T209 元禄5年高野山の僧侶150人が佐多辺塚へ

今日6月19日、伊敷歴史研究会の6月例会が下伊敷の鹿児島県青年会館で行われた。
今日のテーマは、 元禄5年(1692年)、高野山の僧侶が佐多の辺塚へ流されたという話題でした。
発表は、会長の池田純氏です。
このテーマは、池田さんが南九州石塔研究会に発表されたのが初めてだという。
これを聞いた故神田三男氏の資料の他、「佐多町誌」(1973)、「佐多岬」(野田千尋、1966)の関係部分の紹介が口火です。

文献資料として、
「鹿児島市史」Ⅲ「古記」中に記述がある。
「鹿児島県史料集」25 三州御治世要覧 「年代記」に、 元禄7年5月、高野山の僧侶150人ほどが、鹿児島市内の中村へ置かれ、のちに佐多辺塚へ移された。8年後の元禄13年に許されて帰った。・・・とあります。

文献的にわかるのはこれだけですが、和歌山県側の資料や高野山の関係資料から、島津藩の関り、僧の階層、高野山の歴史などに及んだ。

写真1 休憩時間中の会場。出席は40名という。
写真2 レジュメ 4ページに及ぶ。
写真3 宮本常一の「大隅半島民俗採訪録」(未来社、1995)に、宮本が、昭和37年(1962)に辺塚を訪問し、この話題に言及していることを思い出した。(p157-8)

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T208 「花神」を読む

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司馬遼太郎「花神」(1972年)全4巻を読んだ。長州の大村益次郎の伝記です。

 

司馬の歴史小説はだいぶ読みましたが、この人の西郷隆盛像には明治以降の西郷を十分評価していないように感じてあまり好きな作家とは言えなかった。西郷の晩年については、江藤淳「完本・南洲残影」(2016年)の方がピタリときます。

 

鹿児島に越して12年目、幕末の歴史は薩摩藩からの視点で読んできました。

本書は、長州から見たみた明治維新であり、そのなかでも政治史で評価されている木戸孝允ではなく軍部担当の大村益次郎を主人公としています。

 

本書を手にしたのは、

歴史家の磯田道史による「司馬遼太郎で学び日本史」(NHK出版新書、2017)を読んでいて、「・・司馬遼太郎全作品のなかでこの作品こそが最高傑作である、と思っている」p64とあったからです。

幸い、いきつけの古書店「あづさ書房」に各巻280円で4巻揃っていた。古書店の主人も「これは読み始めたらやめられませんよ」といわれた。

 

小説を読むのにインデックスを貼りながら読んだ。

読了後、それらの中から幾つかを選んで紹介しつつ感想とします。

数字は、巻数及びページ数です。

 

2-257 大村(旧姓では、村田蔵六)は、桂小五郎(のちの木戸孝允)

に高く評価された。

 

4-236 維新後の石高を並べてみると、

西郷2000

木戸孝允・大久保利通1800

に次いで、大村1500石だった。

小松帯刀・後藤象二郎1000

板垣 800

山県 600

と続く。いかに大村が評価されたかがわかる。

 

3-180 大村は自らを「翻訳者」と規定していた。

4-228 直観力に優れていた。

 

3-138 随所に豆腐をサカナに酒2合を晩酌したことがでてくる。

3-184 この世にいるのは、「一時の方便」(仮の姿)だとしていた。

 

2-328 シーボルトの娘イネだけが彼を理解した。よく話し合い手だった。

他方で、妻のお琴との関係は寂しいものがあった。ほとんど一緒に住む期間は無かった。

 

維新史を飾る人々の司馬遼太郎的な評価が面白い。

4-13 西郷の気配り。

2-174 三条実美は、区役所の係長レベルの人物

2-25 福沢諭吉との対比

 

4-50 明治初年の段階でのちの西南戦争を予言し、対応策を講じていた。

4-70 幕末と応仁の乱との相似。

(「応仁の乱」をテーマとする本がベストセラーとなる現代と重なります)

 

大村のことをもっと知りたくて本屋で探したが木村紀八郎による伝記(2010)しかなかった。作者は、防衛大学卒業の軍人です。

 

タイトルの「花神」は、中国語で、日本で言う「花咲爺」だという。

 

薩摩藩と西郷隆盛を軸に幕末を読んできたこの10年余ですが、本書によってより立体的な理解ができたと思います。先に、河井継之助をテーマとした司馬の「峠」を読みましたが、河井と共に大村は維新史の隠れたる礎石だと思った。

 

以下、

大村の肖像画と靖国神社境内にある大村の銅像を画像検索から。

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T207 どげんかせんといかん!

