2007年11月
2007年11月26日 15:00
《人格障害とADD》
最近私はあまりセラピーと言われるような治療をしなくなった。
その理由は以前ハイパーレイキのブログで書いたようにも思うが、一定期間毎日多くの特に精神的な障害を抱えた人に関わっているうちに、ある種の無力感のようなものを感じるようになったからだと思う。
ここ数年前まで私は、対人不安、引きこもり、抑うつ状態、などを始めとして実に様々な症状を抱えた人達と関わってきた。
そしてNLPやハイパーレイキなどの超心理的技法やエネルギー的なアプローチを駆使してそれらの症状と闘ってきた。
自分で言うのもなんだけれど勝率は決して悪くは無かったと思う。
またおよそ10年近くに及ぶそれらの戦いの記録は『シンセティック・セラピー』にまとめている。
しかしある時期から、これらNLPやハイパーレイキを駆使してなかなからちのあかない強敵が増えだしてきた。
それらの中にはいわゆる人格障害と言われるものであったが、しかしこれとて全く歯が立たないと言う訳ではなかった。確かに勝率は悪かったが、人格障害と思われるケースでも多少の改善はあったと思う。
そして次に現れだしたのが、ADD (Attention Deficit Disorder)と言われる状態を抱える人達であった。
そして私はこのADDの概念を知ってからセラピーで関わった過去の症例を洗いなおして愕然とした。
要するにうまく行かなかったケースの多数が人格障害の兆候を示しているのだが、どうやらその背景にはこのADDが関与しているらしいと気付いたのである。
しかし当初これは私の主観に過ぎないので、あくまで想像の域を出なかったのであるが、最近ある医師のブログを通してやはり人格障害の背景にADDがあるらしいと言う記述を読んだとき、大きな納得を得たような気がした。
私があまりセラピーをやらなくなった時の印象。『つまりセラピストとしてクライアントの問題を共有し、彼らの抱える問題に立ち向かう限り、この問題は避けて通れない』と言う印象。
結果的にこれらは私個人が立ち向かうべき相手では無いと言う直感と、そして本来この問題は国が莫大な予算と多くの有能な人材を準備して立ち向かわなければならない問題である事を感じた。
もしこの文を読んでくれている数少ない読者の中に、これからセラピストを目指そうと思っている人が居るのなら、その点を充分に考えて見て欲しい。実際この世の中にはこう言う事を知らずにセラピストを自称している人達が多数居るし、自分が実はそう言う問題を抱えている事にも気付かないセラピストや心理職の人も多い事だろう。
このことについてはまた機会を改めて考える事にしよう。そして。
《演技する人》
ADDが背景にあろうとなかろうと、多かれ少なかれ人格障害的傾向を持つ人は多いし、またそう言う困った人達に振り回されて苦しんでいる人も多い。
かつて私も身近に人格障害を持つ人に振り回され、苦しめられた経験を持つ。
その中でも特にこの演技する人(演技性人格障害)は始末が悪い。
今私の知人の中にもこの演技する人に振り回され苦しめられている人達がいる。
またかつて私のクライアントにもこう言うタイプの人達が少なからずいた。
要するに常に人との関わりの中で、自分を演技し続ける人なのである。
常に人から注目されたい、人から評価されていたい、或いは良い人だと思われていたいと考え、その為に自分はどう振舞えば良いかを考えそれを実践する人達なのである。
もちろん「そんなの誰でもと違うの?」と言われるだろうが、そう言う人達は素の自分と言うものを殆ど持っていない。
でもこう言う人と一緒にいる人は、だんだんとその人の振る舞いや言動に違和感を感じるようになり、そして一緒に居ることに苦痛を感じるようになる。
特に女性に多いと言われているが、こう言う人が母親になると、子供にしわ寄せがくる。
子供を自分の一部だととらえ、子供が自分の思うようにならないとヒステリックになり、或いは自分がパニックに陥る。
間違ってこう言う人と結婚してしまったら最後、根気良く死ぬまで付き合う覚悟を決めるか、さっさと突き放すかのどちらかだろう。少なくとも私はこれ以外の方法を知らない。
ただこれからはますますADDや、人格障害の傾向を持つ人口が増加する事は間違いない。
そして早く対策を講じなければこの国は加速度的におかしくなっていくだろう。
まるで異星人に侵略されて行くがごとくに。
2007年11月16日 10:48
《中高年が切れる理由は》
今朝新聞で最近切れる中高年が増えていると言う記事を見た。
その理由として分析されるのが、会社など職場でのストレスのはけ口が無い事を指摘する人の意見が出ていたが、私は全くそうは思わない。
中高年が切れる理由の最も大きな理由。それは日本の国の政治や行政に対する怒りが鬱積しているからに他ならない。
今は防衛省の元事務次官かなんかの武器商人との癒着が世間を騒がせているが、これなども突き詰めれば官の悪人と民の悪人が共同して、
国民の納めた税金にどのようにたかるかと言う話に他ならない。
年金の問題だって、建前は現役がリタイア組みの面倒を見るシステムだと言うが、収めている側の論理で行けば自分の為に納めているのであって、
今リタイアしている先輩達の面倒を見ていると言う自覚は薄い。
日本には今そう言う互助や相互扶助と言う道徳は死んでいるからであり、またその道徳を殺したのは国に他ならない。
国民の血税を食い物にした役人や政治家は死刑にすると言う制度が出来れば、中高年の怒りは少しは収まるようにも思えるのだがどうだろうか?
