上荒田日記

鹿児島市上荒田在住の年金生活者です。

T440 廃仏毀釈に関する講演(栗林文夫)

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先週916日でしたが、西別院で行われた講演の内容を配布されたレジュメの目次項目を並べて報告とします。講演は90分でしたが、レジュメはA4版でぎっしり22ページでした(写真1の左がその表紙)。

 

講演者は、鹿児島県歴史資料センター黎明館の栗林文夫先生。この分野の第一人者です。

 

1 はじめに

「廃仏毀釈」の語義、研究略史、問題の所在

・『鹿児島県史』第3巻(1941年)第4編第6章の内容の吟味が必要

 

2 廃仏毀釈の思想的前提

神仏習合、中世の宗教、廃仏論の隆盛、平田国学の隆盛

島津斉彬と仏教・・史料10点の吟味

 

3 廃仏毀釈の経過

前史、寺院の梵鐘を大砲に、寺院調査、琉球通宝の鋳造、薩英戦争

廃仏稀釈始まる

 経過、廃寺の年代区分、具体的内容、反応

 鹿児島で廃仏毀釈が徹底された理由

 

4 神社の整備

 

5 民間信仰の抑圧

 

6 寺院の復興

 

7 結び

 

参考文献 

 

名越 護「鹿児島藩の廃仏毀釈」(南方新社、2011.写真1の右側)など39件。

 

写真2 新着の「敬天愛人」36号(西郷南洲顕彰会、2018)には、秋吉龍敏「西南戦争後の一向宗開教について」p219-237が掲載されている。


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T439 「かんまちあ」2周年

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JR鹿児島駅(中央駅ではない)の近くにできた「かんまちあ」。

今日2周年記念イベントが行われた。「上町」(かんまち)は、江戸時代に鹿児島の中心だった地域で、鹿児島駅周辺で発展してきた。

 

今日の目的は、ブースを出している相良酒造の自主的?サクラとなることです。

 

冒頭写真は、僚友Kさんと焼酎を飲んでいるところ。

会場で販売されている焼き鳥をつまみに焼酎談義や鹿児島の昔話。

撮影は、相良酒造のWさんです。

 

以下、5枚は私が撮ったものです。

 

JR鹿児島駅周辺。駅は右側、近く改修の予定です。市電終点。

・「かんまちあ」前景。桜島が遠景に。貨物ターミナルも見えます。

・会場風景

・鹿児島中央高校ダンス部(2枚)

 

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T438 自然な最後に逆らう医療

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「文芸春秋」10月号(写真1)で、延命治療「七つの罪」を越えて

 を読んだ。

p278-290

ジャーナリスト森省歩による現場ルポです。(写真2

 

7つとは、

1 口から水が飲めなくなった場合の点滴

2 誤嚥性肺炎の場合の肺炎治療

3 口からものを食べられなくなった場合の胃ろう・中心静脈栄養・経鼻栄養・食事介助

4 がんが治らないとわかった場合のがん治療

5 腎臓の機能が著しく低下した場合の人工透析

6 自発呼吸が困難・不可能になった場合の人工呼吸器による生命維持

7 心臓や呼吸が止まった場合の心肺蘇生措置

 

で、本ルポでは専門の医師を取材して問題点をあげています。

 

父は、千葉県の公立病院でがんのため80歳で亡くなった。人工呼吸器などをしていて、最後は苦しそうでしたが、母は医師の言うとおりにした。

 

母は、その反省から「延命措置無し」を謳う協会に参加したりして備えていた。98歳、自宅で倒れたが近所の医者は入院を勧め2か月の入院の後99歳で亡くなった。

主介護者の姉が病院に延命治療を固く断った。現役の医師である姉の長男(母の孫)も病院へ行ってその旨強く言ったことも幸いした。

 

鹿児島の義母は、療養病床に3年居たが、そこの医師の理解が深く、自力で食事をしていた。亡くなる8か月前に実家付近の有料老人ホームに転居し、近所の理解ある医師の往診を受ける体制をとった。主介護者の妻は、上記7項目すべてを強く断っていた。その最後は平安だったという。

