2011年11月11日

「れとろぐ」ってなに?

retorogutop

















 絶滅したもの 聞き書き昭和史 自分史

この三本を軸として、昭和の記憶を書きとめていきます。
日本中が元気だった頃の記憶です。


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2011年07月17日

今日思い出したこと

独り言のようでもあり、また、不特定多数に読まれたくないけれど、ごく少数の方に読んで欲しいという思いがあります。

溶けてしまうような暑さのせいで、私も溶けそうです。image0003

私が一番豊かだったのはいつだろう?
そんなことを、ふと考えました。

豊かと言っても、金銭的なことじゃなくて、心の豊かさです。
もちろん金銭的なものは心の豊かさの大きな構成要素のひとつですが、ウエイトは三割かな。

心の豊かさの中で、お金のことは、一定レベルでは必要なんだけど、今の二倍は、いらないな。
貧乏だけど工夫しながら家族で分け合って来たから、貧乏の生き方しか知らないとも言えます。

そんな私ですが、家族が平穏で、仕事が順調で、世情が安定していて、未来に不安がない時代。
そんな時代が瞬間風速では、ありました。

それって、私個人でいうと、平成7年1月17日までの半年くらいです。
ゴルフ用品の会社の営業責任者をやっていて、この日までは好景気に湧いていました。

阪神淡路大震災を境に、仕事での驚異的なツキはなくなりました。
仕事を選ぶことが出来ず、したくないことも随分やらざるを得ませんでした。

その話は、今日の主題から離れるのでしませんが、生きて行くのって、面倒なことが多いなぁと、思わなくもありません。

今日は、友人たちに誘われて、飯能市のゴルフ場にいます。
ゴルフは、ツキがなくなったあの日からやめたのですが、友人たちに会いたいので、コンペのパーティーだけおよばれします。

ゴルフ場で、彼らがもうすぐ上がってくるのを待つ間に、もしあの大震災がなかったら?
などと、文字通りあり得ない、もしもを考えましたが答えは出ませんでした。

違った人生になることは間違いないけれど、それが、心の豊かさを増大させてくれたかどうかは推測もつきません。

このゴルフ場は、私のうちから近いのですが、来たことはありませんでした。

しかし、この近くにある公園や、川遊びスポットには、あの頃毎週のように出かけたことを思い出しました。

クラブハウスでのんびりとしています。
これが終わると、また都内に戻り、慌ただしくなります。

今日は、猛暑日です。

kounosukexyz at 17:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年08月15日

靖国神社、昭和館


昨日は、午前中に靖国神社、昭和館と回り、古書街を通り神田須田町の中華料理店でランチして、秋葉原で少し買い物をしました。

あまり盛りだくさんにしなくてよかったと思います。

昭和館では、出征兵士にまつわる臨時の展示が行われていました。 
すっと前を通り過ぎることができる展示もありましたし、おもわず立ち止まり、深く思いを致し、心が高ぶることもありました。

順路で見ていって、出口のソファでまっていましたが、待てど暮らせどかみさんが出てこないので、どうしたのだろうと見に行くと、一枚のパネルの前で立ち尽くしていました。

そのパネルは、私はちらっと見て通り過ぎたものでした。

まだ、かみさんのことをすべて理解しているわけではないんだなぁ、とおもったのが昨日の収穫でした。

kounosukexyz at 07:18|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年07月31日

都都逸いったー:dodoitwitter

えー、本日はお日柄もよろしく、ま、お外を歩いておりますと、丁度いい具合にじりじりと焼けてきますし、絶好の「がりがりクン」日和でございます。

ただ、こウ、毎日「がりがりクン」をかじってますと、たまには別のものをかじりたくなります。

というわけで、今日は、ロッテの「爽」 ソーダフロート味。
バニラとソーダアイスのブルーが見た目にも爽やかなカップアイス。

初めて食べてみましたけど、これ、いい^^

これって、まだ私が、両親の庇護の下にあった頃に、何かの機会にデパートの大食堂で口にした、クリームソーダの記憶をみごとに呼び起こしてくれました。

アイスクリームは食べたことがある。
ソーダ水も、粉末を水道水でうすめて、ジュースやソーダになるものを飲んだことがある。

でも、アイスクリームとソーダのさかいめのところのどろどろの美味しさって、未体験の味でした。

その衝撃(というと大げさだけど)を思い出させてくれました。

明日も食〜べよう。



わ、都都逸のツイッターの話をしようとおもったのに、最初から脱線・・・・
というより、暴走気味だなあ。

暑いから・・・・・



ポン(本線に戻った音、戻ったってどうってことはないけど)



