弘憲寺 心の講話

香川県高松市の、高野山真言宗のお寺・弘憲寺のブログです。

こころのはなし(第196回)

2月15日はお釈迦さまが入滅(にゅうめつ)した日です。入滅とはお釈迦さまがお亡くなりになられたことをいいます。この入滅された2月15日にお釈迦さまのお徳を讃嘆(さんたん){深く感心して褒め称えること}し、供養する法会(ほうえ)を高野山では常楽会(じゅうらくえ)といい、普通は涅槃会(ねはんえ)といいます。涅槃とは煩悩を吹き消した悟りの境地。また生命の火を吹き消す死を意味する場合とがあります。

 

 お釈迦さまとは釈迦族のご出身ですからお釈迦さまとお呼びいたします。また釈迦族の尊いお方というので釈尊(しゃくそん)とお呼びします。釈尊のお名前はお父さんの名である「ゴウタマ」釈尊のお名前は「シッタルータ」ゴウタマ・シッタルータといいます。

釈尊が覚りを開かれてからは釈迦族の聖者という意味で「シャークヤ・ムニ」と呼ばれていました。中国では音写して「釈迦牟尼(しゃかむに)」と漢字で書き、敬意を表して「釈迦牟尼世尊」とも言い表しました。

そしてお覚りをお開きになられてからは釈迦如来と呼ばれるようになりました。

釈尊のご一生を大きく分けて七つに分けてみていきたいと思います。


1ご生誕 釈尊は釈迦族の王子さまとしてお生まれになりました。お母さんはマーヤ夫人、ご出産のために実家に戻る途中、

ルンビ二―園でご出産されました。右手を挙げ人差し指を天に向けて立っている仏像をご覧なったことがあると思います。

「誕生仏」です。四月八日の花祭りに誕生仏に甘茶を灌ぎます。


2出家 お釈迦さまは29歳で髪をそり出家しました。

3苦行 出家して苦行の旅に出られ、その苦行は6年間も続きました。この苦行によって何も得られず、結局、「快楽も、苦行も本当の現実の苦しさから目をそらさせ、一時的に忘れさせるものでしかない」快楽も極端な苦行にも偏らない理想な道(中道)を歩めねばならないことを自覚したのです。


4お覚り 苦行によって衰弱した体を尼蓮禅河(にれんぜんが)

で身を清め、スジャータという娘さんから「乳粥」の供養を受け、体力が回復し、近くの菩提樹の下で座禅瞑想に入られ、七日目の早朝、明けの明星をご覧になられ、その瞬間「宇宙の真理、人間の真実、苦しみの構造など、あらゆる真理に目覚めてブッダ(ほとけ)となられたのです。


5初転法輪 お覚りになられた内容をはじめ五人の苦行をともにしたバラモンに説かれました。そして、五人のバラモンはお覚りを開き、お釈迦さまの弟子になりました。これを初転法輪(しょてんぼうりん)といいます。ここで初めて仏教教団が成立します。


6遊行 その後、弟子も増え60人になったときインド各地に布教の旅、遊行が始まったのです。

釈尊は入滅されるまでの45年間にわたり人々に説法して、教化の旅を続けられたのです。


7入滅 釈尊は旅の途中、ベッシャリー郊外のベーヌ村にはいりました。この時、釈尊は激しい腹痛に襲われますがそのまま旅をつづけ、パーバァ村に入り、鍛冶屋のチュンダの供養を受けます。その食事を受けてさらに病状が悪くなりました。その後、クシナガラに着くと、二本のサーラ樹の間に床を用意させて横になり、最期の言葉を告げられました。「修行僧たちよ、すべてのものは移ろいゆく。おこたりなく努めはげめよ」こうしてお釈迦さまは80年のご生涯を閉じられたのです。


 

 

 

 

 

 

 

こころのはなし(第195回)

パーリ語、パーリ語とは法典(真理を説いた聖典)の意味ですが、スリランカ・ミャンマー・タイなどで仏典に用いた言語を言います。そのパーリ語で「善人」を「ビマラ」といいます。

漢訳では「大人」(だいにん)といいます。私たちは成長すると子供から大人(おとな)に成長します。大人の定義は成人式を迎えるとよく大人の仲間入りをしたというように、成人したものを大人と思っています。この大人を広辞苑で見てみますと、

 

1、      十分に成長した人。成人

2、      考え方・態度が老成しているさま。

 

 とあります。1、の十分に成長した人というのは身体が成長した様をさして成人としています。2、の考え方・態度が老成しているさまというのは、考え方や態度が成熟していることをさしていると思います。

