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巨大なスケールで扱える変数を。大きな環境にヒューマンな尺度を。建築設計者のライフログ。since 2004

ARCHILIVE

14 Jun

ARCHILIVE!! 08:BOK -零度のエクリチュール01-

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零度のエクリチュール 新版


ARCHILIVE!!の第8回を行いました。「ポストモダンを捉える」が裏テーマの等読書会、8回目にして初めて建築ではなく「零度のエクリチュール」(1953年 ロラン・バルト著)を扱ってみました。「エッフェル塔」などと違って完全に言語学的な本なので、手ごわかったですね〜

参加者・理科大よりKOYO、イデヌマ君、ウダガワさん、首都大よりハマダ君、東大よりマツモトくん、武蔵工よりツチダさん、京都よりカワカツさん。

portrait in somethingカワカツさんのログ。
サイコロガシハマダくんのログ。

石川美子訳のみすず書房版と森本和夫×林好雄訳のちくま学芸文庫版の両方を持参したんですが、双方の訳がだいぶ違っていて困惑しました。ちくまではモ(語)、ラング(言語体)、バロール(語り)、ランガージュ(言語)、ヴェルヴ(言葉)、と細かく訳されているのが、みすずでは全て「言葉」という一言で訳されていたりしてニュアンスの違いが分かりにくかったり、逆にみすずのほうが細かく訳されているところも見受けられました。


バルトは「エクリチュール」を説明するためにまずラング(言語体)と「ステイル(文体)」を明確に区分します。まずラングを「ある時代の全ての著作家たちに共通の規則や慣習の集合体であり、バロール(語り)を内包しつつもいかなるフォルム(形式)も持たない抽象的な集合圏」であり、ゆえに「本来的に社会的な客体」であり、まさに「歴史全体に他ならない」ものと定義します。一方ステイルは「ただ著者の個人的で秘められた神話)」であり、ゆえに「歴史の水準には達しない。」

(ちなみに「完全に個人的」なステイルが形成される過程の説明は興味深いです。「ステイルはバロール(語り)の下層構造であり、そこでモ(語)と事物の最初の組み合わせが形成され、ヴェルヴ(言葉)に関する主題が設置される。」とあります。作家の言い回しや「作風」以前の、それを決定づける要因のことですね。)

歴史というと分かりにくいですが、「過去から未来に向かう時間軸すべてで規定、もしくは仮定される人々の共有財産」といえば分かりやすいのかもしれません。「違う作家が同じ言語体を語るということは、彼らの語らない古代的あるいは未来派的なすべての言語体を仮定することに他ならない。(中略)著作家の言語体は、廃絶された形式と未知の形式の間に宙づりになっている」

最近の流行りでいえば、ステイル=私性、ラング=社会といったところでしょうか。では、エクリチュールはどこに位置づけられるのか。


「ラング」や「ステイル」は客体だが、エクリチュールは機能である。従って、異なる時代でも同じエクリチュールは使われうるし、比較が可能なものである。
29 May

ARCHILIVE!! 07:BOK -マニエリスムと近代建築03-「マニエリスムと近代建築」

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■マニエリスムと近代建築(掲載1950年)
●言説

・美術史においてマニエリスムが様式として確立されたのは1920年代だとされている。1520~1600年がマニエリスム期である。

・シュオブ邸の強いフレームに囲まれた空白のパネルがもつそれ自体への注意は、一見真意が計れないままにただちに住宅の他の部分へと拡散されてしまう。結果的に建物は総体としての意味を獲得するけれども、同時にその建物の相対が示す空虚さこそが実は問題となるのである。バウハウス校舎の中央ブリッジも同じ作用を持つ。

・シュオブ邸のパネルは、同じく開口部とパネルが交互に繰り返させるルネサンス初期のロッジアや宮殿のファサードとの共通点が見受けられ、ルネサンス人文主義的伝統を受け継いでいると考えられる。その反復は絶えずファサードの複雑さと二重性とを強調する。

