密教の座禅を阿字観法といいます。座禅というと禅宗の座禅を思い浮かべる方が多いと思います。
坐禅の始まりはお釈迦さまが、苦行によっては覚りを得られず、尼蓮禅河で沐浴をしたのち、菩提樹の下で静かに瞑想にはいられました。その時のお姿が、坐禅の基本になりました。足を組んで結跏趺坐して下腹のところに両手を組んで、法界定印という印を組みます。この印は何を表しているかというと、宇宙の形を表しています。
仏像彫刻家であった故西村公朝仏師は次のように説明をされています。仏像の声(形・心と教え 佼成出版)
「ここで問題になるのは、宇宙の形というのは我々には見えないのに、どうして形に表せるのかということです。そもそも宇宙の形は宇宙から飛び出し、外から眺めて初めて全体の形が見えるのであって、宇宙の中に包まれているわれわれには見えるはずがないのです。(中略)
たとえば、お母さんの胎内にいる赤ちゃんと母胎との関係で説明できます。胎児にはお母さんの姿は見えません。それはお母さんのお腹の中にいるからです。ところが、その胎児にとっては、見えるか見えないかという問題以前に、自らのいのちは、お母さんの生命力に任せねばならない。だから見えないが、お母さんの力に任せ、生命力に任せるしかない・・・こう考えていきますと、私たちは自然の姿全体は見えないが、その中に包まれているという現実からすると。自然の生命力に任せて生きなければならないのです。さらに自分も母親も、それらを包む自然も、大きな宇宙という大きな母胎に包まれているんだということになります。このように、宇宙も仏も、見えるか見えないかという問題以前に、実感せざるを得ないということになる。というのです。
たとえば、ヒマラヤのような、世界最高峰の山に登り、頂上に坐って空を見上げたとすると、自分の周囲は全部空になります。その空の中から外に飛び出して、この宇宙の全景を想像してみたときの形が、この法界定印の形になっているという考え方です」。
また、山の頂上で満天の星空を見たときいかにも宇宙の中心に自分がいるように感じます。これが法界定印を結ぶ理由です。真言宗の座禅阿字観法は、宇宙と自らが融合し、一体になった時に宇宙に包まれ、宇宙に生かされている自分を認識する座禅なのです。
さて、この心の話のシリーズは、9月15日で300回になりました。 記憶をたどりましと、平成2年からホームページを立ち上げ、心の講話を始めました。毎月1日と15日の2回の出筆です。時にはうっかり忘れ、2,3日遅れることもありました。物事は何でも継続するということは大変です。途中で何回も止めようとしたことがございます。何時辞めようか、何時辞めようかと挫折しそうになりました。丁度今回で300回という区切りですので、
一度この辺でお休みして、また英気を養い出直そうと思います。
今まで熱心にご愛読いただいた皆様に厚く御礼を申し上げます。
有難うございました。