こわい話してもいいですか

日常に潜む恐怖や謎〜ピアニスト蛯名知子の"こわい" 生活

人間ではない何か

たまにTVで見かける、あるCMのことなんだが。

それを見ると、何故か、ゾーッとする。

不動産屋かなんかのCMで、中に人が入ってるマスコットの人形?が、バスに乗ろうと懸命に走って、転ぶが、なんとか追いつき、バスに乗り込んで...というような、全く、怖いと感じる要素はないCMである。
でも、それを見ると、なんとなーく、ゾクッとするのだった。

自分の記憶に、そのCMと似た場面で、怖いものがあるらしい、と思って、それが何なのか、探って見たところ... 判明した。

「惑星 ソラリス」


タルコフスキー監督の、旧ソ連の古い映画で、子供の頃、家のTVで観た。
その中に、ある怖いシーンがあって、先ほどのCMが、それを思い出させるのだ。

だが、あまり昔のことで、どういった内容か、まるで覚えていなかった。
その問題のシーンのみ、怖かったせいで、朧げに覚えていたらしい。

そう思ったら、確かめたくなり、ネットでググったら、youtubeで全篇観れた。

惑星ソラリスを探索中の宇宙ステーションに、主人公の心理学者が調査のため、派遣される。
そこで、いないはずの人物の出現など、不可解な現象に出会う。
彼の場合は、10年前自殺した妻だったが、宇宙ステーションに滞在しているメンバーにもそれぞれおなじようなことが起こっており、翻弄されていた。
メンバーのうち1人は、自殺していた。
それらの現象は、知性を持つソラリスの海が、人間の心を読んで、作り出している、といったような内容。

全体を通して、重く、不気味で、良かった。
一番、嫌な感じだったのは、最初に、主人公が、ステーションに滞在している学者だかを訪ねて行ったてときの、後ろのハンモックがへんに揺れているところ。
「何か」が絶対いる気配がしてるのに、学者だかが、執拗に隠そうとして。

で、問題の、CMと似ている場面は、一瞬なんだが、いないはずの子供が、とととっとドアから外に、走り出して来るところだった。
驚く主人公からは、すぐ隠されてしまうから、よくわけがわからないので、そこがまた怖かったのだと思う。
何故か、そのシーンだけが、記憶に残っていたのだった。



あらためて観てみると、全く、似てはいない。
強いて言えば、共通点は、人間ではない何かが、転がるように、こちらに向って走ってくる、という感じ、であった。
とにかく、あのCMは、なんか、怖い。


想像の世界に迷いコンダラ・・・

 スタバに来て、苦いクリスマスブレンドを飲んでいる。

 BGMが、もうクリスマスソング。
 昨夜、行ったバーなども、しっとりとしたストリングス系のスローなクリスマス曲が流れていて、ほんとーーーに冬が更けていく感じだった。
 それどころか、デパ地下では、もうおせちの予約受付が。
 写真屋さんの店頭には、年賀状印刷の案内の登り。
 もう、今年も終わったも同然だな。
 よいお年を。



 先日、新聞を読んでいたら、「コンダラ」のことが載っていた。
 
 アニメ 「巨人の星」 を見ていた当時の子供の8割が、主題歌、「♪ 思い込んだら、試練の道を〜・・・」
 の冒頭を、「重いコンダラ」だと思っていたというのである。

 で、彼らは、「コンダラ」とは、主人公の星 飛雄馬が、グラウンドで引っぱって体を鍛えている、重いローラーだと解釈していたという。

 ・・そんな解釈?があったとは、知らなかった。

 その話を、バーで、知り合いにしたところ、

「えっ、コンダラでしょ、子供のころ、校庭になかった?」

 と言うではないか。

「まあ、野球部員じゃないと、知らないかもね」
 と言われ、当惑。

 ネットで調べたら、その思い違いから派生して、整地ローラーのことを、俗称として「コンダラ」と呼んだりするらしいということがわかった。
 なるほど。


 で、私も最近、運動不足なので、コンダラで体を鍛えようかな、などと話しているうちに、、通販で買うなら、まずは初心者用の10Kgのコンダラからで、慣れたら20Kg、30kgと重くしていくといい、などと、話が発展。

 さらに、コンダラにも、いろいろ種類があって、「使いコンダラ」、「ふさぎコンダラ」、「しゃがみコンダラ」、「倒れコンダラ」、「寝コンダラ」・・・など、豊富です(なぜかネガティブなコンダラばかり、思い浮かぶ)。

 現実には、ずいぶん前に、アマゾンで2Kgのダンベルを購入したのだが・・・・本棚の上にオブジェとして飾ってある。


 
 そーいえば、前にもいろいろ書いたが、歌詞の勘違いって、山ほどある。

 以前、書いたと思うが、カンツォーネの「ピノキオへの手紙」 だが、

 「♪ ・・ずるいあの猫や、親切なコオロギや、妖精はどうしているの・・・・」

 のところだが、私は、ずっと「妖精」が、「余生」だと思っていた。

 その曲を聴くたびに、年老いたコオロギが、盆栽を楽しんだり、縁側で将棋を指したりして、穏やかな老後を
過ごしている図を想像していた。


 ずるいあの猫は、歳をとって、性格が丸くなり、農協で畑を借り、野菜でも作っているのだろうか。
 いや、いじわるな姑になって、嫁いびりに精を出しているかもしれんな。



 

 


 

もう一つの世界

 モノがよく無くなる時期があった。

その中でも、寝室にあった時計が無くなったのは、不思議だった。
小さな目覚まし用のもので、いくら探しても出てこなかった。 

前に書いたが、そういうのは異次元の世界に行ってしまったという説があり、そういう現象を「ふんがも」というのだそうだ。
 だとすると、戻ってくることもあるそうだが、まだ行ってしまったままだ。
 時計だから、いかにも異次元っぽいではないか。

 ただ、知り合いの女性から、彼女が一人暮らしをしているとき、外出して帰宅すると、置き時計の場所が変わっていて、気味悪がっていたが、結局、アパートの大家が部屋に入っていた、という怖い話を聞いたことがある。
 ふんがもより嫌だな。



 ところで、私は、外出時に、いつも大きなバッグを持ち歩くので有名なんである。 
 ちょっと出かけるんでも、2、3泊旅行にでも行く出で立ち。

 これは、震災時に、新宿で足止めをくらい、その時の教訓で、そういうことになった。
 歩きやすい靴、携帯電話の充電器、その替えの電池、予備のコンタクトレンズ、携帯ラジオ、非常食・・・・。
 とにかく、毎日、それらの持ち運びで、くたくた。
 なんか、エベレスト登頂に備え、足に重りをつけて歩いて鍛えている、三浦雄一郎のよう。


 ところが。

 少し前から、その大バッグに入れたはずの、歯磨きセットやら、タオルやら、筆記用具やらが、何故か次々となくなっていっているのに気付いた。
 「?」 と思いながらも、どこかで出して忘れたのだと思い、新たな歯磨きセットなどを購入し、補充し、また大バッグに入れる。
 で、重い重い大バッグを抱え、毎日、くたびれ果てていたのだが・・・・ある日、すごいことが判明したのである。


 大バッグの内側の、裏地に穴が開いていた。

 で、裏地と、外側の生地の間に空間ができており、そこに、なななななんと、なくなったと思っていた、前の歯磨きセットなどの小物たちが、皆、入っていたのである。
 つまり、そのバッグには、通常のものとは別の、もう一つの世界があって、そこで私の前からいなくなったものたちが、ひっそりと暮らしていたのである。
 ぎょえぇえええええ〜。
 重いわけである。



