2025年01月12日
かつて、ミルウォーキーに本拠を置いていたブレーブスのリーグ2連覇に活躍したフェリックス・マンティラ氏が10日(日本時間11日)に死去したと、情報サイトのトレード・ルーマーズが11日(同12日)、報じた。90歳だった。(スポーツ報知)
1956年にブレーブスでメジャーデビュー。試合出場機会は多かったもののレギュラーには届かず、62年拡大ドラフトで新球団メッツに移籍。ここで141試合に出場してレギュラーをつかんだ。63年レッドソックスに移籍すると規定打席不足ながら.315をマークし、翌年には30本塁打を記録。66年アストロズにトレードされたが不振。67年カブスに移籍したがアキレス腱を痛め引退した。通算成績は969試合、707安打、89本塁打、330打点、.261。
プエルトリコ出身者として初期にメジャーで活躍した選手。同地域の野球殿堂入りを果たした。
1956年にブレーブスでメジャーデビュー。試合出場機会は多かったもののレギュラーには届かず、62年拡大ドラフトで新球団メッツに移籍。ここで141試合に出場してレギュラーをつかんだ。63年レッドソックスに移籍すると規定打席不足ながら.315をマークし、翌年には30本塁打を記録。66年アストロズにトレードされたが不振。67年カブスに移籍したがアキレス腱を痛め引退した。通算成績は969試合、707安打、89本塁打、330打点、.261。
プエルトリコ出身者として初期にメジャーで活躍した選手。同地域の野球殿堂入りを果たした。
2025年01月09日
昨年末から週刊文春などで女性との性的トラブルが報じられているタレントの中居正広さん(52)は9日、個人事務所「のんびりなかい」の公式サイトで文書を公表した。「トラブルがあったことは事実」と認めた上で、謝罪した。(朝日新聞)
奇妙に地上波テレビが沈黙していた。しかしレギュラー番組や特番を放送している各局は、すでに放送見送りや全カットといった対応をしている。何があったのか。
昨年末から週刊誌、ネット上ではある程度報じられている。推測ではあるが当時フジテレビの女性アナウンサーとの間でトラブルがあったようだ。それが一昨年6月。同月から女性は休職し、深刻な状態にあることを自ら発信。昨年夏に退社している。PTSDの原因が、おそらくは中居との性的トラブル。そして週刊誌が報じたところでは、9000万円の示談金が支払われたという。額が大きい。
また、はっきりとはしていないがフジテレビの社員と中居とを交えた会食のはずが、なぜか2人きりになってしまった話とか、被害を上司に訴えたがとりあってくれなかったといった話も出てきている。だとするとフジテレビの対応も問題になってくる。かりにも社員がタレントによって職を失う事態になっている。
ようやく当事者からの公式なコメントが出され、中居はすでに示談が成立したので芸能活動を続ける意向を示した。しかしそれを判断するのはテレビ局ならびにスポンサーだ。性的トラブルがあったことが事実とされた以上、いくら芸能活動を続ける、といっても起用され続ける可能性は低い。5本のテレビレギュラーを持っていていずれもMCなど中心的役割だが、降板ないしは番組終了となるだろう。
一説にはダウンタウン・松本人志が訴訟を取り下げたのは、中居が同席したことが裁判で明らかになるのを恐れたためという。文春などが取材を進める中で、松本と中居が同じような価値観のもとで、つるんでいたことがわかってきたのではあるまいか。いわば彼らはテレビの申し子的なタレントであったわけだが、性的な部分でもテレビ界の悪習にどっぷり染まり、近年の風潮の変化に対応できていなかったのではないか。
お笑い界の頂点にいた人物に続き、トップアイドルから国民的タレントへと上り詰めた人物がテレビから姿を消すことになる可能性が高い。Metoo運動は日本ではそれほど広がらなかったとされる。ところがどっこい、芸能界のトップにいても地位を失うことが示されようとしている。芸能界がいい加減変わらないといけない。