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昨日530日、1730-1900まで、鹿児島市内中郡のディサービス・おた福にて、小齊平智久医師の講演会が開かれた。

 

小齊平さんは、3月まで義母(来月99歳。認知症)の主治医だった。「鹿児島医療介護塾」のメンバーとしても何度かお話を聞いています。

 

昨夜は、

この4月からオープンした「かごしま地域見守りネットワーク/みま~も・かごしま」の活動の一環として行われた。中郡地域の皆さんをはじめ、ディサービス・おた福の利用者を中心に鹿児島医療介護塾メンバーを含め50人以上が参加しました。

 

主催者側や小齊平先生のFBページやタイムラインにもアップされるでしょうが、私が受けとめた内容を記録します。

講演会終了後、20時ごろから22時過ぎまでの懇親会には20名以上が参加して医療・介護をめぐって情報や意見の交換が行われた。

 

小齊平先生の講演は、4つの段階に分けられる。

 

【1】  患者は幸せか?

との問いを受けて、Aさんの胃ろうを抜いたドキュメント。NHKで放映された番組のエッセンスが動画でアップされた。

 

【2】「上から目線」からの転換

東京で講演をした経験から、全国には医師以外でも様々な志の高い人がいることを実感。それまでは医師という「白衣」の権威に甘えていたと反省。

 

【3】患者や家族に正解を押し付けて来た

Bさんの事例。認知症で胃ろうを付けていた。家族からの要請で胃ろうをはずすプロセスがNHKで全国放映された。スタッフ全員と家族との話し合いを介して胃ろうは抜かれ、半年後に95歳で亡くなった。

 

【4】森田医師の登場

北海道の夕張で在宅医療を行ってきた森田洋之医師が非常勤で小齊平先生の勤務する病院に来た。森田先生の示唆・助言を得て、患者や家族の状況・意見を徹底的に聞くようになった。

ここでは、最近の6つの事例に即して、胃ろうを抜き、退院に至った経過を説明された。

 

以上の4つの段階で価値観の展開を経てきた結論として、

最後まで自分らしく生きるために、次の3点を訴えて講演を終えた。

 

1 医師にすべてをお任せすることはやめる

2 状態が悪化したら、自分の時間をどこで・どのように使いたいか?

自分が決断できなくなったとき代わりに誰に決断してもらいたいか?

3 話を聴き・悩んでくれる医師を探しておこう。

 

終了後に、フロアーから感想や質問が寄せられた。ディサービスのメンバーも熱心に聴き入っていました。やはり事例による紹介が平易で身につまされたようです。このような医師が身近に居ることへの驚き・安心・希望が会場に沸いていました。

以下4点の写真は、事務局からお借りしました。

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T206 大隅半島・肝付巡り(旧高山町)の骨格案  

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528日日曜日、鹿児島市内から車で日帰り旅行をしました。(T204参照ください)

そのテーマは、「大隅の古墳群」でした。

せっかくの機会だからと幾つかのプランを立てて臨みましたが、「塚崎・唐仁・横瀬」の3つの古墳を廻るだけで終わりました。

 

旧高山町にある妻の実家で武家門の修復状況を見てもらい小休止してもらっただけでした。

 

「古墳を見たい」というご希望にそったのですが、「初めての肝付町(旧高山地域)」を鹿児島市内から自家用車で日帰りするときの「古墳抜き」プランではどうなるのか?

 

・四十九所神社(宮馬場)

・盛光寺跡(肝付家累代の墓)

・道隆寺跡

・肝付町歴史民俗資料館

 

は欠かせない。

 

以下、

・高山城址(中に入り、本丸跡までは無理。入口だけ見る)

・やぶさめ館の展望台

・昌林寺跡 調所家(次男家)墓地など

・平田靭負墓(丸岡墓地)

 

内之浦地区や鹿屋地区に寄るのは日帰りでは無理です。

このほか、肝付町観光協会のサイトなどでは滝や山など幾つか上がってあげられていますが、1日では無理ですね。

 

帰りは、フェリーではなく高速道路で帰るとすれば、クニの松原(写真)に寄るのも検討の価値があります。

 