 それはそーと、時計の話の戻るが、うちには時計が多い。
 各部屋に、二個以上ある。
 それは、壊れても捨てず、新しいものを買って一緒に、置いてるから。
 だから、割合からいうと、現実の時間と合っているものは、少ない。

 キッチンの食器棚には、二つの時計が並んでおり、微妙に違った時を刻んでいる。
 どちらも、本当の時間は指してはいない。
 というか、大幅にずれている。 

 ここのところ、私よりもキッチンにいる率が高い夫に、何故そーゆー時計を二つ並べて置いておくのか、尋ねたところ、

 「時計を信用しないように訓練するため」

 という答えが。

 いやもう、ずいぶん、訓練できたと思う。

憂鬱な映画

ここのところ、結構、憂鬱である。

天気が、いまいちである。
台風のせいか、雨が、降ったり止んだり。
湿気が多く、かといって、エアコンをつけると、寒い。
今朝なんか、一瞬、ガスストーブつけたんだよ。

天気に左右されるのは、年をとった証拠らしい。
そういえば、若い頃は、雨の日が意外に好きだった。
それを知って、ますます憂鬱になる。

先日、祝日に、映画を観に行った。
いつも、映画館に行くのは、平日のレディスデーなどが多い。
それに、私が好むマイナーな映画は、大抵、すいていて、隣の席には誰もいない。
今回は、一般的な映画だった。

それで、ちょっと頭にきたことが。

上映時間の少し前に行くと、隣の席には、40歳くらいの女性が座っていた。
1人らしいので、おしゃべりなどしないからよかったと思ったのだが、本編の映画が始まる前、彼女はポップコーンを食べていた。
本編の映画が始まれば、食べるのをやめると思ってたのだが...甘かった。
映画は、シリアスもので、最初、殺人現場のシーンから。
なんと、隣の女は、更に激しく、ポップコーンを口に運んでいた。
殺人事件で昂奮したのかしらんが、がつがつと食べている。
その手の動きが、どーしても視界に入ってくる!
また、ポップコーンで喉が渇くらしく、合間にぐびぐびドリンクも。

.....映画に、没頭できん!
てゆーか、血みどろの映像を見ながら、よく飲み食いできるな、と思う。
仕方ないので、彼女側に、自分の手でパーティションを作り、彼女の動きが視界に入らないようにして観た。
だが、腕がすぐ疲れ、やはり没頭できんのだ。
睨みつけたりしても、一向に食べるのをやめない。
私も、ポップコーンが大好きで、止まらないのはわかるんだが、自宅のリビングじゃないんだからさあ。

15分位我慢したが、やはり限界を感じ、二つ前の席が空いていたので、移動。

ほっとしたのも束の間、その隣にも、新たな曲者が。

老夫婦が座っていたのだが、しばらくすると、ぴんぽろりーん、と大きな着信音が。
じいさんのほうが、悪びれずに携帯電話を取り出し、画面を見始める。
.....明るいんだよっ、画面が!

またもや映画に集中できん。

そのうち、今度は、ばあさんのほうが、なんとタブレットを取り出し、画面を見ているではないか。
更に明るく、ますます集中できん。

少したって、じいさんが立ち上がり、トイレに行き、また帰ってきた。
で、また携帯をぱかっと開け、画面を確認。



ほんとーにイライラした。
やはり、休日にメジャーな映画を見ると、こーゆーリスクを伴うということを、思い知らされたのであった。


実は、それより少し前に、「ティエリー・トグルドーの憂鬱」という仏映画を観たが、これがそういう意味でも凄く良かった。

平日の昼間で、お客も、なんか、憂鬱そーな人ばかり。
ポップコーンを食べそうなポップな人など、1人もいない感じ。
映画の内容も、とにかく、ずーっと憂鬱な雰囲気で、かといって凄い悲しいわけでもなく、ひたすら憂鬱な日常なのだ。
主人公を演じた男優は、カンヌの主演男優賞をもらったらしいが、まさに演じているというより、その人そのものといった感があり、そーゆー憂鬱な人なのだ、と思わされるほどであった。

主人公は、失業した50代の男で、仕事上で色々な問題が起こる。
再就職したスーパーでの仕事は、万引きを見つける仕事だが、店員の不正も見つかり、それにより、ベテランの店員が自殺...


で、最後まで、とにかく、救いようがなく憂鬱なのが、とても良かった。
なかなか、普通はここまでとことん憂鬱を描ききれないのでは、と思った。
大抵は、映画って、何か事件が起こったり、感動的なことがあったり、涙をさそうような出来事が起こったりするんだが。
そーゆーことは起こらず、描かれているのはあくまでも普通の日常であり、それが憂鬱なのだ。

でも、人は、生きている限り、憂鬱なことは沢山あるのだと思う。
それが何か大きな事件とかではなく、なんとなくやり切れないことが、普通にあるのが人生なのだ。

そういう、あまり映画にならなさそうな 題材を淡々と描いていて、逆に心に残ったのであった。
















沼の日

今、私の住んでる地域、避難勧告が出てるらしいんだよ。
台風9号。
氾濫水域に達した川と、土砂崩れが起こるかもしれない崖に挟まれているのが我が家。
お昼ごろから、スマホに、避難しろ、との勧告メールが、じゃんじゃんきている。
GPSがあるから避難してないのがばれてるということなのか?

だけどねー、言っちゃなんだが、避難場所が、遠いんだよ。
苦手な坂を登らねばならないのだ。
避難しろ、と言われても、色々準備に手間取るなあ。
手間取ってる間に、二階の窓から川を見ると、もう今にも溢れそう。
先ほどから、NHKで、うちの前が何回も映され、パトロールカーみたいなのが止まっているのがわかったぞ。
その車で避難場所まで運んでくれるんなら避難してもやぶさかではないんだが。
まあ、二階にいれば、流されても生き延びられるであろう。
流されたら、ブログは突然、中断するから、そのつもりで。

で、川、ではなく、沼の話なんだが。

今年の沼の日は、山の日の翌日とした。
勝手に制定したのだが、海の日や山の日があるなら、川や湖は黙ってはいないだろうし、そーなったら沼だって....。

何故、山の日の翌日にしたかというと、山の日から翌日にかけて、群馬県の実家に遊びに行ったからであり、実家は、城沼という大きな沼の近くなのだ。
隣接するつつじヶ丘公園は名所であり、実家に行くと、そのあたりはよく散歩に行く。
私が子供の頃は、今のように綺麗に整備されておらず、時期によっては、お化け屋敷も出店していた。

沼の日にちなんで、というわけではないが、今回、初めて父が話してくれたのだが、昔、男の子が、その沼に落ちる事故があったそうだ。
沼底は、泥状で、ズブズブと体が埋まって、助からなかったとか。
あと、その後、自殺した人もあったというではないか。
沼って、川や湖よりも、なんとなく暗いイメージがあるのは、何故だろう。
水が、停滞してる感がある。

ところで、夏休みの恒例行事となっている、暑さ日本一を争う館林と熊谷巡り。
確か、私のつけている三年日記によると、一昨年もそうだったようなのだが、実家のある館林は、夏は死ぬほど暑いのに、何故か、私が訪れたときだけ、天気が悪かったせいか、涼しかったのだ。
気が狂うほどの暑さを期待して行ったのに、がっかりだ。
その後、長野県の戸隠に行ったのだが、途中立ち寄った熊谷も、それほど暑くはなかった。

一番暑かったのは、長野駅であった。
そう実家の母にメールしたら、返信はなく、長野などに負けたことに怒っているのが、感じられた。




戸隠高原には、幼いころ、父の会社の保養所のロッジがあり、何回か行ったのだが、思い出は、ほとんどない。
私は、 子供の頃、旅行に行くと、必ずと言っていいほど、熱を出し、宿で寝込んで旅を終えていたからなのだ。
今回は、もちろん、そんなことはなく、戸隠神社にも行き、おみくじを引いたら、大吉で、いいことばかり書いてあった。
今のところ、兆しはないんだが。
それどころか、旅から帰ったら、夏風邪をひき、チャージしたばかりのSuicaを失くし、ついでに駐輪場のカードも失くし....結構、へこんでるんだよね。