・16世紀の後期マニエリスム期におけるパラディオ邸(1572年)とツッケリのカジノ(1578年)も同じく複合性と同一主題の反復を有する。

・16世紀のマニエリスムの主題は、単に規則性を破るという欲求ではなく、ブラマンテによって確立された古典的な盛期ルネッサンスの規範を意識的に転倒しようとするものである。形態を純粋に物理的かつ視覚的に正当化しようとする主張がなされた。

・ルネサンス期の抽象作用は、理想的な形態世界への参照であり、芸術家が客観的真実と信ずるものを主張し、宇宙の科学作用と考えるものを表象する。一方現代芸術における抽象作用は、個人の感覚世界への参照であり、結果的に芸術家の私的な作用のみを表彰する。

・今日の建築は、その空間の配列によってマニエリスムと比較できる。スケールの異なるエレメントの直接併置や、不協和なもの同士が完全な一体化を主張する、など。


●引用
すべて知識といえるものは、一種の感覚以外の何物でもない。美はもの自身に存在する属性ではなく、単にそれを見つめる精神にのみ存在し、各人の精神はそれぞれの美を知覚する。
by ヒューム

ある瞬間建築は、「プラトン的に偉大な状態を成就しうる他のあらゆるものの上位にたつ芸術」である
by コルビュジエ

「バウハウスではその広大で透明な部分はコーナーの形態を失わせてしまい、現代絵画に見られる面のあいまいな関係と重複性とでもいうべき性質を可能にしている」
by ギーディオン(「空間・時間・建築」内でのバウハウス校舎とピカソのアルルの女の比較において)


●キーワード
「曖昧性」
「複合性」
「同一主題の反復(リバーカッション)」
「計画的曖昧性(オブスキュリティ)」
「曖昧性(アンビギュイティ)」
29 May

ARCHILIVE!! 07:BOK -マニエリスムと近代建築02-「理想的ヴィラの数学」

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portrait in something
カワカツさんのログ

サイコロガシ
ハマダくんのログ


■理想的ヴィラの数学(掲載1947年)
●言説

・「ヴェルギリウスの夢」は、縛られない自由な立体とその背景をなす「田園風景」との、あるいは幾何学的ボリュームと手を加えられていない自然との強い対比状態を理想形とするものと解釈できるであろう。


以下、パッラーディオのヴィラ・マルコンテンタとコルビュジエのガルシュ邸の比較において

・平面において、パラディオは、競技として受け入れられたモチーフを論理的に配列することに関心があり、平面的なシンメトリーを構造でも正当化する。一方コルビュジエにおいては中心性は想定されながら、その展開は抑制され正統的なモティーフが置き換えられ、解体されている。

・屋根の解釈において、マルコンテンタはピラミッド状の大きな架構を形成して、この邸宅の大きさを実際以上に増幅しており、一方ガルシュでは平坦な面であり、実際より小さく見える。前者は加算的で後者は減算的である。パラディオが活躍した時代(1508-1580)は数学と音楽での調和が理想的な比例の基礎をなすと信じられていたが、建築でのそれは音楽の調和に由来するというよりも、比例の法則が数学的に確立され、あらゆる方面に流布したうちのひとつであっただろう。

・数学的比例において、コルビュジエにおけるファサードがその数学的規律という美徳の基本的な表明であるとすれば、パラディオの場合、その理論の究極の証明は彼の平面にあるように見える。

・建築のフーガのつくり手として、パラディオは16世紀の人文主義的形態をレパートリーとして持つ古典主義的スタンスであり、さまざまなモティーフがその意味とともに参照される。一方コルビュジエは各エレメントが歴史への参照が、括弧つきのまま引用されていることとを示唆しており、引用の二重の価値を持っている。