奇妙に地上波テレビが沈黙していた。しかしレギュラー番組や特番を放送している各局は、すでに放送見送りや全カットといった対応をしている。何があったのか。
昨年末から週刊誌、ネット上ではある程度報じられている。推測ではあるが当時フジテレビの女性アナウンサーとの間でトラブルがあったようだ。それが一昨年6月。同月から女性は休職し、深刻な状態にあることを自ら発信。昨年夏に退社している。PTSDの原因が、おそらくは中居との性的トラブル。そして週刊誌が報じたところでは、9000万円の示談金が支払われたという。額が大きい。
また、はっきりとはしていないがフジテレビの社員と中居とを交えた会食のはずが、なぜか2人きりになってしまった話とか、被害を上司に訴えたがとりあってくれなかったといった話も出てきている。だとするとフジテレビの対応も問題になってくる。かりにも社員がタレントによって職を失う事態になっている。
ようやく当事者からの公式なコメントが出され、中居はすでに示談が成立したので芸能活動を続ける意向を示した。しかしそれを判断するのはテレビ局ならびにスポンサーだ。性的トラブルがあったことが事実とされた以上、いくら芸能活動を続ける、といっても起用され続ける可能性は低い。5本のテレビレギュラーを持っていていずれもMCなど中心的役割だが、降板ないしは番組終了となるだろう。
一説にはダウンタウン・松本人志が訴訟を取り下げたのは、中居が同席したことが裁判で明らかになるのを恐れたためという。文春などが取材を進める中で、松本と中居が同じような価値観のもとで、つるんでいたことがわかってきたのではあるまいか。いわば彼らはテレビの申し子的なタレントであったわけだが、性的な部分でもテレビ界の悪習にどっぷり染まり、近年の風潮の変化に対応できていなかったのではないか。
お笑い界の頂点にいた人物に続き、トップアイドルから国民的タレントへと上り詰めた人物がテレビから姿を消すことになる可能性が高い。Metoo運動は日本ではそれほど広がらなかったとされる。ところがどっこい、芸能界のトップにいても地位を失うことが示されようとしている。芸能界がいい加減変わらないといけない。
元巨人投手の吉沢勝(よしざわ・まさる)さんが2日、長野県佐久市の自宅で老衰のため死去した。79歳だった。巨人が9日、発表した。(デイリースポーツ)
高校時代は野球留学で北海高へ。そして3季連続で甲子園に出場し、1963年春には準優勝。準決勝の早実戦ではサヨナラランニングホームランを放った。この活躍から注目され、巨人に入団したが伸び悩み、計5試合で1勝1敗、防御率3.60に終わった。その後地元に戻り少年野球を指導した。
高校時代は野球留学で北海高へ。そして3季連続で甲子園に出場し、1963年春には準優勝。準決勝の早実戦ではサヨナラランニングホームランを放った。この活躍から注目され、巨人に入団したが伸び悩み、計5試合で1勝1敗、防御率3.60に終わった。その後地元に戻り少年野球を指導した。
2025年01月08日
パイレーツが7日(日本時間8日)、オールスター戦に2度選出された左腕ボブ・ビール氏が亡くなったと発表した。89歳。(スポーツ報知)
1962年にメジャーデビュー。2年目は主に中継ぎながら防御率1.04の好成績を残すと、3年目に先発転向。18勝をあげ250奪三振で最多奪三振を記録。そこから7年連続の2ケタ勝利をマークし、65〜66年にはオールスターにも選ばれている。71年にはリリーフに回るがその後は低迷。レッドソックスに移籍して74年限りで引退した。通算成績は397試合、120勝95敗21S、防御率は3.07。
オリオールズは7日(日本時間8日)、元オリオールズの投手、ブライアン・マティス氏が37歳の若さで亡くなったことを発表した。死因は明らかにされていない。(スポーツ報知)
