October 20, 2004

インターネット時代のクラシックのあり方とは?-織姫研究室代表 北島氏にお聞きする-

 インターネットの登場により、コンテンツ流通の話題が一変しようとしている。特に、MP3に代表される音楽データの場合、Winny等のファイル共有ソフトの登場により、様々な可能性と問題点が指摘されているのはご存じの通りだ。

 しかし、インターネットの使った音楽データ流通の場合、現在ヒットしている音楽の問題は多く取り上げられているが、一般のヒットチャートとは違うクラシックなどの音楽データの取り扱いについては、あまり取り上げられていないように思える。

 そこで、今回はクラシック音楽周辺を中心に、芸術とテクノロジーの統合のための勉強会を開催されている、織姫研究室代表の北島氏にお話を伺った。北島さんとは2回ほど直接お会いし、織姫研究室の事やクラシックがインターネットにどのように対応しているのかについてお聞きしている。今回の記事はそれらをまとめた物になっている。

--「まずは、織姫研究室を立ち上げた経緯を教えてください。」

北島「織姫研究室(旧あまのがわ)を立ち上げる、元々の問題として『プロとアマチュアの差って何だろう?』という事がありました。生活の手段として考えた場合は、自分は確かにプロでは無い、しかし演奏家の実力としては、音大生にも負けていない。このような事から、『プロとアマの差』というのは、何なのだろうと考えてきました。」

--「『プロとアマの差』ということですが、現在のところクラシックのアマチュアの場合、どのような制限があるのでしょうか?」

北島「アマチュアの場合は、そも々発表の機会が少ない事や、自分の欲しい『楽譜』を手に入れるのが難しいという状況があります。」

--「アマチュアの方に発表の機会が少ないというのは、わかるような気がしますが『楽譜』が手に入りにくい状況というのは、どういうことですか? 街の本屋や楽器ショップに行けば手にはいるような印象がありますが…」

北島「まず、発表の機会というところですが、アマチュアでも大人数を使う合唱・オケや吹奏楽の場合はコストを負担できます。ただ、ピアノやヴィオリンなど独奏楽器の場合ですと、やはりアマチュアでは困難な場合があります。次に『楽譜』ですが、確かに有名な作曲家の有名な曲ならば、すぐに手にはいると思います。しかし、それほど知られていない作曲家の場合はもちろん、有名な作曲家でもそれほど知られていない曲の場合は『楽譜』を探すのは難しい状況です。また、そのような『楽譜』の場合はすぐに絶版してしまうため、ます々入手しにくい状況です。」

--「絶版してしまった楽譜というのは、もう手に入れる事はできないのですか?」

北島「いえ『楽譜』をレンタルしている業者もあります。ただ、レンタル料金が、異常に高いケースも存在します。」

--「え? レンタルなのに実際に購入するよりも高いのですか?」

北島「はい。オケや吹奏楽とソロ曲については事情が違いますが、ソロの場合レンタル料金が数万円程度になるケースもあります。そのような場合は一般のアマチュアには手が出せない状況です。」

--「確かそれでは、一般のアマチュアでは『楽譜』をレンタルするのは難しいですね。ほかに『楽譜』についての問題はありますか?」

北島「まず『楽譜』の私的複製が認められないケースが多いことや、演奏以外での「研究用途」としてのレンタルは基本的に認められていません。」

--「レンタル制度があっても『絶版』の問題は解決しないのですね。こういう事から楽譜文庫を作られたのでしょうか?」

北島「そうですね、一番の目的はそこにあると思います。そのような楽譜補完を行っていた夏井さんの影響もあると思います。」

--「もう少し具体的に『楽譜文庫』の目的を教えてください。」

北島「楽譜文庫の目的は3つあります。1つは古い作品の保護、2つ目は時代に合った流通経路を作る事、3つ目はより多くのクラシック愛好家を増やしていく事です。」

--「1つ目の『古い作品の保護』という部分について、お聞かせください。クラシックに限らず、現在流通している楽曲に対しても、マイナな楽曲/古い楽曲が消えていくのは仕方が無いという意見もあります。このような意見について、どのように思われますか?」

北島「クラシックの場合、発表された楽曲の正しい評価が定まるまで時間がかかります。例えば、バッハ(1685〜1750)の「マタイ受難曲(Passion)」はバッハの死後、一度も演奏されませんでしたがメンデルスゾーン(1809〜1847)が『発掘』し、19世紀以後のバッハの再評価に大きな業績を残しました。」

