2016年12月03日

ヨコハマ映画祭実行委員会は3日、来年2月5日に開催される「第38回ヨコハマ映画祭」に先駆け、2016年度の日本映画のベストテン及び各個人賞の選考結果を発表、審査員特別賞を受賞した女優ののん(23)がブログで喜びをコメントした(スポーツ報知)

今、日本の芸能界にかつてなかったことが起きているといっても過言ではない。

ヨコハマ映画祭は来年で38回目を迎えるが、そこで選ばれる賞は民間の映画ファンによるもので、マスコミや芸能事務所などの制約にとらわれない、比較的自由な選考が行われるとして定評がある。歴代、名作や著名な俳優が受賞してきた。
「この世界の片隅に」の作品賞受賞は、アニメーション作品としては38回目にして初めてである。そして審査員特別賞にはのんが選ばれた。受賞理由は「「この世界の片隅に」の作品世界を決定づけた声音の魅力を称えて」とされた。声優を演じた人物が審査員特別賞を受賞したのも初めてである。

昨年来、洗脳・引退危機などネガティブ報道にさらされ、しかもそれに対して事務所は何ら守る行動をとらず、そして契約不履行を主張し続ける。そんなトラブルが公然と語られる中で、作品で最高の仕事をして評価される。これほどに、「芸能」というものの本質的な部分に迫った事実があろうか。

私たちにとって、タレントの契約をはじめとする裏側の問題は関係のないことである。芸能人は、いかに人の心を揺り動かす芸を見せるか、それだけが評価の対象であるべきなのだ。もちろん不祥事やスキャンダルなど、人間的な部分での評価はこれと別にあるだろう。だが、のんの現状、応援する人々の存在をみると、報道で飛び交った人格攻撃の多くは真実ではないと考えられよう。個人事務所を立ち上げた彼女の人格に問題があったなら、そんな応援は絶えてなかったはずである。

映画は総合芸術である。誰か一人の力だけによって作品が成り立つものではないし、多くの人たちのかかわりが必要なものである。それを前提としつつ、やはり作品の主演を務めるということは、その映画の評価についても引き受けなければならない。そんな責任とリスクがある。「この世界の片隅に」におけるのんの演技は、作品の質を高める上で決定的な要素の一つであった。監督も認めるように、「この世界の片隅に」は彼女が主演した作品として記憶されるだろう。

のんの今の芸能活動を通じて、私たちは芸能界の「圧力」なるものがどの範囲に及ぶものであるかを、推し量ることができる。たとえ民放テレビ地上波に出演できないとしても、あるいはその他に露出できない部分があるとしても、まったく芸能活動を封じられるものではないことがわかってきた。また、個人としてできる形で彼女を評価する人や、起用する媒体も多数ある。そのすべてに「圧力」をかけることなどできはしない。もちろん芸能界のこうした悪習を厳しく批判しつつも、すでに活動をはじめているのんに注目し、その活動を評価していくことこそ、重要である。

ktu2003 at 17:36コメント(0)トラックバック(0)芸能 

2016年11月29日

韓国の朴槿恵(パククネ)大統領(64)は29日午後、ソウルの青瓦台(大統領府)で会見し、自身の任期短縮を含めた進退について、国会の決定に従うとの考えを表明した。自身が関係する一連の疑惑で批判を受けて、事実上、任期途中での退陣を表明した。韓国では1987年の民主化以降、大統領が任期途中で辞任するのは初めて(朝日新聞)。

不人気な大統領だった。
朴正煕元大統領の娘。二世には違いないが、功罪相半ばする、独裁者の娘でもある。とはいえ保守勢力にあってはその血筋は絶大な威力を持った。独身で、国に身を捧げたとする姿勢。当初は期待もあった。だが決定的な不人気へと転落したのが、14年のセウォル号沈没事故であった。この時に所在がわからなかったりするなど、対応が遅れた。この一件ではのちに産経新聞の支局長への言論弾圧事件へと発展している。

対日姿勢でも強硬姿勢が目立ち、むしろ親中国へと触れる傾向があった。とはいえ何とか慰安婦問題で合意を形成し、関係改善へと動いたが、それもまた批判を招いた。経済もなかなか浮上しなかった。

