テレビ

2019年06月10日

歌舞伎俳優の中村勘九郎(37)と俳優の阿部サダヲ(48)がダブル主演するNHK大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」(日曜後8・00)の第22話が9日に放送され、平均視聴率は6・7%(いずれもビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことが3日、分かった。4月28日放送の第16話で記録した大河ドラマ史上最低視聴率7・1%を“更新”した(スポーツニッポン)。

ある種のギャンブル的な企画だろう、とは事前に言われていた。視聴率もそれほど上がらないだろう、という予想のほうが多かったように思う。だが、作品として高い評価が得られればそれでいいという向きもあった。しかしここまで落ちてきてしまうと、作品の質はともかくとして視聴者の多くの支持は得られなかったという結論になる。エンタメとしては失敗という評価にならざるを得ない。

第1話の試写の評判が、気になっていた。どうも歯切れが悪い。留保がついていたのだ。企画段階では、オリンピックを題材に、落語を語り手として同時代の東京を描写していく、という話だと聞いていた。そして主人公が金栗四三と田畑政治で、古今亭志ん生が語り手のような役割を果たす、と。ところが実際には、志ん生の比重が大きく、トリプル主人公になっているかのようであった。こうなるとさすがにわかりにくい。その上時間が明治時代と昭和30年代を往復する。

宮藤官九郎自身はあまりスポーツに興味がなく、落語の話を入れるという条件で仕事を引き受けたという説もある。調べ始めると興味深い事実もあって、エンタメにできるという判断だった。「オリンピックはじめて物語」というのはそれ自体は興味深い史実に違いない。ただここまで見てくると、個人的な興味もあってそういう「歴史」としては楽しめるが、「物語」としてはしんどい。スポーツと落語が、結局うまくはまっていない。ちょっとだけクロスするだけで、もちろんのちのちには絡み合うのだろうが、どちら側からみても中途半端にみえる。

「あまちゃん」を強く意識してスタッフやキャストをそろえたが、結局主演ののんは出てこない不自然さも、幾分かの影響は与えているんではないだろうか。その「不自然」の理由も広く知れ渡っている。そういうしがらみを見せられて、どうしてエンタメを楽しめるのか?そして「あまちゃん」組の一人でもあったピエール瀧の逮捕。これでもちろん当初のストーリーとは狂った部分もある。

NHKはCMはない。低視聴率だからといってスポンサーには気兼ねしなくてもよいが、多くの人にみてもらえる作品にできなかったのはなぜか?それはきちんと考えた方がいい。そして大河ドラマというあり方自体が、もう今の時代に多くの人に支持されるものを作れない形態になっているのなら、別のあり方を模索すべきだし、題材がよければまた支持される、というならそれもよし。私は可能性としては前者のような気がしている。


ktu2003 at 21:52コメント(0) 

2019年05月31日

NHK連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」は今100作目となっている。
NHKが特設ページで歴代作品を一挙紹介するコーナーをつくっている。短いながら映像もみることができる。そこから、これまでの作品からどういう傾向・変遷がみえてくるのかを振り返るとともに、今後どういう作品が出てくるかを予想してみたい。

・最初期は文字通り「小説」のテレビ版として作られた
1961年の第1作「娘と私」からの5作品は、いずれも有名作家が原作。第5作では川端康成が書き下ろしている。主人公を中心とした家族の物語が多い。この時期の作品は映像がほとんど残っていない。

・「おはなはん」で朝ドラのスタイルが確立
転機となったのは1966年「おはなはん」である。ヒロインが戦前から戦後の激動の時代を強く、明るく生き抜いていく、という物語が大きな反響を呼んで、その後繰り返し描かれる「朝ドラ」の原型を作った。時代や男尊女卑思想の制約を受ける女性が、それを乗り越えて人生の幸せをつかむ。基本フォーマットはこれであり、時代ものであれ現代ものであれ、形を変えながら現在まで続いているといってもいい。そして主人公のヒロインは新人女優を抜擢するというのも、この時代から始まった。視聴率はおおむね好調を保った半面、パターン化が進んでいったようである。

・「おしん」は異色の作品にして、頂点
上記のパターンを踏まえると、1983年「おしん」は異色の作風だった。「極貧」というヒロインの出自は、それまでなかった。戦前を舞台にした作品では、ヒロインは女学校に通っていたし、現代ものを含め、家庭・学歴は比較的恵まれた設定が多かった。「おしん」はまず貧困から抜け出すことが目的であり、それが成功してからも、最後まで問題を抱えたまま生きていく。そして年老いたヒロインが「回想」で話を進めていくというのも異色だった。いわば豊かになった日本社会が、来し方を振り返るという体である。テレビ30周年記念として作られたのがこの作品だったというのも、偶然ではない。