さしずめ今話題の元事務次官などは私の基準では打ち首に値するし、社会保険料を着服した公務員はさしずめ流刑が相応しい。
信賞必罰と言う言葉があるが、悪いことをして私腹を肥やすやつらがのうのうと暮らし、毎日汗とストレスにもみくちゃにされる一般人には、
自分が報われていると言う喜びが少ない。
アメリカに腑抜けにされた国民だから、アメリカの国旗を燃やしたり米国車をひっくり返したり、中国製の商品不買運動をする気力も無い。
せいぜい酒の勢いを借りて、きっかけがあれば身近なところで怒鳴るくらいが関の山なのである。
2007年11月13日 16:09
《曽祖父のこと》
私の曽祖父(母の母の父)の事が親族の一部でブームになっている。
詳細については他の親族の都合もあるので伏せるが、要するに明治維新の前に(1854年)生まれて維新の動乱期を生き抜き、
大正11年に没するまで親族の中では様々な伝説を残した人なのだが、残念な事に詳細が判らない。
私は学生の頃から母に、この曽祖父(S氏と呼称)の事を調べるように、
また直接この人物を知る子孫の存命中に多くの事を聞き取るように言われていた。
当時多少の興味は持ったものの、残念ながらいつかそのうちにと、結果的には放置していた。
しかし去年あたりから何故か気になりだして、暇を見つけてはその曽祖父の足跡をたどり、また曽祖父の事を間接的にでも知る人達
(曽祖父の孫達:かなり高齢になっているので早く話を聞かないと聞けなくなる)に話を聞いて回る様になった。
その孫達にもかつてS氏の事に関心を持ちながら詳しく調べる機会も無く、そのことを心残りに思っている高齢者も何人か居るし、
また外部の方でS氏やその出生に関心を寄せて調査に協力してくださる強い味方も現れ、そのS氏調査が親族の一部間でブームになったのである。
但し実際に動いているのは私とその外部の協力者の方だけである。
つまり関心を寄せない者もいれば、逆に触らない方が良いと思っている者も居るようである。
そしてそれにはそれなりの理由があるようだ。
《京都と滋賀の調査》
11月10日、私は新たな情報を元に、曽祖父S氏の足跡を追って京都に向かった。
第一の目的はS氏が明治時代に行われた琵琶湖疏水の工事に関わったと言う情報を得たからである。
協力者である福岡のKさんがあらかじめネットで下調べをしてくれたので、
私は先ず琵琶湖疏水の工事に関する文物を展示してある疎水記念館に行った。
地下鉄の蹴上駅についた時は昼前だったので、どこかで昼食をと店を探したが、それらしいものは全く無い。
どうやら大阪と京都は飲食店の事情が全く違うようである。
やっと南禅寺の参道前にある南○と言うレストランらしきところに入ると、殆ど具の入っていないただのカレーライスが1000円もする。
カレーの味はまあまあだが、ご飯が硬い。そして米が悪い。
どこかの掲示板で、京都はみんなあまり外食しないので食事の値段が高いと書かれていたが、これはあまりにもひどい。
外国人も沢山来るのだから、もう少しまともな価格設定とそれに見合う物を出さないと日本の恥だろう。
そんなことはともかく、S氏は育て親に勧められて早いうちに長崎でレンガ製造の技術を学んだといわれていたので、
疎水工事でレンガの製造に関わったとしても時代背景から見て不思議は無い。
レンガ製造を学んだと言う情報と、疎水工事でレンガの製造に関わっていたと言うのは全く別の所からの情報だから興味を覚えた。
疎水記念館をくまなく見て回り、職員の方に色々教えていただいたのだが、直接S氏に結びつくような情報は得られなかった。
せっかくここまで来たのだからと、南禅寺に立ち寄る。
この前南禅寺に来たのがいつか思い出せないくらい前の事で、本堂も見た記憶はあるはずなのだがはっきりしない。
南禅寺の境内を横切る疎水の水路閣を見に行く。この水路閣は有名。私もはるか昔に何度か訪れた記憶がある、
ほろ苦い思いでも少し。
この水路閣を改めて見ていると、
ひょっとしたら曽祖父が関わったレンガが使われているのかと思うとなんとなく不思議な思いがする。