312日付本ブログ記事T219参照ください。


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T437 「善の研究」をめぐる研究の百年とその将来

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西田幾多郎の「善の研究」が1911年に刊行されて100年になるのを記念して2010年に京都大学でシンポジウムが開催された。その記録をもとに「『善の研究』の百年」が2011年出版された(写真1)。

その目次をT435(99)で紹介した。

 

編者の藤田勝正による序章p3-14の内容は、次の通りです。

(写真2は、その冒頭部分)

 

序 この100年の見取り図を示す

1 テキストの理解 「置かれた場に拘束される」

2 「善の研究」の成立史 当初のタイトルは「純粋経験と実在」だった。

3 東洋の思想的伝統の存在 東洋と西洋のはざまで思索する

4 東アジア諸国の哲学研究者 近代の思想家「新儒家」

5 将来 韓国のイ・グアンネのいう「哲学的オーケストラのために」

 ヘーゲルは「哲学史」から東洋を除いた。

 これに対して、メルロポンティは、「哲学の中心はどこにでもあるが、その周辺はどこにもない」と言った。

 

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T436 佐藤一斎と西郷隆盛

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佐藤一斎1772-1859は、江戸中期から末期の儒学者。

西郷隆盛1827-1877と、時代は重なるが2人は会ってはいない。

 

佐藤の弟子格の人としては、

佐久間象山、横井小楠,中村正直、山田方谷が挙げられる。

佐久間象山の教えを受けたものとして、

勝海舟、吉田松陰がある。

山田方谷を慕ったものとして河井継之助が有名。

 

こうしてみると、幕末の志士たちに佐藤一斎は広く知られており、影響を与えた。

 

昨日、佐藤の「言志四録」の岬龍一郎編訳という本(PHP,2005年.写真左)を買った。

本ブログで、
カテゴリ
29を設け、37回にわたり「言志四録」を紹介したのは、

7年前のことで、201110月から12月にかけてのことだった。

この時は、講談社の学術文庫版を手元に置いていた。

 

西郷については、12年前に鹿児島に越してから折に触れ接する機会があったが、2年前に南洲哲学研究会(山城洋一代表)を知り、西郷の生き様を現在の日々の暮らしの中で追うという人々に接し、少し深く西郷を学ぼうとしています。→本ブログカテゴリ902

 

西郷自身は、自らの思想をまとめて述べたりしていないが、維新後に庄内藩の有志からの質問に答えたものが「西郷南洲遺訓」として刊行された。写真右は、岩波文庫版で1939年刊行です。

この「遺訓」の中に「南洲手抄言志録」が収録されている。P27-67

これは、佐藤の4部作「言志四録」全1133項から西郷が選んだ101項です。

 

明治10年、西南の役の終わった924日、西郷はこの「手抄」と橋本左内からの手紙を身に着けていたという。


T435 『善の研究』の百年(京都大学学術出版会、2011)

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「善の研究」は1911年刊行された。2010年にその百周年を記念した国際シンポジウムが行われ、2011年に刊行された。出版会のサイトから目次を抄録します。

順次重要な内容を紹介し、感想を書いて行きます。

 

まえがき[赤松 明彦]
序 章 『善の研究』をめぐる研究の百年とその将来 [藤田 正勝]

第一部 『善の研究』はどういう書物か

第一章 『善の研究』という書物——著者・西田幾多郎の位相 [井上 克人]
第二章 純粋経験と意味 [日高 明]
第三章 経験をめぐって——西田幾多郎の「基礎づけ主義」 [張 政遠]
第四章 『善の研究』における独我論の論駁 [城阪 真治]

第二部 『善の研究』と自由・悪・神の問題

第五章 『善の研究』と後期西田哲学——自由と悪の問題をめぐって [守津 隆]
第六章 西田幾多郎の倫理思想——絶対者の呼声をめぐって [太田 裕信]
第七章 西田「倫理学草案第一」における意志の自由とキャラクター
    ——ヴント、グリーン、ヘフディングの文脈において [中嶋 優太]
第八章 西田の神秘主義と神の概念の変化——晩年の西田宗教哲学への批判 [アンドレーア・レオナルディ]

