井上浩二のブログ:現在(いま)を考える

株式会社ケーティーコンサルティング株式会社シンスター の代表取締役井上浩二が、ビジネスに関して日々考えていることを発信。

株式会社シンスターでは、人材育成に関するコラムを発信しています。是非こちらもご覧ください。

2013年02月

諦めていませんか?

先日、機会があってある公的機関のトップに就いている方とお会いしました。要件は、そこの職員の来期育成に関して。これまでにも階層別研修を行ったり、外部のセミナーに参加する機会を作ったりと色々と手は打っているものの、なかなか思ったような成果に結びついていないのが悩みのようでした。世間話も織り交ぜながら、また私の方からは企業の取組の事例なども織り交ぜながらちょっと話をしていると、その方から次のような言葉がありました。
「うちの職員って言うのはね、絶対に潰れない、終身雇用を保証されたところで働いているんですよね。現在は就職が難しくなっているから、うちでも優秀な人材を採用できるようになっている。でも、なんて言うか、職員の中にも良い影響を与える人もいるけど、悪い影響を与える者も沢山いて、どうも悪い方の影響をどんどん受けちゃう。で、その影響を受けた働き方が当たり前になっちゃう。そこを変えるのは大変ですよ。」
さて、皆さんはこの方の発言を聞いて、どのように思われますか?

最初から諦めていては絶対にできない
勿論、表には出しませんでしたが、大人げなく私としては少々カチンと来ました。恐らく、これまでに色々と取り組まれて来られたのだと思います。しかし、現在でも思ったような結果に繋がる打ち手になっていない。そのご苦労は理解できますが、社会人がやるべきことをやり切れていないという課題を解決すると言うレベルでトップが最初から「難しい」と諦めているのでは・・・それでは周囲の人、部下、組織全体が変わるはずがないですよね。以前も書いたと思いますが、私の好きな経営者の一人が口癖のように部下の方々に伝えていた言葉があります。
「(本部長、部長を目の前にして)お前ら、これを実現するのは内心無理かもしれないと思っているだろう。それでも、やれと言われているからやっているだろう。そんな姿勢で上手く行くはずがない。良いかい、人間と言うのは出来ると思ってやったってできない事が沢山あるんだ。それを最初から『無理かもしれない』と思っていて出来るはずがないだろう!簡単に諦めるな!」
良いこと言いますよね。私もその通りだと思います。そもそも、何かを変えよう、新しいことをやろうとして簡単なことなど殆どないわけです。ビジネスの中では、業務の改善・変革、新規事業の取組など、簡単ではないから現在実現できていないことが多いと思います。それをやる人、特にそのトップが最初から諦めていては・・・実現できるわけないですよね。ま、こんな話をされたのでどう返そうかと考えたのですが、私からは次のような話をしました。
「確かに大変ですよね。特に、好ましくない方の影響が強く、その方向に引きずられているのでは。勿論そのような状況でも、今やられているヴィジョンの策定や、その達成に向けた目標管理制度の徹底などの研修なども必要だと思います。ま、理屈も必要だと思うのですが、それ以前に『働くことは楽しい』『何かを変える、改善していくことは楽しい』と言うことを、実践的に腹落ちするような取り組みをしてはどうでしょう?性善説的なところもありますが、人は何かが改善される、良くなることを喜ぶし、嬉しく思う。そこに、自分も参加して成果を出せたら、次はどうしようと考えるようになる。変えていくこと、自分が変わることが楽しい、と実務面も含めて腹落ちすることをやってみることが必要ではないですか?例えば、・・・」
なんて話して、私が他社でやっていることの事例などちょっとお話ししました。この話をすると、それまで椅子に深く腰を下ろして話をしていた先方が、急に身を乗り出し、目を大きくして私の話を聞いて下さいました。その後、部下の方に今後一緒にどんなことを出来るか検討するように指示して下さったので、きっと何かピンとくるところがあったのかも知れません。それならそれで良いのですが・・・これまでの経験で、どうも私は政治家の方々に穿った見方をしてしまう癖があり・・・この『仕事は楽しくなければいけない』的な話がお気に召して頂いたのであればそれはそれでいいのですが、必要な取り組みの本質と難しさも理解しないまま、この話のポイントだけをさも自分で考えたようにどこかで話すんじゃないかなぁ・・・なんて、邪推にすぎませんがそんなことも考えてしまいました。選挙で選ばれる公的機関のトップの方々の中にはきっと素晴らしい方が沢山いると思いますので、もうちょっとちゃんと考えて色々なことに取り組む方が増えて欲しいなぁ、などと感じる私はへそ曲りなのでしょうね。