水路沿いに蹴上方向に歩くと、蹴上の水力発電所に行き当たる。
かつて明治時代、ここで発電された電気で京都の市電を動かしていたと言う。
蹴上から地下鉄で一駅。
御陵駅のすぐ横に疎水で使われた1300万個ほどのレンガ工場がここにあったと言う記念碑。
疎水記念館で教えられて来たのだが、出口を出て右と左を間違えて延々と左方向へ歩いて行った。
行けども行けども碑は見つからない。やむを得ず交番で聞いたのだがお巡りさんも知らんと言う。
あきらめて駅に戻り、最後に駅から出てきたたおじいさんに聞いたら、おじいさんは笑いながら、出口の真横にあるこの碑を教えてくれた。
《大津へ》
履いていた靴が合わなくて、左足の小指の付け根が痛み出していた。
予定ではもう1件、堅田源兵衛の首塚を探さなければならない。
もう帰ろうかと思いながら、またここまで来たのだからもう少しとも思い少し迷ったが三井寺まで足を伸ばす事にする。
源兵衛の話は大津あたりでは有名な話なので省略するが、S氏がこの首塚か首を祭ったお堂を再建したと言う話がある。
事前にネットで調べると、堅田源兵衛にゆかりの寺は全部で3軒。
とりあえず大津在住の母の従兄弟に教えられたお堂を探しに三井寺まで来た。
近所のおばあさんに訪ねると、疎水に沿った道を山際まで突き当たれと言う。
思わず私は「え〜っ、あそこまで歩くんですか?」と言ってしまった。
その道の長いこと。足を引きずりながら山に向かって歩き出す。
教えられたとおりに行くと、大きな石の道標が見えた。
『かたたげんべいくびのてら』なんとそのままではないか。
かなり荒れた寺で、どうやら三井寺の末寺になっている様なのに、全くのほったらかしである。
なにかおかしいと思い、中を覗くともぬけの殻である。(本堂の中には本尊は愚か全くの空であった)
でもってもう少し良く見ると本堂の脇に公示書が張ってあった。
つまりこのお堂や敷地は差し押さえと言う事か。
従ってここではS氏の名前など調べようもなかった。
ああしんどかった。
2007年11月07日 11:57
《人が真価を問われる時》
ハイパーレイキのブログで厄年
の事に触れたが、この厄にも関連する事だが、人間、何十年も生きていると、
人生の危機と言われるような様々な困難な出来事に遭遇する事がある。
病気だとか、事故だとか、子供の問題、夫婦の問題など、実に様々な試練や落とし穴が人生至る所に待ち構えている。
これらの障害を乗り越えて目標めがけて進んで行くのが人生なのだから、全く順風満帆に終わる人生の方が不自然といえるのだろう。
最近私の周りにもそう言う試練に見舞われている人が何人かいる。
そして私も友人、知人の一人として何とか良い結果が得られる様にアドバイスをしたり、或いは一緒に考えたりする事がある。
そんな中でふと思ったのは、本当にそう言う試練の中でその当事者となっている人の真価が問われると言う事である。
ある人は家族の問題を抱え、なんとか良い結果を導き出そうと考え、人に意見を求め、また考えそして行動する。
またある人は自分が蒔いた種にも関わらず、ただ悩み堂々巡りをして他人に任せ、人の期待を裏切りその場からの苦しさから逃れようとする。
私はこう言う時、必ずアドバイスする言葉がある。
それは「もうこれがどん底だ、これ以上の苦しみは来ないだろう、と思っている時はまだまだ試練がやってくる」と言う事と
「今自分がどんなに苦しみの淵にいて絶望的であろうと、この苦しみから抜けた出た時にどういう自分でありたいかを考続けなさい」
と言う内容を含んだ言葉である。
こう言うと決まって帰ってくる言葉がある。それは「今はそんな事を考える余裕がありません」と言う台詞である。
しかしこの?苦しみから抜け出たとき?云々が出来ない人には明るい明日はやって来ない。
またこう言う時期には怪しげな宗教からの誘いも多くなる。
良いブレーンが沢山居れば確かに助けも多く、まして金で解決出来る問題ならば、金持ちには解決しやすいだろう。