 1月9日の成人式には毎年のように成人にふさわしくない行動をする人がいます。酒を飲んで暴れたり、バイクで会場に乗り付け騒音を響かせたりします。身なりは大人ですが考え方はまだまだ未熟です。

 

パーリ語「ビマラ」これを離欲と訳されます。すべての欲を離れた人を真の大人と解釈したのでしょう。

 

法句経83番に次のような詩があります。この詩は友松円諦さんの翻訳です。

 

心ある人は いかなるところにも ほがらかに歩みゆく かかる人はこの欲を かの欲に愁(うれ)いなげかず 幸福(たのしみ)にあうも はた苦しみにあうも 心ある人は その思いうかぶことなく その思い沈むことなし

 

私たちはこの欲を離れることはまずできないと思います。しかし、欲望を小さくすることはできます。昔から「小欲知足」を教えています。欲望を小さくするこれは自己中心の考え方を改めるということです。自己中心ということは自分の心の赴くままに、それにしたがって生きることです。その心のおもむくままの心を「法」釈尊の説かれた教えによってコントロールしていくことです。

 

心をコントロールすることにより、いかなる喜びにも、いかなる悲しみにもすこしも心が動揺しないこと、このことがまさしくパーリ語の「ビマラ」訳して真の「善人」であり、「大人」といえるのではないでしょうか。

こころのはなし(第194)

大晦日には大勢の方々が除夜の鐘を撞きに来られ、家族総出で参拝者にぜんざいを接待し、朝方にやっと床に入ることができました。

お正月元旦を迎え、家族全員書院に集まり新年のお祝いが始まりました。

 先ず、床の間にお祀りしている讃岐の神様である讃岐の神様(日本武尊の第3番目の王子)讃留霊王(さるれおう)、そして歳徳神・大黒さん・弁天様に礼拝し、その前にお供えしてある三方(さんぼう)に、橙と亀の置物を乗せ、それを家族全員が一人ずつ頂く作法をいたします。これは寺と家族が代々栄えるように、また亀は長壽を授けていただくように、その象徴として三方を頂くのです。

 

 その作法が終わると、お屠蘇を頂きます。名誉住職、住職の順にまわします。現在孫が小学校2年を頭に4人、全員男の子ですので、正月のお祝いをするのも大騒ぎです。しかしこのしきたりは孫たちにしっかり見せておかないと伝承が途切れることになっては大変です。昔からのしきたりを次に伝える責務があります。

行事とかしきたりというものは、時代が変わったから簡素化しょうとか、省略してしますと必ず廃れてしまいます。頑なまでに守っていくことが大切です。

 

 本来お寺での規則には葷酒(くんしゅ)山門に入るを禁ずとあります。葷とはからい菜、くさい菜。たとえばにんにく・にら・ねぎなどで、また、なまぐさいもの肉食などです。

 この葷は薫に通じ、なおいがたちこめるの意味があり、くさい菜の意味を表します。

 

最近はお寺も家族が居ますのですべて精進とはいきません。修行道場とか、僧堂では厳格に守ります。次に葷酒の酒についてですが、これも本来お寺に持ち込んではいけないものです。

酒は修業の妨げになるばかりではなく、酔うと人格まで変わってしまう人もおります。お屠蘇は漢方薬にお酒を入れますが、これは薬用としているので許されるでしょう。

 

仏典にはお酒を戒める教えがあちらこちらに出てきます。

初期仏教の経典である「スッタニパータ」「ブッタの教え」

宮坂宥勝訳に次のように出ています。

 

{飲酒してはならない。在家信者は、この(飲酒してはならないという)規則を喜んで(他人に)飲ませてはならない。(他人が)飲んでいるのを容認してはならない。(酒は人を)「酔い狂わせるものである」ということを知って。

なぜならば、愚者たちは、酔って(自ら)もろもろの悪事をするし、他の者たちを怠けらせるからである。愚者の欲するところであり、人を酔い狂わせ、迷わせる(ような)この(飲酒という)福徳のないものを避けるがよい}

 

また法句経(ほっくきょう)247には

さらにまた スラー酒 メーラヤ酒におぼれふければ そは

この世にて おのれの 本根を掘れるなり

 

法句経では酒のためにはあやまちをおかす。このような人は、ただわが身の本を掘るもので、生まれ変わり死に変わっての輪廻をかさね、結局とどのつまりは、永劫に浮かぶことができない。と説かれています。飲み過ぎにご用心。

 

 

 

 

 

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