憲法とたたかいのブログトップ
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【このページの目次】
◆原発の歴史リンク集
◆原発の源流と日米関係(赤旗連載)
◆不破哲三=「科学の目」で原発災害を考える
◆国策の果て岐路の原発、福島の悲しみ(朝日連載)
◆共産党=即時原発ゼロの提言
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◆◆原発の歴史リンク集

★★不破哲三=「科学の目」で原発災害を考える(以下の古典教室講義4の前半1時間)
http://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=VbEB5SpeZVg&desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3DVbEB5SpeZVg%26feature%3Dyoutu.be&gl=JP

全文起こしは以下
http://www.jcp.or.jp/seisaku/2011/20110510_fuwa_genpatsu.html

★原発=日本原発の歴史 - 気がつけば原発大国
http://video.fc2.com/content/20140116yq1h4kVm

★★原発=原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略
http://m.pandora.tv/?c=vhttp://m.pandora.tv/?c=view&ch_userid=keiko6216&prgid=53555109

★孫崎享「今だからみえる原発と日米の関係」100m
http://m.youtube.com/watch?v=4onBL-ySm-Y

★★原発=原発事故への道程1-2
http://video.fc2.com/content/20140116scPHcguR

★★原発=原発事故への道程2-2
http://video.fc2.com/content/20140116GtWhPTv2

★★原発=原発と原爆・日本の原子力と米国の影
http://video.fc2.com/content/20140125GgtZT0nW

★★第五福竜丸事件 60年目の真実 【報道特集(2014年3月1日)】28m=アメリカの対応、結果として原発導入の契機となった
http://touch.dailymotion.com/video/x1em3nl


★原発=ベストセラー「原発ホワイトアウト」(そもそも総研・報道特集)
http://video.fc2.com/content/20140126gCP12CCv
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◆◆原発の源流と日米関係(赤旗連載)
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(1)“ラッキードラゴン”の衝撃/米が「広島に原発を」

ビキニ環礁で爆発した水爆「ブラボー」=1954年3月1日(米エネルギー省)
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 1954年3月1日早朝、中部太平洋のビキニ環礁。米軍の実験用水爆「ブラボー」がきのこ雲をあげ、空を真っ赤に染めました。

 爆心から160キロメートル付近を航行していたマグロ漁船「第五福竜丸」に、水爆がまき散らした“死の灰”が降り注ぎます。乗組員23人全員が被ばく。無線長の久保山愛吉さんは半年後の9月23日に死亡しました。

世界から非難

 米ソの核軍拡競争が幕を開けたこの時代、第五福竜丸=「ラッキードラゴン」事件は米国に重大な打撃を与えました。アイゼンハワー大統領が53年12月8日、国連総会で演説し、「原子力の平和利用」(アトムズ・フォー・ピース)を訴えたばかりでした。

 この演説で、同盟国や友好国への濃縮ウラン100キログラムの提供と国際原子力機関の創設を提唱。原子力発電で先行した英国、ソ連に対抗し、核態勢の主導権を奪還することが目的でした。しかし、第五福竜丸の乗組員やビキニ住民を被ばくさせたことで、全世界から非難を受けたのです。

 日本国内では事件を契機に反核平和運動が起こり、翌55年に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。

 「今やわれわれはヒトラーと比較されている」。ダレス国務長官の嘆きの言葉です。

 この危機をどう脱するのか。安全保障政策の最高決定機関である米国家安全保障会議(NSC)に設置された「運用調整委員会」(OCB)。「読売」が3月16日付の報道で第五福竜丸の被ばくを暴露してから、わずか6日後の22日の会議で、「日本に実験用原子炉を提供する」との提案がなされました。

 解禁された文書に、その理由が記されています。「原子力の非戦争使用での攻勢は、ロシアによるプロパガンダへの対抗措置として時宜にかなっており有効である。加えて、日本ですでにおこっている損害を最小限に抑えることができる」

「平和利用」に

 日本への原発売り込みは、さらに特別な意味がありました。

 「広島と長崎の記憶が鮮明なときに、日本のような国に原子炉を建設することは劇的であり、これらの街での大虐殺の記憶から遠ざけるキリスト教徒としての行いである」

 米原子力委員会のトーマス・マリー委員のこの言葉に示されているように、米国による原爆投下の責任をあいまいにし、日本国民に原発を受け入れさせることで、「原子力の平和利用」の象徴にしようという狙いがありました。(ニューヨーク・タイムズ54年9月22日付)

 さらに露骨なのが、商業原発推進派のシドニー・イエーツ下院議員。広島に6万キロワット級原発を建設する法案を提出しています。(ワシントン・ポスト55年2月15日付)

 広島への原爆投下は実験的な要素が強かったと言われています。今度は、技術的に未完成の原発を建設し、新たな核の実験場にしようというのです。

 世界で唯一の被爆国でありながら、米仏に次ぐ世界第3位の原発大国になった日本の歩みは、米戦略と密接に関わっています。原発の源流を日米関係から探ります。


((2)中曽根と正力/つきまとう諜報の影


中曽根康弘氏=首相時の1985年10月
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 2億3500万円。日本で初めて計上された原子炉築造予算の金額です。

ウラン235

 1954年3月3日、中曽根康弘衆院議員(後の首相)らが中心となり、当時の保守3党(自由党、改進党、日本自由党)が突如、54年度政府予算案の修正案を衆院予算委員会に上程。翌4日には衆院通過を強行しました。

 ビキニ水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴びた直後で、被ばくの事実が暴露される約2週間前でした。

 2億3500万円という数字にどういう根拠があったのか。中曽根氏は、著書で「(核燃料となる)ウラン235の二三五ですよ(笑い)」(『天地有情 五十年の戦後政治を語る』1996年)と述べています。

 当時、日本では原子力の研究体制さえなかった時代。日本初の原子力予算が何の根拠もなかったことを示しています。

 こうした暴挙に、マスメディアや学界からは「札束で学者の頬をひっぱたくものだ」という批判が噴出しました。

 なぜ中曽根氏が推進の先頭に立ったのか。そのカギは、前年に開かれたハーバード大学の「夏季国際問題セミナー」にありました。

 中曽根氏(当時、改進党)は、「マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属して、国会や各党に出入りして情報活動をしていた」(前出の著書)人物からもちかけられて、このセミナーに参加します。セミナーを統括していたのは後の大統領補佐官・キッシンジャー氏。中曽根氏はセミナー後、米国の原子力施設を見学するなどし、原子力研究に慎重な日本の学界の状況を「政治の力で打破する」(同)と決意したといいます。

世論誘導図る

 米原子力戦略に従い、日本への原発導入に積極的に動いたのは、中曽根氏だけではありません。その一人が、当時、読売新聞社主で日本テレビ社長だった正力松太郎氏(後に政府の原子力委員会初代委員長)です。

 第五福竜丸事件を契機に原水爆禁止の世論と運動が全国に燃え広がる中、“総理大臣への野望”を抱いていた正力氏は、政治的求心力を得るため原子力に着目。新聞とテレビをフルに使って「原子力の平和利用」キャンペーンに打って出ます。

 正力氏は55年5月、米国から、世界初の原子力潜水艦ノーチラス号を製造したジェネラル・ダイナミックス社のホプキンス会長らを「原子力平和利用使節団」として招聘。同年11月から「引き続き巨費を投じて米国務省と協同で原子力平和利用大博覧会を全国で開催」し、「それを読売新聞と日本テレビの全機能をあげて報道し、世論の一変を期した」のです。(正力氏の証言、『原子力開発十年史』65年)

 正力氏の腹心、柴田秀利氏(後の日本テレビ専務)は、米政府の情報員とたびたび接触。その中で柴田氏は「日本には昔から、“毒は毒をもって制する”という諺がある。…原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ」ることが必要だと提案したことを明らかにしています。(『戦後マスコミ回遊記』85年)


(3)軍事優先の開発/原潜からはじまった


福島第1原発 1 号機の原子炉建屋=5月24日(東京電力提供)
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 東日本大震災当日の3月11日に炉心溶融(メルトダウン)し、翌12日に水素爆発をおこした福島第1原発1号機は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)社が建造したものでした。

2社が独占的

 日本で商業用原子炉の運転が本格化した1970年代前半に建設された原子炉はいずれも、米国のGEとウェスティング・ハウス(WH)が受注しています。(表)

 米国の原子力開発はもともと、原爆開発や原子力艦船の建造といった軍事目的で進められてきました。

 商業用原発の実用化が進んだ50年代、米国は54年に世界初の原潜ノーチラスを進水させ、核兵器は53年の1000発から、60年には2万2000発に増えました。

 GEとWHは、軍事開発から商業利用にいたるまで原子力開発をほぼ独占的に受注してきました。

 両社は米原子力委員会の下で艦船用の原子炉を開発し、アイゼンハワー大統領はWHの加圧水型原子炉(PWR)を採用。米海軍は現在にいたるまでこの型を使用しています。

 米国は当初、原子力発電には消極的でしたが、英国とソ連が原発の運転に成功すると路線を転換。急きょ、WH社の原潜用原子炉を陸揚げし、57年にシッピングポート原発の運転を開始しました。同原発の運転は米海軍が主導しました。

原発 主契約企業 運転開始
敦賀 1号機 GE 70・3・14
美浜 1号機 WH/三菱 70・11・28
福島第1 1号機 GE 71・3・26
福島第1 2号機 GE/東芝 74・7・18
 一方、GE社はWH社に対抗するため、沸騰水型原子炉(BWR)の開発を続け、59年10月にドレスデン原発で臨界を達成しました。それから数年後に、日本との契約にこぎつけたのです。
構造的な欠陥

 軍事的なニーズを発端として、ほとんど駆け足で開発された原子炉には、構造的な欠陥がありました。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版=3月15日付)によれば、福島第1原発など日本に9基ある「マーク1」型について、米原子力委員会は72年、原子炉の格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘していたのです。

 この警告どおり、福島第1で1号機の格納容器が損傷しました。

 さらに、福島第1原発で1~4、6号機の開発に関わった東芝元技術者の小倉志郎氏は3月16日、外国特派員協会でこう指摘しました。「GE社の原子炉はそもそも津波を想定しない設定だった。2号機以降は日本で建設したが、1号機の設定が踏襲された」

 津波で非常用電源が喪失し、原子炉の冷却機能が失われる危険性は、日本共産党福島県委員会などが繰り返し、警告していたことでした。

 日本共産党の吉井英勝議員は5月27日の衆院経済産業委員会で、福島第1原発事故に伴うGE社の製造者責任を追及。外務省の武藤義哉審議官は「現在の日米原子力協定では旧協定の免責規定は継続されていない」と答弁し、協定上は責任を問うことができるとの見解を示しました。


(4)原子力協定の攻防/湯川氏、抗議の辞任


 「本件発表は慎重を要する」。外務省の解禁文書(1955年3月18日付メモ)にある「本件」とは、同年1月11日、米国が日本政府に示した、対日原子力援助に関する口上書のことです。

 アイゼンハワー大統領が提唱した「原子力の平和利用」政策の具体化として、濃縮ウランや原子炉の提供が盛り込まれました。井口貞夫駐米大使はただちに、「日本においても推進するとの建前をとること内外共に時宜を得たる」(55年1月25日付公電)との見解を示します。

 しかし、「朝日」同年4月14日付で暴露されるまで、口上書の存在は極秘扱いでした。「原子炉建設に関する米国の協力に対する一部学界の反対ないし原子力問題に関する敏感な一般世論に無用の刺激を与えることを避けるため」(前出メモ)という理由からでした。

自主・民主・公開

 「科学者の国会」と言われる日本学術会議は、第五福竜丸事件が明らかになった直後の54年3月18日の原子核特別部会で、「自主・民主・公開」の原子力研究3原則を決めました。

 ところが原子力協定の米国案9条に「動力用原子炉(原発)についての協定が行われることを希望しかつ期待し、その可能性について随時協議する」との規定がありました。

 濃縮ウランも、原子炉も米国産。しかも、米原子力法に沿って機密保護まで求められていたのです。「自主・民主・公開」の3原則に真っ向から反する内容でした。

 財界は米国からの原子炉購入を強く主張しましたが、政府は9条の削除と機密保護条項の適用除外の要請を決断。「動力用原子炉に関する日米間協定の実施から独占的米国資本の導入を誘致し、またわが方の学術的研究の自主性を毀損する恐れある云々との有力にしてかつ多分に感情的なる意見をも考慮」(55年6月7日、井口大使宛て公電)した結果でした。

慎重でなければ

 55年11月、原発建設を前提としない「日米原子力研究協定」が調印されました。

 自立的な原子力研究が担保されたかに思われましたが、初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏は56年1月4日、「5年後に原発建設、米国と動力協定の締結」構想を発表しました。14日には米原子力委員会のストローズ委員長が「正力構想」に対する異例の「歓迎」声明を出しました。56年末には原子力協定見直し作業が始まります。

 これに抗議して原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」(『原子力委員会月報』57年1月号)

 しかし、原子力委員会は歴代自民党政権に牛耳られ、安全性を二の次にした原発推進機関に変貌してしまいました。


(5)「逆立ち」のスタート/米のウラン義務付け


 米国、フランスに次ぎ、世界3番目の54基もの原発が林立する日本―。米国は、原子炉の燃料となる濃縮ウランの提供をテコにして、日本を危険極まりない“原発列島”に仕立て上げました。

