2010年08月15日

第92回 サロン・ド・小田原「動物標本の文化史」実施報告

実施日:2010年8月07日(土)
場 所:博物館講義室、レストラン・フォーレ
参加者:講演会 67名、交流会 35名 
話題提供者:相川 稔 氏

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 小田原酒匂川花火大会と重なった今回のサロン・ド・小田原であったが、演題がユニークであったためか、67名もの参加者を迎えて行なわれた。
 若手「標本士」相川 稔氏のお話は、5千年前のエジプトミイラづくりから始まった。この「標本士」という聞き慣れない肩書きをもつ相川氏は、日本の高校を卒業後、骨に惚れ込んでドイツへとおもむき、ボーフム市立標本作製技術職業専門学校卒業後、ヘッセン州立ヴィースバーデン博物館自然史部に所属、現在、神奈川県立生命の星・地球博物館で標本制作の仕事を続けている。
 いつも標本製作室に閉じこもって、黙々と標本づくりをしている相川氏は、今宵、実に饒舌であった。ドイツ修業時代に訪れたと思われる博物館の展示資料をもとに標本の文化史や標本づくりをとうとうと語った。
 エジプトのミイラづくりは、考え直せば「高度な人間剥製づくり」であったことを知らされた。ミイラづくりには、ランクがあり、松竹梅コースによって、随分と差があったようである。
 有名なファラオ、ツタンカーメンは最上級松コースで、丁寧に処理されて、300メートルもある包帯に被われたとは、間違いない。
 ミイラづくりの場合は、死者の埋葬方法であったが、人間を剥製にした歴史もあった。1830年サン人 (ブッシュマン)の剥製がつくられ、1916〜1991年までスペインの博物館に展示されていたが、2000年に埋葬された。
 会場が一気に色めきだったのは、ニワトリ大の鳥の剥製模型やハイタカの肉抜きサンプルが回覧された時だった。ブロイラーのような白い模型や鳥の死骸を手渡しで回し、眺めている風景は、傍目には異様とも思えた。
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 剥製に関わる話は随分とあるもので、王様と共に戦死した愛馬の剥製のお話、1835年にドイツでは絶滅してしまったヒグマが170年ぶりにイタリア国境を越えてドイツに来たのに、射殺して剥製にしたと、物議を醸した話。ヨーロッパのある博物館ではシロナガスクジラの剥製の口を開かせて、その中でお茶会をして楽しんだとか。話の種は尽きなかった。 最後に、剥製ができるまでの行程を電気紙芝居風にして説明された。あっという間の1時間の講演であった。

 さて、第二部の交流会でも、相川氏の講演は続いた。ヨーロッパの博物館における動物標本の展示状況がスライドショーで紹介されていった。展示の仕方はお国柄で、いろいろと個性的だった。虎が雪中で狩りをしている剥製は、生きているかと思われるほどリアルであった。剥製国際コンテストの話や、会場の一角に用意された相川氏関連の本や標本実物資料などは参加者の皆さんに興味をもって見ていただくことができた。相川氏のドイツ留学にちなんで用意されたドイツ黒パンを食しながら交流会も剥製の話で盛り上がった。(友の会会員:飯島俊幸)
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