井上浩二のブログ:現在(いま)を考える

株式会社ケーティーコンサルティング株式会社シンスター の代表取締役井上浩二が、ビジネスに関して日々考えていることを発信。

株式会社シンスターでは、人材育成に関するコラムを発信しています。是非こちらもご覧ください。

どんな『欲』を持ってますか?

「来年に社長を辞めようかと思っていたが、(経営への)欲が出てきた」、孫正義ソフトバンク社長が続投を決意し、先日の株主総会で語った言葉だそうです。各種報道では、「カリスマ経営者の引き際の難しさ」なんて言われてますけど、60歳で経営の第一線から引くなんて、個人的には若すぎると思います。少子高齢化で生産人口が減少するという問題を抱えている日本なのですから、孫社長にももっともっと働いてもらわないと。そもそも、経営者が「引く」とはどういうことなのかも考えちゃいますよね。他にやりたいことがある、体力的に責務を果たせなくなった、あるいは今の仕事に情熱を持てなくなった・・・色々な理由が考えられますよね。カリスマ経営者がいる企業では、「自分がトップでいることが次の経営者を育てる弊害になっている」なんて理由もよく聞きますね。世の中の変化、ビジネス機会などを考えると「やっぱり、もう少し経営を続けたくなった」という孫社長の場合、次の経営者育成が一番の目的だったのかな、と個人的には思います。そうだとすれば、自分が引かなくてもやり方は色々ある。孫社長には、是非その工夫もしながら、本当に老害になる前に身を引くまで、日本を代表する経営者として頑張って頂きたいですね。

『欲』の質が大事
孫社長は、人工知能(AI)の本格普及が迫り「情報革命のチャンスが広がり、もう少し続けたいと思うようになった」と語っているそうですが、この『欲』が個人的な興味本位ではなく、自分が企業経営の中心でいることで、もっと便利な社会、快適な社会、安心して暮らせる社会を作ることに貢献したい、といった高邁な『欲』であって頂きたいですね。(きっと、そうだと思いますが。)
こういう文脈で『欲』と言う言葉を聞いて、ふと私の大好きな映画のある一場面を思い出しました。そう、映画Wall StreetでGordon Gekko(マイケル・ダグラス)が物言う株主として行う”Greed is good."というスピーチです。映画で、Gekkoは「欲は善であり、正しく、機能するものだ。欲は物事を明確にし、道を切り開き、革新の精神の本質を形に変える」と語ります。人をドライブする、何かの行動に掻き立てる原動力として『欲』を捉えると、その通りなのでしょうね。ただ、ここで大事なことは、その欲が満たされる状態をどのような状態とするか、つまり『欲』の質なのでしょうね。Gekkoは、「欲には色々な形がある。生命欲、金銭欲、愛されたいという欲、知識欲」と続けます。(私には、食欲も非常に重要な欲なのですが。)映画では、他人がどうなろうと知ったことではない、自分の関係者だけが裕福になればいい、法を破ってでも・・・という形で欲が追求されていくわけですが、これでは「欲は善」ではありませんよね。勿論、自分の望む生活を手に入れたいという欲求は誰にでもあると思うのですが、これが行き過ぎたものになると「欲は悪」になる。最終的には、欲が社会に貢献する、社会の要請に応える形で結実するようになれば、「欲は善」と言えるのかな、と個人的には思います。そういう欲、それこそ貪欲に皆が持ったら良いですよね。