2009年にメジャーデビュー。いきなり5勝をマークした。翌年は先発として10勝。しかし3年目の11年は1勝9敗と低迷し、次の年も先発で不調だったため中継ぎに回った。そこからは中継ぎでフル回転し、60試合前後の登板を続けた。しかし16年は開幕から打ち込まれ、カブスへ移籍。その後はメジャー昇格ができなかった。通算成績は280試合、27勝41敗39H。防御率は4.92。
1962年にメジャーデビュー。2年目は主に中継ぎながら防御率1.04の好成績を残すと、3年目に先発転向。18勝をあげ250奪三振で最多奪三振を記録。そこから7年連続の2ケタ勝利をマークし、65〜66年にはオールスターにも選ばれている。71年にはリリーフに回るがその後は低迷。レッドソックスに移籍して74年限りで引退した。通算成績は397試合、120勝95敗21S、防御率は3.07。
オリオールズは7日(日本時間8日)、元オリオールズの投手、ブライアン・マティス氏が37歳の若さで亡くなったことを発表した。死因は明らかにされていない。(スポーツ報知)
2009年にメジャーデビュー。いきなり5勝をマークした。翌年は先発として10勝。しかし3年目の11年は1勝9敗と低迷し、次の年も先発で不調だったため中継ぎに回った。そこからは中継ぎでフル回転し、60試合前後の登板を続けた。しかし16年は開幕から打ち込まれ、カブスへ移籍。その後はメジャー昇格ができなかった。通算成績は280試合、27勝41敗39H。防御率は4.92。
2025年01月01日
新年あけましておめでとうございます。
なんと当ブログもまる20年になろうとしている。近年は更新頻度もだいぶ減ってはきたが、まだやめようという気にはならない。とりあえずの自分の備忘録になればよいと、最近は思い始めている。20年前はまだかろうじて若者に分類される年齢だったが、今や立派な中高年。とはいえ出世するわけでもなく、かといって家庭を大切に、というわけでもない。だが幸せは日々感じている。ごく平穏な日々は退屈かもしれないが、それでもよい。
世の中は一段と波乱含みになるのだろう。政治も経済も不安定感を増している。日本について確実にいえるのは、人口減少が大きく世の中を変えていくということだ。その影響は各所に出ているが、それが加速していくことだけは間違いない。右肩上がりの時代とは逆に、いろんなものが終わっていく、失われていくのを見届けることになる。そういう時代を生きていくのである。
去年の今頃は能登の地震で日本中のムードが一変してしまった。翌日には飛行機事故も起きた。そう考えると今年は何とか平穏に1月1日が終わるだけでも、ほっとする。ささやかな幸せをいかに味わうか。それがこれからの日本で生きていくには大事だろう。
とりあえずもっと本を読んで、研究にも取り組みたい。それに尽きる。
なんと当ブログもまる20年になろうとしている。近年は更新頻度もだいぶ減ってはきたが、まだやめようという気にはならない。とりあえずの自分の備忘録になればよいと、最近は思い始めている。20年前はまだかろうじて若者に分類される年齢だったが、今や立派な中高年。とはいえ出世するわけでもなく、かといって家庭を大切に、というわけでもない。だが幸せは日々感じている。ごく平穏な日々は退屈かもしれないが、それでもよい。
世の中は一段と波乱含みになるのだろう。政治も経済も不安定感を増している。日本について確実にいえるのは、人口減少が大きく世の中を変えていくということだ。その影響は各所に出ているが、それが加速していくことだけは間違いない。右肩上がりの時代とは逆に、いろんなものが終わっていく、失われていくのを見届けることになる。そういう時代を生きていくのである。
去年の今頃は能登の地震で日本中のムードが一変してしまった。翌日には飛行機事故も起きた。そう考えると今年は何とか平穏に1月1日が終わるだけでも、ほっとする。ささやかな幸せをいかに味わうか。それがこれからの日本で生きていくには大事だろう。
