダヤ人問題によせて」と「へーゲル法哲学批判序説」を起草(-44.1)。パリに移る(10-11、-45.1)。

▼1844(26歳)
ルーゲとともに『独仏年誌』発行。初号(1と2合併号)のみで廃刊。この失敗から、ルーゲとの間に不和発生。ロンドンのエンゲルスとの文通開始(2)。パリでバクーニン、ポトキンらロシア人、ルルー、ルイ・ブランらフランス人、エヴァベックらドイツ人活動家と意見交換(3-5)。セー、スミス、スカベルグなどの経済学ノート、「経済学・哲学(第1)草稿」、リカードゥ、Jミル、マカロック、エンゲルスなどの経済学ノート、「経済学・哲学(第2)草稿」、「経済学・哲学(第3)草稿」を作成(3-8)。
『独仏年誌』に発表した論説に対しプロイセン政府が反逆罪と不敬罪で告発、マルクス逮捕状を発行。ブルードンと知り合う(7)。『フォアヴェルツ』への寄稿と編集への協力開始
(7-)。パリにエンゲルスの訪問を受ける(8)。エンゲルスとの共著『聖家族』起草、翌年2月刊行。

▼1845
フランス政府、プロイセンの圧力によりマルクスら『フォアヴェルツ』の寄稿者に対し国外追放を命令(1)。プリュッセルヘ移る(2)。ブリュッセルで『フォイエルバッハ・テーゼ』
執筆(春)、その中で、世界を解釈するのでなくそれを変革せよ、と訴える。エンゲルスに連れられてイギリスを旅行(7-8).ロンドンでジュリアン・ハーニーらチャーティスト左派および義人同盟ロンドン支部指導者らと会う。ブリュッセルでエンゲルスとともに『ドイツ・イデオロギー』共同執筆開始(9)。これには、同じくブリュッセルに移ってきたヘスも参加。
エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』
▼1846
エンゲルスとともにブリュッセル共産主義通信委員会を組織(1-2)。通信委員会を拠点にパリ進出を企図。その一環としてヴァイトリング批判(3)、クリーゲ批判(5)、グリュン批判(5-)
を敢行。また、ブルードンに近づくが、失敗(5)。ロシアの文芸評論家P.Wアンネンコフ宛の手紙でプルードン『貧困の哲学』(10月刊行)を批判し、自己の唯物論的歴史観につ
いて述べる(12)。この間にも、エンゲルスとともに『ドイツ・イデオロギー』執筆継続。
▼1847
ロンドン義人同盟の要請(1)を受けて、エンゲルスとともに義人同盟に加入。義人同盟改編のための第1回国際共産主義者大会がロンドンで開催されるが(6)、欠席。エンゲルスは出席。また、大会で採決された規約草案には「万国のプロレタリア、団結せよ」が掲げられる。
『哲学の貧困』を出版(7)。エンゲルスとともにブリュッセル・ドイツ人労働者協会設立に尽力(8)。『ブリュッセル・ドイツ人新聞』に寄稿し、これを機関誌化していく。第2回国際共産主義者大会がロンドンで開催され、これに出席し、エンゲルスとともに新組織(共産主義者同盟)の綱領(『共産党宣言』)を執筆するよう委任される(11-12)。ブリュッセルのドイツ人労働者協会で「賃労働と資本」について講演(12)、1849年に公表。

▼1848
→フランス2月革命ドイツ3月革命。
『共産党宣言』を脱稿しロンドンへ発送(1-2)、直後ロンドンで出版(2-3)。フランス2月革命勃発とともに共産主義者同盟本部(中央委員会)をロンドンからブリュッセルに移転
し、さらにパリへ移転。3月3日逮捕、4日追放、5日パリ着。へルヴェーク、ボルンシュテットらが、パリでドイツ人亡命者からなる武装軍団を結成しドイツへ進撃せよと提案するが、これに反対する。代わりに、個人としてドイツへ帰国し活動するよう提案(3)。
 革命に合流するべく、エンゲルスとともにマインツ経由でケルンへ。同地で『新ライン新聞』発行の準備に着手(4)。共産主義者同盟員に対して、積極的に各地の民主主義者協会に加入し、その左派として活動するよう主張(5)。日刊紙『新ライン新聞」創刊(6.1)。ケルン市の民主主義諸団体の代表委員会委員の指名を受ける(6)。これ以後は、ライン、ヴェストファーレン地方の民主主義最左派として活動する。パリ6月蜂起におけるプロレタリアートとブルジョアジーの歴史的決戦について『新ライン新聞』で報じる(6)。ケルン民主主義者協会総会に出席し、シュナイダーⅡ世とともに代表に選出される(7.21)。
この総会にはヴァイトリングも出席して反マルクス的発言を行うが、これを一時的に無視。
 エンゲルスとともにケルン民主主義者協会総会に出席し、ブルジョア民主主義革命に批判的なヴァイトリングの見解に反駁(8.4)。また、エンゲルスとともに第1回ライン州民主主義者大会に出席(8)。その後ベルリン、ウィーン等各地の民主主義者と意見を交換。民主主義革命において労働者の果たすべき歴史的意義について説いてまわる(8)。
 エンゲルスほか同盟員とともに、ケルン市のフランケン広場で6000人規模の民主主義者集会に出席・治安委員会を組織(9.13)。
『新ライン新聞』に論説「危機と反革命」連載。その中で革命後における革命的独裁を主張(9.14)。第2回ライン州・ヴェストファーレン民主主義者大会に出席するが、Kシャッパー、Aベッカーらの早朝逮捕によって流会(9.25)。同日午後、ケルンの民主主義者に対する警察の圧力が強まり、翌26日、『新ライン新聞』ほかの民主主義的新聞が発禁となる。
『新ライン新聞』(10.12復刊)に論説「ウィーンにおける反革命の勝利」を載せ、オーストリアの裏切りとウィーン陥落を報道(11.7)。また、納税拒否闘争および反革命に対する武
装闘争を呼びかける(11.13-14)。
▼1849
ケルン労働者協会の委員会会議において演説(1.15、29)。『新ライン新聞』に論説「ケルン新聞の選挙論」を載せ、プロレタリアート、都市小ブルジョアジー、農民を最も民主主義的
な階級と表明(2.1)。『新ライン新聞』に論説「賃労働と資本」連載(4.5-4.11)。シャッパーほかとともに民主主義協会ライン地区委からの脱退を表明(4.15)。小ブルジョアとの共闘を維持しつつ独自の労働者大衆党の形成に向かう。
プロイセンからの追放命令(5.16)。
『新ライン新聞』発禁となり、最終号を全面赤刷で印刷(5.19)、エンゲルスとともにフランクフルトa.M.へ移り、さらにバーデン、プファルツへ。各地で革命軍をフランクフルトへ送れと訴える(5.19-月末)。パリへ移り、種々の民主主義団体や労働者団体と連絡(6)。フランス政府よりモルビアン行きを命ぜられ、パリからロンドンへ亡命(8.26)。同市で共産主義者同盟中央委員会を再建(8)。ロンドンのドイツ人労働者教育協会で、ドイツ人亡命者救援委員会委員に選出される(9.18)。
▼1850
エンゲルスとともに共産主義者同盟を再建(1)。ただし、ドイツ本国ではケルンを中心に非合法結社として班を増設。ハンブルクで創刊の『新ライン新聞政治経済評論』に論説「1848年6月の敗北」(のち別の論文とあわせて『フランスにおける階級闘争』に収録)を載せる(3-6)。
エンゲルスとともに「共産主義者同盟中央委員会の同盟員への呼びかけ」(三月回状)を発する(3)。同盟中央委員会内部で、ヴィリヒとの間に対立発生(7)、批判開始(8)。同盟中央
委でヴィリヒ・シャッパー派を批判。同派はしかし同盟全体で多数派となる。中央委のケルン移転決議(9)。ケルンの中央委、マルクス、エンゲルスらの提案を受けて、ヴイリヒー・シヤッパー派除名の回状を発送(12)。
▼1851
フランスのブランキ派亡命者たちおよびルイ・ブラン、それにヴィリヒー・シャッパー派が2月革命を記念して開催した集会「平等者の宴」を、エンゲルスとともに批判(2)。ケルンでへルマン・ベッカーによって『カール・マルクス論文集』刊行(4)、第1冊のみ。
ロンドンの大英博物館の図書館で経済学(古典派)、土地所有に関する研究に入る。ラインハルト(ハイネの在パリ秘書)からルイ・ナポレオンのクーデタについて通知を受ける。
これ以後『デイ・レヴォルティオン』のために『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』執筆を開始(12)。「ロンドン・ノート」作成(-5.3)。
▼1852
ケルンで共産主義者同盟員に対する裁判(10.4-11.12)、その事件に対して『ケルン共産主義者裁判の真相』を著しプロイセン政府を批判。しかし、以後同盟自体が事実上解体。
▼1853
バーゼルで『ケルン共産主義者裁判の真相』を刊行(1)。そのうちドイツ向けの2000部が押収され、再びボストンのノイエ・エングラント・ツァイトヴング社から小冊子で刊行(4)。イギリスでバクーニン・スパイ説が流れるがこれを否定、バクーニンを擁護。
▼1854
クリミア戦争についての論説群起草(『ニューヨークデイリートリビューン』に掲載)。
▼1855
「貨幣制度・信用制度恐慌」を『新オーデル新聞』に執筆。・経済学研究に関する「参照事項」を作成(1)。クリミア戦争およびイギリスの動向に関して論説群発表(『ニューヨークデイ
リートリビューン』に掲載)。
▼1856
ヨーロッパの経済恐慌に関して論説群発表(『ニューヨーク・デイリー・トリピューン』に掲載)。
▼1857
ヨーロッパを襲った経済恐慌を観察し、いよいよ経済研究に没頭、論文発表(後の『経済学批判』)。『経済学批判要綱』執筆(8-58.5)。

▼1859(41歳)
・ベルリンで『経済学批判』第1分冊刊行(6)。「資本章へのプラン草案」「抜粋ノート」「引用ノート」「引用ノートへの索引」「私自身のノートに関する摘録」を作成(-61)。
▼1860
プロイセンの軍制改革およびイタリア統一戦争に関し論説執筆。フライリヒラート宛の手紙で「同盟」は歴史のひとつのエピソードに過ぎなかったと表明(2)。『フォークト氏』刊行(12)。
▼1861
アメリカ南北戦争に関して論説群執筆(-65)。『1861-63年草稿』を執筆(8-63.8)。
▼1862
ロンドンに来たラサールと会うが、労働運動や階級闘争、経済学上の諸問題などで意見の一致にいたらず(7)。
▼1863
『1863-65年草稿』(第2部「第1稿」、第3部「主要原稿」を含む)を執筆(8-65. 12)。
『在ロンドン・ドイツ人労働者教育協会のポーランド人に関する檄』起草(10)。
▼1864
第1インターナショナル(国際労働者協会)、ロンドンに創設(9.28-76.7解散)。これを受けて『国際労働者協会創立宣言』協会の『暫定規約』起草(10)。ロンドンに来たバクーニンに『共産党宣言』を数部手渡し、第1インターへの協力を要請(11)。
▼1865
『賃金、価格および利潤』起草。また『ジョンソン大統領への国際労働者協会のあいさつ』起草(5)。『資本論』第2部「第3稿」執筆(-67)。『資本論』第1部初版の原稿を執筆(1-67-4)。

『資本論』ロシア語版初版、ベテルブルクで出版(3)。『資本論』第1部ドイツ語版第2版出版(7)。『資本論』第1部フランス語版出版(9-75.4)。
インター・マルクス派、秘密回状
▼1867(49歳)
ハンブルクのマイスナー社から『資本論』第1部を1000部出版(9.14)ー経済学研究始めて24年目。『資本論』第2部「第4稿」執筆(4-5)。.「国際労働者協会とイギリス労働者組織との結合」(10)。『資本論』
第2部「第2稿」執筆(12-70.7)。
▼1869
『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』第2版への序文。「第1インター総務委員会の第4回バーゼル大会への報告」(9)。
▼1870
「第1インター総務委員会第1宣言」起草(8.7)、「第2宣言」(9.9)。
1871→パリ・コミューン
パリ・コミューンに関する「第3宣言」(5.13)。のちに『フランスの内乱』にまとめられる(6)。エンゲルスとともに、第1インター・ロンドン大会向けの「総務委員会への提案」、
「暫定的決議案」(99)。『資本論』第1部ドイツ語版の改訂作業(12-73.4)。
▼1872
『資本論』ロシア語版初版、ベテルブルクで出版(3)。『資本論』第1部ドイツ語版第2版出版(7)。『資本論』第1部フランス語版出版(9-75.4)。
インター・マルクス派、秘密回状「いわゆるインターの分裂」でバクーニン派を弾劾、これを各支部へ送付。インター・ハーグ大会、マルクスの報告に基づきバクーニンとギヨームの除名を決議。あわせてインターナショナル総評議会のニューヨーク移転を決議(9)。インター事実上の崩壊。
▼1873
「社会民主同盟と国際労働者協会」(バーグ大会報告)で、エンゲルスとともにまたもバクーニンを攻撃。
▼1874
バクーニン著『国家とアナーキー』綱要(-75)。
▼1875
「ドイツ労働者党綱領評注(ゴータ綱領批判)」(4-5)を執筆送付(公表は1891年)。
▼1876
マウラー著作読書、摘要。
▼1877
『資本論』第2部「第5縞」、「第6橋」執筆。『オチェチェストヴェンヌイエ・ザピスキ(祖国雑誌)』編集部への手紙(11)。
▼1878
『資本論』第2部「第7稿」執筆。エンゲルス『反デユーリング論』→ドイツ社会主義者取締法
▼1879
・コヴァレフスキー著作「共産体的土地所有』読書、摘要。
▼1880
『資本論」第2部「第8稿」執筆(-81)。エンゲルス『空想から科学へ』
▼1881
「ヴェラ・ザスーリッチへの手紙」(3.8)。モーガン「古代社会」読書、摘要。妻イェニ-死亡(12.2)。
▼1882
『資本論』第1部ドイツ語版第3版のための改訂作業(-83.1。83年末刊改訂)。ラポック著作『文明の起源と人類の原始状態』読書、摘要。
▼1883
長女ジェニー死亡(1.11)
マルクス、ロンドンで没(3.14)
▼1885
エンゲルスの手で『資本論』第2部出版。
▼1886
エンゲルス『フォイエルバツハ論』
▼1889
第2インター結成。
▼1890
→社会主義者取締法廃止。
▼1894
エンゲルスの手で『資本論』第3部出版。
▼1895
エンゲルス『フランスにおける階級闘争』序文。エンゲルス死去。

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◆◆マルクス・エンゲルス古典抜粋
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◆資本主義的蓄積の一般的法則


(『資本論』第一部「第二四章いわゆる本源的蓄積 第七節 資本主義的蓄積の歴史的傾向」④)
▼「この転化過程が旧社会を深さと広がりから見て十分に分解させてしまえば、労働者がプロレタリアに転化され彼らの労働諸条件が資本に転化されてしまえば、資本主義的生産様式が自分の足で立つことになれば、ここに、労働のいっそうの社会化、および、土地その他の生産手段の社会的に利用される生産手段にしたがって共同的生産手段へのいっそうの転化、それゆえ私的所有者のいっそうの収奪が、新しい形態をとる。いまや収奪されるべきものは、もはや自営的労働者ではなく、多くの労働者を搾取する資本家である。
 こうした収奪は、資本主義的生産そのものの内在的諸法則の作用によって、諸資本の集中によって、なしとげられる。一人ずつの資本家が多くの資本家を打ち滅ぼす。この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と相ならんで、ますます規模を拡大する労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使えない労働手段への労働手段の転化、結合された社会的な労働の生産手段として使用することによるすべての生産手段の節約、世界市場の網のなかへのすべての国民の編入、したがってまた資本主義体制の国際的性格が、発展する。この転化過程のいっさいの利益を横奪し独占する大資本家の数が絶えず減少していくにつれて、貧困、抑圧、隷属、堕落、搾取の総量は増大するが、しかしまた、絶えず膨脹するところの資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大する。資本独占は、それとともにまたそれのもとで開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的な外被とは調和しえなくなる一点に到達する。この外被は粉砕される。資本主義的私的所有の弔鐘が鳴る。収奪者が収奪される。
 (二) 資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、それゆえ資本主義的な私的所有は、自分の労働にもとづく個人的な私的所有の最初の否定である。しかし、資本主義的生産は、自然過程の必然性をもってそれ自身の否定を生み出す。これは否定の否定である。この否定は、私的所有を再建するわけではないが、しかし、資本主義時代の成果──すなわち、協業と、土地ならびに労働そのものによって生産された生産手段の共有とを基礎として、個人的所有を再建する。
 諸個人の自己労働にもとづく分散的な私的所有の資本主義的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産経営にもとづいている資本主義的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならないほど長くかかる、苦しい、困難な過程である。まえの場合には少数の横奪者による人民大衆の収奪が行なわれたが、あとの場合には人民大衆による少数の横奪者の収奪が行なわれる。」

▼「第四篇で相対的剰余価値の生産を分析したさいに見たように、資本主義制度の内部では、労働の社会的生産力を高めるいっさいの方法は、個々の労働者の犠牲として行われるのであり、生産を発展させるいっさいの手段は、生産者の支配と搾取との手段に転化し、労働者を部分人間へと不具化させ、労働者を機械の付属物へとおとしめ、彼の労働苦で労働内容を破壊し、科学が自立的力能として労働過程に合体される程度に応じて、労働過程の精神的力能を労働者に疎遠なものにするのであり、またこれらの方法・手段は、彼の労働条件をねじゆがめ、労働過程中ではきわめて卑劣で憎むべき専制支配のもとに彼を服従させ、彼の生活時間を労働時間に転化させ、彼の妻子を資本のジャガノートの車輪のもとに投げ入れる。しかし、剰余価値の生産のいっさいの方法は、同時に蓄積の方法であり、その逆に、蓄積のどの拡大も、右の方法の発展の手段となる。それゆえ資本が蓄積されるのにつれて 労働者の報酬がどうであろうと──高かろうと低かろうと──労働者の状態は悪化せざるをえないということになる。最後に、相対的過剰人口または産業予備軍を蓄積の範囲と活力とに絶えず均衡させる法則は、へファイストスの楔がプロメテウスを岩に縛りつけたよりもいっそう固く、労働者を資本に縛りつける。この法則は、資本の蓄積に照応する貧困の蓄積を条件づける。したがって、一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、すなわち自分自身の生産物を資本として生産する階級の側における、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積である」

◆資本と労働者

 資本主義的生産がいかに労働者を非人間的なものとして扱うのかについて、マルクスは『資本論』のなかでリアルにのべています。以下代表的なものを紹介いたします。
▼「資本家としては、彼はただ人格化された資本にすぎない。彼の魂は資本の魂である。ところが、資本は唯一の生活本能を、すなわち自己を増殖し、剰余価値を創造し、その不変部分である生産諸手段で、できる限り大きな量の剰余労働を吸収しようとする本能を、もっている。資本とは、生きた労働を吸収することによってのみ吸血鬼のように活気づき、しかもそれをより多く吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である」(新日本新書②395P)
▼「資本がこのように労働者たちの食事時間や休養時間から『こそどろ』することを、工場監督官たちも、『数分間のちょろまかし』『数分間のひったくり』、または、労働者たちが仲間どうしで呼んでいるように『食事時間のかじり取り』と言っている」(新日本新書②413P)
▼「本質的に剰余価値の生産であり剰余労働の吸収である資本主義的生産は、労働日の延長によって、人間的労働力の正常な精神的および肉体的発達と活動との諸条件を奪い去るような人間的労働力の萎縮を生み出すだけではない。それは労働力そのもののあまりにも早い消耗と死亡とを生みだす」(新日本新書②457P)
▼「労働者にとって生産過程を人間的なものにし、快適な、またはせめてがまんできるだけのものにするためのすべての設備が存在しないことは、言うまでもない。それは、資本主義的見地からは、まったく無目的で無意味な浪費であろう。資本主義的生産は、一般に、どんなけちであっても、人間材料についてはまったく浪費的」(新日本新書⑧147P)
▼「資本主義的生産は、われわれが個別的に考察し、流通の過程および競争の激化を度外視すれば、実現されて諸商品に対象化さる労働の取り扱いは極度に節約的である。これに反して、資本主義的生産は、他のどんな生産様式よりもはなはだしく、人間、生きた労働の浪費者であり、血と肉の浪費者であるだけでなく、脳髄と神経の浪費者でもある」(新日本新書⑧150P)
▼「"大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!"、これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康や寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」(新日本新書②464P)

◆史的唯物論-経済学批判序説など


●マルクス『経済学批判序説』

 「人間は、彼らの生活の社会的な生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した諸関係にはいり込む、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係にはいり込む。これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。これが現実の土台であり、その上に一つの法的かつ政治的な上部構造がそびえ立ち、その土台に一定の社会的諸意識形態が対応する。物質的生活の生産様式が、社会的、政治的、および精神的生活過程全般を制約する。
人間の意識がその存在を規定するのではなく、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定する。社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それまでそれらがその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎない所有諸関係と、矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展の諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎が変化するにつれて、巨大な上部構造の全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。このような諸変革を考察するにあたっては経済的な生産諸条件に起きた自然科学的な正確さで確認できる物質的な変革と、人間がこの衝突を意識するようになりこれとたたかって決着をつける場となる。法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、簡単に言えばイデオロギー諸形態とを、つねに区別しなければならない。ある個人がなんであるかを判断する場合に、その個人が自分をうぬぼれ描く評価には頼れないのと同様に、このような変革の時期を、その時期の意識をもとに判断することはできないのであって、むしろこの意識を、物質的生活の諸矛盾から、すなわち社会的生産諸力と生産諸関係とのあいだに存在する衝突から、説明しなければならない。一つの社会構成体は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展の余地がないほどに発展しきらないうちは、けっして没落することはなく、また、新しいさらに高度の生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しきらないうちは けっして古いものに取って代わることはない。それだから、人間はつねにみずからが解決できる課題だけをみずからに提起する。というのはやや立ち入ってみるとつねにわかることだが、課題そのものが生まれるのは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、または少なくともそれらが生じつつあることが把握される場合だけだからである。大づかみに言って、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式が、経済的社会構成体の進歩していく諸時期として特徴づけられよう。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である。敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である。しかしブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対を解決するための物質的諸条件をもつくりだす。それゆえ、この社会構成体をもって人類社会の前史は、終わりを告げる。」
(新日本出版社古典選書『経済学批判序言・序説』より

◆1890年、史的唯物論の理解にかかわって、ドイツの学生に送った手紙では、「お願いしたいのは、どうかこの理論を原典で勉強するようにして、他のものを介さないことにしてください」(「ヨーゼフ・ブロッホヘの手紙」マルクス・エンゲルス全集第17巻403頁)と語り、別の人には、「唯物論的方法というものは、歴史的研究をするさいに、それが導きの糸としてではなく、史実をぐあいよく裁断するためのできあいの型紙として取り扱われると、その反対物に転化する」(「パウル・エルンストヘの手紙」同全集第17巻361頁)「われわれの理論は発展の理論であり、まる暗記して機械的に反復するような教義」(エンゲルス)ではない


◆「人間は、それぞれ個々の人びとがかれ自身の意識的に意欲された目的を追いながら、歴史の生みだす結果がどうあろうとも、自分自身の歴史」をつくります(『フォイエルバッハ論』新日本文庫70頁)。「種々な方向にはたらく多くの意志と外界にたいするこれらの意志のさまざまな働きかけとの合成力が、まさに歴史」です。そして、マルクスたちは、「多くの個々の人びとが、なにを意欲しているかということが問題である」(70頁)とみて、歴史上で行動する人間の動機の背後にあって、歴史の本来の最終的な推進力をなしている動力を探求し、「人間の大きな集団、民族全体、さらにそれぞれの民族のうちでの階級全体をうごかす動機」(72頁)

◆レーニン「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」

新日本出版社古典選書訳  

 マルクスの学説は、すべての文明世界において、マルクス主義をなにか「有害な宗派」のようなものとみているブルジョア科学全体(官学的なものも、自由主義的なものも)のきわめて大きな敵意と憎悪とをひきおこしている。これ以外の態度は期待もできないのである。階級闘争のうえにきずかれている社会では、「公平無私の」社会科学はありえないからである。いずれにしても、官学にしても自由主義的な科学にしてもすべて、賃金奴隷制を擁護しているが、マルクス主義は、この奴隷制度にたいする容赦のないたたかいを宣言したのである。賃金奴隷制の社会で、公平無私な科学を期待するのは、資本の利潤をへらして、労働者の賃金をふやすべきではないかという問題で、工場主たちに公平無私を期待するのとおなじくらい、ばかげた無邪気なことである。
 だが、それだけではない。哲学の歴史と社会科学の歴史とが、まったく明白にしめしているとおり、マルクス主義には、世界文明の発展の大道のそとで発生した、なにか閉鎖的で硬化した学説という意味での「宗派主義」(セクト主義)に似たものはなにもない。反対に、そもそもマルクスの天才は、ほかでもなく、人類の先進的な思想がもう提起してきた問題に答えをあたえたという点にある。彼の学説は、哲学、経済学、社会主義の、もっとも偉大な代表者たちの学説をまっすぐに直接に継続させたものとしてうまれた。
 マルクスの学説は正しいから、全能である。その学説は完全で均整がとれており、どのような迷信とも、どのような反動とも、またブルジョア的抑圧のどのような擁護とも妥協できない、全一的な世界観を提供している。それは、人類が一九世紀にドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義という形でつくりだした最良のものの正統な継承者である。
 マルクス主義のこの三つの源泉であると同時にその
構成部分であるものについて簡単にふれてみよう。