貢献にも色々な形がある
ま、貢献なんて言葉を使って大げさに聞こえるかもしれませんが、そこにも色々な形があるように思います。卑近な話しでは、最近こんなことがありました。私の家の庭にネムノキが植わっているのですが、その木になんと花が咲いていました。私は、ネムノキに花が咲くなんて全く知らなかったので、それを知っただけでも大喜び。結構きれいなんですよね。ま、こういう知らないことを知る、気付くだけでもとっても嬉しい。ある種の知識欲ですかね。でも、それだけで終わっては勿体ない。写真を撮って、人と雑談する時に「ネムノキって花が咲くって知ってました?」なんて何人かの人に振ってみました。すると皆さん、「えっ、そうなんですか。」と言って写真を見て、自然を愛でて下さる。自分が得た知識を周りに共有するだけで、ちょっとした喜びが広がったりする。更に、そこから話がはずむ。「井上さんは、・・・にも花が咲くって知ってます?」とか、「最近は、自然をゆっくり楽しんでないなぁ。今度家族でどこかに出かけようかな」とか。
そもそも、欲があって何かを得ようとする。それが適えば、そのこと自体嬉しい。しかし、そこで得たものをどう生かすかが大事なんでしょうね。周囲の人と共有するだけでも、その人達に小さな幸せを感じてもらえるかもしれない。これも貢献ですよね。更には、それをきっかけとしてもっと広い範囲、大きなことに繋がることもある。そもそも、「貢献しよう」なんて大上段に構える必要はないのでしょうね。
行き過ぎない、過剰な欲は持たずに、得たものを周りと共有する。それが、自分の幸せ、周囲の幸せにつながる。そうなったら、「欲は善」になるのでしょうね。
ネムノキ

Wall Streetの名場面を知らない方のために。

LIVEを楽しんでますか?

先週の日曜日、友人の田近香子さん率いるVakenecoのセカンドアルバムリリース記念LIVEに行ってきました。久しぶりの『生音』、良いですねぇ!場所は、鎌倉のダフネという比較的こじんまりしたJazz Clubだったので、間近で全身に音のシャワーを浴びてきました。今回は、ゲストにキューバからパーカッションも招いての演奏だったので、いつもより一層乗りの良いLiveを堪能することが出来ました。

『生』だからこそ伝わるものがある
最近は、プロ野球の中継もほとんどBSに追いやられて視聴率は芳しくないようですが、球場への来場者数は増えているそうです。個人的には、とても良いことだと思っています。音楽ばかりでなく、スポーツもやっぱり競技場で感じる、見ることのできるものは、TVとは全く違いますからね。スポーツでは、私は初めてアメリカのボールパークでアメリカンフットボールの試合を見た時の感動を今でも忘れません。「ガツンッ!」と人が当たる迫力、計算されたアスリートの動き、糸を引くようなロングパスが通った時の爽快感、球場だからこその迫力ですよね。
こういう『生』の良さ、人の言葉も同じだと思います。先日、ある企業の人材育成の一環で、毎月課題図書を皆で読んで感想を言い合う場にたまたま同席しました。その時は、名だたる企業のトップが企業のリーダーとして感じたこと、大事にしていたこと、課題だと思ったことなどが語られている本が課題だったようです。こういう書物に皆で触れようとすること自体は、とても素晴らしい活動だと思います。ただ、ちょっと思ったことは、本は色々なリーダーの印象的な、人に感銘を与えるような言葉を切り出して引用するのは上手いのですが、その言葉を語った人の本当の意図が伝わっているのかなぁ、という疑問です。当然のことながら、その言葉を発した時には、前後の文脈がある。また、誰に対して、どういう場で、どのような口調で、表情で語ったかも、その言葉の真意を慮るには非常に重要だと思うわけです。そんな事を考えると、勿論著名人の名言も大事なのですが、もっと身近にいる経営者の話を『生』で聞き、その方の言葉が出てきた背景や思想に思いを馳せ、可能であればその方と直接質疑を行う方が、もしかしたらずっと効果的かもしれないですね。やっぱり、『生』が一番。

