T172 南浦文之の生涯

今日9月28日、「薩摩史ゼミ(第5回)」で、私が発表したもの。配布資料から。

南浦文之(なんぽ・ぶんし)の生涯

 

1555-1620

 

日南市南郷町外浦(とのうら)に生まれる。

父は大阪、母は串間市福島の人。6歳まで外浦に暮らす。

 

6歳 延命寺(現在・西明寺。南郷町目井津)に預けられる。

師匠は、天沢(てんたく)和尚。

13歳 龍源寺(串間市市木中学校付近)へ。一翁和尚(桂庵玄樹の弟子)。

外浦港に近い。玄昌と名乗る。

一翁和尚は、文之の詩を京都五山相国寺仁如に届けた。仁如から「文之」(雅号)を授かる。

 

龍源寺で、中国の儒学者黄友賢(こうゆうけん)から中国語・朱子学を学ぶ。

 

15歳 京都五山東福寺(島津家の檀那寺)へ。11年間。この間の資料は少ない。

 

26歳(1580年) 龍源寺に戻る。翌年住持(じゅうし)となる。

義久・義弘・家久に仕えた。

 

1588 島津領の寺へ(加治木の安国寺か国分の正興寺)

1592 (文之38) 母亡くなる。

1594 義弘に従い、東福寺で「大学」の講義を行った。

 

1603 家康と会う。宇喜多秀家の助命(副使)として。

 

「文之点」の創始

「鉄砲記」

泊如竹による南浦文集の編纂。

 

1611 家久、大龍寺を創建し、文之を開祖とする。

1620 大龍寺から正興寺へ行く途中、安国寺で倒れる。66歳。


参考資料
写真1
「南浦文之和尚の生涯」(2010、「ぐりとぐら」刊)より。鹿児島大学図書館で借りたものをコピーした。
写真2 森慶造「南浦文之和尚」(1918)鹿児島県立図書館で館内貸し出し主要ページを写真で。
写真3 文之「鉄砲記」(鹿児島大学図書館で開催中の「玉里文庫善本展」説明資料p4から。

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T171 日本語クラス(月曜クラス)

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【中級日本語クラス】

鹿児島には、鹿児島大学や鹿児島国際大学・志學館大学など各大学への留学生、日本語学校への留学生など、日本語を学んでいる外国人が多い。各大学や日本語学校では、日本語教育の専門家によって、発音・文法をはじめとする日本語の初歩的な講義が行われています。

通学・買い物などの日常会話はこなせます。講義自体は医学部のように日本人を含めて英語で行われたりしています。

 

私が、自主的な日本語クラスを始めたのは、自分が40歳の頃、ドイツに赴任して、初歩のドイツ語が出来ても、それ以上は英語で済ますことが多く、話したり聞いたりする能力は向上しなかった。基本的には、「読解」で仕事をしていた。

初歩を終えてもう少し話せたらというレベルの場があれば、という体験から発想したのです。

 

金曜夜のクラスは、現在1名ですが、アフリカから鹿児島大学水産学部の博士課程に進学している人です。これまで37週終えています。

今夜の月曜クラスは、現在2名。アメリカから鹿児島県立高校の英語の助手として赴任している人と、ベトナムから短大に学んでいる人です。

 

時間は、夕刻の60分です。

場所は、私が住む近所の喫茶店です。

費用は、無料で、私の友人はボランティア参加してもらっています。

コーヒー代を私が工面しています。

 

【夏休み明け】

今日は、月曜クラスの第15週でした。

2人とも母国に夏休みで帰っていたので、久しぶりでした。

 

最初の30分を、夏休みをテーマにおしゃべりした。

後半をいつものようにテキストを音読・コメントするやり方です。友人のTさんが詳しく準備してきますが、日本人側3人が話し合いながら説明すします。

 

写真は、今日の教室風景から6枚。

写真3は、アメリカからサボテンのお菓子。

写真4と5は、テキスト。
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T170 落花生の収穫

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今日924日、妻が実家(肝付町)の庭の一角に植えていた落花生を収穫しました。

私も手伝いにというより、写真班で行きました。

 

冒頭は採れたもの。今年で4年目ですが、今年の出来は悪いという。

 

