2018年11月10日

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2018.11.11加筆;
「**【イシキカイカク塾】第10回 子育ての心得~どういう教育が良いのか~

世界を股にかけて活動される「塾長」のインタビュー。
ビジネス的視点で、日本の先を行く欧米と追いかけてくるアジアの国々の間で、
これからの日本、そして日本人に、世界からの情報を伝えてもらいます。
日本だけをみていてはわからないことがたくさんある。
そんなことを考えさせられる「意識改革塾」の第10回 子育ての心得~どういう教育が良いのか~です!

要約と言い換え;
子供を日本の受験戦争に巻き込ませたくない。
日本には、帝国大学でも帰国子女枠があり入りやすいので、海外で学んで、この枠で大学に入るのも一つの手。

日本ではいい大学に入るのが、一つの流れなので、いい大学に入ることは否定しない。
ただ、いい大学に入った後は、大企業(寄らば大樹の陰)に入るか、自分で起業する(鶏口牛後)かの2つ。

教育で一番重要なことは、その子供の才能を小さい内に如何に見つけられるか。
色々なことをやらせて、石の上にも三年の逆バージョンで、3日やって好きじゃないとか飽きるとか向いてないなら辞めるのも手。

例えば、アメリカでは、学校によるが、教科書や資料を家に持ち帰らせない。
学校の勉強は学校だけで完結し、予習も復習もやらせない。
何故なら、家での時間は、親が365日、毎日、その子の才能を見つけるためのものだから。
学校の勉強が出来ることに、大きな価値は置いていない。

また、アメリカは1年に学校は5ヶ月しかない、年に3回長い休みがあり、夏休みは3ヶ月もある。
この休みの間に、家庭で子供の内に、その子供が親が何も言わなくても、じっと勝手にやっていることを探すこと。
それが、その子供の才能。
こういう本人が好きなものが才能で、こういう好きなものを3つ4つやらせておくのが一番重要で、最初のステップ。
3つ4つあれば、どれか1つは当たる可能性がある。

何故、子供の内にやらないといけないかというと、大きくなると、親が見てるからなどと自然でなく頭で考えてしまい、
本当に好きな才能つまり、ゾーンに入れる適性を極めて見つけにくくなるから。
ただ、大人になったら見つけられないと諦めるのではなく、この子供でのやり方を自分でやっていけば見つかる。

海外では、いいい大学に入ったからと言って、いい仕事はもらえない。
海外では、いい会社に入るか、自分で起業する。
日本に比べて、圧倒的に自分で起業する人が多い。

以上の思想でアメリカは教育を行っているから、グーグルやフェイスブックなどのイノベーションが生まれる。
補足;
つまりは、イノベーションについて真善美妙の教育の思想を、アメリカは行っているからと言える。
アメリカには色々な大問題があり、決して素晴らしい国ではないが、
アメリカがいまもイノベーションについて大国なのは、この教育の思想があることが根幹だと思われる。

つまり、日本の教育が根幹から改善されるには、小中高の単線の進学ラインを複線の進学ラインにするだけでなく、
教育の思想そのものを根本的に各家庭が見直せる仕組みをつくる必要がある。」



繰り返しになりますが、
本学は、歴史を知ることから。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。

関連情報:
**倉山満の砦

抜粋;
久保田 勇夫「新装版 役人道入門――組織人のためのメソッド」
 (中公新書ラクレ) 新書 – 2018/11/8

著者は昭和41年大蔵省入省。阪田内閣法制局長官や二人の国会議員(中山恭子、成彬夫妻)と同期。武藤敏郎氏が次官になった年で、花の41年組。他に不祥事で次官候補二人(中島・長野)が失脚した年次でもある。他庁の次官も含め5人の次官を輩出。著者自身も国土庁事務次官。

この本でおもしろいのは、「上司を育てよ」とか、役人と言うより、官僚の心構え。頭がいい東大での上司を操れたら、政治家なんて簡単に操られるわな、と思えてくる。苦笑

単なるイエスマンではない官僚像を知るのに最適。

一番笑ったのは、主計局入りを決めてくれた上司に対し、著者が「体力に自信ないんで主税局でいいっす」と断り、上司が「おれがどんなに苦労したと思っているんだ?」とキレる場面。

再刊版で、入っているかどうか、あとで本屋に行こう。



***書名 役人道入門
副書名 理想の官僚を目指して
著者名 久保田 勇夫
出版社 中央公論新社
出版年月 2002.3
内容紹介 国家、国民への義務を果たすために、役人は何を心がけ、何をなすべきか。国内外における自らの経験に基づき、心の病の克服法や成熟した政と官の関係、世界の役人道などを綴った指南書。役人学の真髄を込めた自伝的回顧録。
著者紹介 1942年福岡県生まれ。オックスフォード大学経済学修士課程修了。大蔵省勤務等を経て、現在、都市基盤整備公団副総裁。著書に「現代の国際金融」など。
 

**第1部2話 日ソ共同宣言~日本を危なくするハトの遺伝子【CGS 倉山満】
ChGrandStrategy
2013/09/13 に公開
『じっくり学ぼう!日本近現代史~自民党政治~』
第1部 保守合同とはなんのため? 
第2話 日ソ共同宣言~日本を危なくするハトの遺伝子 
講師:憲政史家 倉山満先生、聞き手:神谷宗幣 

要約と言い換え:
日本人は、CIAが世界一の諜報機関と勘違いしているが、違う。

前回「アメリカは、共産主義への砦だった、蒋介石と第日本帝国を自分で潰した。
この後、アメリカは、共産主義者に苦しめられることになり、今に至る。
アメリカは、この後も、味方潰しばかりやっている馬鹿な国。」
と紹介した。
更に、当時はイギリスにも喧嘩を売っていた。
アメリカは、外交と策謀が下手な国。
補足:移民の国なので同胞意識が必然的に乏しくなり、自分の人生だけが楽しいことを最優先にする思想になり、目先の利益ばかりを追求する結果と言える。

そして、日本が如何に重要なところかを、アメリカは理解した。

そして、日本の再軍備を始め、警察予備隊、保安隊、そして自衛隊ができた。
しかし、憲法改正は出来ないので、軍隊を作れない。

そこで、無理やり警察の法体系で軍隊を作った。

今の自衛隊は凄い武器を持った警察の法体系。
だから、警察のポジティブリストの法体系。
軍隊のネガティブリストの法体系でないので、いろいろな問題が生じる。

その後、決して平和主義者ではない吉田茂だが、アメリカの戦争に付き合うのが嫌。
これに対して、世論の受けだけを考えた詭弁の鳩山一郎が「再軍備、自主防衛」と口だけ勇ましいことを言った。
そして、吉田茂と鳩山一郎の路線対立となった。

この鳩山一族は、政敵の反対のことを言うだけの遺伝子。

その後、ソ連の手先の社会党が、保守陣営が抗争している間に、伸展。
この社会党にソ連のお金が入って、社会党がソ連の手先だったことは、公式資料からも明らかになっている。

鳩山一郎は完全なる出世の人で、鳩山一郎の野望は以下のもの;
総理大臣を3日やれれば死んでも良いとあちこちで言っている。
そして、1954年12月に、苦節15年の末に、社会党の力を借りて、悲願の総理大臣に。
そして、俺も歴史に名を残したいと、吉田がアメリカなら、俺はソ連だ、と日ソ交渉を開始した。