「建前」が一変

 この濃縮ウラン提供を取り決めたのが、日米原子力協定です。

 最初の協定は、1955年11月調印の「日米原子力研究協定」です。「研究」用に米国が日本に濃縮ウランを最大で6キログラム(ウラン235の量)貸与することを定めました。

 日本の原子力開発の動きは当初から米国の世界原子力戦略に呼応していましたが、建前上は「自主開発」が基本とされていました。

 政府の原子力委員会が57年12月に刊行した『昭和31年版原子力白書』でも、「わが国の原子力開発がスタートした際には、わが国の原子力開発はすべて国産技術を基礎から培養しようとする心構えであり、原子力技術の育成計画もこの線に沿ってたてられていた」と述べています。

 ところが「日米原子力(研究)協定が登場するにおよび事情は一変した」(前出の『原子力白書』)のです。

 日本政府は、日米原子力研究協定の仮調印(55年6月)を受け、貸与されることになる濃縮ウランを使用するため、米国から研究用原子炉の購入を計画。「濃縮ウランの受入れは、小規模かつ長期にわたって低い処から自力で原子力技術を養ってゆくという考え方を、海外(米国)からの援助を取入れて急速かつ大規模に行うという風に計画を変える大きな要因となった」(同)のです。

 原子力の研究計画もないのに原子炉築造予算を計上(54年度)し、導入する炉型の判断もなしに濃縮ウラン受け入れを決め、炉を設置する研究所(原子力研究所)の設立(56年6月)は最後になりました。こうしたやり方は、世界に例のない「逆立ちした研究のスタート」と指摘されました。

30年分も購入

 こうした「逆立ち」は、それ以後も続きます。

 55年の研究協定は58年、動力用原子炉の開発を目的にした新たな協定(6月調印)に置き換えられます。同協定は、米国から日本への濃縮ウラン提供量を拡大し、最大で2・7トン(ウラン235の量)を貸与できることを明記。これと一体に実験用動力炉が導入されました。

 さらに、68年2月に調印された日米原子力協定では、日本で建設中または計画・考慮中の原発に、今後30年間必要なウラン235の量を個々に明記。その総量154トンを日本が米国から受け入れることが義務付けられました。その中には、東日本大震災で事故を起こした福島原発も含まれていました。


(6)核燃料サイクル計画/日本は施設の実験場


 日本で福島第1原発など商業用原子炉の建設が始まったばかりの1967年4月、政府の原子力委員会は、新たな「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」を発表しました。

 同「計画」では、日本の原子力発電が今後、長期間にわたり米国が開発した軽水炉に依存し、その燃料である濃縮ウランの供給も米国一国に頼ってしまうことは、原子力開発の自主性を確保する上で「必ずしも望ましいことではない」と強調していました。

すべて軽水炉

 ところが現在、日本にある原発54基すべてが、米国で開発された加圧水型軽水炉(PWR)と沸騰水型軽水炉(BWR、改良型4基を含む)です。

 濃縮ウランは、米国からの輸入に100%頼っていた当初に比べれば、フランスやイギリスなど輸入先の拡大が図られてきたものの、今でも7割が米国からの輸入に頼っています。(下表)

濃縮ウランの主な輸入先と
数量・割合(2004~10年の合計)
(1)アメリカ  4602.7トン(73%)
(2)フランス  1146.2トン(18%)
(3)イギリス  532.3トン(8%)
(4)オランダ   30.2トン(0%)
(5)ロシア    25.8トン(0%)
全体計    6306.9トン
(注)全体計が合わないのは、ベルギーなど
からもわずかに輸入があるため

 原子力委員会の『昭和62年版原子力白書』は、日本の原発事業者が米国以外からの濃縮ウランを混焼する場合、30%を上限にする契約を結んでいると指摘。制約が課されていることを明らかにしています。

 さらに重大なのは、1988年の日米原子力協定で、「核燃料サイクル施設」の建設をはじめ危険な計画が新たに大きく動き出したことです。協定の付属書4は、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出して再び燃料にする「六ケ所村商業用再処理施設」(青森県)や、使用した以上の燃料(プルトニウム)を生み出せるとした高速増殖炉「もんじゅ」(福井県)などを列挙し、米国の同意が与えられています。

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六ケ所村再処理施設の使用済み核燃料貯蔵プール=2004年9月、青森県

 米国自身は技術的に未完成だとして再処理施設の運転は行っていないにもかかわらず、一連の施設建設への同意は、日本を「実験場」とすることを意味しました。

政権交代後も

 こうして進められてきた原発の大量建設は、民主党政権になっても引き継がれました。

 2010年6月、菅直人首相は、総電力に占める原子力発電の割合を20年後に50%以上にすることを想定し、最低でも14基以上の原発を新増設するとした「エネルギー基本計画」を閣議決定。11月にはオバマ米大統領との会談で、原子力分野での日米協力の推進を確認しました。

 今年3月の東日本大震災による福島原発事故を受け、菅首相は「エネルギー基本計画」を「いったん白紙に戻して議論する」と表明しました。しかし、5月末のフランスでの主要8カ国首脳会議(G8サミット)では、オバマ大統領らを前に「最高度の原子力の安全を実現する」などと表明し、原子力発電を今後も続けていくことを国際公約しました。

 「安全神話」が完全に崩壊した福島原発事故の現実を見れば、「最高度の安全」という首相の言葉はむなしく響くばかりです。日本が原発ゼロの道に踏み出すためにも、対米従属のくびきから抜け出すことが必要です。
 (この連載は、榎本好孝、竹下岳が担当しました)

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◆◆不破哲三=科学の目で原発災害を考える
社会科学研究所所長  不破哲三
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 2011年5月10日、日本共産党中央委員会主催の第4回「古典教室」で、不破哲三・社会科学研究所所長がおこなった講演のうちの原発災害に関する部分を紹介します。

 今日は「古典教室」の第4回。第3回が2月1日で、それから3カ月と9日たちました。この間に、東日本大震災といっせい地方選挙という二つの大問題がありました。最初に、震災の犠牲者への追悼の気持ちとともに、二つの大問題に直面してがんばってこられた全国のみなさんに、感謝と激励のあいさつを送りたいと思います。(拍手)

 今日の予定は『経済学批判・序言』ですが、いきなり「あのマルクスは…」という感じにはならないので、この3カ月間を経ての「古典教室」らしい受け止め方として、補講的なテーマを予定しました。それは、第1課、『賃金、価格および利潤』で学んだことに照らして、今回の大震災、とくに福島の原発災害をどう考えるか、この問題を取り上げたいと思います。

 第1課で学習したのは、資本主義とはどんな社会か、そこで労働者はどういう地位にあるのか、という問題でした。その学習のかなめの一つは、「利潤第一主義」が資本主義社会の本質的な特徴だということ、何をやる時にも自分の会社のもうけがどうなるかが第一の優先課題になる、それが資本主義だということでした。

 2番目は、労働者や国民がその社会で自分たちの生活と権利を守るうえで、「社会的なバリケード」をたたかいとることが必要だということです。マルクスはそのことを150年も前の段階からいっていたのですが、このバリケードがいま世界各国で大いに広がり、それが強くなっている国も出てきています。ヨーロッパでは、国民の生活と権利を守るルールが広く勝ち取られている国が多く、「ルールある経済社会」と呼ばれます。そういう状況と比べると、日本は、このルール、生活と権利を守るバリケードが極端に弱い国です。このことを、日本共産党の綱領では「ルールなき資本主義」と呼んでいます。

 この二つのことが、第1課で学んだ大事な点でした。

 今度の原発災害では、この二つの大問題、資本主義社会の根本である利潤第一主義がどんなに有害なものかということと、原発災害に立ち向かううえでも、わが日本がいかに「ルールのない国」か、この二つのことが非常に鮮明に、しかも国民の命にかかわる形で現れました。

 そういう意味で、第1課の時事的な補講として、原発災害の問題を話したいと思うのです。

原子力の利用をめぐる二つの不幸
 まず最初に、原子力発電で利用している核エネルギーとは何か。その“そもそも”論になりますが、人類が地球上に生まれて、火というものを発見したのは、大事件でした。それまで火というものを、人間は山火事で追われたりする時しか経験しなかったけれども、それを自分でつくって使いこなし、生活を豊かにする道具に変えた。これは、100万年以上も前のことですが、人類史上の大事件でした。

 ところが、1930年代に人間は核エネルギーを発見しました。これは、“第二の火の発見”と呼ばれたほどの人類史的な大事件でした。ものすごい巨大なエネルギーの発見でしたから。

 ただ、このエネルギーは巨大であると同時に、強烈な放射能がつきものでした。これに不用意に手をつけたら、強烈な放射能をどうするか、その手段・方法をきちんと見つけ出さない限り、このエネルギーが放射能を野放しにしたまま解き放たれたら巨大な災害が起きます。だからこのエネルギーを使いこなす、そして人間が人間の目的のために制御するには、たいへんな研究が必要でした。そのことは、最初からわかっていたのです。

◆最初の実用化が核兵器だった

 ところが、不幸なことが二つありました。一つは第2次世界大戦です。ヒトラー・ドイツが、最初に核エネルギーを使って爆弾ができないかという研究を始めたのです。そのことを知ったまじめな科学者たち、ドイツからアメリカに亡命したアインシュタインもその一人でしたが、ドイツが先に開発したらたいへんなことになる、それに対抗するためにアメリカが先に開発する必要があると、ルーズベルト米大統領に進言し、アメリカが多くの科学者を結集して原子爆弾開発の研究を始めたのです。その途中で、ことの危険性に気づいて、開発の続行に反対した科学者も少なからずいました(アインシュタインも後で自己批判しました)。しかし、ことは進みました。

 一番危ないと思っていたドイツが、原爆の製造に成功しないまま敗北して、1945年5月、降伏しました。原爆製造の最初の動機は消滅したのです。ところが、アメリカは研究を続けて、1945年7月、最初の原爆実験に成功しました。

 そうなると、ヒトラー・ドイツはなくなったけれども、せっかくつくった核兵器です。世界にその威力を示さないまま、戦争が終わったのでは、戦後世界でアメリカの威力を発揮できない。そういう政治的な打算から、もう日本の敗北必至という情勢のなかで、その日本に原爆を落とすことを計画しました。つくった原爆は2種類ありましたから、まずウラン型を広島に落とし(8月6日)、次にプルトニウム型を長崎に落としたのです(8月9日)。

 アメリカは、広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させるために必要だったといっていますが、実は何よりも戦後政治のために必要なことだったのでした。その犠牲になったのが広島・長崎だということは、日本の国民として肝に銘じておく必要があります。

 ここに、人類の核エネルギーの利用の第一の不幸がありました。

◆動力炉も戦争目的で開発された

 第二の不幸は何か。人間が核爆発という形で原子力エネルギーを使いだした。しかし、爆発という方法では、経済に利用できませんから、もっと温和なやり方で核を燃やして、経済的なエネルギーとして使えるようにしたいというのは、当然の願望になります。これもたいへんな危険をともなう問題で、本来だったら、災害の危険が絶対にない、放射能の心配などする必要がない、そこまで研究を尽くして、初めて実用化するというのが、当たり前の道筋のはずです。ところが、この開発もまた、戦争と結びついて始まってしまったのでした。

 アメリカの海軍が、潜水艦の動力にこれを使おうということで、開発の先頭に立ったのです。原子炉を潜水艦に積んでこれを動力にすることができたら、いままでの潜水艦よりも、ものすごく長い航続距離をもった潜水艦になって、地球上の海を走り回ることができる。その原子炉(動力炉)を開発したのです。超スピードの開発ぶりでした。原爆の開発成功が1945年でした。それから9年たった54年には、潜水艦用動力炉を積んだ原子力潜水艦の第1号・ノーチラス号が進水して、早くも活動を始めたのです。もともと戦争のための開発ですから、安全などは二の次、三の次でした。こうして軍用に開発した原子炉を、すぐ民間に転用し始めたのです。そのために、安全性を十分に考えないままあわててつくった原子炉の弱点が、いまの原子力発電には、そのまま残っているのです。

◆原子力発電は「未完成」で危険な技術

 開発の初期には、いろいろなタイプの原子炉が研究されたようですが、現在では、アメリカ海軍が開発した「軽水炉」という型の原発が、日本でも、全部アメリカから入り込んで使われています。私たちは「未完成の技術」だと呼んでいるのですが、ここには、大きな弱点が二つあります。

◆何が「未完成」なのか=原子炉の構造そのものが「不安定」

 一つは、原子炉の問題です。いまテレビで原発のニュースがあると必ず図解の解説が出てきますが、要するに、原子炉のなかでウランの核燃料を燃やすわけです。運転を止める時には、制御棒を挿し込んでウランの核反応を止めるのですが、その状態でも、ウランから生まれた核分裂の生成物は膨大な熱を出し続けます。だからそれを絶えず水で冷やしておく機能が必要なのです。ところが、普段、条件が整っている時なら、そういうコントロールができるけれども、いざという時、水の供給が止まってしまったら、膨大な熱が出っぱなしになって暴走が始まるのです。そうなると核燃料の熱がたまり、どんどん高温になって、核燃料が壊れ始める。30分もたったら融けだしてばらばらになり、2時間で原子炉がめちゃくちゃになるといわれています。水を止まらないようにしたらいいだろうと思うかもしれないけれども、あらゆる場合を考えて水が止まらないようにするということができないのですね。アメリカのスリーマイル島の原発事故も、操作の誤りから水が止まって起こったことでした。今度の福島の原発も同じように地震と津波の影響で電源が全部失われて水が止まって起こりました。