これで、川が氾濫し、流され、山が崩れて、土砂の下敷きになったら、笑うしかないね。









たのんではいけなかったメニュー

昨日のことである。
演奏の合間に、歌手の方と訪れた「K」という喫茶店でのこと。
カフェというよりは、昔からある喫茶店という風情。
いつもは、一人でその近所にある「G」という店に行くことが多く、昨日もそちらに行くつもりだったのだが、休みだったのだ。

最近、自分は、以前よりもブヨブヨ度が増している気がして、しっかりするために、たんぱく質を多めに摂りたいと思っていたので、ミートソーススパゲティーを注文することにした。

ただ、メニューの書き方に、若干の不安を感じた。

それは、メニューのミートソーススパゲティーの上に、ナポリタンがあったのだが、ナポリタンの字が、赤く大きく強調されておったことである。
ミートソースは、それに比べて目立たないように細字で薄く書かれていた。
それを見て、「私のことは放っておいてくれ」的な感じを受けた。
こーゆーやな予感というのは、大抵、当たるものである。
が、前記の理由から、無防にも、ミートソースの注文を強行してしまった。

注文を聞くと、店のおばちゃんは、一瞬、躊躇したかのようだったが、すぐに気を取り直し、明るく承知した。


で、大丈夫かな、と思ったが、やはり、考えが甘かった。
歌手のHさんのカレーとともに、運ばれてきたスパゲティーには、ナス、ズッキーニ、マッシュルームが乗っていたが、肉の姿がない。
「ええっと...」
どーしたものか、と戸惑っていると、パッと、私の膝にタオルの様なものが広げられた。
「ソースがはねるからね」
と、タオルをかけてくれたおばちゃんが親切そうに言う。
いや、問題はそこじゃないのだが。
「あの...」
と言いかけると、頼んでないのだが、私たち二人にメロンが。
「....あ、ありがとうございます」
一応、お礼を言い、肉抜きミートソースを食べる。
固形の肉は入ってないが、肉の味はするような気はする。
そーゆーことで自分を納得させる。
しばらくすると、また頼んでないトーストとジャムが。
「スパゲティーが少ないかもしれないからねぇ」
と、おばちゃんが元気よく言う。

いや、スパゲティーが少ないわけではなく...と思ったが、お礼を言う。
こんなにサービスされては、肉、入ってねーじゃん、などとはとても言えまい。
そーゆー戦略か?

そういえば、蕎麦屋に「ぬき」というのがあるが、それの仲間か。
いや、それなら麺がなくて、肉はあるはず。
それに、肉がないからといって、トーストを出されても、炭水化物の重ね食いではないか。
肉がない、とは言わず、スパゲティーが少ないから、と言ってしまうのも、よくわからん。

で、食後にコーヒーを頂いた。
メニューに、凄く美味しい、と書かれてあったのだ。
で、これは確かに美味しかった。

不思議な店であった。

座ると危険

って、ペンキ塗りたての椅子のことではない。

先日、「座り過ぎが病を生む」 という話をTVでやっていたのを見たのだ。
正確に言うと、座ること自体ではなく、座り続けることが、相当、体に悪い、ということらしい。

たまたま、その番組を見た翌日に、久々に来客があった。
で、部屋に招き入れ、椅子を勧めたが、もじもじして座らない。
訊けば、彼女もその番組を見たと言う。
いや、だから、座り続けなければいいんだから、と言っても、少しでも座ると死ぬ、とでも思ってるようなんである。
高齢なので、立ち続けて疲れ、座らずに直接、横になられても困るんだがな。
まあ、そんなことはなかったがね。

要するに、長く座り続けると、体の代謝や、血流に悪影響を及ぼすというようなことをやっていたのだが、そのせいで、脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病になったりするらしい。
さらに、米国の研究で、1時間座り続けるごとに、22分ずつ、余命が短くなるんだと!
私...余命残ってないかも。
座り過ぎは、喫煙に匹敵するほど、健康に悪いとも。
やべー!
こーやって、新宿の喫茶店で、座ってブログなんか書いてる間も、刻一刻と余命は縮まってんだよな。
今日は、最寄り駅まで、いつも自転車で行くところを、健康のために歩いてきたんだが、運動しても座り続けたら駄目なんだってよ。

それにさ....。

うちは、ついこの間、リクライニングチェアを買ったばかりなんだよっ!
全室洋間なので、椅子に座る以外は、立つか、ベッドで寝るしかないし。


てゆーか、ピアニストって、やばいよな、そーゆー意味じゃ。
立って弾くのも落ち着かないし。

結局、どーしたらいいかというと、1時間座っていたらその間に一回、五分くらい立つと大丈夫らしい。
それなら、できるかも。

家で座ってTVを見るときは、CMになったら立つ。

電車で座ったら、途中で席を譲る。(最初から座るなよ)

トイレも洋式だが、便座に座らずに中腰で。(腰にわるそー。ま、そんな長時間かけないが)

ピアノを弾き続けなければならないときは、ある程度時間がたったら、気分が盛り上がったふりをして、立ってしまおう。
で、五分たったら、また盛り下がって、座る。
不自然だろーがなんだろーが、命には変えられんからなっ。
あ、あと、座ってても、足首を上げ下げするだけでもいいらしいので、弾きながらこっそり上げ下げしたり。

そういえば、私の場合、電車に乗っている時間が長いので、必ず座るんだが、降りたとき、足がじんじんしているときがある!
これって、もしかしたら余命が縮んでるって証拠?!
ぎょえぇぇ。



.....恐ろしいことである。

あ、もう1時間も座ってお茶してる!







ボタンを押したのは誰?

いやはや、梅雨明け前だというのに、凄い暑さである。
梅雨の湿気もあるから、結構、辛いっす。

このブログでは、以前、エアコンなどとゆーシロモノは、夏、体調を崩す元であり、私は、自分の気化熱で体温を調節するから、一切、使わん、と豪語していたのだ。

ところが...。

昨日、家で譜面を書いていたら、頭痛が。
頭に手をやると、沸騰でもしているかのように熱いではないか。
そうか、こうやって、屋内での熱中症というものは起きるのだなあ、と納得。
で、考えたのが、手ぬぐいをバンダナ状にし、中にドライアイスを入れるというもの。
これは、気持ちよくて良い。

が、待てよ。
うちにもエアコンというものが、あるんではないか。
思い出し、使ってみる。

いかんいかんいかん!