第三部 西田哲学との対話

第九章 身体と種——西田哲学と田辺哲学 [竹花 洋佑]
第一〇章 京都学派の宗教哲学の一考察——西田哲学と田辺哲学の「逆対応」をめぐって [廖 欽彬]
第一一章 西谷啓治における経験と覚 [満原 健]
第一二章 善と道徳——西田幾多郎と新儒家 [林 永強]
第一三章 西田哲学と牟宗三の仏教的存在論 [朝倉 友海]

第四部 シンポジウム
    『善の研究』はどのような意味をもったか、どのような意味をもつか

第一四章 『善の研究』と西田哲学における失われた場所 [ジェームズ・ハイジック]
第一五章 哲学と神秘の間——海外より見た西田哲学 [遊佐 道子]
第一六章 西田における一性への志向——『善の研究』の宗教哲学的意義 [氣多 雅子]

特別寄稿 西洋哲学と東洋哲学との対話——哲学の中心はどこにもある/ない[李 光来]
まとめと展望 [藤田 正勝]

あとがき[佐藤 昭裕]


T434 郷中教育研究会(仮称)第2回

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今日午後、第2回「郷中教育研究会」(仮称)を、市内上荒田の喫茶店「糸いと」にて開催しました(写真1)。この会は、私が幹事となって83日に第1回の会合を開きました。

 

今日は、県会議員で歴史・文化に詳しい藤崎剛さん(写真中央)がお見えになりご自身が参加されている西田方限のお話を伺いました。

 

この会のテキスト松本彦三郎「郷中教育の研究」(1943年刊。2007年復刻版、尚古集成館。写真2)の芳即正による序文などを輪読してきました。

 

明治11年現在の薬師町内に「自彊学舎」が作られた。その経緯と現状を、明治100年を記念して作成された報告書をもとにお聞きした。(写真3は、今日配布のレジュメ)

 

明治初期に作られた「学舎」は、現在も9個が残されていて、その現状が南日本新聞(2018213日付、18面。写真4)に報告されています。

 

公教育の行き詰まりが報じられている今日、鹿児島に近世以前から長い伝統をもつ「郷中教育」の歴史を学んで現代に生かす方途を探りたい。

 

924日午後、宝山ホールで行われる「第2回西郷隆盛偉人祭」では、郷中教育の現代版の提案がされます(写真5は、その入場券)。


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T433 9月24日・宝山ホール

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鹿児島市内にお住みの皆さん、

924日は西郷隆盛の命日で例年さまざまなイベントが行われています。

宝山ホールで午後行われる「西郷南洲偉人祭」へお出かけください。

入場券は2000円ですが、山形屋5階のプレイガイドにて1500円で売っています(写真1)。

 

【時代】

私は昭和16年生まれで、親の世代は青春を戦争にささげて多くの身内を失った。

義父は戦地で病を得て帰国、故郷鹿児島で亡くなった。

私の若い時代は、高度成長期でこれは災害の少なかった時代でもあります。

長く平安な時代に生きて来た。

しかし、現在は、うち続く天変地異、人口の減少、政治の低迷、国際社会での居場所の不明と不安な時代の到来を予感させます。

 

【処世訓】

写真24冊。左の1冊は、妻が買い、あとの3冊は私が若い人から聞いて買いました。

本屋には、このような書物が沢山並んでいます。

昔は、周りの年寄りや親たちが言っていたことが書かれています。

これらの本は、ただ読むだけでは身に付きません。「心の専門家」というべき先達の指導を得て話し合えば効果が期待できると思います。

 

【哲学の復権】

西田幾多郎の「善の研究」は、1911年に京都帝大の講義録をもとに出版された。この難解な本に立ち向かおうとしたのは、「日本の在り方」に関する透徹した思考が西郷の思想ともつながると知ったからです。身の周りには良き先達が居ないので関連の書物を繰り返し読んで理解したい(写真3)。

 

【西郷を知る異議】

鹿児島には、小学校の門に「まけるな、嘘をつくな、弱い者いじめするな」と書かれている。万巻の書を読むよりこれだけ実行できれば、個人も社会もなんとかやって行けるのでは?