ソ連の考え方は、反共でソ連が嫌いなことは気にしない。
ただ、アメリカが嫌いであれば、落とせると近寄ってくる。

当時のソ連との懸案は、以下のもの;
戦争状態が継続している。
シベリアなどに大量の抑留者。
不法占拠される北方領土;今言われる4島ではない、正しくは24島。
拿捕される漁民。
国連未加盟。

この状況で、自分だけの野望のために、ソ連と交渉をする人間。
だから、吉田茂は、鳩山一郎が総理大臣をやったら、日本が滅びると発狂した。

そして、鳩山一郎は見かけだけの成果を得た。
それが1956年10月19日の日ソ共同宣言;見かけだけだが、政治家は結果が全てなので、日本の国益としてはある程度の評価はできる;
抑留者帰還:共産党員になったことを十分に確かめた人間を工作員として日本に帰還させた。
戦争状態の終結と外交関係の回復、ソ連の賠償放棄:国際法を無視して残虐非道やりたい放題やっているので賠償などあるはずがない。
平和条約締結後に、歯舞と色丹を返還:正し、平和条件締結後の条件付きなので、今も返還されていない。
漁業権の承認。
ソ連は日本の国連加盟を支持。

この日ソ共同宣言の時は、日本は完全なるアメリカの属国。
だから、ソ連はアメリカと日本を引き剥がしたかったところに、鳩山一郎が来たので、鳩山一郎を最大限に利用するためのこの宣言。

この頃、鳩山一郎(鳩山一族)以外に、河野一郎(河野一族)は、ソ連のスパイになったと言う説が極めて強い。
吉田茂がそう言う談話を残していて、河野一郎の家が焼かれた時は、本当に喜んでいた。

この頃1956年、ソ連はスターリンが死んで、フルシチョフが代表に。
フルシチョフは、あのスターリンの粛清から逃れて、ソ連の権力闘争にも勝ち残って来た、只者ではない人間。

そして、1956年10月にソ連から離脱して自由主義陣営に入ることを求めたハンガリーに、表敬訪問と言って、戦車でやって来て、人間を轢き殺しながらやって来た。
こうしてハンガリー動乱は鎮圧された。このあと、チェコやプラハも鎮圧される。アメリカは何もしなかった。
日本のアメリカ留学組は、アメリカは自由主義陣営の人間を見捨てないと信じているが、信じる人間は馬鹿であることが、歴史を正しく学べば分かる。

アメリカの自由や民主主義は、ただの大義名分であることを理解しなくてはいけない。
アメリカは、地政学の論理、勢力均衡の論理、徹底的に力の論理で、綺麗事も武器として使っているだけ。

これを分かりやすく現しているのが、同年のスエズ動乱の第二次中東戦争。
これは、スエズ運河の権益を巡って、エジプトとイスラエルがいきなり戦争を始めたもの。
イギリスとフランスはイスラエルを支援。
これに対抗してソ連とアメリカがエジプトを支援。
つまり、ソ連とアメリカが手を組んで戦っている。
この時のアメリカの思惑は、イギリスとフランスから、中東の権益を奪うこと。
これを奪って、今に至る。

この構図は、イラク戦争の時に似ている。

この時のアメリカはアイゼンハワー大統領で、無茶苦茶。
イギリスとフランスに対して、核兵器落とすぞと脅している。

皆が理解していないが、この頃から今もアメリカは、日本を自分の持ち物を思っている。
この頃からTPPなんかが比べ物にならない酷いことをたくさんやっているので、TPPは可愛いもの。

注意しなければならないのは、欧米の世論は、基本的に反アラブで反ユダヤ。
だから、アラブやユダヤは、お金やコネクションにより、欧米の政権にくっ付いている存在。
これを理解しなくてはいけない。
このことがはっきり分かるのが、ユダヤ財閥がいるアメリカが、このユダヤの地のイスラエルに付くのではなく、よりによってソ連を手を結んでエジプトと組んだこの第二次中東戦争。
補足:しかし、この勢力図は時代と共に劇的に変わる。通貨発行権からのケネディ暗殺より今にかけて、金融技術の飛躍的向上によりユダヤ財閥の力が極めて強くなっていることを留意すべき。

サウジのアラブと、ユダヤの、アメリカでのロビー活動は激烈なことを理解しなくてはいけない。

世界に陰謀があるのは当たり前で、マスコミでは本当のことは流れていない。
だから、陳腐な陰謀論に惑わされることなく、歴史をきちんと学んだ上で、本当の陰謀を見極めていく、望遠鏡(表の歴史)と顕微鏡(裏の歴史)を見比べる力が重要。

鳩山一郎が、ソ連と組んでアメリカを出し抜いてやったと喜んでいたが、
ソ連とアメリカはとんでもないところで取引をしていて、重光外務大臣は、アメリカで鳩山一郎はどうしようもないと怒られている。

***コトバンク:ネガティブリスト(英語表記)negative list
デジタル大辞泉
原則として規制がない中で、例外として禁止するものを列挙した表。特に、原則として輸入は自由とし、例外として制限する品目を列記したもの。輸入制限品目表。⇔ポジティブリスト。
[補説]日本は昭和37年(1962)に、自由化商品を列記するポジティブリスト方式からネガティブリスト方式に移行した。

**台湾を実質的に作ったのは帝国陸軍の岡村寧次(やすじ)将軍:第二期第1部1話 朝鮮戦争~共産主義の恐怖【CGS 倉山満】
ChGrandStrategy
2013/09/06 に公開
『じっくり学ぼう!日本近現代史~自民党政治~』
第1部 保守合同とはなんのため? 
第1話 朝鮮戦争~共産主義の恐怖~ 
講師:憲政史家 倉山満先生、聞き手:神谷宗幣

要約と言い換え:
自民党の存在意義とは何か?
それをこの第二期を通して自然に理解してもらう。

共産主義とは一言で「悪い奴」。
なぜなら、金持ちは皆殺しにすれば、世界は幸せになるという思想だから。
補足:共産党員が金持ちになっても、統治している超人だから搾取している金持ちとは違うという詭弁の正当化を使う。

ドイツは共産主義は憲法で禁止している。
共産党は非合法化しないといけない。
海外で、日本では共産党が非合法化されていないことを話すと驚かれる。

毛沢東は世界で一番、人を殺している奴。
しかし、自分の手を汚すのは嫌だから、「夷を以って、夷を制す」で、他人を利用して殺させる。

毛沢東は、外とは戦わないで、内で反対派をひたすら粛清の名で、殺しまくった。
そして、外に対する力を蓄えて来た。
毛沢東は、スターリンやヒトラーとは比較にならないほどの、軍事的には天才。
日本軍が作った満州国を奪えば、日本軍が作った最先端の工場などで、蒋介石を潰せるとしてソ連を利用して満州を取りに行く。

そして、国共内戦へ。
この中国(支那)の人達は、文明国でないので、停戦と言って、だまし討ちをすることを繰り返した。
そしてこの停戦とだまし討ちによる破棄を繰り返した。

その後、共産主義にかぶれた馬鹿なアメリカのマーシャル将軍が、蒋介石への武器支援を停止。
これにより、もう少しで潰れるとこだった毛沢東が盛り返し、蒋介石との全面戦争に。
そして、スターリンのソ連の支援もあり、中華人民共和国が建国されてしまう。