そんな中に出てきた側近の国政介入疑惑。朴大統領は両親とも暗殺によって奪われたこともあり、人を容易に信用しないといわれている。そして公職についてもいない友人を国政の中枢へと近づけた。国家機密にもアクセスしたのではないかと言われており、また利益誘導の疑惑も出ている。いかに親しい友人といえども、その公私を分けない対応は、国家の運営方法としてはあり得ない話であろう。

またも大統領が傷ついた。歴代韓国大統領本人、およびその周辺に起こる醜聞は、もう宿命的なものであり、個々の政治家の姿勢の問題ではない。その権力が強すぎるということ、またその権力に群がる様々な人々、という構造の問題である。当然選挙をやって選びなおすということにはなろうが、制度自体をしっかり見直すという方向を示さないと、また同じことが繰り返されるであろう。

隣国の政治混乱は日本にとっていい影響を与えない。そして大統領が常に傷つく体制では、政治家への信頼性が地に落ちる。

ktu2003 at 19:07コメント(0)トラックバック(1)国際ニュース 

2016年11月27日

奇妙なことが起こっている。

映画「この世界の片隅に」の評判が広がり、上映開始以来動員が伸び続けている。こういう推移は「君の名は」と同じで、映画ではめったにないのだそうだ。上映開始後2週目から3週目へとさしかかるが、いまだテレビではこのことについて扱っていない。にもかかわらずである。

評価の高さの一方、批判的な意見があまり見受けられないのも珍しい。合わなかったとか部分的な不満を語る意見は多いが、作品そのものの出来を批判する意見はほぼ皆無に近い。なぜそうなのだろうか。もちろん名作だからなのだが、過去の名作も批判的意見はあった。今年評判を呼んだ「君の名は」や「シン・ゴジラ」も当然あった。それが普通なのだ。

まず、歴史的な出来事を題材にするとき問題になるのは時代考証である。史実と違う、あり得ない、という批判はほぼすべての時代物につきまとう。だがこの作品は、徹底した時代考証がなされており、原作を修正したうえで、これまでの映像作品で描写されていないレベルまで踏み込んだ考証をしている。たとえば「戦時中」とひとくちにいっても、1943年と44年、45年ですでに違っていることがたくさんあるのだ。そうした問題をひとつひとつ潰している。また、ネット上でみかけた一例だが、戦艦大和は軍事機密だったはずなのに一般人が知っているのはおかしい、という疑問に対して、当時の小学生の日記に出てくる、という回答で「完封」するのである。もっとも、呉は海軍都市であり、あのような戦艦を隠蔽するのは不可能で、住民はよく知っていた。ともあれ、戦争の描写を含めてそういう部分ですきがないのである。

あらゆるイメージが詰まっている作品でもある。yahoo映画のイメージワードでは、「泣ける」「笑える」「楽しい」「悲しい」「切ない」「かわいい」「コミカル」で1位となった。これは「君の名は」に近い。つまり娯楽性自体がかなり高いのである。「君の名は」や「シン・ゴジラ」は娯楽として私たちは楽しむ。その中で面白さをきっと判定するだろう。ところがこの作品は、戦争というテーマ性を持って、観客も構えて観るものであるのに、娯楽性があるのだ。

アニメーションの技術性の高さも指摘されている。専門的なことを述べる力量はないが、通常のアニメーションではやらないレベルの手間をかけた作画をしており、製作側は大変だったという。そういう技術レベルの高さは、専門家をうならせるものであろう。そして声優陣の演技についても、主演ののんが大絶賛されているのはもちろん、細谷佳正や小野大輔、潘めぐみといった人気声優が配されており、アニメに詳しい向きからはこうした脇役陣の充実も評価されている。

情報量が非常に多い一方、説明が明確にされない描写も多い。一度観ただけではわからず、何度も観たり、あるいは原作を読むことによってわかってくることもあり、いろんな知識を踏まえていないと批判を組み立てられない。また明確に政治的な、あるいは感情的な主張をするシーンが少なく、観た側に解釈をゆだねる形となっており、その意味で作品の主張を批判することも難しい。唯一と言っていいほど論争的だと思われるのは、玉音放送後のすずの反応のシーンだが、これにしても部分的なものなのであり、作品全体を貫くトーンともなっていないので、作品全体の評価を下げるものとはなりにくいだろう。

