この意味は、「自己の満足のために行う小さな善行(小善)は、それが善意から発したものであっても、結果として人を傷つける(大悪)のと変わらない場合がある。それに対して心から相手の幸せを考えて行う善行(大善)は、場合によっては厳しい言葉や突き放した行動を伴うため、情け容赦のない態度(非情)と誤解されることがある。」というものです。


 小善の例として、以下のような話があります。ホテルに泊まって出発する際に部屋の中や水周り(浴槽や洗面台)を掃除して、まるで使っていないかのような状態にされる方がいらっしゃいます。「始末」ということを実践されるすばらしい姿勢です。ホテルの掃除係の方も感動されるでしょう。私もこの話を聞いてしばらくこれを実践していました。もちろん水周りは備え付けのフェイスタオルで掃除します。たまたまこの話をあるリネン業者さんにしたところ、「それはとんでもないことだ。フェイスタオルは人の肌を拭くものであって、浴槽など掃除をされたらすぐにダメになってしまう。ホテル側はいいかもしれないが、その損害は私どもが受けることになる。絶対にやめて欲しい。」という言葉をもらい愕然としました。そして自分の小善を恥じました。己の満足のために己が想定しないところの不幸が見えてなかったのです。


 もう一つ。日本のある方がカンボジアの貧しい村を通りかかったとき、痩せこけた子供がいた。彼女は不憫に思ってたまたま持っていたクッキーをひとつその子にあげようとしたところ、母親とおぼしき女性が金切り声を上げて迫って来てクッキーを叩き落とした。何が起きたのか分からなかった。後から現地で暮らしている日本人に聞いたところ、「君のやった行動は罪作りだ。あの子供がおいしい食べ物を知ってしまったらこの村の貧しい食べ物について母親に文句をいうようになるだろう。それは不幸を生み出す。この村の人々は誰一人としてクッキーなど買えないんだよ。逆に何もあげないことは非情に見えるけど、それは彼らの幸せを壊さないことになる。これは現状では仕方ないんだ。」これも典型的な事例です。


 企業経営で考えると、刹那的な快楽は生み出すが、それがじわじわと子供や若者の心と体を蝕み、結果として社会全体を荒んだものにしてしまう代表的なものにスマホ等での一部のゲームがあります。確かに一瞬は楽しいでしょう。しかし、歩きながらスマホでゲームをやっていて人にぶつかる、電車のホームから落ちる、徐々に眼や脳が冒される、四六時中ゲームに嵌る、時間とエネルギーを取られて勉強や仕事モードに集中できなくなる、残虐性が助長される、などなど、社会的には多くのマイナスを生み出しています。これも「(個人的な)楽しさの提供」という小善が大悪を生み出している典型だと思います。

もちろん小善の心は、文字どおり全くの善意から出てきます。これは素晴らしいと思います。しかし実行をする際に思いを遠く深く及ぼすことを忘れないようにしたいものです。