アメリカは、共産主義への砦だった、蒋介石と第日本帝国を自分で潰した。
この後、アメリカは、共産主義者に苦しめられることになり、今に至る。

アメリカは、この後も、味方潰しばかりやっている馬鹿な国。

そして、スターリンは、ソ連軍の将校にすぎない金日成を、北朝鮮に送り込む。
以下のウィキに書かれているような表向きの経歴をつけて、北朝鮮に入り込む。
この経歴と対面した実年齢が合わないほど、若いので、疑いを持った人間そして当然疑いを発言した人間は、片っ端から粛清として殺す。
こうして、疑う人間を片っ端から殺していくと、嘘も本当になる。
これがスターリンや毛沢東の共産主義の本質で、常套手段。

アメリカは馬鹿な国で、日本の統治した頃の通りに38度線で朝鮮半島を区切って、北をソ連にあげてしまった。
日清と日露戦争は、38度線の少し上の39度線で激戦を繰り広げた。
守りにくい38度線まで下がると、地図で丁度凹んでいるところが見えるが、韓国の首都からたった10分の位置になる。
つまり、本当に戦争になったら、韓国はたった10分で首都が陥落する。

こうして、韓国は徴兵制にして軍事的な準備をすればするほど、「10分で首都陥落で国家機能停止してしまう戦争を実際にはできない」というリアルな現実を国民が知ってしまう可哀想な国。

そして、1948年によりによって日本占領(終戦ではない)が開始された8月15日に、アメリカは韓国を建国。
これに対抗してほぼ1月後の9月9日に、ソ連が北朝鮮を建国し、2年後に金日成が大韓民国(韓国)に侵攻し、朝鮮戦争が始まる。

この韓国を建国したのがマッカーサー達の勢力で、以前に紹介したように、韓国は史上初の反中親日になったので、日本と韓国の良好な関係を分断する意味もあった。
当時の日本を支配していたマッカーサー勢力が、韓国を作ったので、韓国の指揮系統も当時の占領下の日本と全く同じ。

この日本と韓国を支配していたのが、アメリカの民政局で、これは統治局。

そして、金日成とアメリカ国連軍とソ連の三つ巴で、前線が劇的に上下になる「アコーディオン戦争」。
しかし、この当時の日本のメディアは共産主義に染まり、北朝鮮を支持した報道で、韓国が侵攻したと嘘を報道していた。

そして支那の文化圏の北朝鮮は、支那のやり方を踏襲し、政権をとったら口減らしの戦争をやる。
つまり、反対勢力の軍閥を最前線に送り、後ろから銃を突きつけて、地雷原に突っ込ませて、次々に人が吹き飛んでいく。
それを見た、アメリカ軍の兵士は、次々に発狂していく。
そして、一時期は、朝鮮半島のほとんどを北朝鮮に占領されて、もう終わりかけた。
これでマッカーサーは発狂寸前になり、
日本に再軍備だ、満州に原爆を落とせ、アジアで地上戦をやろうとする奴は精神鑑定にかけろと、発言して、
トルーマン大統領に罷免される。

これで、日本は警察予備隊ができ、自衛隊が出来るようになる。
しかし、全く知られていないが、当時の日本は非常に緊迫していた。
何故なら、北九州の対馬の向こうには、金日成がいたから。
当時の北九州は空襲警報が鳴りまくっていた。

こうして、アメリカは国連を使って、地球の半分を味方につけて、やっと引き分けで、アメリカはほぼ負けに等しい状態になった。
そして、蒋介石は台湾に逃げたが、毛沢東は攻めて滅ぼせた。

>しかし、これを阻止して台湾を守ったのが、以前に紹介したリアル男塾の塾長の帝国陸軍の岡村寧次(やすじ)将軍が、
部下の根本博(ひろし)の白団を台湾に送り込み、毛沢東との戦いに勝ち、台湾を作った。
この根本博は、以前には、岡村将軍の命令で、スターリンがモンゴルに攻めてくるからやっつけてこいと言われて、やっつけてきた人。

この根本博さんは、当時の日本は米軍の占領下なので、釣りにいく格好で、港までいき、漁船に乗って台湾に行き、
アメリカ人に見つかるが、道案内させて、金門島に人民解放軍がきたら、わざと上陸させて包囲殲滅して、毛沢東は2度と攻めてこれなくなった。

そして、釣りに行く格好のまま、日本に帰国したら何故か記者会見。
そして、大漁でしたかと聞かれて、人民解放軍がちょっとと答える凄まじい猛者。
これは秘話でもなんでもなく、当時の新聞に載っている話。

しかし、占領下の日本政府の公式見解としては、旧帝国陸軍の人間が台湾で戦って帰ってきたという話はないとした。

***ウィキ表向きの金日成の経歴:金日成
(キム・イルソン、きんにっせい、朝鮮語: 김일성、1912年4月15日 - 1994年7月8日)は、朝鮮の革命家・独立運動家で、北朝鮮の政治家、軍人。満州において抗日パルチザン活動に部隊指揮官として参加し、第二次世界大戦後は朝鮮半島北部に朝鮮民主主義人民共和国を建国した。
以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあり、1948年から1972年までは首相を、1972年から死去するまで国家主席を務めた。また、同国の支配政党である朝鮮労働党の党首(1949年から1966年までは中央委員会委員長、1966年以降は中央委員会総書記)の地位に、結党以来一貫して就いていた。
称号は朝鮮民主主義人民共和国大元帥・朝鮮民主主義人民共和国英雄(3回受章しており「三重英雄」と称される)。
北朝鮮においては「偉大なる首領様」などの尊称の下に神格化され、崇拝されている[4]。彼の死後1998年に改定された憲法では「永遠の主席」とされ、主席制度は事実上廃止された。
現在、遺体は平壌市内の錦繍山太陽宮殿(旧・国家主席宮殿)に安置・保存されている。

ソ連への退却[編集]
しかし、日本側の巧みな帰順工作や討伐作戦により、東北抗日聯軍は消耗を重ねて壊滅状態に陥り、小部隊に分散しての隠密行動を余儀なくされるようになった。1940年の秋、金日成は党上部の許可を得ないまま、独自の判断で、生き残っていた直接の上司・魏拯民を置きざりにし、十数名ほどのわずかな部下とともにソビエト連邦領沿海州へと逃れた[24]。
ソ連に越境した金日成は、スパイの容疑を受けてソ連国境警備隊に一時監禁される。その後、東北抗日聯軍で金日成の上司だった中国人の周保中が彼の身元を保証して釈放される。1940年12月のハバロフスク会議を経て、金日成部隊は周保中を旅団長とするソ連極東戦線傘下の第88特別旅団に中国人残存部隊とともに編入され、金日成は第一大隊長(階級は大尉)となった。彼らはソ連ハバロフスク近郊の野営地で訓練・教育を受け、解放後には北朝鮮政府の中核となる[25]。
帰国[編集]

金日成(1946年)
1945年8月、ソ連軍が北緯38度線以北の朝鮮半島北部を占領した。金日成は9月19日にウラジオストクからソ連の軍艦プガチョフに搭乗して元山港に上陸、ソ連軍第88特別旅団の一員として帰国を果たした[26]。同年10月14日に平壌で開催された「ソ連解放軍歓迎平壌市民大会」において、金日成は初めて朝鮮民衆の前にその姿を現した。

**第1期「占領期」最終回第6週3話 捏造された吉田ドクトリンと保守本流【CGS 倉山満】
ChGrandStrategy
2013/08/30 に公開
『じっくり学ぼう!日本近現代史~現代編~』第5,6週 mylist/38387563
第6週 復興!吉田茂の功と罪~負けたふりを始める日本人
第3話 捏造された吉田ドクトリンと保守本流
講師:憲政史家 倉山満先生、聞き手:神谷宗幣