鹿児島市内に11年住み、何度も肝付町へ往復しましたが、私自身の案内でお客様をご案内したことはないのです・・・

T205 日向史への想い

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宮崎県の南部地域は、昔から「日向」(ひゅうが)と呼ばれてきた。

最近、この地域の歴史を巡る本を読んでいます。

 

写真1(冒頭)は、一昨日買った3冊。

写真2(下)は、手元の6冊。

写真3(末尾)は、このテーマを考えるためにかねて読んできた4冊。

 

以下、それぞれを詳しく紹介するのではなく、「何故、いま、(私が)日向史か?」

という観点から主なものをお話しします。

 

【新しく読み始めたもの:写真1

山川出版社「宮崎県の歴史」(1999年)は、各県シリーズで、改定されたものです。

専門家5人による分担執筆です。

・古代の古墳 宮崎の西都原古墳を知らないと、大隅の古墳群を理解できない。

・島津荘 「島津」氏の名称発祥の元となった地域が都城にある。

・南北朝時代 肝付氏8代の兼重の高城での奮闘。大隅高山(現在は肝付町)へ戻った。

・庄内の乱 大隅を治めていた伊集院忠棟の死と息子の忠真による反乱。1599年。

 

「元禄期の日向飫肥藩」 南浦文之を生んだ飫肥へは短時間ですがバス旅行で寄りそのたたずまいに圧倒された。私の主治医(鹿児島市小川町)の出身地でもある。本書は、ここに江戸時代初期住んだ「日高浅右エ衛門」の日誌から当時の社会を描いています。私の妻の旧姓は「日高」といい、宮崎経由で鹿児島に来ている。(読んでみて朝右エ門と妻の実家の祖先とに直接のつながりはなかったが・・)

 

北郷泰道「古代日向・神話と歴史」(みやざき文庫502007)では、昨日友人と訪ねた大隅半島の古墳について日向の古墳群との関連で触れています。P36。北郷は、宮崎を代表する考古学者です。

 

【手元の6点から:写真2

 

左端の「高城町史」1989年については、前に触れました(本ブログT201)。520日に仲間とバスで高城(都城市)へ日帰りした。

次の「南九州の地域形成と境界性」(雄山閣、2010)は、都城市で2009年に開催された地方史研究協議会での講演を論文としてまとめています。専門的なものが多いですが、原口泉(当時鹿児島大学教授)論文p87-95は、短いものですが都城の歴史的な特性をまとめています。

 

【徳永和喜先生:写真3

「海洋国家薩摩」2011については前に触れました。(本ブログT137

左端の厚い本は、徳永先生の博士論文(九州大学)で、「海洋国家薩摩」(左から3冊目)の理論的な基盤が書かれています。九州大学出版会2005年。


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T204 大隅古墳群日帰り旅行

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鹿児島県人でも大隅半島へは行ったことがない・・という人が多い。古来、海を隔てた向うの国というイメージがある。

 

大隅半島の魅力は多いが、やはり古墳を中心とする古代編には圧倒されます。

 

昨日528日、朝鹿児島市内を発って、夕方には戻るコースを友人のTさん夫妻とやってみた。車の運転はTさんです。行きは垂水港へのフェリー・帰りは高速道路を使った。

 

写真1 横瀬古墳。現在は孤立墳。田んぼの中に立つ。(唐仁古墳から)448号線をクニの松原の方へ向かい、内陸に入る。「今日の1枚」はこれです。

 

写真2 行きは(初めての方は)鴨池港からのへりーがお奨めです。40分の船旅が異郷への関心を高める。桜島の他、開聞岳が見える日もある。高隅山系を望む。

 

写真3 塚崎古墳。肝付町の旧高山町。旧内之浦町への国見トンネルの手前です。最近の調査で3世紀末と判定されるものがある。日本列島の中でも古い方に属します。写真は、50近くある古墳でもさらに南端にある39号古墳の登り口。1号古墳は大楠の下にある。11号古墳を登る。

 

写真4 大塚神社・唐仁古墳群。ここは、1号古墳のある神社の階段を下から仰いだ。4世紀ごろのものです。帰りに車窓から(100以上ある古墳のうち)幾つかの古墳群を見ることができた。

 

写真5 冒頭でも挙げた横瀬古墳。田んぼの中に1つある。これが5世紀ごろとされる。

典型的な「前方後円墳」です。海に近く、古来の古墳の役割として交易センターを唱える説(長野正孝、2015)を想起する。

 

写真6 横瀬古墳の近くのクニの松原の海岸。志布志湾の一角。太平洋の波音を聞き帰途へ。

 

