2008年05月
2008年05月26日 11:28
《物事の価値を決める》
何事でも価値を判断すると言うのは難しいものである。
これは様々な仕事でも同じ事が言える訳である。
例えば歯科を選ぶ時だって、どの歯科医が良いのかを判断するのは非常に難しい。
やはり実際に何軒かの歯科にかかり、技術や料金などを細かく比較する事でしか判らない部分が沢山あるからである。
サービス業だってそう言う要素が沢山ある。
私自身の生業である、治療や加圧トレーニングやセミナーに関してもまさにそうである。
特に最近はネットで検索して様々な情報を得てから決定する人が多いので、そう言う場合は検索順位を上げるためのSEOとか、
或いはワンクリックいくらの広告とかが流行る訳である。
ところがそう言う高順位を維持しているところや、名前が売れているところと中で提供されるサービスのクォリティとはまったく関係が無い。
これは商品でも同じで、質の良い商品が必ずしもよく売れているとは限らない。
或いは例の?吉兆?の様に、名前が売れているのを良い事に法外な価格設定をし、おまけに?産地偽装?や?使いまわし?
などそのサービスの質は東南アジアの屋台以下と言うのがまかり通っている。
また自分がすでに優れたものを持っていたり身に付けていたり、或いは身近に優れたものがあるのにも関わらず、
そのものの価値を見出せないで類似した他のものにより魅力を感じたり、或いは自分の既に持っているものの価値が判らない為に、
それ以下のものに価値を感じてしまったりする人も多い。
私は何か新しいものに興味を持った時に、先ず自分の持っているものや、既に身に付けているものを再評価し、
そこで新たなものと関わる価値があるかどうかを検証する。
これはとても大切な事で、これが出来るかどうかで貴重な時間とお金が随分節約されている。
もちろんこれは年季と経験があるから出来るのではあるが。
以前にもどこかのブログで書いたのだが、私の周りにも食用蛙の様な人がいて、
ちょっと目新しいものが目に付くと自分の既に持っているリソースを考えないでそれに飛びつく。
そう言う人は自分が身に付けたり、学んだりしたものの真価が殆ど判っていない場合が多いようであり、
さらにそれが使いこなせていない場合が多い。
私達は日常的に有形、無形を問わず、常にものの価値を判断する必要に迫られている。
卑近な例ではスーパーで洗剤や食品を買う場合でさえ、どの商品をチョイスするかで価値判断を迫られる。
私の周りにもネットワーカーがいるが、彼らに共通したトークは「うちのサプリは○○だから最高だ」とか
「うちの洗剤は○○だからエコであり、かつ素晴らしい」とかである。
私は以前ネットワーカー向けのリレーションシップに関するセミナー講師を務めていたから判るが、ネットワークを主宰する人が?最高?とか
?素晴らしい?とか言う表現をよく使うし、さらにメンバーをリクルートする場合にも「この商品は最高だ、
私はこの商品に惚れてこのネットワークに関わった」とか「だまされたと思ってこの商品を使って見て下さい」と言う言い方をする人が多い。
しかし?最高?とか?素晴らしい??だまされたと思って?とか言うあいまいな表現ではそのものの価値は評価できないし、
また最近ではサプリに治験データを付けて鬼の首でもとったように商品を勧める決め手に使う場合もあるが、
これも同種のものと比較しなければ本当の効果は判らないだろう。
私も今まで知人から「だまされたと思って」と勧められて、いくつかのサプリ関係を試したが、
かなりの期間試して見ても自分が個人的に使っているものと比べて、それ以上に何かの健康効果があったとは思えないものばかりであった。
何故ならば私には既に比べる指標となるものが既にあるからであり、それと比べてどうかと言う価値判断が常になされるからである。
もし何かを購入するとか決断を迫られる事があった時、特にその内容が重要であったり高額であったりするときほど、
比較すると言う事が重要になってくる。
公共事業を始め、大きな工事などでは数社から見積もりを取って比較する事は当たり前の事なのだが、