要約と言い換え:
アメリカがスターリンの大ソ連帝国と毛沢東の大中華帝国を自分が作り出してしまったことに気づいた。
一番、対抗していた大日本帝国と蒋介石を自分が潰してしまったことに気づいた。

つまり、日本を潰すと、日本をソ連と中国ににあげてしまうことに、気づいた。
このアメリカのジレンマに付け込んだのが吉田茂で、マッカーサーの目の届かないところで、アメリカ本国に池田勇人と白州次郎を送り込み交渉した。

その結果、東大総長の南原繁の妨害工作の、アメリカとの単独講和でなくソ連などを含めた全面講和の主張も、なんとか退け、
サンフランシスコ講和条約でアメリカとの単独講和に成功。
しかし、米軍が駐留し、吉田茂にとっては非常に不満足ではあったが、形だけの独立はできた。

その後、自民党を作った三木武吉が公職追放から戻ったが、吉田茂につかないで、何故か敵対勢力の民主党の鳩山一郎について、鳩山内閣を作った。
これが何故なのか、私(倉山満)は15年、資料を読み込んで、悟ったこと。
それは、吉田茂の参謀になっても、吉田茂の個性が強すぎて歴史に名を残せない。
しかし、鳩山一郎の参謀になれば、鳩山一郎の参謀といえば三木武吉と歴史に名を残せる。
そうとしか考えられなかった。

しかし、鳩山一郎から始まる鳩山一族の遺伝子には「ただ、敵対勢力の反対のことを言うだけ」しかない。
だから、鳩山一郎は、吉田ドクトリンに対抗して、自主憲法制定の綺麗事を歌ったが、なんちゃってとしか思えない行動しかしていない。

また、吉田茂をアメリカの犬と避難した、吉田茂の政敵の河野一郎は、田中角栄並みの金権政治でケチでお金を溜め込んでいて、
右翼が河野一郎を焼き討ちしようとしたら、あまりに広すぎてできなかったほどの人間。
吉田茂がこの件を知ったとき「大悪党の屋敷が焼き討ちにあったと、大喜びしたという」。

この河野と鳩山の息子が政治家になっている。
そして、吉田茂は、三木武吉が後ろにいる鳩山一郎に対抗して、卑怯な「抜き打ち解散」をした。
しかし、卑怯な抜き打ち解散をすると、大敗するが、その通りに大敗したが、なんとか、吉田内閣を組閣できた。
しかし、通産相の池田勇人が「不法投棄で儲けた中小企業の五人や10人が首をくくっても政府の責任ではない」と失言した。

世論は拍手したが、マスコミがかきたてて、これに乗じた鳩山一郎が、吉田首相が西村栄一の執拗な質問に怒って「バカヤロー」と言った揚げ足を三木武吉に煽られて、
バカヤロー解散。
補足:工作員の工作を受けやすいマスコミは、世論の代表者ではない。

政治家になるなら、この辺の日本の近現代史は常識で知らないといけない。
派閥の領袖を普通に使えるくらいでないと政治家になってはいけない。

解散後の選挙で、吉田茂は、なんとか政権をとったが、造船疑獄や保全経済界事件など、汚職が次々告発され、
政権運営のために、保守合同の機運ができて、昭和29年に日本民主党が結成された。

この機運を作った保全経済界事件については、最近(2013年)に公開されたCIAの資料で、このフィクサーは三木武吉だったことが示唆されている。

そして、汚職の責任を問われ、緒方竹虎議員に「憲政の常道に従って総辞職すべきです」と言われ、
吉田は「鳩山一郎に政権を渡すと日本は終わりだぞ」と本当のことを言った。
そして、池田勇人にも説得されて、吉田内閣は終わった。
しかし、吉田は性格が悪いので、最後の閣議は欠席した。
このように、特に政治家を評価する時は、全てが良い、全てが悪いで判断してはいけない。

そして、今に言われる通説の「吉田ドクトリン」は誰が言い出したのか?
それは永井陽之助という政治学者が言った。
「軽武装と経済重視により、戦後日本は繁栄」。これから通説が始まる。
しかし、これは大嘘、その謎解きは次回からの第二期へ。

そして、晩年は、吉田は吉田学校の元老に。
さらに、保守本流の池田勇人、佐藤栄作が次々に首相になり、路線を引き継いだが、
保守派は「自主憲法制定を置き忘れた」と批判されることに。

戦前の帝国憲法での頃と違い、憲法しか見えていないのは、戦後は今も昔も変わらない。

以上、現代編の第一期「占領期」は完結。

***ウィキ吉田ドクトリン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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吉田ドクトリン(よしだドクトリン)は、日本国憲法の制限の中で安全保障の多くをアメリカ合衆国に担ってもらい、日本政府は経済成長と経済発展を最優先課題とする、軽武装・経済外交に基づく国家方針・国家戦略[1][2]。戦後、内閣総理大臣としてこの方針を打ち出した吉田茂にちなんで呼称される[3]。

吉田の狙いは、国力の全てを第二次世界大戦後の疲弊した日本の経済復興に充て、その間の国防をアメリカ合衆国に担わせることにあった。アメリカ合衆国は朝鮮戦争勃発後になって日本の軍事費を増加させるよう再三要求したが、吉田率いる日本政府は日本国憲法のうち第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた条文を盾に、警察予備隊と海上警備隊から保安隊・警備隊、最終的に1954年に陸上自衛隊と海上自衛隊を創設したが、歳出を占める軍事費の割合を増やすことを拒んだ。
結果的に、貿易および技術革新に焦点をあわせたこの国家方針をとることにより、日本は軍事費をかけずに平和と安定を享受しながら奇跡的な経済復興を遂げ、世界の大国としての地位を回復することが出来た。

吉田は晩年には憲法改正による国防軍の保持を主張した。日本は既に世界第3位の経済大国に成長し(吉田の死の翌年、1968年に西ドイツを抜いて2位)、経済復興の目的は達成しており、吉田ドクトリンは役目を終えたと判断していたからであった[4]。
このように、元来吉田がとったこの外交方針は平和主義に基づくものではなく、むしろ明治維新以降の日本で主流となっていた、国際関係に対する現実的なアプローチであった。この方針の元来の目標は、国際情勢をうまく利用し、国際社会における日本の存在感を増すことであった。
吉田ドクトリンは、冷戦期を通じて日本の主流な外交政策の基本とされた。



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くどいですが、
本学は、歴史を知ることから。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ。

関連情報:
**倉山満の砦


**安倍総理の祖父である岸信介のお話:第2部第1話 日米安保と高度経済成長 ~ 安保改正にかけた岸信介の執念【CGS倉山満】
ChGrandStrategy
2013/10/04 に公開
☆『じっくり学ぼう!日本近現代史~自民党政治~』
☆ 講師:倉山満先生  聞き手:神谷宗幣
『じっくり学ぼう!日本近現代史』完全版はこちら:http://kinosukun.jp/cgs/

【第2期】
☆第2部 日米安保と高度経済成長
☆第1話 安保改正にかけた岸信介の執念

安倍総理の祖父である岸信介のお話です。日米安保改正に政治生命をかけた岸の執念とは!?倉山先生が鋭く迫ります。どうぞお楽しみください!

