2004年04月15日

景観論他

(都市建築の発展と制御に関する論文)

今後の社会における景観,生態系,そして経済システムについて

(この論文は,建築学会の募集に応募したものを誤字,脱字を修正するなどしたものです。)

氏   名 : 香取 千光

勤務先 : 『香作舎』・・・建設作業員

所属学会等 : 日本建築学会,日本造園学会


はじめに
 建築の発展と制御ということであるが,建築の発展を考えてみると,細分化された各セクションにおいては非常な発展を遂げていると言ってよいであろう。しかし一方で,建築・都市を統合の面からみると発展しているといえるのか。と疑問符を付けざるを得ない。
 一般的に現在の社会は,発展し山を登っているかのように見えているようであるが,エントロピーの視点では,逆に山から転がり落ちているようなものであり,退化しているのではないかとも思われる。
 このような状況の中,ここでは,景観,生態系,経済の3つの点について考えてみたい。

 景観について
 都市計画の最終目標は,都市景観の形成にあると言われるが,現在の都市景観が本当に最終目標の姿を呈しているであろうか。景観整備は,あくまでも居心地の良い空間づくりであろう。
 景観は,様々な活動の集大成として視覚的に捉えられるものであり,構成要素としては,3次元の建築物や公園などの植栽,土木構造物などである。それらは,景観に大きく影響している。現在の都市計画法や建築基準法などにより,現状の都市景観が造り出されていることへの反省がまず必要であろう。
 街並みが揃わないような制度的な問題もあるが,一般的な建築行為では景観など殆ど配慮されず,経済的妥協の産物となっているようである。さらには,景観的修景のための街路樹を,店舗や看板が見えにくいとのことから,撤去の声がある。海外では建物前の景観を整えるために,自ら街路樹の植栽が行われるようである。それは建物の資産価値を向上させることが目的ではあるが,結果的に景観が整うのである。街路樹撤去を求める店鋪などには不買運動を行う消費者でありたい。
 商業建築や屋外広告のあり方にも,景観的な規制が今以上に必要であるとともに,建築の技術論のみではなく,総合的に制御することが求められる。
 我が国でも,各都市が成長管理政策を合法的に可能にする法体系の整備が必要である。
 また建築教育にも問題があると思われる。ただ目立つだけの設計では,公共側の街路樹などによる修景にも限界があろう。やはりその都市やまちがどのような景観であるのかを理解できる設計者の育成が重要であり,その意味では西欧の都市における隣と調和させる配慮などの建築教育を参考にすべきではあるまいか。
 我が国には,生け花やお茶といった生活文化があったが,それがなくなって来ていることも,都市を醜くしている要因の一つになっているのではないかと思われる。生活の中から審美眼を培うことや,生活の「かた」・「お作法」を失ってきているようである。
 景観が絶えず変化を起こすようでは,人間形成においても情緒不安定や精神的な拠り所を失いかねない。西欧の数百年もシルエットが変化しない都市は,すばらしい価値と思われる。
 賑わいを演出するまちでは,絶えず景観を変貌させるところもあってもよい。しかしそのような場所は限定されるべきであろう。
 公共空間には,緑化を積極的に行うべきであり,学校などは森の中に存在する形態が望まれる。各家庭でも高木の植栽ができるよう建蔽率や容積率の緩和を引替えにすることも必要であろう。諸外国と比較して我が国の都市に緑が少なく見えるのは,高木と低木の差ではないかと思われる。植栽はあっても低木が多く,高木が少ない。高木の植栽のためには,コミュニティガーデンやスクエアの配置を積極的に考えて行く必要もあろう。
 日本の持っていた伝統的な坪庭の配置を計画的に,連続的にすることも考えられる。京都の町家では,坪庭が連続して緑地帯を形成し,鳥や昆虫などがそれを伝わり移動する緑のネットワークが形成されていた。その他河川空間などを積極的に活用し,風の道や生態回廊を形成する都市における緑地系統を確立すべきである。
 建築物の課税制度についても,これまでの広さの概念から外見の容量にすべきである。景観的インパクトのある建築物のボリュームに対して課税するべきではないか。容積率では吹抜けがあれば意味をなさないことが多く,悪用した建築物は後を断たない。それであれば,景観的にインパクトがある全体ボリュ−ムが適当であると思われる。
 都市の住まい方の一つとしても京都の逗子,江戸の長家などの住居形態も今後の都市に取り入れた住居開発がされてもよいのではないかと思われる。
 現在地方都市では,歴史,文化を育んで来た中心市街地が疲弊している。ヘッジファンドのような外部資本の郊外大型店により,地方都市中心部は,壊滅的な打撃を受け,中心街が消えてゆく状況にあるが,現状ではなす術もないのが実情であり,このようなことを野放しに,景観整備など考えても空虚感は否めないところである。