例えこれが小さい事でも無形の事でも、選択し決定するときには常に何かと比較すると言う事が必要となる事が多い。
そして先ほどの?最高?とか?素晴らしい?とか言う言葉に対しては常に「何と比べて」と言う問いかけを忘れてはならないと思う。
2008年05月12日 18:39
《中学校の校則って何よ?》
最近うちの子供の通う中学校の体育クラブで、3年生がタバコを吸っているところを先生に見つかったそうな。
この学校の決まりでは、部員がそう言う悪い事をするとその子が所属するクラブが一定期間活動停止になるそうな。
そう言えば去年もそう言う事があったように思う。(去年はタバコでは無く、下校途中の買い食いと自転車の二人乗りだったそうな)
去年は「私もフーンそうか」程度にしか思わなかったが、今回は試合も近く練習に気合が入っている時期でもあって、
しょげている子供を見てそのルールがおかしい事に気がついた。
要するにこのルール自体が子供達の人権を侵害する最低のルールだったのである。
面白い事に、タバコを吸った当の3年生が「なんで自分がタバコを吸ったのに、関係の無い他の部員がクラブ活動できないのか」
と先生に噛み付いたと言う。「お前が言うか」とも思うがしかし正論である。
元々中学生がタバコを吸うこと自体が間違っているのだが、しかしこの中3の子だって自分がタバコを吸った事と、
他の部員がクラブ活動ができなくなる事とは関係がない事を理解できているのに、単に決まりだと言うだけでそれを押し付ける大人(先生達)
の方が余程アホに思える。
私がこう言うとすぐに高校野球の不祥事による出場辞退の事を言う人がいるが、
高野連の処分だって球児達の人権擁護の観点から見るとかなり問題がある部分もありそうである。
ただ今まで誰も面と向かって裁判を起こしていないだけの話なのだろう。
私も一時期教壇に立った経験があるので判るのだが、教師や指導者と言う立場にいると、
本当は一番生徒や学生の人権に配慮しなければならないにも関わらず、ついその事を忘れている事がある。
今回の事件だってそうである。
例えばこの中学校の教師の一人が飲酒運転で捕まったとする、すると上司が管理責任を問われる以外に、
他の教師も減俸処分とかの処分になると言うのだろうか?
もしそんな事になったら教師達は文句を言うだろうし、人権云々の話になるはずである。
そしてこの事件を通して私が一番問題だと思うのは、今までこのようなアホな規則がまかり通っていた事であり、
それを黙っていた歴代のこの学校の管理者の人権意識に疑問を感じるのである。
《連帯責任って何よ?》
よく連帯責任と言う言葉が使われるが、全く自分の預かり知らぬところで単に同じクラブ員であると言うだけの関係の子供が、
何か悪い事をしたからと言って、他の部員がクラブに参加して練習すると言う権利が剥奪されるのを連帯責任とは言わないだろう。
もちろんそのルール違反の程度や内容による事は論を待たないし、場合によっては時々大学であるように、
クラブ自体が消滅する事もあり得るだろう。
こう言う事はうちの子供の通う中学校だけの問題ではなく、日本中にそう言う理不尽なルールが黙認されているのだと思う。
そんな事より、この中学校では一部の生徒の喫煙が常態化し、時々制服のままで堂々とタバコを吸っている生徒を見かける。
自販機でタバコを買うのにカードがいるとかいらんとかややこしい事をする前に法改正を行い、警察も未成年者の喫煙摘発に力を入れ、
一定の条件の下で親の監督責任を追及し、未成年喫煙者の親から罰金を徴収すれば良いのである。
こそこそ電柱の影に隠れて交通違反の微罪を取り締まるより、
ガキの分際でタバコを吸うヤツを捕まえて親から罰金をふんだくる方が余程利益が上がって尚かつ子供の将来に少しは役立つだろう。
そして小学校、中学や高校の教員採用の条件には喫煙者で無いことと言うのを付加し、現役教師で禁煙できない先生には禁煙教育を実施し、
それでも校内で吸うような輩はクビにするぐらいの改革を行わないと未成年者の喫煙は減らないだろう。
