2022年05月17日

プロ野球28会(中畑清会長)は16日、南海、巨人、近鉄に在籍し、強打者として鳴らした山本雅夫さんの追悼コンペを出身地の兵庫県内ゴルフ場で行い、個性的で人気者だった故人を偲んだ。山本さんは巨人時代、「左腕殺しのマサオ」の異名を取り大活躍。今年3月18日に膵臓がんで亡くなった。68歳だった。(デイリースポーツ)

訃報が伝えられたのはこの記事が初めてだと思う。
このクラスの選手では訃報はすぐに伝えられないのか?

兵庫県出身。1972年に南海(現・ソフトバンク)に入団。74年にデビュー。ただなかなか1軍に定着できず、ようやく80年に71試合に出場、9本塁打、.295をマークして頭角をあらわした。翌年も規定打席に届かなかったものの101試合で13本塁打をマーク。長打力があり、左投手に強かった。しかし変化球への対応に難があったという。84年巨人に移籍し、右の代打として2年連続3割以上、4本塁打をマークした。代打としてはかなりの好成績である。87年近鉄に移籍し、同年引退。通算成績は534試合、287安打、37本塁打、139打点、.262。引退後は会社勤めのかたわら軟式野球でプレー。

水島新司の「あぶさん」ではおなじみの登場人物の一人だった。長打力を期待された大器だったがレギュラーにはなれず。しかし代打としては存在感を発揮した。

ktu2003 at 19:38コメント(0)プロ野球 

2022年05月16日

1997年にダイエーでプレーした、元フィリーズ投手のデビッド・ウエストさんが死去した。57歳だった。フィリーズの地元紙「フィラデルフィア・インクワイアラー」が「脳腫瘍と闘い57歳で死去した」「球団が土曜日(14日=日本時間15日)に確認した」と報じた。(Full Count)

1988年にメッツでメジャーデビュー。しかし定着できず89年途中にツインズに移籍。90年には7勝を挙げる。その後低迷して93年フィリーズに移籍。そこで中継ぎとして76試合に登板し6勝3S、防御率2.92をマークした。翌年からはまた先発に戻ったが登板回数を重ねることはできなかった。97年ダイエー(現・ソフトバンク)でプレー。先発ローテーション入りして8勝を挙げたが、コントロールに課題があり、防御率は6.38に終わって1年で解雇。翌年レッドソックスでプレーするが不振に終わり、99年は独立リーグでプレーして引退。通算成績はメジャーで204試合、31勝38敗3S、防御率は4.66。日本では19試合で8勝5敗。

31勝ではあるがメジャー最後のシーズン以外はすべて勝ち星を挙げていた。実績をみると中継ぎのほうが持ち味を生かせたのではないかという気がするが。

ktu2003 at 20:05コメント(0)プロ野球 

2022年05月15日

沖縄が日本に返還されて50周年を迎えた。
50年というのは大きな区切りである。次の大きな区切りは100年だ。

返還50年を記念したというNHKの連続テレビ小説が放送されているが、評判がかんばしくない。何せ、今のところせっかく戦後の沖縄を描いたのに題材がまったく生かされていないからだ。北部が舞台とはいえ「戦後沖縄」を感じさせるものが金の単位ぐらいしかない。基地問題などは慎重に回避されたのだろう。

それはともかくとして、返還からの50年で沖縄はどう変わり、また変わらなかったのか。やはり広大な米軍基地が削減されたとはいえいまだ残っているのは大きな課題だろう。本土との負担の格差は大きい。そして、今の若い世代の認識を考えると、その状態が当たり前になって基地が固定化していくという流れが見えてしまう。この状況に対して日本の右翼でさえ口をつぐむ。日本の国防のためには仕方がない、と。そういう沖縄を利用する構造こそが一番問題なのだ。また、本土との経済格差も依然として大きい。巨額の振興予算が投入されていながらこの現状というのは、どこに原因があるのか。果たして基地だけが問題なのか。