諦めずにやり遂げたことの結果は美しい
全然違う話なのですが、先日滋賀県の長浜に出張で出かけました。そこでお客様と会議をした帰りに、ちょうど現在開催されている長浜盆梅(ぼんばい)展の話が出て、先方の社長が帰り際に車で連れて行って下さいました。見事な梅の花が咲く鉢が沢山展示されています。中には樹齢400年を超えるものもあり、本当にその美しさに圧倒されました。
長浜盆梅












地面から出ている部分も枯れそうな(枯れている?)部分もあり、とても花など付きそうにない木に、本当に見事な花が咲いています。これほどにするのは、きっと物凄く丁寧に鉢を扱い、細心の注意を払って育てているのだと思います。育てる側も、きっと「こんな花を咲かせて見せよう!」、梅の木もきっと「頑張って素敵な花を咲かせよう!」と思い、職人さんと梅の木が一体になってこのような素晴らしい鉢が出来るのでしょうね。素人が見たら、「こんな枯れそうな木に花が咲くわけないじゃない」と諦めてしまいそうなのに。やっぱり、諦めずに必死に取り組むことが大事で、そうすればきっと素晴らしい結果を出すことが出来るんじゃないだろうか、そんな事を盆梅が考えさせてくれました。

「努力」してますか?

いやぁ、花粉飛び始めましたね。花粉症の私としては、1年間でもとっても嫌なシーズンです。一方、野球好きの私としては、球音が聞こえてくるのは嬉しいシーズンでもあります。日ハムに行った大谷選手は、今年どうなるでしょうねぇ?プロでも二刀流、4番でエースが通じるか?!非常に楽しみです。
そんな折、先週日経に1面使ってイチロー選手のインタビューが掲載されていました。昨年、マリナーズからヤンキースに移籍し、移籍後に大活躍して注目を浴びましたが、今年は年間通じて活躍できるでしょうか?こちらも大変興味深いのですが、インタビューのイチローの言葉、色々と考えさせられます。やはり球界のトップ中のトップが放つ言葉は奥が深いですねぇ。その中の一節で、イチローはこんな事を言っています。
「本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」
さて、皆さんはこのイチローの言葉、どう思われますか?

何のために頑張るのか?
良いこと言うなぁ!が私の正直な感想です。「私、努力してますから」なんて事は多くの方は口にしませんね。でも、内心そう思っている方もいるかもしれない。「そんな状況ではまだまだ」とイチローは言いたいのかな?きっと大事なのは目標で、その実現に向けて頑張っている時には自分で「努力している」なんて思わないよね、と言っているように私には思えます。大事なことは、これは「イチローほどの大選手が言うことだから・・・」と思わない事ではないでしょうか?続けてイチローはこんなことを言っています。
「プロの世界では楽しい時など瞬間にすぎない。ほとんどはストレスを抱えた時間だ。しかしその『瞬間』のために、ありったけのエネルギーを費やしていく。その中で、人間構築をしていかなくてはならないと考えている」
これは、多くのビジネスマンにとっても同じことだと思います。ビジネスの中でも、本当に手放しで楽しい、嬉しいと喜べるような時はほんの一瞬で過ぎ去ってしまう。多くの時間は、何かを達成するためにそれこそ「ストレスを抱えて」頑張っている。しかし、その目的を達成するためにエネルギーを費やすわけです。イチローも我々ビジネスマンも同じです。そうなると、個人差が出てくるのはエネルギーの費やし方でしょうか?それが、「ありったけ」と言えるかどうか。そこが人によって異なりますね。「ありったけ」のエネルギーを費やしている人は、他人から見て「努力している」と映るのかもしれません。そうなると、大事なのは「何のためにやるか」と言う目的になってくると思います。その目的に関し、イチローはこんなことを言っています。
「『何かのために』は聞こえは良い。でも時に思い上がっているようにも思える。人間関係においても言えることだが、誰かの『ために』やろうとすると厄介な問 題になることがある。しかし、誰かを『思い』何かをすることには、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ない ように思う。昨年の3カ月だけだったが、ヤンキースは『思い』を強く持たせてくれた組織だった」
イチローにっとってはヤンキース、我々にとっては自分の所属する会社となるわけですが・・・会社に対してこれほどまでの「思い」を持つことが出来ていれば素敵ですね。皆さんは、如何ですか?