 やはりこれは、軽水炉がもっている構造上の本質的な弱点、これは難しい言葉でいうと「熱水力学的不安定性」ともいいますが、その表れなのです。軽水炉による原子力エネルギーの利用は、いざという時の安定性がない、本来なら安全な使用には適さない、そういう段階だということが、スリーマイルおよび福島と、2度の大災害で実証されたということです。

 さらに、原子炉そのものの危険性という点で、いま深く考える必要があるのは、今回の福島の原発災害が、軽水炉という特定の型にとどまらない、より深刻な問題を提起していることです。いま開発されているどんな型の原子炉も、核エネルギーを取り出す過程で、莫大な“死の灰”を生み出します。どんな事態が起こっても、この大量の“死の灰”を原子炉の内部に絶対かつ完全に閉じこめるという技術を、人間はまだ手に入れていません。軽水炉でいったん暴走が起こったら、それが社会を脅かす非常事態にすぐ結びつくというのも、根底には、この問題があります。福島原発は、五重の防護壁なるものを看板にしていましたが、現実にはたいへんもろいものでした。

 原子炉の技術的な「未完成」を問題にする場合、軽水炉の固有の弱点に加え、ここにさらに大きな問題があることを、いま直視する必要があると思います。

◆使った核燃料の後始末ができない

 いまの原発システムには、技術的にまったく「未完成」で危険だという点で、もう一つの大きな弱点があります。それは、自分が燃やした燃料の後始末ができないことです。昔はこの言葉は世間にあまり広くは知られていませんでしたが、福島を経験したいまでは、「使用済み核燃料」という言葉をもう毎日のように聞かされているでしょう。

 これは何かというと、原発を運転したら必ず大量に出てくる“死の灰”の塊なのです。原発では、ウランでつくった燃料を3~4年燃やすと、それ以上は燃やさないで取り出します。しかし、いったん燃やした後の核燃料というのは、大量の放射能を絶えず出し続けるたいへん危険な存在なのです。その放射能を広島型原爆にたとえてみましょう。原爆が落ちた時に“死の灰”が周辺に広く降り、これを浴びたらたいへんだということになりました。100万キロワットの原子力発電所だと、毎日3キログラムのウランを消費して、3キログラムの“死の灰”を残します。それが使用済み核燃料にたまるのです。この原子力発電所で100万キロワットのものが1台動いていたら、毎日広島型原爆の3発分の“死の灰”がたまっている。1年間動いたら広島型原爆1000発分をこす“死の灰”がたまります。ところが、“死の灰”のこういう塊である使用済み核燃料を、始末するシステムをいまだに人間は開発できないでいるのです。

 政府は、70年代から、フランスで開発された再処理工場をつくって、それで処理するからと説明していました。再処理工場でどう処理するかというと、使用済み核燃料のなかから使えるプルトニウムと残りカスとを分けるのです。できたプルトニウムはたいへん物騒な物質で、長崎型原爆はこれからつくられました。政府は、原発に再利用すると宣伝していますが、この危険性は日本でも世界でも大問題になっています。

 もっと危険なのは、実は残りカスの方にあるのです。残りカスは、もっと強い高レベルの放射能をもつようになっていて、その放射能のなかには、半分に減るまでに何千年、何万年もかかるものもあります。ですから、高レベル放射能の大量の残りカスをどこで始末するか、というのは、だれもまだ答えをもっていないのです。

 今朝、新聞を見ましたら、アメリカと日本が、モンゴルに核廃棄物の処分場をつくる計画を立てて、モンゴル政府と極秘の交渉をしているという報道が大きく出ていました(「毎日」5月9日付)。地下数百メートルの穴を掘るんだといいますから、使用済み核燃料や高レベルの廃棄物などをそこで冷却管理するといったことを考えているのでしょうが、相手は何万年も放射能を出し続ける危険な代物です。自分の国で始末できないからといって、そんなものを外国の地下に埋めこんで、1万年、2万年の先までだれがその管理に責任を負うというのでしょうか。

 結局、使用済み核燃料の行く先はありませんから、何をやっているかというと、六ヶ所村(青森県)の施設に送る以外は、その原発に保存しておくしかない。だから、それぞれの発電所にプールをつくってそこに放り込んでおきます。いま日本に54基の原発がありますが、54基の原発はみな、建屋と敷地にそういうプールをもっています。福島の実例ではっきりしたように、いざという時には、原発だけでなく、使用済み核燃料のプールの一つひとつが核事故の発火点になるのです。

 自分が生み出す核廃棄物の後始末ができないようなエネルギーの利用の仕方が、本当に完成した技術といえるのかどうか。答えはすでに明白だと思います。

 この二つの点で、人間が使いだした原子力エネルギーという物騒なもののこれまでの使い方は、すべて、戦争のために入り込んでしまった危険性をもっています。ここに根本問題があるのです。だからいま、世界で原発を利用している国でも、たいていの国は、原発の物騒さをのみこんで、その上でこの危険な相手をどうやって管理するか、ここに力を入れています。ところが、原発を利用している主な国ぐにのなかで、その管理の力が、世界で一番足りないのが日本なのです。そこに、もう一つの大問題があるということを、まずご承知願いたいと思います。

◆日本共産党は最初の段階から安全性抜きの原発建設に反対してきた

 日本で、原子力発電が問題になってきたのは1950年代の中ごろからで、1957年には東海村で研究用の原子炉が初稼働し、1960年代に商業用の発電が始まるのですが、日本共産党は、安全性の保障のない「未完成の技術」のままで原子力発電の道に踏み出すことには、最初からきっぱり反対してきました。

 私たちが、党の綱領を決めたのは1961年7月の第8回党大会でしたが、その大会直前の中央委員会総会で、この問題を討議し、「原子力問題にかんする決議」を採択したのです。その決議は、

 ―「わが国のエネルギー経済、技術発展の現状においては、危険をともなう原子力発電所をいまただちに設置しなければならない条件は存在しない」

 ―原発の建設は、「原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである」

 として、日本最初の商業用発電所とされた東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求したものでした。

 それ以来、この問題でのわが党の立場は一貫しているのです。そして、ただ「反対」というだけでなく、国会では、大事な局面ごとに、この問題を取り上げて、原発のもつ危険性とそれを管理・監督する政府の態度の無責任さを、具体的に取り上げてきました。

◆これまでの国会質問から

 今度の『前衛』6月号には、私が1976年に初めてこの問題を取り上げた時から、最近の吉井英勝衆院議員の質問まで、原子力問題での共産党の国会討論の記録をまとめて掲載しました。興味のある方は、それを読んでほしいのですが、論戦をした私自身の実感をいいますと、質問に答える政府側が、原子力の問題をほとんど知らないですませていることにあきれ続けた、ということでしょうか。

◆形だけの審査体制。使用済み核燃料の危険性(1976年)

 最初の1976年1月の質問は、三木武夫内閣の時でした。当時は原発は6カ所に9基、出力の合計は400万キロワットほどでした。そこへ政府が、9年後には4900万キロワットにまで増やすという原発の「高度成長」計画を立てたのです。

 私は、二つの角度から質問しました。一つは、あなた方はこんな増設計画を進めているけれども、その原子力発電所の一つひとつが安全かどうかの審査をきちんとやっていると責任もっていえるか、という問題です。政府側の答弁は「十分やっています」ですよ。

 それで、私は、審査の体制とそのやり方を、その当時のアメリカの状況と比べてみたのです。アメリカでは原発の審査や管理にあたる機関に、1900人の技術スタッフがいる。電力会社ではなく、監督する政府の側にそれだけの技術の専門家がいて、原発の設計からどこへ建てるかの立地や運転の状況まで、全部実地に入って点検しています。ところが、日本はどうか。日本に専門の審査官がいるのかと聞くと、「います」と答えるのですが、実態は全員「非常勤」。普段は大学にいる先生方に、審査の時だけ頼む、いわば全部がアルバイト仕事です。だから、審査といっても、設計図を見るだけです。それですませている。そんなことでいいのか、ということをまず聞きました。答えは「今後強化をはかりたい」というだけです。

 2番目に聞いたのは、使用済み核燃料の問題です。ちょうどそのころ、フランスから技術を仕込んで、日本で再処理工場をつくり始めたところでした。私は、あなた方はいったいどんな危ないものを扱っているか、そのことがわかっているのか、というところから始めました。原子力発電所を動かしている時には核燃料はともかく全部原子炉のなかにあって、外には出ない建前になっている。ところが使用済み核燃料の処理ということになると、核燃料が外に出てくるわけです。使用済みの燃料は、熱を出し続けます。キャスクという入れ物に入れますが、熱を出し続けますから、エアコンで冷風を送りながら運ぶ。そういう形で使用済みの核燃料が、原子力発電所から再処理工場まで道路を走りだすじゃないか、再処理をフランスなど外国に頼む時には、船に乗せて海上を遠くフランスまで運ぶ、海難事故にあう危険がある。例えば、海難事故が起きた時、使用済み核燃料を入れたキャスクは、水深何メートルまで大丈夫なのか。こういうことを聞いても答えられないんですね。後で聞いた話ですが、担当者たちが質問の後、あわてて、キャスクの強度を試す大型の実験装置を買い込んで、強度実験を始めたとのことでした。

 ともかく何をやるにも事故など想定もしない、それぐらい無防備でことにあたるのです。

 実際、今度、福島で災害が起きてみると、使用済み核燃料が大問題になったでしょう。3基の原発が危ないのと同時に、4基の建屋にある核燃料のプールが全部危ない。しかも、使用済みの核燃料だということで、防備が一番薄いのです。

 この質問をした時に、私は、政府側が、使用済みの核燃料のことなど、ほとんど何も知らないですませていることに驚きました。それから、35年たっても、原発の後始末のこの面では、何の手も打たれていません。だから、原発は、「トイレなきマンション」といわれ続けてきたのです。

◆スリーマイル事故の教訓もそっちのけ(1980年)

 2回目の質問は、1980年2月、大平正芳首相の時でした。前の年の79年3月にアメリカのスリーマイルで大事故が起きた。いまの福島に比べれば危険度が2級も軽い事故でしたが、世界で大問題になりました。アメリカは当時、カーターという大統領でしたが、彼は技術畑の出身ということもあって、そこからかなり本格的な教訓を引き出しました。最大の教訓は、“事故の根源は「安全神話」にある、原子力発電所は十分安全だという考えがいつの間にか根をおろしてしまった、これを一掃しなければならない”、ということでした。そして日本に比べれば桁違いの水準にあった安全規制の体制をさらに強化して、そこに3000人の技術スタッフを集中したのです。

 ところが、日本では、私の前の質問から4年たっていましたが、その時なお、安全審査の専門委員はアルバイトのままで、常勤の専門家は一人もいませんでした。

 その時にもう一つ取り上げたのは、アメリカは、スリーマイルの経験から、事故が起きた時の地域住民の安全をどう確保するかという地域的な備えをいよいよ重視しだしたのです。原発で事故が起きたら16キロ以内がまず第一の危険地帯になる、さらに80キロ以内ではこういう対策が必要だと、そのモデルまで示して、原発周辺の事故対策に力を入れていました。日本では、どうかと思って、私は質問前に、当時日本で原発が一番集中していた福井県を訪ねて、原発防災が地域でどうなっているかを調査したのです。

 行ってみて驚いたのは、県でも市でも対策が何もないんですね。普通だったら東京でも大地震で災害になったら、ここの地域はどこが避難所とか決めるでしょ。そういうものもいっさい用意がない。どうしてかと聞くと、災害といっても、何がどんなふうに起こるか、その時にはどんな対策が必要か、国からも電力会社(関西電力)からも何も情報がない。だから対策の立てようがない、というのです。政府は何かいっているだろうとさらに聞くと、「今度原発災害にたいする『緊急助言組織』をつくった。いざという時にはその緊急助言組織の人たちが指導にあたります」と、そこに期待していました。

 私は、東京に帰ってからその名簿を調べて、緊急助言組織に入っている学者さんに会いました。聞くと、顔合わせの会議の招集が1度あっただけで、後は何の連絡もない、ということでした。まったく名前と形だけの「組織」だということがすぐわかりました。ところが、この組織について、国会で質問すると、政府は「すでに人選も終わって、いざという時には現地に行く体制をとっている」と平気でいいます。

 地域対策がこんなひどい状態になるのは理由があるのです。電力会社がある土地に狙いをつけて、そこに原発をもちこもうという時、原発は「安全」だという大宣伝をする。つまり、「安全神話」を振りまくわけです。だから、事故があったらこうします、なんてことは絶対いわないのです。事故も可能性があるといった話をしたら、そんな原発はいやだってことになりますから。だから電力会社からはいっさいそういうことをいわない。ここでも、「安全神話」のあるところ、災害対策なしということになるのです。

 こういうやり方が、いま、福島で住民を本当にひどい状態に落とし込んでいるのです。何の用意もない所に、いきなり原発災害が降りかかってきた、予想もしない避難の命令や勧告が夜中にいきなり出される、着の身着のままでとびださざるを得ない。こういうことが起きるのも、電力会社が「安全神話」に浸り込んで、自分のところで災害対策の準備をしなかったばかりか、住民にも「安全神話」を押しつけて、地域の災害対策をまったく空っぽにしてきた結果なんです。