 生態系について 
 生態系は,地球誕生以来営まれて来た自然のメカニズムであり,我々人間も動物として,その自然の生態系の中で生命活動を営んでいる。自然環境は我々の生存基盤であり,それに庇護されながら生命の維持を続けているのである。
 現在の建築は,生態系に対する配慮があまりにも欠如しているように思われる。土地利用の変更や建築が自然環境を変化させ,生物層に多大な影響を与えるに至っている。生物の多様性など全く関係ないようにさえ見える。
 やはり都市・地方計画における土地利用には,I・マクハーグが提唱した「地域生態計画」などを積極的に導入すべきである。我々人間も自然の一部であり,食物連鎖において,その生態系の中でなければ生存できない。しかしながら,依然として多くの方が人間は別であり,人間が造り出す環境の中で生存できると考えているかのごとき言動も多く,建築においても同様のことが言えそうである。
 エネルギーの基本は,太陽である。そのエネルギーを「緑」のクロロフィルの働きにより,炭酸同化作用を行い,我々動物に酸素や食物エネルギーを提供してくれているのである。動物は,食物エネルギーの摂取においては鉱物などを食べる訳にはゆかない。全てが生命体を食することでエネルギーを搾取しているのである。
 近年,生物の多様性が叫ばれてきたが,このことは生態系の保全に他ならない。我々の行動は,地球生態系の存続が大前提である。そのことが持続可能な環境なのであり,このことを抜きにして建築の存在もあり得ない。
 地球上において負のエントロピーは太陽エネルギーだけなのである。しかし,現在のエネルギーは,主に化石エネルギーに依存しており,石油も生産といえば聞こえは良いが,あくまでも地球に対しての盗堀である。このエネルギーの消費が地球温暖化の最大の要因ともなっている。
 我が国の食物自給率は,穀物ベースで30%を切り,カロリーベースでも40%を切ってしまっているが,国民生活の基本である食料の確保を最も優先すべきではあるまいか。このことを踏まえた土地利用を考えるべきではあるまいか。しかしながら,現実の都市計画には,農業に対する配慮など無いのではないかと思われる。地方故であろうが,特に身の回りでは著しく,都市計画に農業的な配慮など皆無といってよい。計画に携わる者に食料問題などの認識が全くないのが実情で,未だ道路を造ることが主体となっており,まったくお寒いかぎりで危機感さえも覚える。
 我が国の総合安全保障を考えても,食物自給率を向上させる必要があり,そのための土地利用計画を早急に確立する必要がある。今後人口が減少に向かい,これ以上の市街地は必要なく,逆に既存の市街地を農地や自然に帰すことが現実問題として起こってくると思われる。勿論現在の税体系など問題を抱えていることは確かである。
 持続可能な社会とは,自然回帰をすることではないかと考える。江戸時代への温故知新,作家石川英輔氏のいう植物国家のようなことを考慮する必要があると思われる。
 とにかく,エネルギーをあまり必要としない都市づくりが求められる。その意味でも,江戸時代をはじめ我が国の歴史に目を向ける必要がある。このことは建築技術や材料にも言えることである。最近は,外壁にアルミ材を使うことだけで,エコ住宅と称する輩がいる。その理由は,リサイクルできるからというのだが,そのためにどれだけのエネルギーを消費するのかを考えているのであろうか。リサイクルではなく,リユースをすべきである。我が国の木造建築の伝統技術では,込栓を外せば容易に解体でき,移転も容易で,材料としても再利用できる。このようなシステムを積極的に残すことが求められる。
 炭素,窒素の固定化を考えても伝統的な木造建築は優れものである。とはいっても,昔のままに導入することは困難な面もある。特に防火に対して材料的な特性でコンクリートなどとの使い分け,役割分担を明確にすることも必要であろう。例えば,タウンハウス型の住宅の界壁をコンクリート造とするなども考慮が求められる。
 また,我が国の建築の寿命も短すぎて耐久消費財になっている。このこともエネルギー浪費の大きな要員の一つになっており,もっとながらえることを考えなければならない。