一度、この快適さを知ってしまうと、毎日使うことになってしまう。
でも、まあ、昼間はよい。
問題は、寝ている間。
夕べ、人生最初の、就寝時エアコン使用を、始めてしまった。
ドライで、風量最小で、29℃。

ああ、なんでもっと早く使わなかったのだ?!
快適であった。
日本の夏は、もはや、気化熱だけでは対応できないレベルなのだなあ、と実感。
良かった、死ぬ前に気づいて。



ところで、一昨日、ちょっと不思議なことがあった。

以前、このブログに書いたが、近所のアパートの住人が、夜中に洗濯機を回し、その音で眠れなくて困った話。
その後、その住人は引っ越し、一件落着だった。
ところが、同じアパートの別の住人で、たまに夜中、洗濯機を回す方がいて、大家さんに注意して貰っておさまっていたが、一昨日の夜、久しぶりに、寝ようとしたら、例の振動がしたのである。

またかよ〜、と思いつつ、読書をして終わるのを待っていようとしたら、アパートのドアが開く音がし、すぐに、ドアをコンコン叩く音が。
洗濯をしている人の隣の部屋の人が、注意しに行ったようで、何回か、コンコン叩く音がした。
何故、隣の部屋の人だと思ったかというと、ドアを開けた音の直後に、ドアを叩く音がしたから。

しかし、洗濯をしている人は、出てこないようだった。

その後、洗濯機の音は、ぴたっとやんだ。
注意しに行った人が、停止ボタンを押したと思われる。
そのアパートは、各ドアの外に洗濯機が設置されているのだ。
その夜は、洗濯機の音はやんだままだったから、安眠できた。


ところが。


翌朝、アパートのほうを見ると、洗濯機を回していた住人の階には、他に住人はいないということがわかった。
洗濯機が設置されているのは、洗濯機を回していた人の部屋だけだったのだ。
というのは、そのアパートは、部屋の外のドアの横に、洗濯機を設置するようになっており、その側が、うちの寝室の方を向いている。
だから、ドアの横に洗濯機がない部屋には、入居者はいないはずで、うちからはそれが一目瞭然なのだ。
考えてみたら、その階の他の部屋に人が出入りしているのは、見たことがなかったし。


では、一体、注意しに行った人は、誰だったのだろう?



ドアが開く音と、洗濯をしている人の部屋のドアを叩く音だけが聞こえ、話し声はしなかった。
洗濯している人が、出てこなかったからなんだが。


まあ、私の味方には違いないだろうが。

あまりにも安眠を強く願った私自身の生霊とか?
生霊でも、洗濯機の停止ボタンなんかを押せるものなのか?

この夏の研究課題にしようと思う。

変わりゆく地域

映画「クリーピー 偽りの隣人」 観た。

なかなか嫌な雰囲気が全編を貫いていて、良かった。
現代は、隣に住んでいる方がどんな人なのか、ともするとわかりにくい世の中である。
かくいう私も、隣近所とは、ほとんど付き合いがないと言ってもよい。
もちろん、近所の道端で会えば、挨拶はする。
が、例えば全く違う場所で見かけても、誰だかわからないかも。
向かいのおじさんなど、飼い犬と一緒じゃないとわからないな。
隣の人も、家族構成からして不明。
夫は、3人だというが、私は2人だと思う。
だが、何れにせよ、近所の方達は、全く干渉してこないので、非常に暮らしやすい。
知り合いに、新居を構えた後、隣に困った人が住んでいることが判明し、途方に暮れている人もいるのだ。
まあ、近所の方達のほうが、私のことを怪しいやつだと感じ、近づかないようにしているのかもしれないが。

そんなわけで、東京のはずれのこの辺りは、なかなか快適な住み心地なのだが、今年、ちょっと、ショックな事があったのだ。


毎年、梅雨に入った今ぐらいの時期に、毎晩楽しみにしていることがあった、

フクロウの鳴く声を聞くことである。

家の近くに、一ヶ所、木がこんもりと茂っているところがあり、そこにいるらしく、この時期、ホーッ、ホーッ、と聞こえてくるのが常であった。
姿は見たことはなく、厳密に言うとフクロウではなく、ミミズクとかかもしれないが、夜中、静かにしていると、家の中にいても聞ける。
ああ、また今年もそんな季節か、と思い、感慨にふけるのが好きだったのだ。

なのに。

今年は、ぱったり、聞こえてこない。
今日こそは、と思い、その辺りを通っても、全く聞こえない。
毎年、鳴いていたのも一羽だったから、その一羽が死んでしまったか何かなのだろう。
本当〜に、つまらない。


考えてみると、フクロウだけでなく、以前、私が、ホームベーカリーの音と間違えた、低い声で鳴くウシガエルも、今はいないのだ。
20年前に越したばかりのころは、確か、カッコウやキツツキだっていたのだ。

そーいえば、近所の川に、亀が沢山いたが、今は全く見ない。
以前は、大雨の翌朝、川に亀を見に行き、甲羅干しをしている亀を数えて遊んだものだった。
あ、ハクビシンも、たまに、てけてけ歩いてるのを見かけたが、今はいないようだ。

本当〜に、つまらなくなったものだ。


ちなみに、夫の実家は、埼玉の山奥なのだが、そこには、フクロウはもとより、キジや鹿、挙句の果てには、二階の窓から猿が入ってきたりするんだと。

それを聞き、すぐさま、夫に命じた。
「今度、実家に行ったら、フクロウを捕まえてくるのだ!
必ず、つがいでなっ!」

なんとか、うっとーしい梅雨を乗り切るための、ささやかな楽しみを、なんとしてでも、復活させたいのだ。

しかし、たいていの私の願いを聞き入れる夫も、「それはちょっと...」 と、口ごもっていた。



















勢いが怖い...

全日本ガリガリ倶楽部の皆様、ご無沙汰しております。

皆様においては、日々、少しでも太ろうと、涙ぐましい努力をなさっていることと思います。
私はといいますと、退会してかれこれ四年以上たちました。
このブログによりますと、太る秘法を発見したのは、2011年の3/3。
それが功を奏し、めでたく退会しましたのは、2012年の2/3頃のようです。
それから月日は流れ、2014年の12/2のブログでは、蕎麦屋に行くと、店員から稲荷寿司を勧められ、断り切れずに食べてしまって困るとあります。
そのとき既に、全日本ムチムチ倶楽部、更には全日本ブヨブヨ倶楽部から入会案内がくるかも、と冗談めかして書いていたのです。


ところが、この一年で、それが現実のものとして、迫ってきておるのです。
それも、凄い勢いで。

そう、太る一番の方法は、他でもない、

「健康に年をとる」


ことだったのです。
涙ぐましい努力なんて、いらねーんだよっ!


...すみません、つい感情的になってしまい。

周知のことですが、私の好きなジャンルは、「怖い話と健康」。
このブログでも、独自に開発した健康法を報告し、読者の皆様の体調管理に貢献し続けてまいりました。
私の場合、弱い胃腸を強くするというところに重点を置き、その結果、かなり良くなりました。
ガリガリ倶楽部の会員の皆様ならわかると思いますが、何故、太れないかというと、太ろうとするあまり、いつも必要以上に食べてしまい、そのせいでお腹を壊し、最終的には余計痩せてしまう、という事の繰り返しだからなのです。
ですから、矛盾しているようですが、太るためには、 少食にし、胃腸を休ませる事が大事なのです。

ところが。



その努力が実り、胃腸の調子が良くなった今、どんどん太るようになってきたのです。
少食にしようが、沢山食べようが。

そうは言っても、周りの方々には、
「まだまだ痩せてるじゃねーか!なんだよッ」
と思われているかもしれません。
しかし、ここで問題なのは、現在の体重ではなく、増え方なのです!
それはそれは、恐ろしい勢いなのでございます。

ですから、皆様、くれぐれも、今、結果が出なくても、気落ちなどなさらぬように。
いずれ、時がくれば、わかります。
私の言ったことが、身を以て感じられるときが、かならずや来るでしょう。
その時まで、お元気で。

報告、終わります。

まあ、そういうこともあり、最近は、前なら自転車で行っていたところにも、歩いて行く。
もともと、歩くのは好きである。
家で夕食を済まし、散歩にも行ったりするが、歩いた先に、丁度よくファミレスがある。
夕食は済んでるし、入る目的はしばしの休憩。
連れあいと、ドリンクバーのみを注文。
それが何回か続いたので、彼が、
「きっと店員の間では、俺たち、ドリンクバー夫妻とか呼ばれてるに違いないよ」
などというので、その日はデザートをプラスすることに。
郷ひろみも毎朝食べている、アサイーボール。
アサイーは、以前から気に入っている。