長く地域に伝わってきた知恵を西郷は「遺訓」のなかで答えて居ます(写真4)。

 

924日、宝山ホールで、鹿児島の人々の暮らしに人生に西郷の生き様が伝えられてきたことを実感されるでしょう。

私もスタッフの末席で皆様をお迎えします。


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T432 藤田正勝により西田幾多郎を学ぶ(その1)

西田幾多郎の主著「善の研究」に向かおうとして、藤田正勝の

書「西田幾多郎―生きること哲学」(岩波新書、2007)を読んだ。

 

全部で10章ありますが、再読しながら、順次その内容をメモします。

序章は、p1-13まで。

 

明治時代、西欧化の流れの中で若い人々が希求していたこと。

倉田百三(文学)、新渡戸稲造(宗教)などの例を挙げています。

 

西田は、「人は生きるために哲学を要する」(藤田、p5)と書いている。

 

1902年、当時渡米していた友人の鈴木大拙宛の手紙で、

西洋の思考を指して「パンや水の成分を分析し説明したるものあれども、パンや水の味を説くものなし」と書いている(p7)。

 

「哲学の動機は驚きではなくして深い人生の悲哀でなければならない」(p7)。

 

1920年、長男を失った時の歌:

「死にし子の夢よりさめし東雲の窓はほの暗くみぞれするらし」(p8)。

 

「内的生命の自覚なくして哲学というべきものはない・・行為的自己の悩み、そこにこそ哲学の真の動機がある」(p9)。

 

倉田百三は、西田と会い「淋しい深い秋の海のような哲学者」になって欲しいと書いた(p11)。

西田は、金沢や鎌倉の海を好んだ。

私自身も岩瀬浜(富山市)、松任(日本海)、岸良(肝付町)などの海を思い出す。

 

西田哲学は「人生論」ではなくさまざまな可能性を持っている(p13)。

 

(その2)は、第1章「西田幾多郎という人」で伝記的な説明です。p16-36


T431 藤田正勝「西田幾多郎―生きることと哲学」を読む

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藤田正勝「西田幾多郎―生きることと哲学」(岩波新書、2007)を読みました。

 

西郷隆盛の思想とアジアに関して読んでいた中島岳志「アジア主義」(潮文庫、2017)で、

岡倉天心、南方熊楠、柳宗悦、鈴木大拙にならんで西田幾多郎が挙げられていた(同書p577)。

私は、30代と60代の2回、西田が学んだ金沢に住んでいたが、当時西田の生まれた宇ノ気の記念館を訪問はしたがその著作「善の研究」を手に取ることは無かった。

 

「善の研究」(1911)は、とても難しく、文庫本の解説(藤田正勝)が分かりやすかったので、本書を買ったのです。(本ブログT427 827日付)

 

本書の見出しは、次の通りです。

 

序章 生きることと哲学
1章 西田幾多郎という人悲哀を貫く意志
2章 根源に向かって純粋経験
3章 生命の表現芸術
4章 論理化をめざして場所
5章 批判を超えて世界と歴史
6章 具体性の思索行為と身体
7章 真の自己へ宗教
8章 東洋と西洋のはざま新たな創造に向かって
終章 西田哲学の位置と可能性

 

「善の研究」は、京都帝大での講義録ですが、その構成は、

1編 純粋経験

2編 実在

3編 善

4章 宗教

となっています。

 

新書の序章・第1章・終章を読むことで西田哲学を概観して、私は第8章を先に読んだ。

東洋と西洋の単純な対置ではなく、「自己と世界との全関連を把握する論理の構築」を意図したという(同書。p179)。

2章から第7章までは、「善の研究」に即して展開しています。

いよいよ「善の研究」に向かいますが、並行して本書を読み直さねばと思います。

 

そのうえで、西郷思想の現代的な意義や

「心学」として展開している円純庵の教えとの接点も探りたい。


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