とりあえずもっと本を読んで、研究にも取り組みたい。それに尽きる。
2024年12月31日
2024年が終わろうとしている。
大掃除はちょっとだけやった。気温はこの時期としてはやや高めぐらいだが、天候が悪いので暖かさはあまり感じない。
個人的には変わり映えしない一年ではあったが個人的な成果を若干形にすることができた。体調はおおむねよかったが久々に仕事を発熱で休んだ。もう年齢的にはいろいろがたがくる頃である。より気を付けなければならないのだろうか。平穏無事な一年ではあったと思う。
さて世の中はというとそれどころではなかった。1月1日に能登を襲った大地震は衝撃的であった。能登は秋には洪水も発生し、ただでさえ遅れている復旧・復興に大ダメージを与えた。これまでの災害と比べると、地域の過疎化が進んでいる地域で、かつ地理的にもアクセスが困難なこともあり、遅々として復興が進まない様子が目立つ。日本の国力が衰えていることも関連はあるだろう。
そんな中政治情勢は混迷を深めた。裏金問題は自民党派閥の解体へと進み、岸田首相はその責任を取るとして辞任。総裁選は9人乱立した末にもはや終わっていたかと思われた石破氏の勝利に。しかし直後の総選挙では裏金問題が尾を引き、与党過半数割れ。しかし野党がまとまらず、少数与党政権に。国民民主党がにわかに存在感を増し、与党が野党の主張を取り入れる形で法案が決まるケースが次々に。長年続いた自民一強体制が終わった。政治改革・物価対策など国民の不満は高まっているが、なかなか効果的な政策が打ち出されない。従来は与党がごり押しで決めていたものが、野党の責任も今後は問われる。数の力に負けた、という言い訳ができなくなるからである。一方総選挙含め、各種の選挙でSNSの影響が指摘されるようになった。そして虚実入り混じった情報が飛び交うようになり、それが選挙に影響を与えたのではないか、と言われる。これは日本だけの現象ではないようで、今後世界的に「選挙」というものをどう考えるか、大きな問題になりそうである。
世界情勢もたいへんだった。戦争はいまだ解決が見えず、一方で民主主義諸国で政権交代や揺らぎが相次いだ。アメリカでトランプが返り咲き、イギリスは政権交代、フランスは議会が3すくみになりきわめて不安定になった。ドイツも議会解散している。韓国では行き詰った大統領が突然戒厳令を出して失敗。逮捕されようとしている。そして中東・シリアではアサド体制が突然崩壊。新たな政権の行方によっては中東情勢・世界に大きな影響が出ると目されている。とにかく世界が不安定極まりなくなっている。
エンタメ界は構造の変化が顕著になってきた。従来型の芸能事務所が苦しくなり、テレビ局も苦しくなっている。配信作品が存在感を示すようになって、流行語を生みだすまでになってきた。タレントの活動の仕方も大きく変貌しつつある。より、個人の発信力がものをいう時代になりそうである。そして、国民的な人気を得るのは難しくなり、それぞれがコアなファンをつかんでいくあり方に変わっていきそうだ。また、不祥事を起こしたタレントへの風当たりはますます厳しくなっている。特に従来放置されてきた性的搾取の構造にメスが入りそうだ。
スポーツ界では大谷翔平の大活躍が話題をさらった。一方、パリ五輪にはあり方批判も多く、選手の活躍は大きかったにもかかわらず、盛り上がりが薄かったように思われる。スポーツもまた楽しみ方が変わってきていて、有料配信による中継も珍しくなくなり、一方で地上波テレビの存在感が薄くなってきた。それとともにスポーツの人気もますます分散傾向にあり、日本はまたとくに様々なスポーツを楽しむ選択肢がある。これはとても良いことだが、少子高齢化の中でどの種目も担い手不足が深刻化する可能性が高い。学校部活動の地域移行が果たしてうまくいくだろうか?
