2019年10月1日(火)1 江戸東京博物館「サムライ展」2019年10月2日(水) 「おそ松くん」

2019年10月01日

2019年10月1日(火)2 「待乳山聖天」

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 食事を終え、「国技館」のすぐ近く、「旧安田庭園」を訪ねてみました。
 もともとは、「常陸国笠間藩主本庄因幡守宗資(ほんじょういなばのかみむねすけ)」によって、元禄年間(1688〜1703年)に築造されたと庭園だとのことです。かつては隅田川の水が引かれ、庭園の中の「心字池」の中を巡っていたのだそうです。明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸宅となり、さらに安田財閥の創始者、安田善次郎氏の所有となりました。
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 安田氏の没後、大正11年、東京市に寄附されました。関東大震災、太平洋戦争を経て東京都から墨田区に移管され、全面的改修を行い、現在に至ります。かつて、川の水と続いていて、潮の満ち引きにより景観を変えていた池の推移は、ポンプによって人工的に再現されているとのことでした。
 池の中では、亀が漂うように泳いでいます。
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 散歩が終わったら、レセプト(診療明細書)の見直しのために、クリニックに戻ろうと思っていました。「言問橋」を渡り、「言問通り」を歩いて、クリニックに向かうことにします。
「名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
 「都」という言葉を名につけているからには、都の事情に詳しいであろう。さあ尋ねよう、都鳥よ。私が恋い慕う人は無事でいるのかいないのかと。
 「言問橋」を渡り切ったあたりに、この橋のいわれとなった、在原業平(ありひらのなりひら)の歌を記した碑と、「浮世絵展」のポスターがありました。「浮世絵展」が開かれているという、「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」にちょっと寄り道です。
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 「待乳山聖天」、正式には「本龍院(ほんりゅういん)」というようです。聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院の一つだそうです。毘沙門天が祀られています。
 境内の中にで、「大根」が売られていました。何でも、大根は、心の中の迷いや怒りの邪気を表していて、ここに供えることにより、心の毒を清めてくれるとのことでした。
 お清めをした後の、重い大根を持って帰るのは面倒なので、今日は買い求めませんでしたが、大根の料理を考えたときには、ここで買って帰りましょうか(笑)。
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 本殿の脇にある、「浮世絵展」が開かれている建物に入ります。入場無料でした。驚きます。
 江戸時代の「待乳山」、「隅田川」、「山谷堀」などに関する多くの作品が展示されます。上流の「荒川」から、下流の「隅田川」までの光景を描いた、歌川広重や葛飾北斎などの浮世絵が、川の流れの地図に沿うような格好で並べられています。
 作者別、年代別ではなく、川の流れの途中の、どの地点かで並べられているのは、面白いと思いました。
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 「待乳山聖天」は、30段ほどの石段を上る、ちょっとした丘の上にありました。本殿の裏の斜面を利用した、小さな庭園がありました。広くはないのですが、鯉の泳ぐ池があり、豊かな木々のために、外の世界とは隔絶された空間になっています。
 浅草からそれほど離れていないところに、こんな別天地があるのには驚きです。木々の陰にいると、外の暑さを忘れてしまいます。
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 「待乳山聖天」へ向かう石段の近くに、「池波正太郎生誕の地」という碑がありました。池波正太郎氏は、この辺りで生まれたようです。生まれたのは、1923年(大正12年)で、「関東大震災」と同じ年ですね。生家は震災で崩壊しましたが、その後も、この地に住み、作品にも、この辺りの地名がよく出てくるようです。
 今日は、3時間くらい歩きました。クリニックに戻りましたが、疲れてしまって、「レセプト(診療明細書)」の見直しどころではありません(笑)。

koyamaclinic at 23:49│Comments(0) 今日の散歩 

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