だがしかし自分が本当にどうなりたいか、どこへ行きたいかが明確でなければ、一つの問題が解決出来てもまた次の問題が必ずやって来る。
付け焼刃、表面だけの解決では実質的な解決にはならない。
私はこの原理を自分の苦しみの体験と、多くの苦しみを抱えたクライアントの結果から知ることが出来た。
どこかの安物の自己啓発書や新興宗教の教えでは無い。
そしてもう一つ、苦難に対処する時のその人のあり方がその人の真価を露呈するのである。
苦しみに立ち向かおうとせず、酒に逃げたり、仕事を言い訳にして逃れようとしたり、口先では「腹をくくっている」風な事を言っても、
それが行動に出ていない限りやってくるのは最悪の結果でしかない。
人が真価を問われる時、それはまさに苦難の時であり、その苦難にあたって優れた本質を発揮できる人は、苦難の中で良い結果を描き、
信じられる人であり、その苦難を自己成長の糧だととらえられる心構えを持つ人だけである。
2007年11月01日 10:56
《賞味期限の事》
ここ最近は賞味期限に関連する事柄が話題になることが多い。
赤福なんて普段は滅多に食べないのだが、それでも食べたいと思っても食べられないとなったらなんとなく淋しいものである。
特に関西の人間にとっては身近なみやげ物だから。
小学生の子供が「別に少し期限が切れててもおいしかったらええやん」と言ったけれど、賞味期限をごまかすのも悪いが、
おいしく安全に食べられるものをたいして根拠の無い期限で捨ててしまわなければならないと言う、十派一からげ、
ミソも糞も一緒と言う食品衛生法とか言う法律をもう少し実情にあったものに変えないと、恐らく日本全国で同じ事が繰り返されている事だろう。
こう言う法律は今や世界共通語となった「もったいない」と言うエコロジーの観点を全く離れた時代錯誤の法律と言わざるを得ない。
適正な製造プロセス、適正な流通プロセス、
適正な保存方法さえちゃんと維持できれば現在流通している食品の多くはもっと賞味期限や消費期限を延長できると思うし、
ひいては価格の低下につながり多くの人に恩恵をもたらすと思うのだがどんなものだろうか?
《人間の賞味期限》
さて食品の賞味期限に関してさえ、私はもう少し検討すればエコロジー的に地球全体に大きなもたらすのでは?と言ったが、
もっと真剣に考えなければならないのは、人間の賞味期限についてである。
特に職場や組織の中ではこの賞味期限を真剣に考えないと、会社や組織がどんどん駄目になっていく。
赤福の問題だって、雪印だって、ミスタードーナツだって、食品の期限が切れているのではなくて、
経営者の期限が切れているからそう言う問題が起こると考えられる。
私は個人経営者で、ここ30年近くやってきているけれど、
考えて見ると儲かって儲かって仕方が無いと言う時期を体験した記憶が殆ど無い。
「お前の経営能力が無いからだ」、と言われてしまえばそれまでだが、その代わり常に独自性を求めてまたよりレベルの高いもの、
より創造的なものを求めて来た。
当然その為には常に自分にとって未知のものや新しいものにチャレンジし続けていかなければならない。
そしてその姿勢は30年たった今でも変わっていない。
だから経営者としてはイマイチ以下かも知れないが、鮮度は抜群だと自負できるのである。
ところが会社や組織やチームのトップや幹部達の鮮度、つまり向上心やより良いものを得よう、作ろう、
結果を出そうとする気持ちが衰えてしまうと、あっと言うまにその組織やチームの鮮度が落ちて腐ってしまうのである。
多くのトップはその責任が自分にある事を認めたがらないから、他の幹部や或いは指導者、または社員やメンバーのせいにしようとする。
そしてまだトップの座に縋ろうと見苦しい悪あがきを見せるのである。
人間には賞味期限がある。
キミマロちゃんの言葉ではないが、恐らくそこいらじゅうに賞味期限が切れている事に気付かない社長や部長や店長や、
教祖や監督や先生や会長と取り巻きの幹部がいて、彼らがその組織とメンバーを腐らせていることだろう。
あっそう言えば日本の国がそうだったっけ。