【 なぜ桜じゃなく梅だったのか 】 リフォームするなら福島の光和設備工業所
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光和設備工業所の蒲倉です。
福島市内の桜はもう殆ど散って葉桜になりました

桜は春の訪れを告げる代表的な花ですが
桜でお花見をする習慣は平安時代の貴族からの話です

江戸時代には庶民の間でもお花見が楽しまれ
あちこちにたくさんの桜の木が植えられて今に至る訳ですが
奈良時代などは春の花と言えば梅ですよね

こんな事は学校で習ったりテレビなどの情報番組で
何度も聞いているのでみんな知っていると思います

日本三名園の一つ水戸市の偕楽園に梅まつりの最終日に行って来ました

当時の水戸藩主・徳川斉昭が設立した
『 人が共に楽しむ場所 』 として庶民にも開放されていた場所です

江戸時代、桜ではなくなぜ梅だったんだろう

そんな疑問を持ちつつ見学しました

梅は花や香りの観賞用だけでなく保存食や薬効的な実用性の面から
そして梅の別名の好文
園内に建てられた好文亭では文学や哲学の話し合いや茶会などが
行われていたそうです

桜ではなく梅なのがなんとなく分かりました

偕楽園という名称も孟子の一節から取ったようだし
近くにある弘道館も斉昭が作ったもので
徳川斉昭という人は勉強熱心な庶民の事を考えていた藩主だったのかもしれません


公園から見る好文亭


松の間やつつじの間や紅葉の間とたくさんの部屋があり
どれだけ広いんだと驚きました

中でも桜の間は華やかで客室に使われていたそうです


斉昭もこのような景色を眺めていたのでしょうか


黒鳥が2羽泳いでいました


弘道館にも行ってみました


今では観光地ですが当時は日本最大の藩校でした


ちょうどイベントが開催されていてコスプレした人がたくさんいて
水戸黄門に扮した3人がポーズをとってくれました


ご飯はやっぱりここでしょ

毎回同じの食べてるけど外せない