都都逸は、落語にも小道具としてよく登場します。

人生の陰影、機微を、粋に伝えるのって、かっこいいなと思ってました。


そろそろ私も、ぎゃー、とか、うー、とかいって、顔文字で、ヾ(=゚・゚=)ノニャン♪  なんてやってる歳ではなく、都都逸が似合う歳ではないかと昨年末あたりから感じてはいたのです。

若い人にちょいとちょっかい出すにしても、注意するにしても・・・・
どうしようかなあ、朝礼で、自作の都都逸で訓話するなんて・・・・・
そりゃ、粋じゃないな。


都都逸のライト感覚を粋というならば、twitterともよくあうのではないでしょうか。


つぶやくなら、こんな感じかな・・・・・


「けんかしたとき この子をごらん 仲のいいとき 出来た子だ^^」



有名な作品だけど、こんなの、オリジナルで、すっとつぶやいたら、ツイートが賢そうに見えますよね。

もうひとつ良いのを選んでみるね。

「白だ黒だと けんかはおよし 白という字も 墨で書く」


これは、出来すぎで、なるほどなあ・・・・・
古来伝承の格言みたいな気もする・・・・・
これは、うむ、出来すぎでつかいにくいなぁ・・・・・


といってたら、かみさんが、「こんなの知ってるよ」

といって、教えてくれた


「惚れた数から 振られた数を 引けば女房が 残るだけ」


へえ、これいいね。

なんか、7775でつぶやいてみようと思います。

twitterでは、happo-abe です。
フォロー返しはあまりこまめにしてません。
碁石猫が目印です



kounosukexyz at 23:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)食べ物の話 | 絶滅したもの

2010年05月10日

青梅の街

青梅の街のことは、少し丁寧にあれこれと書いてみたいと思います。

それまでの間、これで代用。


http://goxi.jp/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=65889

思い出したことは・・・・・

昔のガラスを通して室内に入る光のやさしさ。

赤塚富士夫さんのすばらしさ。

自分が若かったころの不安と期待。

お金が今ほど大切ではなかった時代のこと。

・・・・・・いろんなこと。

kounosukexyz at 11:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年04月24日

飛び石連休という時代






tannpopo3いつになったら春らしくなるんだろう、とおもっているうちに、氷まじりの雨が降ったり、翌日は夏日になったりして体調を崩してしまいました。
日本の温度調節が壊れたんじゃないかといいたくなるような不思議な天気です。

それでも、桜は咲き、はなみづきも色づき、タンポポが咲きます。

タンポポは、フワフワとした綿毛を飛ばして、ビルの屋上の日当たりのいいところにいたりします。

私は、いつもタンポポと猫を探して、街を歩いているような気がします。

image11703


猫は、人間との距離を、自分勝手に詰めたり、離れたりして、日当たりのいいところで気持ちよさそうに目を細めているのがとても好きです。

春だなあという気になります。
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もうすぐGW。

昭和40〜50年代は、飛び石連休といっていたと思います。

祭日に国旗を掲げる習慣があったころは、日本人はあまり休みをとらず、働くということで世界的に批判されたことがあります。



つい、先日のことのように思えます。

新婚旅行などという「一生に一度」のイベントでもない限りあり得なかった10連休なんていうことが今は驚きではなくなりました。

それについては、善悪を言う必要もないのですが、一度休むことを覚えたら、あの時代に逆戻りはできないでしょうね。

その代わり、収入は少なくなります。

飛び石連休の頃は、なにをしていたのかな・・・・・・全然思い出せません。 

kounosukexyz at 20:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年10月05日

オリンピックの思い出

オリンピックの開催国になるっていうことは、とてもとても晴れがましいことで、世界中の誰もが望んでいるっていう、世界の共通理解みたいなものがありましたよね。

それが崩れてきたのは、いつの頃からでしょうか・・・・・

SNSのフレンドの一人が、オリンピックの商業主義化をちょっと嘆きながら、今回の決定はよかったんだよね・・・・という趣旨のことを書いていて、私も、ウンウンそのとおりだとおもうよ、と同意したら、思い出しました。 私にとっての東京オリンピックとは・・・・・


東京オリンピックには、生まれ変わった日本という主題があったし、次のメキシコも、これを機会に発展してね、という視点が強かったとおもいます。日本の選手がメキシコまで出かけて、それを大勢の報道陣がフォローして、「うわー、みんな飛行機に乗っていったんだ! すげ〜!!!」なんておもったことを覚えていますから。