で、若いウェイターに注文。

すると。

「お食事の先にしますか、後にしますか?」
と訊いてくるではないか。

「先でもなく後でもなく、これがお食事であり、すべてなんだよ!」
と言い放ってやった。
ウェイターは納得がいかないような顔をしていたが。

普通のレストランでも、前菜とワインとパンで十分なときってある。
メインをとばしたくなるが、そんなことをしたら今度は「前菜夫妻」などと呼ばれそうである。

ちなみに、夫は、いまだにガリガリ倶楽部の正会員。
ものすごく健康で良く食べるのだが。
謎である。










脳によい安眠法

昨日、演奏後の打ち上げ時に、ある人から訊かれたのだ。

「エビナさんは、ブルーレイ?」

どう答えたら良いものなのか。

ブルーレイとは、TVの一種なのか、システムの名前なのか、はたまたうちのTVに備わっとるものなのか、わからない。
その方は、いつもコンサートの模様をビデオに撮って、DVDにしてくれるのだ。
うちでは、まず、DVDとかは見る機会がない。
どうも、興味が湧かない。
その時間、他のことをやっていたい。





何が言いたいのかというと、私の場合、自分の興味がない事に関しては、凄まじく疎い、という事である。
スポーツなんか、最たるもので、「五郎丸って、名字か名前どっち? ていうか、なんの選手?」
という具合。
あと、朝ドラなんかも、見たことがないので、さっぱりついていけない話題。


先日も、何人かと話していて、ラインをやってるか、という話になった。
私は、ラインもツィッターもフェイスブックもやってない。
やってないから、違いもよくわからない。興味もないし。
まあ、ミュージシャンの中には私のようなタイプもいて、あるベーシストは、
「そーゆーものには、一切、手を出さないことにしている」
と、真剣な表情で言っていた。
多分、何かヤバいこと...不倫とか、してるのに違いないな。
また、某歌手に、ブログはやってるが、と言ったら、
「つぶやいてるのね〜」
と言われたが、それはツィッターでは...?
てな具合に、私よりもひどい人もいた。



なんというか、短い一生、好きなことだけやって、好きな人とだけ関わっていたいのだ。

ただ、いろいろな人と関わるのは、老化防止にはいいらしいのだ。

そう言えば、物忘れには益々、拍車がかかり、口頭で何か言われても、すぐ忘れるので、連絡はなるべくメールにしてもらっている。

また、よく小田急のロマンスカーを利用するのだが、スマホでチケットを購入するも、スマホを閉じた途端、座席番号を忘れそうになる。
だから、座席に着くまで、ずっとその番号をブツブツ繰り返し言っている。
また、連れ合いがいるときは、彼の頭をぐいっと掴み、彼の耳元で、
「A、3、C... A、3、C」
と、呪文のように座席番号を繰り返し、彼の頭にインプット。
これでひと安心。
って、安心でないのは、私の脳だが。



そうなのだ。

健康に関して言えば、一番心配なのは、脳なのだ。
このまま、好きなことだけやって、楽に生きていたら、絶対、早くボケるよな。

ところが。

そんな私の不安を打ち消す情報が!

少し前に、夜、ちゃんと寝られない期間があった。
寝つきが悪かったり、夜中に目が覚めてしまったり、とにかく、眠りの質が悪く、昼間、やたら眠かった。
で、いろいろ調べてみたら、なんと、すごく簡単な方法で、改善できることがわかったのだ。
それは


「横向きに寝る」

それだけ。
早速、試したら、よく眠れるではないか。
なんでも、動物が、寝ている間に敵が襲われそうになったとき、優位なように、横向きに寝るのがベストなように体が出来てるそうなのだ。
人間も、動物だし。
で、なんと、横向きに寝ると、単によく眠れるだけでなく、寝ている間に、脳の中のゴミ(アミロイドとか)が消去され、認知症の予防になるんだと!

オドロキである。

早速、毎晩、やっている。
ああ、もうすぐに眠りたくなってきた。
脳のゴミを早く消去したい!

とりあえず、これで当分は、安泰だ!

彼らの一日

ある作家のエッセーを読んでいたら、「予定を入れないという予定の日」の話が書かれていた。
女は、日々、何かと雑用が多い。
これといった用事ではないが、ちょっとしたやらねばならない事がちょこちょこあり、ほんと〜に何もしなくていい、という日が意外にないものだ。
今日は思いっきり休んだなあ〜、という感じを味わいたい、と常々思っていたので、これは良い案だ、と思い、真似してみた。
誰かから用事が来そうになったら、
「この日は予定が入っております」
と言って断ってみる。
その予定というのは、何も入れないという予定なのだが。
そうしていくと、当然ながら、その日は予定は入らない。

その方法により、ぽっかり空いた日ができたので、直前に旅に出ようと思いついた。
直前だから、何の予備知識も得ず、一泊で行け、新幹線の切符も取りやすいところにした。

そこは、愛知県の温泉地で、川べりにある宿。
ちらっと見たHPによると、全室オーシャンビューならぬリバービューらしいことはわかった。
着いて部屋に案内され、カーテンを開けると、なるほど川が美しいではないか。
ところが、女将が、言ったのである。


「朝、8:45に、餌付けが行われます」

へ? 餌付け?
聞くと、その宿の特徴は、トンビの餌付けらしいのだ。
先に宿に到着していた外人カップルは、リピーターなのか、餌付けのための食パンを一斤持参してきたとのこと。
そう言われてみて外を見ると、上空に、ピーヒョロロと鳴きながら飛んでいる鳥が、何羽か見えた。


さて、翌朝。

「オレ、夢の中で、もう餌付けしちゃったよ」
と、連れが期待に胸膨らませてる様子。


しかし、それは、思ったより優雅なものではなかった。

朝食後、部屋でくつろぎ、何気なくカーテンを開け、外を見て、ぎょっとした。

川の向こう岸の木に、何十羽というトンビが、ズラ〜っと並んで止まっており、全員がこちらを凝視して待機していたのである。

それは、上空をピーヒョロロ、と、のんびり飛んでいた奴らとは、まるで違う生き物のように、獲物を狙う、猛禽類らしさに溢れておった。
それも、物凄い数。
その鋭い視線に圧倒され、カーテンを閉めた。
奴らは、静かにその時を待っているのだった。

複雑な思いでお茶など飲んでいると、外の気配が明らかに変わった瞬間があった。
そっとカーテンを開けてみると。

それまで木に止まっていた何十羽ものトンビが、こちらの宿間近まで飛来して、主人の投げる餌を、我先にと 奪いあっているではないか。
皆、こちらの窓にぶつかりそうになりながら、物凄い速度で飛び交っておる!
川に落ちそうな餌も、急降下してさらっている。

いやはや、凄いショーである。
ヒッチコックの映画さながら。
というか、サファリパーク。
窓すれすれに飛んでいるから、彼らの殺気立った表情までよく見えた。
これでは、リバービューというより、トンビビュー。
なんと、トイレの窓からも、このショーが観覧できるようになっておった。

ところが、10分位たつと、いきなりショーが終わり、また先ほどの木に止まり、待機。
食休みか。

後から知ったが、 泊まった宿だけではなく、その川に面した地区の宿は、みんなトンビの餌付けをやってるらしいのだ。
おそらく、時間を区切って、決めているのだろう。
餌も、たくさん一度にあげると、満足しちゃって動きが鈍くなるから、ひとつの宿でたくさんはあげないんだろうな、などと考察する。

それぞれの宿のショーを順番に終え、暗くなったら寝ぐらに帰っていき、また朝になったら出勤して来るのだろうか、彼らは。
それが彼らの一日、また一生なのだろうか。


それにしても、激しいショーであった。
穏やかで静かな温泉宿に、こんな出し物があるとは、つゆ知らず。
今度は、私が、頭をトンビの足に掴まれ、寝ぐらに連れ去られる夢でも見そうである。