・一時期、男性主人公の作品も
80年代から90年代にかけ、男性が主人公になった作品がいくつかある。朝ドラフォーマットを少し打開してみよう、という意図があったのかもしれない。ただ、成功したとは必ずしもいえないようである。

・平成以降、現代劇が増加
1989年、「青春家族」は初のダブルヒロインだった。母と娘が現代社会の中でどう生きていくのか?というテーマ。この作品以後、現代を舞台にした作品が増える。ヒロインが仕事や恋愛に悩みながらも人生を歩んでいく、というパターンも、これまた現在まで続く。91年「君の名は」のリメイクが失敗したことも大きかった。94年「春よ、来い」もヒロインの降板騒動が話題となるも作品はヒットせず、時代ものはうけない、という意識が高まったと思われる。

・2000年代の迷走
しかし2000年代にかけて、マンネリ化が指摘されるようになる。つまり、女性が男性社会に飛び込んでいくという構図が飽きられ、また「朝ドラ」ということで同時代のテレビドラマの中では、ストーリーや表現の制約が大きかったのも事実だ。さらにライフスタイルの変化で、従来の朝ドラ支持層だった「主婦」層が減少したり、同時刻のワイドショーが拡大したことなども要因となって、視聴率が大きく低下した。

・2010年代の盛り返し
これがだめなら朝ドラ廃止も検討されていたという「ゲゲゲの女房」は、久々のヒット作になった。放送時間を8時からに変更して観やすくなったことは大きかったが、ストーリーが「戦後」という時代をうまく描いたことも好評であり、また夫を支える「主婦」が主人公であるというのも逆に新鮮に受け取られた。以後、時代ものが再び増加していくが、高度成長期(「ひよっこ」)や逆に幕末〜明治初期(「あさが来た」)、さらに昭和後期〜平成初期(「半分、青い」)と、「時代もの」も多様化してきている。

・SNSとの相性、「あさイチ」の役割
2013年「あまちゃん」は大ブームになった。久々の現代もののヒットである。「まちおこし」「地域アイドル」という素材の新鮮さや、作中の小ネタをネット上で共有する楽しみ方もあって、若年層でも盛り上がった。また、朝ドラの後番組「あさイチ」の冒頭で司会者が内容の感想に触れるようになり、視聴者とともに楽しむというあり方も確立した。SNSの普及で、ネット上で感想を言い合う場合に1話15分一週間というのが都合がいい、という話もある。こうしたことから、最近の作品は全体に作風が軽めになり、小ネタを入れてネット受けを狙っているように見受けられる。また、主演は若手の人気女優がオファーされることが多くなり、抜擢はむしろ脇役から、というパターンが多くなっている。

・さて、今後は・・・・
大きな改革としては、月〜金の「週5回化」である。放送回数が20回以上も短くなる影響は果たしてどうなるのか。土曜日に毎週の総集編が放送されるとなれば、ますます「一週間」の単位が重要になりそうである。また、題材に関する傾向の予想としては、以下のようなことが考えられるだろうか。

・男性、ないし複数主人公の作品が増えるのではないか。「朝ドラ」=1人のヒロインの構図は崩れていくかも。
・すでにそうなっているが、時代ものは「戦後」を中心にしたものに変わっていく。女性にとってまだ制約が大きかった時代、1960〜80年代半ばまでに重点がおかれるだろう。だが、波乱度が戦前に比べると足りない点は否めず、悩ましい。
・現代ものの題材。主人公がLGBTという設定は近々に出てきそう。「仕事」ではなく「趣味」に情熱を傾ける主人公も出てくるかもしれない。スポーツで一流を目指すストーリーとか、「理系女子」などの学者、あるいは介護・福祉施設やNPO法人などに勤務する人物が主人公になるのも現代的だろう。




ktu2003 at 10:57コメント(0) 

2019年05月22日

 NHKは「朝ドラ」の愛称で親しまれている連続テレビ小説について、今は月〜土曜の新作放送日を、来春の「エール」(窪田正孝主演、林宏司脚本)から、月〜金曜の週5日に短縮する。(朝日新聞)

NHKは、新しい映像技術によって編集作業に時間がかかることがわかって、新しい働き方を検討していることは認めた。過労死事案の公表以来、「働き方改革」がNHKで進み、撮影期間の前倒しや、撮影終了時間の繰り上げなどが行われている。大河ドラマも回数が減っている。

朝ドラの過酷さはよく知られており、ヒロインが体調を崩すことはたびたびあるというし、スタッフも推して知るべしだろう。NHK幹部の「朝ドラ制作に関わりたいと手を挙げる職員も年々減っている」という発言も記事にある。また、土曜日は時計がわりにしている視聴者が観ないため視聴率が下がるとも言われていて、放送するメリットの問題もあろうか。