要約と言い換え:
今は、アメリカからは形式だけの独立だが、この形式だけでも重要。
形式がないと本当の属国で、日本をアメリカ人が好き放題にのし歩くようになる。

1951年当時の日米安保条約は、米軍の永久駐留で永久占領体制で、
日本の内乱に米軍が介入でき、しかも期限なしで、日本は完全属国の地名のみの存在。

この状況を変えようとしたのが、岸。
岸の信念は、安保条約を対等の条約にしなければ、独立国ではない。
国益のためなら嘘をついても良い。
で、当時の政敵の大野伴睦や河野一郎に、念書まで書いて順番に政権授受を約束し、協力を取り付けた。
そして、この政権授受(総理大臣)の約束は、後日破った。
こうまでして安保改正に政治生命を懸けた。

岸は、兄弟ともにずば抜けて頭が良く、兄の岸は本当に遊んでいたのに戦前の東京帝国大学法学部に合格し、卒業した時に、
学生なのに当時の法学者の上杉慎吉に教授の座をあげるからと学者の道を勧められたが断って、これからは産業だと農商務省に入省して官僚に。
弟は通産省に入り、その後、トップの事務次官に。

兄の岸は、その後、満州国の総理大臣の満州国総務庁次長で商工次官に。
その後、東條内閣の商工大臣になり、その後、衆議院議員になり、国務大臣と商工次官を兼任。
しかし、東條内閣に異を唱えるようになり、東條が罷免しようとしたができず、この岸大臣を罷免できなかったことから、東條内閣の倒幕の張本人になる。
その後、GHQに東條内閣の大臣だったことから、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズン拘置所に入所したが、むしろ東條内閣倒幕したことが分かり、昭和20年に釈放へ。
この時、GHQと取引したのではないかと当時から言われており、今この取引に関する資料が公開され始めており、今後の研究に任せられている。
そして、GHQとの取引もあったためか、昭和28年に自由党に入党して、たった4年の昭和32年に内閣総理大臣になった。

そして、アメリカと新安保条約を締結に向かった。
新しい内容は、アメリカは日本と守る。日本は在日米軍基地を守る。というもので、
まだまだ属国だが、旧条約よりははるかにマシで、後は日本の防衛努力次第。

しかし、この新安保条約に対して、ソ連が活動費として日当を出して学生の反対運動を煽り、安保闘争へ。
このソ連が活動費を出していたことは、今、公開された資料などから裏づけられている。

ただ、当時の安保闘争に参加していた学生のほとんどはファッションの格好いいで参加していて、
旧安保条約も新安保条約もきちんと読んでおらず、その違いも理解していなかった。
補足:これは昔、私も複数の人から聞いたことがある。

しかし、扇動された学生は、国会議事堂を公称20万人が包囲し「岸を倒せ、殺せ」と叫んだ。
最悪の事態の革命が行われる危険性があった。

しかし、岸は、外で騒いでいるのは少数のノイジー・マイノリティで、私には大多数のサイレント・マジョリティの声なき声の支持があるとした。
同席した佐藤栄作は、首相官邸で死ねれば本望じゃないかと述べている。

そして、新安保条約は、衆議院で強行採決し、後は自然承認を待つだけでアイゼンハワー大統領の初の訪日を実現するだけだった。
しかし、米国のハガチー特使を学生運動が取り囲み大混乱に。
この流れを知って、河野一郎は「俺は聞いていない、こんな条約、ぶっ潰してやる」と賢人の知恵の「俺は聞いてない」を炸裂。

そして、鳩山派の三木武夫は裁決は欠席し、風見鶏の中曽根はアイゼンハワー大統領の訪日は無理です断りを入れましょうと。
しかし、岸は自衛隊を出せないか、右翼や暴力団やなんでもいいから学生を鎮圧しろと。
この右翼や暴力団の同列にこの当時は国士舘大学(倉山満は国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員)が入っており、国のための武闘派が集まっていた。
しかし、今の国士舘大学は良くも悪くも他の大学と学生の見分けはつかなくなっている。

その後、混乱の中、新安保条約は批准されたが、大統領の訪日は中止。
岸内閣は、この混乱の責任をとって退陣し、岸は安保改正に殉じた。

関連情報
***yuyuss22
4 年前
『今の日本があるのはアメリカのおかげ』みたいなこというやついるけど
全部日本人の成果ですね

***wikiゲバルト
Gewalt - 「暴力」を意味するドイツ語の単語(発音は「ゲヴァルトゥ」)。日本では特に左翼学生運動の用語として使われ、「ゲバルト棒(ゲバ棒)」や「内ゲバ」といった言葉の語源と言われる。

***wikiサイレント・マジョリティ
(英: silent majority)あるいは静かな大衆(しずかなたいしゅう)[1]とは、「物言わぬ多数派」という意味。積極的な発言行為をしないが大多数である勢力のこと。
対義語は少数派だが声が大きく、要求の中身を知らないか無関心な多数派が静かであることを利用して政治家や自治体、企業などにサイレント・マジョリティに不利益になる要求を飲ませる又は飲ませようとする人々を意味するノイジー・マイノリティまたはラウド・マイノリティ[2]。

岸信介総理の発言[編集]
日本でも、ニクソンの発言に遡ること9年前、昭和35年(1960年)のいわゆる「安保闘争」の際に、当時の首相岸信介が「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には“声なき声”が聞こえる」と発言。安保反対運動に参加していない国民を声なき声という言葉で表現し、ニクソンの「サイレント・マジョリティ」と近い意味で用いていると考えられている(なお岸とニクソンには個人的に親交があったが、ニクソンの発言が岸に影響されたものかは不明)。これに反論する意味で結成されたのが「誰デモ入れる声なき声の会」(現・「誰デモ入れる市民の列」、労学舎主宰)である。
現代も、民主主義国家の多くには「サイレント・マジョリティ」と呼ばれるべき人々が存在すると見られ、大声を上げない、見えない大勢力への配慮が政治上欠かせないものとなっている。

**第1部第4話 自民党総裁選挙~派閥抗争の原点【CGS倉山満】
ChGrandStrategy
2013/09/27 に公開
☆『じっくり学ぼう!日本近現代史~自民党政治~』
☆第1週第1部第4話 自民党総裁選挙 - 派閥抗争の原点  講師: 倉山満先生
自民党総裁選挙の原点に迫ります。派閥誕生から抗争、戦後初の政党党首を選ぶ総裁選は乱脈極める大激戦 ! 途中、日本一のエコノミスト、筋は絶対通す石橋湛山の男っぷりも詳しく解説。どうぞご覧ください!!

