いきなり何ですが、「えんりょ」って漢字で書けますか?パっと正しい漢字を手で書ける方は、素晴らしい!ま、たまたま先日私が人前で漢字が出て来なかっただけなんですけどね。因みに「遠慮」です。いやぁ、ここ数年、人前で話をしながらホワイトボードに字を書こうとすると、漢字が出て来なくなることが増えました。もっと簡単な字ですら。50歳を超えてからは、「おっさんになると加速度的に脳が退化するんですよ。アッハッハッ!」なんて誤魔化してますが、これは老化だけじゃない。パソコンを使ってるからですね。パソコンの普及とともに、自分で紙に字を書く機会が激減した。それで、漢字が出て来ない、書けない人が増えている。電卓が普及して、暗算力も落ちた。文明の利器、勿論うまく使えばとても役立つけど、デメリットもある。AIを始めとしてこれからITはさらに進化する。そうなると、どんな世の中になっちゃうんでしょうね?
何でも科学、可視化しないといけない?
ま、こんな事を考えるきっかけはいつものように朝のニュース。コロナ対策として密を避けるようにするため、人の集積度を二酸化炭素濃度をセンサーで測って視える化するなんてことまでやってるんですね。人と人との距離と流れは、レーザーレーダー。東京五輪でのコロナリスクを減らすため、新国立競技場で随分大々的に試験的取り組みを行っているようです。まぁ、悪い事ではないと思うのですが・・・
トイレの込み具合を二酸化炭素濃度で測ったそうです。スタジアムの席から上がって直ぐに入れるトイレと地下にあるトイレの込み具合を、サッカーのハーフタイム時に比較していました。当たり前の話ですが、試合中はトイレを我慢して観戦している人が多い。で、ハーフタイムになったら、一番近いトイレに行く。何の不思議もない行動ですよね。で、これを二酸化炭素濃度で見て、「込み具合がこんなに違う事が分かる!」って・・・そんなことしなくたって分かりますよねぇ。私としては、もっと興味深かったのは、産業技術総合研究所の環境リスク評価の専門家が、「なぜか誰も並んでいないトイレには行かず、(人が)並んでいるトイレに行く現象がある」なんて真顔で話していたこと。「何故」なんて考えるまでもないこと。何度も新国立競技場に通い、内部事情をよく知っている人であれば別ですが、適切な案内と誘導がなければ、こうなるに決まっているじゃないですか!更に、更に、最寄り駅の千駄ヶ谷駅をレーザーレーダーで撮って、試合終了直後は空いているが5分後には人がわんさかいて密になっているとご丁寧に可視化する。こんな事、スポーツ観戦やコンサートなんかに行ったことがある人だったら誰でも知っている。その検証に高いセンサーやシステムを使わなきゃいけないんですかねぇ?更に、専門家?プロ?による分析?ですが、データだけを見て、あたかも何かを見出したように語っておられますが、常識のある現場の人にとっては馬鹿々々しくて聞いてられないことのように思えます。「人間が目で見て考える」ことを止めてシステムによるデータ分析に頼ると、更にその分析もAIなんかに頼るようになると、人間の思考力はどんどん衰えていくような気がするなぁ。10年後、20年後には、自分で考える力がない若者、中年が増えていたら・・・怖いですよね。
人間の能力は失われていく?
その昔、馬に乗る人が多かった時代には、今にはない運動能力とバランス感覚なんかがあったのかもしれませんね。これから、自動車が電気化して自動運転になって行ったら・・・自動車製造で培われてきた技術力は無くなっていくのかもしれない。ロボット化が進めば、匠の技は無くなっていくのかもしれない。多くの人が自動車を自分で運転していた際に磨かれてきた周囲への注意力、とっさの判断と運転技術なんかは失われるのかもしれない。自動車を運転することを楽しむ力も失われるのかもしれない。その分、新たな能力、力が身に付くのかなぁ?個人的には、疑問です。
自分の息子と友達を見ていても、最近そんな事を思います。ネットで繋がって、各自の自宅からゲームで一緒に遊べる。しかし、そこはゲームに与えられている世界。自ら考えて、能動的に何かを作っているのではなく、受動的に遊ばされている世界に見えます。で、ゲームをしないで何かしなさいというと、なかなかアイデアが出て来ない。今の世の中、仕方がない事と思いつつ、想像力、創造力、考える力が普段の生活で磨かれない、曇らされていく社会になって行っちゃいそうで・・・不安に思う今日この頃です。
一方、私の家内は未だにアナログ力絶好調で、創造力豊かなもので家を賑やかにしてくれています。これ、トイレの壁なんですけど、面白くありませんか?私は気に入っているのですが、壁にシールを貼って、空の額が掛けてある。最初は「何だ?」と思ったのですが、今では適度に行われる模様替えが結構楽しみだったりして。