おりしも、アメリカとソ連が宇宙開発競争をやっている最中で、人類も未開のフロンティアをぐいぐいと押し広げているところでした。

そして、十秒の壁と呼ばれた百メートル走のタイムが、メキシコの高地では空気抵抗が少ないから破られるぞ・・・・ということに注目したりして・・・・・・

東京オリンピック以降、みんなの意識が世界に向けられるようになったのは事実です。

田舎の小学生だった私も、真空管ラジオから流れてくるローリングストーンズを、わけわからないままに、おぼえましたから。

その当時はNHKのニュースと朝日新聞だけの貧弱な情報源しか持たないガキでしたが、そうおもっていました。

18歳・・・・・受験生になり、代々木の選手宿泊施設を受験生村にして、宿泊し、大食堂で、オリンピック選手が使ったであろうテーブルで「給食」を食べながら、夢みたな・・・・
期待もしたな・・・・・自分に、そして日本に。

そんな私の東京オリンピックの、記憶が新しい東京オリンピックで塗り替えられなくて、よかった・・・・・
っていうのは、負け惜しみかな?

でも、心から、リオでよかったな、と思えます。すっごいたのしみなんですよね。

kounosukexyz at 09:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年10月04日

句集「風」によせて

私は一年のうちで、元日が一番好きです。

秋なのに、そういうことを思ったのは、母の句集「風」を読んだら懐かしい思い出がよみがえってきたからです。

その思い出話をします。
特別にここに書くようなことは何もないのですが、日本中に、希望や元気があったころを、最近忘れがちなので、思い出してみたくなりました。
よろしければ、昭和三十年代の回想におつきあいください。




元日は、すべてが新しく・・・・
といっても、せいぜい箸や歯ブラシ、石鹸、カレンダーが新しくなる程度でしたが、それでもお正月というのは、うきうきとする響きを持っていました。

今でこそ、毎日何かしら封を切って使う生活をしていますが、昭和三十年代はビニールというものもそんなに使い捨てておらず、食品をつつむのはもっぱら新聞紙でした。

竹の皮もよく使われてましたね。



石鹸を新たに使うということになれば、「その箱はだれがもらっておもちゃにしていいんだ?」 というような、ごみの出にくい生活を、日本人はついこの間まで行っていました。

薪を焚く五右衛門風呂でしたから、少量の紙ごみだって焚き付けにしていました。実に、廃棄物の少ない生活でした。 
灰も、畑や庭の菜園に撒いてましたね。

そういう生活だっただけに十二月になると、「これはお正月にあけようね」というものがいくつかあると、新年への期待が一層ふくらむわけです。

カステラ、お正月にね。干し柿、お正月にね。新しい手袋、お正月にね。

餅だけは搗けたその日からどんどん食べていました。
鍋にいれたり、ストーブで焼いて食べたり・・・・・

だから、逆に、餅だけは正月用品のなかで別格なんです。

ま、餅のことはさておきまして・・・・

あの頃思いだしてみれば、特別な日としては、誕生日やクリスマスも、ありました。
バレンタインデーっていうのは、昭和三十年代はなかったんじゃないでしょうか。

誕生日といっても、近所の友達を呼んで、サツマイモを刻み込んだ小麦粉のパンケーキをケーキに見立てて食べ、鳥のモモ焼きが出るとしても、母が前日から準備に入る位です。

クリスマスも、日頃買ってほしくても言い出せない本を、「え、なぜ、わかったんだろう、僕のほしかった本が????」 という具合に、サンタクロースが持ってきてくれるだけで、何日も前からの準備とか、膨らむ期待、といったものはありませんでした。

その点、餅だ、大掃除だ、年賀状だ、という一大プロジェクトが動き出し、そして華やいだ慌ただしさが一転して、テレビから琴の音が流れる元日の静かな落差がとても好きでした。

そして、その頃は本当に「お正月だから、独楽をまわし、羽根を突き、凧をあげる」素直な子供がたくさんいましたね。

大晦日は、子供が夜更しをしても叱られず、正月飾りが終わったなかで、紅白歌合戦を観て、蕎麦を食べ、そして、どうやって寝床についたのかも思い出せずに眠り込んでいたのでした。

その後、両親は自転車で宇佐神宮に初詣に出かけ、ほとんど寝ないままに元旦の膳を整えたのでした。これは、きわめて私的な記憶ですが、私が五十歳(=半世紀)をいつの間にか過ぎていたということは、私の両親も半世紀以上「つがい」で二人三脚やってきたということに間違いないので、証言を兼ねてここに記します。

除夜詣月の兎と歩みけり(安部竹風)

母が長年作ってきた俳句が、一冊の楚々とした本になり、その中には私と母だけが覚えているのではないだろうか、と思う懐かしいものがいくつもありました。上の句は、宇佐神宮の早朝でしょう。涼やかで、嫁の一押しの句です。