      一

 マルクス主義の哲学は唯物論である。唯物論は、ヨーロッパの近代史全体をつうじて、とくに一八世紀の終わりにあらゆる中世的なガラクタに反対する、制度および思想のなかの農奴制に反対する、断固とした戦闘がもえあがったフランスで、自然科学のあらゆる学説に忠実で、迷信や偽善等々に敵対するただ一つ終始一貫した哲学であった。だから、民主主義の敵は、全力をあげて、唯物論を「論破」し、くつがえし、中傷することにやっきとなっていたし、どちらにせよ、いつも宗教を擁護するなり支持することになってしまうさまざまな形態の哲学的観念論を擁護していた。
 マルクスとエンゲルスは、哲学的唯物論をもっとも断固として守りぬき、この基礎から逸脱するどんな偏向でも、ふかいあやまりであることを、いくども説明している。彼らの見解がもっとも明瞭に、くわしくのべられているのがエンゲルスの著作、『ルートヴィヒ・フォイエルバッハ』と、『反デューリング論』であり、これらの著作はI『共産党宣言』とおなじように──意識をもつ労働者のだれもがかならず手もとにおかなければならない書物である。
 しかし、マルクスは一八世紀の唯物論にたちどまってはいないで、哲学をさらに前進させた。彼はドイツ古典哲学、とくにへIゲルの体系の諸成果によって哲学をゆたかにしたのであるが、このヘーゲルの体系は、またフォイエルバッハの唯物論へとすすんだのであった。これらの成果の主要なものが、弁証法である。すなわち、もっとも完全な、ふかい、一面性をまぬかれたかたちでの発展にかんする学説、永遠に発展していく物質の反映をわれわれにあたえる、人間の知識の相対性についての学説である。自然科学のさいきんの諸発見──ラジウム、電子、元素の変換──はふるい腐朽した観念論へ「あらたに」もどっているいろいろのブルジョア哲学者たちの学説にもかかわらず、マルクスの弁証法的唯物論の正しさをみごとに確証した。
 マルクスは哲学的唯物論をふかめ発展させて、それを徹底させ、その自然認識を人間社会の認識へとひろげた。科学思想の最大の達成は、マルクスの史的唯物論であった。これまで歴史観と政治観とを支配してい た混沌と気まぐれにとってかわって、おどろくほどまとまった整然とした科学的理論があらわれた。この理
論は、生産力の発展の結果として、社会生活の一つの制度から、他のより高度の制度が発展してくること─
─たとえば農奴制から資本主義が生長してくる──ことを証明している。
 人間の認識が、人間とは独立して存在する自然、すなわち発展しつつある物質を反映するのとまったくおなじように、人間の社会的認識(すなわち哲学的、宗教的、政治的などのさまざまな見解や学説)は、社会の経済的構造を反映する。政治的諸制度は経済的基礎の上にたつ上部構造である。たとえば、現代のヨーロッパ諸国家のさまざまな政治形態が、プロレタリアートにたいするブルジョアジーの支配の強化に役だっていることは、われわれがみているとおりである。
 マルクスの哲学は完成された哲学的唯物論であって、それは人類に、とくに労働者階級に、偉大な認識の道具をあたえた。


     二

 マルクスは、経済的構造がその上に政治的上部構造がそびえたつ基礎であることをみとめてから、もっとも大きな注意をこの経済的構造の研究にはらった。マルクスの主要な労作「資本論」は、近代社会、すなわち、資本主義社会の経済的構造の研究にささげられている。
 マルクスより前の古典経済学は、もっとも発展した資本主義国であったイギリスで形成された。アダム・スミスとデイヴィッド・リカードは、経済構造を研究して、労働価値説の基礎をすえた。マルクスは彼らの仕事を継続した。マルクスはこの理論を厳密に基礎づけ、それを終始一貫して発展させた。彼は、すべての商品の価値はその商品の生産に支出される社会的に必要な労働時間の量によって決定されることを証明した。
 ブルジョア経済学者たちが、物と物との関係(商品と商品との交換)をみたところ、そこでマルクスは人間と人間との関係をあばきだした。商品交換は市場を媒介とする個々の生産者たちの結びつきを表現している。貨幣は、この結びつきがますます緊密になっていき、個々の生産者たちのあらゆる経済生活を切りはなせないように結合して、一つの全体に結合していることを意味している。資本は、この結びつきのいっそうの発展を意味している。つまり人間の労働力が商品になっているのである。賃金労働者は自分の労働力を、土地、工場、労働用具の所有者に売る。労働者は労働日の一部を自分と家族との生活費を支払うために使い(賃金)、労働日の他の部分をただで働いて、資本家のために剰余価値をつくりだす。剰余価値が利潤の源泉であり、資本家階級の富の源泉である。
 剰余価値の学説は、マルクスの経済理論の土台石である。
 労働者の労働によってつくりだされた資本は、小経営主を破産させ、 失業者群をつくりだすことによって、労働者を圧迫する。工業では、大規模生産の勝利は一目でわかるが、しかし農業でもおなじ現象がみうけられる。すなわち、大規模な資本主義的農業の優位がたかまり、機械の使用が増大し、農民の経営は貨幣資本のわなにかかり、おくれた技術の重圧のもとにおとろえ破産する。農業では小規模生産の衰退の形態はちがっているが、衰退そのものはあらそうことのできない事実である。
 資本は小規模生産を破滅させることによって、労働生産性を増大させ、巨大資本家たちの連合の独占的地位をつくりだすことになる。生産そのものはますます社会的になっていき、──いく十万、いく百万の労働者が計画的な経済有機体に結びつけられてゆく──、しかし、共同労働の生産物は、ひと握りの資本家たちによって着服されている。生産の無政府性、恐慌、気ちがいじみた市場の争奪、住民大衆の生活の不安が増大する。
 資本主義体制は労働者の資本への隷属を増大させながら、結合された労働の偉大な力をつくりだす。
 マルクスは、商品経済の最初の萌芽である単純な交換から、資本主義の最高の諸形態、大規模生産にいたるまで、資本主義の発展をあとづけた。
 そして、ふるい国も新しい国も、すべての資本主義国の経験は、マルクスのこの学説の正しさを、年ごとにますます多数になる労働者たちにはっきりと証明している。
 資本主義は全世界で勝利した。しかしこの勝利は、資本にたいする労働の勝利の戸口にすぎない。


     三

 農奴制が打倒されて、「自由な」資本主義社会がこの世にあらわれたとき、この自由が勤労者の抑圧と搾取との新しい制度を意味することがすぐさまあきらかになった。この抑圧の反映として、またそれにたいする抗議として、ただちにさまざまな社会主義学説が発生しはじめた。だが、初期の社会主義は空想的社会主義であった。それは資本主義社会を批判し、非難し、呪い、それの廃止を夢想し、よりよい制度を空想し、富者にたいして搾取が不道徳であることを説得しようとした。
 しかし、空想的社会主義はじっさいの活路をしめすことができなかった。それは資本主義のもとでの賃金奴隷制の本質を説明することもできず、資本主義の発展法則を発見することもできず、また新しい社会の創造者となることのできる社会的勢力を発見することもできなかった。
 そのあいだに、ヨーロッパのいたるところで、とくにフランスで、封建制度、農奴制の没落にともなっておこった嵐のような諸革命は、階級闘争があらゆる発展の基礎であり推進力であることを、ますますはっきりとあばきだしていった。
 農奴主階級にたいする政治的自由の勝利は、どれ一つ必死の抵抗をうけずにたたかいとられたものはなかった。どの資本主義国も、資本主義社会のさまざまな階級のあいだの生死をかけた闘争をおこなわずに、多少とも自由な民主主義的基礎の上に形成されたものは一つもなかった。
 マルクスの天才は、彼が、世界史の教える結論をだれよりもはやくここからひきだし、この結論を終始一貫したものにすることができた点にある。この結論が階級闘争についての学説である。

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◆◆科学的社会主義の古典紹介
-マルクス・エンゲルス・レーニンの文献紹介-
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●エンゲルス『空想から科学への社会主義の発展』
●レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』
●レーニン『カール・マルクス』
●エンゲルス『フォイエルバッハ論』
●レーニン『唯物論と経験批判論』
●マルクス、エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
●マルクス『経済学批判・序言』
●マルクス『資本論』
●マルクス『賃労働と資本』『賃金・価格・利潤』
●レーニン『帝国主義論』
●マルクス、エンゲルス『共産党宣言』/エンゲルス『共産主義の原理』
●マルクス『フランスにおける階級闘争』『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』『フランスにおける内乱』
●マルクス『労働組合-その過去・現在・未来』
●エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』
●マルクス『ゴータ綱領批判』
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◆エンゲルス『空想から科学への社会主義の発展』


 この本は,エンゲルスがデューリング批判のために書いた『反デューリン グ論』(1878年)のうちから、フランス労働党のポール・ラファルグの要請に応じて,その総論と歴史的概説と理論的概説をぬきだし,若干の補足を加えて 独立の単行本として出版(1880年)したもので、科学的社会主義の最良の入門書といわれ,科学的社会主義の文献のうちで最も普及されているものの一つで す。

 全体は3章からなっていて、第1章では科学的社会主義の成立までのヨーロッパ諸国人民のたたかいと思想の歴史がのべられています。この章の大部分はイギ リスの産業革命とフランスのブルショア革命の少しあとの頃にあらわれた3人の空想的社会主義者(サン・シモン、フーリエ、オーエン)の思想の紹介にあてら れています。空想的社会主義(者)という言葉もエンゲルスが発明したもので、それはたんに夢のような空想をえがいた人ということではなく,現実の矛盾をふ まえ、天才的なひらめきをもって未来への展望をしめした人という意味です。科学的社会主義はこういう空想的社会主義者のひらめきから多くを学んだのでし た。ただ空想的社会主義の時代には、まだ社会変革の主体となる労働者階級が十分に成長しておらず、そのためにその社会主義を実現する道筋については、どう しても空想的にならざるをえなかったのでした。
第2章は科学的社会主義の成立以前の世界観の批判的検討から、弁証法的唯物論が生まれてくる過程をまずのべています。そしてそこで弁証法と唯物論の 基本的な考え方がしめされます。つぎにこの観点から歴史をとらえたとき、史的唯物論が生ずるとして、その基本が簡潔にのべられています。それは、人類の歴 史は階級闘争の歴史であり、その基礎には経済的諸関係(土台)があること、そして法律や国家、宗教、哲学などの上部構造は土台によって規定されるという内 容のものです。この見地から現在の資本主義をみるとき、それは一つのの歴史的産物であり、したがって、いずれ没落する必然性をも  っていることが明らか となりますが、その没落の必然性は資本主義がその内部にかかえている矛盾からしめされます。この矛盾の暴露は剰余価値の発見によって可能となりました。第 2章の最後でエンゲルスがのべているつぎの言葉は大変有名です。「これら二つの偉大な発見,すなわち唯物史観(史的唯物論) と、剰余価値による資本主義的生産の秘密の暴露とは、マルクスのおかげでわれわれに与えられたものである。これらの発見によって社会主義は科学になっ た」。
 第3章は史的唯物論と資本主義の矛盾の分析のさらに詳しい説明で す。人類の歴史を動かしている階級闘争の基礎が経済的諸関係にあることはすでにのべましたが,それは生産力と生産関係との矛盾としてあらわれ,中世の封建 的な生産関係をうちこわして資本主義をつくりだします。そこでは分業と協業がますます発展して、生産は社会的な性格をつよめていきますが,その生産の成果 は生産手段の所有者である資本家個人のものとなってしまいます。ここに資本主義の基本的な矛盾があるのですが,ここからつぎの4つの矛盾が生じます。 (1)プロレタリアとブルジョアジーとの対立。(2)個々の工場のなかでの生産の組繊化と社会全体における生産の無政府状態との対立。(3)一方の極にお ける富の蓄積と他方の極における貧困、労働音などの蓄積、つまり国民のなかではますます多数を占めるようになる労働者階級の窮乏化(貧困化)という矛盾、 (4)その結果として周期的に姿ってくる恐慌。-これらの矛盾を根本的に解決する唯一の道は、生産の社会的性格に見合うように生産手段の所有関係をも社会 的なものとすること、つまり社会主義への移行以外にはない,ということがしめされます。そして,高度な共産主義社会では国家も死滅し、人間は自然法則を利 用して自然を支配してきたように、社会法則を利用して社会を自分でコントロールできるようになります。「これは必然の国から自由の国への飛躍である」、こ れがこの本でのエンゲルスの結論です。

◆レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』


 この論文はマルクスの没後30周年を記念してレーニンが「プロスヴェシチェーニェ(啓蒙)」という雑誌に書いたもので,大へん短い論文ですが、マルクス の学説をそれに先立つドイツの哲学、イギリスの経済学、フランスの社会主義思想の発展・継承者として位置づけ、解説しています。
まずレーニンはマルクスの学説の二つの側面を明らかにしています。その一つは党派性です。マルクスの学説はブルジョア科学から「有害なセクト」とし て攻撃されていたのですが、レーニンはそれは当然だといいます。階級社会では「公平無私な」社会科学などというものはありえないからです。一見「公平無 私」のようにみえるものも、実は資本主義社会を擁護するという党派性をもっているのであって、階級社会で社会を科学する学問は、体制擁護か反体制か、いず れかの立場をとらざるをえないのです。しかしマルクスの学説の党派性は、けっして閉鎖的で硬直的なセクト主義ではありません。マルクスの学説は「世界文明 の発展の大道」の上に立つ人類文化の最良の遺産をうけつぐものなのです。それは「人類の先進的な思想がすでに提起していた諸問題」に答を与え、哲学・経済 学・社会主義のもっとも偉大な代表者たちの学説をまっすぐに、直接に継承したもの」なのです。科学的社会主義のこの二つの側面(党派性と全人類的な先進 性)をしっかりとおさえておくことが大切です。以下,この論文は3章からなっています。

 第1章は唯物論です。ここではまず、中世封建制の制度や思想にたいして、首尾一貫してたたかったのは18世紀フランスの唯物論であったことがのべられ, マルクスはそれを継承したのですが、そこに立ちどまらないで、さらにそれを前進させたとしています。それがドイツの古典哲学で、それはへーゲルの弁証法と フォイェルバッハの唯物論であり、これを発展させたマルクスの唯物弁証法の正しさは、自然科学の最近の諸発見(ラジウム、電子、元素の変換)によっても裏 づけられている、といわれています。マルクスはさらにこの唯物弁証法を社会認識へとひろげ、史的唯物論をつくりあげます。それは「科学思想の最大の成果」 でした。レーニンは,この史的唯物論の内容を、生産力の発展が社会発展の原動力であること,人間の社会的認識は社会の経済的構造を反映し、政治的諸制度は 経済的基礎のうえに立つ上部構造であること、を明らかにしたものだと説明しています。
 第2章はマルクスの経済学説の解説です。ここではマルクスの先駆者としてイギリスの経済学者アダム・スミスとデーヴィッド・リカードがあげられて いますが、それは彼らが労働価値説を基礎づけたからです。マルクスはこの労働価値説をさらに発展させて剰余価値学説をつくりだしました。「剰余価値学説は マルクスの経済理論の土台である」としーニンはのべています。レーニンはさらに、マルクスが資本主義が発展していくなかで中小経営が没落し、失業者が増大 し、資本はますます巨大化して独占資本が生まれることを指摘し、生産の社会化と生産物の私的取得という矛盾、さらに生産の無政府状態、恐慌、狂気じみた市 場追求、住民大衆の生活不安などという矛盾が拡大することを明らかにしたことを述べています。レーニンは、しかしこれとともに資本主義の発展は「結合され た労働という偉大な力」をつくりだす。これこそが資本主義の矛盾を根本的に解決する力であり、「資本主義は全世界で勝利した。しかし、この勝利は,資本に たいする労働の勝利への戸口にすぎない」と述べています。
  第3章はマルクス王義の三つの構成部分の第3番目として、階級 闘争の学説をとりあげています。農奴制をくつがえして資本主義が成立したときから、この制度はけっしてすべての人々を解放するものではなく、新しい階級支 配の体制であることが明らかになり、これを批判するものとしてさまざまな社会主義学説が生まれたが、その最初のものは空想的社会主義だった。それは新しい 階級支配を告発したが、それを克服する道をしめすことはできなかった。なぜなら「新しい社会の創造者となる能力をそなえた社会勢力」をまだ見いだすことが できなかったからだ-ということを指摘しています。マルクスは階級闘争こそが歴史の発展の原動力であることを世界史のなかから見ぬき、プロレタリアートを 闘争へ組織することだけが社会変革の唯一の手段であることを明らかにしたということを指摘し、レーニンはつぎのように結論しています。「マルクスの哲学的 唯物論だけが、今日まですべての被抑圧階級にいじけた生活を送らせてきた精神的奴隷状態からぬけだす道を、プロレタリアートにしめした。マルクスの経済理 論だけが、資本主義制度全体のなかでのプロレタリアートの真の地位をあきらかにした。...プロレタリアートは、自己の階級闘争を行なうことによって、 自己を啓蒙し、教育し....自己の勢力をきたえ、おさえがたい力で成長していく」

◆レーニン『カール・マルクス』


 これはロシアのグラナートという出版社の発行した百科事典のなかの項目として書かれたもので、辞典は1915年に刊行されましたが、独立の書物とし出版されたのは1918年です。全体は大きく六つに分けられています。
 第1章ではマルクスの略歴がのべられいます。そこでは、大学でおもに歴史と哲学を学んだマルクスが大学を卒業後、教授になることをあきらめて、新 聞記者となり、しだいに革命家として成長していくこと、エンゲルスとの交友、イエニーとの結婚や子どものこと、その理論の発展、そして1883年3月14 日こ安楽椅子に腰かけたまま静かに息をひきとったことなどが、簡潔に語られています。
 第2章は「マルクスの学説」で、ここでは「3つの源泉」からマルクスが「彼の敵でさえみとめるような」すばらしい首尾一貫した体系をつくりあげた としたうえで、哲学的唯物、弁証法、唯物史観、階級闘争に分けて、マルクスの世界観を説明しています。その内容については、さきの2つの古典の解説でのべ たことと重複しますので省略しますが、自由と必然性との関係や古い唯物論の欠点、歴史理論としての史的唯物論のすぐれた点などの指摘があることをつけ加え ておきましょう。
 第3章は「マルクスの経済学説」です。レーニンはこれを「マルクスの理論の、もっとも深遠な、全面的な、そして詳細な確証であり、適用である」と して、とくに詳しく説明しています。この章はさらに、「価値」「剰余価値」に分けられていますが、このあとの方の「剰余価値」という節では、たんに剰余価 値の説明だけではなく、資本蓄積論や、さらに「資本論」第2巻の社会的総資本の再生産の分析、および第3巻の地代論までもあつかわれていますから、「資本 論」のエッセンスがこの短いページのなかにつめこまれているといってよいでしょう。とくに興味ぶかいのは、レーニンがマルクスの地代論について比較的詳し くとりあげていることで、これはしーニンの時代のロシアの農業問題がレーニンの頭にあったためと思われます。たとえば、マルクスが「資本主義的地代の発 生」に関連してのべている農業における資本主義の発展の問題を、レーニンは「一連の深遠な思想」といい、「ロシアのように遅れた国々にとってはとくに重要 な思想」といっています。
 第4章は「社会主義」です。ここでは資本主義から社会主義への移行が必然であること、その担い手がプロレタリアートであることがのべられたのち に、社会主義社会ではどういうことが可能になるかということが、いくつかあげられています。それはまず労働生産性のいちじるしい上昇と労働日の短縮、工業 と農業との新しい結びつき、家族の新しい形態、人間の能力の全面的発達を可能にする教育などですが、レーニンはさらに共産主義社会では民族的対立がなくな ること、国家も死滅することを指摘しています。この章の最後でレーニンは、社会主義における小農民の問題について、エンゲルスの文章を引用していますが、 これも当時のロシアの事情が念頭にあったものと思われます。それは社会主義への移行にさいして、大士地所有者の土地は没収するけれども、小農の場合には無 理に没収せず、実例と援助によって協同組合的なものへしだいに移していくという点です。
 第5章は「プロレタリアートの階級闘争の戦術」です。ここではまず「社会の客観的な発展段階」を動態的に考慮することが「先進的な階級の正しい戦 術の基礎」であるとしたうえで、階級閥争についてはマルクスのつぎの二つの考察がとくに重要であるといっています。ひとつはマルクスの「哲学の貧困」のな かにある経済闘争と経済的諸組織とにかんする考察で、それは具体的には経済闘争によって労働者の団結がつよまること,しかし独占資本のもとで労働運動が右 傾化することの指摘です。もう一つは「共産党宣言」のなかのプロレタリアートの政治的任務についての考察で、それは共産主義者は労働者階級の当面の利益の ためにたたかうけれども、「しかし彼らは、現在の運動のなかにあって、同時に運動の未来を代表する」ということです。こういう視点からマルクスが農民の民 主主義的エネルギーの発展に注意を払ったことや、パリ・コミューンの蜂起を時期尚早としつつも、いったん蜂起がはじまってからは、熱狂的にこれを歓迎した ことなどをあげています。
 第6章はマルクスについての詳しい文献目録なのですが、これは「レーニン全集」第21巻には掲載されていますけれども、ほかの版では省略されています。

◆エンゲルス『フォイエルバッハ論』


 エンゲルスは、マルクスとともに科学的社会主義を創始し、生涯 をかけてその展開に努めました。彼は晩年になって、若い頃からの二人の思想形成のあとをふりかえり、それとと同時に科学的社会主義の哲学の全容を描きだし ました。それがこの『フオイエルバッハ論』(1888年)です。この本の叙述が、勤労者通信大学の教科書などに書かれている「哲学の根本問題」の原型で す。
 『フォイェルバッハ論』は、直接的にはデンマークの哲学者・社会学者のスタルケによるドイツの哲学者フォイエルバッハについての著作の書評として 執筆されました。それが、同時に科学的社会主義の哲学の入門書になるのはエンゲルスの天才によるものとしかいうことができません。それでは、フォイエル バッハとはいったい、どのような哲学者だったのでしょうか。すでに学んだように、科学的社会主義の三つの源泉の一つにカントを創始者とするドイツ観念論 (「ドイツ古典哲学」とか「ドイツ理想主義」とか呼ばれます)があり、その最後の代表者はへーゲルです。エンゲルスは、マルクスとともに、ヘーゲル哲学の なかの生きたものを継承・発展させました。そのための重要な「中継ぎ」の役割をはたしたのがこのフォイエルバッハだったのです。へーゲルは1831年に死 んだとき、ベルリン大学の教授でした。彼は当時のドイツ皇帝のいわゆる「御用学者」で、弟子たちは政府の重要な地位、いわば「政府高官」に登用されまし た。そうしたこともあって、当時ドイツではへーゲル学派が形成されていました。へーゲルの死後、ヘーゲル学派は右派、中間派、左派の三派に分裂しました。 へーゲル哲学における保守的なもの、死んだものを右派が受け継ぎ、進歩的なもの、生きたものが左派に受け継がれ、中間派は主として地道な哲学史の研究に従 事するようになりました。へーゲルの合理的,革命的要素を継承した左派(これは「青年へーゲル派」と呼ばれました)の延長上に若き日のマルクスとエンゲル スがいて、ヘーゲル哲学からマルクスとエンゲルスへの橋渡しの位置にいるのがフォイェルバッハだったのです。したがって、エンゲルスがフォイエルバッハに 触れるならば、当然、若き日のマルクスとエンゲルスの思想形成、科学的社会王義の哲学の生成と体系に触れないわけにはいかなかったのです。
『フォイエルバッハ論』は全部で4章から成り立っています。第1章 では、ヘーゲル哲学が思想的に崩壊していく過程が描かれています。これは、マルクスとエンゲルスの思想形成の過程でもあり、当時のドイツの思想状況でもあ るので、いわば「同時進行型ドラマ」を見るような感があります。こういう状況を分析するにあたって、それを見る視点、事態をはかる物差しが必要です。第2 章では,その問題が取り扱われます。ここに、有名な「哲学の根本問題」が登場します。「哲学の根本問題」が明白な形で定式化されたのはこの部分の叙述に よってです。ただし、当時の哲学界の用語法(これはヨーロッパ哲学の伝統的な用語法でもあるのですが)によって制約されています。そしてここで設定された 視点はへーゲル哲学の崩壊過程を見るのに必要ですが、同時にフォイエルバッハの弱点を見ぬくためにも必要だったのです。フォイェルバッハは唯物論者でし た。ところが、不徹底な唯物論者でした。その弱点は彼の宗教哲学と倫理学にあらわれていました。それを取り扱ったのが、第3章です。そして、その結果とし てあらわれた科学的社会主義の哲学が第4章において積極的に描かれているのです。

◆レーニン『唯物論と経験批判論』


 ロシアは20世紀に入ると革命的高揚期を迎えました。戦 艦ポチョムキンの反乱で有名なロシア第1次革命は、1905~07年に起きました。この第1次革命が挫折したあと、ロシア帝国はすさまじいばかりの反動期 を迎えました。通常この時期は「ストルイビン反動期」と呼ばれます。弾圧のため命を落とす人びともあとをたちませんでした。このため、革命運動のなかで動 揺が生じ、こから脱落する部分が続出しました。その思想の哲学的基礎が「経験批判論」と呼ばれる潮流だったのです。レーニンはこれらの潮流と政治的に対決 すると同時に、哲学的・思想的にも対決する必要を感じて書いたのが「唯物論と経験批判論」だったのです。「唯物論と経験批判論」は第1次革命の失敗のあと 2度目の亡命中に、レーニンが書きあげたものです。1908年の2月から11月にかけて執筆され、1909年の5月に出版されました。それまでレーニンは 政治家としては注目されていましたが、哲学者としては無名でした。彼は、1908年にジュネーブで哲学の勉強をはじめ、そこで不足の資料は1か月もの間、 ロンドンの大英図書館に通って集めました。大英図書館は、現在は手狭になり近くに近代的な建物を建築しましたが、当時も今も大英博物館のなかにあって、無 料で貴重な資料を提供しています。ですから、マルクスをはじめ多くのすぐれた人びとがここで勉強しました。