写真1 狭いスペースで。採る前。

写真2 採ったあと。

写真3 採ったものから作業。

写真4 続き。

写真5 早速、茹でて食べました。
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T169 未成年の安楽死適用第1号(ベルギー)

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私は、40歳の頃、ドイツに3年滞在した関係で「ドイツの介護保険」などの論文を書いたりしました。今は、「ドイツの社会政策」を専門的に深く研究している若い人も多いので詳しくは後輩たちに譲ります。

認知症予防のために、ネットでドイツの新聞などのサイトを読んで日本のことや社会政策(医療・介護・住宅・教育・環境など)についての動向記事を音読しています。

 

今日ご紹介するのは、

隣国のベルギーで、「未成年への安楽死」が2014年に法律を施行して以来初めての例が公表されたという記事です。

 

ベルギーでは、成人に対する「安楽死」法はすでに2002年から始まっています。2014年に大議論の末、17歳以下の未成年にも適用する法律が成立した。先週末、その第1号の適用があった旨公表された。

 

この記事は、FAZ(フランクフルト・アル・ゲマイネ。ドイツ語)に拠ります。

 

このベルギー2014年法については、兵庫大学の牧田満知子教授の研究論文が公表されています(2015,大阪大学医学研究科)。

 

記事では、

前半で宗教関係の3氏(バチカン、イタリア、ベルギー)とドイツの患者団体の意見を紹介し、後半で立法経過を整理しています。

 

冒頭の写真は、「安楽死(自殺ほう助)セット」というべきもので、ベルギーの250薬局にあるという。

 

1号は、幼い子供ではなく、17歳で病状は末期だった。この事例に近いものは現在のところないという。

司教会議などの宗教団体は、法制定時の議論である「人間の尊厳」を繰り返しています。患者団体では、ドイツでも取り組むべきだという意見を述べている。

 

*末尾の写真は、ネットの記事を拡大印刷して読んだことをアップした。
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T168 福祉の思想

高齢者の介護や障害者の福祉など、悲惨な現状が伝えられます。金銭的な視点や制度面での議論が多いですが「福祉の思想」といった面で考えてみる必要がありはしませんか?

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加賀藩は、江戸時代百万石を誇りましたが、その5代前田綱紀1643-1724の人物論を読んでいます。「百工比照」や「天下の書府」で知られる通り、工芸や学問での成果が伝わっています。1670年、「非人授産」として、金沢笠舞の地にいまでいう授産施設を設けています。ただ保護するのでなく、いろいろな芸を教えた。刀工清光などが有名です。P93



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私は、30歳の頃と60歳の頃に金沢に住んだので、鹿児島と金沢を比べます。幕末の藩主島津斉彬は名君として名高い。治世は1851-1858と短いですが、産業面での実績が知られている。明治になって市来四郎が編述した言行録では、末尾の五巻P203で、軍事や産業が大事なのは領民の一人一人の暮らしが大事だからだという趣旨の発言を亡くなる直前に話しています。



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鹿児島にきて「鹿児島医療介護塾」という医療・介護・福祉の現場の若い人の学ぶグループに参加しています。大田区の「みまーも」、宮崎の「かあさんの家」、新宿区から全国展開している「暮らしの保健室」など、全国の先進的な取り組みを学んできました。メンバーである森田洋之さんが藤沢の「あおいけあ」加藤忠相さんと書いた本を読むと、この実践が全国に及べばいいのだ、とすら思います。南日本ヘルスリサーチラボ20168月刊。

 

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このように、歴史的に、また現代の実践例をみると、お金を配ったり、制度を作るだけでなく「社会における福祉の重み」といった思想面での強さこそ重要では?と思われます。

その点で、最近読んでいる落合莞爾の秘史シリーズは示唆に富む。

201510月刊「天皇とワンワールド」P363-372には、聖徳太子の頃の悲田院・施薬院の国際性を知ることができます。


T167 2017年手帳を買う

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昨日、来年の手帳を買いました。毎年同じ「能率手帳」の一番簡単なものです。

商品番号1111です。他に沢山の種類が並んでいました。

挿入されている住所録は使いません。

定年になって定期的な仕事が無くなったいまこそ手帳が頼りです。

暗証番号の類を書き写します。

 

