ロシア語から日本語に訳したものを見せるということはあまりしてきてないが、資料を読み漁る今日この頃、一部スタニスラフスキーの「演出家の能力」について興味深い記述を取り上げてみた。
...演出家には様々な種類の(必要とされる)能力(役割)がある。
а.演出家-管理官
公演をやり遂げ、体系だった仕事と規律を維持することができる能力。こういった、周りの人々を聞き従わせることのできる能力は、全ての演出家に備わっている訳ではない。
б.演出家-監督
舞台装置家など、公演に関わる様々なジャンルの芸術家達と円滑に話を進めることのできる能力、かつ自分自身の、そして他の人の作品に命を吹き込むことのできる能力。
в.演出家-文学者
戯曲と公演の文学的側面を確かに処理をすることができる能力。
г.演出家-美術家
公演の美術的側面を自分で解決することができる能力。
д.演出家-心理学者
公演の内面的、心理的な路線を正く処理することができる能力。
е.演出家-教師
俳優達を改善し、育成することのできる能力。
一人の演出家の中にこれら全ての能力を見出すことができるケースは、稀である....
これらはスタニスラフスキーの言う演出家に「内在する能力」な訳だが、このうちどれかを特に得意とする「演出家のタイプ」と考えても良いだろう。
実際他のいくつかのものはさておき、この演出家-監督(режиссер-постановщик)は通常、劇場での公演で多く用いられる名称であり、演出家-教師(режиссер-педагог)という名称は大学での公演で必ず使われる演出家の名称である。
ところで、ロシアでの演出家としての「あり方」は意外と多岐に渡る
完全に劇場での仕事に特化した演出家、逆に教育のためのディプロマ公演(卒業公演)の演出に特化した演出家もいる。
また、その両方をこなすことができる人もいるし、俳優が演出を務めることも珍しくない。
「演出家-教師」の仕事は、具体的な「目的」がしっかりと定まっているため内容がある程度制限される。
故に求められる能力は
・俳優として必要な能力の段階的な習得過程についての細かい知識
・その能力を育てるために必要な練習、トレーニングを遂行できる能力
・これらを踏まえた上での、「戯曲の選定」をする能力(段階別に選定基準がある。例えば、実はかの有名なチェーホフの作品は学生時代に公演として扱うことはあまり推奨されなかったりする。)
・俳優-生徒を精神的、技術的成長を促すことのできる能力
などである。
劇場での「演出家-監督」の仕事は、もちろん創造上の自由はかなり広がる。
ここでまたスタニスラフスキーの言葉を例に挙げたい。
...演出家は俳優たちのことを気にかけずに(心配することなく)公演を行うこともできる。演出家たちのもとには、既に準備された状態の俳優が来るのだから....
誤解を生みそうな書き方なので補足すると、この「気にかけずに」というのは俳優たちの人権とか個性を気にしないで、という意味ではなく彼らの技術や教育について今更考える必要はなく、彼らはもう立派なプロフェッショナルなのだから心配せずに、演出家は自分の仕事をするのだ、と。
昨今の日本の演劇界、芸術界のパワハラ問題。
現場と教育の連携が、根本問題解決へのキーの一つになるのでは、と私は思う。
今、現実に目を向けることは必要だ。
しかしそれと同様に「歴史」の流れにダイナミックに目を向けること、そして繰り返される「何か」を見つけることも不可欠ではないだろうか。
現在は過去の延長なのだから。
"ダイアモンド"はそんなところに転がっているのかもしれない。

写真はライキン高等舞台芸術大卒業時のもの。