2009年12月03日 22:27
50を過ぎると:パート?
≪医療人のボケ≫
少し前のブログにボケに関する私論を書いたが、またまたこれを強く感じる事があったのでまた触れて見る事にした。
今度の対象は医療関係者の知人の事である。
一口に医療と言っても範囲は広いが、内科などと違って技術的な要素が強い分野の医療人の事である。
医療技術と言うのは実に日進月歩で、少し勉強を怠ると時代遅れになる事がある。
その点私の専門とする東洋医学の世界、特に鍼や灸などでは、何千年などと言われるくらい古い歴史があるから、10年や20年たっても一旦身に付けた技術が陳腐化すると言う事は先ずあり得ない。
かと言って自分の技術の低下は自分で防ぐしかないのであるが・・・。
しかしさらにもう一つの専門である加圧トレーニングなどは、公開されてから新しいだけに、どんどんと今まで判らなかった事が判って来るので、ちょっとサボっていると技術が陳腐化する可能性がある。
いずれにしても陳腐化した情報や技術にすがって金を稼ぐ医療人と言うのは、見ていて見苦しいものがある。
何でも最先端が良いとは言わないが、患者に最良の医療を提供しようと思えばやはり自分が常に新しい情報を吸収し、変わりゆく価値観や求められるニーズを把握する事が大切である。
若いころはそれなりに向学心や探究心があり、古い同業者の技術を批判していたような先生が、これも50半ばを過ぎるといつの間にか自分がかつて批判していた様な存在になっている。
特に開業して何十年かたち、それなりに固定した患者さんがついていると、収入もあり安定もしているので慢心する先生や、あるいはまるで守銭奴になったかの様に金に執着する先生もいる。
技術は古いは、頭は硬くて人の話は聞けないは、自分の持っている情報と技術と価値観に固執してそれを押し通そうとするはでは話にならない。
距離を置いて見ると、何故だか哀れに見えてくる。
たまたま50代と言ったが、こう言う現象が出て来るとそれは40代でも30代でも私はこれを『医療人のボケ』だと定義する事にした。
≪ボケた医者にはかかるな≫
そこで一つの結論なのだが、内科だって歯科だって鍼灸だって、とにかく体に関するケアやキュアを受けるならボケた人の世話になるのは辞めた方が良い。
最近病院の勤務医と開業医の収入の格差が言われるようになったが、とにかく金儲けが大前提で医者になった人や、親の後を継がされて信念も無くそうなった先生にはできるだけお世話にならない方が良い。
こう言う人はどうも一定の年齢を超えると遺伝子に埋め込まれたDNA内の時限プログラムが起動して、無理やり植え付けた思い込みが消滅し、化けの皮が剥がれて患者を金の成る木にしか見なくなる様である。
同じ金儲けをしても、結果として儲けている先生と、それを目的として儲けている先生とでは質が全く違うのである。
それともう一つ注意しなければならないのは、惰性で医療を続けている先生である。
惰性とは医療に関する情熱を失ってしまったと言う事である。
こう言う私も今から数年前に一時医療に関する情熱を失いかけて、医療人としての立場を捨ててしまおうと考えた時期があった。
しかし色々な状況の変化でまた医療に関わる世界に引き戻されて来た。
『ボケた医者にはかかるな』と言ったが、ここで言う医者とは医療人全体を指し、ボケとは本来のボケでは無く医療人特有の職業的ボケを言う。
私の言う『医療人のボケ』の定義からすると、私の身近な人にもぴったり当てはまる人が何人かいる。
50代の人にも40代の人にも。
私は少なくとも日々関わる患者さんの多少にかかわらず、治療を業としている限りはこのボケた医療人の仲間入りだけは避けたい思っている。