2008年09月
2008年09月17日 12:33
《事故米のこと》
毎日毎日、最近は事故米でテレビが賑わっている。
最初は三笠フーズとか言う悪徳会社だけが叩かれて、とばっちりを食った酒造メーカーが槍玉に上がっていたが、
いつの間にか事故米を購入し使用した末端の個人や企業が芋づる式に引き出されてきた。
大半は被害者であるが、また加害者となってしまった。
三笠フーズや他にも同じように悪いやつが沢山いるのだろうが、根本的な問題は日本の外交政策の弱腰にあるのだろう。
何で米の生産国である日本が、糞のような米を買わなければならないのか?
ウルグアイラウンドだか何だか知らないけれど、こんな馬鹿な交渉しかできない弱腰外交が生んだひずみで生じた現象だと言えるだろう。
エコでリサイクルの今時だから、携帯電話やコンピューターを始め、家電の廃棄物も宝の山だと言われて、
国際間でどんどん高値で取引されている。
しかし農薬で汚染され、カビで汚染された汚染米など、
殆ど使い道が無いものを日本が金を払って買わされると言う理不尽な取引は即刻止めさせなければならない。
総理大臣が2代も続いて任期中にケツを割るような腐った国だから、きっと腐った米を金を払って買わされても平気なのだろう。
《拉致られた人々》
いまだに北朝鮮に拉致された人々の大半は帰ってこない。
そしてやっと進みかけたかと思えば、総理が辞めたから交渉は棚上げだと言われてまた交渉が頓挫する。
何でこんなに我が国は弱いのだろう。
このことについて一体どれだけの国民が真剣に考えているのだろうか。
結論は簡単である。軍事力が弱いからである。
日本はまさに喧嘩の弱いお金持ちのお坊ちゃまなのである。
しかし今はお金持ちから浪費が過ぎて、徐々に傾いてきている会社の社長の馬鹿息子なのである。
平和平和と平和ボケした人々が口にするけれど、絵にかいた平和ではなく、現実の平和は強力な防衛力なくしてはありえない。
いくら高い金を払って強い用心棒を雇っていても、そんなやつはいつ裏切るか判らない。
それがアメリカである。
本来なら拉致被害者の交渉が北の都合で延びる度に、アメリカに空爆させてもいい加減なものである。
それをアメリカにさせられないなら、あんな元々侵略者の国を当てにしないで、
自分の国は自分で守ろうと考えれるようになるのが強くて賢い子供である。
要するにいじめっ子に金を払って守ってもらおうとか、
ヤクザを用心棒に雇ったって金だけ毟り取られて放り出されるのが関の山だと言う事に気付けないのが今の日本なのである。
喧嘩をするために空手や拳法や護身術を身に付けるのでは無い。自分の未を守り、喧嘩を未然に防ぐために自分が強くなるのである。
愚かな人はこれを力の論理だと馬鹿にするが、少なくともそう言う台詞は自分で自分の身を守れるようになってから言うべきだろう。
もっと原点に戻って考えようではないか。
腐った米を金を払って買わされる愚かな国。
国民が他国に浚われても、それを奪還できずに指を銜えている情けない国。
誰がこんな国にしたのか、そしてこのままでよいのか、真剣に考えて見たいものである。
2008年09月05日 10:19
《ウサギが死んだ》
我が家で子供達が可愛がっていた♀のネッザーランドドアーフが死んだ。
まだ生後1年を少し越えたところだった。
病気でもないし、至って健康な、そしてとても可愛い子だった。
何でも♀のウサギは一定の大きさになると、子供を産まない場合は子宮の疾患が出ててくるらしく、
適当な時期に子宮の摘出手術を受ける事が多いらしい。
私はこの事をよく知らないし、妻や子供達がネットで調べて勝手に獣医に相談して話を進めて来た。
私が知ったのはいつ手術をするか、と言う日にちがほぼ決まってからであった。
そしてその日にちは3日の水曜日だった。
私はこの手術に反対だったが、論理的な根拠を持たないので、あまり強行に反対する訳には行かなかった。