◆東海大地震の予想震源地でなぜ原発増設を認めるのか(1981年)

 3回目はその次の年、81年2月に質問しました。大平首相が亡くなって鈴木善幸首相に代わった時でした。この時には、地震の問題を取り上げたのです。実はその質問の3年前、政府が、東海地震という巨大地震の危険がある、それに備えて、地震予知のシステムをつくるという法律(大規模地震対策特別措置法)をつくったのです。その後、地震予知のための観測システムは、東海地震に関しては、ずいぶん綿密につくりました。

 ところが、地震というのは、予知されても、対応できることは限られているのです。一番大事なのは地震がきても大丈夫なような街づくりをすること、危ないモノはその地域に置かないことです。

 ところが、電力会社(中部電力)は、静岡県の御前崎に浜岡原発をつくった。ここが地震の危険地帯だということは早くからわかっていたのですが、そのことを無視して1号機、2号機は運転を開始してしまった。しかし、東海地震が必至ということで、予想される震源域を地図の上に書いてみると、浜岡原発を建てたのは、まさにもっとも危険な震源域、東海地震が起きる時にはここでの大きな地震断層が震源になるだろうと予想される地域のどまん中だったのです。ここに最大の危険があるとして、国が特別の地震立法までしたのですから、原発など、この地域から撤退させるのが当然の道理なのですが、こともあろうに電力会社は平気で3号機の計画を立て、当時の通産省も平気でそれを認可してしまったのです。後は科学技術庁の承認を待つだけという段階になっていました。

 そこで私は地震と原発の問題を取り上げ、国が法律までつくって対応に取り組んでいる、そのもっとも危険な地震地帯に原発の増設をはかることは許されない、といって追及したのです。「地震への対応はあらゆる角度から十分に考慮してあります」というのが通産相の答弁でした。しかし、安全審査の書類を取り寄せて読んでみると、地震対策は「震度5」で大丈夫という審査ですませていました。震度5の地震など、今度の東日本大震災ではその程度のものが余震の段階でざらにあるでしょう。東海地震なら、少なくとも「震度7」が予想されるし、地盤の液状化の危険も広く問題になっています。そのことを指摘して追及すると、文章はともかく、実際の審査は「震度5」にとどまらず、「予想される最大級の地震動」をすべて調査したうえで結論を出した、というまったく無根拠のいいわけに逃げ込みました。

 私は、最後に科学技術庁長官に「あなたのところぐらいはしっかりやれ」と注文をつけたのですが、結果は、私の質問の後まもなく科学技術庁もOKを出し、後は3号機から4号機、5号機と無神経な増設を繰り返して、今日にいたっているわけです。

 問題は浜岡だけではありません。日本は世界有数の地震国ですから、日本の地震学界では、東海地震に限らず、大きな地震の起こりそうな危険地帯を地域指定して、そこでは特別の観測体制を敷いていました。これを「特定観測地域」と「観測強化地域」といっていたのですが、調べてみると、日本の原発の多くがこの地震危険地帯にあったのです。

 当時の状況を北から順にあげると、宮城県の女川で1号機が建設中、福島が6基で4基建設中、浜岡が2基、新潟県の柏崎で1号機が建設中、島根が1基、愛媛県の伊方が1基で次の1基を建設中、といった具合でした。稼働中の原発は21基でしたから、半分は地震危険地帯ととくに指定されたところにあったのです。日本の電力会社は、なぜか地震のあるところにひかれるクセがあるんですね。そういう危険地帯に平気で原発をつくってゆく。政府はそれを平気で認めてゆく。このことも、電力会社と日本の原子力行政がいかに「安全神話」に浸り込んでいるかの象徴といってよいでしょう。

 現在は、地震を起こす活断層の研究が進んで、地震の危険地域は当時に比べてさらに格段と広がっています。

◆国際条約違反を承知で「推進機関」に規制を任せる(1999年)

 次は1999年、小渕恵三内閣の時ですが、この時は、日本の原発審査体制が国際条約に違反しているという問題を提起しました。

 世界では、スリーマイルの原発事故(79年)に続いて、86年にはソ連でより深刻なチェルノブイリ原発の大事故が起こり、原発の審査や規制の問題が国際政治の上でも大きな問題になってきました。そして、88年には「原子力発電所の基本安全原則」が決定され、94年には「原子力の安全に関する条約」が結ばれるところまできました。日本も、この条約に94年9月に調印し、翌95年4月に国会で承認しましたから、私たちが繰り返し追及してきた日本の原子力行政について、この条約に照らして根本的な改革をおこなうべき国際的義務を負ったわけなのですが、政府は、条約の加盟国になって以後、何年たってもそういうことはいっさいしなかったのです。

 そこで私は、99年11月、衆院本会議の代表質問でこの問題を取り上げ、ちょうどそのころ始まった首相と野党党首との「党首討論」で、続けて問題提起をしたのです。私が取り上げた中心は、条約の一番大事な次の点でした。この条約では、原子力発電を進める「推進機関」と、その安全を審査して施設を認可する法的権限をもつ「規制機関」とは分離しなければいけない、という厳重な規定があるのです。「規制」と「推進」を同じところでやってはだめだ、安全に責任を負う「規制機関」は、推進役の役所の一部であってはならず、完全に独立した機関にして、そこに権限を集中しなければいけない。こういうことがはっきりと条約化されているのです。

 ところが、みなさん、いま、政府が福島原発について政府としての発表をするのを見ているとおわかりだと思いますが、いつも福島原発の安全問題の発表をするのは、「原子力安全・保安院」の代表です。これが安全に責任を負う「規制機関」の人かと思うと、経済産業省のお役人です。経済産業省(かつての通産省)は、まぎれもない、原発推進の先頭に立っている原発の「推進機関」です。だから、「安全・保安院」と、名前だけは「安全」とつけていても、これは「推進機関」の一部局、これが安全に責任を負う「規制機関」だとしたら、明々白々な条約違反になります。

 政府は、いや「規制機関」は別だ、「原子力安全委員会」があって、経済産業省とは分離している、というかもしれません。たしかに「原子力安全委員会」はありますが、この委員会は、形は分離されていても、肝心の権限がここにないのです。条約では、「規制機関」とは、原子力施設の「立地、設計、建設、試運転、運転又は廃止措置を規制する」法的権限をもつ機関だときっちり定義されているのですが、そんな権限は何も与えられていない。ごく補助的な、政府の諮問機関程度の役割しかない。

 だいたい今度のような大原発災害が起きても、ごくたまに数字の資料を出したり、せいぜい政府に部分的な助言をしたなどの話しか聞こえてこないでしょう。

 しかも、この委員会は、頭のなかはまったく「独立」していないのです。現在、原子力安全委員会の委員長の班目(春樹)さんは、この任につく前だったと思いますが、浜岡原発の安全性をめぐる裁判があった時に、なんと電力会社側の証人として法廷に出て、浜岡原発は安全だ、あなた方(原告側)のようなことをいっていたら原発などつくれませんよと大見えを切った、そういう人がいま原子力安全委員会の委員長です。

 日本の原子力行政の実態は、このように、国際条約の規定をおおもとから踏みはずした体制なのです。こんなお粗末な体制のままで原発を大規模に推進している国は、世界でもなかなか見当たらないでしょう。

 だから、小渕首相にこの問題を質問したら、本会議の代表質問では、官僚が書いた文章を読み上げて答弁しましたが、党首討論でその続きをやろうとしたら、最初の第1問で「規制機関」と「推進機関」の区別がわからず立ち往生してしまうという始末でした。原発問題は、日本の首相の頭のなかで、その程度の位置しか占めていないのか、と驚かされたものでした。

◆大災害でも司令塔を立てられない日本の体制

 こういう原子力行政の根本的な欠陥を世界にさらけ出したのが、今度の原発災害だったと思います。

 アメリカだったら、強大な権限をもった原子力規制委員会が、大統領の指揮のもとに、事故の対応に全部責任を負います。ほかの国はどうか。

 先日の日本経済新聞に、フランスの体制についての記事が出ていました。

 「事故後指揮委員会―。原発大国、フランスにある組織だ。放射能漏れ事故などが起これば電力公社に代わって対応に当たる。各省庁や軍を指揮下に置き、住民の避難から放射性廃棄物の処理まで一元的に担う。仏原子力安全委員会副委員長のラショム(51)は『事故は必ず起きるという考え方こそが危機管理』と話す」(5月2日付)。

 どこでも原発災害が起きたら、こういう司令部が災害対策の中心になって活動するのですし、その組織は「安全神話」などとはきっぱり手を切っているのです。

 日本の現状は、それとはあまりにもかけ離れています。どこに指揮官がいるかわからないでしょう。菅直人首相が東電と合同で本部をつくったと発表しましたから、いよいよ首相が総指揮官になったのかと思ったら、その後も「私は復旧の計画を立てるように指示した」などというだけ。実態は何も変わりませんでした。実際の対策は、東電の原発の現場で、発電所の所長さんなどが担ってやっているようです。全力をあげている様子はわかりますが、事故から2カ月たっても、何が起こり現場がどうなっているかの全貌もいまだに見えてきません。

◆専門家といっても何の専門家なのかが問題

 よく現場を知っている専門家は、東京電力にしかいないから、といわれますが、私はこういう事態を見て、話はまったく違うのですが、思い出すことがあるのです。

 ベトナム戦争の時、アメリカが最後の段階で、ベトナムを封鎖するといって、北ベトナムの全港湾にぎっしりと機雷を敷設したのです。73年1月にパリ協定で戦争が終わった時、その機雷の除去が問題になりました。アメリカがそれを引き受けて、機雷の専門家部隊を派遣したのです。機雷の除去というのはたいへんだそうですね。同じ形のものでも構造にはいろんな種類があって、軍艦に1回接触したら爆発するものもあれば、接触7回目で初めて爆発するものもある。その一つひとつを見分けて対応しないといけないのです。その作業にあたった専門家部隊が犠牲者を出したあげく、ついにお手上げになった。彼らがその時、こういったそうです。「われわれは機雷を敷設する専門家だが、除去する技術はもっていない」

 私はその翌年74年にベトナムを訪問した時、その話を聞いたので、「ではだれが除去の仕事をやったのか」と聞いたら、「ベトナム自身がやったのだが、一番働いたのは丸木舟を使った若い女性たちだった」との回答でした。機雷は鉄の軍艦に触れると爆発するが、木の丸木舟なら触れても爆発しないんです。それで接近して危険な仕掛けを手作業ではずしてゆく。こうして、若い女性たちのおかげで、アメリカの敷設しかできない専門家部隊がやれなかったことをみごとにやり遂げた、という話でした。

 私がその話を思い出すというのは、いまの日本の電力会社やその関係団体には、原子力の専門家はたくさんいます。しかし、これは、原発の建設や運転の専門家であって、原発災害に対応する知識と技術をもった専門家はいない、ということです。「安全神話」が大前提になっている体制ですから、災害対策どころか、事故が起きたらどうなるかの想定もなければその事態に対応する備えもない。専門家もいない。そういう体制のまま、日本はひたすら原発への依存と大増強の道を走ってきた。まさに“「ルールなき資本主義」の原発版”じゃないでしょうか。

◆福島の原発災害から何をくみ取るべきか
利潤第一主義がここまで徹底していた

 利潤第一主義の怖さも、新聞報道を読むだけでもよくわかります。今度の事故対策でも、初動の遅れがいわれています。原発への水の供給が止まった時、海水を注入して原発を冷やすことが何よりの急務だったのに、なぜすぐやらなかったのかが問題になっています。それをやっておけば、ここまでひどくはならなかったはずだ、と。報道によると、理由は、電力会社が迷ったのだというのですね。海水を入れるとその原発が使いものにならなくなる。それで対応が遅れたというのですが、あの事故を起こしてまだその原発を使い続けるつもりでいる。これも利潤第一主義ですね。

 また、日本では、原発を同じ場所に何基も集中して置くのが当たり前になっています。なぜこんな危ないことをやるのかというと、新しい土地を見つけてそこに原発を置くためには、カネも時間もかかるのです。だから一度土地を手に入れたら、いざという時の安全の問題など考えないで、建てられるだけ建てる。理由は簡単です。それが安上がりだからです。とくに日本は地震国です。集中立地をしたら、地震が起きた時の災害はたいへんなことになる。そんなことは当然わかることですが、そんなことはあえて想定からはずして、地震危険地帯でも、平気で原発を次から次へとつくってゆく。それが安上がりだというだけでつくる。これもひどい話です。

 さらにこんなこともあります。日本の原発は、かなり老朽化しているのです。いま現役の原発が54基ありますが、そのうち運転開始から30年以上のものが20基くらいあります。原発の寿命には、国際的にもまだ定説はないのですが、長く使えば材料に放射線による劣化が起きることは間違いありません。ただ、一つはっきりしているのは、税法上の減価償却は耐用年数16年で計算されていることです。つまり、16年たったら税法上の寿命が終わる。だから、電力会社から見ると、これからがもうけどころだということになるわけですね。老朽化の段階に入った原発でも、使えるだけ使おうということで、いつまでも使う。今度災害を起こした福島第1原発は6基全部が70年代に運転を開始したもので、税法上の耐用期間16年をとっくに卒業しているのですが、それでも、まだまだ使えると思って、緊急に必要だった海水の注入をためらう、利潤第一主義はそこまで徹底しているのです。