 それでは、当時の革命運動に悪い影響を与えた「経験批判論」とはいったいどんな思想でしょうか。「経験批判論」は、ドイツの哲学者リヒアルト・アヴェナ リウス(1843~1896)によって創始された思想です。アヴェナリウス自身の考え方はきわめて難解でしたが、オーストリアの物理学者エルンスト・マッ ハ(1838~1916)がそれをやさしく説明するのに成功しました。マッハは音速の単位にその名をつけられているところからもわかるように、大物理学者 です。その物理学上の名声もあいまって「経験批判論」はマッハ主義とも呼ばれ、おおいに普及されました。これがロシアの革命運動に影響を与えたのです。
 「唯物論と経験批判論」は全体として6章にわかれ、それぞれが任務をもって書かれています。「経験批判論と弁証法的唯物論の認識論」という共通の 表題をもった第1~3章は、「経験批判論」、マッハ主義を三つの側面から取りあげています。「経験批判論」、マッハ主義は主観的観念論と不可知論とのいわ ばごった煮です。第1章は主観的観念論の側面から、第2章は不可知論の側面からとりあげています。とくに、第2章では、物質の哲学的概念、客観的真理、相 対的真理と絶対的真理、認識論における実践の基準が論じられています。第3章では、マッハ主義の思想的混乱を分析しながら、相対主義と弁証法との区別が論 じられています。
 第4章は、「経験批判論」、マッハ主義に類似する思想が、第5章は自然科学における最新の成果を悪用する試みが分析されています。最後に第6章では史的唯物論、唯物論的歴史観・社会観がとりあげられます。
 私たちの意識には、知・情・意の三つの側面があることを学びました。主観的観念論は個人の意識を根源的であるという考えですが、「唯物論と経験批 判論」では、意識のうちの知に立脚した主観的観念論を分析しています。高度に発達した、そして高度に腐敗した資本主義国であるわが国では、情と意に立脚し た主観的観念論が流行しています。この思想は神秘主義、非合理主義の匂いを発散させています。これを分析するには「唯物論と経験批判論」は多くの示唆を与 えてくれます。

◆マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
 

 マルクスとエンゲルスは、若い頃から共同作業を続けまし た。そのひとつ、しかも重要なひとつが「ドイツ・イデオロギ-」です。二人が本書を書いたのは、1845~46年だといわれています。ドイツにおける出版 事情のために発表されないまま、まだ十分に完成されないままにおわってしまいました。一応全体的な姿で発表されたのは1932年のことでした。しかし、そ れも編集者の、かなり気ままな編集で出版されました。その一部について、旧ソ連の学者によって一応の復元がなされ、日本語にも翻訳されました。
 「ドイツ・イデオロギー」は、その名のとおり、ドイツの1840年代の思想家たちへの批判です。当時ドイツには、たとえば、フォイエルバッハ、ブ ルーノ・バウアー、シュティルナー、カール・グリューン、モーゼス・へスなどの思想家がいました。「ドイツ・イデオロギー」はこれらの思想家たちに鋭い批 判を浴びせかけたのです。ですから、副題には「フォイェルバッハ、B・バウアー、およびシュティルナーを代表者とする最近のドイツ哲学の、そして種々の預 言者たちにあらわれたドイツ社会主義の批判」となっています。
マルクスとエンゲルスはこれらの人びととの闘いのなかで自分たちの思想をきたえあげました。そして、史的唯物論の考え方の基礎を「ドイツ・イデオロ ギー」のなかでつくりあげました。しかし、そのうちもっともまとまった形で発表されているのは「フォイエルバッハ-唯物論的な見方と観念論的な見方との対 立」の部分です。翻訳も大体がこの部分を中心として訳されています。有名な箇所を少しだけ紹介しましょう。
 「われわれが出発する前提はなんら任意のもの、なんら教条ではない。それは、ただ想像のうちでのみ捨象されうるところの現実的な前提である。それは現実 的な諸個人、かれらの行動であり、そして眼のまえにみいだされもすれば自分自身の行動によってつくりだされもするところのかれらの物質的な生活条件であ る。したがってこれらの前提は純粋に経験的なやり方で確認されうるのである」。
 「すべての人間史の第1の前提はもちろん生きた人間個体の生存である。したがって確認されうる第1の事態はこれら個人の身体的粗繊と、そしてこれらによってあたえられるところの、その他の自然へのかれらの関係とである」。
 「....われわれはあらゆる人間的存在の、したがってまたあらゆる歴史の第1の前提を確認することからはじめなければならない。すなわち人間は、『歴 史をつくり』うるためには、生きてゆくことができなければならぬという前提である。ところで生きるのに必要なのはなによりもまず食うことと飲むこと、住む こと、着ること、そのほかなおいくつかのことである」。

 これらがのちに次にみるマルクスの「経済学批判序言」における「史的唯物論の定式化」へとつながっていったのです。私たちは「ドイツ・イデオロギー」に おいて、若き日のマルクスとエンゲルスの思想を知ることができるばかりでなく、二人の熱い息吹きに触れることができます。

◆マルクス『経済学批判・序言』


 「経済学批判」 はマルクスによって1859年6月に刊行されました。題名からもわかるように、本書は経済学の本です。これを哲学的に重要なものにしたのはその「序言」の おかげといって よいでしょう。「序言」はきわめて簡潔で、短いものです。マルクスはエンゲルスとの長い間の研究のすえに到達した立場を叙述しています。 それがいわゆる「史的唯物論の定式」と呼ばれるものです。マルクスは自分の思想形成を簡潔に語りながら、その成果を示しています。その最後のところが感動 的なので紹介 しておきましょう。
  「経済学の分野におけるわたしの研究の過程について以上のよう に概略を述べたのは、ただ、私の見解は、人がそれをいかに判断しようとも、そしてまた、それが支配階級の利己的な偏見と一致するところがいかに少なかろう とも、長年にわたる良心的な研究の成果であることを証明しようとするものにすぎない。だが、科学への入口には、地獄への入口と同じように、つぎの要求がか かげられなければならない。  -ここに一切の疑ぐをすてなければならぬ。いっさいの怯だがここに死ななければならぬ(ダンテ『神曲』)」。

◆マルクス『資本論』


 「資本論」の第1巻は、まから1世紀以上もまえの1867年に刊行されました。それ以来、科学的社会主義に対抗する立場から、もはや「資本論」は古く なった、ということが、しばしばいわれてきました。こうしたことがくりかえしいわれているのは、むしろ逆に、「資本論」がいつまでたっても古くならないか らです。ほんとうに古くなってしまったのであれば、何度もくりかえして、古くなった、という必要もないわけです。
「資本論」は、そのタイトルからも知れるように、資本とはどんなものであるかが考察されています。過去の社会や将来の社会についての言及もあります が、「資本論」の内容のほとんどは、資本主義社会の経済的なしくみの解明にあてられています。端的にいえば、「マルクスの主著『資本論』は、近代社会すな わち資本主義社会の経済的構造の研究にあてられたもの」です(レーニン「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」)。その序文に書かれているように 「資本論」の研究対象は、「資本主義的生産様式であり、これに対応する生産関係と交易関係」です。「近代社会(=資本主義社会)の運動法則を明らかにする こと」が「資本論」の「最終目的」です。「資本論」は、資本主義的生産関係を研究対象として、それを資本家が労働者から剰余価値を取得する搾取関係として 解明することによって、資本主義社会の運動法則を、一般的なかたちで、あきらかにしています。「資本論」は、資本主義社会が存続するかぎり、現存する社会 の経済的なしくみをあきらかにする理論でありつづけるわけで、「過去の理論」になることはないのです。
 ところで、「資本論」であきらかにされている「運動法則」は、反復的な法則だけではありません。マルクスは、「第2版あとがき」で、自分の方法が 弁証法的方法であることを強調しながら、「それ(=弁証法) は、現状の肯定的理解のうちに同時にまたその否定、その必然的没落の理解を含み、いっさいの生成した形態を運動の流れのなかでとらえ、したがってまたその 過ぎ去る面からとらえ、なにものにも動かされることなく、その本質上批判的であり革命的である」と述べています。つまり、「資本論」では、資本主義社会が あるがままに解明され、資本主義社会そのものの生成・発展・没落の必然性という法則もあきらかにされているのです。
 つぎに、科学的社会主義における「資本論」の位置を考えてみましょう。レーニンは、マルクスの経済学を、「マルクス主義の主要な内容であるもの」 と述べています(「カール・マルクス」)。さらに、経済学のうちでも「剰余価値説は,マルクスの経済理論の礎石である」と述べています(「マルクス主義の 三つの源泉と三つの構成部分」〕。レーニンがこのように述べるのも,史的唯物論(唯物史観ともいいます)の発見と、剰余価値生産の秘密の暴露によって,マ ルクス以前には空想的社会王義だった社会主義が科学になった,つまり科学的社会主義になったからです。さらに,史的唯物論の適用をつうじて資本主義の運動 法則が解明されたということは,史的唯物論の正しさが現実の社会のなかで検証されたわけで,レーニンも「いまでは-『資本論』が出現してからは-,史的唯 物論はもう仮説ではなくて,科学的に証明ずみの命題である」と述べています(「人民の友」とはなにか」)。つまり,「資本論」の出現により史的唯物論が証 明ずみの命題となり,この史的唯物論と,「資本論」で展開された剰余価値論とによって,社会主義は空想的社会主義から科学的社会主義に発展したのです。 「資本論」は,科学的社会主義の全体を支える支柱といえます。
 「資本論」の内容を,簡単にみておきましょう。「資本論」は,第1巻「資本の生産過程」、第2巻「資本 の流通過程」、第3巻「資本主義的生産の 総過程」からなります。マルクスのほんらいの計画では,「剰余価値学説史」が,第4巻としてこれにくわえられるはずでした。「資本論」の3つの巻の内容的 関連については,「資本論」自体にも,コンパクトに説明されている部分があります。第1巻第7篇の冒頭には,「蓄積過程の純粋な分析」とのかかわりで, 「資本論」の3つの巻の関連がまとめられています。また,第3巻第1章の冒頭では,三つの巻の内容的関連とのかかわりで第3巻の課題がしめされています。 「資本論」の第1巻と第2巻では,ともに資本の本質的な考察がなされています。資本は,貨幣→生産諸要素→商品→貨幣と姿をかえながら存在します。しか し,貨幣や生産手段や商品は,それ自体としては資本ではなくて,資本主義的生産関係のもとにおかれたときに資本になります。その意味で,資本は階級関係. 搾取関係を含んでいます。
 「資本論」第1巻では、この階級関係、搾取関係という視点から,資本の生産過程を分析対象として,資本の本質的な考察がおこなわれています。他 方,貨幣や生産手段や商品は,それらが貨幣や生産手段や商品でありつづけるならば,やはり資本ではありません。貨幣→生産諸要素→商品→貨幣という運動の なかに存在することによって,資本になります。「資本論」第2巻で,この運動という視点から,資本の流通過程をも視野にいれて,資本の本質的な考察がおこ なわれています。「資本の循環」,「資本の回転」,「社会的総資本の再生産と流通」が扱われ,ことに第3篇では,こんにちの日本経済の「輸出依存体質」を 根本から把握するさいにふまえるべき内容が展開されています。諸資本の相互連関の問題や剰余価値の実現にたいする消費の側からの制限の問題を考えるさいの 基礎となる内容が扱われています。
 
 第3巻では,第1巻と第2巻の本質的考察をふまえて,利潤,商業利潤,利子,地代などの「全体として見た資本の運動過程から出てくる具体的な諸形態」 が,本質的・抽象的なものから現象的・具体的なものへと展開されています。「資本論」では,こうした展開のなかで,資本主義社会が搾取にもとづく社会であ りながら,同時に搾取を隠蔽するしくみを内包しているしだいが解明されています。

◆マルクス『賃労働と資本』、『賃金・価格・利潤』


 「資本論」は,マルクスがみずからの手紙のなかで述べて いるように,「一つの芸術的な全体」をなす長大な文献です(1865年7月31日,エンゲルス宛)。「包括的でしかも部分的には難解な著作」であり読破と 消化のために時間を必要」とします(1867年10月11日,クーゲルマン宛)。長編小説を読むようなぐあいに気楽に読みさるわけにはいきません。「資本 論」に挑戦するには,どうしても一定の準備が必要です。そうした準備にうってつけなのが,「賃労働と資本」と「賃金・価格・利潤」です。いずれも,マルク ス自身が執筆・講演した経済学の入門書で,古典のなかでは比較的平易なので,資本主義経済のしくみの骨子がよくわかります。
 「賃労働と資本」(1849年)は,「われわれは,現在の階級闘争や民族闘争の物質的基礎をなしている経済的諸関係をこれまで説明しなかった」と いう一文ではじまっています。これは,第1章の冒頭で「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」という一文ではじまる、「共産党宣言」に対 応するものです。「賃労働と資本」は,階級闘争の物質的基礎をなす経済的諸関係を初学者にもわかりやすいかたちで説明することによって,経済的土台の面か ら「共産党宣言」をうらづけるものとなっています。エンゲルスの序論に書いてあるように,現行の「賃労働と資本」は「資本論」の成果をふまえて改訂された ものです。エンゲルスの序論では,労働と労働力の差異が論じられ,搾取の秘密があきらかにされています。
 「賃金・価格・利潤」は,1865年の第1インターナショナルでの講演をもとに,1898年に刊行されたものです。「資本論」第1巻の刊行を目前 にしたマルクスが,「資本論」の重要な内容を「極度に圧縮されているとはいえ比較的一般向きな形」で述べています(1865年6月24日,エンゲルス宛の 手紙)。

◆レーニン『帝国主義論』


 「帝国主義論」(1917年)は,マルクスの「資本論」をまっ すぐに継承しながら,独占段階の資本主義にそくして創造的に発展されたものです。レーニンが「資本論」を創造的に発展させたことのもつ意義は,「帝国主義 論」執筆の背景をみると新鮮になります。レーニンは,第1次世界大戦が勃発した直後,「社会主義者にとってもっとも苦痛なことは,戦争の災禍ではなく,こ んにちの社会主義の指導者の裏切りという災禍であり,こんにちのインタナショナルの崩壊という災禍である」と述べています(「ヨーロッパ戦争と国際社会主 義派」)。当時,国際的社会主義運動と労働運動は,第2インタナショナルを中心として展開されていました。第2インタナショナルは,第1次世界大戦にさき だって,戦争の可能性を予見し,くりかえして反戦を決議しました。ところが,ひとたび戦争がおこると,第2インタナショナル傘下の社会主義政党や指導者た ちは「祖国擁護」の名のもとに戦争協力にはしり,第2インタナショナルは崩壊したのです。
 この崩壊の背景として,当時の資本主義が新しい段階(独占段階)に移行しており,「資本論」だけではかならずしも十分に解明できない諸現象があら われていたことがあげられます。そうした「新しい資本主義」のもとでの大戦は,どちらの側からみても帝国主義戦争だったわけですが,第2インタナショナル の指導者たちは,「新しい資本主義」のしくみを解明できず,戦争の性格を見誤ったのです。指導者のあいだには,ベルンシュタインのように,新しい現象をま えにして,マルクスの 「資本論」は資本主義の現実と一致しなくなったと主張し,マルクス主義を修正しようとする傾向が生まれていました。こうした傾向にたいして,カウツキーが 当時の正統派の立場からの詳細な反批判をおこないましたが,「新しい資本主義」が資本主義であることを確認するにとどまり,「新しい資本主義」のしくみを 解明するにはいたりませんでした。第2インタナショナルは,「新しい資本主義」を根本的に解明する理論をもたないまま第1次世界大戦に直面し,各国の指導 者たちがこの大戦を自国にとっての防衛戦争と性格づけたことによって,崩壊したのです。
 こうしたわけで,「帝国主義論」では,その序文にも書かれているように,当時の第2インタナショナルの指導者たちの思潮にたいする批判に特別の注 意がはらわれています。また,第1次世界大戦が,「両方の側からして帝国主義的な(すなわち侵略的な,略奪的な,強盗的な)戦争」としてしめざれているば かりでなく,「最初の帝国主義世界戦争」とよばれているように,独占資本主義のもとでは一度かぎりのものでないことがしめされています。レーニンがそうし た立場に立てたのも,「資本論」をまっすぐに継承しながら創造的に発展させて,「新しい資本主義」を資本主義の発展段階として根本的に解明したからにほか なりません。
 レーニンは,「新しい資本主義」,つまり帝国主義を,「5つの基本的標識」をしめしながら,つぎのように定義しています。「帝国主義とは,独占体 と金融資本との支配が形成されて,資本の輸出が顕著な意義を獲得し,国際トラストによる世界の分割がはじまり,最大の資本主義諸国による地球の全領土の分 割が完了した,そういう発展段階の資本主義である」(第7章)。ここには,なによりも,帝国主義が資本主義であることが明確にしめされています。帝国主義 は,資本主義であるがゆえに,「資本論」という資本主義経済の一般理論によって基本的に,かつその根本から解明されうるのです。同時に,レーニンの定義で は,帝国主義がたんに資本主義として確認されるだけでなくて,特殊な発展段階にある資本主義としてしめされています。「帝国主義論1という資本主義経済の 特殊理論によって,特殊な発展段階に特有な諸現象が,一般的基礎をふまえながら具体的に解明されうるわけです。
 「私はこの小冊子が,それを研究しないでは現在の戦争と現在の政 治を評価するうえでなに一つ理解できない基本的な経済問題,すなわち帝国主義の経済的本質の問題を,研究する助けとなることを期待したい」と序文に書かれ ているゆえんが,ここにあります。こんにちの日本も独占段階の資本主義ですから,こんにちの日本の社会を経済学的に把握するさいにも,「資本論」を一般的 基礎としながら「帝国主義論」の内容をふまえることが必要です。多国籍企業が地球をほしいままに食い荒らしているいま,「帝国主義論」学習の意義はますま す大きくなっています。

◆マルクス、エンゲルス『共産党宣言』/エンゲルス『共産主義の原理』


 「共産党宣言」は1847年,マルクスとエンゲルスが共産主義者同盟の委任をうけて,この同盟の綱領として書いた書物で,科学的社会主義の理論を簡潔にはじめて体系化した古典です(1848年出版)。全体は4つの章からなっています。
第1章「ブルジョアとプロレタリア」では,古代以来の階級闘争の歴史上で,「ブルジョアジーは歴史上きわめて革命的な役割を演じてきた」として,資 本主義社会がいかに大きな変化をもたらしたかをのべたあと,ブルジョア社会が当時新しい矛盾に直面していることを指摘しています。その最大のものは恐慌で すが,それだけでなくプロレタリアートの発展がブルジョア階級をおびやかしているのです。プロレタリアははじめ個々のブルジョアとたたかいますが,やがて そのたたかいは政治闘争に発展します。「あらゆる階級闘争は政治闘争である」「これまですべての運動は,少数者の運動か,あるいは少数者の利益のための運 動であった。プロレタリア運動は大多数者の利益のための大多数者の自主的な運動である」とのべています。
 第2章「プロレタリアと共産主義者」では,共産主義者がなにをしようとしているかをのべて,非難にこたえています。それは,共産主義者は他の労働 者党と対立するものではないこと,所有一般を廃止するのではなくブルジョア的所有を廃止すること,自由の廃止もブルジョア的自由の廃止であること,祖国を 廃止するのではなくプロレタリアを国民的階級の地位へ高めること-国民による他の国民の搾取も廃止すること,思想的にも従来の諸思想からもっとも徹底的に 絶縁すること,などです。そして当面の政策として,土地の国有化,強度の累進税,相続税の廃止など10項目をあげています。
 第3章「社会主義的および共産主義的文献」では,さまざまなタイプの社会主義をあげて,これを批判しています。そこでは当時の「反動的社会主義」 として,封建的社会主義,小ブルジョア社会主義、ドイツ社会主義または「真正」社会主義があげられ,つぎに保守的またはブルジョア社会主義と空想的社会主 義があげられています。
 第4章「さまざまな反政府党にたいする共産主義者の立場」ではフ ランス,スイス,ポーランド,ドイツの反政府党についてのべたのち,「共産主義者は、どこでも、現存の社会状態および政治状態に反対するあらゆる革命運動 を支持する」として「万国のプロレタリア団結せよ」という有名な言葉でしめくくっています。

 『共産主義の諸原理』(1847年)は、エンゲルスがQ&A形式で共産主義とは何かを説明したもので、これを草案として「共産党宣言」がつくりあげられたといわれています。現在でも共産主義について説明するときに大へん役に立ちます。

◆マルクス『フランスにおける階級闘争』『ルイ・ボナバルトのブリュメール18日』『フランスにおける内乱』

 これはマルクスが当時のフランスの具体的な政治情勢を分 析した「フランス3部作」といわれるもので,理論的にもマルクスの国家論を理解するうえで古典となっているものです。「フランスにおける階級闘争」は 1848年の2月革命から18則年までの情勢を史的唯物論の立場から分析し,ここではじめて「プロレタリアートの執権」(今日では「権力」という表現を 使っています)という言葉を使い,また生産手段を労働者階級の支配下におくことによって,「賃労働と資本の廃止」が実現できることを,はじめてあきらかに しました。
 「ルイ・ボナバルト」は上の書物の続編で,ルイ・ポナパルトが48年革命のあと大統領となり,1851年12月のクーデタでナポレオン3世として 皇帝になっていく間の情勢を分析しています。「ブリュメール18日」というのはフランス革命の革命暦ブリュメール(霜月)の18日(西暦では1799年 11月8日)にナポレオンがクーデタをおこしたことをさし,ナポレオン3世のクーデタは彼の伯父にあたるナポレオン1世のクーデタの「再版」だといってい ます。この書物は,政治過程は階級闘争によって規定されることをあきらかにし, ナポレオン3世のクーデタはけっして個人的な野心によるものではなく,ブ ルジョア民主主義の矛盾のあらわれであるとして,労働者階級の指導する労農同盟の重要性を説いています。
 「フランスにおける内乱」はパリ・コミューン(1871年)の分析ですが,国際労働者協会(第1インターナショナル)総評議会の訴えとして書かれ たものです。このなかでは,労働者階級はブルジョア階級の国家機構をそのまま使うことはできないとして,その根本的改革の方向をしめし,「同時に執行し立 法する行動的団体」としてのコミューンを,「ついに発見された」労働者階級の政府とよんでいます。
 なおエンゲルスは「フランスにおける階級闘争」の1895年版に 長文の序文をつけ,労働者階級が普通選挙権を獲得した現在では,「自覚した少数者が遂行した革命の時代は過ぎ去った」「バリケードによる市街戦ははなはだ しく時代おくれ」といって,多数者革命を主張し,議会をつうじて平和的民主的に社会変革をすすめる可能性をしめしました。この見地は,今日の日本のような 発達した資本主義国における革命の問題を理解する上で,重要な示唆をあたえるものです。

◆マルクス『労働組合-その過去・現在・未来』

 この論文は1866年にひらかれた国際労働者協会(第1 インターナショナル)のジュネーブ大会に,イギリスから出席した代表団の見解のなかの第6項目にあたる労働組合の役割にかんする部分で,マルクスが起草し たものです。極めて短いものてすけれども,労働組合運動の100年近い経験を総括して科学的水準にまで理論化したもので,労働組合運動にかんする科学的社 会主義の最初の綱領的文書といわれていま す。レーニンはこの論文について,「経済闘争の意義を正確に指示し,一方ではその意義の過大視(これは当時イギ リスの労働者のあいだにみられた)にたいして,他方ではその意義の不十分な評価(これはフランス人とドイツ人,とくにラサール主義者のあいだにみられた) にたいして,社会主義者と労働者に警告した」ものといっていますが,この言葉がこの論文の目的をはっきりとしめしています。
 「その過去」のところでは,初期の労働組合の活動は賃金と労働時間の問題にかぎられていたが,それは当然のことで,資本主義社会ではこういう活動なしにすますわけにはいかないし,こういう活動をつうじて組織化がすすんできたとされています。

 「その現在」のところでは,労働組合は当面の闘争に没頭しさっていたのだが,最近になって「自分の偉大な歴史的使命にいくらか目ざめつつあるようにみえる」として,労働組合が政治運動に参加しつつあることを指摘しています。
 「その未来」では,労働組合は当面の目的以外に「労働者階級の完全な解放という広大な目的」のために,組織化の中心とならなければならず,また, 同じ目的をめざしているあらゆる社会運動と政治運動を支援し,非組合員を組合に参加させるよう努力しなければならない,といっています。そして最後に労働 組合は自分たちだけの利益のために活動するのではなく,「ふみにじられた数百万の大衆の解放を目的とするものだ」といって,労働者階級のたたかいが全人類 の解放のためのたたかいであることをあきらかにしています。

◆エンゲルス『家族、私有財産および国家の起源』


 家族も私有財産も国家も,大昔から永遠の未来まで変わることなくつづいているものではなく,歴史上のある時期に生まれ,さまざまな変化をとげ,いずれは消滅するということを主張した書物です。全体は9章からなっています。

