つれづれなる日々。

初めてウーパールーパーを育てています。 日々の成長やふれあいを、だらだらと書いてまいります。


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「 20.7 cm 」

これは世を賑わす米国大統領のドラ息子
ハンターバイデンのラップトップから流出したといわれる
ハンター氏のイチモツの長さではない。
 
幼少期を大型金魚鉢で過ごしていたから
小さいまま大きくなるんだねと
「永遠の18歳」のように「永遠の13.5 cm」と
2年ほど前まで思い込んでいた我が家のウパの
現時点での体長である。

時折「バフッ!」という、まるで鯨のブローのような
音を水面に響かせて飼い主の気を引く
身体が大きくなったウパだが

数年前は、その息継ぎが「キュン」と可愛らしい音で
その音を聞くたび「ウパが鳴いてる〜!」と
私を喜ばせてくれていた。

水槽ガラス越しに、そっとメジャーを当てて測ると
鴻ノ池さんは「恥ずかしいからやめてよ!」と言わんばかりに
くるりと回って遠くへ行ってしまう。

この様子を遠くから眺めていた彼が
「君から食われると思ってるんだろ。
理想のサイズになったら水面に引き上げられると思ってね」
と言いへケケと笑った。

メジャーを持った私から離れた所で
ウパが体を丸めてこちらを睨んでいる様子を見ていると

昭和アニメの「まんが日本昔ばなし」で
旅人を親切に食材でもてなした化け狸が
人間が太ってきて食べ頃を迎えると
途端に夜中に包丁を研ぎ出すという
子供ながらにトラウマを負ったシーンを思い出してしまう。

この昭和時代のゴールデンタイムに放送されていた
「まんが日本昔ばなし」のように
先人たちの伝統文化と歴史を分かりやすく教え
自然の虫の音や日本らしい色彩をそのままに
子供の日本人らしい心を育むアニメが
果たして今の時代あるのだろうか。

山ん姥が赤子を生んだという話でも
「父親は一体誰なんだ??」と疑問にすら思わずに観ていた
無垢だった頃の私が愛しくあるとともに

無垢で綺麗な心の世代だからこそ
受けた感動が先々の人生の物の見方や
他人との接し方にそれが影響していく。
まんが日本昔ばなしは
子供の成長段階に適した情緒を育む
素晴らしいアニメであったとつくづく思う。

私はこのアニメの主題歌の中の歌詞でも
「人の情けが幸せを運んだ物語」の部分が好きだ。

これは騙すという輩が多くはいなかった時代
日本人の先人達が後世に繋ぐ世界でも唯一無二の感性で

良心に付け込まれて騙されバカを見ることがなかったから
昔の先人達は、見ず知らずの相手にも素直に愛を注げていた。
それだから日本には他国には稀な「恩返し」の昔話が
すこぶる多い。

しかし、先人達から時を超えて昔話という形で教えられてきた
この素直に相手へ愛を注ぐ感性=日本人らしさの継承を
阻むような事柄が今、国内のあらゆる面で起きていて
残念な時代に向かいつつあると思う。

年明け早々、突然の災難に襲われた石川県の被災地では
崩壊した住宅に泥棒が各地から押し寄せているという。
しかも自衛隊の迷彩服を着たニセ自衛官の盗人までいる始末。

表のニュース報道は心を暗くするものばかりで
憤る以前にガックリとするのだが
同時に私をモヤッとさせる思いがある。

弱い立場の人の弱みに付け込むような人間が
果たしてこんなにも昔はいただろうか。
盗人や詐欺が普通に横行する今のこの国を
昔の人々はどう見ているのだろう。


令和6年度能登半島地震で亡くなられた方々の
ご冥福をお祈りいたします。
また被災された皆様に
心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。


今、SNSでは自衛隊の被災地での活動の様子を
讃える画像やコメント投稿が連日増えている。

被災地の1日も早い復興への祈りと願いを背負って
活動される自衛隊員の姿は、どれほど日本の子供たちに
個々の誇りと自信を与えてくれるだろうか。

日々の報道で詐欺や盗人の犯罪を流せば流すほど
人々は犯罪に対する意識が慣れてしまい
歪んだ感性が世間に蔓延していくだろう。

本来平等であるはずの大人社会において
政治屋が罪を償うことの不平等さを
これほどまでに見せつけるのなら

子供たちが健全な精神を育めず
犯罪を軽いものとみなす詐欺や盗人になりやすい
社会になっていくのかもしれない。

これから社会を担う子供たちのためにも
気分が沈む報道は控え、被災地で活躍されている自衛隊の方達や
人助けに勤しまれるボランティアの方々の人間模様を
たっぷりと映し出す番組ができないものだろうか。

昭和のムツゴロウ王国並の特集を組んでもいい。
若き自衛隊員の一日密着や、被災地にどのような人々がいて
全国からボランティアに集う仲間を取材すれば

各々のストーリーの中に不思議と
日本の先人達が繋いできた「恩返し」を
考えさせることなく、子供たちに「感じさせる」
ことが出来る。

さらに被災地の世界各国から駆けつけた
外国人のボランティアに関心を向けられたら

日本が窮地に陥った時、「日本を助けたい」という
外国人の彼等の強い信念の中に
日本の先人達が残した
アジア諸国での功績を知るきっかけが
宝石のように散りばめられていて