朝靄の雀くぐれる茅の輪かな(安部竹風)

うむ、いい句を先に選ばれました。負けずに私ももう一つだけ選んでみます。

子の九九に声添へてゐる百日紅(安部竹風)

この「子」が誰か・・・・ということは、私はわかっています。でも、妹も、弟もわかっているのかもしれません・・・・
私が母に対して思うことを無粋ながら一生懸命思いだしてみたら・・・・・

叱られて泣き寝いるのも母の膝(安部八歩)


kounosukexyz at 20:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)自分史 | 本の紹介

2009年09月21日

中野区南台物語

中野区南台公園向こうのおでん浮浪者警官の思い出など

30年も前のことをふと思い出してしまいました。

きっかけは、30年ぶりに友人と再開したことです。


久しぶりに会った彼は、往時と変わらぬしゃべり方、体型、髪型で30年前にタイムスリップしたような感慨に浸ることができました。

そろそろ、自分達の子供が、あの頃の自分達の年齢になろうとしています。

そういうことをおもいだしてしまったんです。

ちょっとてれくさいけど、なんとなく自分の歩いてきた道をふりかえりたくなって、、、



昭和50年代前半、18歳から23歳までの5年間を、東京中野区の南端で過ごした。
古ぼけた、西日のさす部屋で暮らしていた。
ほとんど乗り物にものらず、移動は徒歩。
バイト先にも片道一時間近くかけて歩いて通ったし、日頃買うものといえば、文庫本と食料と酒だから、バスに乗って新宿まで出るということもほとんどなかった。

大学にも在籍こそしていたが、年数回の試験以外は近づかなかった。
だから、卒業に必要な単位をかき集めるのに人様よりも一年余計にかかってしまった。

無駄にして無為な時間である。
しかしぼくは、この無駄を決して後悔はしていないようだ。

あのころ、夢、希望、未来、家族、ぬくもり、湯気などという、人間らしい漠然とした、ふわふわしたものが、欠落した暮らしをしていた。

そういう、平凡で好ましいものを拒否していたと言えなくもない。

だから、社会にうまく適応していない半人前同士で一緒に住まないか、とバイト先の学習塾で知り合い、親しくなった講師から誘われたとき、ぼくは思い出したくもないひどい言葉で、それを拒否した。
同性愛とか、そんなのではなく、共同生活をすれば少しは潤いがあるのではないか、ということだったのに、ひどい言葉をぶつけた。

いまなら、同じ拒否をするにしても、聞こえなかったフリをしたり、酒の上の約束としてごまかすなど、いくらでも方法を思いつく。
あのころは、バカだったのだろうか。


たぶんそうだ。


なぜそういうことを彼にしたのかということは、30年近くたった今でも語りたくはないが、あのころの自分を恥ずかしく思い出すと同時に、ここまで人並みになれた幸せを感じて、しみじみとするのだ。


ぼくにはこの頃染み付いた根暗さが30年たっても抜けない。

この時期、近くの公園で、よく焼酎を呑んだ。
昼間は幼児を遊ばせる母親でにぎわっているが、陽が落ちれば犬しか通らない公園だ。

今でこそ、中野新橋は商店街の人通りでにぎわっているが、その当時は、中野新橋から南台への道は暗くてさびしい道だった。

ごみごみとした住宅地の公園だから、アベックもいない。
その当時は中学生、高校生は決して危険な存在ではなかった。

その公園で、2度も巡査に職務質問を受けた。

不愉快ではあったが、無精ひげの若いモンが公園で一人で焼酎を呑んでいれば職質は当然であろう。
ホームレスなんて言葉がない次代のことだ。

アパートまで送っていく、という言い方で、警官は住居を確認しようとしたが、いつも風呂上りにコーラを買っていた駄菓子屋のおにいさんから、「お、逮捕されたの?」と声をかけられたことを覚えている。

後日、公衆電話のボックスで6万円以上入った皮の財布を拾い、交番に届けたら、偶然にもその巡査がいた。

あんたは怪しい人かと思って職務質問したが、良い人だということが本官にはよく分かった。大変失礼した。今後は、あの公園で飲酒をしても、職務質問はしない。

という趣旨のお詫びを述べられ、ああ、この人は仕事熱心なだけで悪気はない人だなあ、ということがよく分かったが、そんなに率直に謝ったり、財布を届けたからいい人だ、と決めつけて大丈夫かなあ、と人ごとながら心配になった。