まずエンゲルスは,アメリカのインディアンを研究したモルガンの「古代社会」によりながら,人類史を野蛮,未開,文明と分け,家族形態の変化をたどり,母 系制から父系制への移行を「女性の世界史的敗北」といっています。現代の家族は1夫1婦の単婚家族ですが,これは未開期の後半に成立したとされています。 そしてエンゲルスは近代のブルジョア的な1夫1婦制は欺瞞的で,愛のなくなった男女が形だけ夫婦となっているといいます。
つぎに原始社会の氏族制についてのべ,そのなかで私有財産制が発達してくると階級対立が生じ,階級支配を永久化するための制度として国家が発生する としています。そしてエンゲルスはアテネとローマとゲルマンの3地域について,国家の成立の経過を分析したのちに,氏族社会と国家との違いを3点にまとめ ています。第1点は血縁ではなく地域ごとの結合であること,第2点は公的な権力をもつこと,第3点は権力を維持するために租税をとりたてることです。国家 は外からおしつけられたものではなく,氏族社会の内部からあらわれるものですが,しかしやがて社会の上に立つようになります。国家は階級支配と抑圧の機関 ですから,階級がなくなれば国家もなくなります。「生産者の自由かつ平等な連合の基礎の上に生産を新たに組織する社会」では,国家は「紡車および青銅の斧 といっしょに古物博物館へ」うつされるだろうと述べています。
 最後にエンゲルスは文明の3段階として古代の奴隷制,中世の農奴 制,近代の賃労働制をあげ,これによって富は大きく増加したけれども,大多数の被搾取階級の状態はますます悪化してきたといっています。 なお,この書物 のうち家族の成立にかんする部分は,その後の研究の発展によって現在では修正が必要となっていますので,不破哲三「講座『家族,私有財産および国家の起 源』入門」(新日本出版社)をあわせて読むことをおすすめします。

◆マルクス『ゴータ綱領批判』


 正式の題は「ドイツ労働者党綱領評注」。ドイツではラサールが1863年に全ドイツ労働者同盟をつくり,ベーベルらが1869年にドイツ社会民主 労働者党(アイゼナッハ派)をつくりますが,この両派が1875年に合同して,ドイツ社会主義労働者党(1890年にドイツ社会民主党と改称)を結成しま す。そのとき採択されたのがゴータ綱領ですが,この綱領にはドイツの労働運動の右翼的潮流を代表していたラサールの主張が大幅にとりいれられたので,マル クスがこれを批判したのが本書です。しかしこの綱領が改定された1891年まで公表されませんでした。
 マルクスは社会主義や共産主義の社会がどのようなものになるか,ということについては,きわめて抽象的なことしかのべていませんが,この 「ゴータ綱領批判」はそのなかでやや具体的なことをのべた唯一のものです。この書物の意義は.資本主義と共産主義とのあいだには政治上の過渡期があり,その時期の国家は労働者階級の権力(執権)であること,共産主義社会には「いまやっと資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会」と「より高い段階の共産主義社会」とがあるということを,あきらかにした点にあります。

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食と農の徹底破壊=安倍農政「改革」、日本農業守れ

【このページの目次】
◆安倍「農政改革」リンク集
◆安倍農政「改革」の動向
◆「農林水産業・地域の活力創造プラン」(安倍「農政改革」)あらまし
◆コメント・安倍「農政改革」=農政破壊プラン
◆農協「改革」めぐる鋭い対立
◆紙=亡国安倍農政「改革」
◆TPP問題資料
◆共産党政策=農業つぶしのTPPと農政「改革」に立ち向かい、農地と地域農業をまもる農業委員会に
◆共産党政策=TPP交渉への参加は日本をアメリカに丸ごと売り渡すことになる
◆共産党政策=農業再生の方向

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◆◆安倍「農政改革」リンク集
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◆当ブログ=新TPPは何をもたらすか
http://blog.livedoor.jp/kouichi31717/archives/57886740.html?p=3

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★紙=安倍「農政改革」日本の農業・農村を崩壊に導く(参院質疑40m)14.05.14
https://m.youtube.com/watch?v=SVT34CSHT_U

★紙=農家の多数切り捨て(参院)20m14.05.15
https://m.youtube.com/watch?v=Ty8ck5chM3M

★紙=TPP交渉即時撤退を 牛肉などの「合意」批判 (参院)21m 14.05.15
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★紙=国会決議違反 TPP撤退決断を(参院)36m
https://m.youtube.com/watch?v=SGegIGG50oE

★なぜ希望は消えた?あるコメ農家と霞が関の半世紀 78m- FC2
http://video.fc2.com/content/20140210Kezwt6FZ

★コメ貿易の背徳48m - FC2
http://video.fc2.com/content/20140210wsLg0Pbk

★JNPC講演・鈴木宣弘東大教授=TPPのねらい90m
http://m.youtube.com/watch?v=Q2dhD48x_2k

★TPP アメリカ企業による海外政府支配の目論見(ISD条項など). - FC2
http://video.fc2.com/content/20130410kazxT06L

★米国医療の実態 「シッコ」上映後 → TPP加盟の未来? 岩上安身氏 講演 - 56mFC2
http://video.fc2.com/content/201206057r9BQbm4

★中野剛志=ニコ生出演「だからTPP参加はダメなんだ!」70m - FC2
http://video.fc2.com/content/20111109YC6YsEAu
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◆◆安倍農政「改革」の動向
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◆◆食料自給率38% 過去2番目の低さ

2018年8月9日赤旗

 農林水産省が8日発表した2017年度の食料自給表によると、供給熱量でみた17年度の日本の食料自給率は38%と、前年度と変わらず、過去2番目の低い水準でした。生産額でみた食料自給率は65%と、前年の67%から2ポイント低下しました。

 農水省によると、前年に天候不順で減少した小麦、テンサイの生産が回復しました。一方、食料消費全体に占める米の割合が減少したことや、畜産物における需要増に対応して、国産品が増加したものの、輸入品がより増加したことなどにより、38%となりました。

◆◆食料自給率いぜん38%
赤旗18.08.21
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◆◆なんだっけ廃止された種子法/新たな法律を実現しよう

2018年7月22日赤旗

 Q 4月に廃止された種子法ってなんですか?

 A 正式な名前は「主要農作物種子法」で、主要な作物である米、麦、大豆の種子を国や都道府県が開発、管理し、普及する根拠となる法律でした。地域の風土に合った種子を開発して、安価に供給することで、農家の生産を支えてきました。しかし昨年4月、自民、公明などの賛成多数で廃止法が成立。ことし4月1日に廃止されました。「企業が種子分野に参入するのに障害になっている」など、財界が内閣府の規制改革推進会議などの場で主張していたものです。

 Q 廃止されたことで、どんな影響が出ますか。

 A 種子法は都道府県が種子を開発する予算の根拠になってきました。廃止により予算が減って、研究開発が弱まる危険があります。多国籍企業が種子の供給を支配して、種子価格が高騰したり、遺伝子組み換え種子が多く出回ったりするのではないかという不安の声が広がっています。

 Q 消費者にとっても心配です。これからどうすればいいのでしょう。

 A 農協や生協などの「日本の種子(たね)を守る会」が取り組んだ公共品種を守る新しい法律を求める署名は13万人分が集まっています。新潟県、兵庫県、埼玉県などで種子を守る独自の条例が全会一致で制定されました。国会では、日本共産党などの6野党・会派が復活法案を提出し、委員会で質疑も行われました。都道府県が種子の開発・普及などに責任を持って取り組めるよう、新たな法律を実現していくことが求められます。

 (2018・7・22)

◆◆18年の農業・農村=暴走農政の転換で展望開こう

2018年1月12日主張

 国連が昨年末、2019年から28年を「家族農業の10年」に指定し、国際社会が小規模・家族農業の重要な役割を認識、支援することを呼びかけました。輸出偏重や企業的農業の推進がもたらした、貧困・飢餓の拡大、地球環境の悪化を解決するには、地域に定着する家族農業を守り発展させることが不可欠となっています。日本の農業・農村も、輸入自由化や大規模化推進の下で、農業者の減少と高齢化が進み危機が広がります。先進国で最低の食料自給率は38%に低下しました。家族農業を中心に本格的に農業を再生する農政に転換することは、切実な課題です。

◆財界言いなりの安倍政権

 安倍晋三首相は政権復帰後の5年間、農業・農村を脅かす暴走を続けてきました。農業者・国民の強い反対を無視しTPP(環太平洋連携協定)批准を強行、トランプ米政権が離脱したもとでもTPPに固執するなど農産物の際限のない自由化に突き進んでいます。

 国内農政でも、競争力強化の名の下に大規模化、効率化一辺倒の路線を押し付け、戦後農政の根幹であり家族経営と地域農業を守ってきた農地・農協制度の解体を進めています。昨年は、主要農産物種子法を廃止し、多国籍種子企業の種子支配にも道を開きました。

 今年は、日欧EPA(経済連携協定)や「TPP11」の調印・批准の強行、日米交渉でもTPP以上の譲歩を重ねようとしています。米政策では、生産調整の政府による配分を廃止、米農家の収入の一部となってきた米直接支払交付金(10アール7500円)もなくします。主食の需給や価格安定に対する責任の完全放棄です。生鮮食料品の流通と公正な価格形成に役割を果たしてきた卸売市場を民間企業に委ねようとしています。

 いずれも現場の声に耳を貸さず、規制改革推進会議などでの財界の主張をそのまま押し付けたものです。「企業が一番活躍できる国」の農政版にほかなりません。国連が呼びかける「家族農業の10年」に逆行することは明らかです。

 「こんな政治が続いたら地域がなくなる」。保守層を含め多数の農業者・住民と安倍政権との矛盾を劇的に広げています。最近の国政選挙で、野党と市民の共同候補が勝利する農村地域が生まれた背景の一つには、農政不信があります。「安倍農政ノー」の声を地域ぐるみで結集し、共同の流れをさらに発展させようではありませんか。

 多くの国民も、農村の荒廃に胸を痛め、政府の調査に回答者の9割が「食料は高くても国内産で」と答えています。農山村の多面的な価値にひかれ、移住する都会の若者が増えるなど「田園回帰」の流れも着実に広がっています。生産者や消費者、行政や農協などが共同し、地産地消や地域循環型の地域づくりも各地で活発です。これらは、農業つぶしの悪政を転換する国民的多数派の形成が可能であることを示すものです。

◆多様な家族経営成り立つ

 日本共産党は、農業を国の基幹的生産部門として位置づけ、食料自給率の向上を国政の柱に据えることを提起しています。輸入自由化や競争力一辺倒でなく、価格保障や所得補償で大小多様な家族経営が安心して生産に励める土台づくりを重視します。政府の農業つぶしをやめさせるための国民的運動の発展に全力を尽くします。

◆◆種子法廃止のねらい=食の源を守ろう
赤旗18.01.08
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◆◆総選挙と農業・農村=安倍農政ストップのチャンス

2017年10月14日赤旗主張

 民意踏みつけ、国政私物化、憲法破壊を重ねた安倍晋三政権は、農業分野でもTPP(環太平洋連携協定)の国会批准強行、コメ政策からの撤退、農協「解体」、種子法廃止など農業つぶしの暴走を繰り返してきました。農業と農村の崩壊の危機が広がるなか、「もう我慢も限界」との声が広がっています。今度の総選挙は、安倍農政に「ノー」の審判を下し、政治と農政を大本から変えるチャンスです。

◆異常な市場まかせ転換を

 安倍政権は「企業がもっとも活躍できる国」を公言し、大企業の利益第一で農業つぶしに突き進んできました。農業破壊のTPPを強行し、日欧EPA(経済連携協定)でもTPPを上回る譲歩を受け入れるなど農産物の際限のない自由化を推進しているのは、その最たるものです。

 国内農政でも、「競争力強化」を叫び、農業に画一的な大規模化やコスト低下を押し付け、中小の家族経営を「非効率」と切り捨ててきました。企業参入を広げるために、農地・農協など戦後の家族農業を支えてきた諸制度を次々に壊しているのも、その一環です。

 コメ政策では、コメの直接支払交付金(10アール7500円)を2018年産から廃止し、生産調整の配分からも撤退してコメの需給や価格を全面的に市場にゆだねようとしています。「競争力のない農業はつぶれてもかまわない」という無責任な農政にほかなりません。

 重大なのは、このような農政が、農業者や農村の声にまったく耳を貸さず、規制改革推進会議の財界側の委員などの主張そのままに繰り返されていることです。

 安倍首相が執念を燃やす農協「改革」は、今日の農業危機の責任を農協に転嫁し、農業破壊の悪政から国民の目をそらす狙いがあると言わざるをえません。安倍政権が続く限り、日本の農業と農村の崩壊がいっそう進み食料自給率がさらに低下するのは必至です。

 農業と農村は食料と国土・環境・文化を支える社会の基盤です。だからこそ、先進諸国の多くは、政府がそれぞれの条件に応じて手厚い保護を行っています。国際的にも異常な市場まかせの農政を根本から転換し、国の責任で再生に踏み出すことはまったなしです。

 日本農業新聞の調査では、農政モニターの68%が「安倍農政を評価しない」と答え、官邸主導の農政の在り方に約8割が反対しています。国政私物化や憲法破壊の暴走には農村からも厳しい批判が上がっています。農業者の積年の思いを晴らすためにも、いまこそ農村から安倍政治「ノー」の声を結集しようではありませんか。

◆基幹的な生産部門として

 日本共産党は、TPPでも、農業つぶしの農政「改革」でも、安倍政権の暴走にきっぱりと対決し、農業の将来を真剣に考える多くの農業・農村関係者との共同の発展に力を尽くしています。農業を国の基幹的な生産部門に位置づけ、38%に低下した食料自給率の50%早期回復を国政の柱にすえて、再生に全力を挙げている党です。

 政策を投げ捨て議員バッジにしがみつく動きが横行する中、「安倍政治と対決し、ぶれずに共闘を追求する共産党」と期待も寄せられています。日本共産党を大きく伸ばし、市民と野党の共闘をさらに発展させることが、農業と農村の再生に向けた確かな道です。

◆◆総選挙=安倍農政ノーの審判を
(赤旗17.10.13)
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◆◆農家の戸別所得補償の復活を
(赤旗17.09.06)
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◆◆農業担い手不足・農地荒廃(赤旗17.08.22)
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◆◆食料自給率異常な落ち込み=背景に輸入自由化
(赤旗17.08.24)
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◆◆食料自給率38%に下がる 昨年度

2017年8月10日朝日新聞

 農林水産省は9日、2016年度の食料自給率(カロリーベース)が38%だったと発表した。前年度まで6年連続で39%だったが、北海道の台風被害による小麦の生産減などが響いた。政府は2025年度までに45%に高める目標を掲げるが、達成は厳しい状況だ。

 自給率は、国内で消費される食料のうち、家畜のえさも含めて国産でまかなえている割合で、コメが大不作だった93年度の37%に次ぐ過去2番目の低さだった。台風被害などで、小麦とテンサイの生産量が前年度より2割ほど落ち込んだ。自給率が高いコメの消費が減り続ける一方、輸入が多い肉や油脂の消費量が増えてきたことも、長期的な低下傾向の背景にある。

 一方、野菜や魚介類の比重が大きくなる生産額ベースの自給率は、前年度より2ポイント高い68%と、2年連続で上昇した。

 (山村哲史)
◆◆生産調整・直接交付金を政府が廃止
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◆◆農業者「収入保険制度」農家・行政から不安が
(赤旗17.08.03)
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◆◆種子法の廃止=国民の財産“たね”を守ろう

2017年7月17日赤旗主張

 主要農作物種子法(種子法)が来年3月末に廃止されることに農業などの現場で不安や危ぐの声が広がっています。種子法は稲、麦、大豆の種子の生産、普及を国が責任をもって都道府県に義務付けてきました。安倍政権は先の通常国会で消費者や農家、研究者などの反対を押し切って廃止を強行しました。しかし廃止方針への批判の広がりに国も都道府県の関与を残すといわざるを得なくなっています。種子は農業や食料生産の基盤であり、国民の共有財産です。種子を守るために国に責任を果たさせていくことが必要です。

◆農業・食料生産の基盤

 種子法は戦後の食糧増産を目的に1952年につくられました。同法のもと、都道府県はそれぞれの気象や土壌条件に合わせた稲や麦、大豆の奨励品種を決めて、その種子を増やし、農家に安定的に安価な種子として供給してきました。国はそのために農業試験場などに財政支援をしてきました。国内で生産される米の種子は100%自給です。南北に長い日本で、地域の特性にあって栽培しやすく、しかもおいしいお米が時間と労力をかけて開発され、その数は300品種にのぼります。種子はもっとも基礎的な農業生産資材であり、大切な遺伝資源です。安倍政権は、種子法の仕組みを「農業競争力強化プログラム」の一環として解体しようとしています。

 政府は種子法が「民間の品種開発意欲を阻害している」といいますが、制度上、民間参入は可能です。むしろ別の法律で「都道府県が有する種苗の生産に関する知見の民間事業者への提供を促進する」と決めたように、都道府県が積み上げた技術やノウハウを民間企業へ明け渡させることを狙っています。日本は遺伝資源、特に稲の資源で最も豊かな国の一つと言われ、世界の種子を支配するバイオ企業にとっては注目の的です。遺伝子組み換え作物の種子で有名なモンサント、デュポンなど大手8社が世界の商品種子市場の7割以上を占めるなど種子支配を強めています。日本の種子市場が多国籍企業に支配される懸念も指摘されています。

 今でも民間企業の種子の価格は、都道府県の開発品種の5~10倍の価格です。公共の品種がなくなれば、採算が合わず撤退する農家も生まれます。国会の論戦では、種子生産・普及体制の弱まりや民間企業による種子独占、高価格化などさまざまな問題が浮き彫りになりましたが、政府はまともに答えませんでした。農業競争力強化どころか、日本の農業を弱体化させ、安全・安心な食が失われるなど消費者にとっても大問題です。

◆公的機関のかかわりを

 廃止が決まった後も、農水省が各地で開いた説明会で「現場が混乱する」「種を確保できるのか」などの声が相次ぎ、中国地方知事会は都道府県の役割・位置付けの明確化や予算確保を求める共同アピールを採択しました。消費者団体や農業団体などが集い、公共品種を守る運動を始めています。

 種子の役割は重要であり、その開発・生産、普及などに公的機関のかかわりが引き続き求められます。各地の農業試験場や奨励品種制度の維持、種取り農家の保護などが必要です。種子を国民の共有財産として守り、残すための運動が重要となっています。

◆◆まやかしの農業収入保険
(赤旗17.05.23)
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◆◆種子法廃止=多国籍企業が独占ねらう
(赤旗17.05.23)
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◆◆種子法廃止法=食料主権を危険にさらす
(赤旗17.04.11)
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◆◆農業競争力法案=競争偏重は崩壊を加速させる

2017年3月6日赤旗主張

 安倍晋三政権は、環太平洋連携協定(TPP)の発効が見込めない中でも、「アベノミクス」の柱として農業「改革」を推し進める法案を急いでいます。農業の「競争力強化」プログラムにそって今国会に8本の法案を提出する予定で、これまでに、農業競争力強化支援法案、主要農作物種子法(種子法)廃止法案、農業機械化促進法廃止法案などを閣議決定し、収入保険制度や生乳生産者補給金制度の改定などの法案を準備しています。

◆危機を招いた農政の強化

 日本の農業はいま、重大な困難に直面しています。政府・財界も日本農業の「競争力」強化には、農業者の所得増大が必要としています。当面する農業の危機、農業所得の減少は、長年の自民党政治が農産物の自由化・市場開放を推し進め、諸外国に比べ自然条件や内外格差などに多くの困難を抱えざるを得ない農業の支援制度を次々と壊してきたことにあります。

 それは国内の農産物価格や所得補償の予算が、欧米に比して極めて低いことにも示されています。価格政策放棄と選別的規模拡大の強化延長では解決できないことは明らかなのに、政府・財界にはそれを改める意思はありません。

 気象や市場の動向に影響を受けやすい農産物の生産と価格は、極めて不安定です。農業所得を増やし、生産を安定させるには、生産資材など経営費の節減が必要です。それには適切な国境措置とともに、生産者価格が一定の水準で安定する価格政策や条件不利地域への所得補償(直接支払い)など、生産者の所得への下支えが不可欠です。主食であるコメの需給調整に国が責任をもつことや直接支払い政策(2017年で廃止)を多くの農業者が支持したのもそのためです。

 安倍自公政権は、発効の見通しのないTPP協定の批准を強行、農産物の関税撤廃・削減や食の安全、医療、公共投資、国の主権放棄であるISD(投資家対国家紛争解決)条項などを受け入れました。それらは、今後の対外経済交渉の出発点となり、大幅な市場開放につながりかねません。

 競争力強化法案では、農業者、関連産業に政府が求める競争力強化策への努力を義務づけています。政府は、介入するものではないといいますが、政権が求める努力をしない農業者・関連業者はいらないというに等しいものです。

 また、農業生産資材の生産・供給や流通関連産業の整理・再編とともに、農協を他の企業と同列に扱うことで、農民の協同組合である農協の事業を縮小・弱体化させるものになっています。種子法廃止は、自治体が責任を持っていたコメ・麦・大豆などの種子の生産・改良・供給の事業を営利企業に明け渡す危険があります。

◆実態を対置し徹底審議を

 政府・財界がこれらの法案で狙うのが、日本の農業と食料の生産・加工・流通を、多国籍企業を含む営利企業に開放することにあることが浮かび上がってきます。

 いま必要なのは、「競争力一辺倒」ではなく、国内生産を維持・発展させるために、国・地域の条件に合わせた生産対策や地域の活性化策など、農業の実情にあった制度・政策です。実態を対置した徹底審議で世論を広げ、競争力強化法などの成立を阻止しましょう。

◆◆17年の農政・農民=食と農、地方の展望開く年に

2017年1月10日赤旗主張

 お正月の帰省や旅行で、ふるさとの料理や行事を楽しみ、日本の食生活や地方の伝統の豊かさを実感した方も多いのではないでしょうか。その農業・地方が大きな困難に直面させられているだけに、日本の農漁業と地方の再生は、2017年の当面する最も切実で国民的な課題の一つです。

◆世界の流れ逆行する政権

 昨年は、安倍晋三・自公政権が強引にすすめた環太平洋連携協定(TPP)の推進や財界主導の農業・農協への攻撃に対し、国民の食料確保や暮らしに大打撃になると、各地でたたかいが広がり、都市と地方、労働者・市民と農業関係者との連携も広がった年でした。7月の参院選でも、野党と市民の共同で野党統一候補が実現した東北・甲信越など11選挙区で勝利し、地方から政権の暴走をストップさせる足掛かりを築きました。

 TPPは、日本はもとより世界各地に貧困と格差を広げてきた「新自由主義」の弊害を一層ひどくすると、日本だけでなく関係国民のなかで批判が広がっています。アメリカではそうした動きとも相まってトランプ次期大統領が離脱を表明、いまや発効の見通しが立たなくなっています。ヨーロッパでも米欧の自由貿易協定(EPA)を含む、「新自由主義」的な政策に、反対や慎重な対応をもとめる声が広がっています。

 安倍自公政権は、これらの世界の流れとは逆に、TPPの承認と関連法の採決を強行するとともに、トランプ氏の翻意を促すなどと表明。交渉中の日欧EPAでは、TPP以上に市場開放を受け入れる合意まで急ごうとしています。

 安倍政権は農業政策では、TPPに対応する農政「改革」だと称して、農業の規模拡大と輸出拡大など国際競争力強化を農業者に押しつけ、それに対応できない農家や地域を切り捨てようとしています。その一方で、歴代政府の農業政策が主因になってきた農業所得の減少を農協などの責任に転嫁し、全農などの事業縮小、単位農協の委託販売中止や信用事業を行う農協を減らすなど、介入的な「改革」を押しつけています。

 これらの農政・農協「改革」は、アメリカや財界の要求で市場開放をすすめ、食料・農業の危機を招いた政治の責任を免れるとともに、協力・共生を基本とする協同組合を「企業が最も活動しやすい国」の障害とみなして解体・縮小し、農業・農協分野への営利企業の進出を野放しにしようとするものです。新しい年には、食料・農業・農協をめぐって国民の側と政府・財界の側との対決が、いっそう激しくならざるをえません。

◆攻撃と立ち向かい共同を

 日本共産党は、今月開く党大会の決議案で、国民生活をめぐる焦点として、格差と貧困をただす課題をあげました。大企業と中小企業、大都市と地方の格差を是正する改革を柱に、農業政策では農産物の価格保障・所得補償など農業者が安心して再生産できる土台をつくり、食料自給率向上を重要な柱にすることを提起しています。

 「新自由主義」とのたたかいをあらゆる分野で大きく発展させなければなりません。幅広い関係者の結集で、TPP関連法を廃止させ、農業・農協つぶしを許さず、農業・地域の再生と経済主権を取り戻す共同のうねりを、農業・農村からまき起こしましょう。

◆◆農協事業の弱体化狙う政府「プラン」決定=企業参入進める

2016年11月30日赤旗

 政府は29日、農林水産業・地域の活力創造本部(本部長・安倍晋三首相)の会合を開き、全国農業協同組合連合会(全農)の事業や生乳の流通を見直すことなどを求めた規制改革推進会議の最終「意見」を盛り込んだ「農林水産業・地域の活力創造プラン(改定)」を決定しました。「世界で一番企業が活躍しやすい国」を掲げる安倍首相は、企業の農業参入を進めるため、農業・農村に強い基盤を持つ農協の事業を弱体化させようとしています。

 農協の販売事業に対しては、農家から委託を受けて販売する委託販売から、農産物を買い取って販売する買い取り販売へ転換し、企業と同じく自らリスクを取るよう求めました。購買事業では、農業機械や肥料などの仕入れ先を全農に限らず拡大するよう求めました。また、これらに数値目標を定めて取り組むこととしました。バターなどの原料となる生乳の生産・流通については、生産者が自ら自由に出荷先を選べる制度とすることや、加工原料乳生産者補給金(補給金)の支給対象を指定生乳生産者団体(指定団体)に参加しない生産者にも広げるなどとしました。