つまり、世界観の描写がしっかりしており、テーマ性があり、かつ娯楽として楽しめて、技術水準や声優の演技もいい、となれば、作品として批判するのは不可能に近い。とはいえまだ公開されたばかりだから、時間が経てば適切な批判・批評も出てくるだろう。

私としては、この映画はのんの復活が重要だと思っていたので、彼女の作品が世の中で話題になっているというだけで、もう満足なのだ。彼女が芸能界に戻ってきたという事実と、その力量が知れ渡ったことをうれしく思っている。






ktu2003 at 22:23コメント(0)トラックバック(0)書評・映画評 

2016年11月26日

カストロ













数少ない、生きながらの「歴史上の人物」が静かに逝った。
大学時代から政治運動をはじめ、弁護士を経て武装によるキューバ革命を企図した。失敗して投獄されるが、釈放されると再び革命を企図、1956年、82人でキューバに再上陸して闘争を開始した。そして3年後に、バティスタ政権を打倒し、革命政権を樹立する。時に32歳。わずかな手勢から勢力を拡大して親米政権を打倒したことは、世界に衝撃を与えた。

そして60年代から、社会主義国としてソ連に接近。国土のすぐそばで社会主義政権が誕生したことに危機感を抱いたアメリカとの対立を深め、実際にアメリカは政権転覆工作を仕掛けたが、失敗した。そして62年には、キューバへのミサイル配備をめぐって米ソ核戦争一歩手前となる、キューバ危機が発生。土壇場で危機は回避されたものの、アメリカの経済制裁を受け続けることになる。

以後は社会主義陣営の一員として、また中南米諸国の反米勢力の旗手として存在感を発揮。国内政策では教育と医療に力を入れ、大きな成果を上げたものの、国を豊かにすることはままならなかった。ソ連が衰え、91年に崩壊すると経済は困窮し、亡命者も相次ぐようになり、部分的に市場経済を導入する政策へとかじをきった。一方で、社会主義国家に数多くみられた個人崇拝や私腹を肥やすなどの腐敗を嫌い、革命の理想を説き続けた人物でもあった。またスポーツにも力を入れ、野球好きとしても知られた。

個性にあふれる、まさに「カリスマ」というべき人物であった。革命家と呼ばれる人たちは、自らの仕切る政権を目指すが、多くは幻想に終わる。そんな中、また特に幻想に近い段階から、一国を指導する立場についたことは、世界中の運動家に影響を与えた。そして何より、アメリカと至近距離にありながら、ついに天寿を全うしたことは、歴史において彼が勝利者であると判断するに足るであろう。しかし、小国の悲哀もあろうし、社会主義の限界でもあろうが、国を富ませることは難しかった。

そんなキューバと、アメリカは国交を回復した。トランプ政権の誕生でまたまた不透明感は増しているが、キューバももうカリスマに頼れない。資本主義の波を、今後は被っていかざるを得ないだろう。そんな歴史の転換を見届けてから、稀代の英雄は去った。

ktu2003 at 19:08コメント(0)トラックバック(3)訃報 

2016年11月25日

レッドソックス元投手のデービッド・フェリス氏が24日にミシシッピ州の自宅で亡くなった。94歳だった。AP通信が同日に伝えた。死因は明らかにされていないが、友人の話ではここ数週間、体力が低下していたという(スポーツニッポン)。

1945年にメジャーデビュー。いきなり21勝を挙げる。翌年には25勝を挙げ、チームのリーグ制覇に貢献した。しかし47年には12勝と成績を落とし、腕の故障と喘息の発病によって、50年限りで引退した。通算成績は65勝30敗、防御率は3.64。
その後はデルタ州立大の指導者に転身し、28年にわたって指揮をとった。

ktu2003 at 18:29コメント(0)トラックバック(0)プロ野球 

2016年11月24日

 米大リーグ、ドジャースなどで通算88勝を挙げたラルフ・ブランカ氏が23日に死去したとAP通信が報じた。90歳だった。(朝日新聞)