判断が難しい夢判断

とても急いでいた。
どこに行こうとしていたのかは、わからない。
とにかく、自転車に乗って、どこかに向かおうとしていた。
そんな私に、何かが絡みつくように邪魔をしている。

小鬼である。

青鬼で、それも二匹。
わりとかわいい顔をしている。

今年の初夢は、そんな、妙に意味深な夢であった。


年末年始に、夫と自分の実家をハシゴしたのだが、二つの実家の共通点は、寒い、ということである。
いや、冬は、どこでも寒いし、同じ関東なのだから、そうそう気温も大差ないのだろうが、問題は、実家とはいえ、よその家ということである。

つまり、自分ちなら、寒く感じたらどうするかという手段が確立されておるが、よその家だと、やはり気を使い、ぬくぬくとしていられんのだ。
で、寝るときも、風邪をひいたらいかん、と思い、どちらの実家でも、布団を有りったけかけた。
これが、悪夢の原因。

布団が、重い。
重過ぎて、 うなされてしまったようだ。


初夢が、青鬼の夢なんて、最悪....と思って、試しに、今年はどんな災難が待ち受けているのか、夢判断に関するサイトで、調べてみた。


ところが、一言に青鬼の夢と言っても、見た人の性格や、夢を見た印象によって、良い場合とそうでない場合があるらしいのだ。


一般的には、鬼は、トラブルの象徴で、鬼に襲われる夢は、危険が迫っている兆しとあり、やはりな、と落ち込んだ。

しかし、一方で、その鬼の印象が良い場合は、吉夢であり、トラブルにしっかり対応せよ、というメッセージという説も。
更に、鬼の夢は、幸せの予兆であり、仕事運上昇のしるし、なんてことも書いてある。

一体、いーのか、悪いのか、どっちなんだよ。
判断に苦しむ。


また、鬼は鬼でも、赤鬼はダメで、青鬼ならトラブル円満解決、とある。
更に更に、同じ青鬼でも、その青が、綺麗な青ならいいが、くすんだ青だとダメとか。


結局、私の初夢を総合的に判断すると、


青鬼だから、まあいいが、くすんだ青だったからそんなに良くなく、それも小鬼だから大したパワーもないが、二匹だから幸運も二倍、で、かわいい顔をしてたからまあまあ良い、ということだろうか。

しかし、私が自転車に乗ろうとしてるのを、まとわりついて邪魔をしていた、というのは、どーなんだろうね。

あまりいい兆しには思えない気がするんだが。













今年の衝撃10大ニュース!

また、あっという間に、年末である。
この調子だと、あっという間に死んでしまうぞ!
さて、今年の、私なりの10大ニュースである。

今年の初めに、カナブンの夢を見た。
甲虫類の夢を見ると、お金が儲かる、との説があり、このブログにも書き、楽しみにしていたが、特にそう感じる出来事もなく、がっかり。


車に轢かれそうになった。
横断歩道を渡っていたら、左折してきた車が、全く減速せず、ぶつかりそうに。
見ると、60才くらいのおばちゃんが、運転席で、左手でハンドルを操り、右手でスマホを持ち、凝視。
それは、まあ、よくあるかもしれんが、驚いたのは、スマホを持つ手の位置。

遠っ! 老眼のためか、ものすごく顔から離しておった。
そんな彼女には、私など目に入る余地などないのだった。
あれじゃ、運転するので精一杯。
老眼が、日に日にひどくなっていく私も、他人事ではないが。
マジ、怖かった。

演奏しに行ってるお店のお客様に、人相が良い、と言われる。
その方は、人相を見る人で、そーゆーことが、わかるのだそう。
じつは、7年以上前に、別の店で、やはりお客様に、同じことを言われていて、このブログにも書いている。
もっと、具体的な話を聞きたかった。

演奏しに行ってるお店の近くに、ナポリタンが美味しい店があり、たまに行く。
常連になりたくない性格なので、わざとたまにしか行かないようにしている。
ところが、今まで10回は行ってると思うが、毎回、客が、同じメンバー。
というか、私の他に、その二人だけ。
座っている場所も、いつも同じなので、毎回、デジャブを感じる。
不思議な店。

知り合いなどから、やたらフェイスブックをやれ、と言われる。
そんな、たわけたものは、絶対、やらんからな。

演奏しに行ってるお店で、休憩中に、お菓子を出してくれるのだが、その日はシュークリームがどっさりあった。
私は、シュークリームが大好きなんである。プツッと皮を噛んで、中のクリームが、トロッと出てくるのが、たまらんのだ。

ところが。

そのシュークリームには、クリームは入ってなかった。
噛んでも噛んでも皮ばかり。
ていうか、シュークリームではなく、そーゆーお菓子とのこと。
なら最初から言えよっ!(って、誰もシュークリームとは言ってなかったが)
姑息な!
私はな、スイーツは、クリームとチョコのみが好きなんだよっ。

というわけで、ものすごく落ち込んで、次のステージには全く気が入らなかった。
期待しすぎはいかんな。

某店の賄いのチキンパスタに、二回、あたった。
後から思えば、幾つかのチキンが変色していた。
しばらくは、トラウマに。

長年、使っているパソコンが、マダラぼけ状態。
昨日、バーッと虹色のバーコードが出た。
おそらく、人間でいう、お花畑が見えるとかいう、臨死体験をしているのだろう。

近所に、美味しい蕎麦屋が出来、嬉しい。
メニューが少なく、既にすべて食べてしまったが。

50肩は治ったが、瞼にものもらいが。
すぐに治ると思ってたが、なかなか治らない。
若い頃は、あっという間に治ってたがな!
体内の酵素が減ってるんだろうな。
一説には、寝る直前に何か食べると、傷が治りにくいともいう。
あと、一説には、ハゲは胃ガンと結核にならないとか。
また、一説には、薬指の長い男は、出世するとか。
まあ、どーでもいいが、ちゃんと理由があるらしい。


とにかく、色々なところに、老化を感じた一年であった。

クリスマスソングで思い出すあの人

東急ハンズに、来年の手帳を買いに行ったら、クリスマスソングがかかっていて、なんか、愕然としたのである。

いや、考えてみたら、もうそういう時期なんだが、あっと言う間に、冬の気分である。
いつも、ここからが速い。
すぐにクリスマスが来て、大晦日、そして新年である。


ハンズに、クリスマス時期に行くと、色々なパーティーグッズが見れる。
パーティーなんか、まあ、しないだろうけどさ。

で、ふと、思い出したことがある。

20年くらい前、ハンズの パーティーグッズ売り場に、実演販売の男性が来てることがあった。

35歳くらいの真面目そうな男性で、フェレットか何かのぬいぐるみを使って、手品らしきことをして見せていた。
マギー審司とかのパクリのような芸で、ぬいぐるみに紐が付いていて、あたかも生きてるかのように動かすのだった。
彼の芸は、それのみ。それ一筋であった。
で、何故、印象に残ったのかというと、明らかに、いやいややってる感が滲み出てたからだと思う。


「あぁあ、なんで俺、こんな恥ずかしいことやんなきゃならないんだろう。
これを見て、買ってくれる人なんか、いるんだろうか。
早く、こんなこと終わりにしたい。でも、明日は、横浜店でもやらなきゃいけないんだよなあ。そのつぎは、新宿か。で、また町田。なんなんだ、俺の人生って」

とでも思ってるのだろうか。
背広を着て、普通のサラリーマン風なのだが、引きつった笑みを浮かべ、一連の、ぬいぐるみをシュシュッと動かす動作を終えたとき、ものすごく自己嫌悪を感じてるように見受けられた。