大きな問題はありつつも、チャンプルーなど沖縄料理は本土でもおなじみになったし、芸能・スポーツ界などで活躍する沖縄出身者は多い。露骨な差別も大きく減ったことだろう。沖縄文化が多様な日本文化の一つのバリエーションとして、受け取られるようにもなってきた。

本土対沖縄という構図を作ってしまうと、常に沖縄は少数派となり、そして声をあげても多数の力に押し切られる。民主主義の大きな矛盾である。ならば、と現実的でないとはいえ、琉球独立論はくすぶり続けるだろう。それは中国の台頭、台湾のあり方、日本の衰退などとあいまってどんな動きになるかわからない。

ktu2003 at 10:33コメント(0)国内ニュース 

2022年05月12日

野球の日本代表監督として84年ロサンゼルス五輪で金メダルを獲得した松永怜一(まつなが・れいいち)氏が12日、亡くなった。90歳だった(スポーツニッポン)。

福岡県出身。八幡中時代には福嶋一雄のいた小倉中打倒に燃えた。1950年には選抜出場を果たしている。法政大に進学したものの腰痛のため選手を引退し、指導者となった。法政一高を率いて甲子園出場を果たし、堀越高を経て65年から母校の監督に就任。田淵・山本・富田の法政三羽烏を育てるなど優勝6回を果たした。71年からは住友金属の監督となり、日本選手権を2度制する。この時代は高校野球解説でもおなじみだった。

そして84年のロス五輪で、チームを率いて公開競技ながら初代王者となる。高校・大学・社会人そして国際大会まで、どのカテゴリーでも結果を残した稀有な指導者である。07年に野球殿堂入り。

ktu2003 at 21:46コメント(0)訃報 

2022年05月11日

お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」のメンバーの上島竜兵さん(61)が11日未明、東京都内の自宅から救急搬送され、死亡が確認された。所属事務所の関係者が明らかにした。捜査関係者によると、自殺とみられるという。(朝日新聞)

芸能界はもとより日本中にショックが広がったかもしれない。

もともとは俳優志望だった。劇団をへて1985年にダチョウ倶楽部を結成。80年代後半から90年代にかけ、肥後克広・寺門ジモンとともに数多くのバラエティ番組に出演。ものまね番組やビートたけしの番組で人気が出た。トリオ内でも、他の芸人とでもいわゆるいじられキャラで、それに対する「リアクション芸」を出川哲朗とともに確立した。数多くのレパートリーがある。「押すなよ押すなよ」と言いながら押されて落ちるとか、怒りを示した後の軽いアクションとか、子どもから大人までまねしやすい芸が多かった。また体形を生かした西田敏行や大仁田厚のものまねも印象に強い。

俳優志望だったことからドラマや映画出演も結構多く、その演技力も評価されていた。年齢的にこれまでの芸は難しくなったとしても、俳優業を展開できる可能性は大いにあった。

芸人界での人望が厚いことも有名で、落ちぶれた有吉弘行を再ブレイクまで見捨てず、後輩芸人の面倒もよくみていた。志村けんやビートたけしからも評価され、志村とは師弟関係と自他ともに認める間柄だった。それからトリオの仲が良いことも有名で、ギャラはきっちり三等分していたという。

最近はトーク力のある芸人がもてはやされるが、きっちりした芸でお笑い界を生き残ってきた人である。番組を仕切る力はないが、イベントや場を盛り上げる力はすごかった。そしてリアクション芸のネタの多さが驚異的だった。

やはりコロナなのだろうか。先日同じく死去した俳優・渡辺裕之も、コロナから心の病に陥ったと伝えられている。師匠・志村けんのコロナ死は大きなショックだったことだろうし、芸人仲間との交流もできなくなっていた。状況は多くの芸能人(芸能人だけではない)に共通する。限界はあるがしっかりケアできるような社会でありたいし、芸能界も業界としてしっかり対策に取り組むべきだろう。コロナは誰もが未経験の事態なのだから。

ktu2003 at 20:16コメント(0)訃報 

2022年05月02日

サッカー日本代表の元監督、イビチャ・オシムさんが死去した。1日、かつて監督を務めたオーストリアのクラブ、シュトルム・グラーツが公式サイトで発表した。グラーツで亡くなったという。80歳だった。(朝日新聞)

