2007年08月13日
フローレンス・ナイチンゲールゆかりの地
昨日に引き続き、フローレンス・ナイチンゲールのお話です。
本日は、彼女のロンドンでのゆかりの場所を
2つほどご紹介したいと思います。
裕福な家庭に育ったナイチンゲールですが、
実は両親の2年にも及ぶ(!)新婚旅行中に
イタリアはフィレンツェで生まれています。
そのため、フィレンツェの英語名フローレンスと名づけられました。
かつては低い身分の女性がなるものと思われていた
看護婦の仕事に就くことは家族に激しく反対されました。
しかしドイツで3ヶ月のトレーニングを受け、
1853年にはロンドンのHarley Streetに職を得ました。


現在90 Harley Streetになっているこの場所。
「フローレンス・ナイチンゲールは1854年10月21日に
この敷地の病院からクリミア戦争へと出発しました」と
この建物の外壁には刻まれています。


次にご紹介するのは、メイフェアにある10 South Street。
ナイチンゲールは1865年にこの住所に住みはじめ、
1910年8月13日(今日が命日!)に90歳で亡くなっています。


現在建っている建物の外壁には
「フローレンス・ナイチンゲールは
この敷地の家に住み、ここで亡くなりました」と書かれた
プレートが付けられています。


ちなみに彼女のお墓はハンプシャー州ロムジィ近くの
イースト・ウェローにあるセント・マーガレット教会にあります。
野戦病院でランプを持って患者たちを夜見回る事を欠かさず、
「ランプの貴婦人」とも呼ばれた彼女。
一人の女性の生き方として、考えさせられる事が多いです。
本日は、彼女のロンドンでのゆかりの場所を
2つほどご紹介したいと思います。
裕福な家庭に育ったナイチンゲールですが、
実は両親の2年にも及ぶ(!)新婚旅行中に
イタリアはフィレンツェで生まれています。
そのため、フィレンツェの英語名フローレンスと名づけられました。
かつては低い身分の女性がなるものと思われていた
看護婦の仕事に就くことは家族に激しく反対されました。
しかしドイツで3ヶ月のトレーニングを受け、
1853年にはロンドンのHarley Streetに職を得ました。


現在90 Harley Streetになっているこの場所。
「フローレンス・ナイチンゲールは1854年10月21日に
この敷地の病院からクリミア戦争へと出発しました」と
この建物の外壁には刻まれています。


次にご紹介するのは、メイフェアにある10 South Street。
ナイチンゲールは1865年にこの住所に住みはじめ、
1910年8月13日(今日が命日!)に90歳で亡くなっています。


現在建っている建物の外壁には
「フローレンス・ナイチンゲールは
この敷地の家に住み、ここで亡くなりました」と書かれた
プレートが付けられています。


ちなみに彼女のお墓はハンプシャー州ロムジィ近くの
イースト・ウェローにあるセント・マーガレット教会にあります。
野戦病院でランプを持って患者たちを夜見回る事を欠かさず、
「ランプの貴婦人」とも呼ばれた彼女。
一人の女性の生き方として、考えさせられる事が多いです。