1944年にドジャースでメジャーデビュー。47年に21勝を挙げて主力投手となる。その後もコンスタントに2ケタ勝利を挙げた。彼が名を残したのは51年、ジャイアンツとのプレーオフで逆転3ランを浴びたことである。そしてこの年を境に成績も下り坂となり、56年限りで引退した。通算成績は88勝68敗、防御率は3.79。娘婿はバレンタイン元ロッテ監督で、彼から訃報が明らかにされた。

ktu2003 at 19:48コメント(0)トラックバック(0)プロ野球 

2016年11月23日

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またしても彼女の演技が、日本中の人々を揺り動かしている。
「この世界の片隅に」の感想で非常に目立つ、というよりもほぼすべての感想が、のんの声の演技にふれ、絶賛している。これは異例のことであろう。主人公の北條すずに、ぴったりはまっている、というのである。あの「あまちゃん」で絶賛を浴びた彼女は、しかしその演技については、たまたまあの役がはまっただけだという評価も根強かった。その後は、周知のとおり事務所側の理不尽な仕打ちにより、映画2本、テレビドラマが単発1本で、そもそも評価をくつがえすどころか、そのためのチャレンジすらさせてもらえない状況だった。

1本で彼女は評価を覆して見せた。一度ならまだしも、二度「はまり役」といわれる評判をとるのは、それはもはや偶然とは言い難い。「役が乗り移ったような(憑依)」という評価も多数である。ただし、本人は「憑依」と言われることについては違和感を持っているようだ。

インタビューなどの発言をみているとわかるが、彼女は台本を読み込んで、しっかりと役作りをしてから作品に臨んでいる。もちろんそんなことはどの俳優もやっていることにちがいないが、はまり役にあたることはそうそうないし、酷評をくらうこともまた珍しくなく、駄作が量産される。それは、台本の問題の場合もあるし、俳優の演技力の問題の場合もある。

彼女はおそらく、演劇理論の基本的な素養を持っていて、それを基盤に役作りをやっているふしがある。その手法をわかりやすくいえば、「自分と共通する部分を役の中に探し、それをふくらませる」というものである。要するに本人が人格的にもともと持っている部分なのだから、役と本人がシンクロし、実在するかのように見せることができる、というわけである。「憑依」というのはある意味まったく別人格になるということだから、これはこれで名俳優の手法としてあるのだが、彼女はそうではないらしい。

「この世界の片隅に」でいうと、北條すずはおっとりした女性で絵を描くのが好きである。この原作の設定はのん本人ともともと近いものがあり、「共通する部分」は見つけやすかっただろう。ただしすずは結婚もするし、戦争にも巻き込まれるし、そこはまったく共通しない。そこで、すずという役柄を解釈する必要が出てくる。

原作者のこうの史代氏は、すずは18歳だが大人として描いたつもりだという。夫に別の女性の影がみえれば嫉妬するし、どこかひねくれたところもあるが、そうした女性が理想の大人へと成長していく話として原作を組み立てた。しかし映画では、遊郭の女性との交流エピソードが落ち、すずの大人としての側面が弱くなっている。この辺の違いについては、のん本人が原作とのセリフの違いなどをその意図についてすべて確認した、としている。ではすずという人物をどう組み立てるか。

すずは絵を描くことが大好きな、子どもっぽい部分を残した女性であり、それが突然嫁に行くことになって、その部分を残したまま大人になっていかざるを得なかった、と解釈する。夫婦生活や、家事、そして戦争の惨禍を経て、彼女は痛みを伴いながら大人へと成長したのであると。「共通する部分」を役に入れ込んで、そしてふくらませる。いわば自分に役を引き寄せていった。原作よりもすずの精神年齢を意図的に引き下げたともいえる。

もう一つ。のんは作品の原作を読んだときに、ある芸術作品を思い浮かべたという。それはフランスの芸術家・アルマンの作品「ホーム・スイート・ホーム」というガスマスクを一面に敷き詰めた作品で、戦争が日常化していることに対するアンチテーゼを表現したものである。その作品を手掛かりに、「戦争が日常に割り込んできた」感覚を大事にした、としている。