日本のサッカーは多くの外国人から学んできた。メキシコ五輪世代ぐらいだとドイツ人のクラマー氏が有名である。現代でそれに匹敵する影響力を持つ人物として誰を挙げるかといえば、やはり彼をおいてほかにはいないだろう。

現ボスニア、当時はユーゴスラビアと呼ばれた地域のサラエヴォ出身。日本とは若い頃から縁があった。64年東京五輪で選手として来日し、日本代表と対戦もしている。母国に加えフランスリーグでもプレーし、78年引退後は指導者の道へ。そして86年ユーゴスラビア代表監督に就任し、90年W杯ではベスト8に入る。この時のメンバーに、日本でもおなじみとなるストイコビッチらがいた。当時は民族バランスにも苦心しながらの選手起用だったという。

しかしユーゴスラビアは民族対立が激化して分裂。そして故郷・サラエヴォは戦火に見舞われ、家族と会えない状況が続いた。指導者としては国外に活路を求め、ギリシャやオーストリアのクラブを率いたあと、2003年に日本にやってきた。それから3シーズンにわたってジェフ市原(現・千葉)で指揮をとり、優勝寸前までいったほかクラブとして初めてタイトルを獲得した。そして06年シーズン途中で日本代表監督に就任することになる。

W杯で実績を残し、あまり強くなかったジェフを強豪にした手腕が非常に期待された。そして「オシム語録」と呼ばれるウィットのきいた発言が話題となり、またジェフの教え子はじめ多くの選手を抜擢し、「走るサッカー」が良く知られるようになった。とにかく走る量を増やす。このスタイルは日本に今や定着している。しかし、監督としての期間は短かった。07年11月脳梗塞に倒れ、一時は危篤となった。このため指導者としてのキャリアは終わった。

その後は日本のアドバイザーとなったほか、母国ボスニアのサッカー再建に取り組んだ。オーストリアに在住しながら、たびたび日本からの取材に応じていた。

長く代表監督をやっていたらどうなっただろうか、と語られることは多い。外国人監督は過去何人もいたが、日本をよく知ってから代表監督になったという点が違っていた。これは今後外国人監督を迎えるなら考慮していい点だろう。

ktu2003 at 08:24コメント(0)訃報 

2022年04月25日

阪急ブレーブスの黄金時代の遊撃手だった阪本敏三氏が3月22日に、パーキンソン病のため、兵庫県内の病院で死去していたことが分かった。78歳。(日刊スポーツ)

京都出身。平安高ー立命館大を経て社会人の河合楽器に入り、都市対抗にも出場した。67年阪急(現・オリックス)に入団し1年目から102試合に出場して優勝に貢献。2年目には不動のレギュラーとして50盗塁、69年には47盗塁で盗塁王と、黄金期の阪急に堂々と食い込んでいった。連年の日本シリーズでも活躍して、日本シリーズ12試合連続得点は今も日本記録だという。そしてオールスター・ベストナインの常連でもあった。

1971年の日本シリーズ第3戦の9回、長嶋茂雄の打球に追いつくことができずヒットとし、その次の王がサヨナラ本塁打を放った。これは山田久志痛恨の1球として知られるが、その前のワンプレーによって運命が変わる。ショートの守備強化を狙い、東映(現・日本ハム)との間で大橋穣ら2人と阪本ら3人の大型トレードが実現した。東映でも中心選手として活躍するが、76年には近鉄監督に就任していた西本幸雄に呼ばれて移籍。さらに79年には南海(現・ダイエー)に移籍して.311の高打率を記録。80年限りで引退した。通算成績は1447試合、1303安打、97本塁打、449打点、243盗塁、.272。