写真2 中を開いてみます。30分刻みで予定を入れることができます。

12月から入っています。10月から2か月準備して、12月から17年版を使います。

毎年、違いはありませんがFBFBさんの企画で手帳の準備のことを知り、記事にしています。iPadの日程欄を使ったこともありますが、結局この「能率手帳」に戻りました。

 

写真3 2016年版、先週のページから記載例です。

1日終わると、斜線を入れることを誰かから教わった。

左肩の4桁の数字は、FBFの数です。私からのリクエストは少なく一進一退なのはブロックしてくる方もいるからですね。

右側の小さいメモは、いわば「懸案事項リスト」で、ほぼ毎日更新して手帳の裏表紙に挟みます。

 

写真4 過去4年分。13年の下の方は4月はじまりです。長く教員をしてきたので、1月からでなく4月手帳が使いやすいのです。忙しいころは、10月手帳も使った。

 

写真5 左から、鹿児島県民手帳、戦国手帳、幕末手帳です。

参考にすることはありますが、普段使いません。「歴史手帳」を愛用していた時期もあります。

 

写真6 日記。10年日記を8年間使った時代もありました。現在のものは20155月母が亡くなったのと、定年記念にもらった万年筆を使うというので始めたのです。Facebookに書けないこととか。現在は、その万年筆が不調で一休み中です。写真は、冒頭部分。

 
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T166 丸山先生とのすれ違い

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丸山眞男先生(1914-1996)は、戦後の政治思想史研究を代表する学者です(写真1は、画像検索)。昨日920日、先生没後20年を記念したゼミ生の文集が送られてきた(写真2)。

 

私が、東大法学部の進学課程である文科1類に入学したのは1961年、実に55年前です。

当時の多くの学生が読んでいた「現代政治の思想と行動」(未来社)を読書会なども含めてよく読み、友人たちと議論した。

 

3年次に専門課程に進学するとき、ゼミの選択を当初は丸山ゼミにしていた。この文集を見るとリポートの提出などハードルは高かったという。

 

問題は、冒頭に「すれ違い」と書いたように、私がゼミとして単位を修得したのは労働法のゼミであって、丸山先生ではなかったのです。丸山ゼミの最初の日に、20人近くの同期生と座って先生を待っていたことは覚えていますが、その時間内に退出して教務課へゼミの変更の手続きをした。

そのときの理由や心情は今となっては思い出せませんが、当初「渋沢栄一の経済思想」といった研究テーマを用意して臨んだことは覚えています。

 

4年次の秋学期に開講されていた「東洋政治思想史」の講義を聞き単位をとっています。

 

その後、卒業して(当時の)厚生省に入り、20年の公務員生活を経て、その体験を踏まえた科目を担当しながら30年間大学に籍を置いた。「社会保障論」「老人福祉論」「国際福祉論」「社会福祉概論」などを受け持った。

 

丸山ゼミからはどういうわけか、ゼミ名簿などが送られてきて、その都度お断りしたり・無視したりしてきたのですが、今度は、私自身も年金生活となり、私の年齢に近い人たちが37人も先生を偲びながら、それぞれの人生と現在の社会・政治に思いをはせていて自分に引き寄せて読みました。

 

37人の中には、語学クラスの同級生や友人も含まれていて、彼らの激動の人生に比べれば私などは平安な余生だと実感しています。
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T165 夕方の買い物

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紫玉ねぎ。

紫にはアントシアニンを含むので

抗酸化作用が強いという。

我が家では毎朝のサラダに不可欠ですが

近所のスーパーでは売っていません。

 

そこで、鹿児島中央駅近くの朝市の一角の八百屋へ行く。

5個入り、386円でした。

 

以下、夕方のお買い物で撮った5枚。

 
2 紫玉ねぎを買った店。建物は古いが品揃えが豊富でお客さんが多い。

 

3 買い物を終えて、鹿児島中央駅ビルの方へ自分の買い物に。

 

4 自分の用を終えて、駅前広場を通過。空が怪しくなり、玉ねぎも重いので帰りは市電で。170円ですが「敬老パス」で50円です。

 

5 マンションの最寄り駅は3つ目ですが、1つ先の「車庫前」で降ります。

空の電車のようですが、数名のスタッフが乗っています。点数をつけているような感じは訓練中か。短い距離を走って停まった。

 