たまたま、ハンズに行くと、何回かその現場に出くわすことがあり、曜日によって、行く店舗が来まってるようだった。
また、時間により、休憩に入るらしいこともわかった。



彼を見て学んだことは、芸は恥ずかしがったり、ためらったりしてやってはいけない、やると決めたらとことん、それに没頭しなければならない、ということだ。

今度、彼に会ったら、「そんなんじゃ客の心は掴めんぞ」と、諭してやろうと思ったが、ここ数年、この時期になっても、姿は見ない。

部署が、変わったのだろうか。

気掛かりである。






犬の店

夫がよく行く店に、「犬の店」がある。
私は、行ったことがないが、ペットショップではなく、犬が存在感を示している、居酒屋らしい。
ちゃんとした店名があるとは思うが、彼は、店の名前は全く覚えない人で、犬の店の他にも、
おっちゃんの店、ケンちゃんの店、ラムの店、古くて新しい店、カツオの店、カツオの新しい店等、通称で呼んでる店が色々ある。

ところで、夫は、以前から、異様なほど、犬や猫に好かれる。
他の動物はわからないが、犬と猫は、夫と出会うと、運命の相手に出会ったような顔をする。
近づいてきて、彼の側を離れない。

おそらく、犬や猫に好かれる匂い、フェロモンを発しておるに違いない。
前に、彼の実家に行った際、当時そこで飼っていた猫が、行くとすぐに彼の膝にのり、あまりに陶酔しきった表情をしていたので、びっくりしたこともあったのだ。
なんていうか、あからさまで。


匂いというのは、自分にとって良いパートナーを得るときに、とても重要な働きをするらしい。
以前、テレビ番組で見たのだが、自分と違う匂いのする異性をセクシーと感じ、惹かれるらしいのだ。
つまり、丈夫な子孫を残すためには、多様な免疫が必要で、そのためには、自分とは違う遺伝子を持つパートナーが良いというもの。
その遺伝子を見分けるためには、まず容姿、そして匂いなのだ。

その番組では、だから成田離婚ということが起こる、と言っていた。
それまではわからなかったが、新婚旅行に行き、相手の匂いが駄目だとわかってしまうということだ。
要するに、自分と同じ匂いだと、イマイチ魅力を感じないということなんだろうな。
その遺伝子なら、持ってるし、みたいな。

ということは、犬猫にとって、夫はすばらしい遺伝子を持ってるということなのだろうか。
違う種類の動物でも...OK?


それはそれとして、この間、深夜に、夫と待ち合わせたときのこと。

夫は先に、待ち合わせ場所に着いており、遠くから私の姿を見つけるやいなや、物凄い勢いで、走ってきた。
それも、嬉しそうなので、何か理由があるのか、尋ねたが、特に理由はなく、なんとなくそうしてみたくなったとのこと。

で、それまでどこにいたか訊くと、犬の店で飲んでた、という。
またその日も、犬にからまれ、匂いを嗅がれたのか尋ねると、犬は不在だったという。
少し前から、姿が見えないので、死んだのかも、と言うではないか。


それで、私は、悟ったのである。
前述の、彼の行動は、ご主人様を見つけ、大喜びで駆け寄ってくる飼い犬そっくりであった。
それは、犬の店の犬が、彼に乗り移ったのに違いないと。

出したらいかん!

夏には、いかにも夏、ということがしたくなる。

夏祭りに行ったり、いつもは腹具合が悪くなるから避けている冷たいアイスを食べたりしたくなるのだ。

今年も、夏と言えば海、と思い立ち、お盆に志摩半島の海沿いのまち、浜島に行ったのである。

よかった。
何と言っても、あまり観光化されてないところが、私好みである。
旅館からも、水平線まで見渡せ、海満喫。

さらに気に入ったのが、旅館の近くの海沿いの道が、びん玉ロードと名付けられた通りで、ガラス製のブイが、電灯代わりに並んでいて、日が暮れると灯りがともるようになっている。
夕暮れ時に散歩したが、夕焼けが美しく、時を忘れた。

夜は、都会のように深夜営業の店もなく、静かで、聞こえるのは、波の音だけ。
こういう時間って、必要だ。

まあ、どんな土地でも、必ずバーを探し出す能力を持った夫が、今回も探し出し、そんなところにあるとは思えない洒落たバーには行ったが。

とにかく、2泊の旅だったが、充実していた。



その帰りの新幹線の中で、ちょっとうとうとしていたとき。
いきなり、叫び声が車内に響きわたった。


「出したらいかん出したらいかん出したらいかん!!!」


かなり緊迫した大声に、何事かと、声のするほうを見た。

すると...


親子が、車内の前方の席に並んで座り、ハンバーガーとポテトを食べていた。
お父さんと息子。
お父さんは、30過ぎ、息子は6才くらいか。

察するに、息子が、ハンバーガーを食べる際、包み紙の袋から、バーガーを出そうとしたらしい。
それを見たお父さんが、ものすごい勢いで、注意を促していたらしい。
袋には、多分、「袋から出さずにお食べください」との表示があったはず。
出すと、ソース等がたれるから。
そりゃソースがたれたら一大事!
服が汚れたら、後でお母さんに叱られるっ。
と、そんな状況のようであった。

初めての、息子との二人旅。
お父さんも、まだ幼さが残る、必死な表情で、なんとも微笑ましかった。


にしても....。
何か大事件が勃発したのかと、車内の乗客は思ったに違いない。

夏休みの、旅する親子。

これも、なんとも、夏らしくて、よかったのであった。

で、急に、ハンバーガーが食べたくなり、その後、食べたのである。








去りゆく夏

気がつくと、夏が終わりではないか!

もっともっと、気違いじみた猛暑を味わいたかったのに、あっと言う間であった。

この夏は、いろいろな事があったように思う。

先月、お盆が終わって急に涼しくなったころ、夫の父が亡くなった。
一年半ほど入院していて、高齢なので、いつなにがあってもおかしくはなかったのだが、病院からの連絡で駆けつけたときには、もう息はなく、ああ、人って、本当に亡くなるんだな、と思った。





初めて夫の実家に行ったときのことは、鮮明に覚えている。

埼玉の山奥で、学校の図書館を改造した建物に、夫の両親は住んでいた。
夫の実家といっても、義父が音楽の教師をしていた関係で、30回くらい引越しを繰り返していたので、そこには夫自身はいなかったらしいが。

で、なぜか、生活している所の横にある広い場所に、何十台ものピアノがあった。
私が行ったとき、義父がそこを案内してくれたのだが、電灯が壊れていたらしく、いろいろな色の灯りがついたり消えたりして、まるでディスコのミラーボールの下にいるようだった。
その下で、義父が踊っているように見え、なんともサイケな状況であった。

義父が、入院してるとき、義母が、変なことを言っていた。
そこに義父はいないはずなのに、夜一人で寝ていると、義父のいびきが聞こえるというのだ。
それも、義父が危篤状態になったときに限って聞こえると言っていた。
今から思えば、幻聴だったのだろうと思うが、当時は、義父が、一人で逝くのが寂しいのかな、と夫と話していた。

それにしても、お葬式のとき、お骨を拾ったが、人間、誰でも最後はああなるのだな、と、しみじみ思わされた。
義父は、若い頃、声楽をやっていて、いつか、私の伴奏で歌いたいと言っていたが、かなわなかった。

人間、最後のときは、いつくるかわからないから、やりたいことは、日々やっておかなければならないのだな。
それがなかなか難しいのだが。









消えたっ!?