それがゆくゆくは、日本の子供たちが
初めて歴史の真実に触れる道へと
つながっているというのに。

被災地の復興に向かって日々全力を注ぐ自衛隊の方々や
ボランティアの皆さんに共通している
人間味のある思いや行動に思いを馳せることこそ

今の子供たちの日本人らしい情操教育につながる
時間であると考える。


 




DSC_0332~3「鰓を正して待ってるよ」

週末、彼(ヒト科:オス)が訪れる日が近づくと
私はお決まりのメッセージを送信する。

これを皮切りにして私は姫様(ウパ)の従女へと姿を変え
姫様の身の回りのお世話と御体の保護と
ホルモンバランスの管理(前日はお刺し身御膳=鰓のフサフサ化)を司り

人間の雄が来るその日までに
水槽内のウパの最高の美コンディションを作り上げる。

彼の到着時間が交通の都合などで遅れ
本人と携帯で話していると
「早う申せ」と言わんばかりの顔で
水槽から私を見ている。

私といる時は、ウパが家から出てこない事が
最近は増えたような気がしていたのに。
ウパは身体は接さずとも、水槽の外の人間が
雄なのか雌なのかはハッキリ分かるのだろう。

彼が来る日、わが家のウパは好きな人に会う前の
ドキドキが止まらない気持ちを抑えるかのように
水槽内をぐるぐる泳ぎ回る。

それは私といる時の、家から主が出てこない
(生き物の気配が消えた水槽)とは様変わりの光景で
オンナ(雌)とはこうも見事に変われるものかと
呆れてしまうほどだ。

ウパに雌の証明を感じるのは他にも
彼女の成長と共に生えてきた脚の爪だ。

雌ウパの艶めかしい指先の爪を初めて見た時
私は知らないうちに昭和の歌謡曲 島津ゆたか「ホテル」を
水槽前で口ずさんでいて

そしてそれを得意げに唄っていた
亡き父との思い出が懐かしくも甦ってきた。

当時幼かった私と二つ年上の姉は意味を知らないまま
「ホテルで会ってホテルで別れる〜」と
子供さながらの元気な声で父の真似をして歌い遊んだ。

曲の最後にある意味深な歌詞の
「1度でいいからアナタの肌に爪を立てたい」に
私は強く疑問を持ち、なぜ男の人の肌に爪を立てるのか?
肌に爪を立てて何をするのか、どうなるのか?と
親族の集まる宴会時に父や周りの大人に訊いては
怪訝な顔をされたものだ。

