学術性の本質は、贈与。
という言葉に、背筋を刺激されました。

我がT大には、シケ対なる制度があります。
各授業(主に必修)に委員を割り振って、
委員はその授業の内容をまとめた試験対策プリントを作る(無償で)、
という制度。

で、昨日、英2の全訳を作ってくれたある人と話していたことでもあり、
自分で考えていたことでもあるのですが、
シケ対制度の根底にあるのはもらう側の要求とか
助け合いの精神とかそういうものじゃなく、
作る側、贈与する側の欲求だと思うのです。
勉強した内容を誰かに教えたい。
自分こんなに頑張ったよ、って。
未知の読者をも想定して。

そして、それはあながち無駄なことではないのかもしれないなぁ、と。


ついでに、リンク貼った記事のひとつ下の記事。
少し無理がある、というか、俗世を越えた人の意見、
という感じを受けました。
即戦力を必要としてる会社は、
教育してる余裕ないのかもしれないし。
いや、まだ「俗世」に突入してないから分からないのですけれども。
でも、こういう世界でそんなこと言ってられるのかな。
反語というよりも疑問。
(あ、でも、「ふつうのおかねもち」は家族がほめてくれると思いますよ。
 そしてそれは多分「先生」と同じぐらいの満足感は与えてくれる。>リンク先)
「雪かき」というキーワードは好きですが。