--「バッハの『マタイ受難曲』と言えば、クラシックに馴染みの無い私でも名前ぐらい知っていますが、そんな有名な曲が50年以上、演奏されなかったのですか。」

北島「現在では、仮に良質の作品であっても、すべての評論家がその作品の黙殺を決意すれば事実上作品は表に出ることができません。逆に、良質ではない作品であっても、評論家が高く評価したり、売れればその作品は表に出るし、それなりの期間は残るでしょう。ただ、その作品が本当に『良質』であるかは、時間によってのみ正当に評価されると思います。現在はそれほど評価の高く無い作品でも、もしかしたら『再発掘』されて『再評価』される可能性があります。そのために、失われていく古い楽曲を残す事に意味があると思っています。」

--「わかりました。次に『時代に合った流通作品』という事ですが、クラシックの楽曲や楽譜をコンテンツとして流通させるという話はあると思います。こちらをもう少し詳しく教えてください。」

北島「インターネットが登場してから、インターネット以前では不可能だった流通/配布方法が可能になったのでは無いかと考えています。さらに言えば、インターネット以前の流通方法が通用しなくなるケースも登場してくるのではないかと考えています。」

--「『インターネット以前の流通』と『インターネット以後の流通』では、どのような違いが出てくるでしょうか?」

北島「今までは、どんなにすばらしい曲を作ったとしても、発表する場所がありませんでした。しかし、インターネットならば自分の作品を簡単に発表できます。クラシックではありませんが、小説や音楽では既にインターネット経由で成功した作品はたくさんあります。このような事も考えて、楽譜文庫には『昔の作品』だけで無く、例えば音大生の作曲した作品も置く予定でした。一種の発表の場としての役割も考えていきたいと思っています。」

--「多くの楽譜が集まれば、それだけ楽譜のクオリティにかなり差が出てくると思います。このような事についてはどのようにお考えですか?」

北島「確かにクオリティの低い作品も登録されると思いますし、そのような事を心配する声も聞きます。ただ、作品の質を決めるのは一部の評論家だけではありません。最終的には利用者が判断すれば良いと思っております。多くの人たちが判断すれば、少しくらい偏った考え方の人がいても全体的にとんでもない方向へ偏ることはないと考えています。」


--「3点目の『クラシックの愛好家を増やす』という所ですが、もう少し具体的に説明をお願いできますか?」

「これはクラシックだけでは無いのですが、多数の愛好家がいて、そこから偉大な芸術家が生まれると思っています。多数の愛好家がいて、その愛好家に『高度な情報』へのアクセスを保証すれば、それ自体がビジネスになる事も考えられます。ピアノ産業はその典型例でしょう。『プロの道具』であるピアノが一般家庭に普及した事により「町のピアノの先生」や「ピアノのメンテナンス」といったビジネスが登場しています。」

--「なるほど、多数の愛好家がいる事で『プロの道具』がコモディティ(日用品)化し、多数の愛好者にも『ブロの道具』にアクセスしやすくなったというようなイメージですね。ただ、先ほどの『楽譜』のような問題があると、普通の愛好家にとって、特殊な『高度な情報へのアクセス」には、かなり制限があるように感じられます。」

北島「このような問題に対しては、アマチュアの愛好家に対してもブロの演奏家との同等の『情報へのアクセス権』が与えられるべきだと思っております。先ほどの『楽譜』の問題もそうですが、基本的に経済的な意味でのプロアーティストに対して何らかの優遇が与えられることは正しいとは思いません。高額なサービスは投資資本が回収できるプロには通用しますが、アマチュアの愛好家にとってはかなり障壁が高い物になっています。このような事も愛好家が増えない原因の1つだと思います。」


--「金額の他にもプロとアマの差というのはありますか?」

北島「当たり前ですが、アマチュアの愛好家は音楽事務所に所属していません。これがかなりの差となります。現在のところ(クラシックの)プロは、音楽事務所に属しているケースが多いです。音楽事務所側が少数のアーティストと独占契約で『縛る』事で、彼らの活動から収益を得ています。音楽事務所が、アーティストの代わりにマネージメントや著作権管理をやるので、アーティスト側は演奏に集中できるというメリットはありますが、音楽事務所を通さなければ演奏会の開催などもできません。プロであれば、これは特に大きな問題では無いかと思います。しかし、アマチュアである『愛好家』レベルでは音楽事務所に所属する事はできません。そのため、演奏会等のマネージメント能力が必要になってきます。」