少しでも『生』の体験に近づける工夫はできる
経営本の話に限って言うと、私としては出版社はこういう本はもうちょっと工夫してもらえたら良いんじゃないかなぁ、なんて思っています。先のような本だったら、本には本の趣旨があるから、それを伝えるために誰かの言葉を引用するときは必要な個所を切り取って使う。だったら、例えば付録としてこんなものを用意したらどうでしょう。その出版社のサイトにアクセスすると、引用した言葉を語っている著名人のインタビューとか、講演とかの動画を見ることが出来る。(そんな事をやっている企画も既にあるでしょうし、自分で調べてもYoutubeとかでそんな動画を見つけられるとは思いますが・・・)引用した言葉自体が使われていなくても、肉声を聞き、表情を見るだけでも、その人が持っている雰囲気とかは伝わってくる。それを感じ取った上で切り取られた言葉を読むと、より多くのものが感じ取れるのではないかと思います。
そもそも、本って難しいですよね。「・・・や・・・なんて本を読んでるんですけど、なかなか自分のものにならなくて」なんて相談を私もよく受けるのですが、それは本で何かを学ぶには限界があるからだと思います。色々な本を読むと、相応に知識は増えますが、考える力などのスキルを上げるのは難しい。なぜなら、書いてあることを「自分の思考」で理解するわけですから。自分の思考力の枠を超えて、何か読んだことから考えることは出来ないですよね。だったらどうするか?私なりの工夫は、同じ本を読んだ人と、その本を読んで感じたことや考えたことを議論することだと思っています。他の人は、同じ個所から自分とは違う意味合いを読み取っていたり、異なることを思考していることが多い。それをシェアすると、「なるほど、どういう見方もあるか、考え方もあるか」と、著者や発言者の真意をより広く?深く?慮ることが出来ますよね。
本当は、『生』、Liveが一番ですが、それが出来ないものは近づける工夫をしてみては如何でしょう?折角、自己研鑽のためにお金も時間も投資しているのですからね。ちなみに、私は球場に見に行けないスーパーボールは、ビール片手にホットドッグを食べながら100インチのスクリーンで、更にホームシアターのサウンドシステムを大音量にして見たりします。涙ぐましい工夫でしょ。

さて、最後に告知です。冒頭に紹介したVakenecoのセカンドアルバム、「百花繚乱」と言います。ジャケットの香子ちゃんも素敵ですよね。今回は、自分の思ったようにアルバムを作りたいという事で、自主制作にしたそうです。聞きたい方は、直接問い合わせても、私に問い合わせて頂いてもOKですよ。素敵なオリジナル曲が満載ですので、興味のある方は是非聞いて下さい!
百花繚乱

言いたいことが言えてますか?

先日の、ある業界の研修での出来事。初回だったのですが、参加者各自が担当しているビジネスの取り組みや、課題を少数グループで議論する場を持ちました。各グループでの議論をより有意義なものにしようと、各グループに参加者企業の上司に手伝って頂いたのですが・・・終了後に意見を聞いてみると、「上司がいると言いたいことが言えない」などの意見が多数。まだ、これからしばらく続く勉強会なので、次回以降のやり方を考えて改善すればその場は良いのですが、「上司がいると・・・」は正直「これで良いのかなぁ?」と感じてしまいます。でも、日常でも「あの人がいると、思ったことが言えない」とか、「あの人(特にお客様や外部の人)には、質問もできない」とかいう場面は良く目にします。ここには、当然のことながら「あの人」側の問題と自分の問題の両方があるのですが、どうしたらもっと思った事を言いあって、折角の場をより建設的なものに出来るのでしょうね?

