2016年11月26日

カストロ・キューバ前議長死去

カストロ













数少ない、生きながらの「歴史上の人物」が静かに逝った。
大学時代から政治運動をはじめ、弁護士を経て武装によるキューバ革命を企図した。失敗して投獄されるが、釈放されると再び革命を企図、1956年、82人でキューバに再上陸して闘争を開始した。そして3年後に、バティスタ政権を打倒し、革命政権を樹立する。時に32歳。わずかな手勢から勢力を拡大して親米政権を打倒したことは、世界に衝撃を与えた。

そして60年代から、社会主義国としてソ連に接近。国土のすぐそばで社会主義政権が誕生したことに危機感を抱いたアメリカとの対立を深め、実際にアメリカは政権転覆工作を仕掛けたが、失敗した。そして62年には、キューバへのミサイル配備をめぐって米ソ核戦争一歩手前となる、キューバ危機が発生。土壇場で危機は回避されたものの、アメリカの経済制裁を受け続けることになる。

以後は社会主義陣営の一員として、また中南米諸国の反米勢力の旗手として存在感を発揮。国内政策では教育と医療に力を入れ、大きな成果を上げたものの、国を豊かにすることはままならなかった。ソ連が衰え、91年に崩壊すると経済は困窮し、亡命者も相次ぐようになり、部分的に市場経済を導入する政策へとかじをきった。一方で、社会主義国家に数多くみられた個人崇拝や私腹を肥やすなどの腐敗を嫌い、革命の理想を説き続けた人物でもあった。またスポーツにも力を入れ、野球好きとしても知られた。

個性にあふれる、まさに「カリスマ」というべき人物であった。革命家と呼ばれる人たちは、自らの仕切る政権を目指すが、多くは幻想に終わる。そんな中、また特に幻想に近い段階から、一国を指導する立場についたことは、世界中の運動家に影響を与えた。そして何より、アメリカと至近距離にありながら、ついに天寿を全うしたことは、歴史において彼が勝利者であると判断するに足るであろう。しかし、小国の悲哀もあろうし、社会主義の限界でもあろうが、国を富ませることは難しかった。

そんなキューバと、アメリカは国交を回復した。トランプ政権の誕生でまたまた不透明感は増しているが、キューバももうカリスマに頼れない。資本主義の波を、今後は被っていかざるを得ないだろう。そんな歴史の転換を見届けてから、稀代の英雄は去った。

ktu2003 at 19:08コメント(0)トラックバック(3)訃報  

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1. フィデル・カストロさん  [ 落ちこぼれのつぶやき ]   2016年11月27日 00:30
【カストロ前議長死去】弟・ラウル議長、震える声で深夜の発表…静まり返るハバナ市内 亡くなられましたか。心よりご冥福をお祈り申し上げます。。これからのキューバはどのようになっていくのでしょうか?
2. キューバのフィデロ・カストロ氏が死去 90歳  [ つらつら日暮らし ]   2016年11月28日 11:40
哀悼の意を表します。
3. フィデル・カストロ氏の逝去を悼む  [ dendrodium ]   2016年11月29日 18:58
11月25日午後10時29分(日本時間で11月26日午後0時29分)キューバのフィデル・カストロ氏が逝去されたそうである。私はカストロ氏の事を殆ど知らないのだけれど、 ...

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