要約と言い換え:
今の日本の政治の体制につながる体制を作り上げたフィクサーの三木武吉の真意は、本人が言っている。
「自主憲法を制定し、自主防衛ができる国にならなければならない。
そのためには小選挙区制を導入し、強い政党を作らねば。
政党民主化をしようとしない吉田のやり方ではだめだ。」

つまり、三木武吉の自民党結成は、手段であって目的ではなかった。
三木は、最大限に機会主義者を装った、原理原則論者。
今の日本の政治も、三木武吉を知らなければ、分からない。

こうして、1956年の政界は、巨大与党の自民党と、巨大野党の社会党に。
国連加盟を花道に、鳩山一郎首相は引退。
その後の話し合いで決着がつかず、自民党が与党なので、自民党の総裁選が内閣総理大臣を決めることになる。
こうして、史上初の、総裁の選挙へ。

鳩山一郎の孫の鳩山邦夫は、舛添要一と同じく東大主席。
二人とも友人だが、二人とも東京都知事選に出て、石原慎太郎に負けた。
この鳩山邦夫が政治家になりたいと、父親に相談したら政治家なんかになるな絶対反対と言われ、
鳩山邦夫が父親に鳩山一郎おじいちゃんが悪人だと言うの?と聞いたら、
父親に「その年になるまで、鳩山一郎が極悪人なことを知らなかったのか」と言われた。
これは結構、有名なエピソード。
そのうち、鳩山家99の謎という本を書きたい。

民主主義の国会運営では、政権運営のために、選挙を行うことなく、与党の総裁選で総理大臣をだすための実質的主導権を握れるのが、過半数以上を獲得できるかどうかの位置ある党。
例えば、3/8の議席の与党が政権を運営するには、2/8=1/4の議席を持つ党の協力が不可欠で、この1/4の党が実質的主導権を握れるようになる。これを1/4理論という。
これを更に巧妙に1/8理論でやったのが田中角栄で、7/16の議席の与党に対して、2/16=1/8の党を作ることで実質的主導権を握ることをやった。

この国民の審判の選挙をあまり行うこと無く、日本の政権運営を派閥闘争の総裁選で主に行ったことで政治の腐敗が極まり、このやり方が崩壊したのが1993年。
こうなる事態を作った最大の責任は、自民党でなく社会党にある。

何故なら、民主主義がまともに機能するには、最低でも2つのまともな政党がなくてはいけないが、自民党しかまともな政党がなかったことが問題。
つまり、社会党がまともな政党でなかったことが最大の問題。
補足:これはGHQが行った国民への政治不信を植え付けるためのプレスコードに洗脳されて今に続くマスコミと、小中高の単線の進学ラインによる朱子学的思想=儒教的思想による、
アメリカ崇拝の浸透により、クラスで一番できる人間が政治家になろうとしない空気により、今も続く圧倒的な政治の分野での人材不足が原因。

そして、1993年までの間の政権闘争のために、日本史上初めて派閥ができる。
中選挙区制は「1つの選挙区で当選は最大5人」で行われたので、各地域の選挙に勝つために最大5つの政党が出来る。

そして、自民党の中に、3つの派閥ができ、大物政治家8人によるので八個師団という。
自民党の派閥とは、その派閥の親分を総理大臣にするためのもの。
以下、最大派閥順に;大物政治家8人の名前付き;
岸伸介(鳩山派の河野一郎、佐藤栄作が支援):鳩山派;主張は対米協調と自主憲法制定を。
石橋湛山:三木武夫、大野が支援:鳩山派;アメリカに媚びない政治を経済復興最優先。
石井光次郎:池田勇人が支援;吉田派;緒方の後継者なので、自分が最大派閥のはずだった。

上記の石橋湛山は第一のエコノミストになり、金解禁はおかしいと言ったたった4人だったうちの1人。
石橋が代表取締役だった東洋経済新報社は、権力主義者のマッカーサーやケージスに歯向かった。
これはヒトラー独裁のドイツでヒトラーに逆らったくらいすごい人。
今の東洋経済新報社は、隣の建物の日銀の手先になりさがり、増税を掲げていてどうしようもなくなった。

この選挙でなく、総裁選主体の派閥政治で腐敗して乱脈を極めていた総裁選の選挙の様子は以下のようなもの;
・ある参謀「総裁選に公職選挙法は関係ない、金は好きなだけ使え」「飲ませ、食わせ、抱かせ、渡せ、囲い込め」。
・怪文章「岸は一億、石橋は八千万、石井は五千万使った」
「石橋陣営は、5人に通産大臣、8人に農林大臣を約束した。全部実現するのに30年かかる」。

この史上初の総裁選の結果は、石橋が258票、岸が251票で、石橋湛山が勝利。
しかし、岸はたった7票差で負けたので力はある。
そして、組閣は揉めに揉めて、岸は副総理格の外相として入閣。

ただ、岸は安保改正に政治生命をかけており、政策がきちんとしていた。

しかし、石橋は選挙中に遊説のやりすぎで体を壊して脳梗塞、報道は肺炎。
そして、潔く65日で大義を持って退陣。

こういう立派な人がいた政治の歴史を今の政治家は知らない人が多い。
この歴史の学習不足が、今の政治の劣化の大きな原因の1つ。

そして、次回は、自民党は何のためにできたか、日本にどれだけ貢献したかがわかる、
真打の池田内閣の登場!!!!


**第1部第3話 保守合同~だれのための自民党?【近現代史 倉山満】
ChGrandStrategy
2013/09/20 に公開
☆『じっくり学ぼう!日本近現代史~自民党政治~』

要約と言い換え:
吉田茂は、実は政党政治には不向きで、マッカーサーやウィロビーがいたから、政権を動かせた。
このマッカーサーやウィロビーがいなくなったので、吉田茂の政治力は弱くなった。

そして、1951年に、日本は表向きは独立できたので、鳩山一郎、三木武吉、河野一郎らが公職追放が解除され、政治に戻って来た。
そして、1952年に鳩山派は、吉田茂の自由党をかき回し、吉田は以前に述べた卑怯な抜き打ち解散をする。
吉田茂だけでなく鳩山派も大敗するが、鳩山と三木武吉は自由党をかき回す。

そして吉田茂がバカヤローとキレて「バカヤロー解散」。
そうして、最悪の社会党の力を借りて、鳩山内閣誕生。

三木武吉が作った自民党の結党理念は「自主憲法を作ること」。
では、何故、吉田茂が「鳩山内閣ができたら日本は滅ぶ」と言っているのに、
三木武吉は「魂だけになっても鳩山内閣を作り、日本を立て直す」と言ったのか。

それは、倉山満が長年研究した結論の「鳩山の参謀ということで歴史に名を残せるから」としか思えない。

しかし、鳩山内閣が誕生したが、少数与党で政権担当能力がないので、いわゆる選挙管理内閣で、すぐに解散総選挙。
それが、昭和30年総選挙へ。
これで鳩山率いる民主党は第1党だが、また少数与党で、議会運営が困難。
更に社会党がついた方が勝つ政局に。
学界以外のまともな財界の人たちは、社会党が政権についたら日本が滅びることを知っていた。

すると、三木武吉は鳩山に「内閣は作ってやるが、もし日本のためにならない内閣ならすぐに潰す」と言っていた通りに、鳩山内閣を潰す。
それが保守合同。
自由党の三木武吉と、民主党の大野伴睦の二人の主導で、保守合同が進み、これを財界が後押し。
そして、自由党と民主党が融合して、自由民主党ができた。

社会党も左右両派が合併して日本社会党ができる。

自由民主党と、日本社会党の両党で、議席の9割を占める。
しかし、政権担当の51%の議席が欲しい自民党と、政権担当能力がないことは自分達もしているが政治家でいたいので34%の議席が欲しい社会党による、
2大政党とは言えない、1.5大政党の談合体制ができる。
こうして、1955年の体制ができる。

この体制を作り上げたフィクサーの三木武吉の真意は、本人が言っている。
「自主憲法を制定し、自主防衛ができる国にならなければならない。
そのためには小選挙区制を導入し、強い政党を作らねば。
政党民主化をしようとしない吉田のやり方ではだめだ。」

つまり、三木武吉の自民党結成は、手段であって目的ではなかった。
三木は、最大限に機会主義者を装った、原理原則論者。
三木武吉は、この後、昭和31年7月4日死去。

三木武吉は自伝は出していないが、秘書が出している。
「三木武吉太閤記」は面白い。

今の日本の政治も、三木武吉を知らなければ、分からない。



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**第2部第3話 高度経済成長 ~ 頑張れば、希望と仕事がつかめるしくみ【CGS倉山満】
ChGrandStrategy
2013/10/18 に公開
☆現代編第二期☆
第1週自民党政治
第2部日米安保と高度経済成長
第3話頑張れば、希望と仕事がつかめるしくみ

