2021年05月19日
球界訃報情報21-22
プロ野球・広島で強打者として活躍したリッチー・シェーン(本名・リッチー・シェインブラム)さんが10日に死去していたことが19日、わかった。78歳。親族がSNSで発表した。死因は明らかにされていないが、親族は「長い闘病生活の末」だったとしている。(スポーツニッポン)
またも日本で活躍した外国人選手の訃報である。
1965年にインディアンスでメジャーデビュー。その後69年に102試合に出場したこともあったが低迷し、5球団を渡り歩いた末に72年、エンゼルスでブレイクしオールスター出場し.300をマークした。ところが翌年レッズに移籍、さらに途中でロイヤルズに移籍となった。この年も.307をマークしたが、翌年低迷し、ジョー・ルーツに誘われて広島へやってきた。
そして赤ヘル軍団の一員として、スイッチヒッターで1試合両打席本塁打を記録するなど、13本塁打、.281で優勝に貢献した。翌年には成績が上がり、20本塁打で.307をマークしたが守備に難があったということで退団となった。今なら考えられない処遇である。通算成績はメジャーで462試合、320安打、13本塁打、127打点、.263。日本では239試合、233安打、33本塁打、118打点、.295。
引退後はセールスマンをやっていたという。
またも日本で活躍した外国人選手の訃報である。
1965年にインディアンスでメジャーデビュー。その後69年に102試合に出場したこともあったが低迷し、5球団を渡り歩いた末に72年、エンゼルスでブレイクしオールスター出場し.300をマークした。ところが翌年レッズに移籍、さらに途中でロイヤルズに移籍となった。この年も.307をマークしたが、翌年低迷し、ジョー・ルーツに誘われて広島へやってきた。
そして赤ヘル軍団の一員として、スイッチヒッターで1試合両打席本塁打を記録するなど、13本塁打、.281で優勝に貢献した。翌年には成績が上がり、20本塁打で.307をマークしたが守備に難があったということで退団となった。今なら考えられない処遇である。通算成績はメジャーで462試合、320安打、13本塁打、127打点、.263。日本では239試合、233安打、33本塁打、118打点、.295。
引退後はセールスマンをやっていたという。