◆原発版「ルールなき資本主義」と歴代日本政府の責任

 そういう利潤第一主義が支配している電力業界に、国民の生命と安全をまるごと任せてきた日本政府の側も、世界一ひどい原発版「ルールなき資本主義」の実態に重大な責任があります。この事態をそのままにしていいのか、それがいま問われているのです。

 いま自民党は、菅内閣の責任をうんと追及します。(菅内閣は)ほんとにだらしないです。しかし、こういう事態をつくり出してきたのはだれか。私は、先ほど自分の国会質問を紹介しましたが、相手は三木内閣、大平内閣、鈴木内閣、そして小渕内閣です。全部、自民党内閣ですよ。2000年代に入って、吉井さんが、地震や津波の状況を具体的に取り上げて追及しました。最近の質問では福島原発の危険性をはっきり示して対策をとることを求めた。どの政府も警告を無視しましたが、それも、自民党の小泉純一郎内閣と安倍晋三内閣、最後の質問だけが民主党の鳩山由紀夫内閣でした。こういう無責任な原発増強政策を数十年にわたって取り続けて、現在の国民的大災害の根源をつくり出してきた自民党が、その歴史的責任に口をぬぐって、いまの対応のだらしなさを追及する。民主党政権の対応のだらしなさは、本当に政権党としては考えられないようなものですが、2年前まで政権を担ってきた自民党が、現瞬間の対応の問題点だけの追及でことをすまそうというのは、あまりにも無責任な態度だと私は思います。

◆二つの問題―原発からの撤退の戦略的決断と安全優先の原子力管理体制と

 私たちは、現瞬間で必要だと思うことは、民主党政権にどんどん要求するし、そのだらしなさや無責任さは、遠慮なく指摘し、震災被害者への救援とこの大災害からの復興、原発災害の収束、被災地の復興などの当面の大事業を成功させるために全力をあげます。

 同時に、日本の国民には、震災の復旧にかかわるこれらの問題とあわせて、いま考えなければならない大問題があることを指摘しなければなりません。

 それは、日本と世界を脅かす大災害を経験した日本国民として、原発の問題にどう対応し、エネルギー政策でどういう道を選ぶべきか、この問題にいまこそ正面から取り組み、道理と展望のある解決策をひきださなければならない、ということです。

 私は、二つのことが大事だと考えています。

 (一)戦略的な方針からいいますと、日本のエネルギーを原発に依存するという政策から撤退するという決断をおこなうことです。その実行には、当然一定の時間がかかりますが、必要なことは、いまその戦略的な決断をし、その方向に向かってこうやって進んでゆくという国家的な大方針を確立することです。

 (二)もう一つは、緊急の当面の課題です。「安全神話」の上に築かれた原発版の「ルールなき資本主義」からきっぱりと手を切り、原子力施設にたいする安全優先の審査と規制の体制を確立することです。いま、電力会社に直接は関与していない科学者、技術者にも、日本には原子力問題の研究者はたくさんいます。日本学術会議という公的な組織もあります。また原発の事業にいままでたずさわってきた人のなかにも、実際の経験のなかから「安全神話」ではだめだということを痛感して声をあげている方々もすでに少なからず現れています。そういう知恵と技術を結集して、本当に安全優先で原子力施設の管理ができる、世界で一番といえるような原子力安全体制を確立することです。

 この体制ができないと、原発からの撤退という大事業も成り立ちません。一つの原発をなくすということは、運転を止めただけですむことではありません。運転を止めた後、原子炉から使用済み核燃料を抜きだし、その始末もしなければなりません。残った原子炉は、まだ放射能がいっぱい出ます。それから放射能を除去する作業があります。それから解体の作業があります。さらには、解体した原子炉の廃棄物の処理、跡地をどうするかの対策などなど、膨大な問題があります。それにはおそらく少なくとも20年ぐらいの時間が要るでしょう。そして、そのすべての段階を、厳重な安全優先の管理と規制の体制のもとで進めることが必要になるのです。

 この二つの問題―戦略的には原発からの撤退を決断することと、体制的には、安全最優先の権限と責任をもった原子力の審査・規制の体制を緊急につくりあげること、私たちは、この二つに国民的な討論が迫られる大問題があると考えています。国政の上でも、これからこの問題は、討論の大きな主題になってゆくと思いますから、今日の話を、みなさん方がそういう問題を見てゆく参考にしてもらえば、ありがたいと思います。

(「しんぶん赤旗」2011年5月14日付)
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◆◆国策の果て 岐路の原発=信じた発展、福島の悲しみ
2015年3月24〜27日赤旗連載
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◇原発事故の教訓を踏まえ、老朽化した原発5基の廃炉が決まる一方、この夏にも原発が再び動き出す。国と電力業界が一体となって原発を推進し、その末に未曽有の事故が起きた。過ちを繰り返さない仕組みは本当に整ったのか。私たちは原発とどう向き合えばいいのか。連載で検証する。


 「結末を見るまで死ねないよ」。鹿児島市喜入町(きいれちょう)。福島県双葉町から避難する遠藤昭栄(しょうえい)(72)はタブレット端末のストリートビューで、ふるさとに残した自宅を見ていた。「帰還困難区域」で、除染廃棄物を最長30年保管する中間貯蔵施設の建設予定地。「あと50年、生きなくちゃ」。妻タカ子(71)に声をかけた。

 2011年3月11日。東京電力福島第一原発事故で夫婦2人の避難生活が始まった。双葉町から直線で1200キロ離れたいまの家が8カ所目の避難先だ。

 福島県の双葉、大熊両町にまたがる第一原発の敷地は、かつて軍の飛行場だった。日中戦争が激化する1940年、軍はここの農家を立ち退かせ、飛行場を建設した。遠藤の家もそのひとつだった。一家は飛行場の近くに移り住む。

 17歳のとき、人生が変わる。60年、福島県知事の佐藤善一郎は双葉郡への原発誘致を表明。県議会で「最も新しい産業をこの地に持ってきたい」と語った。

 東電は63年に原発建設の仮事務所を地元に開設し、翌年、県開発公社を介した用地買収が始まる。遠藤の父は山林を手放した。「建設が始まれば、出稼ぎに行かずにすむ。みんな喜んで売ったんだよ」

 遠藤はほどなく原発敷地の測量や造成に携わる。71年、大熊町側で1号機が運転を開始。遠藤は土木作業と農業で3人の子どもを育て、83年に自宅も新築した。最終的に10基まで増える福島第一、第二の原発は首都圏に電気を送り、経済成長を支えた。だが、原発以外に地域経済を支える産業は地元に育たなかった。

 東電が2008年に刊行した仮事務所開設45年の記念誌に、遠藤はこう記している。「双葉町全体が立派になった」「しかし、立地地域として外観だけが立派になった印象もある」

 一時、8千人を超えた町の人口は、事故前の10年には6932人にまで減った。原発とともに暮らした人びとは、事故で39都道府県に散っていった。

 東電の協力会社、東北エンタープライズ(福島県いわき市)。会長の名嘉幸照(なかゆきてる)(73)は3月8日、避難先のいわき市から富岡町にある自宅を訪れた。除染の進み具合を見るためだ。町全域が第一原発の20キロ圏内。全町民の避難が続く。

 沖縄の伊是名島(いぜなじま)で生まれ、米ゼネラル・エレクトリックに就職。同社が受注した第一原発1、2号機などの建設・管理のため、富岡町に移り住んだ。

 子どもたちに言い残してある。死んだら自宅に石を立て、「ごめんなさい」と書いてほしい、と。

 「私が一生をかけた原発が、多くの人の人生をめちゃくちゃにした。その事実を、きちんと残したい」。名嘉の悲しみと憤りは、全国の人びとに届くのか。

 原子力規制委員会は3月18日、九州電力川内原発1号機(鹿児島県)の再稼働に向けた工事計画を認可した。夏にも事故後にできた新規制基準のもとで、原発が動き出す。

❶原発誘致、割に合わなかった 

2015年3月24日朝日新聞

原発の歩み
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 福島大学特任教授の清水修二(66)は、1980年、京都から福島市に移った。「都市と農村」の関係を研究し、福島大で教えることになったからだ。

 88年のことだ。市内の病院のロビーにあった「アサヒグラフ」に、元首相の田中角栄の記事を見つけた。

 田中の原発がらみの言葉に感心した。「東京に作れないものを作る。作って、どんどん電気を送る。そしてどんどん東京からカネを送らせるんだ」

 すぐにメモに取った。

 「労働力や食料を都会に提供させられてきた農村側のしたたかな発想。優れた着眼だと思った」

 田中が首相時代につくった電源三法の仕組みのことだった。電気料金に上乗せして資金を集め、原発がある地域に配分する。清水は、田中の地元への柏崎刈羽原発(新潟県)の誘致にちなみ、これを「新潟3区的発想」と呼んだ。

 原発事故で自身も被災者となった。「福島の犠牲は大きすぎた。割に合わない取引だった」。いまは電源三法の廃止を唱える。

 12年3月、作家・大江健三郎も参加した「原発いらない」県民大集会の集会宣言は清水が起草した。こう訴えた。「福島原発は首都圏にエネルギーを供給してきた。電力を大量消費する大都市住民の『生き方』が問われているのです」

 13年12月、大熊町と双葉町の両町議会は、福島第二を含む県内の全原発の廃炉を求める意見書を可決した。清水は言う。「大きな前進だ。だが、原発誘致は間違った選択だったとはっきり言ってほしかった」

◆生活のため再稼働賛成

 2014年10月9日、鹿児島県薩摩川内市の文化ホール。九州電力川内原発1、2号機の再稼働に向けて県などが開いた「住民説明会」には、地元の住民ら千人近くが参加した。

 10人の発言者のうち、前川内商工会議所会頭の田中憲夫(77)が最後にマイクを握った。電気工事「川北電工」の会長を務める。推進側のまとめ役として、「賛成意見がある」と挙手し、発言を求め続けた。

 9人の意見は再稼働に反対だったり、慎重だったりするものだった。田中は意に介さず、言い切った。「詳細な説明で疑問点が払拭(ふっしょく)された。(原発の)安全が担保された」。拍手が起きた。経済産業相だった小渕優子は翌日の会見で、「不安が払拭されたとの声もあったと聞いております」と語った。

 川北電工の前身は1945年の創業だ。九電とは前身の「九州配電」からの付き合いで、売り上げの4割が九電関連だ。「原発は地場産業。それで食べている人がいる。ここで生活していかないといけない」

 JR川内駅の豪華な駅舎は、04年の九州新幹線の部分開業に合わせて完成した。川内3号機の新設に向けた環境調査に地元が同意した後の03年、九電はこの駅の周辺整備などに15億円の寄付を表明した。

 川内原発元次長の徳田勝章(77)が裏で動いた。定年退職し嘱託の身だった。

 「市側から20億円という感触が伝わってきた。私が社長らに話すと、10億円ぐらいなら、との答えだった。結局、間をとって15億円で落ち着いた」

 原発事故後、徳田は原発マネーのあり方に疑問を抱くようになる。「国から電源交付金をもらい、電力会社から寄付金ももらう。元はといえば電気代だ」

 だが、原発を持つ地域のほとんどが「原発依存」から抜け出すすべを見つけ出していない。

◆廃炉、雇用の受け皿を

 9電力初の原発、関西電力美浜原発1号機(福井県)は1970年8月、発電に成功し、開催中の万国博覧会会場に送電した。

 万博に家族で3度、通ったという元美浜町商工会長の松下正(82)は振り返る。「誇りだった。原発はすばらしいもんやと、みな、思っていた」

 町では作業員のための民宿の建設ラッシュ。営む建具店も繁盛し、新築した家のローンも早々に返せた。

 あれから40年余。肺を患って入院中、テレビで福島の事故を見た。不安が募った。「原発との共存の時代は終わったのか」

 美浜1、2号機は運転開始から40年が過ぎ、廃炉が決まった。放射性廃棄物をどうするのか。使用済み核燃料を一時的に保管する中間貯蔵施設を受け入れるべきか。思いをめぐらす。

 貯蔵施設は「原発ごみ」の置き場になると嫌われてきた。だが、長年、反対運動をしてきた元美浜町議の松下照幸(66)も脱原発を条件に受け入れを言う。

 「原発で汗を流す人たちといろんな行事を一緒にやってきた。でも、私の反原発活動はその職を奪うもの。ずっと負い目だった。原発が止まるなら、雇用の受け皿をつくらないと」

 廃炉を見越して2012年9月、自然エネルギーの町への転換による雇用創出を訴えた提案を町長に出した。財源として、貯蔵する使用済み核燃料に「保管税」を課す。町の自立へのバネに、と願っている。

 「国策の果て」の宿題が残る。=敬称略

 (編集委員・小森敦司)

◆官と民、次第に一体化

 橘川武郎・一橋大大学院教授(エネルギー産業論)

 1951年、電力の国家管理が終わり、9電力体制が成立した。しかし、民営方式を定めた戦後の電気事業法は64年の制定だ。この間の空白は、電力業を国営に戻したい官との間で緊張関係があったからだ。