・隠喩の発露において、人文主義的な装飾による孵化物や、道徳、神の寵愛、そして成人の生命を象徴するものは、かつての支配力を喪失してしまった。その結果、マルコンテンタでの隠喩が急進的、直接的であるのに対し、ガルシュでは分散的、類推的なのである。


・ガルシュには意図されたものと一見偶然に思われるものとのたえざる緊張がある。概念としてはすべて明晰だが、感覚的にはひどく困惑することばかりである。


●引用

美には二つの根拠がある。自然による美と慣習による美である。自然による幾何学により生じるものであり、均質性や比例といった不変なるものの属性である。慣習による美は用から生じる。つまり慣れ親しむことから、もの自体にはなかった愛情が育まれるのである。
by サー・クリストファー・レン「パレンタリアより」

自然は紛れもなく、首尾一貫した活動を行っており、そのあらゆる働きには普遍の類似性がある。
by アルベルティ

最も耳にうっとりと響く二つの基本的な協和音は、すべての自然界の調和でもある「5度」と「8度(オクターブ)」である(中略)今や我々はこれらの非礼を聴覚から視覚的な対象へと移し換え、うまく応用できるならば…眼に対しても優美で調和に満ちたものが必ず生じるに違いない
by ヘンリー・ウォットン

数学は「生き生きとした力を与える真実」をもたらし、「人は正確なものに到達したという確信をもって、初めて事故の作品を手放すことがきる」
by ル・コルビュジエ
23 Apr

ARCHILIVE!! 07:BOK -マニエリスムと近代建築01- 「総括」



去る4月19日、ARCHILVE!!の第7回目を東京理科大の製図室で行いました。総勢9名という大人数、またportrait in somethingを書かれ、実際に建築プロジェクトが進行中のshinkitiさんがわざわざ京都から参加して下さり、エキサイティングな読書会になりました。

参加者・理科大よりKOYO、コンドウ君、キノシタ君、ウダガワさん、明治よりフクダくん、首都大よりハマダ君、東大よりヤマザキ君、早稲田からコクブン君、京都よりカワカツさん。


大人数になって進行時間もクリティカルになる中で、以前から見えていた課題が顕在化してきました。

「その場で読み、その場で議論する」というのがこの読書会の最大の特徴かつ面白いところなんですが、書物に関する事前情報が全くない、また文中に登場する各用語に関する参加者の知識に振れ幅があった場合、議論が生産的になる保障がない、というのがひとつ。かといって予めレジュメを作っておくのもバイアスがかかって即興的な議論のなかで論点を導き出すダイナミズムが失われるし、各自で読んでおくというのも実質的に難しい。

さて。どうしていくか。




7 Apr

ARCHILIVE!!という議論

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さっぱりログが進んでいないARCHILIVE!!。しかし、着実に回数は重ねていますので、とりあえず各回の状況をアップしておきますね。



03 マニエリスムと近代建築 コーリン・ロウ
参加者・東大よりヤマザキ君。


04 装飾と犯罪 アドルフ・ロース
参加者・理科大よりキノシタ君、首都大からハマダ君、早稲田からエトウ君。


05 時間・空間・建築 S・ギーディオン
参加者・明治大よりフクダ君、理科大からウダガワさんとキノシタ君。


06 モラリティと建築 D・ワトキン
参加者・首都大よりハマダ君、明治よりフクダ君、理科大からコンドウ君。


時間を区切って重めの本をがっつり読み、議論する。このソリューションを、参加してくれた全員が「面白い」と言ってくれます。時間とお金の条件さえ合えば、もっと大人数でもやれそうな手応え。
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270000アクセスありがとうございます!!

主催執筆 中島弘陽

1985年
富山県生まれ
2000年
石川高専 建築学科 入学
2006年
東京理科大学
工学部第二部 建築学科 編入学
2009年
東京大学 大学院
工学系研究科 建築学専攻 入学
2011年〜
日建設計
設計部 東京本店 勤務予定

建築計画学 西出研究室 所属

koyonet.dh.2199@gmail.com
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