2020年01月17日

阪神・淡路大震災から25年

四半世紀もたったのである。
関西に住んでいる身としては、東日本大震災を経た後にあっても、この災害の衝撃は減ずることがない。
25年前は高校3年生で、人生の大きな区切りを迎えようとしていた時期だった。いろんなことを考えていた多感な時期だったのは間違いなかった。そんなときに突然地面が揺れた。数年前から各地で大きな地震が相次いでいた。とはいえ関西は大丈夫だろう、という根拠のない安心感があった。もちろん歴史的にみれば関西にも大きな地震は起きていたわけだが、自然の周期というのは何百・何千年という単位で考えるものだから、それほど差し迫ってはいないと思っていたのである。

神戸には前年12月に訪れていた。高校のクラスで行った、遠足?という程度のものである。衝撃が大きかったのはそれもあった。あの街が壊れてしまった、と。自分は直接的な被害は何も受けていないが、周辺もしばらく騒然としていたのを覚えている。自分は進路が決まっていたのでよかったが、大学受験を控えて兵庫県の大学を志望する人達への影響は大きかった。そもそも入試は行われるのか。そんなことも含め、連日災害の話で持ち切りだった。テレビも娯楽番組なんてやっていない。余震も連日続いていた。日頃見慣れた景色が崩壊した有様を見せつけられ、心理的な影響も大きかったと思う。

ようやく落ち着いてきたかな、と思ってきたところに地下鉄サリン事件があって一連のオウム事件が明らかになり、またしても世情は騒然。この年は野球で野茂がメジャーに挑戦して活躍し、Windows95が登場してパソコンとインターネットが一挙に広がりを見せた年でもある。間違いなく時代の変わり目だったし、世の中の雰囲気が大きく変わり始めた年だった。そして数年後には平成不況と呼ばれる空前の不況時代に入っていった。この災害は、何よりも日本にとって歴史的な転換点になったのである。

防災体制は震災をきっかけに大きく見直され、変わっていった。しかし高齢化の進展や外国人の増加、人間関係の希薄化などで対応は難しくなっている。SNSの普及も良し悪しがある。避難所の環境が改善されず、せっかく災害を生き残っても体調不良に陥る人が多かったりもする。生活再建への支援は不十分だ。被害や苦痛を減らす余地は、まだまだある。

多くの人が突然に命を失ってしまう。このことを社会としてどのように受け止めればいいのか。戦争との類似を指摘する人も多くいて、戦争への考え方にも多少は影響を与えているように思う。人々の祈り、願いといったものが、明らかに変化していったのではないか。思えば自分の今の学問も、根本的にはそれを考えるためにやっているようなものだ。





ktu2003 at 07:35コメント(0)雑記  

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