それでも、ちょっとは「絶対せないかんもんなのか?」とか、ごちゃごちゃと言うのだが、誰にも相手にされなかった。
火曜日の夜、私はウサギ(ココアと言う)のケージの前で、ひょっとしたらこの子は手術が元で死ぬのかもしれないと思った。
しかしそれを口にすると、どんな非難を受けるかも知れないので、喉まででかかった言葉を飲み込んだ。
3日に手術は無事終わった。エリマキトカゲ見たいな装具をつけたココアは痛々しかった。
もし私がウサギだったら、絶対にこんな目には合いたくないと思った。
そして木曜日の夕方、ココアの様態が急変した。
子供からの知らせで、妻は急いで獣医に電話をし、仕事を放り出してココアを連れて行った。
その様子を見て、ああやっぱり予想どうりになったな、と思った。
結果はアウトだった。死因は熱中症だという。
術後の体力低下と、手術のストレス、それに人間に対する不信感などが重なった結果なのだろう。
私は泣きじゃくっている子供達を見ながら、思わず「ほんまに可愛そうで情けない思いをしたのはココアやないか」と思った。
ペットショップで買われてうちに来た。うちではみんなが可愛がって、大事にしていたから特に不満は無かったと思う。
しかし突然、どこも悪くは無いのにまた何にも悪い事をしていないのに、獣医に連れて行かれて腹を割かれて、装具を付けられて、
挙句の果てに熱中症であっという間に死んでしまった。
こう言う結果になるのだったら、うちに来なかったほうがよほどあの子の為だったに違いない。
私としても、本当に可愛く思っていただけに可愛そうなのと、何故愚かな家族にもっと強く止めさせなかったのかと言う事を悔いている。
同居家族は4人と1匹(ハムスター)と1羽だったが、1羽が減ってしまった。
4人のうち3人は♀である。この♀が最近人間の♂の言う事を聞かなくなってきている。
これは数の論理によるものなのか、それとも他の理由によるものなのかは判らないが、そうなるといちいち細かい事を言うのが面倒になってくる。
まして根拠の無い事で3人の♀が決めた事を阻止すると言うのは難しい。
そこでどういう風にしたら自然にココアの手術をさせないで済んだのかを考えた。
今更そんな事を考えても意味が無いだろうと思われるかも知れないが、しかし昨夜ベッドに入ってからも長い間その事を考え続けた。
そこで行き着いた結論が、「もし自分がココアだったらどこも悪くないのに腹を割いて欲しいと思うか?」である。
私は職業的になのかどうか、常に相手の立場にたって考えると言う習性を身に付けている。
だからどんな医学的な根拠があっても、ココアの立場に立てば、どこも悪くは無いのに腹を切り裂かれるのは嫌だと思うし、
将来どれくらいの確立かは判らないが子宮の疾患になればそのとき対処して欲しいと思うのである。
またいくら若いうちに手術をした方が良いと言う考え方があったとしても、
それは手術と言う処置についてのみであり予後のリスクを含めると、
恐らく将来発症するかも知れない病気にはそのとき対処した方が延命する確立は高いと言う考え方も成り立つのだと思う。
さらに今回のココアの手術に対して私は全く意見を求められなかった。言えば反対すると思ったのかも知れないが、
意見を求められなかったから面と向かって何も言えなかった。
正直な私の感想を言えば、悲しんでいる♀達を見ても可愛そうとは思えない、腹が立つだけである。
そしてあっと言う間に死んでいったココアが本当に不憫でならない。
家にウサギが1羽居るだけでこんなに家庭が明るく、そして楽しくなる事を彼女は教えてくれた。
犬や猫とはまた違う姿の可愛さ、まるで一瞬おとぎ話の世界に居るような錯覚さえ生まれた。
昔母が可愛がっていた犬が死んだときに「こんな悲しい思いをするのなら、私はもう二度と犬を飼わない」と言った言葉を急に思い出した。
2008年09月02日 20:39
《あなたとは・・・・》
昨夜たまたまキャンセルが重なり、仕事が早く終わったので家でテレビを見ていたら、突然福田総理の引退会見が始まった。
