2017年1月13日  金曜日


2017年1月13日05時00分  朝日デジタルから引用



 雇用主から解雇やレイオフ(一時解雇)された米国人は、1日に概算で7万5千人にのぼる。こうした労働者のなかには良い就職先が見つかる人もいるだろうが、多くは給料が下がるだろうし、その後何カ月も、あるいは何年も仕事が見つからないままの人もいるだろう。


 この話をあなたがひどいと思うなら、そして、どんな経済危機が起きていたかと考えているなら、答えよう、何も起きてはいない。実のところ、労働市場では平常通りに時が流れている。


 米国経済は巨大で、雇われている人は1億4500万人にのぼり、絶えず変化もしている。産業や企業には盛衰があり、勝者も敗者もいる。その結果、雇用は常に揺れ動き、より多くの雇用が生まれるのと同時に、多くの職が消えていく。自己都合ではない、「会社都合」による平均的な1カ月間の離職者は150万人。実働日1日当たり7万5千人だ。これが冒頭の数字だ。



 なぜこんな話をするのか? 実効性のある真の経済政策と、最近メディアであまりに多くの注目を集めている、まやかしの政策との違いを際立たせるためだ。



 本物の政策は、米国のような裕福な大国では多額のお金が絡み、経済に幅広く影響を及ぼす。医療保険改革法(オバマケア)の廃止は、まさに本物の政策だ。実施すれば、低・中所得世帯向け保険への、何千億ドルもの補助金を奪い取り、約3千万人が無保険になる結果をまねくだろうから。



 対照的なものとして、複数のニュースチャンネルでこのところ繰り返し流された話を考えてみよう。次期大統領のドナルド・トランプ氏の口先介入で、米空調大手キヤリア社がメキシコへの雇用移転をやめたという話だ。800人の雇用が維持されたと報じるものもあれば、機械で置き換えられるだけだろうと伝えるものもあった。だが、最も好意的な解釈をしたとしても、職が守られた労働者の約100倍にあたる人数が、その同じ日に失業していた。


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 まるでトランプ氏が本質的な意味あることをしたように感じたかもしれないが、そうではない。まやかしの政策なのだ。本物の成果のためではなく、うぶな田舎者にすごいと思わせるための見せ物だ。


 同じことが、フォードがミシガン州で700人の雇用増を決めたという大げさな宣伝にも当てはまる。ゼネラル・モーターズ(GM)がシボレー・クルーズをメキシコで製造しているという、事実と異なるトランプ氏の糾弾も同じだ。メキシコの工場は主に他国の市場向けで米国向けではない。


 次期政権はフォードの決定に何か関与したのか? 政治的圧力でGMの戦略を変えることはできるのか? ほとんど関係がない。個別問題への大統領の干渉が、19兆ドル(2185兆円)規模の経済に重大な影響を与えることは決してないだろう。


 それならなぜ、こうした話題がこれほどメディアの注目を集めるのか。

 次期政権がまやかしの政策をとろうとする動機は、明白だ。いい加減なポピュリズムとぴったり寄り添うものでもある。


 トランプ氏は白人労働者階級の有権者から圧倒的な支持を得た。有権者たちはトランプ氏が味方だと信じた。しかしトランプ氏の本物の政策の主題は、不気味な貿易戦争以外は、ごくふつうの現代の共和党政策だ。つまり、億万長者に対する大幅減税と、多くのトランプ支持者に不可欠なものまで含む公共政策の容赦ない削減である。


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 では、ペテンを続けるためにトランプ氏にできることは何か。

  あちらこちらでいくらかは雇用を守ったと長々と語られ得る、人目を引くが、実際は取るに足りない干渉だ。この巨大な国で、実際の効果は、誤差の範囲にすぎないだろう。だが、おそらく少なくとも、宣伝戦略としてはしばらくの間はうまくいくかもしれないのだ。


 企業にも、その宣伝に同調したい動機がある。仮にあなたが新政権のご機嫌を取りたい最高経営責任者(CEO)だとしよう。一つできることは、もちろん、トランプ氏が手がけるホテルや他の事業に向けてビジネスに乗り出すことだ。もう一つは、トランプ氏に好意的なニュースの見出しをつくり出すことに、手を貸すことだ。



 米国で数年間、数百の雇用を維持することは、選挙献金としてはかなり安い。もっと安くすむのは、どのみち本当に増やした雇用を、新政権の説得で増えたふりをすることだ。とはいえ、いずれも、ニュースメディアの共謀なしには、うまくいかない。これも大問題になりつつあるが、「偽ニュース」について言っているわけではない。

私が言いたいのは、まともな主流派のニュースで取り上げることだ。



 こう言っては悪いが、雇用を守ったとするトランプ氏の主張の根本的なまやかしぶりを伝えず、その主張を繰り返し大きく取り上げるのはジャーナリズムの背信行為だ。記事を読み進んでいけば、結局は偽りを暴いていても、同じことだ。

  見出しを見て主張は妥当だと思うのが、ほとんどとは言わないまでも多くの読者なのだから。

 さらによくないのは、まやかしの政策に関するニュースに追い出され、論じられるべき政策が取り上げられなくなることだ。


 まやかしの政策に、やがてメディアが反発し、キヤリア社の事例のような人気とり策を単にばかげたものだと扱うようになるかもしれない。しかし、これまでのところ、楽観できる要素は何一つない。


 (〈C〉2017 THE NEW YORK TIMES)

 (NYタイムズ、1月6日付 抄訳)

 
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 Paul Krugman 1953年生まれ。米ニューヨーク市立大学教授。2008年にノーベル経済学賞受賞