非常事態宣言、やっぱり延長ですね。今の状態で解除したら再拡散のリスクが高すぎますから、当然の対応と思います。しかし、こういう状況で日本の政治家の動きを見ていると、やはりいつものようにがっかりします。与党は、様々な対応が後手に回ったり、自分達の保身のための策を採ることが多い。野党は、批判ばかりで具体策が殆どないし、「例えば」といって出す代替案は根拠もなく具体性にも欠ける。こうなったら、国民が腰を据えて現状を耐え忍ぶ手を打ち、コロナ克服後にも繋がる方策を模索するしかなさそうですね。

『普通』がいかに恵まれているか!
私も含め多くの方が感じられていると思いますが、コロナ前までの『普通』は本当に恵まれていますよね。当たり前に仕事があり、レジャーがある。いつでも自分の食べたいものを、お店でも家でも食べられる。(金額と味にもよりますが。)病気になったら気軽に病院に行ける、ちゃんとお医者様に診てもらえる。まぁ、色んなことが当たり前になっていて、そうなっていて当然、ちょっとでも不便になるとクレームが出る、これが『普通』になっている。しかし、40年前はどうだったか?20年前はどうだったか?と振り返ると、今の当り前は全く当り前じゃないことが沢山ある。今の『普通』を振り返り、それが『普通』であることに感謝する気持ちを持つことが出来たら、今回の試練は良い機会にも転換できるんじゃないかなぁ、なんてことを思います。

喉元過ぎれば・・・にしない!
ただ、もう一方で気になることもあります。それは、この危機を乗り越えて社会が以前の『普通』に戻ると、この感謝の気持ちや感謝した時に考えたことを忘れてしまうこと。こんな事を言うのは烏滸がましいかもしれませんが、東日本大震災の時にもありましたよね。節約、節電・・・「今、私にできること」なんて。でも、2015年にはほとんどの人がそんなこと忘れて、再び電気使いたい放題の生活に戻っていたように思います。今回も、人の移動がなくなり、街は静けさを取り戻している。夜中街が動いてなくても、生活は出来ている。ただ、余暇を楽しんだり、学校などのコミュニティで生活することの重要性、楽しさも再認識されている。様々な社会活動が抑制される一方で、澄んだ空気がもたらす恩恵を少しでも感じることも出来ている。色々な教訓があると思うのですが、前例を振り返ると「喉元過ぎたら」忘れられることが多々繰り返されてきたようにも思います。今回は、そうなって欲しくないなぁ。

さて、こんな事を普段から考えてはいたのですが、先日懇意にしている小料理屋さんを応援しに行った際に再認識したわけです。お持ち帰りにデリバリー、他の飲食店と同じですが、そうして凌いでおられるとのこと。普段、全くお客様が来られないということなので、親戚の家に遊びに行く気分で応援に行ってみました。そこで出された『普段』頂いている馴染みの味。これが、とても美味しい!こういう『普段』にもっともっと感謝しないといけないと、つくづく思った次第です。
20200429_魚勝さんDinner