日経新聞の2面に「迫真」というコーナーがあるのですが、皆さんは読まれていますか?1週間特定のテーマを追いかける連載記事なのですが、時に現場に深く入り込んだ取材があるので、私は結構楽しみに読む週が多くあるように思います。随分前になりますが、シャープが特集された時には、鴻海(ホンハイ)精密工業の方々がシャープの事をどう見ているか(日本人は決断が遅い/しない、責任が不明確など)といったことをインタビューの生声で伝えていたり、サムソンの会長が2000年代中盤を振り返って「シャープが液晶コンビナートで自社技術をブラックボックス化しようとしたので勝負できると思った。もし、シャープが自社技術を中国企業などに提供してして、高品質の液晶を安く作ったら、勝負のしようがなかった」とコメントしている事が紹介されていてたりして、非常に興味深く読んだことを憶えています。(多くの日本企業がとる自前主義の戦略、その戦略をシャープがとったから勝機を見いだせたなんて、かなり奥深いコメントだと思いませんか?
先週は、「プロ経営者の戦い」と題して、最近外部から大企業のトップに招かれた方々(サントリーの新浪氏ベネッセの原田氏など)の活動が報じられていました。毎日違う方の事を紹介していたので、あまり突っ込んだ内容になっていないように思えたのが少々残念だったのですが、プロ経営者の発言などが紹介されていたので、興味深く読みました。その中で、4人目に紹介されたLIXILの藤森氏の回はちょっと引っ掛かることがありました。今後活躍が期待される女性社員の議論の場を遠巻きに見ている男性役員陣に「もっと中に入って議論しろ」と仰ったり、「日本人が海外に適応するように変われ」と繰り返し話されていることなどは、流石!と思って読んでいたのですが・・・

「『俺の背中を見ろ』という日本の指導法は海外で通用しない」

この一言を読んだ時に、私としては「そうかなぁ?」なんて思ってしまいました。皆さんは、どう思われますか?

日本でも通用しなくなっている?
『上司の背中を見て成長しろ!』、最近聞かなくなったフレーズですねぇ。これは、そもそも日本でも通用しなくなってきているように思うのですが。上の立場の人たちからは、「最近の若者は、すぐに『それは教えてもらってませんから』なんて言う。昔は見て盗むのが当たり前だったのに・・・」なんて愚痴をたまに耳にします。実力主義などの弊害ですかねぇ。「こうやらなかったのが悪い」と指摘された時に、「はい、分かりました」なんて答えてしまったら、そのやり方を自分が身に付けていなかった責任を認めたことになってしまう。評価される側からすると、不条理なレベルでこのような評価をされるのは避けたいところ。そうなると、『教わっていない』は自分を守る大事な言い分ですからね。そういう時代では、部下を育てるには相手と教える内容によってコーチングとティーチングをうまく使い分け、相手に分かるように指導していかないといけない、という事になるのでしょうか・・・何だか、つまらなくありません?確かにそうなのでしょうけど、私は何だか窮屈に感じます。もっと伸び伸びとやる方が良いと思うのですが・・・

盗む側にも工夫が必要
自分が成長したいのだったら、本なんかを読んで勉強するのも良いですけど、目の前に出来る人がいたらその人から盗んじゃった方が楽だと私は思います。但し、盗むのがそんなに簡単じゃない。そりゃそうですよね。出来る人には、その人なりの経験と、その経験に裏打ちされた考え方がある。そこまで盗まないと、自分で再現できない。そこを盗むには・・・どんな方法がありますかね?
簡単な方法は、その人に聞くですかね。ただ、相手も忙しいし、こちらに分かるように伝えてくれるとは限らない。大事なのは、相手に鬱陶しがられずに、機会があるごとに細目に聞くことなのでしょうね。「さっき、何故あの質問をしたのですか?」とか、「何故AでなくBを選んだんですか?」とか。色々な行動にその方の思考が反映されているわけですから、分からなかった都度、相手の負担にならないように上手く聞いていくと、その人の根底にあるベースが分かってくるのではないかと思うのですが、如何でしょうか?
時間はかかるが必ず自分のものになるやり方は、猿真似でしょうか。口癖から始まり、その人をとにかく真似してみる。その人が言いそうな事、やりそうな事を真似してみると・・・最初は結構失敗します。そりゃそうですよね。猿真似ですから。でも、失敗すると何故失敗したかを考えられる。自分の考えのどこが足りなかったのかを見つめ直すことができる。正にそういう部分が、猿真似した人が持っている部分ですね。その部分に自分で気付くことができたら、それは自分のものになる。
ま、やり方は色々あると思うのですが、下の立場としては「出来る人の背中を見る」、「出来る人から盗む」という強かさはとても大事なのではないかと個人的には思います。如何ですか?皆さんは、最近誰か身近な他人から何か『盗み』ましたか?そもそも、誰かの背中を意識してみていますか?

背中を見られる側は?
一方、背中を見られる側はどうでしょう?時に、「部長みたいにはなりたくないですね」なんて悲しい声を若い人から聞くことがあります。上と下の板挟みにあって、汲々としている上司の姿。それを見て、自分はああはなりたくないなんて事なのでしょうか。高度経済成長の時代は、市場が伸びているので一生懸命やると(やるだけで?)成功する確率が多かったように思います。一生懸命さが業績に、そしてその人のキャリアアップに連動する。そうだと、下から見ていても「あの人格好良いなぁ。」なんて思えることが多いのだと思います。しかし、超成熟の現代は、これが以前よりも難しくなってきている。そんな中、元気のない姿を部下に見せてしまう。そうなると・・・

「背中を見たい人がいない」

なんて事になってしまうのでしょうか。素敵な人も、一杯いるんですけどね。こんな状態を打破するためには、やはり見られる側が襟を正さないといけないですよね。辛いことがあっても、簡単に表に見せない。難しいことも簡単に諦めない。仕事でそんな風にやりたくなければ、当たり前の仕事はしっかりとした上で、プライベートを楽しむ姿を見せる。あらゆる面でとはいかないので、やはりどこかの分野で部下が敬意や憧れを持つようなことを実践し、姿で示さないといけないですよね。部下が人間像として目指したいと思ってくるような事を行動で示さない限り、『背中を見ろ!』なんて言えないわけですから。私も年齢的には、大分見られる側になってきているので、自分自身周りからそう思ってもらえるように頑張らなくては、と思わずにはいられません。そうしないと、本当に『俺の背中を見ろ!』が生み出していた好循環、日本の良き文化がなくなってしまいますからね。

最後に、ちょっと蛇足ですが、皆さんは「海外は違う」とどれぐらいお考えですか?藤森氏は、日商岩井、GEを経てLIXIL社長になられたそうで、私よりもずっと海外経験豊富な大先輩。そのご経験の中からの「海外では通用しない」的な発言が多くあり、それは色々な事実に裏付けされているのだと思います。しかし、個人的にはそんなに海外、外人だからって日本と違わないことも多々あり、その方が多いのではないかと思います。本当に仲良くなれば「あ・うん」の呼吸も通じるし、日本人より仁義に熱い方もいるし。殊更、『海外は違う、日本流は通用しない』を強調しすぎるのもどうかなぁと思うのですが・・・勿論、表面的な違いで誤解を生まないように注意する必要はありますがね。皆さんは、どう思われますか?