もう3日前になりましたが、自分が「どうして」このイベントを行おうと思ったのか、少し書きます。
自分は17歳のころから、精神科通院者で、薬を山ほどもらってました。
同時に、体を(主に左半分)腕から胸や腹、腿まで全身切り刻んでいました。

当然、薬をオーバードーズ(過剰服用)することもあり、気がついたら線路に寝ていて、駅員に助け出されたこともあります。

貧血はしょっちゅうで、血が止まらずに、ほっといてビニール袋だけ腕につけて寝てしまったので、起きたら軽く1リットル以上たまっており、便所に流してたことも何度かあります。

友達は、リストカットとオーバードーズを併用してヘモグロビン値が限界まで下がり、心臓の弁を痛め、次々と亡くなっていきました。

ようするに、自分もまた、いつ死んでもおかしくない状況にいたわけです。

それからひきこもり続け、ある時「もう限界だ」と思い、このままこの世界に立っていたままでは、自分は誰かを殺すか、自分を殺すかしてしまう、と暗い意識の中で思いました。

だけれども、死んでいった友達、助けたかった自分の思いに、それでは顔向けできない。
何よりも、ここまで自分たちを追い詰めた世界のようにだけは、なりたくなかったし、誰かを傷つけて頬かむりできるようには、生きていきたくなかった。

そんな思いで、自分の体を変えようと思いました。
フルコンタクトの殴り合い蹴りあう空手で。

強くなれば、誰をいたずらに傷つけることもなくなる。
コントロールできない自分の思いのせいで、誰かを知らずに傷つけてしまうことが本当に嫌で怖くて、自分は自傷行為やオーバードーズをしていたのですから。

この世界よりも強くなりたい。

自分にとって、体を動かしている時間というのは、“安心の時間”でした。
自分の意識や、相手のパンチ、やらなくてはいけないメニューのことと、それよりも頭を使うよりも、体のほうを余裕がないほど使うのですから。 

体を動かすことは、自分の目標に、(頭ではなく)体を使って迎えるクセをつけること。
言い訳するよりも、先に行くことを体の反射として身に着けること。
自分を抑圧するものに、意識的に立ち向かえるようになること。

これが、自分が体を動かすこと(空手)で次第に身に付けていったことでした。

精神的なものは、身体的なもの。
身体を動かすことから、新しい自分の心、したかったこと、ほしかったもの、本当に愛しているもの、愛されたいもの、に出会えるし、思い出せる。

だから自分は「メンヘラ」「ニート」…と呼ばれている”当事者”こそ、体力をつけ、自分の体と向き合う喜びに目覚めてほしい、そしてみんなで「わーい」と明るく笑いたい、と思ったのです。

そのきっかけづくりとして、今回の皇居マラソンを企画しました。

今回で3回目ですが、今まで”完走”してない人は一人もいません。

ずっと走るのが無理なら、歩いてもいい、それに、一人じゃない、二人で同時に”完走”しよう。

そうしてあなたや私が、自分の体をより身近なものとして愛せる一歩になれればと思います。

そうして作っていった体力こそが、いつか自分のまわりの友達や、かつての自分のようだった人を、手助けすることができる礎になるのですから。

自分を、誰かを愛せる未来のために、今、走ろう!!