社会情勢をみると物価高で生活に余裕がなくなってきていることを、もはや肌感覚で実感する。米の急な値上がりに驚いた。少子高齢化の影響が各所で出てきていて、人手が足りないためいろんな意味でしんどい職場が敬遠されていく。建設・運輸・教育・介護などの業界が苦しくなってきている。待遇もよくならない。IT技術は進化を続け、新しい技術が続々と導入されているが置いてけぼりになる人々も多いのではないか。
そして毎年のことではあるが、今年はまたとくに著名人の訃報が多かった印象だ。
世界に報じられた鳥山明、突然の知らせだった西田敏行・中山美穂、ついに、という渡辺恒雄の各氏については、特に大きな反響があった。
未来が明るいとはとても見通せないのだが、それでも前に進まねばならない。
大掃除はちょっとだけやった。気温はこの時期としてはやや高めぐらいだが、天候が悪いので暖かさはあまり感じない。
個人的には変わり映えしない一年ではあったが個人的な成果を若干形にすることができた。体調はおおむねよかったが久々に仕事を発熱で休んだ。もう年齢的にはいろいろがたがくる頃である。より気を付けなければならないのだろうか。平穏無事な一年ではあったと思う。
さて世の中はというとそれどころではなかった。1月1日に能登を襲った大地震は衝撃的であった。能登は秋には洪水も発生し、ただでさえ遅れている復旧・復興に大ダメージを与えた。これまでの災害と比べると、地域の過疎化が進んでいる地域で、かつ地理的にもアクセスが困難なこともあり、遅々として復興が進まない様子が目立つ。日本の国力が衰えていることも関連はあるだろう。
そんな中政治情勢は混迷を深めた。裏金問題は自民党派閥の解体へと進み、岸田首相はその責任を取るとして辞任。総裁選は9人乱立した末にもはや終わっていたかと思われた石破氏の勝利に。しかし直後の総選挙では裏金問題が尾を引き、与党過半数割れ。しかし野党がまとまらず、少数与党政権に。国民民主党がにわかに存在感を増し、与党が野党の主張を取り入れる形で法案が決まるケースが次々に。長年続いた自民一強体制が終わった。政治改革・物価対策など国民の不満は高まっているが、なかなか効果的な政策が打ち出されない。従来は与党がごり押しで決めていたものが、野党の責任も今後は問われる。数の力に負けた、という言い訳ができなくなるからである。一方総選挙含め、各種の選挙でSNSの影響が指摘されるようになった。そして虚実入り混じった情報が飛び交うようになり、それが選挙に影響を与えたのではないか、と言われる。これは日本だけの現象ではないようで、今後世界的に「選挙」というものをどう考えるか、大きな問題になりそうである。
世界情勢もたいへんだった。戦争はいまだ解決が見えず、一方で民主主義諸国で政権交代や揺らぎが相次いだ。アメリカでトランプが返り咲き、イギリスは政権交代、フランスは議会が3すくみになりきわめて不安定になった。ドイツも議会解散している。韓国では行き詰った大統領が突然戒厳令を出して失敗。逮捕されようとしている。そして中東・シリアではアサド体制が突然崩壊。新たな政権の行方によっては中東情勢・世界に大きな影響が出ると目されている。とにかく世界が不安定極まりなくなっている。
エンタメ界は構造の変化が顕著になってきた。従来型の芸能事務所が苦しくなり、テレビ局も苦しくなっている。配信作品が存在感を示すようになって、流行語を生みだすまでになってきた。タレントの活動の仕方も大きく変貌しつつある。より、個人の発信力がものをいう時代になりそうである。そして、国民的な人気を得るのは難しくなり、それぞれがコアなファンをつかんでいくあり方に変わっていきそうだ。また、不祥事を起こしたタレントへの風当たりはますます厳しくなっている。特に従来放置されてきた性的搾取の構造にメスが入りそうだ。
スポーツ界では大谷翔平の大活躍が話題をさらった。一方、パリ五輪にはあり方批判も多く、選手の活躍は大きかったにもかかわらず、盛り上がりが薄かったように思われる。スポーツもまた楽しみ方が変わってきていて、有料配信による中継も珍しくなくなり、一方で地上波テレビの存在感が薄くなってきた。それとともにスポーツの人気もますます分散傾向にあり、日本はまたとくに様々なスポーツを楽しむ選択肢がある。これはとても良いことだが、少子高齢化の中でどの種目も担い手不足が深刻化する可能性が高い。学校部活動の地域移行が果たしてうまくいくだろうか?
