2004年10月19日

火炎樹日記のアドレス変更

火炎樹日記のアドレスが変更された。


http://koyamamichio.com/

上記のアドレスへアクセスをお願いしたい。

2004年10月19日
  
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2004年10月18日

火炎樹日記のアドレス変更 http://koyamamichio.com/

昨日から日記が満杯になり、新日記サイトに移行しました。

新アドレス  http://koyamamichio.com/

今後は、上記のアドレスへアクセスを。  
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2004年10月17日

久しぶりの晴天。東京大仏までウオーキング。NHK 「ジイジ〜孫といた夏」を見る

朝、国際ボランティア貯金NGOレポート原稿一部手直し。
午前9時から東京大仏までウオーキング。
ウオーキング後、お風呂にゆっくりと入る。気分爽快。
午後4時半、NHKTV「ジイジ〜孫といた夏」を1時間半見る。2004年に見たNHKの番組では最良。  続きを読む
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2004年10月16日

寒い1日

午前中17通のメール受信。8通のメール送信。
午後、日本郵政公社関連の国際ンティア貯金普及協会「国際ボランティア貯金NGO活動レポート集」の原稿を書く。100字、400字、100字。
フエのベトナム事務所では風邪が流行っている。何人かの日本人スタッフが風邪を引いたようだ。気候の変わり目、食べ物、風土の違いの中での生活は、住むだけで「闘い」である。健康の回復を祈る。

この日記の最大容量100MBに対し、今日時点で99、50MBと99・5%の使用率となっている。あと数日でこの日記は満杯となる。  続きを読む
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2004年10月15日

上野公園を散策

午前中、17通のメール受信。7通のメール送信。
午後1時、妻と一緒に上野公園へ。まだ紅葉の時期ではないが、久しぶりの太陽。柔らかな太陽の光と緑の上野公園は心を休める場所である。来週から朝日新聞の連載小説は、吉村昭の「彰義隊」である。舞台は正にこの上野公園。数時間、公園内を二人で散策。丁度、「大道芸大会」中。西洋美術館では「マチィス展」。

上野公園から広小路を経て、アメ横へ。アメ横の「二木の菓子」へ行く。
10月24日から札幌へ行くが、札幌にいる孫へのお土産のお菓子を買う。
午後5時過ぎまで妻と上野を散策。かなりの運動となる。病気休職・療養中の妻にとっては適度の運動となる。  
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2004年10月14日

家で仕事 メール、手紙 、「ライブドアー堀江氏頑張れ」

終日、曇、雨。寒い。
26通のメール受信。15通のメール送信。半日。
午後、支援者へ手紙を書く。
1時間半歩いて夕食の買い物。  続きを読む
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2004年10月13日

千葉県立八街高校の授業

午前10時前自宅発。
午後1時千葉県立八街高校着。
「国際ボランティア養成講座」2時間授業。
午後6時過ぎ、自宅着。  続きを読む
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2004年10月12日

1日雨。臨時国会開会

1日雨。寒い。
14通のメール受信。12通のメール送信。
朝からだるく、1日中寝ていた。明日は千葉県立八街高校の授業。
授業の準備をする。明日は教育委員会の視察の日だそうだ。
夕食は鍋物。出汁をとり、しめじ、白菜、人参、ネギ、大根、豆腐。
その後、うどんの1玉。最後にご飯一膳。この食べ方は、札幌の
長男宅で覚えた「鍋物三段とび」である。野菜→うどん→ごはん。
出汁がでていて美味しい。
手作りのぬか漬け(きゅうり、大根、ナス、人参)と一緒に。

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2004年10月11日

日本郵政公社主催「国際ボランティアを考えるつどい」

午前中、20通のメール受信。8通の送信。
午後12時、自宅発。埼京線で与野本町へ。彩の国さいたま芸術劇場で日本郵政公社主催「国際ボランティアを考えるつどい」に参加。
午後2時〜午後3時まで。
国際NGOーIV−JAPAN、ベトナムの「子どもの家」を支える会、筑波大学生、
フリー・ザ・チルドレン・ジャンの高校3年生が10分ずつ発言。
その後、若干の補足発言で終了。

つどい終了後、森田さん、山田さんと出会う。シニアボランティア体験ツアー参加の小川ご夫妻と1時間ほど懇談。
その後、山西副代表、西山優子日本語教師(8月まで)、中村新日本語教師と懇談。  
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2004年10月10日

熱海へ

午前4時起床。
午前6時、内田征子さんご夫妻に家の家の近くまで来て頂き、伊豆高原へ。
東名高速で順調に進むが厚木小田原道路が不通。熱海へ降りる。熱海から網代を通り伊豆高原へ行こうとしたが、昨夜の台風22号の影響で網代から先が不通。伊豆は思った以上に台風22号の影響を受けていた。熱海や網代は大きな木が倒れ道路が損壊していた。内田さんご夫妻に深謝。
結局、伊豆高原へ行けず。熱海で私だけ降り、Aさんの自宅へ。Aさんの諸問題をご両親と話し合う。帰宅は午後6時過ぎ。