 9電力会社は民営路線の定着のために合理化に励んだが、73年の石油危機で行き詰まった。「脱石油」として原発が選ばれ、立地促進に電源三法交付金が使われた。

 国の力を借りたその時、原発は明確に「国策」になり、官と民は次第に一体化していった。事故に対する東京電力の謝罪は当然だが、「国策」なのだから、官僚や政治家も同罪のはずだ。

❷原発、各地に「ミニ角栄」 利権と票、族議員が台頭

2015年3月25日朝日新聞


電源三法の経緯
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 「生まれはどこだと聞かれたので、私は、岡山でございますと。田中さんは、それは川端康成の『雪国』のようなロマンだな、雪をめでるような世界だろと。だが、オレの雪は生活の闘いなんだと」

 1971年7月、新潟の豪雪地帯からはい上がった田中角栄は通商産業相(現経済産業相)に就く。後の通産次官、小長啓一(84)は大臣秘書官になって早々、田中とそう話したのを覚えている。

 小長らが、田中の郷里再建への思いをもとに書き上げた「日本列島改造論」は72年6月に出版。「人とカネとものの流れを地方に逆流させる」。その手法として、原発立地や後の電源三法につながるアイデアも盛り込まれていた。

 田中は自ら柏崎刈羽原発の誘致に尽くす。首相時代に直面した「石油危機」に対しては、発電所の立地に交付金を出す電源三法をつくる。田中は73年12月の国会で、原発の必要性を強調し、言った。「やっぱり地元にメリットを与えなきゃなりません」

 小長は言う。「発想をたどると、田中さんがつくった(ガソリン税などを道路整備にあてた)道路特定財源がある。電源三法の財源も電気料金に上乗せなので、大蔵省(現財務省)は自らの税収を使われない、電力業界も経営に影響しない、と抵抗は少なかった」

 電源三法は急スピードで翌74年10月施行となる。これで各地の原発建設に弾みがつく。小長は今でも田中を高く評価する。「原発ができたところでは関連の雇用が増えた。電力の安定供給にもつながった」

 原発が着工すると、その地では工事にかかわる土木建設業や宿泊サービス業がどんと膨らむ。三法の交付金によるハコモノも次々できる。そんな原発につらなる利権と票で、全国各地に「ミニ角栄」的な政治家が生まれていった。

 象徴するようなひとつのエピソードがある。

 中国電力で少数派の労働組合活動をしてきた濱崎忠晃(79)は90年の総選挙の際、「集票表」と題した紙を手に入れた。

 中国電力島根支店がまとめた資料で、島根の大物政治家に対する票の獲得目標とみられた。その政治家の兄は中国電力の社長、会長を歴任した実力者だ。

 表には事業所ごとに従業員、OB、取引業者などの集票目標を示し、総計は8万4千余とあった。濱崎は言う。「営業現場がからっぽになるぐらいの企業ぐるみ選挙。そんな体制で原発を続けてきた」

◆自由化後も原子力維持

 日本経済の構造改革が求められた90年代、電力業界は通産省(現経産省)が進める「電力自由化」で原発を持てなくなるのでは、と恐れるようになる。

 原発は、巨大な建設費が必要で、廃炉まで数十年という長期事業だ。投資を確実に回収できる総括原価方式や地域独占があってできたが、自由化でその根幹が揺らぐというのだった。

 これに電力業界に近いとされる議員らが動く。2001年、議員立法でエネルギー政策基本法案を国会に提出したのだ。提出者には後に経産相になる甘利明や官房長官になる細田博之らが名をつらね、元東電副社長の加納時男も作成にかかわった。

 基本法は「安定供給」と「環境保全」を掲げた。原発なら、石油のように中東に依存しないし、温室効果ガスも出さないとの理屈だった。

 当時、自由化を担当していた資源エネルギー庁電力市場整備課長で、現在、慶大教授の川本明(56)は振り返る。「電力会社の政治的なアクション。自由化で手荒なことをしてくれるなと感じた」。経産省の自由化の取り組みは止まり、基本法に基づく03年のエネルギー基本計画では、原子力が「基幹電源」とされた。

◆原発の存在感が増していくなかで、東京電力福島第一原発事故が起きた。

 当時、経産官僚だった古賀茂明(59)は直後の11年4月、「銀行や株主、経産省幹部らの責任を不問にしたまま国民に負担が押しつけられてはならない」と、東電を破綻(はたん)処理する提言を発表しようとした。

 ところが、経産省幹部から「大変なことになる」と止められる。経産省は当時の民主党政権の中枢に大停電や市場の混乱を理由に、東電の生き残りを説得したようだった。古賀はその後、同省を去る。

 安倍政権は原発の再稼働方針を明確にする一方、16年からの電力小売りの全面自由化も決めた。

 今年1月末の自民党の電力自由化の会合。出席した議員からは「自由化は再稼働とリンクさせてほしい」「(原発など)大規模発電所の投資回収の仕組みを確保するべきだ」などと電力寄りの発言が相次いだ。

 原子力関連施設の多い茨城県が地盤の額賀福志郎が議論をまとめた。「再稼働や廃炉、資金調達の問題。将来の電力会社のイメージを持ちながら議論したい」。自由化が進んでも原発を維持できる「仕組み」づくりが始まっている。=敬称略

 (大津智義、関根慎一、編集委員・小森敦司)

◆キーワード

 <電源三法> 電源開発促進税法と旧電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法の総称。電気料金に上乗せする電源開発促進税を財源に、原発などの立地地域に交付金を支給する制度を定めている。資源エネルギー庁の試算では、出力135万キロワットの原発の新設の場合、運転開始までの10年間に約449億円が地域に支払われる。

❸原発追認、裁判長の自問 是認の想定、超えた津波

2015年3月26日朝日新聞

原発と司法の戦後史
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 2011年3月12日、白煙が噴き上がる福島第一原発の映像を見て、塚原朋一(69)はとっさに思った。「女川は大丈夫か」。そして、仙台地裁で裁判長として女川原発の建設・運転差し止め訴訟を指揮した日々を、思い出していた。

 仙台赴任は91年。94年1月、塚原は住民側全面敗訴の判決を言い渡す。「我が国においては、石油代替エネルギーの中で原子力発電を最も有望なものと評価し(略)現在に至るもこの政策は一貫して進められてきている」。原発推進の国策を追認した。原告が心配する放射線による身体への障害発生の可能性についても、「社会観念上無視し得る程度」と退けた。塚原は振り返る。「社会観念とは、当時の私自身の観念だった」

 終戦の年に生まれた。8歳の時に第五福竜丸事件が起きる。原水禁運動の高まりを子どもながらに感じ「放射能は恐ろしい」と刷り込まれた。一方で、同じころ盛んに叫ばれた「原子力の平和利用」の思想に、強くひかれた。小学校の卒業文集に、将来の夢を「原子力委員」と書いた。それから半世紀――。

 11年3月11日、女川原発に13メートルの津波が襲来。原発の敷地まであと80センチの高さに迫った。東北電力が主張した「最大5メートルに過ぎない」との想定を、塚原は判決で是認していた。

 「平和利用という国策と原告の心配を比べ、私は『無視し得る』と書いた。でも国策自体が間違っていたとしたら……。原発はなくす方向で行くしかない。それでも自分の責任は消えない。判決は正しかったのか、自問し続けることで責任を負っていくしかない」

 1970年代以降、東日本大震災までに全国で起こされた原発訴訟は約20件。住民側勝訴は2件あるが、いずれも逆転敗訴した。

◆下級審縛る「最高裁の壁」

 なぜ裁判所は、原発訴訟に踏み込みにくいのか。

 多くの元判事が理由として挙げるのが、伊方原発訴訟での92年の最高裁判決だ。原発の審査指針は専門家が高度の知見を持ち寄って作ったものであり、その審査の過程に見過ごせない誤りがない限り、行政の判断は適法――。国の裁量を広く認めたこの判例は、原発訴訟の基本的枠組みとして、下級審を縛り続けた。

 「原発は国策。だからこそ審査もきちんとやっているはずとの考えがあった。国策に反する判決を書くのは、どうしても慎重になってしまいますね」。塚原は、そう述懐する。

 ただ、元名古屋高裁金沢支部の裁判長、川崎和夫は「原発訴訟は、原発推進の是非ではなく個別の原発の具体的危険を判断すべきもの。統治行為論的考えを持ち込むのは行き過ぎだ」と語る。統治行為論とは、高度に政治的な問題は裁判所の審査権が及ばないとする考えだ。

 川崎はもんじゅ訴訟の控訴審で2003年、設置許可無効を言い渡した。国の審査を、判決は「誠に無責任」と厳しく批判した。

 だが、この判決は2年後、覆される。最高裁は川崎が指摘した審査の不備について自ら検討を加え、「見過ごせない誤り」があるとは言えない、とした。

 「やはり最高裁の壁は厚かった」。この裁判に多くの時間と労力を費やした川崎の言葉に無念がにじむ。

 全員一致でこの判断を下した5人の判事に取材を試みたが、いずれも「判決が全て」などとし、応じてもらえなかった。

◆「最高裁の壁」。それは判例にとどまらない。

 原発訴訟に際し、最高裁事務総局が、下級審に影響を及ぼしかねない「見解」を示していた事実を裏付ける内部資料がある。

 76年10月、全国の裁判官を集めた協議会(会同)で、事務総局行政局の出席者が述べた。「原子炉の事故と言うとすぐに原子炉の爆発イコール大被害という図式を簡単に想定しがちであるが(略)事故の起こる確率は極めて少ない」

 88年10月の協議会では、92年の判例の論理を先取りしていた。「裁判所としても、行政庁のした判断を一応尊重して審査に当たるという態度をとるべき」

 92年に朝日新聞の取材を受けた事務総局行政局長は「最高裁の『見解』ではない。発言が統制にあたるとは思わない」と答えている。最高裁関係者は「訴訟指揮に自信がある裁判官はいいが、そうでない人には、見解は『参考』になってしまうだろう」と話す。

◆未曽有の原発事故の後、司法は変わったのか。

 昨年5月、福井地裁は大飯原発の再稼働差し止めを命令。震災翌年の2012年1月、最高裁司法研修所が開いた研究会で、全国35人の裁判官が原発訴訟を議論した。「事故を踏まえ従来の判断枠組みを再検討する必要がある」などと意見が出された。ただ、政権が再び交代した後の13年2月の研究会では「伊方原発最高裁判決の判断枠組みに従って今後も判断していく」との意見が中心になった。

 仮に下級審の裁判官の意識が変わっても「最高裁の壁」が崩れなければ事態は同じだ。行政法の研究者から裁判官に転じ、最高裁の調査官も経て89年から10年間、最高裁判事を務めた園部逸夫(85)は言う。「司法はどこまで国策と対峙(たいじ)すべきなのか。裁判官のあり方を変えるべきなのか。その根本的問題を国民が考え、変えようと思わなければ、何も変わらない」

 =敬称略

 (石川智也、西山貴章)

❹「ベント」日本は周回遅れ フィルター、海外が先行

2015年3月27日朝日新聞


原発事故と規制の変遷
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 東京電力福島第一原発事故で、被害を左右したとされる設備がある。原子炉格納容器に取り付けられた排気装置「ベント」。内部の圧力を下げて壊れるのを防ぎ、放射性物質の大量放出を防ぐ最後のとりでだ。

 「なかったらどうなっていたか」。国の原子力安全委員会の委員長として事故対応にあたった班目(まだらめ)春樹(66)はこう振り返る。

 1992年に安全委が設置を推奨し、各地の原発で追加された。炉心が溶け、放射性物質が漏れるような「過酷事故」対策の一環で、福島第一原発では2001年までに整備された。

 ただ、実際の使い勝手は悪かった。弁の操作が必要な複雑な構造。電源を失った状況で作業は難航した。複数の原発が同時進行で危機を迎えるなか、班目はベントの遅れが気がかりだったという。「最悪の場合、日本が3分割されることも考えた。頭にはチェルノブイリの地図があった」

 最悪の事態を防ぐためとはいえ、排気には放射性物質が含まれる。前例がなく、東電は国に了解を求めたうえで、住民の避難を待つことになった。

◆日本の対策は、世界に比べ何周も遅れていた。

 「あれがフィルター付きベントの設備です」。今年2月、スウェーデン南部のオスカーシャム原発。日本記者クラブの取材団の案内役が指さした先に、白い排気筒が伸びる5階建てほどの円筒形の建物が見えた。

 内部に放射性物質を除くフィルターがあり、周辺への影響を最小限にする。「事故は起こると想定し、1980年代に国内の原子炉すべてに設置した」。同国の放射線安全機関の幹部はこう説明した。

 きっかけは79年の米スリーマイル島原発事故だったという。日本でもこのころ、原子力安全委員会でベントの有用性が議論された。だが、設置にはつながらなかった。格納容器に排気の穴を設けるのは「邪道」で、そこまでの事態を起こさないことが第一との考えが専門家の間では根強かった。

 具体的な検討は、86年に旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起きてから。それも、設置は電力会社の自主的な取り組みとされ、訓練や国のチェックが不十分だったとの指摘もある。

 フィルター付きベントは2013年、国の基準に加わった。現在、再稼働を目指す各地の原発で設置が進められている。

◆対策先送り、絶てるか岐路

 「津波の高さを除けば、意外なことは一つもなかった」。原子力安全の研究に長年携わった元原子力安全委員長の佐藤一男(81)は、福島の事故をこう振り返る。電源を失った原子炉は、研究の世界では常識的なシナリオ通りに進んだ。