社会情勢をみると物価高で生活に余裕がなくなってきていることを、もはや肌感覚で実感する。米の急な値上がりに驚いた。少子高齢化の影響が各所で出てきていて、人手が足りないためいろんな意味でしんどい職場が敬遠されていく。建設・運輸・教育・介護などの業界が苦しくなってきている。待遇もよくならない。IT技術は進化を続け、新しい技術が続々と導入されているが置いてけぼりになる人々も多いのではないか。
そして毎年のことではあるが、今年はまたとくに著名人の訃報が多かった印象だ。
世界に報じられた鳥山明、突然の知らせだった西田敏行・中山美穂、ついに、という渡辺恒雄の各氏については、特に大きな反響があった。
未来が明るいとはとても見通せないのだが、それでも前に進まねばならない。
レニー・ランドル氏(元米大リーグ選手)が29日死去。75歳。
1971年にレンジャースでメジャーデビュー。74年にレギュラーとなり.302をマーク。長打力は低いながらもレギュラーを続けたが、77年に監督を殴って出場停止となり、メッツにトレード。しかし同年は.304、33盗塁のキャリアハイをマークした。その後は球団を渡り歩くようになり、82年限りでメジャーのキャリアを終わった。通算成績は1138試合、1016安打、27本塁打、322打点、.257。
その後もイタリアリーグでプレーし、95年のストライキ時には代替選手としてキャンプに参加した。
1971年にレンジャースでメジャーデビュー。74年にレギュラーとなり.302をマーク。長打力は低いながらもレギュラーを続けたが、77年に監督を殴って出場停止となり、メッツにトレード。しかし同年は.304、33盗塁のキャリアハイをマークした。その後は球団を渡り歩くようになり、82年限りでメジャーのキャリアを終わった。通算成績は1138試合、1016安打、27本塁打、322打点、.257。
その後もイタリアリーグでプレーし、95年のストライキ時には代替選手としてキャンプに参加した。
2024年12月30日
紛争の平和的解決に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したジミー・カーター元米大統領が29日、米ジョージア州の自宅で死去した。100歳だった。(朝日新聞)
アメリカ大統領として最長寿の記録を作っていた。
実家は農家。海軍軍人としてのキャリアを積むが、父の死により退役。その後ジョージア州の政界入りして知事となった。クリーンさをアピールして選挙で共和党のフォード大統領を破る。しかし当時のアメリカはベトナム戦争やオイルショックなどで国内経済が低迷。経済政策がうまくいかなかったうえに、イラン革命の際の大使館人質事件で救出作戦に失敗。外交面では中東和平に取り組んで、エジプトとイスラエルの間の合意を成立させたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に対しては強硬な姿勢を示した。「人権外交」を標榜しながらも、大きな成果をあげられなかった。そして再選を狙ったがレーガンの前に敗れる。
しかし元大統領としての活動で、再評価されることになった。ハイライトは戦争寸前となったところでの北朝鮮外交である。さらにキューバのカストロ議長とも会談。いずれもアメリカ大統領経験者としてははじめて、首脳との会談を持った。このほか様々な国際的な人権活動に取り組み、その業績によってノーベル賞を受賞したのである。そして近年に至るまで活動を続け、リベラルな民主党を象徴するような政治家だった。
元大統領というポジションをこれまでで一番有効活用した人ではなかろうか。現職だと動きづらいところはある。この点、各国も元首脳をどのような政治的資源として使うのか、見習ってもよいだろう。しかし今のアメリカはその時代とは大きく変わってしまった。政治家が分断や憎悪をあおるようになり、理想を説かなくなるのはよくない。なんでも本音トークが良いとは限らないのである。
アメリカ大統領として最長寿の記録を作っていた。