要約と言い換え:
そして、昭和35年第29回衆議院総選挙で、池田勇人総裁の自民党は7割近い議席を獲得。
しかし、マスコミや学界は、池田勇人はここから憲法も防衛も忘れて経済しかやらないと報じているが、これも大嘘。
保守の櫻井よしこや遠藤 浩一とか笹 幸恵も、「池田勇人はここから憲法も防衛も忘れて経済しかやらない」と言っているが、勉強不足。

池田の弟子の宮沢喜一の本だけを読むと、このイメージになる。
吉田や池田の研究は、宮沢しか言っていないことは嘘だと思え。
宮沢の言うことを信じると、白洲次郎が憲法9条擁護の平和論者になってしまう。
補足:人間というものについても天道(自然科学)と人道(社会科学や人文学)共に学習し、体系的に表の歴史(望遠鏡)と、裏の歴史(顕微鏡)を照らし合わせて、
権威や権力を盲信せず、素朴な疑問を大切に、丁寧に見ていかないと騙されると言うこと。

そもそも、高度経済成長とは、昭和31年「経済白書」で「もはや戦後ではない」として、敗戦から復興へ。
これは吉田茂の重点産業支援の路線を引き継いだ、岸内閣のおかげ。

そして、次の池田内閣のおかげで、奇跡の経済成長に向かう時代。
池田総理は、皆さんの月給を十年で二倍にしますと言った。
しかし、当時は、無理だ、池田は大ボラ吹き、こんなのが総理なんてと散々、非難された。

マスコミに偏向報道で、貧乏人は麦を食えと言った「金持ちの傲慢」と悪い印象操作を受けたので、
それに対抗して、テレビの前で率先して「議員の会合でカレーライスを食べる姿」を見せて、
自分も庶民で「麦飯でなくカレーライスを食べられる時代になりました」と悪い印象操作の解消に務めた。
これが、今もテレビの前で「議員の会合でカレーライスを食べる姿」を見せる風習の起源。

池田が本当に公約の所得倍増をできた仕組みは;
1大前提;
>アメリカがベトナム戦争絡みで、日本に構ってられないことを池田は知っていたから。
1ドル360円の固定相場制に(適正相場より60円の大きなハンディをもらい、輸出に有利)。
アメリカが基軸通貨のドルを刷ると、1ドル=360円維持のために円も刷る。
補足:その後の日銀主導?のプラザ合意でドル建てで360円固定相場を変えられえて、今は1ドル100円程度で、日本の海外ドル建て資産は1/3.6に減らされている。

>政府が日銀に公定歩合を上げさせない。
これで金利が上がらない安心感=健全なインフレ期待。

この時、日銀は、日銀の独立性がと言って、ふざけた反対をしてきたが、
池田勇人が鉄槌を食らわせた。
それは、「そういうことは、ここにいる下村博士を論破してから言って下さい。」
補足:昔も今も、株式会社の日銀は日本でなく開示されていない?大株主のユダヤ財閥支配?の国際決済銀行の方を、向いているからかもしれない。

>金利が安いので企業がお金を借りやすい。

2国民への極めて分かりやすい所得倍増の仕組みの説明;
企業がお金を借りて投資し工場建設、品質向上、消費者はいいものなら買おうと買う、売上や利益アップ、すると給料アップ、そして消費者はもっと買う。
これで、所得は倍増。

大切なことは、給料が増えると、貯蓄が増える、貯蓄があるから将来の不安がなくなるから、もっと良いものを買おうとなる。
今のやり方の問題は、老人が持っている貯金を巻き上げようとしているが、これが大間違い。
正しくは、貯金を増やしてあげるとまた使ってくれる。

今のフリーターは貯金が100万円ない人がほとんど、だから結婚もできない。これが大問題。
ちなみに私(倉山満)も、「財務省の近現代史」を書いた頃の35歳までは貯金は100万円以下だった。
この「財務省の近現代史」を出版するときに、出版社に財務省が怖いと2社に断られた。
財務省が怖くないんですかと聞かれたことがあったが、財務省に怯えるほど貯金がないので平気だった。
名前も金もいらないという気概がなくては本当のことは書けない。

そして、池田は金融緩和に加えて、積極財政も行った。
それが、東海道新幹線など、民間では投資不可能な部門に、政府の投資をさせたので、成長が加速。
OECD(先進国クラブ)にも加盟。
防衛費も伸ばしている。
補足:つまり、池田は経済だけは大嘘。

このように必要な投資は必要だが、不要な道路などに投資はしてはいけない。

池田内閣を支えた人材も凄かった。
賀屋興宣(かや)議員、迫水久常(さこみつ)議員、星野直樹(大蔵省官僚)、下村治(大蔵省官僚)、森永貞一郎(大蔵省官僚)など。
この頃の大蔵省は省庁の利益主体でなく、国益を考えて全体を見渡せる人材がいて、国民の味方だった。

倉山満「財務省の近現代史」で書いたが、今は大蔵省はおかしくなっているが、本来の大蔵省の伝統は増税でなく増収。
経済成長をさせたら、税収は自然に増える。しかし、今は官僚も、目先のことしか考えられない教育と業績評価の仕組みで、この長期的視野で動けない。
「税収で天下国家を考えるのが官庁の中の官庁と言われる大蔵省の役割」という気概が昔の大蔵官僚にはあった、と堂々とインタビューに元大蔵官僚、、さんは答えていた。

今、ドラマ「半沢直樹」で、官僚と銀行のやりとりが生々しく描かれているが、借り手や国民のことを何も考えていない官僚や銀行マンがほとんど。
考えているのは自分達の銀行と、官庁のメンツだけ。

今の官庁の人達は、おかしくなっているが、この当時の大蔵官僚は違う。
通産省は経済成長、大蔵省は健全財政というが、高度経済成長をすれば、この両方ができる。

経済小説の大家としてマスコミによく取り上げられる、経済小説とは名ばかりの作品ばかりを書いている、ファンタジー小説家の城山三郎は、
「官僚たちの夏」というファンタジー小説を書いているが、この内容も大嘘。

この小説の通産省の主人公は、アメリカと戦うんだーという社会党系の人間。
確かに官公庁には、社会党系のおかしな人間はいるが、これは本流派ではない。
本流は通商派。
補足:つまり、アメリカと戦うんだーという単純なイデオロギーの人間が本流ではない。

以上で、池田勇人は不可能と言われた公約の10年目どころか、たった7年目で所得倍増に。
しかし、池田は5年目に病に倒れて、亡くなっていた。

そんな池田勇人を、保守の偉い人達は悪い人と言っている。不勉強にもほどがある。
産経新聞で、安倍総理の政策を池田みたいなことをするなと叩いたのが、櫻井よし子と遠藤 浩一。

今の保守で、岸さんに対立して池田がいると捉えていることが大きな間違い。
正しくは、岸さんの延長に池田がいる。

高度経済成長は、吉田茂から始まり、岸が引き継ぎ、池田がまとめた。

***関連情報:「貧乏人は麦を食え」
 池田勇人蔵相は、緊縮財政下の不況の上、米価が高騰していた1950年12月7日、参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁した。これが「貧乏人は麦を食え」と伝えられ、国民の反発を買った。
 後に首相も務めた池田氏だが、蔵相時代は失言が多く、52年11月27日の衆院本会議では、「不当投機をした人が5人や10人倒産(以下ヤジで聞き取れず)」と述べたのが、「5人や10人が自殺してもやむなし」と伝えられ、翌日辞任に追い込まれた。