これまで、専門家の案内で随行したことは数回ありますが、今回は、「塚崎・唐仁・横瀬」の隣接する3つの古墳を私の案内でトライしてみた。運転してくれたTさんにはすっかりお世話になりました。多少の「予習」はしましたが、掲示などは少なく苦労しました。初回としては3つを無駄なく巡ることを目標としたい。

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T203 日本語中級クラス

76歳。非常勤で「社会福祉概論」を教えていたのは、2年前に辞めた。現在、定期的に自分の責任でやっているのが、鹿児島に住む外国人への日本語クラスです。

毎週金曜夜に、 18時から19時までと 19時から20時までの 2クラスでやっています。(写真1及び写真2)
場所は、私が住む上荒田の喫茶店KLEEです。

タイトルに書いた通り、「中級」です。
というのは、ここで学ぶ外国人は、すでに日常会話レベルの日本語には問題がなく、それ以上の日本語力の向上を目指している人達です。
アフリカのベナン共和国から鹿児島大学大学院水産研究科の博士課程に留学中のA君。
アメリカのウィスコンシン州から鹿児島県立高校の英語助手をしているBさん。
ベトナムから鹿児島市内の短大に通うCさん。

私が主宰していますが、友人たちの支援をいただいています。
Dさんは、イギリスでの生活体験があり、英語と日本語の教育経験が豊富。
Eさんは、鹿児島での様々地域活動の経験が豊富です。
このほか、仕事が夕方までに終わる友人達も手伝ってくれます。

使用するテキストは、
文法として、日本語能力検定試験3級レベルの問題集を
読本として、小学5年生向け(漢字レベル)の現代版童話(認知症の高齢者のケア) を使っています(写真3及び写真4)。

このほか、話す練習としてのスピーチや、聞く練習としてのゲストの近況報告を盛り込みます。
誕生パーティなども企画しています。

鹿児島に住む外国人の中には、初歩の日本語も不十分な人が多く、これらの人には公共的な支援が必要です。ボランティアでこの初歩の日本語クラスに参加している人もいますが、教える人は圧倒的に少ない。この初歩の段階で教えるには、英語力もいるし、生活の支援といった側面の支援も要請される。

私は、日本語教育の専門的な訓練を受けていませんが、40年前に30歳の頃、当時金沢大学の語学講師をしていたカナダ人に頼まれて日本語を教えて以来の経験があります。特に、40歳の頃、ドイツへ赴任した時の経験から「初歩の会話を終えて次のステップへ行くための手ほどき」という部分に関心があるのです。

日本語教育は国語教育の延長とは違い、工夫が必要です。写真5は、国際語としての日本語の道を模索した・・庵功雄「やさしい日本語―多文化共生社会へ」(岩波新書、2016)です。 毎週のクラスから気づくことが多いので、折に触れて本ブログで書いていきます。

なお、クラスの日程変更やゲストの出欠確認、さらには質疑応答などは、全員がFacebookに参加しているので、グループを作って連絡し合っています。

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T202 イギリスのEU離脱(ドイツ語の講演会)

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昨日、鹿児島県立大でドイツから見えたEU問題の専門家による講演を聞いた。

Facebook友達から教わったのです。この短大は、4年間非常勤で「社会福祉論」の講義をしたところなので、久しぶりで懐かしかった。

 

講師は、ユルゲン・ケスラー教授。ベルリン工科経済大学に勤務していますが、EU経済・社会政策委員会委員でもあり、昨日は「イギリスのEU離脱」に伴う課題を聞いた。

 

図書館2階の視聴覚室で行われた。参加は、20名程度で、1人だけ知り合いがいた。短大生も何人かいた。暑い日でしたが、冷房が効いていた。

 

講演50分、質疑50分、

後半の質疑が面白かった。

 

講演のポイントは、イギリスのEU離脱の経過と、今後の交渉の見通しです。2年間という交渉期限内にまとめることは至難である・・ということに尽きる。

 

質問:

・関税同盟をすることはできないのか?答:時間が足りない。

・メイ首相は、離脱のメリットをどこに置いているのか?答:勝者はない。

・在イギリスの外国人の「現状維持」答:ポーランドは強く求めている(本国への送金)

 

進行は、短大の先生で、通訳は鹿児島大学のドイツ語の先生でした。この先生は、短大でドイツ語を教えているという。その聴講生が来ていた。英語で質問して褒められていた。

 