そのほかにも、監督を質問攻めにしたことを語っており、監督はそれにすべて付き合ってくれたという。その相互作用の中で、絶賛される演技が出来上がった。

日々の芸能ニュースは、タレントが面白い発言をしたとか恋愛観がどうとか、そういうレベルの話ばかりを扱っていて、役者やエンターテイナーが日ごろどういう作業をしているかを紹介していない。だが活字メディアは、まだしもインタビューなどでそういう部分を紹介している。もし好きな芸能人、気になる芸能人がいたら、その人はどういう努力をしているのか参照すべきだろう。

そう考えるとき、のんのようなレベルで俳優として取り組んでいる人が果たしてどれだけいるのか、特に若手でどれだけいるのだろうか、と気になってしまう。「あまちゃん」で聞こえた評価を聞く限り、非常に珍しいタイプの俳優なのではないか。2013年末に当ブログで書いた、彼女の出現は「事件性がある」というのは正しかったと思い始めている。

そしてそんな大絶賛の中を、写真にみられるような恰好で現れ、楽しそうにしている。この稀有なキャラクターを、使わないでいるのはもったいないを通り越して愚行だと思う。この人とどんな面白い企画ができるかな、と考えたくならないなら、エンタメに関わるのはもうやめた方がいい。

ktu2003 at 19:35コメント(0)トラックバック(0)芸能 

2016年11月22日

映画「この世界の片隅に」が公開されて10日が経った。
公開規模が小さいながらも、興行ランキングベスト10に2週連続で食い込んだ。

各種映画サイトをみても、著名人の評判をみても、評価は圧倒的である。5点満点なら4.5以上を記録している。「キネマ旬報」でも3人全員が5点をつけた。ツイッターの言及数でも他の映画を今や圧倒している。今、日本で公開されている映画で一番話題になっているのがこの映画であることは間違いない。しかるに民放テレビ、特に在京キー局はまったくといっていいほどこの映画を取り上げていない。理由は主演ののんが事務所ともめているからだが、そういうことを気にして世の中で起きていることを報じられないテレビ局が、「テレビ局」とか「報道機関」などと名乗るのはおかしいというものだ。こんなメディアは、いざ国がおかしな方向にいき、戦争などになったとしても批判的な報道などできないだろう。

それはともかく、この映画の評判としてありきたりの「反戦」メッセージがないところがいい、という意見があるのだ。確かにそうなのだが、ではこの映画のテーマは何だというのだろうか。大変な時代の中でも懸命に生き抜いた人間・家族の物語?戦時中の様子を知るためのガイド的な映画?もちろんそういう側面もあるとは思う。ただ、実にもったいないことである。「反戦」のメッセージの有無が評価の基準になるなどというのは。

かなり以前、戦争ものに対する違和感をブログで書いたことがあった。つまり、時代背景や文脈を考えずに唐突に反戦メッセージが盛り込まれる作品の多さである。現代的価値観を持った人物が紛れ込んでくるかのような。それを「反戦」ものといい、批判の対象とするなら私もそれは首肯する。とくに1940年代の社会は、そもそも自由に意見を表明することができなかった、という、大前提を忘れているからである。では人びとは何を考えて生きていたのか。

職業柄史料を読んだり当時の記録をみたりすることがあるが、そこから伝わってくるのはその時代を当然と思い、日々を懸命に生きているということである。もちろんいろんな不満はある。それは現代と同じである。そして戦況が厳しくなってくると、その状況に何とか対応しようとは考えるが、その先の思考には至らないのである。食料や物資をどう確保するか、どう生きていくか、それを考えることで精いっぱいになる。そんな人々に飛行機が襲い掛かり、生活を圧倒的な暴力で破壊していくのである。そして社会も、人間性もまた壊していく。

自分の生きている時代がどういう時代なのか、私たちは容易に整理したり、理解できない。だがマスメディアが発達し、言論の自由があり、いろんな情報を得る中で、判断することができる。ただ、1940年代はそれが今より難しい時代だった。教育水準も国民の中に大きな差があった。この時代の人々には、残念ながら「見えていない」ものが多くあったのだ。それは多分に後世からの「上から目線」なのだが、同時にそこはかとない哀しみも感じる。