Greed is good?(「欲」は善なり)
見返りを求めずに誰かに対する「思い」で一心不乱に取り組む、こんな事ができたら良いですね。しかし、これはそこそこの能力・スキルレベルなっていないと、更には生活に対する満足度がある程度ないと難しいことですね。イチローは、普通の人のレベルを超えるところまで行っているから上記のような「思い」で今は取り組めるのだと思います。そのレベルに達していない我々はどうすべきか?やはり、まずは「自分のため」となるのでしょうね。これは、「自分事」として何事も考え、他責にせずにビジネスに取り組むと言う観点からも大事なことだと思います。そして、自分のためと言いつつも、「ありったけ」のエネルギーを費やして取り組むにはどうしたら良いのか?何がドライブするのか?そんな事を考えていて、ある映画のワンシーンを思い出しました。

"Wall Street"と言う映画です。マイケル・ダグラス演じる大物投資家、ゴードン・ゲッコーがが、ある企業の株主総会で「欲」が適切な表現かどうかと断った上で「欲は善なり」と演説します。欲にも色々な欲があり、金欲もありますがより良い生活を求める良く、博愛を求める欲、更には知識欲もあると彼は言います。欲があるから人は高みを望み頑張る。個人の欲が企業を、更には社会を良くすると言うのです。
(以下が英文のゴードンの演説です。)
The point is, ladies and gentleman, that greed, for lack of a better word, is good. Greed is right, greed works. Greed clarifies, cuts through, and captures the essence of the evolutionary spirit. Greed, in all of its forms; greed for life, for money, for love, knowledge has marked the upward surge of mankind. And greed, you mark my words, will not only save Teldar Paper, but that other malfunctioning corporation called the USA. Thank you very much.
これは、フォードの社長、クライスラーの会長も務めたリー・アイアコッカが実際に行った演説から作られたシーンだと知人のアメリカ人から学生のころに教わりました。「欲」を狭く、悪くとらえるとよくありませんが、広く、良くとらえれば確かに「自分がどうなりたい」とか、「どこで役に立ちたい」と言った欲を持つことは良いことだと私も思います。その欲があるから頑張る、「ありったけ」のエネルギーを使う。そして、イチローのようにとは言いませんが、あるレベルまで達すると「見返りを求めず」に「何かに対する思い」だけで打ち込めるようになる。そんな好循環を生めるようになると良いですね。そのためには、まずは自分がどんな「欲」を持っているのかを見つめ直してみることも大事ではないでしょうか?皆さんは、どんな「欲」をお持ちですか?

今回、イチローのインタビュー記事を読んで考えたことを書いてみたのですが、ちょっと気になったことがあります。ここ数年、どうもイチローは饒舌になったと思いませんか?以前は、こんなに語らなかったと私は思うのですが。饒舌なイチロー、何か違うなぁなんて思うのは私だけでしょうか?

マーケットを教育できますか?

アベノミクスで「インフレターゲットを2%に設定」というのが、一つの大きな政策目標に掲げられていますね。政治においても、定量目標を掲げること自体は良いことだと個人的には思っています。しかし、この目標を達成することは、現実的には非常に難しいことだなぁと思ったりしています。物価を上げる、これはどうやったら実現できるのでしょうね?皆さんはどんな風に見ていますか?

価格を変えること自体難しい
同じものを売っていて価格を変える、これは非常に難しいことですよね。円安により原価が上がる、この分を価格に転嫁すると言うのは結構直接的で、誰にでも目に見えることなので比較的やり易い。しかし、これ以外の部分で価格を変えていくと言うのは、とても難しいことだと思います。値段を上げるのではなく、下げることでさえ結構難しい。だいぶ前の事ですが、ファーストリテーリングが確か「ユニクロは、なぜジーンズを980円で作れるのか」なんてメッセージを大々的に伝えるキャンペーンを行いましたよね。要は、「安かろう、悪かろう」と言うイメージを消費者が持つから、随分とお金をかけて市場を教育したわけです。消費者は、これまである額を払って同等のものを買っていた。それをある会社が急に安く、例えば半値で出して来たらどう思うか?そこには、何か理由がある。きっと、どこかで手を抜いているんじゃないか、「安物買いの銭失い」なんて思うわけですね。この「銭の失い方」にも2つのパターンがあります。一つは、買ったものが使えずに、支払額そのものを無駄になる。もう一つが、そのものは安いのだけど、実は使うためには他のものも買う必要があり、結局は高くつく。例えば、PCを買った時の経験などを思い起こしてみて下さい。PC自体は安い、よし買おう!なんて買ってみると、必要なソフトにいくらとか、ネットワークでいくらとか、結局かなり高額な買い物になってしまったなんて経験を持つ方もいるのではないでしょうか?企業では、例えばERPなどのパッケージ。それ自体は安くなっていても、結局御用聞きをするSEがカスタマイズの範囲を広げ、素で作るよりも高くついてしまうような場合もある。このような経験、感覚を持っているマーケットを教育し、安い価格を提案することはとても難しいわけです。更に、上記のような目に見える、分かり易い部分以外で価格を上げるとなると・・・もっと難しいですよね。

