2021年04月05日

橋田寿賀子さん死去

テレビドラマ「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」など多くのヒット作を書いた脚本家の橋田寿賀子(はしだ・すがこ、本名岩崎寿賀子〈いわさき・すがこ〉)さんが、4日、急性リンパ腫のため死去した。95歳だった。(朝日新聞)

高齢とはいえいつも元気そうにしていたから、驚きだった。コロナ禍をどう書くか、と意欲を示していたところだったという。
ソウル生まれ。幼少期に大阪に移り住んだ。少女時代は軍国主義に染まっていて、海軍で働いていたこともあった。戦後に松竹に入社して脚本家生活をスタート。しかしこの時代は脚本のだめだしにかなり不満をためていった。そしてフリーとなりしばらくは小説や漫画の原作を書いていた。

1964年、「愛と死をみつめて」のテレビドラマ脚本が話題となった。その後はTBS東芝日曜劇場で次々と作品を手がけ、68年には早くもNHKの朝ドラ「あしたこそ」を書いている。そして81年には大河ドラマ「おんな太閤記」がヒット。このヒットのある種ごほうびとして、長年あたためてきた企画を形にしたのが、83年の「おしん」だった。

豊かになった日本が忘れてしまったもの、先人、とくに女たちが被ってきた苦労を今のうちに書いておかねばならない。「経済大国」として繁栄していた日本への批判をこめた作品だった。「おしん」は社会現象となり、海外でも途上国を中心に大ヒットとなった。貧困と差別の理不尽な状況に抗うヒロイン・おしんの姿は日本ではその時代を知る人々を中心に涙を誘い、海外ではまさしく現実と重なり、豊かな日本にかつてそんな時代があったことを広く知らしめた。

嫁姑・親兄弟関係を中心とするホームドラマを得意とした。また、激動の時代を生き抜く女性たちも繰り返し書いた。時に下世話に、時に壮大なストーリーを紡ぐ力は、最晩年まで維持されていた。90年からの「渡る世間は鬼ばかり」は30年近く続く人気番組になった。作品ではお気に入りの俳優を起用することで知られ、「橋田ファミリー」と呼ばれる結束を誇った。最期をみとったのはその申し子といってもいい、泉ピン子だったという。

まさにテレビの隆盛を築き上げた一人といって過言ではない。「おしん」が記録した視聴率は今後ドラマでは破られないのではないか。そして、あくまでも女性の視点を大事にして作品を書いた。独特の言葉遣いは現代劇にあっては違和感がぬぐえなかったが、かえって時代物を書く時には効果的でもあった。また、バラエティーやトーク番組への露出も多く、若い世代にもキャラクター含めて親しまれたのである。

田中邦衛の訃報に続くと、名作テレビドラマが生み出された時代が確実に歴史になっていくという感慨を覚えるところである。




ktu2003 at 19:48コメント(0)訃報  

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