思い返せば、とんでもない発言で
父をひどく困らせ悪かったと思う。

いやしかし、
「何の為に生まれて何をして生きるのか
答えれられないなんてそんなのは嫌だ!」と

アンパンマンのマーチを目の前で元気よく唄われ
幼児から無邪気にツッコマれる
現代の大人たちに比べれば軽傷である。

大人になった今は女の爪の意味が分かるからこそ
動物といえど雌の爪には五社英雄監督級の
オンナの情念を勝手に感じてしまう。

ウパの雌の証明ーそれは同性だからわかることだが
女の強かさと大和撫子の奥ゆかしさの両方を
彼女が持ち合わせている姿を見た時である。

「おぅ、大きくなったなぁ」

盆か正月しか会わない親戚の子供に接するノリで
彼が水槽前に腰を下ろして水槽を覗き込む。

待望の愛しいオスが目の前にやっと現れたのに
彼女は背を向け顔を合わせない。
ほとんどの動物は大げさな程の動きで
喜びや嬉しさを表すものだと思っていたが

彼女は、あからさまに感情を出すことを
幼稚であると己は大人の女なのよと思っているようで
彼には背を向けた体勢のまま魚眼で後ろの様子を伺っている。

女優のスキルを褒める言葉で「目で演じる」というが
彼女は背中で演じているのだろう。

背で惑わされる此方を伺いながらも
時に震える真紅の鰓にホールドミータイトな熱い想いが溢れている。

男女の恋愛感情において「好きです」と伝えず
この「察せよ」の大和民族古来のマインドは
私が好きな戦国時代の武士道精神を持ち得た高貴な姫君そのものだ。

翌日の朝、彼が発つ時間が迫ってくると
それまで水中を優雅に泳いで見せていた彼女は
静かに着地して後退りしながら家に戻っていく。

「家から出てきてお見送りしたらいいのに、照れてるんだぁ」

能天気な私の笑い声とは反対に
ウパの水槽は静かになった。

私達二人が出て行った後の暗い部屋で
彼女は家で寝てるフリからゆっくり身を起こし
彼が発って行った玄関のドアを見つめては
自分に言い聞かせていた。

「後ろ髪を引かれるような想いは愛しい殿方にはさせまい」と。

彼の見送りから戻ってドアを開けると
予想通り、玄関の方へウパが泳ぎ寄ってきていてギョッとした。

日本昔話によくある
動物が人間の姿に化けて出てくるというお話。

ウパが女人の姿に化けられるとしたら
この古風な女子力を備えた彼女が人間の姿になって
目の前に現れたらどうなるだろうかと
本気で震えた瞬間だった。






梅の蕾がほころび始めた枝先にメジロが留まった。

近くの公園から帰る道すがら
青く澄みきった空を見上げながら思う。
そういえばウパを迎えた5年前のあの日も
今日みたいに風が冷たかったっけ。

今年でわが家のウパは5年目の春を迎えた。
私はウパの水槽を前に正座して深く深呼吸をし

母親が誕生日を迎えた幼子に命の喜びと
感謝の思いを語りかける
「キミが生まれた日」ならぬ
「キミがこの部屋に来た日」のボエムを...

とまではいかないが
「健康でいてくれて、私と一緒にいてくれてありがとう」と
体調19.7cmに達したウパと目を合わせて交信した。

思えばちょうど今の手足の大きさが
5年前の身体のサイズで、小さかったあの頃は
赤虫を口に含むと透き通った身体に
赤虫が一本伸びているのが見えていた。

小さい稚ウパは元気溌剌で
クルンクルンとリズミカルに泳ぎ回る姿は
まるでディズニー映画のティンカーベルを
見ているようであった。

大きく成長した今の彼女は
嫋やかに動く尾っぽが特徴的な「ゆらゆら泳いでいる」
の表現が似合う大人の雌ウパだ。

5年前は彼女の頭部(額)灰色の模様が出てくるなんて
想像もしていなかったし
日を追うごとに灰色の模様が目の領域にズンズンと
進行してきているような気がしないわけでもない。

もともと無かったものが顔を覆う現象は
=人間の女性の顔のシミのように思えて
同性ならではの共感でいつもじっくり観察させてもらっている。

このように水槽のウパと向き合って眺めているだけで
自ずと私の口角は上がり優しい気分になって行く。
彼女の成長にともない表れた灰色の模様も見れば見るほど

「ああ..この子のお母さんかお父さんのどちらかは
灰色の綺麗な肌をしていたのだなぁ」と

私の知らない彼女の生い立ちに思いを馳せては
勝手に胸を熱くしている日々だ。


先日、雨の日が続いたこともあって
天神に向かうため久しぶりに西鉄バスに乗った。

いい年した白髪混じりの紳士がスマホのゲームにずっと見入っている。
顔反分を布で覆われ虚ろんだ目で外の景色を伺う人、
スマホに向かって俯いてるのか寝てるのか、
つり輪をしっかり掴んだ数本の指だけに生力が宿っている人。

表情一つ変えず無言で手元のスマホをじっと見ている
マミーポコ顔の集団に囲まれていると
どこかの宗教施設に放り込まれたかのような気分に陥ってしまう。
また昨今の外国人旅行客のいない静けさが
車内の不気味さに拍車をかけていた。

昨年あたりのSNSでは、公共の交通機関における
謎の感染症対策で意見の食い違いから

「マナーを守らない非国民」として隠し撮りされた画像や
他人から非国民と名指されて車内で罵倒される動画が出回ったが

半強制的な猿轡期間が3年間も続くと
人々はいよいよ他人に向けるアドレナリンも出なくなるのか
この日、ノーマミーポコの私に絡んでくる乗客はいなかった。

ただ以前とは違って様変わりしたかのような
清さと軽やかさを西鉄バスの車内に感じることができたのは
案内音声に日本語以外の言語が消えていたことだ。

ここ数日のことだが、この謎の感染症騒ぎに
心のどこかで感謝している私がいることに気付く。

私たちの日常生活に重要度の低い言語表記の公共物が
なぜか母国語と同じレベルで強調され目をひいていたこと。

我々の先代の感性ではあり得ないド派手な
色彩とウルサイ音量の宣伝広告の映像が流れていること。
(TVを捨てた人間だから気付く)

多様性とか何やらで知らない内に馴染んでいた習慣や
身の回りの当たり前の事象に疑問を持てるようになったのは

謎の感染症対策で冷え切った日本経済の流れが
「どうでもよいモノ」を取っ払い
私たちの生活で絶対的に必要なモノだけを残している
今を生きているからだ。

日中韓の言語飛び交うこの街に住んでいるから
日本語の柔らかな美しい響きに改めて気付けた。

「ありがとう」「美しいね」「幸せだね」

毎日ウパに語りかけていると
日に日にウパが人懐っこくなっていく。
日本語のカナの音の響きには他の言語にはない
不思議な力があるそうで
ウパにもきっと通じているのだろう。

5年前のこの部屋で
棚に置いたミニコンポからFMラジオが流れると
小さい稚ウパは音のなる方へゆっくり進んで行った。

「音がしてるの分かるんだ!」

水の中の小さな生き物が外の音に反応した。
唯それだけで嬉しくて感激していたことが
今では懐かしく思える。




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