「この世界の片隅に」での玉音放送のシーン前後は印象的である。その時、大日本帝国の崩壊とともに、これまで見えていなかったものが立ち現れる。そして、主人公のすずですらも、その一員であることを受け止めねばならないのである。虚脱に満ちた、しかしわずかな希望を残した、「戦後」という時代が始まる。その果てに私たちは生きている。

これらのことがしっかり描けていれば、おのづからテーマは浮かび上がってくる。私はやはりこの映画は「反戦」映画であるとしかいえない。

ktu2003 at 19:53コメント(0)トラックバック(2)書評・映画評 

2016年11月20日

 NHKは16日、2019年の大河ドラマが、五輪を題材にした企画に決まったと発表した。脚本は連続テレビ小説「あまちゃん」の宮藤官九郎氏(46)が書き下ろす。東京が主な舞台となる群像劇で、タイトルや出演者は未定。(朝日新聞)

つい先日、再来年の大河のネタが発表されたばかりだというのに、もう3年後の内容が発表された。制作スタッフは「あまちゃん」と共通の布陣。

大河ドラマについては以前改革を論じたことがある。
http://blog.livedoor.jp/ktu2003/archives/52084058.html

そして、33年ぶりに近現代が扱われることになった。題材はオリンピック。スポーツというのはうまいと思う。政治的な分野はやはり扱いづらい。経済人や文化人を扱うこともできるが、ストーリーが地味になるおそれがある。その点、オリンピックとスポーツ選手ならば、戦前のエピソードによく知られたものもあるし、政治的な激動と関わりつつ距離をとることもできる。そして、1964年までとなればハッピーエンドで終わることができるだろう。

起点は1912年の日本勢オリンピック初参加から、ということになるようだが、日本選手が活躍し始めるのは昭和に入ってから。つまり、事実上は激動の昭和史が戦前・戦後を通じて描かれることになろう。これと、東京の街の変遷が絡んでくるという。主人公は特定の人物一人ではなく、群像劇のようなものになり、実在の人物も架空の人物も検討されている。おそらくは、これまでの大河ドラマの歴史にない、内容になりそうである。

成功するかどうかは不明である。いかに「あまちゃん」の布陣とはいえ。だが、このチャレンジにまずは敬意を表したい。いい加減に時代物はネタ切れなのであり、製作費の問題を考えても、近現代に踏み込むべき時であろう。「大河ドラマ」というなら、日本の歴史上でももっとも激動期だった「昭和」の時代こそふさわしい。問題は、何を題材にするかだった。そこに、2020年を控えたオリンピックというアイディアが浮かんだ。

「あまちゃん」を生み出した訓覇圭・井上剛のコンビは、今年「トットてれび」という黒柳徹子を通じた昭和芸能史ものを生み出した。このコンセプトが踏襲される可能性も十分にあるといえよう。そしてやはり期待されるのは、「あまちゃん」出演陣がどのような形で絡んでくるのかである。とくに声優として復活を遂げたのんが、主要なキャストを務めることにいやがおうにも期待が集まるだろう。東日本大震災を経験したヒロイン、第二次世界大戦を経験したヒロインを演じた女優が、今度は激動の昭和史に飛び込んでいく。そういう作品を、期待したいものだが。

ktu2003 at 19:00コメント(0)トラックバック(0)テレビ 
山本理さん(やまもと・おさむ=元作新学院野球部監督)が19日、病気で死去、83歳。(朝日新聞)

人の寿命というのは偶然なのだけれど、何かあるのだろうか。かつて指揮をとった学校が、自分の時以来の優勝を果たした年に逝くというのは。

監督就任は56年。62年に史上初の春夏連覇を果たした。この時は、選抜大会で八木沢荘六(のちロッテ)を擁していたが、夏の大会前に八木沢が赤痢で倒れ、代役の加藤斌(のち中日)が活躍して夏も制したというのは著名な話である。春夏でエースが違って全国制覇だったのである。
そして江川卓(のち巨人)を擁しての活躍も記憶に残る。ずば抜けた選手がいるときのチームを指揮するのは難しいだろう。



ktu2003 at 18:33コメント(0)トラックバック(0)高校野球 
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