補足:不当投機は、間接的に多くの人を自殺などに追い込む犯罪であるので、倒産しても自業自得である。
全文をきちんと読めば全うな話であるが、ユダヤ財閥やコミンテルンに学界や空気の支配により操られたマスコミは今も昔も、自覚もしくは無自覚に悪意の偏向を行っている。


***ウィキ遠藤 浩一
(えんどう こういち、1958年 - 2014年1月4日)は、日本の文芸評論家。拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授、同大学日本文化研究所所長、国家基本問題研究所理事、日本国際フォーラム政策委員を務めた[1]。専門は日本政治史。保守派の論客として知られ、第10回(2009年)の正論新風賞を受賞。憂国忌にも参加した。演劇・音楽にも詳しく、『福田恒存と三島由紀夫』、『小沢征爾』などの著書がある[2]。

***ウィキ笹 幸恵
(ささ ゆきえ、1974年 - )は日本のジャーナリスト。

略歴[編集]
神奈川県生まれ。大妻女子大学短期大学部卒業。編集記者を経て、2001年にフリーに。流通業のインタビュー記事のほか、ビジネス全般、大学業界などテーマに執筆活動を行う。近年は日本の近現代史をテーマにした執筆活動をおこなっている。
太平洋戦争について教師から教えられた授業内容に疑問を持ち、かつての戦場を自らの目で確かめるため、2005年1月に旧日本軍将兵と共にガダルカナル島を訪問。以後、太平洋各地の戦場だった地域を多数訪問している[1]。
これまで慰霊巡拝や取材などで訪れた地は次の通り。 トラック諸島、ポナペ(ミクロネシア連邦)/マリアナ諸島(サイパン・テニアン・グアム) パラオ諸島(バベルダオブ・コロール・ペリリュー・アンガウル)/ハワイ(オアフ) マーシャル諸島/ギルバート諸島(タラワ・マキン)/ナウル パプアニューギニア(ココダ・ウェワク・マダン・ギルワ・ラバウル・ブーゲンビル) ソロモン諸島(コロンバンガラ・ニュージョージア・ガダルカナル・ツラギ) タイ(クンユアム)
戦没者の遺骨収容にも取り組んでいる。「ガダルカナル島未送還遺骨情報収集活動自主派遣隊」を2011年に結成して有志を募り、ガダルカナルの攻撃迂回路「丸山道」など密林奥地の遺骨調査を毎年実施している。
2009年1月には近現代史研究会(PandA会)を発足させる。
2010年、小林よしのり、堀辺正史、高森明勅、宮城能彦とともに「ゴー宣道場」を創設。創設師範となった[2]。


**お待ちかねの:第2部第2話 池田勇人が実現した憲政の常道 - 日米安保と高度経済成長【CGS 倉山満】
ChGrandStrategy
2013/10/11 に公開
☆第12回『じっくり学ぼう!日本近現代史』
☆講師: 倉山満 先生 聞き手: 神谷宗幣
☆現代編第二期☆
第1週自民党政治
第2部日米安保と高度経済成長
第2話池田勇人が実現した憲政の常道

要約と言い換え:
比喩でも何にでもなく、この頃は、安保闘争にせよ、政権闘争では必ず人が死んだ。
岸伸介元総理大臣は、新安保条約を締結後、太ももを刺されて死にかけた、暗殺未遂事件に合う。
太ももを刺すと、殺意がなかったと言え、尚且つ出血多量で死に至りやすいので、プロの手口。
そういう意味で、池田内閣が、本当に殺し合いから話し合いの議会政治への大転換を行った。

岸が暗殺未遂にあったので、次期総理候補だった大平正芳は恐れて出馬せず、
「朝、仙人がきて言うんだ。だから出る」と謎の言葉を言って池田勇人は、岸の後の自民党総裁選挙に出て、圧勝する。
池田の取り巻きには、後の総理大臣の宮沢喜一などまともな人はいなかったが、その人の良いところを使う才能が池田にはあった。

池田勇人の経歴は、遊びすぎて東大に入れず京大に入ったので、エリートコースから外れたノンキャリ扱いのキャリアで、大蔵省に入省。
しかし、全身から膿が出る謎の奇病にかかり、妻は看病で疲れて死んでしまう。

その後、支那事変からの動乱の六年間を大臣が変わるのにずっと主計局長で日銀の副総裁をした大物の大蔵官僚の谷口恒二(つねじ)の温情で大蔵省に復職。
そして親戚の娘と駆け落ち同然の結婚をするが、後に浮気がバレて水風呂で窒息で殺されそうになる。

ノンキャリ扱いなので、ドサ回りの地方の税務署なのに、仕事が本当にできたので、大蔵省主税局国税課長に抜擢。
これはアパルトヘイト時代に、黒人が政府高官になったくらいの驚天動地の大抜擢。

そして終戦の中で人がいなくなるので、大蔵次官になる。
その後、吉田茂に認められ、衆議院議員になり、大蔵大臣に。

池田が、終戦の直後の昭和20年にやったのは、米軍相手の慰安婦集めだけとしか書いていない印象操作の歴史書が多い。
しかし、本当の池田は米軍が来た時に、前尾繁三郎と武器を持ってゲリラ戦を覚悟するくらいの無骨な人だった。
ただ、個人での喧嘩は弱かった。これに対して宮沢喜一は60歳くらいの時に20分間格闘して撃退したほど強かった。

そして昭和35年に総理大臣に。
しかし、総理大臣になった途端に、突然に衆議院を解散総選挙する。
たった数ヶ月前に、安保闘争で首相官邸取り囲んで、岸を殺せとやっているのにやった。
それは、池田の自民党は過半数取っていたので総選挙は不要だったのに、安保での不満は選挙をすることで、解消できるのではと考えたから。
それが池田の「安保ですさんだ人心をチェンジオブペースする」の言葉。

ただ、立会い演説会で、浅沼稲次郎社会党刺殺事件が起こり、
社会党に大量の同情票で自民党が負ける可能性が出た。

しかし、その刺殺された浅沼稲次郎への、池田の追悼演説が100万ドルの演説と言われるくらい、魂がこもって素晴らしかったので、
野党の社会党や民社党も涙する。
それが、下の追悼演説内容で、これはこの2つ後の第2部第4話で紹介する池田の優れた秘書の伊藤昌哉がスピーチライターで書いたもの;
沼は演説百姓よ
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺

そして、この衆議院総選挙で、中選挙区制で史上最高の議席の67%を、安保闘争直後にも関わらず、池田自民党が獲得。
その後、67%より多い議席がないと憲法改正はできないので、小選挙区制への移行が求められるようになる。

ただ、この池田内閣が支持されたのは、経済政策をきちんとやって、結果を残していたから。
これを見失ってはいけない。


関連情報:下のあなた達とは、安保闘争に関連して、メディアや学界や政治経済界に入り込んでいる人たち;
***おが
9 か月前
「あなたたちが日本をダメにしました」倉山先生最高ww

本気であれ、ファッションであれ、学生運動に参加したバカな一部の団塊の世代が
メディアなどで無駄に影響力を持ったことが、その後の日本にとってマイナスだったのは事実だと思う。