それからも、ぼくはしょっちゅう公園で焼酎を呑み、15円の焼き鳥と平均単価20円のおでんを食べた。

そのころ、捨てられた子猫を拾って育てた。
また、住所不定の、アルコールで脳をやられたおっさんと知り合った。
寛永通宝を一枚もらい、白楽という焼酎を湯飲みに一杯のませた。
このときたまたま、一緒に飲んでいた友達は、息子がもう大学生で、いまは九州にいる。
今年は年賀状が来なかったが、来年は来ると思う。

この稿は、唐突ではあるがこれ以上続けないような気がする。

この年、キャンディーズが解散した。
キャンディーズ 花道疾走!微笑がえし・年下の男の子





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2009年09月06日

ある新進漫画家からの手紙

ただ今売り出し中、あるいは、今生き残りをかけて一作一作を商業誌に乗せている若手漫画家の方から、前回書いた、漫画を集積するビジネススキームについて意見をいただきました。

漫画が、私たちの生活に潤いを与えていることは誰しも認めるところだと思います。

漫画の情報量というのはすごいもので、私は、医療関係のことや料理のこと、つまり、私の仕事にかかわるいろんなことを、けっこう漫画から仕入れています。

コンテンツを作り出す人たちが報われるような仕組みを作らないとまずいですね。みんな、そんなに贅沢を望んでいるわけではないんだけど、商業誌の連載だけでは、食っていけないようです。

名前は伏せます。
一部言葉を変えています。




過去の良作を風化させない、というのはとても素晴らしいことだと思います。

前半は特に興味深く拝見させていただきました。




ただ、閲覧を「全国の漫画喫茶、ネットカフェなど」にするというのは疑問です




現在の漫画喫茶、ネットカフェ、ブックオフは、基本的に「作家の敵」だからで
す。
存在こそが著作権侵害の温床といってもいいかもしれません。



作家は原稿料だけでは食べていけず、単行本の印税収入がなければ生きていけま
せん。
しかし新刊本も三日もすればブックオフに売られネットカフェに陳列され、
ブックオフでどれだけ売られようとネットカフェでどれだけ読まれようと
作家にはなんの利益もないのです。

この状況を嘆く作家は星の数います。

大ヒットを飛ばしている高名な先生ですらそうなのですから、新人、中堅、大ヒ
ットとまではいかないけれど良作を生み続けているベテランにとって、
ブックオフやネットカフェの横行はまさに死活問題です。


いま出版業界は作家にとって「同人誌のほうがよっぽど稼げる」という状態です

同人誌には中間マージンが一切なく、印刷費等の経費を除けばすべて作家の収入
になるからです。
しかしそれはおかしいと思います。商業ベースに載っている作品のほうが稼げて
然るべきです。「商業」なのですから。
出版社や書店の取り分を少なくしろといっているわけではなく、
新刊がすぐにブックオフやネットカフェに並び書店で購入する必要がなくなって
しまう現状、そしてそれらが出版社にも作家にも一銭の利益にもならないことが
問題です。


商業誌をやめて同人誌に移ってしまうすばらしい作家さんもたくさんいます。
生きていくためしかたのないことかもしれません。

しかし商業ベースにのってくれないと、残せるものも残せず、何より
名作が広く世に知られずに埋もれてしまう可能性を非常に遺憾に思います。



八歩さんがもしこの案件を立ち上げることになるのでしたら、
ぜひこのあたりをご理解いただいて、
ネットカフェやブックオフ等の現在の性質自体を根本から変革していっていただ
きたいと思います。

古本を売るのがいけないのではなく、作家にまったく還元されないのが問題だと
考えます。
ネットカフェの利用料もブックオフの売り上げもすべて企業の収入になってしま
うのは間違っていると思います。
他人の褌で相撲をとっているのです。
作家は命を削って作品を生み出しています。作品を生み出すことのほかに生命力
を削られてはいい作品が生まれようもありません。
衣食足りて礼節を知り、そのうえ充実した生活の上で創作活動はされるべきと考
えるのは、私が作家であるからこその甘い考えではありますが、理想のひとつで
はあると思います。


今のところ「敵」ですが、私はお互いwinで共存する方法を望んでいます。
ブックオフやネットカフェは、広く訴求する機会を増やすという意味では十分に
出版業界に貢献していると思うからです。



八歩さんのなさりたいこととはだいぶずれた話ですが、
出版業界とネットカフェ&ブックオフの微妙な関係を踏まえた上で
古きよき良作が埋もれないよう保存し広く公開する方法を一緒に模索していけた
らと思っております。


どうぞお心の隅にお留め置きください。


kounosukexyz at 01:10|PermalinkComments(1)TrackBack(0)