 原子力研究の世界で「安全」は傍流だった。日本原子力研究所にいた佐藤がこの道に進んだのは、1964年ごろ。制御の研究を望んだが空きがなく回ってきた仕事だった。今は対策に欠かせない事故確率の研究の担当者も「私を含めて一人半」しかいなかった。

 佐藤は84年、「村八分になる覚悟」で、「原子力安全の論理」と題した本を出版する。安全性の問題が緊急に解決を迫られているとし、過酷事故がどう進むかを詳細に記した。周囲の反応は冷ややかだった。「『不安全』の告白になるから大きな声で言うな、と。シリアスな問題から、目をそらしていたいという風潮があった」

 90年代になると、電力自由化の流れのなか費用対効果も強く意識されていく。2002年に発覚した検査結果偽装などの不正が東電で常態化していたのもこのころだった。電力供給を優先する意識が強かったとも指摘された。

 1999年のJCO臨界事故の教訓から、原子力防災の法律が制定。原子力安全・保安院も経済産業省に発足した。しかし、保安院は東電不正など次々に起こる目先の問題の対応に追われる。「いずれ過酷事故対策の法制化を」との声もあったが、根本対策は見送られたままだった。

 「日本の過酷事故対策はもう少しで軌道に乗るところだったが、東電不正で止まってしまった」。専門家としてベント設置の推奨に携わった元原子力委員長の近藤駿介(72)は悔やむ。

 今年3月11日。原子力規制委員会の委員長田中俊一(70)は職員への訓示でこう戒めた。「事故から4年がたち、一部では教訓を忘れつつある風潮もある」

 2月の審査会合では、フィルター付きベントをめぐり、こんなやりとりがあった。柏崎刈羽原発が電源を失った場合の対応を問われた東電は、操作に手間がかかる従来型の弁を使うと答えた。規制委は「新基準の思想を理解していない」と再考を求めた。

 規制委は9月、発足3年の見直し時期を迎える。これまで、事故が起こるたびに対策が検討されながら、うやむやになってきた。この繰り返しを今回は絶てるのか、岐路に立っている。

 =おわり

 (編集委員・服部尚、川田俊男)

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◆◆「即時原発ゼロ」の実現を――日本共産党の提言
2012年9月25日赤旗
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「原発ゼロ」の日本を願う国民の世論と運動が大きく広がっています。政府・民主党も、「過半の国民は原発に依存しない社会の実現を望んでいる」(エネルギー政策についての政府の「検証会合」)と認めざるを得なくなりました。

 しかし、財界など原発を推進してきた勢力は、「原発ゼロ」を望む国民世論に抵抗し、「『原発比率ゼロ』は現実的でない」(日本経団連会長)などと政府に圧力をかけ、原発の維持・推進に固執しています。アメリカからも「原子力発電の慎重な再開は、日本にとって正しい責任ある措置」(戦略国際問題研究所報告)など、露骨な介入があります。

 こうしたもとで、野田内閣の関係閣僚がまとめた「エネルギー・環境戦略」は、「原発ゼロ」を口にしながら、その実現を先送りし、原発に固執するものとなりました。「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という一方で、「再処理」をすすめて新たな核燃料をつくり、中断している原発の建設を再開するという、まったく矛盾した姿勢です。しかも、野田政権は、財界やアメリカからの圧力をうけて、この「戦略」を閣議決定することすら見送りました。

 「原発ゼロ」を望む国民世論に逆らって、原発再稼働を容認し原発に固執しつづけるのか、文字通りの「原発ゼロ」をただちに実現するのかが、問われています。

1、すべての原発からただちに撤退する政治決断を行う――「即時原発ゼロ」を実現する

 日本共産党は、すべての原発からただちに撤退する政治決断を行い、「即時原発ゼロ」を実現することを強く要求します。

 私たちは、2011年6月の「提言」で、「『原発ゼロの日本』をめざす政治決断」を行うことを求め、「原発からの撤退をどのくらいの期間でおこなうのか、日本のエネルギーをどうするのかについては、国民的討論を踏まえて決定されるべき」であるが、日本共産党としては、「5~10年以内を目標に原発から撤退するプログラムを政府が策定する」ことを提案しました。

 この「提言」から1年3カ月が経過し、原発からのすみやかな撤退、一日も早く原発の危険を除去する必要性、緊急性がいっそう切実になるとともに、その条件があることも明らかになりました。

(1)事故の被害は拡大しつづけている――二度と原発事故を起こしてはならない

 福島第一原発の事故は「収束」するどころか、その被害は拡大し、多くの被災者の方々は先の見えない苦しみのもとにおかれています。福島県では、いまも県内外への避難者は16万人にのぼり、避難先で命を落とす人も少なくありません。放射能による被害は東日本を中心に全国に広がり、ホットスポットと呼ばれる放射線量の高い地域が各地に出現しています。農業、漁業、林業や観光業をはじめ、あらゆる産業、経済への深刻な打撃も続いています。

 原発事故は、ひとたび放射性物資が大量に放出されると、その被害が空間的にも、時間的にも、社会的にも限定なしに広がり続け、人類は、それを防止する手段を持っていません。この"異質の危険"が一年半たった今でも、猛威をふるっているのです。

 しかも、原発事故は、「これが最悪」ということさえも想定できません。今回の福島原発事故で大気中に放出された「死の灰」は、原子炉内総量の1割程度で、放射性ヨウ素やセシウムなどは1~2%と言われていますが、これがもっと大量に放出される事故も起こり得ます。そういう最悪の事故が起こった場合の被害については、想定すること自体が不可能です。二度と、原発の大事故を起こすことは絶対に許されません。

(2)原発稼働を続ける限り、処理する方法のない「核のゴミ」が増え続ける

 使用済み核燃料=「核のゴミ」を安全に処理する技術はありません。使用済み核燃料は、原料として使用したウラン鉱石のレベルに放射能が下がるまでに数万年、無害といえる程度になるまでには、さらに膨大な時間がかかります。

 すでに日本の原発からは2万4千トンもの使用済み核燃料がつくりだされました。各原発のプールには、大量の使用済み核燃料が貯蔵され、各原発が再稼働すれば、プールは数年で満杯になってしまいます。

 歴代政府が、使用済み核燃料の「対策」としてきた核燃料サイクル計画は完全に破たんしています。再処理した核燃料を使用するはずの「もんじゅ」はトラブル続きで完成の見込みもありません。核燃料サイクル計画からは、アメリカ、イギリスをはじめ世界各国も撤退しています。しかも、再処理は、使用済み核燃料をせん断、溶解させて、プルトニウムとウランと「高レベル放射性廃棄物」に分けるもので、この処理そのものが極めて危険であるうえ、ここで生まれる「高レベル廃棄物」などの処分についても、見通しがまったく立っていません。

 原発稼働を続ける限り、処理する方法のない「核のゴミ」が増え続けます。これ以上、この危険な遺産を増やし続け、将来の世代に押しつけ続けることは許されません。

(3)原発の再稼働が国政上の大問題になったが、その条件も必要性も存在しない

 昨年の「提言」発表後に、国政の大きな問題となったのが原発の再稼働問題です。

 原発事故の原因究明もできず、政府自身が決めた「当面の安全対策」も未実施のままで、住民避難の体制も計画もない――こんな状態でどうして再稼働ができるのか。国民の怒りが大きく広がりました。

 政府と電力業界は、「電力不足」で国民を脅し、原発再稼働を強行しましたが、関西電力管内を含めて"原発なしで猛暑の夏を乗り切る"ことができることも実証されました。

(4)国民世論が大きく変化し、「原発ゼロ」を目指す声は、国民多数となっている

 福島事故から1年半を経過し、国民の世論も大きく変化、発展しています。政府が行ったパブリックコメント(意見公募)では8割が「即時原発ゼロ」を求め、福島市の聴取会では「すべての原発の即廃炉」を求める声が圧倒的でした。

 原発事故の被害の深刻さ、恐ろしさが、多くの国民の実感となっています。原発に頼らない社会への道をすすもうという国民の意思は明白です。国民の願いに応えるのが政治の最大の使命であり、ただちに「原発ゼロの日本」を実現することが政治の責任です。

こうした状況を踏まえて、日本共産党は、昨年の提起をさらに一歩すすめ、つぎの諸点を政府に強く求めます。

 ――すべての原発からただちに撤退する政治決断をおこない、「即時原発ゼロ」の実現をはかること。

 ――原発再稼働方針を撤回し、大飯原発を停止させ、すべての原発を停止させたままで、廃炉のプロセスに入ること。 

 ――青森県六ケ所村の「再処理施設」を閉鎖し、プルトニウム循環方式から即時撤退すること。

 ――原発の輸出政策を中止し、輸出を禁止すること。

2、原発再稼働の条件は存在しない――再稼働方針の撤回を求める

 政府の原発再稼働の方針は、道理も科学的知見もない、無謀きわまるものです。

 ――原発事故の原因究明、科学的検証は緒についたばかりであり、原因究明にはほど遠い状態です。

 ――政府がとりあえず必要とした30項目の「安全対策」もとられていません。

 ――地震と津波の科学的知見の根底からの見直しも、これからの課題です。東南海地震をはじめ大規模地震の危険もあります。原発敷地内に活断層の存在が指摘されていることも重大です。

 ――原発事故が起きた場合の放射能拡散などの被害予測も、住民の避難体制と計画も立てられていません。

 これらの問題点のなかには、この先、数年~10数年程度では、とても解決できない問題も含まれています。

 しかも、再稼働などを判断する新しい「原子力規制委員会」は、原発を推進してきた環境省のもとに設置されるなど、独立した規制機関とはとても言えません。委員長には、元原子力委員会委員長代理であり、原発推進の立場に立つ田中俊一氏が任命されました。原発推進政策の中枢にいた人物が責任者となる委員会に、まともな規制機関としての役割など、とうてい期待することはできません。

 ――「原発なし」でも"猛暑の夏"を乗り切れた――再稼働の「必要性」もない

 政府は、「電力不足」を再稼働の理由にあげ、野田首相は、「計画停電が余儀なくされ突発的な停電が起これば命の危険にさらされる人もでる。仕事が成り立たなくなり、働く場がなくなる人もいる。日常生活や経済活動は大きく混乱する」(6月8日記者会見)とまで言いました。

 これがまったく根拠のない、国民への"脅し"でしかなかったことは、事実で証明されました。関西電力は、大飯原発を再稼働しなくても、政府が「最低限必要」とした3%を超える余裕があったという試算を明らかにし、事実上、再稼働が必要なかったことを認めました。原発なしでも混乱は起きない、政府や電力業界の言う事は信用できない――これが、この夏に国民が体験したことです。

 再稼働方針の撤回を求めます。すでに再稼働が強行された大飯原発をすみやかに停止させることを求めます。

3、「即時原発ゼロ」は可能――エネルギーと日本経済の未来をこう考える

 財界など原発推進勢力は、「原発をやめると電気が不足する」「経済活動に支障をきたす」などと、「原発ゼロ」によっておこる問題を強調しています。

 しかし、原発事故のリスクはあまりに巨大であり、「原発ゼロ」にともなって起こる問題を、原発事故の巨大な危険と天秤にかけることは許されるものではありません。

 「即時原発ゼロ」を実現しつつ、電力やエネルギー、日本経済などにかかわる国民的な課題の解決にあたることこそ、国民の安全と生活に責任をもつ政治がとるべき姿勢です。政治の姿勢を変えれば、「即時原発ゼロ」に踏み切っても、エネルギーと日本経済の未来を切り開くことは可能です。

(1)再生可能エネルギー(自然エネルギー)の最大限の普及と低エネルギー社会への取り組みを本格化させる

 ――過渡的な緊急避難として、火力での電力確保が必要だが、その時期は5-10年程度とし、その間に、再生可能エネルギーと低エネルギー社会への移行をはかる

 当面、国民的な節電の努力とともに、火力による電力確保が必要になりますが、同時に、温室効果ガスによる地球温暖化を抑止するという人類的課題もあります。火力による電力確保はあくまで過渡的な緊急避難措置(5-10年程度)とし、その間に原発分のエネルギーを、再生可能エネルギーと低エネルギー社会への取り組みで確保するようにします。その後は、さらに火力発電の削減へと取り組みを強めます。

 再生可能エネルギーの導入可能量は、全国で20億kW以上(環境省など)になり、原発54基の発電能力の約40倍です。この大きな可能性を現実にする本格的な取り組みを開始すべきです。

 ドイツは、2000年に固定価格買い取り制度を導入しましたが、再生可能エネルギーによる発電量が、2011年には導入前(1999年)の4.1倍に拡大し、原発による発電量を上回りました。

 北海道電力では、風力発電の買い取り枠20万kWに対して、発電を希望する事業者の応募は187万kWに達しました。東北電力でも30万kWの買い取り枠に対して、約11倍の324万kWの応募がありました。送電線の容量不足などの電力会社の側の「都合」で、こうした力が生かされていないのです。いまこそ、「原発への未練」をきっぱり断ち切り、再生可能エネルギーの普及のためにあらゆる手立てをつくすべきです。