 安倍首相は会合で、「全農が生産資材の買い方や農産物の売り方を改革すれば、関係業界の再編も大きく動きだす」と述べ、企業の農業参入を進める意図を示しました。政府は、業界再編を進める手法を盛り込んだ法整備も狙っています。

◆解説=国の責任転嫁 協同組合を敵視

安倍晋三政権が29日決定した「農林水産業・地域の活力創造プラン(改定)」は、農協「改革」によって農業者の所得が増大するかのように主張しています。しかし、農業総生産額も農業所得も激減させてきた歴代政府の本当の責任を省みず、責任を農協へ転嫁し、協同組合そのものを敵視するものです。

 安倍政権は、農業関係者の意見を聞こうとせず、規制改革推進会議の「意見」を農協へ一方的に押し付ける乱暴な手法に終始しています。全国農業協同組合中央会(JA全中)の奥野長衛会長が「農業改革が農協改革にすり替わった」と指摘する通りです。

 「世界で一番企業が活躍しやすい国」を掲げる安倍首相は、その障害になると見なす制度を「岩盤規制」と呼び、自らが「ドリル」となって打ち破ると豪語しています。その第一の標的にされているのが農業であり、農協なのです。

 安倍政権が農協「改革」を重視するのは、営利企業の農業参入にとって、農業と農村に根付いている農業者の共同や相互扶助が障害になると見なしているからです。昨年の通常国会では、農協中央会制度を廃止し、全国農業協同組合連合会(全農)を株式会社化できる規定を設けるなど、協同組合としての性格を弱める「改正」農協法を成立させました。また、「改正」農地法によって、営利企業の農地所有へ道を開きました。今回の農協「改革」も、同じ方向での暴走です。

 安倍政権の農協「改革」は、分野の違いを超え、協同組合そのものへの攻撃と受け止められています。国際協同組合同盟(ICA)アジア太平洋地域総会は18日、「日本の協同組合運動を支援する決議」を採択し、「協同組合の自治・自立を侵害しかねない日本政府の動きに強い懸念」を表明しました。

(北川俊文)

◆◆規制改革農協提言=協同事業の事実上解体やめよ

2016年11月27日赤旗主張

 安倍晋三政権の規制改革推進会議・農業ワーキンググループが公表した農協「改革」の「意見」をめぐる自民・公明の調整がまとまり、今週、正式決定されようとしています。「意見」は、(1)1年以内にJA全農の農産物委託販売を廃止し全量買い取り販売に転換する(2)全農の購買事業を新組織に転換しメーカーに関連部門を譲渡・売却する(3)信用事業を営むJAを3年後に半減する(4)指定生乳生産者補給金制度を生産調整未参加者にも広げる―などです。与党は期限の設定や信用事業の3年後半減など一部を削除しましたが、農協「改革」を求める立場は同じです。

◆農政の破たん農協に転嫁

 「意見」に対し、農協はもとより多くの関係者から団体の自主性を破壊し、協同組合の否定にもつながりかねないと厳しい批判の声があがっていました。

 規制改革推進会議は、安倍首相が破壊すべき「岩盤規制」と位置づける農業、労働(人材)、医療・介護などについてワーキンググループを設置し、財界代表や学者を中心メンバーに「改革」を推進する政権の御用機関です。農協組織を解体に導くに等しい「意見」は、月内に発表予定の政府・与党の農業「改革」方針に「反映」させるため発表したものです。

 政府・財界は、農業所得を増やすために農協「改革」が必要だといい続けてきました。たしかに日本の農業は、1980年代の世界貿易機関(WTO)の協定受け入れ以降、急激に衰退しています。農業産出額は約30%、農家の所得(農業生産所得)は50%も大幅に減少し、その結果、農協の扱い高も減っています。主な原因が農産物の輸入野放し、農産物価格政策の放棄をすすめた自民党農政にあることはあきらかです。農協が日本農業の最大の問題だというのは事実に反するだけでなく、いま各地に広がっている環太平洋連携協定(TPP)への不安と怒りを農協に向けさせる狙いもあります。

 農協組織が農業資材をできるだけ安く供給し、生産物をできるだけ有利に販売しようと努力するのは当然です。農業者が農協の資材価格が高いと感じる大きな要因は農産物価格が安すぎるためです。欧米諸国の多くが農産物の価格支持を続けるのは、自然の制約をうける農業生産が自由取引では不利になるからです。適正な水準での価格・所得補償と資材価格引き下げの努力が結びついてこそ農家の所得向上につながります。

 信用事業を含むJAの半減という「意見」も、組合員の願いや要求と逆行します。農協組織は、資金不足に悩む農家、農村での助け合いからはじまっています。地域に暮らす准組合員も農協の信用・共済事業を頼りにしています。指定生乳生産者団体制度も大部分の酪農家にとって頼みの綱です。

◆力あわせた自己改革こそ

 農協の信用・共済事業や販売・購買を目の敵にしているのがアメリカと日本の金融資本であり、農業参入をたくらむ多国籍企業です。

 自民党は、「自己改革が基本」といいますが、政府・与党が「改革」の進捗を管理するとしています。農協「改革」の押し付けでなく、農業・食料の危機を招いた自民党農政の抜本的見直しを進め、農家・組合員を基礎に、地域の人々の信頼も広げる改革の努力を保障していくことが重要です。

◆◆食料自給率の低迷=多様な農水産業の発展めざし

2016年8月14日赤旗主張

 お盆休みの帰省で久しぶりにふるさとの農産物を味わっている方もあるでしょう。ところが農水省が発表した2015年度の食料自給率で、カロリーベースの自給率が6年連続で39%にとどまったのをご存じですか。生産額ベースでは野菜や畜産物の値上がりで2ポイント増の66%ですが、飼料を含む穀物全体の自給率では29%(前年同)となっており、どの数字をみても1億2000万人以上の人口を抱える国の自給率としては異常な低さで、国際的にも最低水準です。

◆低下し続ける食料供給力

 特に生命の維持に不可欠な熱量に換算したカロリーベースの自給率は、生存を支える基礎的な指標であり、主食であるコメを含む穀物、家畜の飼料など、最も重要な指標です。政府も、食料・農業・農村基本法で、カロリー自給率の向上を大きな柱にしてきました。

 安倍晋三政権は昨年の食料・農業・農村基本計画の見直しで、これまで「50%」をめざすとしてきた政府の10年後の目標を、より現実的にするとして45%に引き下げました。目標を“現実的”にするといいながら低迷を続け、向上の兆しすら見いだせないというのでは安倍政権の責任は重大です。

 食料自給率は、農林水産業による食用農水産物の生産(輸出を含む)と、国民の食料消費の比率です。食料生産とともに、食料消費の内容変化も自給率を変化させます。しかし、少なくとも国内消費の半分は国内生産で賄うべきだというのが多くの国民の願いであり、国際的にも主要国の多くが維持している、常識的な水準です。

 日本が長年にわたって食料自給率を低下させ、50%を大きく下回って6年間も39%を続けている背景に、コメの消費減少や飼料の多くを輸入に頼る畜産物の消費増大など、国民の食生活の変化があることは事実です。しかし低下に歯止めがかからないのは、政府の輸入野放し政策とともに、国内の生産が減少しているからです。それは、農地や農業就業者の減少が、政府が潜在的な生産力として示している「食料自給力」(日本の農水産業の潜在的な生産能力)指標の低下としても表れています。

 安倍政権は、日本の農漁業に国際競争力をもとめ、規模拡大によるコスト低下と輸出の拡大を政策の重点にしています。しかし食料の生産と供給は、全国同じではありません。国民の健康にとっても、地域の条件にあった多様な生産とそれを生かした食文化、農地や水の利用、家畜の飼育を通じた資源の循環、沿岸の豊かな漁業生産などが、食生活を豊かにし、環境を守る重要な役割を果たしています。国民が求める安全な食料の生産・供給よりも、外国産との競争に勝たなければならないという政策は根本から間違っています。

◆条件を生かした向上策を

 日本の食料供給の力が低下し続ける要因は、日本の条件を生かした農林漁業の多面的な発展が閉ざされてきたからです。中山間地域を含む多くの農地を生かし、地域に定着する農漁民とその集団の力が発揮できる政策こそ必要です。

 日本の農産物市場をアメリカなど輸出大国に明け渡す環太平洋連携協定(TPP)は、それに逆行するものです。食料供給の3分の2近くを海外に依存する体制からの転換のためにも、秋の臨時国会でのTPPの批准阻止が重要です。
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◆◆安倍政権の農業「改革」=農業所得「増大」というが2年連続減が「実績」、共産党は価格保障・所得補償を充実

2016年7月1日赤旗

 安倍晋三政権や自民党は、農業「改革」をすすめて“所得増大”を実現すると言います。しかし実績は、その逆です。安倍農政「改革」で、統計がある2年間は連続して農業所得が減少しています。

 農水省の「農業総産出額及び生産農業所得」統計で明らかです。第2次安倍自民・公明政権が成立したのは2012年末。13年は民主党政権下の12年に比べ0・4%(129億円)減少しました。14年は3・7%(1093億円)減と、さらに減少幅が大きくなりました。image

 とくに米の産出額が2割も減少し、稲作農家の所得が大きく下がっています。安倍政権は、輸入米を受け入れる環太平洋連携協定(TPP)を前提に、需給調整責任を放棄し、生産者米価を暴落させ、コスト割れにしました。

 さらに民主党政権時代に導入した、下落時の価格変動支払い制度を廃止。米の生産調整農家への直接支払い交付金(10アール1万5000円)も14年産から半減させました。

 交付金は、18年から廃止されるため、ますます所得は減ります。政府が導入を検討する「収入保険」は生産コストが基準でなく、経営安定を保障しません。

 日本共産党は、TPPからの撤退を求め、備蓄米や水田転作をふやすことにより米価を安定させます。

 農業と農村再生の最大の柱は、「価格保障を中心に所得補償を組み合わせ、生産コストをカバーする施策」です。米価には過去3年の生産コストの平均を基準に、販売価格との差額を補てんする「不足払い制度」を導入。当面、直接支払い交付金を元の1万5000円に戻し、価格変動支払いも復活させます。

 水田のもつ国土・環境保全の役割を評価し、当面、10アール1万~2万円の直接支払い(所得補償)を実施します。

◆◆指定生乳生産団体国産牛乳の生産・供給安定こそ

2016年4月20日(水)赤旗主張

 安倍晋三政権の規制改革会議の農業ワーキンググループ(農業WG)が、酪農家の減少や国民生活に影響をあたえているバター不足などを解決するためと称して、牛乳の流通の大部分を担っている指定生乳生産者団体制度の廃止を提案しました。6月に正式決定しようとしています。「規制緩和」の名目で、国民の健康と食生活の重要な一翼を担う生乳と乳製品の生産・流通のあり方を大きく変えてしまおうとするものです。

◆生産と消費の特徴踏まえ

 牛乳(生乳)は毎日生産されますが、貯蔵性がなく腐敗しやすいことから、短時間のうちに乳業メーカーに引き取ってもらう必要があります。多くの酪農家が自前の処理施設をもたないこともあり、価格交渉で不利な立場に置かれる状況です。そのため現在は、各地域の生産者団体のなかから指定された団体が酪農家から販売委託をうけ、乳業メーカーと交渉する仕組みとなっています。

 指定団体は、液状で輸送コストがかかる生乳をまとめて輸送しコストを抑え、複数の販売ルートで販売を調整し生乳の廃棄を防ぎます。季節による生産・消費量の変動によって生じる需給変動の負担を分散する生産調整なども実施しています。さらに国の政策である加工原料乳補給金の交付によって、生乳の利用先を飲用向け、加工向け(バター、チーズなど)に振り向けることも担っています。

 規制改革会議の農業WGがこの制度見直しの理由にあげているのは、生産者に多様な選択肢がない、大手乳業メーカーとの交渉が中心で中小メーカーは価格交渉に参加できない、現行制度が生産上限枠を設けていることが牛乳供給不足を起こしており、意欲ある生産者の増産を押さえ所得が増えない原因になっている―などです。

 個別に見れば、指摘されるような問題があるのは事実です。しかし毎日生産され、腐りやすく、地域にかかわらず多くの国民が消費している生乳の特徴や、広大な草地をもつ北海道と本州などでは生産条件が大きく異なり、生産コストも違うなどの条件に照らせば、飲用乳の生産・供給を維持するために、一定の仕組みが必要です。

 牛乳の生産と消費の安定は、酪農業、国民の健康とともに、地域農業にとっても重要です。新鮮な牛乳の安定した供給のためには、全国各地での生産を維持することも重要な条件です。国や指定団体には積極的な役割が求められます。これは世界でも共通しており、環太平洋連携協定(TPP)交渉でもカナダは国の乳製品管理制度の維持を主張しました。欧州連合(EU)でも深刻な生乳価格の下落に、昨年廃止した生産者組織による自主的な生産調整を再開しました。

◆制度見直しの先行でなく

 酪農家の減少、農家所得の減少は、指定制度の責任ではありません。乳製品の輸入拡大、生産者価格の抑制、円安による飼料価格の上昇、規模拡大による負債の増大など政策的要因とともに、TPPによる不安の拡大が、展望を失わせていることも重大です。

 制度見直しの先行ではなく、加工向けも含めて牛乳・乳製品の自給率を向上させ、地域や自然の条件を生かした酪農、地域に密着した中小の乳業メーカーや小売りとの協力促進など、酪農・乳業への援助をこそ強めるべきです。

◆◆企業の農地所有に道開く国家戦略特区改悪案
(赤旗16.03.21)
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◆◆農業の担い手づくりを
(赤旗16.03.21)
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◆◆農協改革関連法が成立、全中の権限大幅縮小など

2015年8月29日朝日新聞


農協改革関連法が参院本会議で賛成多数で可決成立した=28日午前
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 農協組織のあり方を約60年ぶりに見直す農協改革関連法が、28日の参議院本会議で、自民党、公明党などの賛成多数で可決、成立した。施行は来年4月。

 全国の農協をまとめる全国農業協同組合中央会(全中)の権限を大幅に縮小し、2019年9月までに一般社団法人にする。東京中心の組織運営から、地域の農協の自主性を重視する。

 また、数が多い兼業農家の意見が通りやすい現状を改めるため、理事の過半数を一定規模以上の専業農家などが占めるよう定めた。販路を自分で開拓できる大規模農家を重視することで、専業農家の「農協離れ」を食い止めると同時に、環太平洋経済連携協定(TPP)の影響が見込まれる国内農業の競争力確保を狙う。

 また農産物の販売などを行う全国農業協同組合連合会(全農)を、株式会社化できるようにする。

 政府主導の農協改革には、当時の万歳(ばんざい)章・全中会長らが強く反発し、万歳会長は辞任した。今月、万歳氏の後を継いだ奥野長衛(ちょうえ)会長は「我々が右や左やということではない」として、政権との協調路線をとり、改革を進めていく姿勢だ。

農協改革関連法の主な内容

◇全中の監査・指導権を廃止、地域の農協の自主性強化

◇全中を一般社団法人に、法的特別扱いを廃止

◇理事の過半数を一定規模以上の専業農家に

◇強制的に資材・肥料などを買わせることを禁止

◇全農などの株式会社化が可能に

◇農業委員の選挙をやめ、市町村長が任命する

◆◆「農林水産業・地域の活力創造プラン」(安倍「農政改革」)

14.06.24改訂。PDF50p
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/nousui/pdf/plan-honbun-kaitei.pdf

【基本的考えかた】

わが国の農林水産業・農山漁村は、国民に食料を安定的に供給するととも に地域の経済を支えており、持続性に優れた生産装置である水田、世界に評 価される和食、美しい農山漁村風景、世界有数の森林・海洋資源などすばら しい潜在力を有している。また、我が国の農林水産業の生産額は、世界で10 指に入っており、まさに世界的レベルの産業と言っても過言ではない。
世界の食市場の拡大、高齢化等に伴う新たな国内ニーズ、平成の農地改革 による多様な主体の農業への参入など、農山漁村には新たな風が吹きつつあ ることから、これらの機会をとらまえ、その潜在力を活かし、次のような施 策を大胆に展開していく。
経営感覚を持ち自らの判断で消費者・実需者ニーズの変化等に対応する 「チャレンジする農林水産業経営者」が活躍できる環境を整備し、その潜在 力を発揮させることによって、ICT等も活用し、6次産業化や輸出促進を はじめ、付加価値を高める新商品の開発や国内外の市場における需要開拓な どを進める。併せて、農地の集約化等による生産コスト・流通コストの低減 等を通じた所得の増加を進め、農林水産業の自立を図る観点から現行施策を 見直す。これらを一体として進めることにより、農林水産業の産業としての 競争力を強化する。
また、「強い農林水産業」とともに「美しく活力ある農山漁村」を実現す るため、農林水産業と地域の活性化を表裏一体で進めていくことは重要であ り、美しい棚田などの良好な景観を形成している農村が、構造改革が進む中 でも多面的機能を維持・発揮できるようにする取組を進めるとともに、森林 などの地域資源や地場産品を核として雇用を創出し地域で経済が循環する仕 組みの確立にチャレンジするなど、農山漁村の有する潜在力を発揮するため の施策を府省連携して進めていく。
これらの産業政策と地域政策を車の両輪として、農業・農村全体の所得を 今後10年間で倍増させることを目指し、1国内外の需要(需要フロンティア) の拡大、2需要と供給をつなぐ付加価値向上のための連鎖(バリューチェー ン)の構築など収入増大の取組を推進するとともに、農地中間管理機構を通 じた農地の集約化などの生産コストの削減の取組や、経営所得安定対策と米 の生産調整の見直しなどの3生産現場の強化、併せて、高齢化が進む農村を、 構造改革を後押ししつつ将来世代に継承するための4農村の多面的機能の維 持・発揮を図る取組を進める。この4つの柱を軸に政策を再構築し、若者た ちが希望を持てる「強い農林水産業」と「美しく活力ある農山漁村」を創り 上げる。これが第2次安倍内閣の農林水産行政の方針である。
その成果を国民全体で実感できるものとすべく、農林水産業の成長産業化 を我が国全体の成長に結びつけるとともに、食料自給率・自給力の維持向上 を図ることにより国民の食を守り、美しく伝統ある農山漁村を将来にわたっ て継承していく。
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 安倍総理は会議での議論を踏まえ、次のように述べました。
 「安倍内閣においては、「強い農林水産業」とともに、「美しく活力ある農山漁村」を実現する決意で、農政改革を進めてまいりました。
 更なる改革のため、本日、安倍内閣の農政改革のグランドデザインである「農林水産業・地域の活力創造プラン」を改訂しました。
 農業を競争力のある産業に創り変え、地域経済をけん引する新たな成長産業にしていかなければなりません。付加価値を更に高め、その市場を大きく広げるとともに、経営マインドを持つ意欲ある農業の担い手が、活躍しやすい環境を整備していくことが重要であります。
 このため、農業委員会、農業生産法人、農業協同組合の3点の見直しをセットで断行してまいります。
 特に、農協については、60年ぶりの抜本改革となります。これにより、中央会は再出発し、農協法に基づく現行の中央会制度は存続しないことになります。
 改革が単なる看板の掛け替えに終わることは、決してありません。
 地域の農協が主役となり、それぞれの独自性を発揮して、農業の成長産業化に全力投入できるようにしてまいります。
 これらの改革は、政府が中心となって早急に具体的な検討を進め、次期通常国会に法案を提出いたします。
 安倍内閣における農政改革がスピード感を持って実行できるよう、関係閣僚の協力を引き続きお願いいたします。」

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【筆者コメント】
◆◆安倍「農政改革」=農業破壊プラン
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規制改革会議の「答申」と閣議決定=「農林水産業・地域の活力創造プラン」は、農政をどう破壊しようとしているのか。

 政府の「規制改革会議」は、安倍首相に「農政改革」を答申。「農林水産業・地域の活力創造プラン」は閣議決定され、今後、規制改革実施計画、成長戦略などで具体化されようとしている。恐るべき安倍農政「改革」柱は以下のとおり。

❶農協は解体方向

▼JA全中は「新たな制度に移行」  
今後5年間を農協改革集中推進期間として「抜本的に見直す」(当初案にあった「全中廃止」文言は削除)。

▼JA全農・経済連の株式会社化を「前向きに検討」。

▼農協の黒字部門の信用(金融)事業は、農林中金の支店・代理店に。共済事業も「事務負担を軽減する事業方式の活用」。

▼農協の総合性を分割  株式会社、生協、社会医療法人、社団法人に転換できる法改正。

❷農業委員会の役割を壊す

▼農業者の選挙で農業者から多数の委員を選ぶ公選制を廃止。市町村長の任命制に(市町村長の思惑で農業委員会を構成できる)。

▼「意見公表」「建議」業務は廃止(要求を集め、農業振興について市町村長との懇談が制度上なくなる)。

▼都道府県農業会議・全国農業会議所は「新たな法人」に。

❸株式会社の農地所有へ道

▼農地所有ができる農業生産法人への企業要件緩和、企業役員は農作業に従事しなくてもよく、重要な使用人が従事すればよい。出資比率を2分の1未満まで増やせる(筆頭「株主」化)。

以下詳しく。農業分野で「岩盤規制の打破」などといって行おうとしているのは、以下の点。

◆(1)農協の解体

JA全中を「自律的新制度」に移行するとして解体を図る方向が盛り込まれた。全農を株式会社化し、信用・共済事業を地域の農協から分離するなど、農協の実質的な解体を図るものである。国内外の大企業が日本の農業・農村に進出するため、家族農家でつくる組織の農協や農業委員会の活動は、じゃまだというもの。
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 農協は農家や農村住民の全生活にかかわる総合事業をしている。答申では、「共済や信用(金融)事業を農協事業から分離せよ」という。これらの事業は、農家の助け合いの中からうまれたもので、実際、東日本大震災のときは、農協の共済の早期支払いで助かった人たちが多くいた。

 共済や信用事業の分離は、農協の経営上も大変。事業利益の6割以上を占めている。歴代の政権による日本農業切り捨て政策の中で、農産物の販売事業は厳しくなっている。営農指導も農協の大事な活動だが、それ自体は利益をうまない。共済や信用事業が奪われると、実態的に農協の運営が縮小し、解体していく。農協労働者の雇用も失われる。

 「全農(全国農業協同組合連合会)も株式会社化を検討せよ」といっている。いまは、農家が収穫した農産物を、地域の農協は、自分たちでも販売するが、全農に委託し、大資本と交渉し農家の手取り確保のために適正価格で販売することに努めている。このため、生協の活動と同じ、共同購入や共同販売は独占禁止法の適用除外となっている。株主の利益追求が目的の株式会社になると、このような共同事業が独占禁止法違反となってしまう。
 アメリカの「年次改革要望書」には、日本の助け合い共済は「保険会社」と同じ競争条件にせよなどと迫っていた。いまTPP(環太平洋連携協定)では、日米並行協議がおこなわれているが、今回の規制改革会議の背景には、アメリカの圧力に呼応した財界・市場原理主義者が関係している。
JA全中(全国農協中央会)や県農協中央会については、規制改革会議の当初案は「廃止」としていた。最終的には、「今後5年間を農協改革集中推進期間」とするとした。これは、「全中が存続してもよい」ではありません。「5年後には協同組合組織でないようにせよ」ということ。農協は農家の声をまとめ、県農協中央会JA全中はその声を県や国に反映させる。TPP推進勢力は、それがおもしろくない。 
「イコールフィッテング(均一化)」という言葉で、農協に企業と同じ競争条件を持ち込もうとしているが、それは不当極まりない。真の均一化とは、条件が不利な地域に住んでも必要な生活条件を整備すること。

安倍政権は、農外企業の参入をすすめ、「農地を集積した大規模化推進だ」、「企業と連携して加工や輸出の6次産業化(1次だけでなく2次の加工、3次の販売)」だといっている。農地所有を企業に自由化する道も出ている。

だいたい企業は農業で利益が出ないとすぐ撤退する。他用途転用や、産業廃棄物の違法埋め立てなど、いまでも問題になっているが、もっとひどくなる。

“農協改革”は、JA中央会制度の廃止やJA全農の株式会社化、JAの信用・共済事業の分離、准組合員の利用制限など、「農協解体」とさえいえる、目を疑いたくなるような危険な内容である
このような安倍政権の「成長戦略」には、食料自給率向上の目標さえなく、「強い農業」どころか、日本農業を支えている家族経営の基盤を掘り崩し、農業と食料の危機をいっそう深刻なものにするだけである。

◆(2)農業委員会の破壊


農業委員会は、戦後つくられた公選制の民主主義制度。農業委員会は、市町村の農地行政をおこなう独立行政委員会。農業者による3年に1度の選挙をへた農業委員で大多数を構成。農地の売買や転用、賃借の許認可権をもち、農業振興にむけ農地の適正利用をすすめてきた。この農業委員を市町村長の任命制に変質させてしまう。そして「意見公表」「建議」業務は廃止(要求を集め、農業振興について市町村長との懇談、意見表明が制度上なくなる)。この耕作者が農地を保有する原則に風穴を開け、企業が農地をもうけの対象にする道を開ける。農業生産法人の要件が緩和され、農外の営利企業も農地を所有できるようにしている。
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◆(3)農業の株式会社化=企業参入で株式会社の農地所有を解禁し、企業と連携しながら加工、輸出など農業の「6次産業化」狙う

こうして農協中央会(全中)制度を「廃止」し、農業委員会の公選制をなくすことによって、株式会社の農地所有へ道を切り開くこと、こうして環太平洋連携協定(TPP)や農地の株式会社所有への反対をはじめ、農政にたいする農民の声や運動を弱体化させようという政治的意図が露骨に表れている。

◆◆農協改革法案反対=共産党・斉藤議員
(15.07.03赤旗)