市場が賢くなっている
これほどまで長期間にわたってデフレトレンドが続いた結果、どのようなことが起こってきたか?これは、皆さん良くご存知ですよね。分かり易い例が、小売りのPB商品。今では、小売りからの要請で大手メーカーがPBをOEMで作っている。その結果、商品自体は「安かろう、悪かろう」ではないものが沢山ある。逆に、「安くて良くなっている」ものも沢山ある。市場がこれを経験したわけですから、実はこれまでの価格は企業努力が足りなかった、あるいは必要以上に利益をとっているのどちらかではなかったのか、と思っているセグメントも増えているでしょう。そこまで考えなくても、「良いものが安くなるのが当たり前」と思っているセグメントは増えているのだと思います。マクロ経済的には、金融緩和で貨幣供給量を上げてインフレトレンドに転換しようと言う論理は分かりますが、ミクロ経済的な視点では賢くなった市場が同じものにより多くの対価を払うトレンドに持って行くのはかなりの努力が必要だと思います。仮に景況が良くなって価格を上げるような下地が形成されたとしても、個別企業が価格を上げていくかどうか、これはかなり疑問です。ここ数年のトレンドで「安く売って勝つ」というルールがしみ込んでいる業界が多いですから、このルールを変えようとするプレーヤーはなかなか出てこないでしょう。賢くなった市場に値上げをどう説明するか?それより、得られたキャッシュで更に値を下げて競争優位を築こうとするプレーヤーの方が圧倒的に多いように思います。

市場教育と価格設定の工夫が大事?
このような状況下で、「物価を上げる←価格を上げる」を実現するために、個々の企業はどのような活動をしていけば良いのでしょうね?CSR観点で、雇用を守る/作る、報酬を上げるという活動を正しく行い世の中に貢献している企業であることをマーケットに伝え、労務費が上がる分をある程度価格に反映していくことを市場に認めてもらう、そんな事ができたら素敵ですねぇ。しかし、世の中そんな甘くないですね。上記のような施策で市場が着いて来てくれるとしたら、「Buy XX」活動でしょうね。トヨタ関連で働く人が、仮に高くてもトヨタ製のものを買う。日本人が、仮に高くても日本製のものを買う、なんて形に繋がれば、成立しない事はないですが・・・色々な軋轢を生みそうですね。それに、背に腹は代えられないと言う消費者は着いてこないでしょうし・・・
以前、MBAスクールで教えていた際に扱っていた90年代の米国BMWのケースでこんな話がありました。80年代後半、レクサスをはじめとした日本メーカーが、乗り心地の良い高級車をBMWより安く出し、販売チャネルを自前で用意して顧客に体験を提供することでマーケットを奪った。これに対し、90年代になると「BMW=賢い選択」と銘打ったキャンペーンを大々的に展開し、「運転する車」のメリットを楽しみ、安全性などの観点から訴求することで、トータルコストの面でもBMWを選ぶ顧客の方が賢いと訴え、価格の高い車で市場を奪い返していったと言うケースです。(かなり端折って説明していますが。)勿論、製品性能を上げないといけませんが、何が「賢い」のか、その定義をしっかりして市場に訴えかけることで高値のものを選んで頂く、なんて工夫もありですよね。(ちなみに、米国経済は90年代に回復していくのですが、その波にも乗って米国BMWの業績は伸長するわけです。)
他には、私自身もケースを書いて色々な企業で扱っているライアン・エアーの話も参考になるかなぁ、なんて思っています。最近、LCCが日本でも徐々に広まってきているのでご存じの方も多いと思いますが、例えば搭乗時に預ける荷物の話。そもそも有料ですし、事前にネットで予約しなければとても高い、重量オーバーした場合はもっと高い(1kgが20ポンドだったかな?)。CEOのマイク・オリーリーは、「こういう価格設定をすることで、顧客は荷物を預けないように工夫し、機内持ち込みだけで旅行するようになる。その結果、航空会社は余計なオペレーションを削ることが出来、コストが下がる。顧客は安く飛行機に乗ることが出来、航空会社は利益が出る。このようなwin-winの関係を作るためには顧客を教育しなければいけないんだ。」なんてことをインタビューで話していました。サービスを適切に分離して、正当な?価格=高い価格を設定する。これは、色々な業界に適用できる考え方なのではないでしょうか?物流費、アフターサービス、保守・・・色々なサービスを適切な形に分離し、本当に必要な額をお客様から頂けるようになると、今まで無料だったものがお金を生むようになる。それを、必要な人が必要な量だけ買えばいい。このようなことが、物価にどれだけ影響するか分かりませんが、無料⇒有料であればきっと貢献はするのだと思います。そこに、市場が着いて来てくれると良いわけですね。このようなことを実施するためには、企業内のコスト管理構造をまず明確にしないといけない。そして、それをお客様に如何にチャージするか、分かり易くこれを説明し、納得し頂ける状況をつくれるかどうか。ミクロの観点では、こんな工夫が必要なのではないかなぁ、と個人的には考えたりしています。