 ――電力体制の改革に直ちに着手する――発送電の分離など、再生可能エネルギーの大規模な普及にふさわしい体制に

 再生可能エネルギーの普及を大規模にすすめていくと、大中小の多様な発電所が全国各地に無数に誕生することになり、発送電分離などの電力供給体制の改革にただちに着手する必要があります。

 「電力自由化」の名のもとに、すべてを規制緩和と市場原理・競争にゆだねるというやり方では、再生可能エネルギーの普及はすすみません。固定価格買い取り制度や送電事業者への接続義務などのルールを強化します。

 再生可能エネルギーによる発電事業に、官民問わず、大中小の幅広い事業者、市民が参入できるようにするとともに、公共性が高く、地域独占になる送電事業は、公的管理の下に置く電力体制にする改革をすすめます。

 再生可能エネルギーであっても、その導入にあたっては、環境基準の設定、環境アセスメントの実施などを実施します。

(2)電気料金問題――原発こそ「高コスト」であり、再生可能エネルギーと低エネルギー社会への取り組みが広がるほどコストが下がる効果は大きくなる

 政府や電力業界は、「電力不足」という脅しが通用しなくなったら、「原発ゼロで電気料金が2倍になる」などと言い出しています。この原発擁護論も二重三重のごまかしです。

 ――「原発ゼロで料金2倍」は根拠のない過大宣伝 

 政府が公表した2030年の電気料金は、試算した機関によって大きく異なります。「2倍になる」というのは、地球環境産業技術研究機構(RITE)の試算ですが、それも「現在月額1万円の家庭の電気料金が、2030年に原発ゼロだと2万円、原発20~25%だと1万8000円」というものですから、「原発ゼロ」でも全原発を稼働させても電気料金はあまり変わらないという試算なのです。国立環境研究所の試算では、原発ゼロでも、20~25%でも、2030年の料金は月額1万4000円と変わりません。

 ――高すぎる天然ガス買い取り価格をあらためる

 日本の火力発電のコストは高すぎます。天然ガスを高い価格で買い続けているからです。日本の電力会社は、天然ガス価格を日本向け原油平均価格にリンクする方式で契約しているため、国際的には天然ガス価格が、シェールガスの開発で低下する傾向にあるにもかかわらず、原油価格高騰のために、日本は不当に高い価格で天然ガスを買い取っているのです。東京電力は、同社の子会社(TEPCOトレーディング)と三菱商事が設立した貿易会社から天然ガスを購入していますが、その価格は、対米販売価格の9倍にもなっています。天然ガスの買い取り価格は、国際的な価格水準を反映する仕組みにするようあらためるべきです。

 ――原発こそ本質的に「高コスト」

 「原発は安い」というのもまやかしです。原発こそ本質的に「高コスト」であることは、今回の原発事故でも明らかになったことです。いったん大事故が起きれば、その賠償や除染、事故を起こした原発の管理などに莫大な費用がかかります。さらに、使用済み核燃料を長期間保管し続けることなど、将来の大きなコストがあります。

 ――再生可能エネルギーの価格は普及がすすめば低下する

 「再生可能エネルギーが高い」という議論も正しくありません。もちろん、初期投資には一定の費用がかかりますが、大規模な普及と技術開発が進めば、そのコストは大幅に低下していきます。ドイツでは、太陽光発電の価格は、2004~2012年の間に4割程度へと大幅に下り、風力でも継続的に引き下げられ10年間で8割程度になりました。

 日本でも2020年には風力発電コスト(陸上)が1kW時当たり7~11円となり、現在の火力発電コストを下回る可能性があるとされています(「NEDO再生可能エネルギー技術白書」2010年7月より)。

 ――「値上げ」の脅しは通用しない

 国民は、電気料金の問題も冷静に見ています。政府の行った「討論型世論調査」では、「コスト高になっても、再生エネルギーや省エネルギーを進めるべきだ」は、賛成が50.4%に対して、反対が9.6%。世論調査でも、「原発の割合をゼロ%にするために電気料金の追加負担」を容認する人が55%となっています(「朝日」8月28日付)。当面のコスト増はあっても、再生可能エネルギーの大規模な普及をすすめるべきだという意見が多数であり、政府や財界の「値上げ」の脅しは通用していません。

(3)原発から再生エネルギーへの大転換こそ、日本経済の持続可能な成長を実現する

 政府や財界は、原発をなくせば日本経済が衰退するかのように喧伝します。しかし、原発から再生可能エネルギーへの大転換こそ、日本経済と産業の新たな成長と発展の可能性をきりひらくものです。

 福島以後、ドイツ、イタリア、スイスをはじめ原発から撤退する流れが大きくなり、世界一の原発大国のフランスでさえ縮小の方向です。一方で、再生可能エネルギーの開発と実用化は、今後、世界で爆発的に広がります。原発にしがみつくのか、再生可能エネルギーの産業としての可能性に挑戦するのか、どちらが日本経済の成長と発展につながる大局的な道なのか、明白ではないでしょうか。

 ――エネルギー自給率を向上させ、内需主導の日本経済に転換していく大きなチャンス

 再生可能エネルギーの本格的導入は、エネルギーの国産化をすすめることになります。「資源のない国」からの転換になり、日本経済の構造を大きく転換するチャンスです。エネルギー自給率を現在の4%から数十%に引き上げる可能性をもったチャレンジです。

 ――新しい産業の振興、地域経済の活性化、中小企業への仕事づくりでも大きな可能性

 再生可能エネルギーによる発電は、地域密着型の新産業であり、地域経済への波及効果も大きくなります。エネルギーの「地産地消」、地域や自然環境の実情にあった小型の発電装置の開発、製造、維持・管理などは、中小企業への仕事を増やすことになります。雇用も、原発よりはるかに大きな可能性をもっています。ドイツでは、原発関連の雇用は3万人にたいして、再生可能エネルギー関係の雇用は38万人となっています。

 再生可能エネルギーは、これからも様々な分野で技術開発、実用化がすすめられる産業であり、技術革新(イノベーション)の大きな起爆剤になります。日本の中小企業の高い技術力が生かされる分野も多くあります。風力発電は、2万点もの部品を組み立てるもので、自動車産業などで培われた日本のモノづくりの力が生かされます。

 低エネルギー社会への取り組みでも、住宅の断熱リフォームをはじめ新しい需要を生み出し、技術革新をすすめることが期待できます。

 ――浪費型社会から、人間らしく生活し、働くことができる社会に

 日本の社会、経済のあり方も問われています。地球環境の面でも、浪費型社会をいつまでも続けることはできません。同時に、低エネルギー社会は、決して「がまんの社会」ではありません。「大量生産、大量消費、大量廃棄」、「24時間型社会」など、ライフスタイルを見直し、異常な長時間労働を抜本的に是正して、人間らしく生活し、働くことができる社会に転換することで、低エネルギー社会へと進んでいくことが必要です。

(4)大事故の科学的検証、廃炉と使用済み核燃料の処理などのための研究、技術開発と、強力な権限をもった規制機関の確立を

 ――事故原因の徹底究明に責任ある体制を

 福島事故の原因究明と大事故にいたるすべてのプロセスを解明する科学的検証をしっかりおこなうことは、日本の国際的、人類的責任です。東京電力や経産省から独立し、東電の情報隠しなどの妨害を排除できる調査権限を持った第三者機関と研究機関を確立します。国会に特別委員会を設置し、証人や参考人を招致し、事実を明らかにしていくこともすすめます。

 ――「原発ゼロの日本」に必要な研究と技術開発をすすめる

 「原発ゼロ」を実現した後も、原発の廃炉、使用済み核燃料の管理・処理など原発関連の「負の遺産」の後始末を安全に実施しなければなりません。

 使用済み核燃料の処分の手段・方法については、専門家の英知を結集して研究・開発をすすめます。その結論が出るまでは、政府の責任で厳重な管理をおこないます。

 こうした事業に取り組むためにも、原子力に関する基礎研究とこの仕事を担う専門家の確保・育成をすすめます。

 ――強力な権限をもった規制機関の確立をはかる

 原発の廃炉にいたるプロセスの管理、使用済み核燃料の管理などを目的とし、従来の原発推進勢力から独立し、強力な権限をもった規制機関を確立します。

4、福島の被災者支援と復興に、総力をあげて取り組む

 すべての原発被害に対する全面賠償、迅速で徹底した除染、被災者の生活支援、子どもをはじめすべての県民のいのちと健康を守る医療制度、教育条件の整備、産業と雇用、地域経済の再生など、いま、福島の復興には課題が山積しています。原発事故の"異質の危険"が、その一つ一つに大きな困難をもたらしています。生活再建と復興への展望、明日への希望が見えない状況が続き、復興への意欲を奪っています。

 政府と東京電力は、全面賠償と徹底した除染、福島の被災者支援と復興に、総力をあげてとりくむべきです。そのさい、国が「線引き」せずにすべての被災者・被害者を支援の対象にすること、不当な「打ち切り」をやめて全面的な支援を継続することを、基本原則として明確に打ち出すことを求めます。

 ――無責任な「収束宣言」の撤回を求める

 政府は、昨年12月に、福島第一原発は「冷温停止状態」になったなどとし、「収束宣言」なるものを行いました。しかし、原子炉は破壊され、核燃料は溶け、応急施設で循環させた水に浸かっているだけで、高濃度汚染水の流出の恐れや労働者の被ばく問題など、数々の重大な問題に直面しています。破壊された原子炉を「停止状態」と強弁する、乱暴で非科学的な「収束宣言」の背景には、原発を維持するために、大事故の実態とその危険性をできるだけ小さく見せかけようという政治的意図があるのは明白です。

 この「収束宣言」が被災者・被害者を苦しめています。東京電力の不遜で傲慢な態度を増長させ、賠償切り捨ての助け舟にもなっています。原発を存続させるために、福島を「見殺し」にするなど言語道断です。無責任な「収束宣言」の撤回を求めます。

 ――「線引き」せずに、すべての被災者・被害者を支援する

 賠償と除染、生活支援、復興支援で、原発からの距離や線量で、不当な「線引き」をしてはなりません。警戒区域などの見直しに応じない自治体の住民には、住宅や土地などの財物賠償の交渉さえ認めないということまで起きています。どこに住んでいようが、受けた被害を全面的に賠償するのが当然であり、被災者・被害者の生活と生業が再建できるよう支援すべきです。

 福島に残っている人も、県内に避難している人も、県外に避難している人も、故郷に帰りたいと願う人も、別の地での生活再建を目指す人も、支援の対象とします。農業、漁業、製造業、小売業など、すべての産業分野での事業の再建をはかることは、雇用や仕事、地域経済の復興に不可欠です。規模や「競争力」などの名目で「線引き」せず、すべての事業の再開、再建をはたしてこそ、暮らしていける地域としての復興が可能になります。

 ――不当な「打ち切り」をやめ、長期にわたる復興の過程を支援する

 原発事故からの復興には長期を要するにもかかわらず、支援策の不当な「打ち切り」が始まっています。生活と生業が再建され、希望する人が故郷に帰り、いのちと健康を守る医療を保障し続け、「原発事故前の安全・安心の福島県」をとりもどすまで、そのすべての過程で、国の責任で復興を支援することを明確にすべきです。

 ――賠償、除染、廃炉の費用は、「原発利益共同体」の共同責任で確保する

 原発災害の除染と賠償には膨大な費用がかかり、被害者の救済と被災地の復興にまともに取り組むなら、政府が想定している数兆円という規模をはるかに上回る巨額になります。賠償と除染にかかる費用は、事故を起こした加害者である東京電力が負担すべきです。同時に、電力業界、原子炉メーカー、大手ゼネコン、鉄鋼・セメントメーカー、大銀行をはじめ、原発を「巨大ビジネス」として推進し、巨額の利益をあげてきた「原発利益共同体」に、その責任と負担を求めます。

 東京電力はじめ電力業界は、原発と核燃料サイクル計画推進などのために、「使用済み核燃料再処理等引当金」をはじめ約19兆円もの積み立てを行うこととし、すでに5兆円の積立残高があります。この積立金を国が一括して管理する基金に移し、「原発賠償・除染・廃炉基金」を創設し、廃炉とともに、原発災害対策などの財源として活用し、「原発利益共同体」に属する大企業にも、この基金への応分の拠出を求めます。

5、原発立地自治体への支援――雇用と仕事、地域経済の活性化支援は国の責任で

 原発に依存しなければ生きていけない地域に誘導した国と電力会社の責任は重大です。しかも政府が、稼働しないと補助金も出さない仕組みに変更して、ますます原発に縛り付け、再稼働を押しつけ、住民に苦渋の選択をせまっていることは許せません。

 原発の廃炉は、今後、20年以上かかり、その面での仕事や雇用も生まれてきますが、それにとどまらず、立地自治体の地域経済再生は国の責任です。

 石炭から石油へのエネルギー革命を国策ですすめた時でさえ、石炭産地の雇用対策や産業振興が40年にわたって継続され、4兆円が投入されました。当時の産炭地では、公共事業や失業対策事業が中心でしたが、原発立地自治体への支援は、それにとどまらず、住民が夢と希望をもてるものにする必要があるし、またそれは可能です。

 大きな成長が期待される再生可能エネルギーと関連する新産業の誘致と育成、原発廃炉によって可能性が広がる漁業、農業と関連産業の育成など、本格的な地域経済再生に国として取り組み、「原発ゼロ」と一体に立地自治体の住民のくらし、地域経済再建の支援をすすめます。


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