実家は農家。海軍軍人としてのキャリアを積むが、父の死により退役。その後ジョージア州の政界入りして知事となった。クリーンさをアピールして選挙で共和党のフォード大統領を破る。しかし当時のアメリカはベトナム戦争やオイルショックなどで国内経済が低迷。経済政策がうまくいかなかったうえに、イラン革命の際の大使館人質事件で救出作戦に失敗。外交面では中東和平に取り組んで、エジプトとイスラエルの間の合意を成立させたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に対しては強硬な姿勢を示した。「人権外交」を標榜しながらも、大きな成果をあげられなかった。そして再選を狙ったがレーガンの前に敗れる。
しかし元大統領としての活動で、再評価されることになった。ハイライトは戦争寸前となったところでの北朝鮮外交である。さらにキューバのカストロ議長とも会談。いずれもアメリカ大統領経験者としてははじめて、首脳との会談を持った。このほか様々な国際的な人権活動に取り組み、その業績によってノーベル賞を受賞したのである。そして近年に至るまで活動を続け、リベラルな民主党を象徴するような政治家だった。
元大統領というポジションをこれまでで一番有効活用した人ではなかろうか。現職だと動きづらいところはある。この点、各国も元首脳をどのような政治的資源として使うのか、見習ってもよいだろう。しかし今のアメリカはその時代とは大きく変わってしまった。政治家が分断や憎悪をあおるようになり、理想を説かなくなるのはよくない。なんでも本音トークが良いとは限らないのである。
2024年12月29日
タイガースが28日(日本時間29日)、左打ちの強打の外野手でオールスター戦に2度選ばれたチャーリー・マックスウェルが亡くなったと発表した。97歳だった。(スポーツ報知)
1950年にレッドソックスでメジャーデビュー。しかしその後伸び悩み、1955年にはオリオールズ、ついでタイガースへと移る。ここでようやく開花し、28本塁打、.326をマークし、オールスターに選ばれる活躍。翌年も連続して選ばれ、59年には31本塁打を放つなど中軸として活躍した。この年には12本を日曜日の試合で記録したことから、「サンデー・チャーリー」と呼ばれたという。62年ホワイトソックスへ移籍し64年限りで引退。通算成績は1133試合、856安打、148本塁打、532打点、.264。
引退後は保険会社のセールスマンとなった。
1950年にレッドソックスでメジャーデビュー。しかしその後伸び悩み、1955年にはオリオールズ、ついでタイガースへと移る。ここでようやく開花し、28本塁打、.326をマークし、オールスターに選ばれる活躍。翌年も連続して選ばれ、59年には31本塁打を放つなど中軸として活躍した。この年には12本を日曜日の試合で記録したことから、「サンデー・チャーリー」と呼ばれたという。62年ホワイトソックスへ移籍し64年限りで引退。通算成績は1133試合、856安打、148本塁打、532打点、.264。
引退後は保険会社のセールスマンとなった。
2024年12月28日
中日でプレーしたファン・ハイメ投手(37)が心臓発作のため、死去したと27日(日本時間28日)、ドミニカ共和国出身の野球解説者、アントニオ・プエサン氏らが自身のX(旧ツイッター)で報じた。(スポーツニッポン)。
ドミニカ共和国出身。2014年にブレーブスでメジャーデビュー。17歳でメジャー挑戦して以来10年かかった。中継ぎで16試合に登板。翌年シーズン途中にドジャースにトレードされたが登板機会がなく、中日にやってきた。しかし右肩痛で出遅れ、結局2軍で6試合に登板したのみ。1年で去り、メキシカンリーグでプレーした。通算成績は18試合で1敗、防御率は5.93。
ドミニカ共和国出身。2014年にブレーブスでメジャーデビュー。17歳でメジャー挑戦して以来10年かかった。中継ぎで16試合に登板。翌年シーズン途中にドジャースにトレードされたが登板機会がなく、中日にやってきた。しかし右肩痛で出遅れ、結局2軍で6試合に登板したのみ。1年で去り、メキシカンリーグでプレーした。通算成績は18試合で1敗、防御率は5.93。