引退後は2年間解説者を務めたのち近鉄コーチからフロントへと、20年近く携わった。
トレードに出されたのが不思議なくらい、阪急黄金期の中心を担った名選手だった。近鉄で長くコーチを務めたところに人柄がしのばれる。

ktu2003 at 18:36コメント(0)プロ野球 

2022年04月24日

第1管区海上保安本部によると、北海道斜里町の知床半島沖で観光船「KAZU機淵ズワン)」と連絡がとれなくなった事故で、海上や岩場で発見された10人の死亡が確認された。(朝日新聞)

知床の海はいまだ冷たい。かりに船から脱出できたとしても、水温が低くてつかっていると数分で意識を失うという。

一般的にこのあたりの観光シーズンは5月からだという。そう考えると少し早い。コロナでこの2年以上観光産業は身動きがとれなかった。感染状況は楽観できないながらも、感染対策をやれば旅行はできるという状況になってきていて、関係者からするとなんとしても立て直したいという気持ちがあっただろうか。

伝わるところでは、地元の漁師も午後からは漁をやめるほどに、海は荒れていたという。他の観光業者から忠告もしていたというが、船は出た。この判断に加え、今回の業者は昨年にも2度事故があって、行政指導を受けていたという話も出てきている。そして船がそのときの損傷を修理していないという話まである。だとすれば、自然の脅威というよりは完全に人災という側面が強い。

知床は言わずと知れた観光地。小型船だと陸地に近づいてヒグマをみることができるということだが、それだけ船自体の危険性は高まる。もとより自然条件の厳しい場所だ。

もうすぐGWで、今年こそは、と旅行が盛んになりそうな気配である。もとより安全第一。せっかく久々の旅行と思ったら死出の旅になってしまったということにはなりたくない。

ktu2003 at 19:37コメント(0)国内ニュース 

2022年04月19日

中日の渉外担当(部長)などを歴任した足木敏郎さんが19日午後1時6分、名古屋市内で老衰のため死去した。87歳(中日スポーツ)。

1953年に名古屋ドラゴンズに入団したが、出場はその年の守備についた1試合だけ。引退してすぐに球団トレーナーとなり、その後職員として球団内で出世していく。そのかたわら英会話を習得し、外国人獲得に尽力。モッカやパウエルなど、100人近くの選手を発掘したという。都合、61年にわたり球団に在籍した。まさしく中日球団の「生き字引」的存在で、「月刊ドラゴンズ」に連載をもっていた。

現役生活が1年だけだったというから、実力には早々に見切りをつけ、「野球界で働くこと」に将来を見出した。こういうキャリアの歩み方もある。中日も歴代優秀な外国人を獲得してきたが、その陰にはやはり功労者がいるのである。

ktu2003 at 19:13コメント(0)プロ野球 

2022年04月18日

余韻がまだ残っている。

いろいろ意見があるにせよ、異例の朝ドラだったことは間違いない。近年やや低迷が続いている朝ドラにインパクトを与え、世間的な反応は「あまちゃん」以来とも称された。作品の内容への評価とか、何らかのブームを起こしたかというとそこまでではないが、この時代に作られる意義はあったように思う。

史上はじめてヒロイン3人のリレー形式であり、100年にわたる時間軸も史上最長である。演出も異例づくしだった。まず劇中では年代が示されず、週ごとのタイトルに年代が示されるだけ。実質週ごとのタイトルもなかったということになる。時間の変遷は事物の描写や流行の歌、ニュースや歴代の朝ドラの映像などで示される。次に、劇中の登場人物が名前が明らかでない場合、たとえば「宇宙人」や「すかした男」といったような役名がOPで示された。OPが冒頭部分でなかったこともあったし、最終週では2020年代と2003年が並行して描かれたりした。このほかにも細かいところまで、スタッフの遊び心が伝わるやり方だった。これは多分、SNS全盛時代の視聴者を意識した作り方なのだろう。

