
飛行機が着陸体勢に入る。思えば、この4年間、イギリスで留学している間に色々なことがあった。英語尽くしの毎日、向こうで出来た沢山の友人、レポートや論文を書くために、徹夜した日々。でも、その中でも一番、竜宮康煕にとって一番大きな出来事は、2年生のとき、日本で起こったあの出来事だった。代々続く実家のホテルの株の過半数が買い占められたこと、買い占めた相手が康煕の先輩であり、IT企業の社長だったこと、株を返す条件として、彼の恋人になったこと、その先輩が大病を患っていたこと、高校時代からずっと自分のことを想ってくれていたこと、そして、奇跡の復活を遂げた先輩と、恋人として最初から交際することになったこと その先輩・黄野琉惺は、康煕との再スタートを2年後に設定した。それは、自分がまだ抗がん剤治療に専念しなければならなかったためと、康煕が無事に大学を卒業するためである。その間、メールでのやりとりをしていたが、会うのは2年ぶりだった。ドシン、と重い衝撃とともに、飛行機は成田空港に到着する。康煕は、帰国後は、実家のホテルを継ぐための修行として、実際にホテル内でコンシェルジュ見習いとして働くことになっていた。琉惺に抱かれたことで、少し大人になったかと思っていたが、康煕はまだまだ学生気分が抜けきらず、特に恋愛に関しては、どんなに言い寄られても、デートの一つもしていない。それは、琉惺からもらったプラチナの指輪のせいもあるが、もともと奥手なのだ。ターンテーブルで自分の荷物を待ちながら、康煕は少し不安になる。まだ子ども気分が抜けきれない自分が、実家とはいえ、一流ホテルで、一流のホテルマンたちと共に、そつなく働くことができるのだろうか。そして、琉惺は離れている間に、少しも成長していない康煕を見てがっかりしないだろうか。ようやく自分の荷物を全て取り終えて、カートで到着口から足を踏み出す。すると、いきなり大きな声が自分を呼んだ。
「竜宮くん!」
声がした方を振り向くよりも前に、康煕は抱きすくめられていた。
「・・・黄野・・・さん?」
とても優しい香水の香りが康煕の鼻腔をくすぐる。しかし、こんなに人が大勢いる中で、抱きしめられていることに、康煕は恥ずかしさで身体が火照ってくる。
「ちょ、ちょっと、待って・・・」
康煕は慌てて、自分を埋めている胸に手を突っ張った。そこでようやく、康煕を抱いている腕の力が緩められ、少し離れて、琉惺は康煕を見つめる。
「お帰りなさい、竜宮くん」
「こ、黄野さん、びっくりするじゃないですか!」
赤い顔をして、康煕は琉惺を上目遣いに睨む。琉惺は、2年前よりも少し顔が痩せてはいたが、相変らず康煕を包み込むような優しい目をして微笑った。
「だって・・・2年ぶりに最愛の人と再会したもんだから、つい・・・」
最愛の人、と琉惺はきっぱりと言う。しかし、康煕はまだその意識を持っていない。「好きな人」とは言える。でも「最愛」かどうかは、まだ解らない。康煕には、琉惺について、まだ解らないことがたくさんあるからだ。
「身体は・・・もう大丈夫なんですか?」
「はい。半年に一回、検査をして経過観察です。でも、もう何でもできますよ」
「・・・良かった」
「すべて君のおかげです」
琉惺は、温かい微笑でそう言う。康煕は、琉惺のこんな笑顔がとても好きだった。
「昼食まだでしょう? 久しぶりなんですから、一緒に食事でもしてお話しませんか?」
「・・・それはいいですけど、荷物が・・・」
「大丈夫、タクシーに積めばいいですよ」
琉惺はそう言うと、康煕の肩に手を回す。康煕はそんなことにさえ、緊張してしまう。一度は夜を共にしたというのに、そんなことはもう遙か昔のことのように思える。