--「素朴な疑問で申し訳ないのですが、アーティストの方はそのようなマネージメント論などを自分で勉強しないのですか?」

北島「日本の音大系のと学校では、あまりマネージメント論や権利論を学ぶ機会が少ない事があると思います。またこれは私の印象なのですが、クラシックの演奏家の人達は、マネージメント論や権利論を勉強する必要が無いのだと考えているよう印象があります。『自分達は演奏だけできれば良い』という、ある意味『職人気質』的な所があるのでしょう。」

--「なるほど、それではプロでは無い『普通の愛好家』の方では、マネージメントや自分の知財を管理するのは難しい状況ですね。」

北島「確かに、音楽事務所に丸投げをしている現状では難しいです。多くのクラシック愛好家向けに『モジュール化』されたサービスが必要になってくると思います。」

--「『モジュール化』ですか?」

北島「ええ、多くのクラシック愛好家や演奏者向けに、必要なサービスをメニュー化して提供すれば、今までは利用できなかった『サービス』が利用できます。個人的には、このようなビジネスモデルができないとは思えません。現在の(クラシック音楽の)ビジネスモデルは、収益を得られる当てが高くないアーティストに投資することは難しい状況です。わかりやすく言うと、投資する目安として『演奏者の実力』よりも、コンクールでの実績が重視されます。」

--「少し話は変わりますが、クラシックというと、現代のJ-POPとは違う形式が異なる部分があると思います。このあたりの北島さんのお考えを聞かせてください。」

北島「クラシックはオープンソースだと思っています。」

--「オープンソースですか?(笑)」

北島「クラシックの場合、楽譜がありそれを元に演奏家が演奏し音を出します。。コンピュータに詳しい方であれば、楽譜をソース、演奏家をコンパイラ、音源を実行ファイルとして置き換えると、わかりやすいと思います。また、クラシックの楽譜は、先ほどのような問題はありますが、基本的に楽譜は公開されています。一方、J-POPの場合も源譜があり演奏者がいて、音を出しています。しかし、完全な楽譜はあまり一般に公開されません。ヒットした曲であればシンプルな形で楽譜は公開されていますが、完全な楽譜ではありません。」

--「なるほど、楽譜=ソースと考えは面白いですね。それならばクラシックがオープンソースというのも頷けます。」

北島「もちろんオープンースが、そのままクラシックの世界に適用されるかといえば、もちろん違う部分もあります。例えば、バザール方式で作曲はできないですよね」

--「考えたくも無いですね(笑)」

北島「合議制で作曲したという例もあるにはあるのですが、基本的には作曲と『バザール方式』は相いれない物だと思います。芸術とテクノロジーの決定的な差は、芸術は同一の目的に供されるものがいくつあっても構いません。しかしテクノロジーの場合、極論を言ってしまうと1つの仕事に1つのアプリケーションがあれば十分です。あるアプリケーションが無くなったとしても代わりのアプリケーションはいくつかあります。例えば、テクノロジーの場合、Microsoftオフィスの代替品としてOpenOfficeがあります。しかし、芸術の場合はラフマニノフの曲の代わりにショパンの曲があるという事は無いですよね?」

--「確かにそうですね。ところで、先ほどオープンソースと楽譜の関連を指摘されましたが、楽譜もオープンソースのように利用者に合わせて『改変』されるような事はあるのでしょうか?」

北島「『著作権』がまだ無かったころ、例えばバッハの頃は、当時の慣習により相当な部分が当時の演奏現場に左右されました。」

--「必ずしも『楽譜』通りに演奏していたのでは無く、現場で『カスタマイズ』していたということですね。」

北島「そうですね、どちらかと言えば演奏現場の状況に合わせざるを得ない状況だったと思います。ちょうど料理のシェフがその日のオススメを作るような感じですね。また、当時は録音技術が無かったのも影響があると思います。」

--「なるほど、逆に『楽譜通りにやらない事』への抵抗は無かったのですか?」

北島「ラヴェルが『演奏家は作曲家の奴隷』と言う言葉を残しています。」

--「ラヴェルって、そんな事をいっていたのですか?(笑)」

北島「ラヴェルは、ヴィトゲンシュタイン(有名な哲学者ヴィトゲンシュタインの兄)に依頼されて左手用コンチェルトを書いたのですが、ヴィトゲンシュタインがそれを弾けなかったので、簡単に編曲し直しました。それを知ったラヴェルが激怒しました。ヴィトゲンシュタインは『演奏者は作曲家の奴隷ではない』と言ったのですが、ラヴェルは『演奏家は作曲家の奴隷』と言い返しました。」

