2004年09月30日

台風一過、晴天。

昨夜の台風通過で一晩眠れず。深夜3時にNHKラジオを聴く。灰谷健次郎さんの「沖縄と私」(2004年2月の再放送)を聞く。
私は灰谷健次郎の「兎の眼」が一番好きである。特に「はえ博士」の鉄三(?)君。灰谷さんは、「兎の眼」を書いたのは理論社社長の小宮山量平氏に自分の「沖縄放浪」の理由を説明したいために書いたと言っている。
灰谷さんの沖縄放浪の原因は長兄の自殺。長兄の自殺を救えず、自分のことしか考えていなかった自分自身を責め、17年間の小学校教師を退職。沖縄の八重山諸島の「パイナップル工場」で仕事をする。その工場の「オバー」に「自分が死んだら死んだ人を語る人はない」と言われ、大阪へ帰り「兎の眼」を書く。私の尊敬する作家の一人。

午後2時から支援者との懇談。午後6時終了。
26通のメールを受信。11通のメールを送信。
9月26日から札幌の長男の嫁さんと孫が東京の自宅に来ている。今日は、ディズニーランドへ。私は支援者と懇談。


この記事へのトラックバックURL