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◆◆2015年の農業、TPP撤退、持続的発展こそ

2015年1月13日赤旗

 日本でも、世界でも、貧富の格差と栄養不足人口の増大、気候変動による食料供給の不安定化がひろがるなかで、農業生産のあり方の見直しが大きな課題になっています。国連が、昨年の「国際家族農業年」に続いて今年を「国際土壌年」とし、国際的取り組みを呼びかけていることにも示されている通りです。

効率優先の限界は明らか

 経済効率優先の農業・食料生産・流通の継続がさまざまな困難をもたらしています。地域に定着する家族農業者とその共同を基本にした生産、自然の諸力を生かした持続的・循環型の生産、そのためにも農山村地域の維持・発展にむけた転換が求められています。

 安倍晋三・自公政権は「世界で最も企業が活動しやすい国」にすることをめざす経済政策「アベノミクス」のもと、国連の家族農業年の提起には見向きもせず、農産物の関税撤廃をはじめ、あらゆる分野にアメリカ式のルールを持ち込む環太平洋連携協定(TPP)参加を重要な柱に推進しています。

 農業への企業参入を自由化し、専業、兼業、共同など多様な農業者を政策対象から排除しようとしています。農家と地域経済にとっていまもっとも切実な生産者米価の大暴落対策では、コスト削減や民間任せに終始し、政府として責任をとろうとしません。

 安倍政権は、農家と農業生産、地域の暮らしを支えてきた農協を「岩盤規制」打破の対象として解体しようとしています。当面、全中(全国農協中央会)に的をあてていますが、ねらいは協同組合運動と事業への攻撃です。食料・農業・農村基本計画の見直しでは、食料自給率目標を大幅に引き下げるといわれています。

 安倍政権の一連の農業・農政破壊の攻撃は、まさに日本農業を縮小・再編し、アメリカと大企業に新たなビジネスチャンスとして提供する暴挙です。国民の暮らしと平和をこわす安倍政権の暴走は、農業・食料の分野でも、国民の願いからも国際的な要請からも逆行するものです。

 安倍首相が妥結にむけ前のめりなTPP交渉は、参加国間の矛盾とともに、日本をはじめ参加国内に反対の声が上がり、妥結を許さない動きが拡大しています。総選挙では、TPPにも「農政改革」にも断固反対し、米価暴落の緊急対策を提案し、農業を国の基幹産業として発展させる立場を貫いている日本共産党への期待が、農民・農業団体の中に広がりました。自民党もTPPでの「聖域」確保を掲げ、多くの農林関係議員が農協の自主改革を支持しました。

国民本位の経済のため

 全国食健連をはじめ農林漁業団体、消費者団体、医療関係者、学者・研究者、弁護士など幅広い人びとが、「TPPからの脱退」「国会決議の順守」「聖域を守れ」などの要求を掲げて運動を続けています。TPPからの撤退をめざす一致点での共同の条件はいっそう大きくなっています。

 農業・食料問題は、格差と貧困を拡大し、農業や地方を衰退させる「アベノミクス」とたたかい、国民本位の経済を実現する重要な一環です。TPP交渉からの撤退、再生産可能な農産物価格の実現、効率一辺倒から持続的な農業へ、家族と地域の共同を大事にする農業のために力をつくしましょう。

◆◆安倍政権の農協「改革」どうみる、企業本位の農業狙う=共産党農林・漁民局長 紙参院議員に聞く

協同の力 支援する施策こそ必要
2015年2月12日(木)


 安倍晋三政権が突き進む農協「改革」が大きな問題になっています。日本共産党はどう考えるのか、党農林・漁民局長の紙智子参院議員に聞きました。 (聞き手・北川俊文)
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◆農協関係者の意見を聞かず

 ――安倍内閣の農協「改革」は、どこが問題なのですか。
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 まず強調したいのは、現場の必要性から出発したものではないということです。

 農業協同組合(農協)は農家を主体とした協同組合です。「改革」すべき問題があれば、主人公である組合員や地域の単位農協(単協)を中心に自主的に行うべきです。

 しかし、政府が昨年6月に示した農協「改革」案は、農協関係者などの意見を無視し、規制改革会議などの財界側委員の提案を一方的に採用したものです。今、行われている農協法「改正」案の取りまとめも、現場の疑問や批判にまともに答えないまま強行しようとしています。本来の協同組合の改革とはおよそ無縁です。

◆TPP反対の司令塔つぶし

 ――安倍内閣は農協「改革」をなぜ急いでいるのですか。

 全国の農協のみなさんは、環太平洋連携協定(TPP)反対運動の先頭に立ってきました。交渉の早期妥結を急ぐ安倍政権は、農協「改革」でその運動を弱体化させようとしています。とりわけ、首相自身が執念を燃やす全国農業協同組合中央会(全中)の見直しは、TPP反対の司令塔つぶしとみないわけにはいきません。

 首相は、「中央会は単位農協の自由な活動を阻んでいる」「脇役に徹すべき」だなどと攻撃し、中央会「廃止」「農協法からの削除」などを迫っています。しかし、95%の農協組合長が「中央会が単協の自由を奪っている」とは「思わない」と答えています(日本農業新聞アンケート1月29日付)。中央会「廃止」論は現場の意見とは正反対です。

 単協に対する全中の監査権限を取り上げ、公認会計士に委ねる方向も、その一環です。全中の監査では、財務状況とともに、業務が協同組合として適切かどうかが検討されますが、公認会計士の監査にそれがありません。

 監査権限がなくなり、農協法上の扱いも変われば、全中の弱体化は避けられません。農協の事業・運動の全国的な連携が困難になり、農業者の要望を国政に反映させる農政運動も難しくなります。

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(写真)農業・医療・雇用破壊のTPPへの反対を訴える人々=1月7日、東京・新宿駅西口
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◆日米業界の求めに応じ

 ――安倍政権は具体的に何を狙っているのでしょうか。

 「世界で一番企業が活躍できる国」づくりの一環です。

 首相は、国民の命や暮らしを守るのに必要な諸制度を、企業活動を妨げる「岩盤規制」だと攻撃し壊すことに力を注いできました。その最初に挙げたのが農業・農協分野でした。農家や農村のためというより、企業のビジネスチャンス(商機)拡大のための「改革」ということです。

 単協から信用・共済事業を分離し、農林中央金庫(農林中金)などに移管する方針は、農村の金融市場を狙う銀行・保険業界が執拗(しつよう)に要求し、TPP交渉でアメリカの保険・金融業界も再三求めてきたことです。

 准組合員の農協事業利用の制限も、農協が担ってきた分野への営利企業の進出を狙う財界などが一貫して迫ってきたことです。全国農業協同組合連合会(全農)が株式会社化されると、独占禁止法の適用除外が外され、全国的な農産物の共同販売、資材の共同購入を困難にします。単協がバラバラに対処を迫られ、大企業による流通支配などがいっそう強まるのは必至です。

◆住民生活の基盤こわす

 ――今回の「改革」で農業と農村にどんな影響が及ぶのでしょう。

 政府は「農協の自由を拡大し、強い農協をつくり、農家の所得を増やす」と強調しますが、実際にもたらされるのは逆です。

 大多数の農協は、信用・共済事業の収益で営農指導をはじめ販売・購買事業の赤字を補い、経営を維持しています。信用・共済事業を分離すれば、多くが経営破たんに追い込まれ、販売事業なども成り立ちません。

 准組合員の事業利用制限は、当面、先送りされました。農山村地域の准組合員は、離農した農家が引き続き事業を利用する場合がほとんどです。離農が激しかった北海道では、准組合員が8割に達します。他の金融機関やガソリンスタンドなどがない地域では、農協が地域住民のライフライン(生活基盤)になっています。非農業者の利用を制限することは、農協の事業基盤を著しく狭めるだけでなく、地域住民の暮らしも脅かします。実質的には農協つぶしであり、農村の危機をいっそう深めます。

◆家族農業の土台を一掃

 ――政府は、農業委員会や農業生産法人の「改革」も同時に追求していますね。

 今国会に出される法案も一体です。

 安倍首相は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を叫び、農業分野でもそれを貫こうとしています。農協や農業委員会、農地制度は、家族農業を基本にしてきた戦後農政の中心です。それを一掃し、企業が好き勝手に支配できる農業・農村につくり変えようというのです。

 家族農業や協同組合を否定するこのような「改革」は世界の流れにも逆行します。

 世界の主な協同組合が加盟する国際協同組合同盟(ICA)は昨年6月、政府の「改革」案を、「家族農業の価値を認めず、企業による農業を促進しようとしている」と厳しく批判しています。

 日本協同組合連絡協議会も、「『自主・自立』、『民主的運営』を基本にする協同組合のあり方が考慮されて」いないと批判しました。「改革」案は、利潤追求ではなく共生・協同が求められる今日の社会的課題への攻撃でもあります。

◆共産党はどう臨む、共同広げ廃案へ

 ――日本共産党は政府の農協「改革」にどう臨みますか。

 今日、農協の多くが困難や矛盾を抱えているのは確かです。根本には、農家の経営が成り立たなくなっていることがあり、歴代政府の農政にこそ最大の責任があります。

 その中でも、協同の力を発揮し、農家の営農や暮らし、地域農業を守るために頑張っている農協は少なくありません。政府がやるべきことは、農協をバラバラにしてつぶすことではなく、自主的努力を応援することです。

 今、米価を暴落させ、資材価格を高騰させ、TPPに暴走する安倍政権に農協・農村関係者は憤りと危機感を募らせています。

 日本共産党は、農協・農村の関係者、国民との共同を広げ、安倍政権の農業破壊ストップの世論を広げるとともに、国会でも農協法「改正」案の問題点などを徹底的に追及し、廃案に追い込みたいと考えています。

◆安倍農協「改革」(15.02.18赤旗)
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◆◆農協制度、60年ぶり改編 全中、政府案受け入れ

2015年2月10日朝日新聞

農協改革のポイント
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 自民、公明両党と全国農業協同組合中央会(全中)は9日、全中の地域農協への指導・監査権の廃止を柱とする農協改革で合意した。全中は安倍晋三首相が主導した改革案に抵抗したが、最後は押し切られた。1954年の全中発足以来続いてきた、全中を頂点とする農協グループの組織形態は約60年ぶりに変わる。

 全中の万歳(ばんざい)章会長が9日、自民党農協改革等法案検討プロジェクトチームの吉川貴盛座長らと会談し、改革案の受け入れを表明した。自公両党は全中との合意案を正式に了承。政府は農協法改正案を今国会に提出し、成立を目指す。

 合意によると、全中の「農協監査士」が各農協を独占的に指導・監査してきた今の仕組みを廃止する。全中の指導・監査が各農協などの自由な経営を妨げていると指摘されていたためで、全中から監査部門を完全に独立させ、新監査法人へ移行させる。農協監査士は新監査法人で監査業務に関われるよう「配慮する」とされた。各農協やJAグループは監査の際、新監査法人か既存の民間監査法人のどちらかを選べるようになる。

 また、農協法に基づく特別な法人である全中は2019年3月末までに一般社団法人に移行する。農協法の付則に農協グループ間の総合調整などの役割が明記されるが、農協法に規定され、全中の力の源泉とされた指導・監査権を失う。各都道府県の中央会は農協法上の連合会として残す。

 政府の規制改革会議が求めてきた、農家ではない「准組合員」の農協利用の制限は見送られた。同会議は昨年5月、准組合員の農協事業の利用について、正組合員の2分の1を超えないよう求めていたが、合意では「5年間実態調査を行い、慎重に決める」とされた。准組合員は住宅ローンや共済(保険)など農協の金融サービスが目的の組合員で、農協の利益の柱であることに配慮した。

 (澄川卓也、相原亮)
◆◆(時時刻刻)農協改革、政権押し切る 全中の権限、大幅縮小


農協改革、どちらに軍配/農協の監査はこう変わる
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 安倍晋三首相が規制改革の目玉と位置づけた農協改革が9日、決着した。市場の視線やTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉もにらみながら、全国農業協同組合中央会(全中)を「岩盤規制」の象徴とみて大幅に権限を縮小させた。だが、今回の改革が日本農業の構造改革や農家の所得向上につながるのか、はっきりしない点もある。

◆成長戦略の象徴に/TPP妥結へ布石

 「骨抜きになることなく前に進めるよう全力で準備を進めている」。9日昼の政府・与党連絡会議。安倍首相は農協改革を念頭にこう力説した。首相と一体で旗を振った自民党の稲田朋美政調会長は決着後、記者団に「60年ぶりの大改革だ」と手放しで喜んだ。

 首相側が農協改革にこだわったのは、アベノミクスの第3の矢「成長戦略」の象徴と位置づけたからだ。

 株式市場などに自らのやる気をアピールしようと、首相は農協改革などを念頭に「既得権益の岩盤を打ち破る、ドリルの刃になる」(昨年1月のダボス会議)と繰り返した。全中の指導・監査権をなくせば、各農協の経営の自由度が高まり、農家の所得が上がって経済成長にもプラスだとの計算もあった。

 TPPも念頭に置いた。全中は全国の農協から指導・監査などの対価として年間約80億円を集めている。首相側は、全中がその潤沢な資金と動員力で、TPPに対する反対運動を繰り広げているとみた。閣内には「TPPに反対する金があるのなら、その資金で海外に農産物を売ったらどうか」(現職閣僚の一人)との不満も渦巻く。TPPの妥結も視野に入る中、改革を押し切って全中の勢いをそぐ狙いもあった。

 こうした首相の意向をくみ、正組合員461万人の頂点に君臨する全中との戦いは、菅義偉官房長官が背後で指揮をとった。

 「農業強化には地域農協の自立が不可欠だ」「身内による監査では緊張感がなくなる」。先月20日に始まった党農協改革等法案検討プロジェクトチーム(PT)の会合では、農協に近い議員にまじって、菅氏に近い「改革派」議員も数多く出席。首相方針を後押しした。菅氏はPT座長に、自らに近い吉川貴盛衆院議員を送り込むなど人事でも手を打ち、全中の抵抗を押し切った。

 昨年12月の衆院選で大勝した首相の指導力が強まったのに加え、来夏の参院選まで大きな国政選がないこともあり、農林族を中心とする自民党内の抵抗も広がらなかった。

 だが、長年の支持団体だけに、政権は全中に配慮もみせた。

 「統一地方選もあるよ」

 二階俊博総務会長は5日、自民党本部を訪ねてきた菅氏にこう語った。農協が嫌がる改革を一方的に進めると、統一選に悪影響が出かねないためだ。

 水面下の調整では、農家でない「准組合員」の利用制限について、当初案で「実態調査の上、慎重に決定する」としていた文言に、「5年間、農協改革の実行状況調査を行う」との文言を追加。改革全体をチェックする要件を加え、早急な改革を警戒する全中を安心させた。

 抵抗を続けた全中の万歳章会長も、ここが妥協のラインだと踏んだようだ。9日の合意後、記者団に「まさに大変革だが、決断させてもらった」と語った。

 (相原亮)

▼農業活性化の効果、不透明

 安倍政権は2012年12月に発足してから、段階的に農業改革を進めてきた。13年11月には、コメの価格を維持する「減反」(生産調整)の廃止を決定。14年春からは、専業農家に農地を集約する「農地バンク」を各地に設立し、農業の大規模化に道を開いた。

 最後に残った農協改革のねらいは、一連の改革の「抵抗勢力」だった全中の権限を弱めて農協が自由に経営できるように改め、農家の所得を増やすことだった。だが、それが農業の活性化にすぐつながるかは現時点では見通せない。

 「農協にとっては大変な改革だが、影響はあまりない」。鳥取県八頭町で110ヘクタールの農地を経営し、コメなどをつくる田中農場の田中正保社長(63)はこう話す。農協には出荷せず、自ら販路を開拓してきた。意欲ある農家ほど「農協離れ」が進んでおり、経営方針を全中に頼ってきた多くの農協にとっては、経営がより厳しくなる心配もあると見る。

 グループの司令塔である全中は「生産者代表」として、政治家や官僚との調整を一手に担ってきた。その分、全中の方針に従わない農家に対しては、それが「創意工夫」であっても厳しく対応してきた。農協グループの幹部が「農協の世界には言論の自由がない」と嘆くほどだ。こうした重圧がなくなるだけでも農業の活性化につながる、との指摘は少なくない。

 ただ、農業の現場では課題が山積みだ。農地バンクが集めた土地は、昨年8月末時点で目標の1%にも達していない。減反廃止の代わりに導入した飼料米への転作支援も、初年度の作付面積は約3万4千ヘクタールと、ここ数年とほぼ同じ水準にとどまっている。手厚い補助金がいつまで続くか疑問視する農家が多いためだ。

 12年度の農業生産額は約8・5兆円で約20年前より2割近く減った。農家の平均年齢は66歳。全国で約1万2千あった農協は694に減った。「いま改革できなければ日本の農業は死を待つだけだ」。改革派の農林族議員はそう語る。

 (編集委員・小山田研慈)

▼<考論>反TPPの全中に打撃

 増田佳昭・滋賀県立大教授(農業経済学)の話 農業の振興にも、農家の所得向上にもつながらない「改革のための改革」だ。中央会の監査が農協の経営を妨げている事例を、政府はなにも示せなかったし、最近まで中央会の監査を高く評価していた。ねらいはTPPに反対する全中に政治的な打撃を与えることと、成長戦略の成果として強調することだろう。これでコメや牛肉の輸入が増えたら、農家は苦しくなるだけだ。

▼<考論>自立を目指す良い機会

 大泉一貫・宮城大名誉教授(農業経済学)の話 地域農協の創意工夫を伸ばすのなら、全中の権限を弱めることは自然な流れだ。全中は農業を成長させようという意識が弱い。コメの価格を維持しようと生産調整の強化を求め、企業の農業参入や輸出を伸ばすことに消極的だった。意欲ある専業農家より、兼業農家や農家でない組合員を大切にしてきたとも言える。農協や都道府県中央会も全中を頼りにしてきた。自立した経営を目指すには良い機会だ。

◆JA全中の指導・監査権廃止(15.02.10赤旗)
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◆大田原=農協不要論は実態無視(15.01.28赤旗)
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アンネの日記とホロコースト=鳥飼行博


◆鳥飼行博=『アンネの日記』とユダヤ人虐殺:ホロコースト Holocaust
http://www.geocities.jp/torikai007/bio/anne.html
を全2回に分けて引用させていただきます



写真(上)1944年5月,アウシュビッツ(Auschwitz)強制収容所に到着したハンガリー・ユダヤ人:胸につけた黄色のダビデの星は,ユダヤ人を差別するために,つけさせられた。収容所に到着し,労働不能者として選別された婦女子,老人は,強制収容所(concentration camp,独語Konzentrationslager:KZラーゲルあるいはKL)のバラックに入る。しかし,そこは,殺害までの一時的な控えの場所だった。数十ヵ所ある強制収容所のうち,ガス室を完備していたのは,アウシュビッツ=ビルケナウ,ヘルムノ,ベルゼク,トレブリンカ,ゾビブル,マイダネックなどドイツ占領下ポーランドの絶滅収容所だけだった。(オーストリアのマウトハウゼン収容所のガス室では,殺戮は限定されたものだったようだ。)ガス室での殺戮は,1942年に開始,1943-1944年に本格化し,1944年10月には中断された。アンネ・フランクは,1944年,15歳でアウシュビッツに送られ,再移送されたベルゲン=ベルゼン(Bergen-Belsen)収容所(ガス室はない)で,1945年3月頃病死。ユダヤ人絶滅は,ガス室だけでなく,銃殺・拷問などの処刑,奴隷労働・物資不足の下の過労死・病死・衰弱死によっても実行された。殺害人数は,ガス室に拠らないほうが多いとも考えられる。写真は,Photo Archives: United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)とYad Vashem :The Auschwitz Album(イスラエル・ホロコースト博物館)引用。米国ホロコースト記念博物館は,1993年にワシントンDCに建設,来訪者2500万人。
Anne Frank/B. M. Mooyaart/Eleanor Roosevelt(1993)The Diary of a Young Girl BANTAM BOOKS, USA;アンネ・フランク(1929年6月12日ドイツのフランクフルト生まれ)は、十三歳の誕生日(戦時中の1942年6月12日),テーブルに日記帳があるのを見つけた。戦時中,アムステルダムの自宅に住んでいた時のことである。1944年8月4日,アンネたちの逮捕後,支援者のオランダ人ミープ・ヒースが,部屋に散乱していた日記類を密かに回収・保管。戦後,1945年6月,収容所から唯一人生還した父オットー・フランクは,支援者ミープからアンネの日記を渡され,家族や知人に配慮して日記を編集し,関係者に少数タイプし配布した。その後,日記はHet Achterhuis(隠れ家)の書名でオランダで刊行,評価され,1952年,ルーズベルト元大統領夫人エレノアの序文を得て,英語版「一少女の日記」を出版。これがベストセラーになり,世界各国で翻訳,日本でも1952年『光ほのかに-アンネの日記』が刊行。2009年、ユネスコは、オランダに保管されている『アンネの日記』を世界記憶遺産(Memory of the World)に登録した。

◆「アンネの日記破損:36歳男「心神喪失状態」で不起訴処分」(毎日新聞2014年6月20日)
 東京都内の図書館などで「アンネの日記」や関連本が相次いで破られた事件で、東京地検は20日、器物損壊容疑などで逮捕された東京都小平市の無職の男(36)を不起訴処分とした。約2カ月間の鑑定留置の結果、男は事件当時、心神喪失状態で刑事責任は問えないと判断した。都内では昨年2月以降、公立図書館38カ所などで「アンネの日記」など300冊以上が破られる被害を確認。警視庁は図書館で約40冊を破ったなどとして男を3回逮捕した。地検は「起訴は困難と判断した。人種差別的な思想に基づくとは認められなかった」とした。
◆「アンネの日記」の被害、305冊に 警視庁が捜査本部(2014年2月24日:朝日新聞デジタル)
 ナチス・ドイツによるユダヤ人弾圧下の生活を描いた「アンネの日記」や関連書籍が都内の図書館で相次いで破られた事件で、警視庁は24日、器物損壊容疑で捜査本部を設置した。同日までに305冊の被害を確認したという。
 捜査1課によると、被害に遭ったのは新宿、中野、杉並、豊島、練馬の5区と武蔵野、東久留米、西東京の3市にある計38の図書館。豊島区では昨年2月に被害が判明したが、杉並区では今月上旬に破られた可能性が高いという。同課は防犯カメラの解析などを進める。
 事件を受け、被害がない図書館も対策を始めた。都立の多摩図書館(立川市)や中央図書館(港区)では「アンネの日記」や関連書籍を書架から下げ、閲覧希望者には窓口で手渡すようにした。中央図書館はユダヤ人迫害を扱った本の周辺での職員の巡回も増やした。(朝日新聞デジタル引用終わり)
⇒本研究室には2014年2月21・22日の2日間で2761名、2月末の一週間で6476名の訪問者があった。各図書館長は「なぜか分からない」と伝えられているが、「アンネの日記」を捏造だとする妄言を信じた破壊工作と考えられる。事件が起きたのは残念であるが、犯人が歴史捏造者の妄言に惑わされず「日記」を通読していれば、少女の作品だとすぐわかったであろう。
この事件に対して、「瞬間日本人の感性ではない、日本人の仕業ではないと思った」と書くブログ、「欧米と違って、反ユダヤ主義的な行動が歴史的にあまり見られなかった日本で、こうした事件は珍しい」という人もいる。けれども日本に人種民族差別がないわけではない。自国の優秀性を誇大に喧伝し、他国民を下等人種・劣等民族と貶める人々は、今でも残っている。
我が民族に嫉妬する敵は、我々を誹謗し、世界を陥れようとしており、排除すべきである、このように優生学で歪んだ人種民族差別という世界観が「アンネの日記」の背景にあった。
◆30代男、関与ほのめかす供述=「アンネの日記」事件―被害書店に侵入容疑逮捕(時事通信 3月13日)
 図書館や書店で「アンネの日記」などユダヤ人迫害の関連書籍が相次いで破られた事件で、被害に遭った東京都豊島区の大型書店に不法に侵入したとして建造物侵入容疑で逮捕された30代の無職男が、図書館で本を破いたことをほのめかす供述をしていることが13日、捜査関係者への取材で分かった。
 男は取り調べの際に不可解なことを話したり、言動に不安定な面が見られたりするという。図書館で破られた本から男の指紋は検出されておらず、警視庁杉並署捜査本部は事実関係とともに、男の責任能力の有無を含めて一連の事件との関連を慎重に調べている。 捜査関係者によると、男は2月19日と同22日の2度、豊島区南池袋の「ジュンク堂書店池袋本店」にビラを貼り付ける目的で侵入したとして、今月7日に建造物侵入容疑で逮捕された。売り場には、「アシスタントとゴーストライターは違います」などと意味不明の内容が手書きされたビラが数枚貼られていたという。
 この書店では2月21日に、売り場にあったアンネの日記2冊がそれぞれ数十ページにわたって破られているのが見つかった。1月中旬にも破れた本が店内で数冊発見されており、捜査本部が店内の防犯カメラを解析したところ、この男が売り場をうろついたり、無断でビラを貼り付けたりする姿が写っていた。
 男は調べに対し、ビラを貼ったことを認め、図書館で本が破られた事件についても関与をほのめかしているという。ただ、この書店で破られた本は図書館の被害と破り方が異なっており、破り取られたページなどの証拠品も男の家から見つかっていないことから、捜査本部は慎重に供述の裏付けを進めている。 (Yahooニュース引用終わり)
⇒「日記」を一流ゴーストライターが書いたとでも錯覚しているのか、ヨーロッパでは人種差別主義者が日記焚書、贋作裁判を起こし、日本では人種差別のwebsite作りに勤しむ人がいる。このような陰謀喧伝が偽りであることを見抜けないまま、嘘を真に受けた人物が、「日記」を読むこともなく、破り捨てたのであろう。「日記」を読めば、自分の心の内を無遠慮に吐露した感傷的な文章から、少女の作品だとすぐわかるであろうに。しかし、日記の背景にある人種民族差別の恐ろしさ、その偽りを信じ込む人間の愚かさに気づけば、当時の世相に隠れて生き続けざるを得なくなり、周囲に反抗する少女の健気な姿勢に共感できる。