 経済システムについて
 経済は,目的ではなく手段である。現在の椅子取りゲームのような経済では,人間社会は破滅する。この椅子取りゲームの最終的な被害者は,発展途上国であり,自然そのものへの皺寄せである。そのしっぺ返しとして,地球温暖化,砂漠化などの地球レベルでの環境問題が顕在化しており,我々人類の存在まで脅かすに至っている。ここで早急な軌道修正をしなければ,この地球上に人類を始め様々な生物が生存できなくなる可能性がある。
 経済システムの問題は,お金が利子を発生させるということである。この世の中のものは,すべては老化し,朽ちて行くが,我々人間が発明したお金だけは,時間と共に利子により増殖をする。このことが最大の問題なのである。
 ドイツの建築家マルグリット・ケネディは,「利子ともインフレとも無縁な貨幣」の必要性を唱えている。彼女によれば,現在の経済システムの中では,エコロジーな建築などは不可能であるという。
 それは,利子により成立しないのである。自然の成長率を大幅に上回る利子が嵩み,プロジェクトそのものが成り立たないのである。
 第二次大戦後に新たな国際経済秩序を構築する際にケインズが主張した,マイナス利子の観念に基づく国際清算同盟案,すなわちシルビオ・ゲゼルなどが唱えた「老化(減価)する貨幣」を基にした経済システムがある。このシステムであれば,現在の発展途上国に対する搾取や自然破壊を防止することとなったであろう。
 一般的にモノを購入する場合には,料金の30〜50%は利子代であると言われる。この利子が,建築などの様々なプロジェクトを失敗に追いやる要因の一つになっている。
 このことからも社会システムの経済を自然のシステムに合致させて行くことが求められ,その枠組みの中で建築を考えて行くべきであろう。
 人間社会は,自然システムをベースに成立していることは先述のとおりである。
 現在の経済は常に成長しなければならない。それは,利子のためである。そこが「椅子取りゲーム」といわれる所以であり,それが自然のサイクルなど無視して増殖し,環境破壊を引き起しているのである。
 江戸時代は,成長率は0に近く,自然の生産力とバランスが取れていた。植物の成長率とほぼ同様の成長率で推移して来たと考えられる。故に自然破壊も起こすこともなく自然のサイクルの中で,モノの生産,リサイクルなど自然システムに合致した人間社会システムを構築し,文化的にも世界に誇るべきものを創造して来た。
 我々は,人間社会の潤滑油としてのお金,それによりモノや食物エネルギーなどのやり取りをして生命を維持している。お金はあくまでも手段であるはずが,いつの間にやら増殖し,それ自体が目的となるに至り,社会そのものを喰い潰そうとしている。
 我々の体を構成する細胞にはアポトーシスのメカニズムが存在する。これは,細胞が一定の期間が過ぎれば,死んで行くプログラムである。それが機能しなくなれば癌細胞になってしまう。現在の経済システムはお金自体が癌化している状況なのである。
 お金もアポトーシスのメカニズムのように老化し,朽ちて行くべきである。童話作家ミヒャエル・エンデの「モモ」に出て来る時間泥棒とは,まさしく利子のことなのである。
 ケインズが国際通貨制度としてマイナス利子を提案したが,今まさに我々の社会に求められているシステムであるといえる。
 お金のためなら,なり振り構わずという風潮があり,建築業界においてもしかりである。その前提が自分さえ良ければといった価値観ではあるまいか。
 人類存亡の危機に瀕している今,価値観・ライフスタイルの変革が求められ,お金の問題を解決しない限り,より良い建築などは不可能であり,自然は破壊へと向うであろう。
 利子の上に利子をつくり出し,それを成長といって,その皺寄せは発展途上国の債務や自然破壊へと繋がっている。このことを防止するためにも無利子経済の実現が求められる。
 イスラム世界では,現在でも利子を禁止している。キリスト教も中世までは,利子を禁止する教義を持っていた。利子を当然としていたのはユダヤ教で,現在でも世界の経済優位性を保っており,グローバル・スタンダードと称して,世界に拡散させている。
 国民の大半は,利子で首を絞められている。その利子で喰っている人間は一部の少数派である。高齢者が利子で生活をしているといわれるかもしれないが,それは,国の社会保障システムの問題であると思われる。
 景観整備であれ,生態系の保全であれ,社会システムとしての経済が上手く機能しない限り不可能であり,建築界からも貨幣システムの変更を求める声を上げて行く必要がある。
 勿論,建築だけが変わることはできないことであり,社会全体としてシステムを変更して行くうねりを起こして行かなければならない。

 おわりに
 以上,羅列した内容の経済システムについては,NHK放送の「エンデの遺言」を基にしたものであるが,景観も生態系も経済システムにより多大な影響を受けている。それも現在は,決して良い方向にはなく,我々の生存までも脅かす状況にある。そこで,経済システムを変える必要があることから,是非建築界でもその認識をして頂きたいと思い記したものである。
 我が国でも経済システムに対する変化への挑戦として,各地で独自の地域通貨などを発行した新たな展開が試みられているところであり,地域通貨システムで建築物を造れる社会にしたいものである。
 ミヒャエル・エンデの言葉を借りれば,「人々はお金を変えられないと考えていますが,そうではありません。お金は変えられます。人間がつくったものだから」ということである。 
続きを読む

kousakusya at 22:48|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2004年03月19日

自己目的化する組織

 警察は特権階級なのか?