一体何事かと思って、真剣に見ていると前代未聞の茶番劇が始まった。
そこでこの前代未聞の茶番劇を通して、福田総理の心理状態と精神病理を私なりに分析して見ようと思う。
但し私の場合はオリンピックの柔道じゃ無くてJUDOで金メダルを取ったサイキック坊やとは違って、
一応の根拠らしい分析基準は持っているが、それが真実に近いかどうかは保証の限りにあらずである。
先ず彼の表情であるが、このよく言えばポーカーフェイス、悪く言えば白けた表情はかなり離人感が強い事を示している。
これは前総理の安部さんにも共通しているが、安部さんの場合は抑鬱症状から来るものだと思えるが、
福田さんの場合は性格的な白状さから来るようにも思える。
彼の場合は、常に外目からその言動が人事、他人事としか物を見ていない様に感じさせてしまう何かがあるようだが、
実はこれが彼の性格から来るもののように思えるのである。
オリンピックの選手村で選手を前にして、激励の言葉として「せいぜい頑張れ」と言ったような言葉を述べていたが、
これは恐らく彼の本心であり、心から国を代表してがんばって欲しいと言う気持ちは毛頭無いのである。
「何故一国の総理が?」と思うかも知れないが、これは彼の離人感の強さがなせる業であり、
彼にとっては日本代表選手のオリンピックへの参加すら他人事でしかないのである。
しかしこれらの離人感の強さと彼の政治能力とは別物であり、私は彼の政治能力を評価するだけの政治的な知識が無いので(と言うより、
政治には無関心なので)ここで取り上げているのは、あくまでも彼の性格、人格的な問題である事を強調しておく事にする。
さてここで本日のメインテーマである、「あなたとは違うんです」と言うセリフの分析に入りたいと思うのだが、
実はこの言葉だけが話題になり、今年の流行語大賞にとか巷では言われているらしいが、このセリフの前に
「私は自分の事が客観的に見えるんです」と言うのがあったが、この言葉こそが実は彼の性格を、いや症状を裏付ける根拠の一つとなるのである。
?自分が客観的に見える?とはどう言う事を言うのだろうか。
また普通の人は彼と違って、自分が客観的には見えないのだろうか。
この答えは、?普通は自分の事が客観的に見える事を意識しない?或いは?普通は自分の事が客観的に見えていても気付かない?のである。
つまり、ことさらに?客観的に自分が見える?事を意識している状態と言うのは、実は普通ではない状態を示していると考えられる。
そして福田さんは、?普通に客観的に自分が見える?事が、ある種の能力の様に思い込んでいるふしがある。
その点は握手しただけで「福田さんは普通の政治家と違って云々」とのたまわった、例のJUDOサイキック坊やとの共通点である。
多かれ少なかれ、政治家、それも大物政治家の2代目当たりになると、親や周りからの歪んだ教育で、
自分は特別なんだと言う価値観を植えつけられた人がかなり居るように見受けられるが、彼などもその最たる見本のようなものだろう。
話を元に戻そう。
普通に自分が客観的に見えると思えて、しかもそれが普通に意識されている状態だとしたら、そこには歪んだ価値観に基づく、
精神病理的な状態が見て取れる。
親や周りから、「お前は特別な存在だ」といわれ続けて成長し、政治家になったけれども泣かず飛ばずで歳を取り、
やっと巡ってきた総理のチャンスに、さも当然と乗っかったものの、己の持つキャラクターゆえに全く人気が出ず、
自分を後押ししてくれた周りの連中からも白い目で見られた、彼に残された最後の自分を守る方法は、
ほぼ独断専行で総理を辞めてやるしかなかった。(要するに単なる駄々っ子なのである)
安部さんが精神の病を理由に辞めたとすれば、福田さんは人格の欠陥ゆえに総理を辞めたと言えるかも知れない。
まさに病める国日本を象徴するが如くである。
ほんまにこの先どうなるんやこの国は。