「ナマドイツ語を聞けた」というレベルの人もいたが、この難しいテーマに現在のヨーロッパの課題が集約されていて、また、日本への影響も大きいことがわかった。

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T201 地方史を読む

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年前、65歳の時に鹿児島に来ました。義母98歳の介護をする妻74歳を支援するためでした。そのころは、歴史にそれほど興味があったわけではありません。

 

机の上に並べたのは、50年ほど前に旧市町村で刊行された地方史です。「郷土誌」といったタイトルが多い。その後、多くは合併によって広域の行政体の一部となった。多くは、古本屋で求めたが、1番と4番は、関係の市町村で直接買いました。

 

1 高城町史 1989年刊行。7冊の中では、一番新しい。高城町は、現在宮崎県の都城市に編入されています。520日の歴史ツアーの折に高城郷土資料館で買いました。2500円は安い。この高城は、鹿児島県の旧高山町と肝付氏の縁でつながりがあるのです。

 

2 秀村選三(九州大学名誉教授)による薩摩藩研究。旧高山町の守屋家文書を素材に書かれた。2004年刊。本書によって、2006年度学士院賞・恩賜賞を授与されている。先生はご健在で、福岡市内と肝付町の妻の実家とでお会いしています。

 

3 高山郷土誌 これは1966年刊の旧版です。旧高山町は、2005年、旧内之浦町と合併して肝付町となった。妻の実家は、この高山町にあります。江戸時代の初期に加治木から内之浦を経て高山に来ています。もとは、和歌山県の日高川あたりから発した家です。

 

4 内之浦町誌 2003年。130日、旧内之浦町庁舎で買った。4000円だった。この町史担当だった人とお会いしてご苦労話を聞いた。地域の古老から聞き取った話など豊富な内容です。上記の通り、内之浦町は高山町と合併して肝付町となった。

 

5 加治木郷土誌 1966年。加治木町は、現在姶良市になっています。島津義弘が住んでいた。妻の実家の先祖は、加治木に住み、義弘に仕えていた。「加治木衆」と知行目録にある。加治木の町へも何度か行きました。今度、江戸期の武士の状況について資料が刊行されたというので、近く資料館へ行く予定です。

 

6 串良郷土誌 1973年。旧高山町の隣です。現在は、鹿屋市。東串良郷土誌は、妻の実家においてある。かって、妻の実家の墓があった。

 

7 大隅町誌 1969年。大隅半島の北部です。古本市で買った。

 

このほか、大学図書館の郷土資料コーナーや歴史学の各県史コーナーで、鹿屋市や都城市の歴史を読んだ。これらの地方史を読む目的は、妻の実家の由来に関して知りたいからです。関連して、肝付氏の歴史を追っています。島津忠恒(家久)に殺された伊集院忠棟は、島津側の資料では悪者として描かれていますが、高山、鹿屋、都城など、かって忠棟が治めていた地域では好意的に書かれています。

 

私は20年間、福祉関係の仕事につき、その実務的な知識をもとに大学・大学院で30年間「社会保障論」「老人福祉論」「社会福祉概論」「国際福祉論」などを教えて来た。狭いマンションの部屋では、現在ではこれらに関連する図書は殆どなく、写真の地方史関係のものに追われてしまった。

 

 

T200 やまと絵の世界

4月からの学期に、鹿児島大学の生涯学習で「やまと絵論」を聞いています。
毎週火曜日の2時間目、10:30~12:00、教育学部美術・音楽棟の4階、美術演習室。
担当は、下原美保教授。鹿児島のご出身で、関西の大学で美術史を修め、美術館の学芸員も経験された。
やまと絵の国際比較研究など精力的な研究活動をされている。やまと絵の優れた作品は、明治の頃にアメリカやイギリスにわたっているからです。

聴講者は、学部学生と院生をメインに社会人が10人近く、合計20数名です。 今日23日、その第6講があった。 「やまと絵」の定義、技法、歴史などについてスライドにより講義します。
図録やレプリカを供覧します。

今日は、「E国宝」というサイトをスマホで検索して、実際にスクロールしてみた。
私はスマホが無いので、先生のを見せてもらった。

以下、これまで教室で聞いた絵巻から、画像検索で6点挙げます。
1 北野天神縁起絵巻
2 清水寺縁起絵巻
3 春日権現験記絵
4 信貴山縁起絵巻
5 源氏物語絵巻
6 伴大納言絵詞

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