2017年06月18日

507号系統 醍醐寺 ゆき

507号系統 京阪バス 醍醐寺 ゆき

93日目
15:57 清水焼団地
16:01 大石神社                        220円


 バス停に戻り「山科駅」発「醍醐寺」ゆきのバスに乗車します。このバスは先程「山科駅」から乗ってきたバス(506号系統)の後続のバスです。この系統は日中は概ね1時間あたり2本運行されています。

P1050549



















   「醍醐寺」ゆきのバスは概ね1時間あたり2本運行されています。



 「清水焼団地」の次が「射庭ノ上町」、その次が「大石神社」。車内アナウンスで「大石神社」の名が告げられるやいなや降車ボタンを押します。わずか二区間でもバスに乗るのがこの「こうすけの路線バス」の流儀なのですが、歩くことができる距離であれば運賃を財布から出すのが惜しくなる時もあります。しかし、本日は最初に乗ったバスで1日乗り放題の「京阪バス1dayチケット」を購入済(502号系統参照)なので、なんら躊躇することなくボタンは押されるのであります。

 稲荷山トンネルが大きく口を開けている阪神高速8号京都線山科出入口を右手に見て、大石神社前交差点を右折し狭い道路に入っていきます。そしてすぐに「大石神社」バス停です。

P1050550



















      「大石神社」で下車。バスは狭い道を進んでいきます。



 バス停の近くには「右 京都大佛三十三間堂 左 大石良雄旧跡」と記された石標があります。石標に従い右に素直に進めば稲荷山トンネルで、抜ければ東福寺と伏見稲荷の間あたりに出るはずです。もっとも石標ができた頃に稲荷山トンネルもなかったでしょうから、右というのはトンネルの傍らにある道を指すのでしょう。その道は現在の京都府道118号線、別名醍醐道と呼ばれ東山を越えて京都大佛こと方広寺、三十三間堂に至ります。

 さて、私めは左の道に進みます。

P1050551



















        右 京都大佛三十三間堂 左 大石良雄旧跡。



 畑の土の香りのするのどかな細い道を軽く歌を口ずさみながらぶらぶら歩きます。路線バスの旅の最中ですが、こういう時の歌は鉄道唱歌などしっくりくるものです。

P1050552


















 
            畑の土の香りのするのどかな道。



 山科の地で歌う鉄道唱歌の歌詞は1番の、

 
 ♪ 汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり
   愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として ♪ 

 
 ではちいと味が悪うございます。


 ここはやはり45番でしょう。


 ♪ 大石良雄が山科の その隠家はあともなし
   赤き鳥居は神さびて 立つは伏見の稲荷山 ♪


 私こうすけにとって山科といえば、大石内蔵助良雄が討ち入りの前まで隠棲していた地という印象が強いのであります。内蔵助ゆかりの地ということで隠棲の場所近くに創建されたのが大石神社です。神社の背後にあるのは稲荷山。山の向こう側には赤い鳥居が華やかに無数に並び立っているのでしょうが、こちらは石の鳥居が独り寡黙に鯉のぼりが風に泳ぐのを見ております。

P1050559



















         内蔵助ゆかりの地に創建された大石神社。



 播州赤穂にも大石神社はあり、この路線バスの旅でも26日目に訪ねております(149号系統参照)。赤穂の大石神社は多くの参拝客の姿が見られましたが、ここ山科の大石神社はそれと比べると隠れているかのようにひっそりしております。もっともそれは訪ねた時刻によるものかもしれません。実に内蔵助に篤い心を抱く人も多く、崇敬者の名を記した奉納提灯などがずらりと並んでおります。

P1050556



















         多くの人に崇敬されている山科の大石神社。



 山科に隠棲していた内蔵助は吉良側を欺くために祇園で放蕩三昧のふりをしたと忠臣蔵の物語は伝えています。祇園へ通った道はおそらく東山を越える醍醐道であったことでしょう。どんな思いで醍醐道を歩いていたのでしょうか。歌など口ずさむ気分ではなかったことでしょう。


 ただ、芥川龍之介が「或日の大石内蔵之助」で描いた内蔵助はちいと違っておりまして、


 「如何に彼は、この記憶の中に出没するあらゆる放埓の生活を、思い切って受用した事であろう。そうして又、如何に彼は、その放埓の生活の中に、復讐の拳を全然忘却した駘蕩(たいとう)たる瞬間を、味った事であろう。彼は己を欺いて、この事実を否定するには、余りに正直な人間であった。《中略》 従って、彼の放埓のすべてを、彼の忠義を尽す手段として激賞されるのは、不快であると共に、うしろめたい。」 (芥川龍之介著 『或日の大石内蔵之助』より)


 もし内蔵助が、芥川龍之介の描いたような人物であったならば、歌を口ずさみながら醍醐道を歩いていたかもしれません。

P1050557



















          内蔵助様。歌を口ずさんでおられましたか?



 歌を口ずさもうが、口ずさむまいが、内蔵助がやはり忠臣であり、同志をまとめ討ち入りを果たしたことに変わりありません。そして、多くの後世の崇敬を集めたのは確かなことです。


 神社をあとにバス停まで同じ道を戻りますが、口ずさむ鉄道唱歌は2番にいたしましょうか。これなら味も良いことでしょう。


 ♪ 右は高輪泉岳寺 四十七士の墓所
   雪は消えても消えのこる 名は千載の後までも ♪


 



いつもこのブログを読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、下のバナーをクリックしてください。

人気ブログランキングへ 




トラックバックURL

コメント一欄

1. Posted by しげたか   2017年06月18日 18:37
5 大石神社にはお参りしたことがないのですが、醍醐道の山科側にあるのですね。赤穂の大石神社よりひっそりしているかもしれませんが、どちらも立派なお社ですね。
2. Posted by kousuke   2017年06月18日 22:13
しげたかさん。いつもコメントありがとうございます。

観光客でいっぱいのあの伏見稲荷の反対側に大石神社がひっそりあったというのは意外でした。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
ギャラリー
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき
  • 508号系統 醍醐バスターミナル ゆき