 警察の裏金づくりが問題となっているが,高知城近くの景観を損ねている高知県警察本部が都市計画法では禁止されている地域に建てられていることを市民は知っているのであろうか。
 民間企業であれば,イオンのシネコンのように許可を得る事は極めて困難であるが,県警本部は市民が知らない間に許可がなされている。
 当地域は,警察署であれば4階建てまでと制限がされる都市計画であるが,いつのまにやら,市民の知らない間に建てられている。
 都市計画は,将来の都市の姿を描いたものである。それにも係わらずどうして許可がされたのであろうか。
 高知城周辺は,高知城をメインとする,なかば高知の顔と言うべき地域でもある。警察からすれば,それだからこそこの場所を選定したのかも知れない。
 情報化が進展すれば,交番とは違い警察本部は何処にあっても良いのではないかと思うが,そうではなく,県庁近くに本部がなくてはならないのであろうか。県庁自体,文化庁から現在地より立ち退き勧告を受けているとか。いつまでも現在地に立地するとは限らない。一方高知県は,情報化により地域格差は無くなると言って来ているが,この県警本部察の建設を見ると,それは真っ赤なウソであることが判る。
 景観を奪われるという事は,隠し金どころではないようにも思われる。この場所に造るのであれば法に従うことは勿論のこと,高知城との調和も考慮に入れ,3階建てまでのもっと親近感の持てる建物ではいけなかったのであろうか。内部には大きな吹抜けもあると聞くが,あれだけ威圧的な建物を造らなければならないのであろうか。
 これまで県内では,様々なイベントなどが警察に相談がなかったとの理由で中止させられて来た経緯があるように聞く。地域上げて情報発信しょうとの努力に水をさすようである。やはり警察は,やるためにはどうするかを考えるのが仕事ではあるまいか。
 いつも思う事に,市民は警察のために存在するのではない。警察は市民の安全と社会的秩序を維持するためにあるはず。この事を警察の方々は常に認識して頂きたいものである。


kousakusya at 22:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

景観論

 奪われし風景に

 高知市の東,約15の町の駅近くに紳士服店の出店が相次ぎ,そこで巨大な看板の設置合戦が繰り広げられている。その結果,刺激の強い色彩の巨大な看板が設置され,地域住民の視覚からは迷惑な構造物で,強烈な色の暴力にもなりかねない,強風時には直近の風害も気にかかる程の高さである。
 それも,建設作業員の目から見れば,姑息な手段で造られていることは一目瞭然である。そこまでして巨大な看板をつくることより,サービスの向上や価格競争の方が消費者としては有り難いかぎりである。
 しかし,ここでは企業の論理による看板設置の広告競争となっているのであろう。
 このような看板も屋外広告物法や建築基準法では合法的であろうことから,住民としては制度的な対抗手段を持っていない。勿論,町に景観条例などある訳ではない。しかし,巨大な看板は,目を開ければ嫌が応でも視界に入ってくる。移動中には目を閉じる訳にも行かず,やはり景観阻害であり,色の暴力と言わざるを得ない。
 地域住民の唯一の対抗手段としては,不買運動しかないように思われる。
 企業の論理で規制すれすれに設置される巨大な屋外広告物に対しては,他のすべての企業にも言えることであるが,景観を意識する消費者には迷惑でしかない事を企業に知らしめる必要を感じる次第である。
 企業からすれば,法的には認められており,問題はないとの認識であろう。しかし,地域住民はたまったものではない。
 奪われし風景の価値からは,県に納められるであろう屋外広告の設置許可申請料には比べるべくもあるまい。町には屋外広告物などのあり方が検討されてもよいのではないか。おりしも景観三法が今国会で審議されている。
 企業も企業の論理のみではなく,設置場所の地域特性を考慮し,町づくりの論理に則した企業展開のあり方を考えて頂きたいものである。
続きを読む

kousakusya at 22:08|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2004年02月28日

ライフスタイルの変更を

地球環境保全の為に,現在の化石エネルギーの浪費を押えるライフスタイルに変えて行きましょう。

kousakusya at 15:20|PermalinkComments(1)TrackBack(0)
月別アーカイブ
カテゴリ別アーカイブ