◆読売新聞2013年7月30日「ナチスの手口学んだら…憲法改正で麻生氏講演」によれば、日本副総理麻生は7月29日、東京の講演会で憲法改正は「狂騒、狂乱の中で決めてほしくない。落ち着いた世論の上に成し遂げるべきものだ」として、ドイツの「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか。国民が騒がないで、納得して変わっている。喧騒けんそうの中で決めないでほしい」と語った。これは、外国人・非国民の排斥、軍事力を強化しての領土拡張、ヒトラー流の独裁政権獲得という本音のようだ。
◆2012年4月「アンネの追憶」が公開されるが、これはアンネの親友Hannah Goslarの証言を記録したAlison Leslie Gold著Memories of Anne Frank: Reflections of a Childhood Friendを映像化したもの。
◆2011年9月2日・9日(金)午後9時,NHK-BS歴史館「側近がみた独裁者ヒトラー」ルドルフ・ヘス及びレニ・リーフェンシュタールに出演。
◆2011年7月刊行『写真・ポスターに見るナチス宣ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ』青弓社では、日本初公開のものも含め130点の写真・ポスターを使って、ヒトラーの生い立ち、第一次大戦からナチ党独裁、第二次大戦終了までを詳解しました。
◆2011年3月2日,BBC News"Sony apology over Japan boy band Kishidan's Nazi gaffe"によれば、親衛隊の制服を着用したTV演出をしたSony Music Artists・Entertainmentは、ユダヤ人団体(Simon Wiesenthal Center)の抗議を受け、関係者すべてに深く謝罪し,この映像を放映せず、制服も破棄したと伝えた。
◆2010年10月30・31日,武蔵野芸能劇場の「空の記憶」で、大人になったアンネの思いが演じられた。
◆2009年10月1日,ユーチューブOfficial Anne Frank Channelで,1941年,隣人の結婚式に窓から顔を出すアンネ・フランクの動画(20秒間)が無料公開された。この一日で本サイトのアクセスは1万3000件を超えた。人種民族差別への関心が高まっていることが実感できた。
◆UNESO世界記憶遺産になったアンネの日記類は,2009年11月1日からアンネ・フランク博物館で,永久展示。これは,日記3冊、短編小説をつづったノート、気に入った言葉を書き留めていた用紙など、アンネ自身が書いたもの。1944年5月から日記を破れやすい用紙数百枚に書き直していたが、そのうちの40枚も交代展示される予定。日記類はアンネの父オットー・フランクがオランダ戦争資料館(Netherlands Institute for War Documentation)に寄付したもの。
◆NHK海外ドラマ「アンネの日記」が放映され,2009年7月31日-8月13日で本サイトのアクセスは3736件に達した。
◆2009年7月、ユネスコ(国連教育科学文化機関:UNESCO )は、『アンネの日記』を貴重資料の保存と認知度向上を目的とした世界記憶遺産(Memory of the World)に登録した。アンネの日記がユネスコ世界記録遺産に登録されことで、捏造説主張者たちは声を潜めるようになった。
【2009/2/5/AFP】ローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI)は,アルゼンチンの放送局が放送した,スウェーデンのTV番組でガス室は存在しなかったと発言した英国リチャード・ウィリアムソン(Richard Williamson)司教の破門を約20年ぶりに解除。アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相は3日、法王の行動は看過することはできないとし、バチカン当局に対し、ナチス・ドイツのホロコーストが「否定できない事実だと明確にすること」を求めた。
◆2009/2010年,NHKプレミアム8『世界史発掘!時空タイムス編集部 新証言・ヒトラー暗殺計画』にゲスト出演。1944年7月21日(事件翌日),アンネは日記に,若いドイツの将校,伯爵によるヒトラー暗殺未遂のニュースを書きとめ,ヒトラーが倒されれば軍事独裁政権を作って連合国と講和したであろうと予測。
《Anne Frank and the Holocaust - related Web sites》/アンネのいとこバディ・エリアスさんのお話/福山市ホロコースト記念館/アンネ・フランクの年譜》/アンネの恋人ペーター・シフの写真

写真(右)アウシュビッツ収容所に到着したユダヤ人:写真はYad Vashem (イスラエル・ホロコースト博物館)引用。アウシュビッツ収容所とは,アウシュビッツ第一基幹収容所,大規模なガス室のあったアウシュビッツ第二収容所(ビルケナウ絶滅収容所),軍需工場のあるアウシュビッツ第三収容所ブナの総称で,アウシュビッツ=ビルケナウ収容所ともいう。現在のポーランド南部オシヴェンチムにあった。ユダヤ人,ロマRoma ("Gypsies"),ソ連軍捕虜などが収監され,アンネも2ヶ月間いた。列車でアウシュビッツに到着したユダヤ人たちは,下車後,労働可能者は,収容所や工場で奴隷労働に従事させられた,労働不能者に選別されると,一時収容後あるいはそのままガス室で処刑された。しかし,それを知らないユダヤ人は,家族が一緒にいることを希望した。ユダヤ人虐殺は,冷徹に考えられた効率的な仕組みで,ユダヤ人が反抗しないように,労働すれば自由になれると錯覚させた。

1944年5月3日のアンネの日記「一体全体,こんな戦争をして何になるのでしょうか。なぜ人間はお互いに仲良く暮らせないのでしょうか。何のためにこれだけの破壊が続けられるのでしょうか。」
 「いったいどうして人間は,こんなに愚かなのでしょうか。私は思うのですが,戦争の責任は,偉い人や政治家,資本家にだけあるのではありません。責任は,一般の人たちにもあるのです。そうでなかったら,世界中の人々はとうに立ち上がって,革命を起こしていたでしょう。」
 アンネは,戦争の大量破壊・大量殺戮に対する大きな懐疑を呈していると同時に,総力戦における一般市民の重要性を認識していた。「人間の持つ破壊の欲望,殺戮の欲望」がプロパガンダによって煽動されていることを見抜いていた。

 しかし,アンネは絶望してはいない。同じ日の日記末尾:「一日ごとに自分が精神的に成長してゆくことを感じ取れます。オランダ解放が近づきつつあること,自然がいかに美しいかということ,周囲の人々がいかに善良であるかということ,この冒険がいかに面白く,意味深いものであるかを感じています。だったら,なぜ絶望しなくちゃならないのでしょうか。
                               じゃあまたね,アンネ・M・フランク」

写真(上)アンネ・フランクの第一冊目の日記原本:1942年6月12日十三歳の誕生日プレゼント:アンネは,1942年12月まで,半年間,この日記帳をつけた。第一冊目なので,写真も多数貼ってある。第二冊以降は,学校ノートや紙切れ(ルーズリーフ)に日記をつけた。1944年8月,15歳でヴェステンボルクWesterbork収容所,ついでアウシュビッツ収容所に送られた。2ヶ月後,ベルゲン=ベルゼン収容所に移送され,病気で衰弱,1945年3月頃死亡。1944年3月25日「死んでしまった後も生き続ける仕事がしたい」と日記に書いたアンネは,それを果たした。日記原本の写真は,United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)引用。

Johanna Hurwitz/Vera Rosenberry(1999) Anne Frank: Life in Hiding (Avon Camelot Books) 「アンネ・フランク:隠れ家の生活」アンネは,日記に「後ろの家」と名づけ刊行する事を夢見ていた。日記の文章は,表現が軽妙で,内容も濃い。親族・同居人・友人に対する酷評,ペーターとの恋愛、男女への興味にもページを割いている。そこで,微妙な箇所を削除,修正して出版された。出版物「アンネの日記」の普及版、完全版、研究版という区分は、編集や出版社の都合による。日記原本は、日記帳、複数の学校用ノート・会計帳簿、多数の紙切れに書かれており,それらは,戦時中の潜行生活、物不足を反映して、中古で既に書き込みのある紙やノートだった。これが,日記は,アンネの筆跡でない,自作でないとの誤解を生んだ。2009年7月,国連教育科学文化機関(UNESCO)が、貴重資料の保存と認知度向上を目的とした「世界記憶遺産」(Memory of the World)に「アンネの日記」を登録し、日記の捏造説は荒唐無稽であることが明白になった。

  1947年の「アンネの日記」初版(「後ろの隠れ家」:オランダ語)はそれほど注目されなかったが、1952年刊行The Diary of a Young Girl(「アンネの日記」英語版)が出版されてから,ベストセラーになり、アンネはホロコースト犠牲者の象徴になった。そこで、反ユダヤ主義者が「日記」を貶めるプロパガンダを展開した。日記を読まないうちに,日記の文書は,十三四歳の少女が書けるものではないと思い込み,姉マルゴーや他人のノート書き込み、戦後に研究者や編集者が書き込んだボールペンや鉛筆の書き込み・筆跡を取り上げて、日記が捏造だとの誤解を広めた。彼らは「アンネの日記」原本が、複数の日記帳・中古の学校用ノート・中古の会計帳簿、中古の多数の紙切れ(ルーズリーフ)から構成されていることに、市民が思い至らないように慎重に議論している。

戦時中の潜行生活・物不足の中で手に入れた「日記を書いた紙」は、新品ではなく、劣悪な紙や書き込みの古紙だった。日記の真偽は,裁判・科学的検証によって明らかにされたが、日記捏造説,日記焚書の発生は,ユダヤ人虐殺の歴史を共有できていない、あるいは反ユダヤ主義が残っている証拠でもある。2009年アンネの日記がユネスコ世界記録遺産に登録されことで、捏造説を宣伝していた人々は、かつての自分たちの言動を黙殺しようとしている。

◆アンネ・フランクは,アムステルダムの隠れ家から一切外出ができず,親衛隊SS・ドイツ秘密警察(ゲシュタポ)・オランダ警察(グリューネ・ポリツァイ)に発見されることを恐れていた。ユダヤ人迫害の恐怖と不安を克服しようと日記を書き進めた少女は,魂の内側で思索を深め,社会的関心を広げた。表現力も,書体も豊かになった。けれども、文才に恵まれてた作家では,少女の生の文章を書くことはできない。

◆アンネの日記を「十三四歳の少女がかけるはずがない」と喧伝する者は,自分の文才と比較したのか、日記を読んでいないかである。手にとったことのない「アンネの日記」、見たこともない1959年アカデミー賞の映画「アンネの日記」の高い評判を伝え聞いて、少女にそんな人気作品が書けるわけがないと誤解したのか。狭い隠れ家に閉じ込められていたアンネは、顔を突き合わせざるをえなかった同居者、姉や母親に対しても不平不満を書き連ねている。日記を読んでいないままに日記を否定している者は、不平不満を抱えた少女の悩みを知らないし、少女の鋭敏な感覚にも,25ヶ月間の苦しい隠れ家生活の恐怖にも思い至ることがない。

◆アンネ・フランクは,迫害の中で身体的に拘束され、不自由に苦しんだが、そのことがかえって,アンネの魂を自由にした。少女は,限りない精神世界を形成し,その一端を「複数の日記帳や多数の紙切れ」に書き記した。それは、同居者から母親まで悪口も、若者・少女の理想主義,向学心、男の子への興味も綴られている。まさに女の子の生の文章だ。

戦争では,祖国防衛,民族・家族を守るの戦いとして,戦争の大儀,聖戦が語られてきた。戦争を望まなかった女性も子供も,戦争に巻き込まれた。アンネ・フランク(1929年6月12日ドイツのフランクフルト生まれ)も,1939年9月,僅か十歳で第二次世界大戦に直面した。

オランダは,1940年6月,ドイツに完全に占領され,連合軍による欧州解放が待望された。日記には,ラジオ放送に聞き耳を立てて,一喜一憂する隠れ家住人たちの様子が生き生きと描かれている。
しかし,アンネ・フランクは,戦争は民族栄光の歴史だという戦争英雄叙事詩、聖戦や自存自衛の戦いはなくなることがないという戦争必然説・ニヒリズム(虚無主義)を信じてはいなかった。戦争は政治の延長線上にあるとするクラウゼヴィッツ亜流の戦略論にも陥らなかった。

Miep Gies/Alison Leslie Gold(1988)Anne Frank Remembered: The Story of the Woman Who Helped to Hide the Frank FamilyTouchstone Books :「日記」以外にも,アンネ・フランクに関する映画や演劇が作られた。しかし,隠れ家住人を助けたオランダ人の活躍も見逃せない。日記に実名で登場する(ありふれた名前の)ミープ・ヒースMiep Gies(1909-)が語る人間味溢れる物語からは,婦人のやさしい気遣い,ユダヤ人を危険を承知で庇護したレスキュアーズの勇気が伝わってくる。そこには,ユダヤ人迫害に協力した,あるいは協力せざるを得なかったオランダ人の話も出てくる。ミープは,アンネが亡くなった事をオットーから聞いて,アンネの日記をオットーに渡した。女同士の信義として,日記はアンネに直接返そうと考えていたが,それが不可能になったからである。

  <「アンネの日記」読書感想文>
 日本の学校生で,「アンネの日記」を手にした人は多い。しかし,全部読んだ人は少ない。ある教諭は,図書人気投票で2名しかいなかった「アンネの日記」を第一位に偽装したという。十三四歳の少女が「アンネの日記」のような名文を書けるはずがない,という大人は,日記本文を読んでいないに違いない。日記を通読すれば,前半では,家族,隠れ家の住人の話,個人的な不満,後半は,ペーターに関することなど,日常の出来事が多い。
 読書感想には「若干の退屈なエピソード(Wikipedia)」といった読み方から,「アンネに年齢が近かったせいもあり、親近感を感じた(Amazon.co.jp)」「私は異国の少女の考え、想い、そして好きなものや嫌いなもの、夢中になれるものなどが、自分とまったく変わらないと知った」として,現在の自分と戦時中の隠れ家生活をしていたユダヤ人アンネとの親近性を示すものも多い。
 「軍事マニアから見て,興味ある部分は殆どなし。」「情勢を巡る話しもあるが、寧ろ大半は思春期の少女の内面の話しである」「戦争ものとか抜きにして、アンネの悩みながら成長しようとする姿勢はすごいなと思う。ただ、長いので飽きた。不謹慎だけど-----デュッセルさんが何者かに殺された!デュッセルさんはみんなに嫌われていたので、みんなに動機はある。犯人はこの隠れ家の中にいる!みたいな展開起こんないかな~って、思うぐらいイベントが少ない。」

 このように,日常の出来事の記載が多い「アンネの日記」の行間に示されている戦争や人種民族差別への関心は,必ずしも高くはない。アンネの置かれた状況を抜きに「日記」を読めば,親近感からくる評価が至当かもしれないし,親近感から,戦争や差別への関心に向かうこともある。実際,戦争と差別に思い至った少年少女の読書感想文も少なくない。

  6年B組 川口は,「『人と話したい。自由になりたい。お友達がほしい。ひとりになりたい。そしてなによりも・・・おもいきり泣きたい。たくさんの願望に胸がはちきれそうな気がしますし、泣けばずいぶんさっぱりするでしょう。でもそれができません。』どうして。今の時代にはごく自然にできることができなかったのだろう。」として迫害の時代と現代の自分との差異を明確に意識している。

 中2年・浅井は,「私には今日も学校という世界があり、私をいろいろな角度から見てくれる先生や友達がいる。これから私はどれだけたくさんの自分と出会うことだろう。新しい自分の像と出会うたびに嬉しいと思ったり、反対に深く思い悩んだりすると思う。そういうことを繰り返しながら、限られた空間と人たちの中でしか生きることのできなかったアンネの人生に時に思いをはせ、無限の空間とたくさんの人たちの中にいる自分の人生をしっかりと歩んでいきたい。」と,時代背景を理解した上で,将来の希望を掴み取った。

 1年 大河 は,「おなかが空いたら何かを食べるし、部屋が暗いと思ったら何時だって電気をつけて明るくすることができる。自分が欲しいものは、充分なお金さえあれば手に入れることができる。バスだって電車だって車だって乗れる。私は十六歳の高校一年生だけど、日本の高校生なら、ほとんどの人がこんな生活を送っているはずだ。----ごく普通の生活だ。では、これが民族だとか、宗教の違いだとかで縛られてしまったらどうなるだろうか。」とアンネを襲った人種民族差別の恐怖と不安を自分に置き,思索を深めた。

 高等学校3年 斉藤は,「今になって読み返してみても、戦争の中の『日常』を私は勘違いしているのに気づいた。アンネの日記には、喧嘩の絶えないこと、支えてくれる人たちへの感謝、家族や共に暮らす人々への不満など、あらゆる感情が書かれている。私は彼女の日記から、悲しみの感情ももちろんのことだけれど、戦時下であっても、人は当り前の「日常」の感情を、簡単には手放せないのだと改めて実感した。  今も続く戦争の渦の中で暮らす人々も、きっと同じように「日常」の感情を持っている。私は、毎晩安心して眠りたいと改めて考えることはないが、世界には毎晩安心して我が家で眠れない子どもたちがいることを、新聞で知った。----夜、安心して眠りたいというのも『日常』の誰もが持っている感情だが、それを満たせる人と満たせない人がいる。満たせる人は、そんな感情も忘れてしまっているけれど、忘れてはいけないのだ。『日常』の感情が一番単純で一番大切な感情だと忘れなければ、人の命を平気で奪う戦争は起こらないのではないか。」と,平和と戦争と接点を日常に認識し,戦争の本質を読み取った。

 向陽小学校6年 辻は、「私はアンネたち、ユダヤ人がなぜあのような差別を受けなければならないのか、いまでも納得がいきません。みんな同じなのに差別するなんでおかしいです。私だったら差別なんかしたくないです。そんなことをやっても、人が傷つくだけだし、いいことなんて一つもないです。もしも、自分がユダヤ人だったら…と考えると私はぞっとします。そんなことを考えずに、こんな行動をとったヒトラーを許せないという気持ちが込み上げてきました」と差別に反対する姿勢を明らかにしている。

 新池中学校2年 中村谷は、「私の今の生活は、食べ物や衣服に不自由なく、自分の意思で行動を決めることができます。私は、それが普通で当り前の様に感じていましたが、アンネから考えてみれば、これ以上の贅沢や幸せはないと思います。アンネは日記帳に「人間は、本当は良い人だと信じます」と書いてあります。アンネはこんな恐ろしい時代の中でさえ人を信じて恨まず平和を願っていたことに、私は感動しました」と日常生活を安寧におくることへの感謝とアンネの強い意志に共感している。 

平成十六年度石巻管内読書感想文コンクール 準特選は、「『いつか殺される。』『恐ろしさでぞっとする。』という恐怖感を考えたことは一度もないと思います。だからこんなひどいことができるのだと思います。アンネも日記に、『死ぬほど、こわいわ。』と書いています。私はそういう恐怖感を味わったことはありません。今の平和な世の中では想像もつきません。そんなつらい時でも、アンネはすごいと思います。なぜかというと、こんな恐ろしい所に住んでいるのに、いつも明るくふるまっていたからです。私もアンネみたいにいつでも明るくふるまっていられたらいいなあと思います」と、恐怖の中で希望を持ち続けた少女に共感している。

立教英国学院中学部3年男子は、「初めてのジャンルに期待しつつも、どうせ一人称視点と同じ様なものだろうと軽い気持ちで本を開いてみました。ですが、それは思っていたそれとは大きく異なりました。ストーリーなんて無い。文章の流れもむちゃくちゃ。-----本の最後の最後まで続く自己中心的かつ自意識過剰な語り口調に若干の怒りを覚え、そして何の感動もなく日記が終わる。582ページもある長い本を読みきって残ったものは何もありませんでした。
 読み終わってしばらくの間、この本は何を訴えかけていたのか、何がそんなにも多くの人々に感動を与えたのかを考えてみました。-----僕は最も大事な事を見落としていたのです。それは最後のページの後、何が彼女の身に起こったのか、でした。最後のページの後に起こった事、それはすなわち日記を書くのを止めた、もしくは止めさせられた原因。それを考えた瞬間、自分の中で何か熱いものがこみ上げてきて、同時にこの日記に込められた一文字一文字の重さが、僕の心にのしかかったのです。
 実際、自分がその場に立たされた時、変わらず自分の思う事や起こった出来事を記録するような余裕があるだろうか。-----アンネ・フランクにとって日記が途切れる事はゲシュタポに逮捕され、強制収容所送りになる事を指します。収容所というのは入ってしまったら、一切の自由を奪われる、いわば死も同然の生活が待っている場所です。----
 僕の日記の空白は飽きっぽい子どもが平凡だけど幸せな日々を送っている証です。ですが、アンネの日記の空白は収容所に送られ、以後書く事ができないという悲壮感の塊。同じ空白でもその持つ意味は全く異なります。白いページは飽きっぽさの象徴、アンネの日記は僕にそんな平和な時代に生きている事に感謝させてくれました」と、非日常の、迫害の恐怖に思いを巡らすことができた。

◆『アンネの日記』を行間まで読み,ユダヤ人迫害と戦争の理由・経緯を知れば、人種民族の差異,戦争の大義が如何なるものであろうとも、差別と戦争は、人類が自ら同胞に対して犯してきた愚行であることが確信できる。差別と戦争は起こってしまったのではなく、人類自らが引き起こした。経済力と軍事力に支えられた迫害と破壊・殺戮を見れば,戦争は政治の延長にすぎないというニヒリズムの愚かさ,冷淡さに気づかされる。だが,我々の祖先も、私たち自身も加担した迫害と戦争を再び見つめるには、勇気と内省が求められる。

序 帝国主義と人種民族差別:ナチスの反ユダヤ政策

1.ファシズムの台頭とナチスの政権獲得

(1)ナチスの政権獲得・反ユダヤ政策

1933年1月30日,アドルフ・ヒトラーが首相に任命され,ナチス党The Nazi Party (NSDAP)がドイツの政権をとると,突撃隊stormtroopersによるユダヤ人への迫害,ユダヤ人商店の破壊が横行した。アンチ・セミティズムAnti-Semitismは,人種民族差別の意識・偏見にとどまらず,ナチスドイツによる基本的人権の制限・迫害となった。
言論の自由が封じられ,ドイツ民族の優越性,ユダヤ人の邪悪性に疑念を抱く反ナチスの思想・言動は、弾圧された。

 ロシアのボルシェビキ(共産主義者)政権,その煽動による革命の波及を恐れた保守政治家・資本家・宗教家の一部は、ファシズムを反共に利用しようとした。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)は,ユダヤ人が狡賢い,貪欲な資本家だ,暴力革命を企てている,としてアンチ・セミティズムAnti-Semitismを喧伝し,第一次大戦の敗戦,ベルサイユ条約によるドイツ抑圧は,ユダヤ人の陰謀とされた。

ファシズムは,軍備と領土を拡張し、世界秩序の再編成を唱え,ヒトラーは、東欧・ソ連にドイツの生存圏(Lebensraum)を獲得することを1925年の著作『我が闘争』で公言していた。ドイツ人弱体化を企てるユダヤ人は,共産主義者で,ペストと同じように人種汚染を進める下等劣等人種であるとアンチ・セミティズムAnti-Semitismを主張した。

◆ヒトラー『我が闘争』では,ユダヤ人が共産主義と結びつき,ドイツの弱体化を企てているとした。ユダヤ人が操る共産主義のソ連,ユダヤ金融資本に踊らされているアングロサクソン大英帝国と堕落した物質文明アメリカが,ドイツの勢力拡大を妨害する,と考えた。下等人種劣等民族ユダヤ人は,優秀なドイツ人を人種汚染する。ユダヤ人共産主義者がソ連を支配し,ユダヤ人金融資本がアメリカと大英帝国を操って,ドイツに戦争を仕掛けようとしている。したがって,ドイツの敵ユダヤ人を排除しなくてはならない。

1933年2月、国会放火事件後、テロを企てたとして共産主義者・反体制派を一斉検挙,基本的人権を制限する大統領緊急令を発布,3月、全権委任法Ermächtigungsgesetz(Enabling Act of 1933)によって、ナチ党独裁を議会に認めさせた。ナチスは,暴力を用いて,一見すると合法的な一党独裁を成立させた。

ユダヤ人虐殺の理由は、ユダヤ人が、ドイツ帝国を崩壊させ、アーリア人を滅ぼして、世界支配を企んでいるからである。その方法は、�人種汚染、�ボルシェビキに代表される共産主義、�国際金融界に代表される拝金主義、�最終的手段としてのドイツに対する戦争、である。

 1933年5月の焚書対象は,主にユダヤ人作家だった。「本を焼くものは,人をも焼くようになる」とのハインリヒ・ハイネの言葉通り,8年後,ナチスによるユダヤ人虐殺が本格化する。

アンネの父資産家のオットー・フランクOtto Heinrich Frank(1889-1980)も,1933年,ドイツのユダヤ人迫害を前に,オットーは,オランダのアムステルダムで新たに事業を展開することを決めた。フランクフルト・アムマインから,オランダ国境近くのアーヘンに移り,1933-34年にオランダに亡命・移住した。

<アンネの国籍・市民権>
 1929年6月12日、ドイツのフランクフルトでドイツ人の両親の間に生まれたアンネは,ドイツ人である。しかし、ナチ党のユダヤ人迫害が強まった1934年3月、フランクの一家は、アンネ5歳の時、オランダのアムステルダムに移住した。この事実上の亡命によって、ドイツ国籍を消失したとすれば,一家は無国籍者となる。アンネは、戦時中の日記に「立派なオランダ人になりたい」と書いたが,1934年に移住してきたため、オランダの国籍は持っていない。

