T186 河俣政幹  

河俣政幹1850-1928は、鹿児島県高山町〈現在は、肝付町〉に幕末から明治の激動期を生きた。

 

私の妻古瀬〈旧姓日高)マル1942- の父方の祖母の父に相当します。

今回、政幹の孫にあたる河俣栄子さんから資料をお借りしたので、記録にとどめます。

 

以下、写真を6枚アップします。

 

1 河俣家は、江戸時代、高山郷では日高家(妻の実家)に次ぐ石高の家で、主にこの地域の警察機能を担っていたという。写真は、秀村選三九州大学名誉教授の「幕末期薩摩藩の農業と社会」(創文社、2004p65に掲載されている石高表です。

1番下に、日高家318石,河俣家156石とあります。

 

2 幕末から明治にかけて、高山郷でも動きがあった。

「高山郷土誌」(高山町、1966年版)p371には、「河俣嘉一郎」が西南戦争への参加を呼び掛けたとある。嘉一郎は、政幹の兄である。

 

3及び4 政幹が、戊辰戦争に従軍した時の日記を活字にしたもの。表紙と、冒頭部分。

日高吾平校注。原文が関連資料とともに栄子宅に保管されている。

 

5及び6 明治になって、典獄(刑務所長)をしていた時の日記。表紙と、内容の例示。もとになった文書が栄子宅に保管されている。

 

大隅史談会の年報「大隅」には、政幹の孫である日高幹子による投稿が掲載されているが、その概要を私の旧ブログ「薩摩藩高山郷」で紹介しています(K0389  201111月)。

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T185 島津氏に敗れた人達

1119日午後、高山歴史研究会は肝付町塚崎にある供養塔と墓の清掃をしました。

この研究会は、20135月に第1回を開き、通算19回目になります。文化センターなどで研究発表をしていますが、今回は、墓の清掃・整備をしたのです。

 

2か所の整備・清掃を行いました。

 

スポット1は、肝付兼弘の供養塔です。4代兼員(かねかず)の3男。

この供養塔は,正徳5年〈1715年〉に建てられている。

場所は、16世紀に島津氏と肝付氏との激しい戦いがあった野崎城(塚崎城)の跡地です。

 

スポット2は、垂水を治めていた伊地知重興の墓です。

肝付・伊地知・根占の連合軍と島津との戦いで連合軍は敗れた(1580年)。

 

伊地知の墓は垂水にはなく、娘が肝付家に嫁に来ていた関係でここにあると考えられる。

長く放置されたままであったが、海ヶ倉善道氏による20年に及ぶ発掘・整備作業により今日の姿となった。

 

以上の2か所については、きもつき情報局のサイトが海ヶ倉氏の現場解説を収録しています。

 

肝付兼弘の供養塔

 

伊地知重興の墓

 

以下、写真を4枚。

 

1 スポット1での集合写真

2 スポット2での集合写真

3 スポット2へのアプローチの草取りをする女性軍

4 作業終了後の反省会

5 「大隅」57号(大隅史談会、2014年)の竹之井敏稿冒頭部分。

 
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T184 知的好奇心は時空を超えて  

6コマの写真で:

 

・高校卒業までを過ごした富山平野。3000メートル級の立山連峰を望む。

 

30代を過ごした石川県金沢市。石川県庁で観光や伝統産業の振興を担当した。

 

40代を過ごした西ドイツの首都ボン。3年間日本大使館員として勤務。

 

65歳で、鹿児島に越す。鹿児島市内上荒田に住む(ブログタイトルの由来です)。

鹿児島大学などへの留学生と触れる機会があった。

 

・留学生への日本語クラス開講。

彼ら彼女らは、母国であるいは鹿児島の日本語学校などで初歩の日本語は学んでいます。

そこで、「中級」あるいは「上級」を目指したクラスを友人たちと運営中です。

 

・鹿児島の過去を知る

写真は、妻の実家の武家門です。2013年修復した。その折に、「安永6年」(1777年)の墨書を発見した。島津重豪の時代。江戸では田沼意次。小説の世界では「剣客商売」(池波正太郎)の時代です。

 

子どもの頃から、好奇心が強かったが、以上のような遍路を経て、75歳を過ぎた今、時や場所を超えた人物像・社会像への関心に収斂しつつあります。

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T183 「入来文書」を原文(英語)で読む

昨日1026日、鹿児島大学教育学部の「日本史演習」で「入来文書」のことを聞いた。

生涯学習の一環として学部生のなかに入って聞いています。

 

先生は、この入来文書(朝河貫一により1929年英文で公表。のちに邦訳された)を評価されながらもご自身は英語が苦手?なので(原文は)読んでいない・・という趣旨の発言をされた。

 

今日、試みに英語で検索してみると、東大史料編纂所のサイトで、英文の全文をネットにて無料で読めることがわかった。

 

The Documents of Iriki

 

75歳。人生の残り時間の楽しみ方は、鹿児島で知った日本の歴史や文化の深さを国際用語である英語で読む・・・ということにあります。この入来文書の原典と共に手元にあるもの5点を挙げておきます。

 