「・・・その指輪・・・はめていてくれていたんですね」
「あ・・・はい」
「それがあれば、向こうで変な虫が付かなかったでしょう?」
「そういえば・・・日本にフィアンセがいるんだね、ってよく言われました」
「作戦成功」
「え?」
康煕が目を丸くすると、琉惺は茶目っ気を出して、にんまりと笑う。
「僕が毎晩祈ってましたから。君に誰も言い寄りませんようにって」
「ほ、本当ですか?」
「もちろん、本当です」
その言葉に琉惺も康煕も声を出して笑った。そこでようやく、康煕は緊張の糸が緩んだ気がした。
琉惺はある都電の駅前でタクシーから降り、コインロッカーに康煕の荷物を預ける。
「・・・何処に行くんですか?」
「その駅前商店街の裏通りに、とびきり美味しい店があるんですよ。実は、そこのオーナー・シェフと最近、懇意になりまして」
康煕は思わず時計を見た。正午を既に過ぎている。
「・・・そんなお店なら、行列ができているんじゃないですか?」
「いえ、まだ開店前です」
「そんな店にお邪魔してもいいんですか?」
「大丈夫です。前もって連絡してありますので」
琉惺はにっこりと笑って、康煕をその商店街へと連れていく。商店街は昼食を求めて多くの人で賑わっている。そして、どの店も、店外に人が並んでいる状態だった。それにしても、耳に入ってくる言葉が全て日本語なのに康煕は安心感を覚える。故国に帰ってきたのだという実感が湧き起こってくる。
「あ、ここを右に曲がります」
琉惺がそう言って曲がったのは細い路地で、スナックや飲み屋など、夜の店が多いため、人は殆ど歩いていない。そこを少し歩いたところに、「食堂」とだけ書かれた古い飲み屋風の店があった。
「ここです」
「え!?」
康煕は目を疑う。琉惺が昼食に招待するというからには、さぞかし豪勢な店なのだろうと想像していたのだ。しかし、そこはどう見ても、昭和を感じさせる古びた飲み屋兼大衆食堂だった。琉惺は驚く康煕を見て、悪戯っぽく笑うと、その格子戸をガラガラと開けた。
「今日は無理言って、ごめんね、シェフ」
「ああ、本当にその通りだ。普通なら、まだ寝ている頃だぜ?」
「コ」の字型のカウンターしかないその店の中心にシェフと呼ばれたこの店の主人が立っていた。見ると、まだ若い。がっしりした長身で、長髪を無造作に背後でくくっており、甚平姿である。その男は、無遠慮に康煕を見た。
「・・・この子がお前の『運命の人』なのか?」
「ああ、そうだよ」
「まだ学生じゃねぇか」
その言葉にムッときた康煕が言い返す。
「卒業しました。明日から社会人です」
その声を聞いて、その男はしげしげと康煕を見る。
「えらく別嬪さんだが・・・もしかして男?」
「もしかしなくても男です」
「へぇ・・・あんたが琉惺を2年間待たせていたのか」
あまりにその男が不躾に康煕を見てくるので、康煕は男を睨み付けた。そこに琉惺が割って入る。
「シェフ、紹介するよ。僕の大切な人で、竜宮康煕くん。竜宮くん、こちらはこの店のシェフで、玄武羅刹さん」
穏やかな琉惺の口調に、康煕は己の苛立ちを無理に封じ込める。
「初めまして。竜宮です」
それに応じて、男はニヤリと不敵な笑みを浮かべて言った。
「俺は羅刹だ。琉惺のダチだよ。まぁ、座んな」
羅刹はそう言うと、奥の厨房に入っていった。琉惺と康煕は並んでカウンターに座る。
「・・・ずいぶん・・・乱暴な物言いをする人ですね」
「ああ、でも彼の料理を食べると、そんなこと吹っ飛ぶよ。何せ、イギリスの王室料理人のシェフだった男だから」
「イギリス王室!?」
康煕の目が大きく見開いた 。
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