--「つまり、演奏者は作曲家の書いた『楽譜』通りに演奏しろという事ですね。ところで『著作権』以後の現代では演奏現場に合わせて『編曲』すると言う話はあまり聞きません。最近の作曲家の人達は、どのような立場を取っているのでしょうか?」

北島「全体的に厳しい作曲家が増えているような感じがします。例えば、ソラブジという作曲家がいたのですが、彼は直接許可無しの実演を拒否しています。また、作曲家の中にはクラシックでも編曲許可を一切出していない方もいます。」

--「それは、厳しいですね。そうなると、現状のクラシックでは『楽譜』通りに演奏しなければいけないのでしょうか?」

北島「いえ、そんな事はありません。確かに全体的に厳しくなっていますが、自分の作品を外部の方に積極的に公開するという動きも出てきております。例えば伊福部昭氏は様々な編成の曲に積極的に許可を出しておりますし、ちゃんと許諾を得れば、書き換えもやってくださいます。また、ホルストの例もあります。ホルストは生前、編曲などの許諾は一切だしておりませんが、アマチュアによる演奏を前提に特殊楽器を削減する方法を楽譜内に多数記述しています。」

--「なるほど、様々な例があるのですね。今までの話をまとめると、『著作権以前』は、比較的『編曲』の解釈が自由であったのに対し、『著作権』以後はだん々と『作曲者』の力が強まっているように感じられます。」

北島「そうですね、現代では楽譜に立ち戻るのが基本では無いか? 当時鳴っていた音を再現するのが仕事ではないかという見解が主流になってきています。また、現代の作曲家においても、自分が完全に意図したとおりの演奏を求めるのが主流となってきております。ただ、コンポーザピアニストの流れも再評価されているのは確かです。

--「演奏者が自分に合わせて『編曲』をするという事ですが、個人的に二次創作に近い物を感じます。二次創作については、一時創作よりも価値が劣るのではないかと言う意見が時たま出ますが、その事について北島さんはどのように感じていらっしゃいますか?」

北島「二次創作ですが、当然の事ながら原作者本人の意思に反する作品が作られることには常に問題があると思っています。しかし、二次創作が一次創作よりも価値が低いという意見には疑問があります。もちろん、金銭的な問題等もありますが、二次創作は一次創作作品へのリスペクトを前提としてフリーであるべきと考えています。」



・インタビューを終えて。

 まずは、長時間もの長いインタビューにつきあっていただいた、北島さん。本当にありがとうございました。個人的には、クラシックの現状や今後のインターネットとの取り組みなどが聞けて非常に面白いお話を聞かせていただいた。私の力量不足で、どこまであのインタビューが再現できるのか不安だが、もしこれをお読みの方で、今回のインタビューに魅力が無いように感じられたのであれば、全て私の編集力の無さが原因だ。

 さて、今回のインタビューを終えて感じたのは、クラシックというジャンルにおいても、現状の作品発表のやり方やコンテンツ流通との問題があり「作品の発表/演奏ができない→演奏/作品発表ができるのは『権威ある人間』にとってわかりやすい作品→あまりメジャでは無い曲は作られない/演奏できない」といった一種の「ネガティブスパイラル」のような物を生みだしているようにも感じた。

 北島さん達「織姫研究室」が取り組んでいる「クラシックの楽譜の保存」という行為は、まさにその「ネガティブスパイラル」を止めさせる行為といえると思う。なぜなら、そのままでは「消え去ってしまう」過去の楽譜が大量にあれば、演奏家の方たちにも多くの選択肢を与える事になり、多種多様な音楽が世に出る可能性も高くなる。楽譜という「オープンソース」へのアクセスを増やす事で、メンデルスゾーンがバッハの作品『発掘』したように、我々も過去の「ソース」から新しい作品を『発掘』するチャンスも多くなっていくだろう。このような事を考えると、織姫研究室がやっている事は「過去のデータの保存」という枠組みでは収まらない、非常に意味のある研究をしているように感じられる。

 ちなみに、織姫研究室では新しいメンバの募集も行っている、もし興味のある方は織姫研究室のページを覗いてみてはいかがだろうか。


kozai22 at 22:57│Comments(1)TrackBack(0) その他 

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この記事へのコメント

1. Posted by きたじま@織研   November 03, 2004 03:03
「織姫研究室」でぐぐったところ、何箇所かでこのインタビューへのコメントが入ってますね。
私から見たら「神」同然のかたもコメントを入れてくださっていますが……

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