先日、いつものように、新宿駅から、小田急線に乗り、帰途についていたときのことである。

午後6時過ぎのラッシュ時で、1台待って、座席を確保し、ミステリーを読みながら、帰るつもりであった。
ところが、座って本を広げ、少し読み始めたころ、車両のドア付近から、突然、妙な声がした。

電車は、まだ、発車していなかったが、既に満員で、私の前にもぎっしり人が立っていたので、私からその声の発生場所は、見えなかった。

声からすると 60歳くらいの婦人ではないかと思われたが、
「皆さん、聞いてください! 重要な事をお知らせします」
などといった、前置きから、その方は話し始めた。
当然、その車両に乗っている人たちは、ほぼ全員、注意を払った。
が、その後の話は、何か宗教がらみで大変なことが起こっている、といったようなことで、
今、自分たちに直ぐに関わってくるとは思われない内容であった。
それで、車両内の一瞬の緊張は、溶けて行った。

そうこうしているうちに、電車は発車、声の主は、変わらず、何かを訴え続けていた。
問題は、声の音量。

でかっ!

そのうち、皆、そのうるささに、うんざりしてきた。
私も、ミステリーを読むのを諦めた。
左 隣に座ってた若い女性も、
「これ、ずっと続くのかよ」
と、連れの女性と顔を見合わせていた。
右隣に座っていた中年の女性も、連れの女性と、
「どの人が言ってるの?」
と、眉をひそめて、声のする方を見るが、満員電車なので、その姿も顔さえも見えない状態。

そう、車両内のほとんどの人が、声のする付近を首を伸ばしたりして見るのだが、人が多くて見えないのだ。
とにかく、甲高いうるさい声で、淀みなく訴えているので、
「近くの人が、やめさせてくれないかな」
と、誰もが思っていたと思うのだが、誰も関わりたくないらしく、注意する人もいない感じであった。
迷惑なのだが、よくあれだけ淀みなく喋り続けられるな、と思ったり、でも、いつまで続くのかなあ、とため息をついたり。

ところが!


その終わりの時は、突然、やってきた。

その話の内容の流れとは関係なく、突然、パタッと声がやんで、静けさがやってきた。
皆、いっせいに、声の主のほうを見て、話が終わったのを確認しようとし、同時に、どの人が声の主かを見定めようとした。
「終わったの?」
「ねえ、どの人?」
などと、口々に囁きあい、車両内が騒然。
私も、乗客と乗客の間からそちらを見たが、ごく普通の人しかいないように見えた。
そして、誰かが叫んだのだ。

「消えた」

その声に、さらに車両内、騒然。
そのうちに、次の駅に着き、どっと乗客が降りた。
その中に、それらしき人は見受けられなかったが、そもそも、最初から姿を見ていないのだから、普通の婦人の格好をしていれば、まあ、わからないだろう。
まさか、言いたいことを言い終えたから、消えた、なんてことはないと思うが。

確実に、すぐ近くにいた人はいるはずで、その近くの人が、「消えた」と言ったのなら、超常現象だろうが、それもどの人が言ったのかもわからず仕舞い。

誰も姿を見ていなくて、声だけがみんなに聞こえてたとしたら、それも怖いな。

謎である。



ホコリ高き家

以前にも書いたが、1日に1、2回ほど咳き込むことがあり、その状態が続いていたので、この際、徹底的に、原因をつきとめることにした。


今回かかったのは、小田急相模原にある、国立病院機構相模原病院の、アレルギー科。
実は、今から12年前に、人間ドックを受けた際、ついでにアレルギーテストも受けたのだが、ハウスダストアレルギー、それも、アスペルギルスという真菌に強い反応がある言われたのだが、その権威が、この病院にいるのだ。

で、今回、納得がいくまで調べようと思い、前々から予約をしておいた。
たが、あまりにその事ばかり考えていたら、嫌な夢を見た。
病院に行き、診察を受けようとしていると、係の者?に、
「あなたはこちらへ」
と、他の患者とは別のところへ連れて行かれた。
長く暗い病院の廊下を、案内されるがままに行くと、行き着いたところは、

「アスペルギルス棟」

薄暗い研究室のようなところで、白衣を着た、怖そうな医者が、何人もいて、私を出迎えた。
見るからに、やばい人体実験が何かをされそうな雰囲気。
ちょっと、用事を思い出したふりでもして、逃げてしまおうか、などと思ってるところで、目が覚めた。

ところが、病院に行く日の前の日に、咳は治まってしまった。

何があったかというと、なんと、20年ぶりに、家中の大掃除をしたのであった。
いや、ぶりっていうか、今の家に越して20年なのだから、初めてというのが、正しい。

それからは、全く、咳がでなくなった。
よーするに、ハウスダストアレルギーだと前に言われたことが、ここにきて証明されたのである!

っていうか、そー言われたのなら、とっとと掃除すればよかったのだ。
何のために検査を受けたんだか。

だが、せっかく予約したので、病院には行くことにした。
季節が変わったら、また悪化するかもしれないし。
実は、独身のとき、 この病院の隣にある団地に住んでいた。
だから、小田急相模原、通称オダサガには、親しみがあり、よく通った商店街を懐かしく思いながら歩いた。
病院に着き、まだちょっと時間があったから、トイレに入ったら、大きなムカデに遭遇。
じっと観察していたら、わさわさと一番手前の個室に入っていった。
その後、トイレから出ようとすると、人が入ってきて、手前の個室に入ろうとしたので、そこにはムカデが入っておるぞ、と注意を促してあげた。
その方は、驚き、お礼を言って別の個室に入った。
で、またトイレを出ようとすると、また別の方が入ってきて、手前の個室に入ろうとするではないか。
だからまた、そこにはムカデが入っておるぞ、と教えてあげ、そうやってムカデの番をしていて、なかなかトイレから出られなくなった。
いきものがかりならぬ、ムカデがかり。

さて、診察を受け、喘息かどうかの検査をすることになり、血液検査や、レントゲン撮影の後、薬品を吸い込んで、気道の状態を見る検査をした。
その時、医師に、「今日は、楽になる検査ですからねー」
と、言われ、「今日は」というのが、気になった。

で、案の定、別の日には、「苦しくなる検査」つまり、気道を狭めるとどのくらいで苦しくなるかの検査が待っていた。
さらに、その日までに、痰を採ってこいと言うのだ。
いや、汚い話で恐縮だが、よく道端で、カーッ、ペッとやってるおっちゃんがいるが、どーやったらそんなことができるのか、不思議でならない。

今回、ネットで検索し、出し方を調べ、頭を下にしたり、無理やり咳払いをしたりしていたら、内臓が出そうになって、どーーやっても無理だった。
前述のおっちゃんを町で探し、弟子入りしなきゃならんな、などと考えたが、提出しなくても大丈夫だった。


その後の 「苦しくなる検査」でも、特に苦しくならなかったので、結局、今は症状が出ていないし、治療はしなくてよい、というところに落ち着いた。

ということは、だ。
今まで苦しんできたのは、家のホコリが原因だったというわけだな。
いやあ、掃除って、侮れなんな。
ていうか、掃除しなさすぎ。
そのアスペルギルスの権威の方がテレビで言ってたが、エアコンって、見落としがちなやばいところらしい。
今回は、思いきって、新しいのに変えたのがよかったのかも。
あと、いらない譜面や本も、どっさり捨て、思いがけない断捨離になった。

また、お風呂のカビも掃除したいが、まだやってない。
以前、プロのお掃除屋さんに来てもらい、風呂場を掃除してもらったとき、大変苦労しておったっけ。
死ぬ気でやります、とか言って、重装備で臨んでいた。
あの人、まだあの掃除会社にいるかな、と夫とたまに話す。
おそらく、うちに来た翌日に、辞表を出してやめたか、入院でもしていることであろう。


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