Issueを特定して議論するのは難しい

ここ数日、体罰の問題が色々と報道されていますね。発端は大阪桜宮高校の男子生徒の自殺ですね。教師からの体罰を苦にして自らの命を絶ってしまった生徒さんは、本当に気の毒に思います。こんな事件を繰り返しては、絶対にいけませんね。この事件の後、大阪市長の橋本さんも何故か非常に精力的にこの事件に関わり、体罰に関する報道が過熱しています。皆さんは、この一連の報道を通じて、どのようなことを感じられていますか?

本当に体罰?
今回の話、本当に「体罰」の議論なのでしょうか?私は、そこが全くピンと来ていません。「罰」ですから、何か「罪」あるいは悪いことをしたことに対する「罰」を与える手法として肉体的な苦痛を与えると言う手法を取っていると言うのであれば「体罰」の議論ですよね。今回の話の舞台は体育学校、スポーツの世界ですね。そこで罰を与えると言うのはどんな時なのでしょう?スポーツの世界だからと言って何も特殊なことはなく、規則を守らなかったり、規則に明文化されていなくても常識から判断してしてはいけない事(例えば、意図的に周囲の選手の邪魔をするとか、モチベーションを落とすとか・・・と言ったことでしょうか)をした場合に、どのような罰を教師が課して良いのかと言う議論であれば分かるのですが・・・。もし、指導してもなかなか選手が思ったように動けない、上手くできないと言う状況であれば、そこには何も「罪」はないですね。そこで、平手打ちとかしているのであれば、それは指導ではない。ま、アントニオ猪木さんのような気合の入れ方もあるわけですが、それは相手もその意味を理解していて初めて正当化されるものですね。しかし、今回の話はもっと低俗で酷い話のようです。全て生徒側の意見が正しいと鵜呑みにするわけではありませんが、審判を務めた時の笛の音が小さい、うっとおしい顔をしているように見えた、なんて理由から暴力を振るっているのであれば、これは体罰ではない。最近では珍しい(?)、教師と言う圧倒的に強い立場を利用して弱者である生徒をいじめている、パワハラの議論だと私は思います。これは、問題外で駆逐しなければいけない問題です。しかし、何故かどの報道機関も「体罰」と言う言葉を使い続ける。その結果、生徒の暴言に対して平手打ちをした先生の話も同列で報道されている。そんな中で、いつの間にか「とにかく体罰禁止、教師が手を上げるのは絶対にダメ」と言うような極論に走る。いったい何の話をしているのでしょうねぇ?こんなことでは、なかなか本質的な議論にならないと思うのですが。正直、教師のパワハラがIssueだったら、学校と言う特殊な場でのパワハラに対して社会が重い罰を課すような制度まで議論できるようにした方が良いのではないかと個人的には思うのですが。