東京オリンピックから40年。東京オリンピックの時(私が高校2年)父親が急死。それから40年になる。高校2年から朝4時に起きて牛乳配達。高校の授業の3分の1は出席できなかったが、当時の都立高校は「良心的教師」がたくさんいた。何とか卒業させてくれた。卒業の勉強も大学入試の勉強も何も出来ないで苦闘していた17歳だった。そのころの苦闘が今の私を作ったと感謝している。  
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2004年10月09日

台風22号 風邪を引く

台風22号の影響で1日雨。夕方強風。
風邪を引く。1日中、寝ている。
10通のメール受信。9通のメール送信。  
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2004年10月08日

風邪を引く 

今日は1日休み。終日雨。
昨夜から風邪を引く。今朝はくしゃみと鼻水。倦怠感。
1日寝ていた。
10通のメール受信。10通の送信。
10月11日日本郵政公社関東支社主催の「ボランティアを考える集い」用のビデオを作製。(4分間にJASS活動をまとめるのは結構大変だった)
ブライセン藤木社長より電話。10月に会うこととする。
11月21日SON君とフエへ帰国する切符の手配をする。
昨日、福田もえ子副代表がフエへ戻る。
一日、寒かった。夕食は鍋物。  
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2004年10月07日

1日各種文書書き。夜、高校クラス会

●午前中、ボランティア貯金中間報告書完成。送信
●午後、ロータリークラブへの手紙
●夜、赤坂で高校クラス会  続きを読む
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2004年10月06日

羽田へ見送り

午前中、会の文書関連の仕事。ボランティア貯金中間報告書仕上げ。
午後2時、自宅を出て羽田へ。孫と嫁さんを見送りに。帰宅午後5時過ぎ。  
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2004年10月05日

通院ーーーマルタカ創立40周年記念式典参加

一日雨。

●9時、新宿榊原クリニックへ。
●午後6時、浅草ビューホテルにて「アクセサリーマルタカ創立40周年記念式典」へ。100名の参加で盛大な式典であった。
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2004年10月04日

1日雨

久しぶりに1日休養日。
新聞を読み、ベトナム事務所や講演会野お礼、関係者へのメール、手紙書き。  
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2004年10月03日

イチロー新記録と長島・ナベツネ会談

昨日は旧清水市での講演会。夜遅くまで静岡の会の笠井さんや本間さんにお世話になった。今日の午後帰京。一日雨。日比谷では日本事務所、支援者の皆さんが国際フェスティバル2004に参加。物品販売、ブンボー販売、会紹介などの活動を行っている。雨の中、本当にご苦労さまである。

昨日、イチローが安打の大リーグ新記録を作った。80数年ぶりの快挙。
暗い話が多い昨今では、本当に明るく心を打つ話である。単身大リーグに渡り4年間。こうした大記録を作った裏には、イチローの孤独との闘い、並々ならぬ努力があったものと思う。くの日本人の心を打つ出来事である。

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2004年10月02日

国際協力フェスティバルーーー旧清水市講演会

●午前10時、日比谷公園で行われている「国際協力フェスティバル2004」に参加。
●午後5時、静岡駅前で藤田栄氏、笠井英彦氏と懇談
●午後7時、旧清水市の「入江地区青少年健全育成推進大会」で講演。330人参加。  続きを読む
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2004年10月01日

不思議な支援の拡がり

日本郵政公社のボランティア貯金を頂いている。郵政公社国際ボランティア貯金情報誌「WITH YOUR LOVE」(2004夏の号)に私たちの取り組みの特集が出ている。(全国2万の郵便局で無料でもらえる)
この特集リーフレットを読んだ練馬区在住のライオンズクラブの方が日本事務所に連絡。「リーフレットを読んで非常に感銘を受けた」とのこと。早速、ご本人に電話をしてみる。自分たちも何かできる事があったら支援したい、近いうちに講演会などをして欲しいとのことであった。お住まいを伺うと太平観光北垣会長のお宅から50M。太平観光や北垣会長を良く知っているとのこと。直ぐに太平観光に行って北垣会長と会いたいと話していた。北垣会長にも連絡を入れ、事情を説明。こうした縁でまた、「子どもの家」への新しい支援が始まろうとしている。人間の縁とは不思議なものである。

終日メールへの対応。22通の受信。11通の送信。  
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2004年09月30日

台風一過、晴天。

昨夜の台風通過で一晩眠れず。深夜3時にNHKラジオを聴く。灰谷健次郎さんの「沖縄と私」(2004年2月の再放送)を聞く。
私は灰谷健次郎の「兎の眼」が一番好きである。特に「はえ博士」の鉄三(?)君。灰谷さんは、「兎の眼」を書いたのは理論社社長の小宮山量平氏に自分の「沖縄放浪」の理由を説明したいために書いたと言っている。
灰谷さんの沖縄放浪の原因は長兄の自殺。長兄の自殺を救えず、自分のことしか考えていなかった自分自身を責め、17年間の小学校教師を退職。沖縄の八重山諸島の「パイナップル工場」で仕事をする。その工場の「オバー」に「自分が死んだら死んだ人を語る人はない」と言われ、大阪へ帰り「兎の眼」を書く。私の尊敬する作家の一人。

午後2時から支援者との懇談。午後6時終了。
26通のメールを受信。11通のメールを送信。
9月26日から札幌の長男の嫁さんと孫が東京の自宅に来ている。今日は、ディズニーランドへ。私は支援者と懇談。
  
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