6 車庫を右手に見ながら小公園を通過すると、鹿児島大学農学部。

土の上を歩く。田圃の穂も重く垂れています。台風は大丈夫だったのですね。水が落としてあるので刈り入れが近いか。

 

人づてで上荒田町会の方が本ブログをお読みだという。嬉しかったです。

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T164 大隅の前方後円墳

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台風16号が上陸したのは、鹿児島県の地図では右側の大隅半島でした。

 

私の専門は、法律で、その専門によりながら社会福祉や社会保障をテーマにしてきました。75歳の現在は、教育も研究もしていませんが、10年前に義母の介護のために東京から鹿児島に越してきてずっと抱いてきたテーマは、「それぞれの地方に固有の文化があって、昔はそれほど東京中心でなかったのでは?」ということです。

 

冒頭の写真は、大隅半島の肝付町にある塚崎の大楠です。

この地域には、前方後円墳が5基、円墳が38基、横穴墓が19基あり、1号古墳はこの大楠の下にあります。

 

冒頭の写真は、201110月に私が撮ったものですが、「塚崎古墳」については、「きもつき情報局」サイト写真付きの解説記事(2013.7.23)をアップしていますので、リンクします。

 
塚崎の前方後円墳

写真2 は、同じ大隅半島の横瀬古墳です。20135月に私が撮ったものです。

 

写真3 大隅地方の歴史を研究してきた「大隅史談会」は毎年年報を刊行しています。第58号(2015)の表紙は、塚崎古墳の航空写真を掲載しています。

59号(2016)では、西都原古墳群(宮崎県)の写真を表紙に掲載し、巻末に宮崎大学名誉教授柳澤一男先生の「南九州古墳文化の展開」(大崎町での講演記録)が掲載されています。P193-203.

 

写真4は、上記柳澤論文に掲載されている古墳地図です。P195. 21-27に大隅半島の古墳群。

 

写真5は、柳澤論文P199の年代比較。左側の塚崎古墳が3世紀と一番古いことに注目ください。

 

写真6は、廣瀬和雄2010, 長野正孝2015, 森下章司2016です。大隅の古墳のことはどの本にも書かれてはいませんが、これらの本に書かれたことを胸にもう一度大隅の古墳を歩いてみます。
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T163 本格書と向き合う

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75歳やがて6か月。

社会人の後半30年は大学に籍を置いていたので本を読むことは仕事ともいえました。

いまは、すべての仕事や義務のない日々ですが、仕事してではなく残りの人生をかけて読むべきものに限定しています。

 

現在取り組んでいるのは、落合莞爾のシリーズで手元には11巻揃えています(冒頭写真)。

氏によれば、「3回読んでから論評して欲しい」とのこと。

最新刊を含め、ようやく11巻読了し、いまは2回目にかかったとところです。

 

初めて本シリーズに遭遇したのは、

「日本教の聖者西郷隆盛と天皇制社会主義」(20155月)でした。キーワードは「西郷隆盛」ですね。

それから、最新刊はこの8月刊行された「ワンワールドと明治日本」です。(写真2

 

このような本格書に取り組む時には、自分の経験や記憶との接点を見出すのがとりつきやすいです。

そこで、再読中の「天皇とワンワールド」(201510月刊。写真3)を例に、文中で遭遇した人物と私の接点?を挙げて見ます。(写真4~6.いずれも画像検索です)

 

P110に、鈴木大拙がでてきます。30代の頃石川県庁勤務でしたが、官舎と県庁との通勤路の本多町に「大拙誕生地」の碑があった。去年、北陸新幹線で金沢に行き、その場所に建てられた大拙記念館を訪問しました。(写真4

 

P128に、松方正義がでてきます。私の住む鹿児島市上荒田から歩いて15分ほどの甲突川沿いに大きな像が立っています。つい先日行ってきました。(写真5

 

P353に、鑑真が出てきます。鹿児島市内からは大分離れた薩摩半島の鑑真が上陸した坊津に記念館があります。10年前に鹿児島に越してかなり早い段階に友人の車で行きました。

 

このようにして、本書を75年の過ぎ去りし日々を重ねながら読み進めています。本格的な紹介や論評は、「11巻を3回読み終えてから」書きます。(全巻密接に関連しています)

 

著者の落合氏は、1941年生まれ、つまり同い年です。
大学では1年後輩(私は1浪しているので)

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