学校での体罰に関して議論するには
桜宮高校や体育学校、日本柔道協会・・・と言う所謂体育会系の世界で、指導者が暴力を使っている問題に関しては、範囲と内容に関して明確にしてパワハラの問題を解決するために必要な議論をすべきですね。一方、一般的な学校での体罰に関して本当に議論するには、どのような論点が必要でしょうか?勿論、今回の報道の流れで議論してはいけないですね。体罰が騒がれ、体罰をなくすように指導してから学校教育、更には学校の現場がどのように変わってきているか、その善し悪しをしっかり押さえて議論すべきでしょう。勿論良くなっていることもあると思うのですが、学校が荒れたり、モンスターペアレントが猛威を振るったりなど、色々な事が起こっています。教師の指導力の低下も時に話題に上がっていますが、一方教師の自殺などの話もありますね。先週、私はこんな話も目にしました。ある教師が生徒の暴言などで鬱になり自殺されたそうですが、自殺から13年経ってようやく公務と自殺の因果関係を認めたという記事です。何とも痛ましい話ですが、この記事は本当にひっそりと掲載され、報道機関で大きく取り上げられることはありませんでした。これで良いのでしょうか?体罰などが禁止され、教師の力が弱くなると、これまでのパワーバランスが崩れる。その結果、逆パワハラのようなことも起きている。これも事実なのでしょう。何が言いたいかと言うと、あるIssueに関して議論する際には、その事象の片側からだけ見るのではなく、両面、あるいは多角的に事象を捉えて議論しなければいけない。一側面からだけの議論は極端な結論になり勝ちですよね。Issueを正しく押さえ続ければ、多角的な観点からチキンと議論できるはず。そこでのファクトを正しく押さえ、色々な論点を行ったり来たりしながら議論する必要があるのだと思います。Issueを押さえ続けていれば、多面的に物事を見てしっかり議論することが出来るはずですよねぇ?

塩梅が大事
結局のところ、皆さんは学校での体罰をどう思われますか?私は、全面禁止と言うのは如何なものかと思います。ある程度、「罪=悪いこと」に対して教師が指導する手法には自由度を持たせるべきではないでしょうか。そして、必要だと思えば、体罰もありだと思います。但し、そこで重要な事が二つありますね。
・適切な強さと量
・何が悪かったかの説明

です。叩く、正座させる・・・色々な体罰があると思いますが、勿論怪我を負わせては絶対にいけない。適切な加減でやるべきです。また、量もちゃんと考えないといけないですね。平手打ち35回、そんなことが先の記事で書かれていましたが、はっきり言って度を越していますね。1回叩けば分かるでしょう。それで分からなければ、犯した「罪」に見合う他の罰を考えるべきです。また、体罰を課した場合は、何故そうしたのか、何が悪かったのかも説明すべきですね。先に生徒の暴言に平手打ちをした先生の記事を紹介しましたが、この事件では誰かが暴言を吐いたのにその生徒を特定できず、自分から名乗り出なかったため一緒にいた複数の生徒を叩いたそうです。それは、それでも良いと思います。大事なのは、そうしたことの説明ですね。誰かが教師に対して非常に失礼な暴言を吐いた、その生徒は勿論いけない。一方、それを黙認するのは同じ罪を犯していることになるのだと言うことをちゃんと説明しないといけないですね。こういう話は、最近の「いじめ」の議論でもなされている。そういう事をちゃんと教え、今後同じような過ちを犯さないようにするのが教育ですね。仮に体罰を課すときはその強さ、体罰であろうがなかろうがしかる時のタイミングと量、罪と相手に応じて適切に調整すること、ま、塩梅良くすることが肝要なのだと思います。それが出来なくなってきていることが問題なのかなぁ?

今回、体罰の話で私の考えを書いてきましたが、他にもこのようなことが多々ありますよね。原発をはじめとしたエネルギーの問題、TPPの問題、デフレの問題、社会保障の問題・・・これらを表面的に捉えて賛成/反対だけで議論していてはいけませんね。Issueを正しく押さえる、それが根本ですね。その上で、多面的に事象を分析し、本当に必要な打ち手は何かに結びつくまで議論する必要があると思うのですが・・・これが難しいのでしょうね。善と悪、1と0のようなデジタル的な思考ではなく、塩梅を考えて多くが納得する中庸を取るようなアナログ的思考で発想し、議論できると良いと思うのですが。
livedoor プロフィール

Koji

美味しい食べ物とお酒をこよなく愛すコンサルタントです。戦略立案とBPR、及びこれを実現するためのITなどに関するコンサルティングを提供しています。また、ビジネスリーダーを育成するシンスターで企業研修などの講師も務めています。
株式会社ケーティーコンサルティング、株式会社シンスター代表取締役

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