相手が非建設的な事を言う、怒ることを回避する術を身に付ける
こういう問題は、「上」と「下」双方に問題があり、「上」の責任の方が重いと思うのですが、まずは「下」の問題と対策に関して、私が思っていることを書いてみますね。(ほんの一局面しかカバーしていないと思いますが。)自分の思っていることを言えない、その問題の裏には「こんなこと言ったら・・・と思われるんじゃないか」という感情が働いていることが多いように思います。そもそも、議論をする時にはその前提としてベースとなることの共通理解が必要なのですが、そこが分かっているかどうかを質問しようにも、「こんな事を聞いたら・・・」という感情もあるように思います。両者とも、質問したり、自分の考えを言った時に、相手から「君はこんな事も分かっていないのか」的な事を言われたくないという感情に繋がりますよね。私も、若い頃にそんな事を思った事が多々ありました。そこで、私がした工夫は、まず「自分がこんなレベルで申し訳ありませんが・・・」という事を先に相手に伝えてしまおうというやり方です。「自分が分かっていないことは、自分も承知です」と先に行ってしまうと、相手も余程大人げない方でない限り、そこにとやかく言えなくなりますからね。何かを質問する、意見を言う前に、必ず「申し訳ない」的な表現を付けた上で、例えば、
・以前にも聞いていると思うのですが・・・
・こういう事を自分で勉強していないのは恥ずかしい限りですが・・・
・素人なので分かっていないことが多いのですが・・・
・浅知恵に過ぎないと思いますが・・・
なんて前置きを軽く付けるようにしています。このやり方、結構有効ですよ。言葉の裏では、相手は「こんな事も分かっていないのか」と思っているかもしれませんが、表面的には否定的・非建設的なことは言ってきませんからね。ただ、この手法は同じことを同じ人と議論する時には、二度はなかなか使えない。それこそ、「こいつ、バカか?」と思われかねませんからね。こういう方法で上手く聞けたことは、しっかりと理解して次の議論ではそれを踏まえて話が出来るようにする。そこは、ちゃんと自分でやらないといけませんよね。如何です?皆さんも、自分なりの工夫を色々としていますよね。良かったら、「自分はこんな工夫をしている」なんて意見をもらえると嬉しいなぁ。

ある程度の開き直りと勇気、そして謙虚さも大事
もう一方で、「自分はまだこのレベルなんだから、相手にどう思われても仕方がない」ぐらいの開き直り、相手がだれであれ自分の思った事を言う勇気も必要なのかな、と思います。その時、相手に「こんなレベルか」と思われたって良い、力を付けていつか「なるほど!」と感心させてみせるぐらいの気概があっても良いのかと。但し、たとえその時は稚拙なレベルであっても、自分が何故そう思ったのかの根拠は、自分なりに自信を持って言えるようにはしないといけないですね。それから、相手から否定的な意見が出されても、それを拒絶せずに相手が何故自分とは違う考えを持つのか、何故自分の考えを稚拙と考えるのかの根拠をしっかり聞いて、吸収する、そんな謙虚さと強かさも必要なのかな、と思ったりもします。

普段からの自分の受け取られ方に注意する
これに対して、「上」の問題、これはまさに自分も含めて非常に悩ましい。私も、社員に対して、「質問があればいつでもするように」、「自分なりの考えを持って、どんどん自分の意見を言うように。何かを提案するように」なんて偉そうに言うのですが、きっと皆私には言い辛いことも多いのではないかと思います。議論をしている時には、「フェアにやる」、「何を言ってもちゃんと聞く、怒らない」なんてことを心掛けても、駄目ですよね。その時だけの事ではなく、皆は普段からの私を見て、そこで私がどんな人間かを判断、評価しているのですから。普段の姿を見て、「この人となら、なんでも議論できる」と思われるようにならないといけないのだと思うのですが・・・まだまだ未熟です。更に、これが組織でとなると、更に難しくなる。自分以外にも、そこに参加する人たちの間には上下関係がそれなりにあり、そこで「上」の人が同じように「下」から信頼されていないといけないですからね。議論の場のルールだけでなく、普段から互いに敬意を払い合えるような人間関係を作らないといけないのでしょうね。

話は全く変わって、プライベートの出来事。昨晩、ご近所さんと「蛍の夕べ」という企画で集まりました。野生の蛍がいるわけではなく、買ってきた蛍を放して楽しむ企画だったのですが、蛍を見たことのない子供たちには、とても素敵な企画になりました。ご近所さんとは、一緒に飲んで色々と話をして。プライベートの仲の良い方々との集まりなので、とても楽しい時間を過ごしたのですが、それが出来るのは互いに気遣って協力し合い、こういう場を設けるからなんですよね。ビジネスの場も、こんな風に出来ると良いのですけどね。

蛍の夕べ
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