 BBC News(Anne Frank status campaign fails)によれば,オランダのTV局KPO(Katholieke Radio Omroep:カトリック・ラジオ・ブロードキャスト)が、「オランダの偉人」番組で,アンネを取り上げ,国籍を申請した。2004年10月,オランダ司法省は「死後の国籍取得」を却下した。実際,彼女が人生の三分の二を過ごしたフランクフルトを軸にすれば,アンネは,亡命ドイツ人である。2003年ドイツの偉人では,アンネは134番目だった。

◆マザーテレサの国籍についても,厳格に規定・合意できないほど,人種民族の区分は,曖昧である。人種の連続的な特徴変化・DNAをふまえれば,肌の色,鼻の形,目つき,体臭を基にした「種」など存在しない。身体的特徴の違いは,「亜種」にすぎない。

(2)独裁者ヒトラー総統の誕生

1934年8月2日,国家元首ヒンデンブルク大統領が死去すると,アドルフ・ヒトラー首相は,大統領職を兼務,新たに総統(Führer:フューラー)の職に就いた。そして,ドイツ軍全兵士に陸海空総司令官を兼ねる総統への絶対忠誠を誓わせた。

ポスター右:ドイツ少女団(Bund Deutscher Mädel)「青年による総統への奉仕」Jugent dient dem FührerChris Crawford引用。
ポスター右:ヒトラーユゲント(Hitler-Jugend)「明日からの将校」Offiziere von morgenDer Zweite Weltkrieg 引用。「私は,若者から始める。われわれ大人は疲れ果てている。----ドイツの大人は,屈辱的な過去の重荷を背負わされている。---しかし,青少年たちは,実にすばらしい。この世に,これほどのものたちはいない。若者や少年を見よ。なんという逸材だろう。彼らがいれば,新しい世界を作ることができる。」1933年,ドイツの青少年は,アンネやペーター・ファン・ペルス(アンネの恋人)などユダヤ人は,下等人種と信じていたのであろうか。

ヒトラー総統の「偉業」は,第一に,全国に規律を行き渡らせたことである。労働者のストライキやデモは鎮圧され,労使協調が図られた。そして,青少年は,ヒトラーユーゲントで,鍛えられた。

ヒトラーユーゲントHitler Jugendは1922年設立。1932年の団員数は5万5000名に過ぎなかった。1933年にナチス政権が成立すると,団員数は1933年末に56万8000名に増加する。その後,キリスト教団体,社会民主党・共産党主導のドイツ少年少女団体は,圧迫され,解散された。1936年,解散メンバーを取り込み,ヒトラーユーゲントの団員数は543万7000名に急増,1936年ヒトラーユーゲント法The Hitler Youth Lawによって,全ドイツ青年が加盟を義務付けられた。

ローマ教皇Benedictus XVI(ドイツ人Joseph Alois Ratzinger)も1941年,14歳で加盟,1943年,16歳でミュンヘンのBMW工場を守備する高射砲部隊に配属。

ヒトラー総統は,ニュルンベルク党大会で「これから千年間、ドイツは二度と革命を経験することはない」と「ドイツ第三帝国Das Dritte Reich は千年続く」と予言した。

ユダヤ人差別として,1933年4月,公職追放,7月, ワイマール共和国後のドイツ・ユダヤ人の国籍の剥奪,10月,著作禁止,1934年,医師.薬剤師新規就労禁止,1935年7月,兵籍剥奪,9月,ニュルンベルク法制定,11月,選挙権剥奪,医師・教授・教員への就業禁止と続いた。
ニュルンベルク法は,下等人種ユダヤ人がドイツ人の血を人種汚染するとした「ドイツ民族の純潔をドイツ国民に存続させる」人種差別法である。ユダヤ人を,似非科学で定義した上で,ドイツ国籍者・ドイツ系民族と結婚することを禁止した。

1938年11月、ナチス突撃隊 Sturm Abteilungはユダヤ人商店を破壊したが,これは,ガラスが飛び散った「クリスタルナハト」(Kristallnacht(水晶の夜):Novemberpogrome 1938 )と呼ばれた。

ナチスによれば,ユダヤ人は,共産主義者として,反ドイツの策謀を巡らしている。アメリカでは,新聞・ラジオ・金融システムを駆使して,政治家を選挙と資金を通じて操り,民主主義の名の下に衆愚政治を行っている。卑怯な悪賢いユダヤ人は,第一次大戦時,背後にいて,共産主義を広め,ドイツ民族を打ち倒す陰謀・革命を企てたと,ナチスは喧伝した。ソ連の共産主義もアメリカの拝金主義も,ユダヤ人支配の表裏である。ユダヤ人にとって,イデオロギーは優秀なドイツ人を貶め,人種汚染をするための手段である。このような人種民族差別・迫害が,ドイツ政府によって公然と行われた。

⇒ナチス政権ヒトラー総統の再軍備・人種民族差別・思想統制

写真(右)1938年6月28日,ドイツ本国のダッハウ強制収容所の囚人。1933年のナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)政権獲得直後に開設されたダッハウ強制収容所は,反ナチス的な人物を保護拘禁し,矯正する施設とされた。実際は,反ナチスを弾圧する方針を見せ付ける恐怖による威嚇,テロである。このダッハウ強制収容所「司令官」が,テオドール・アイケで,彼は強制収容所の看守警備部隊として,親衛隊SS髑髏部隊を編成し,その最高指揮官となった。ダッハウ収容所は,当初は,政治犯を中心に収容したが,後に,ユダヤ人,同性愛者,聖書研究会のキリスト者も収監された。ダッハウ収容所は,他のドイツの収容所と同じく,ガス室を備え大量殺戮を行う絶滅収容所ではないが,食糧不足,不衛生な環境,虐待,奴隷労働,処刑によって,多数の囚人が死亡している。トレブリンカ,ゾビブルのような絶滅収容所は,ダッハウ収容所の運営経験を踏まえ,1941年以降,ポーランドに設置された。Konzentrationslager / Schutzhaftlager Dachau.- angetretene Häftlinge, 28.6.1938 写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用。当研究室掲載のドイツ連邦アーカイブ Bundesarchiv写真は,Wikimediaに譲渡された解像度の低い写真ではなく,アーカイブに直接,届出・登録をした上で引用しています。引用は原則有料,他引用不許可とされています。

親衛隊SS長官ヒムラーは、1933年,ナチス政権の警察を支配し,反ナチス政治犯を拘禁する強制収容所を,オラニエンブルク,ダッハウに設置,親衛隊髑髏部隊に管理させた。これは,反ナチス的な人物を全て収容する「保護拘禁施設」だった。ここでの囚人の取り扱い,拷問,懲罰などの経験が,大戦中のユダヤ人やソ連軍捕虜を収容,管理する方法のモデルになった。ユダヤ人を虐殺する以前,反ナチスの人物は,ドイツ人も虐待された。下等劣等民族であれば,殺害するとの方針は,既にナチス政権掌握直後の強制収容所で芽生えていた。

ナチスの時代,戦前でもユダヤ人への温情は,違法行為であり,言論の自由がない状況で、政府批判は,強制収容所送りになった。大戦前,すでにドイツ市民は,ユダヤ人迫害は仕方がないと諦めていたようだ。
 現在でも,弱いものを貶めていれば,自分は有利な立場を保つことができるが,十一歳のアンネが置かれた大戦の時代と現在の状況とを比較すれば,利己的な現実主義は,自分の弱さによっている,と気づかされる。自分の無力さを前提に「しかたがない」とするニヒリズムである。

2.第二次世界大戦1939/09/01

(1)ナチスの欧州支配
1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻のとき,保安警察特務部隊が投入され,ポーランドの政治家,将校,教師,ユダヤ人などを殺害した。アインザッツグルッペンEinsatzgruppen(特別行動部隊)は,占領地の治安維持,ユダヤ人虐殺を担当した。また,ポーランドには、ユダヤ人居住区ゲットーghettoを設けて、ユダヤ人を狭い空間に押し込めた。

写真(右)1939年9-10月,ワルシャワの通りを埋める瓦礫を撤去する作業を強要されるユダヤ人(?)。左奥にドイツ軍兵士が監督している。ナチス親衛隊は,ポーランドのユダヤ人をゲットーに隔離する前に,ユダヤ人住民の情報を集める登録作業を行った。その名目は,食料物資の配給登録と戦災の後片付けだったようだ。ユダヤ人は,この作業が終わるまでの一時的な苦役・使役として考えたに違いない。しかし,ユダヤ人を登録させることに成功した親衛隊は,次にユダヤ人を市内一角のゲットーに強制的に移転させた。その後になって,ゲットーから強制収容所に移送が始まった。Archive title: Polen, Warschau.- Juden (?) bei Aufräumungsarbeiten; PK 501 Dating: 1939 September - Oktober Photographer: Rieger, Alfons撮影。写真は,ドイツ連邦アーカイブBundesarchiv登録・引用(他引用不許可)。

戦時挙国一致内閣として,1940年5月10日、チャーチルが英首相に就任した当日,ドイツのフランス侵攻作戦開始。

1940年5月,ドイツ軍は,ベルギー経由で,侵攻し,5月17日オランダ降伏、5月28日ベルギー降伏、6月5日ダンケルク占領。ただし,連合軍兵士34万名は,英本土に脱出。6月10日、ノルウェー降伏,6月22日フランス降伏。

1940年5月13日チャーチル首相就任演説(下院):「血と労苦と汗と涙のほかに、差し上げられるものはありません。----あらゆる犠牲を払って、あらゆる辛酸に耐えての勝利、いかに長く苦しい道のりであろうとも、戦い抜き抜く以外、生き残る道はないのです。」

アンネ・フランクが尊敬するチャーチル首相は,ラジオ演説を通して,ドイツ占領地の被支配者の人々を勇気付けた。親衛隊や秘密警察ゲシュタポは,連合国放送を市民が聞くことを禁止したが,密かに外国放送を傍受していたドイツ占領地住民(やドイツ将兵も)は少なくなかった。他方,生活のためにドイツに協力したオランダ人,親独派として,祖国オランダの独立を守ろうと考えたオランダ人も,決して少なくはなかった。

第二次大戦が勃発すると,ユダヤ人を示す黄色い星印を着用させ,財産を没収し,ユダヤ人を強制収容所に収監するか,排除する方針が打ち出された。これは,ドイツの親衛隊,警察,国防軍,そして,ポーランドやバルト諸国,オランダやフランスなどの警察・住民の協力の下に行われた組織的な人権蹂躙,暴力,殺害である。

◆ヒトラー総統は,大戦直前,1939年1月30日のドイツ国会演説で、国際金融界のユダヤ人が、諸国民を再び大戦に引き込めば、その結果は、ボルシュビキとユダヤ人の勝利ではなく、欧州ユダヤ人の絶滅である,と予言していた。ユダヤ人絶滅を口頭で命じたため,命令書はないが,この開戦直前の国会演説から,1945年の政治的遺書まで,明確にユダヤ人殲滅戦争を遂行することを公言している。

武装親衛隊オランダ人義勇旅団「ネーデルラント」募兵ポスター(右)「ネーデルランド:ソ連ボルシュビキ(共産主義者)と戦うために,武装親衛隊に参加しよう。」The European Volunteer Movement in World War II:Richard Landwehr引用:ドイツでは,ヒトラー政権樹立直後,突撃隊から親衛隊(Schutzstaffel:SS)に権力が移った。親衛隊は,ドイツ軍占領地の治安維持、捕虜虐殺,ユダヤ人など敵性住民の収監・迫害を行い,収容所の看守任務を担った。そのために,連合軍は,SSを犯罪者集団とみした。また,ナチス党の軍事力強化が求められ,陸軍とは独立した軍隊としてSS武装親衛隊が拡充された。ヨーロッパの人的資源を利用するために,フランス人武装親衛隊のほか,オランダ人,ベルギー人,ノルウェー人,エストニア人,ラトビア人,ウクライナ人,クロアチア人,モスレム人の武装親衛隊も編成された。

1941年5月にオランダがドイツに占領されると,オランダの親ナチス勢力も加わって,ユダヤ人迫害が始まった。親独のオランダ指導者アントン・ミュッセルトAnton Adriaan Mussertは,ヒトラー総統と会談し,国家社会主義運動NSB(Nationaal-Socialistische Beweging)を起こした。

大戦が始まると,1940年9月,オランダ人の武装親衛隊義勇旅団Volunteer Legion「ネーデルラント」Niederlandeを編成した。このSS部隊には,オランダ人2,600名が志願,ドイツSS武装親衛隊の下で,レニングラード方面でソ連軍と戦った。

オランダのナチスNSBは,ラントヴァハト・ニーデルランデLandwacht Niederlande、すなわち祖国オランダ防衛部隊)の編成をナチスに認められ,治安補助部隊として、オランダ警察(グリューネ・ポリツァイ)とともに,ユダヤ人,反政治活動家などの捜索,逮捕に当たらせた。

(2)アンネの「複数の日記帳と多数の紙切れ」
1933年,ナチス・ドイツの迫害を逃れてオランダに亡命したオットー・フランクOtto Heinrich Frank(1889-1980)たが,第二次大戦勃発,1940年5月のドイツ軍によるオランダ占領で,再びユダヤ人への迫害が始まった。そこで,オットー・フランクは,手遅れにならないうちに,自分の会社の倉庫を「隠れ家」として,家族四人が潜行することを決意した。彼らは,オットーの会社の従業員だったオランダ人から,食料など多大な直接支援を受け,アムステルダムの真ん中に隠れ住んだ。

1942-1944年,フランクの次女アンネAnne(1929/6/12生)は,十三歳から十五歳にかけて,日記をつけた。その記述は,隠れ家生活を続けるにつれて,冴えてくる。『アンネの日記』の記述は,隠れ家における生活を,ユダヤ人迫害の恐怖,支えてくれるオランダ人への感謝,同居するユダヤ人との葛藤,家族,特に父への愛,同居人ペーターとの恋愛,ジェンダー・女性の自立の観念を経ることで,内面の精神世界と社会的関心が形成されていった。

1942年6月12日のアンネの日記:「これまで誰にも打ち明けることができなかったことを,あなたに打ち明けることができそうです」
日記が初めて書かれたのは,独ソ戦が開始1年後だった。彼女は,1942年6月12日の十三歳誕生日にもらった第一冊目の日記帳(赤白チェック模様で留め金つき)に日記を書き始めた。この時点では,アンネは,アムステルダムの学校に通っており,6月15日には,誕生会を開いている。誕生会に呼んだ友達に,「名犬リンチンチン」の映画を見せている。フランク家は,資産家だった。
 アンネの日記の書き始めには,クラスメートに対する辛らつな批評も長々記されている。初期の日記の内容は,心のうちを吐露しているが,個人的な事柄が多い。十三歳の誕生日にもらった一冊目の赤白チェック柄の日記帳は,1942年のうちにほぼ使い切ってしまった。

アンネは,物不足の戦時下にあった。日記を手に入れてから1ヵ月後には,隠れ家生活に入った。アンネは複数の代用日記帳,多数の紙切れに日記をつけざるを得なかった。

1941年5月,オランダを占領したドイツ軍は,ユダヤ人差別を,徐々に厳しくした。オランダでも,ナチス親衛隊SS,ゲシュタポGestapo,オランダ警察に連行されるユダヤ人も見かけるようになった。娘マルゴーMargotに出頭命令がきた時,危険を感じたオットー・フランクは,娘たちには知らせずに,直ちに潜行生活に移行する決意をした。

写真(右):アムステルダム市プリンセンフラハト263にあるアンネたちの隠れ家:1階は店舗と倉庫,2階には事務室と豪華な社長室があった。3階は表側が商品倉庫で,後側に書棚の隠し扉があった。この奥が《後ろの家》隠れ家である。1942年6月-1944年8月まで3階,4階の後ろ側の部屋5スペースが,隠れ家として使われた。夜間など会社従業員が帰宅して,会社に誰もいないときには,隠れ家以外の空間も使うことがあった。アンネの父オットーは,フランク家四名のほか,ドイツ出身ユダヤ人ファン・ペルス家(ヘルマン,アウグステ,ペーター),フリッツ・ペフェファーの四名を自分の隠れ家に招いた。Anne Frank and the Holocaust - gallery引用。

1942年7月8日の「アンネの日記」に,隠れ家に移るまでの顛末が詳しく書かれている。どこか遠いところに旅立つそぶりをして,実はオットー・フランクの所有していた貿易会社の倉庫に隠れることにした。

隠れ家住人
フランク家の四名:オットー,エーディット,マルゴー,アンネ:1942/7/6 隠れ家入居
ファン・ペルス家(アンネの日記での変名ファン・ダーン)の三名:ヘルマン,アウグステ,ペーター:1942/7/13 隠れ家入居
フリッツ・ペフェファー(変名アルベルト・デュッセル):1942/11/17 隠れ家入居

隠れ家住人支援者
女子:ミープ・ヒースMiep Gies,ベップ[エリザベート]・フォスキュイルBep Voskuijl
男子:ヨハンネス・クレイマンJohannes Kleiman,ビクトル・クレーフルVictor Kugler,ヤン・ヒース

 アムステルダム市プリンセンフラハト263の隠れ家では,隠れ家住人の部屋の割り,食料の分配,机の利用時間,音を立てられないトイレとオマルや沐浴の利用,プライバシーの確保まで,住人相互の対立,葛藤,喧嘩があった。

1943/3/25の日記:代用トイレットペーパーの領収書がトイレに詰まった。棒を使って,汚物を取り出した。
1943/5/2の日記:衣類は洗濯できない上に,汚く,古くて繕うこともできない。子供たちの服は小さくなりすぎた。
1943/9/29の日記:「ファンダーンさんは,フランク家に内緒で肉を隠し持っている」とパパ(オットー)が怒っている。
1943/10/17の日記:ファンダーンさんは,毛皮のコート,ドレス,クツを持っているが,それらを売り(現金化すること)もせずに,オットーの会社が食料を出すべきだと要求する。
1943/12/30の日記:各家庭の所有・保管する食料に差があった。フランク家は,脂・スープを持っていなかったので,持っている家族と物々交換した。ジャガイモの料理方法について,ジャガイモの質に格差が大きく,調理油も不足しているので,隠れ家住人の間で対立があった。

しかし,問題を承知の上で,オットー・フランクは,他のユダヤ人四名も自分の隠れ家に受け入れた。
 日本人同士だったら,「文句を言うなら,出て行け」となりそうな場面もあったが,オットーが,他のユダヤ人を隠れ家に匿う姿勢は,一貫していた。フランク家以外の隠れ家住人は,自由に議論をしている。オットー・フランクは,自分にも厳しい正義の人だった。
 隠れ家8名の住人は,みな米英仏連合軍が,欧州大陸に上陸し,オランダ解放の日が来ることを願っていた。

1944年3月29日,戦時中に困難を味わった国民の日記や手紙などを集めて,苦難を後世に伝えるべきである,とのロンドンの亡命オランダ政府ラジオ放送を,隠れ家の住人は聴いた。そこで,アンネは,「複数の日記帳と多数の紙切れ」を下にHet Achterhuis (隠れ家,後ろの家)の物語が発表できるようにと,日記や物語を推敲し,出版の準備を始めた。

 学校から締め出されたアンネだったが,隠れ家でテキストをそろえて,隠れ家住人を家庭教師に,授業日課を定めた。アンネの知識欲,好奇心は旺盛で,歴史が大好きで,英語にも熱心だった。閉鎖的な空間で自己を見つめ,勉強に励んだ少女の関心は,歴史・社会・世界に広がった。

アンネは,ドイツのフランクフルトアムマインFrankfurt am Mainで生まれたドイツ・ユダヤ人だったが(姉マルゴーはドイツ語も完全に理解),本人は立派なオランダ人なることを決意する。アンネは,いつか広い世界に出て,みんなのために働きたい,たとえば,ジャーナリスト,作家になりたい,と思った。日記にも,将来,自由になって,学校に行く夢と,オランダ・ユダヤ人として「きっと人のためになることをしてみせます」(1944/4/11)と,女性の自立を意識した決意が書かれている。


写真(上)第二冊目以降のアンネ・フランクの日記原本とルーズリーフ:左より,�三冊目の学校ノート代用の日記帳。1943年12月22日から1944年4月17日までの日記が書かれている。120ページで,幅16.4cm X 縦20.7cm。�紙切れを使ったルーズリーフの一枚。リライトするために紙切れを使って,日記を整理した。�会計帳簿を代用した物語集。以上のように,アンネは,1942年12月の十三歳の誕生日にもらった日記帳を半年で使い切って以降,学校ノート代用の日記帳,会計帳簿,紙切れをルーズリーフにして,日記や物語を書いた。中古ノートは,書き込みページは一部破いている。戦時中の隠れ家生活にあって,新しい日記帳や新品のノートを手に入れることはできなかった。トイレットペーパーも領収書を代用した。戦争直後,日記を手にした編集者・研究者が,日記に整理のために書き込みをした。「アンネの日記」偽作など問題にならず,日記も無名だった時期だった。日本語では,アンネの日記研究文献がほとんどなく,複数の中古学校ノート・多数の紙切れに日記をつけていたことに思い至らないままに,偽作説が流布された。写真は,United States Holocaust Memorial Museum(米国ホロコースト記念博物館)引用。

 <アンネの書いた自筆の日記は,6種類(その他に紛失1冊)>

 1.十三歳の誕生日にもらった赤白チェック日記帳:The Red and White Diary;最も有名な「日記」は,十三歳の誕生日にもらった赤白チェック柄の留め金つき日記帳で,これは,1942年6月12日から12月5日までの分である。61ページ。大きさ:14.3 X 16.6cm

2-1.紛失した二冊目の日記帳:Second Diary- the missing diary;1942年12月7日から1943年12月22日までで,これらはルーズリーフにリライトされたが,原本は残っていない。アンネは,日記に変更,修正を加え書き換えたのである。

2-2.学校ノート代用の日記帳:Third Diary;ハードカバーの学校ノート代用の日記帳は2冊が現存している。ハードカバー表紙は擦り切れており,保存状態はよくない。1943年12月22日から1944年4月17日までの分。終わりの部分に,物語りも書き込んである。120ページ。大きさ:16.4cm X 20.7cm

3.学校ノート代用の未使用部分のある日記帳:Fourth (Last) Diary;姉マルゴーの科学のノートの代用日記帳。破いたページも散見されるが,ノート代用日記の二冊目(現存)。後半に未使用部分がある。ルーブリーフに下書きをして,残された貴重な日記帳に清書するつもりだったのかもしれない。隠れ家生活では,もはや新しい日記帳を手に入れる見込みはない。もったいなくて,小さな字でぎっしり書き込んだ。しかし,逮捕され,残された日記帳に書き込むことはできなかった。未使用部分があることに,かえって心を掻き乱される。1944年4月18日から1944年8月1日(最後の記述)までの分。120ページ。大きさ:16.4cm X 20.7cm で,第三冊目の日記と同じ。

4.ルーズリーフ:Loose Sheets;アンネは,360枚の紙切れ(ルーズリーフ/ルースシート)に,日記を編集し,リライトしている。紙の質や色はさまざまで,紙不足の中で,やりくりして集めた日記代用紙である。
 1943/7/23の日記:「まだ,ベップを通してノートが手に入ります。特に,取引日誌とか,元帳とかで,簿記を習っている姉には役立ちます。普通のノートは,いつまで手に入れることができるのかは,わかりません。どんなノートにもラベルが張ってあり,“配給切符不要”と書かれています。切符不要なものは,みんな質はお粗末な限りです。斜めにゆがんだ細い罫線の灰色の紙,それが12枚で1冊のノートになっています。」
ルーズリーフとした紙切れには,鉛筆書きのページ番号がつけられているが,これはオットー・フランクが編集したものである。
 ⇒以上の4+1タイプの日記の全ページ使い方は,Anne Frank's Diary: Page Use参照。

5.会計帳簿代用の警句集:The Favorite Quotes Notebook;オットーの会社にあった縦長の会計帳簿には,アンネのお気に入りの警句や言葉が書かれている。これも,広義のアンネの日記に含めてよいであろう。

6.会計帳簿の物語集:the“Tales” Book;アンネは創作した物語を,大きな会計簿に書き溜めた。物語は,日記帳にも書かれているので,やはり広義の「アンネの日記」に含めることができる。アンネの物語は,『アンネの童話 』として出版されている。

写真(右)アウシュビッツ収容所に到着したユダヤ人婦女子:移送列車で収容所駅に到着したユダヤ人は,その場で,労働が可能かどうかで即座に2グループに選別された。労働不可能な子連れ婦女子・子供,老人は,ガス室で処刑されることになる。
労働可能者は,過酷な条件の下,軍需工場での奴隷労働,収容所の作業班に充当され,生きることを許される。しかし,栄養失調や病気で労働不能になれば,処刑された。収容所に到着したユダヤ人たちは,生死の選別がなされていること,殺害されることには気づいていない。家族が一緒のバラックで暮らすことを希望していたので,子供を離さない婦女子が多かった。
親衛隊の収容所管理者・看守は,ユダヤ人が暴動を起こさないように十分に配慮したマニュアルを作成し,ユダヤ人絶滅を細心の注意をもって,冷静に実行した。ユダヤ人がドイツ人の血を人種汚染しているとの妄想の下では,ユダヤ人の排除こそが優先され,その労働力としての利用は二義的なものだった。
ユダヤ人虐殺は,反ユダヤ狂信者の異常行動ではない。普通のドイツ人でも,移送列車運行などユダヤ人虐殺システムの運営に参加した。写真は,エルサレムにあるYad Vashem The Holocaust Martyrs' and Heroes' Remembrance Authority 引用。




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