・ライシャワーの日本論。1977年刊行ですが1994年に改定版がだされた。第2章に歴史。

・テープ付き日本史 2015年。歴史の専門家ではないアメリカ人による解説。100話。

・伊部英男による「開国」の英訳。1992アメリカ刊。伊部さんは私の後半生の恩師です(故人)。

・小説です。2011年。西郷をモデルとしている。

・エッセイです。1999年。イギリスの詩人による能登半島の曽良という小集落での日々。

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T182 進駐軍上陸地の碑(金浜海岸)

1016日昼前、錦江湾沿いの海岸道路に「進駐軍上陸地」の碑を見つけた。

 

うっかりすると見過ごしてしまいます。

昭和20815日、敗戦。

830日マーカーサーが厚木基地に降り立った写真は教科書にも出てきます。

92日ミズーリ艦上での降伏文書調印を経て

 

94日、錦江湾の金浜海岸に米軍が本土に初めて進駐したことは忘れられています。

 

写真を6枚アップします。

 

1 碑の前で私。

2 碑文

3 短歌が彫られています。

4 その下の金浜海岸

5 鹿屋方面から南下するときは、68号線で荒平天神を通過して数キロです。

6 根占方面から北上するときは、高須交番から2~3キロです。

 

すでにネットでは多くの見聞録・写真集がアップされています。

代表的なものを2点リンクします。

高須金浜海岸

鴨着く島 2007年

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T181 西郷南洲翁宿所跡(南大隅町)【写真】

去る日曜日1016日、南大隅町に西郷南洲翁の宿所跡を訪ねた(T179)。

 

以下に、写真を3枚、関連年表をアップします。

 

1 宿所の全貌

2 説明書

3 中に入る。

 

4 小説西郷隆盛年譜 p67

 に、明治10年(1877年)120日ごろ、大隅小根占に猟に行くとある。

21日、私学校党弾薬略奪事件を急報する。

2日、鹿児島に帰る。

とあります。

5 年譜の表紙

6 奥書、平成4年(1992)刊。薄い本ですが、古書店で1000円だった。

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T180 肝付の流鏑馬

鹿児島県肝付町の旧高山町地区で長く続いている流鏑馬をみました。

 

今日14時から15時まで。

高山町の「四十九ヶ所神社」前の300メートルの馬場で行われた。

 

1回の試技では3つの矢を射ますが、その間約30秒。

3回走るので合計90秒の緊張と約1時間の準備の諸手順。そのコントラストがすごい。

 

以下、5枚の写真で、ポイントを。

 

1 四十九ヶ所神社の境内

2 境内から馬場を見る。14時ちょうど、神主を先頭に射手らが到着します。

3 「一の矢」付近の見物客。

4 今年の射手。高山中学2年の近藤君。

5 清めの塩をまく射手のお父さん。最後の清めの時には万雷の拍手が送られます。

 

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T179 根占から鹿屋へ

今日の目的は、高山の流鏑馬ですが、私自身今回で4回目でもあり、流鏑馬の開始は14時ですので、普段はバスでの移動なので、今日は、根占港から鹿屋あたりでかねて行きたかったところ、途中で思いついたところへ行きました。

 

以下、写真を5葉。

 

1 西郷さんが西南戦争直前に休んでいたところ。根占。

2 昭和209月、敗戦後、本土への初めての進駐軍が上陸したところ。

うっかりすると通過してしまいます。高須海岸と荒平天神との間です。

3 無農薬の栽培。「ダマスクスの風」にて。

4 鹿屋市の鳴の尾牧場。

5 鹿屋国立体育大学前の「アスリート食堂」にて、私の選択。850円。

 
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T178 錦江湾の両岸を行く

今日は、朝6時に鹿児島市内を出て、友人のMさんの車で山川まで南下し、そこからフェリーで対岸の大隅半島根占へ渡った。約50分。

 

鹿屋を経由して、肝付町の流鏑馬を見る。

 

その後、北上して、岩川を経由して、加治木で夕食。

19時過ぎに帰着しました。フェリーの海路を除き走行距離は約250キロでした。

 

昼過ぎ、妻の実家で1時間ほど休憩した。

 

大隅半島南部の訪問スポットについては、次項T179で触れ、

流鏑馬についてはT180をご覧ください。

 

本記事では、以下の5枚です。

 

1 朝620分頃、平川あたりで対岸を望む。高隅山か国見山か?

2 720分頃、山川港に着く。

3 山川港でフェリーをバックに。

4 根占港への海路。開聞岳を望む。遠く桜島も天気が良ければ望めたでしょう。

5 18時過ぎ、帰途。錦江湾へ陽が沈んだ。桜島も見えます。

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T177 ウバイド人から日本人へ

最近、落合莞爾の歴史シリーズを読み、日本人の起源を考えていますが、シュメル文化の研究者小林登志子の本を読み、シュメルの前身であるウバイド人から日本人への道がつながった。

 

1 岡田・小林の著、2008年。

2 その冒頭年表部分。

3 本文冒頭。P2

 

1 落合莞爾「天皇とワンワールド」2015 表紙

2 目次(第2章部分)

3 第2章の冒頭部分

 

落合莞爾の短い解説がYoutubeにありました。

落合莞爾

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