いつの間にか喫煙の話になったが、いずれにせよ子供達に人権教育を云々する以前に、
教育の現場で日常的に行われている人権侵害をもう少し是正する必要がある。
確かに教育や指導では厳しい場面も必要だし、馬鹿親やモンスターペアレンツとも闘わなければならないだろう。
しかしかといって強権的に理不尽なルールを子供達に押し付ける事は絶対にあってはならない。
2008年05月01日 10:31
《マインドマップ》
最近はマインドマップを使う人が増えてきた。
使わなくても知っている人も確実に増えてきている。
先日もある会議でマインドマップを使って記録していたら、隣の席の70歳ぐらいの男性が「これなんとかマップですよね」と声を掛けてくれた。
私が始めてマインドマップを知ったのは今から10年近く前、
たまたまなんかのセミナーで一緒になった知人が使っていたのを見て知ったのだ。
その時は殆ど誰もマインドマップなんか知る人はいなかったが、当時建築士をしていた彼はわざわざアメリカまで行って勉強したとかで、
興味を持った私が色々聞くと、露骨に嫌な顔をして教えてくれなかった。
「なんじゃいドケチ」と思った。
その後彼と一緒にアメリカに別の研修で行く機会があったが、彼に2度とマインドマップの事を聞く気にはならなかった。
きっと教えるのが惜しかったのだろう、その彼は今「エ○・○ス・アイ」のインストラクターをしているSさんである。
やはりお金を貰って教えるのを仕事にしてしまった様である。
さてその後私も機会があってマインドマップを深く学ぶ事が出来る様になり、今では日常的に使用するようになったのである。
また最近は安価なソフトも販売されて、さらにマインドマップが身近な存在になってきた。
しかし私が思うのは、マインドマップは決して万能ではないという点である。
私は30年くらい前からマインドマップとよく似た、KJ法と言うスキルを使っていて、
これはウィンドウズ95の早い時期からソフトも出ていたので重宝していた。
このKJ法の特徴はボトムアップで情報を整理できる事にある。
つまり断片的な情報を集めて全体像を構成していくと言う手法である。
この作業は実はマインドマップの最も苦手とする作業であるように思われる。
逆に自分の思考を具体化したり、文章を構成したり、
関連する事柄を芋ズル式に引き出してくる事はマインドマップの得意とする分野である。
私は今この手のソフトを3種類使っている。
このKJ法のソフトと、マインドマップのソフトと、そしてもう一つはインスピレーションと言うソフトである。
このソフトは元々はマインドマップの発想を元にして作られたらしいのだが、階層構造で思考をまとめるには非常に使いやすいのである。
例えば先日あるトレーニング法の講習を受けたのだが、これが資料も無く、
体系化されていない状態で多量のテクニックだけを教えるものだから、後で整理するのが大変であった。
そこで私は先ずKJ法で学んだテクニック一つを1枚ごとのカードに記入する。
次にそのカードを元にマインドマップを使って考えた体系に分類し、
最後にインスピレーションで階層構造を形成して各テクニックをその末端にぶら下げると言う手法で整理した。
本当はこれを全てマインドマップでやろうとしたのだが、なまじ他の方法を知っていて、
またソフトがあるものだから結局は3種のソフトを使っての作業になった。
マインドマップ一辺倒の人からは、「それはまだまだあんたのマインドマップのレベルが低いんやで」と言われるのかも知れない。
しかし実際に私のように、複数のソフトを使い分けている人もいるだろうから、きっと私と同じ思いを持っている人も他にいるのだと思う。
マインドマップがブームになる事は素晴らしい事だと思う。
特に学校の授業などでマインドマップが使える様になると、もっと子供達の学力が上がるのは間違いないだろう。
しかし様々な情報を処理したり、分野別に分けたり、体系化したりと言う作業になると、マインドマップは決して万能ではないと思う。
現在流れているマインドマップの情報では、この辺が少し間違って伝わっているような気がするのは私だけだろうか?