とくに内容が濃かったのは安子編である。いわば「時代」の過酷さをストレートに、オーソドックスに描いた内容だった。何不自由なく、苦労も知らずに育ったヒロイン・安子が出会った英語に堪能な青年・稔の描写は大きなインパクトがあった。理想の王子様風を演じた松村北斗の評価は高く、ジャニーズを正しく使うというのはこういうことである。しかし家柄・ついで戦争という制約が立ちはだかる。稔が戦死、実家の家族も戦中・戦後にかけて世を去り、安子は娘のるいを独りで育てようとする。しかしうまくはいかず、ついに娘を捨ててアメリカへと旅立ってしまった。こうして主人公の消息が不明になるというのも、朝ドラでは史上はじめてのことだった。この昭和のヒロインを上白石萌音が好演した。ラブコメが当たった彼女だが、シリアスな演技や英語力の高さも評価された。

1960年代が舞台になったのがるい編である。深津絵里が10代から演じるということで話題になった。全体的に役者の年齢が上がり、ヒロインとのバランスを考えたことがうかがえた。カラフルな街並みや衣装、さらに登場人物の類型など、当時の青春映画を彷彿とさせるといわれる「青春」を描いた内容だった。深津絵里を中心にした役者の安定した演技力と、まさしく映画のようなきれいな映像が印象的だった。大阪でるいを世話した竹村夫妻のあたたかさが人気になった。

1970年代後半、舞台は京都に移り、るいの娘・ひなた編で描かれたのは「平和」である。時代の制約も、家庭の苦労も味わうことがないひなたは、何をやっても続かない性格で、夢がないことが悩みという。るいは母親となってストーリーから一歩引き、3人目ヒロインの川栄李奈が元気いっぱいに、少しバカなキャラクターをこれも好演した。やや子供っぽい相手役の本郷奏多と、女優役の安達祐実、斬られ役の松重豊が話の中心。時代劇の衰退が大きな時代背景としてある。

当初のあらすじから推測されたように、3人ヒロインとはいえやはりこの作品は深津絵里扮するるいが主人公だった。ラスト近くで用意された見せ場は深津絵里のためのもの。10代から一番いろんな変化をして、いろいろやらされたのも彼女なので、ファンとしてはその点ではいろんなものが観られて大満足である。しかし話の展開としては安子編最終盤から強引な展開が目立った。るい編はほとんど恋愛に終始してストーリーのインパクトは弱く、ひなた編はヒロインのキャラクターが弱くなって、安子とるいの和解が主軸になる最終盤までは盛り上がりに欠けた、といってもいい。その最終盤で年老いた安子の行動も不可解なことが多く、それまでの描写の積み重ねがなかったことが原因だろう。

企画段階で考えられていたことが、週5回への削減、コロナ禍などもあって十分に実現できなかったのではないかと思う。本来なら1年やってもいい内容だった。もちろんそれだとスケジュール確保などが難しいのだろうが。

とはいえ、今作は特定の著名人がモデルでもなく、何かを成し遂げる主人公でもなく、いわば人々が共通に体験した「すべての「私」の物語」だったこともあり、自分の家族と重ねる人が非常に多かったように思われた。自分の親にも、祖父母にも歴史がある。そんな「ファミリーヒストリー」に共感が集まった。そして2月にはウクライナで戦争がはじまり、改めて「戦争」を朝ドラで描くことの意義も明らかになった。

それにしても、深津絵里が朝ドラで主演するというのはまったく予想も期待もなかったわけで、それが観られたという多幸感はこの上ない。朝ドラをこんなに熱を入れて観ることはもうないだろう。彼女が50代を迎えて、どんな役柄と演技を見せてくれるのか、その楽しみが強まったというのが事実である。

ktu2003 at 19:29コメント(0)テレビ 
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