1962年以来、朝ドラは月〜土が続いてきただけに、開始以来の大改革になる。回数も20回以上減ることになり、その分話が薄くなるのか、密度を濃くできるのか。「おしん」と今の「なつぞら」を見比べて感じたことは、働き方の是非はおくにしても、スタッフの熱量が随分違っていたのではないか、と思うのである。番組作りに対する情熱とでもいおうか、今のスタッフももちろん懸命にやっているのだろうが、テレビ界、芸能界の変化の中でいい仕事をするのが難しくなっているかもしれない。とすれば、せめて労働条件を改善することでなにか意識変化が起こってエネルギーが増ることは期待できるだろうか。

しかし懸念されるのは、しっかり手間かけて作品を作るという、当たり前の仕事がおろそかになりはしないか、ということだ。「働き方」改革というのは時間の短縮だけではない。人々の心身の健康にも配慮しつつ、よりよい仕事ができるようにするためでなければならない。セクハラ・パワハラはじめ、テレビ・芸能界にはびこる様々な悪習を改善しなければいい作品は作れないだろう。





ktu2003 at 21:37コメント(0) 

2019年05月18日

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NHK朝ドラが100作目を迎えたことを記念し、BSプレミアムで1話ずつ再放送が始まっているという。1年間続く。現朝ドラ「なつぞら」と比較して観ることができ、反響がそれなりにあるようだ。36年前の作品ということで、本編は初めてみる、という人も多い。

作品の知名度は高い。テレビドラマ史上最高視聴率62%を記録し、当時の社会現象となったほか、世界各国で放送され、特に発展途上国では大人気になった。遠くイランやエジプトでも社会現象になったというほどで、いまだに日本発のドラマコンテンツではもっとも世界的ヒットになった作品である。
私も再放送で観たのは少女編だけ。この機に本編をしっかり観てみよう、ということにした。まず驚きだったのは、この話が「回想」だということである。いきなり年老いたヒロインが登場し、孫に向けて自分の人生を振り返る、というものだ。のちに「すずらん」で使われた手法だが、本作の場合は合間にストーリーの解説や評価をするため、たびたび老ヒロインと孫のシーンが挿入される。そして、いわゆるヒロインの生涯を描くシーンがスタートするのは第4話であり、最初の3話は現代パートの説明が続く。

大反響を呼んだのは最初の少女編だ。1901年に山形の貧農の娘として生まれたおしん(小林綾子)は、数え7歳で口減らしのため奉公に出される。最初の奉公先の仕打ちに耐え兼ね、抜け出して山中で遭難したところを、脱走兵(中村雅俊)に救われ、一冬を共に過ごすが、悲しい別れが待っていた。その後、再び奉公に出た酒田の豪商・加賀屋で大奥様に気に入られ、お嬢様・加代と親友になる。
明治時代の極貧の描写と、小林綾子の演技は視聴者の涙を誘い、「子供に見せたい」と夏に再放送されたのである。このため、作品の記憶はこの少女編において鮮烈である。

ただ、本編となるのは田中裕子が演じた時期だ。1916年、16歳に成長していたおしんは農民運動家・浩太(渡瀬恒彦)と出会ったことを機に激動の人生を歩むことになった。浩太との関係をめぐって加代(東てる美)と仲たがいし、自らにきた縁談もことわって、加賀屋を辞める。その後、姉のつてで東京に出奔し、髪結として独り立ちする。そして実業家の竜三(並樹史朗)と出会い、結婚。協力して事業を大きくするが、関東大震災ですべてを失い、竜三の実家の佐賀へ身を寄せる。しかし佐賀の姑とは折り合いが悪く、過酷な生活を強いられた上、右腕のけがや死産という大ダメージを負うことになり、ついにそこを去って、東京・酒田・伊勢を転々とする。ようやく伊勢で魚の行商を始め、夫とよりを戻して魚屋として商売に励むが、戦争の時代に巻き込まれていく。軍と結びつく商売をしていたため、敗戦とともに責任を感じた夫の自決と、長男の戦死という苦難に見舞われた。この激動の時代の中で、浩太・加代もそれぞれの人生を歩み、過酷な運命をたどっていく。
田中裕子は当時28歳。テレビや映画ですでに実績を挙げており、人気もあった。少女編の大反響を引き継いで、中年期まで見事な演技を見せる。アジア圏での知名度はいまだに高いという。

乙羽信子が演じたのは、戦後に立ち直っていく1950年以降。魚屋をスーパーマーケットに改装し、やがて三重県内にチェーン店を展開して成功するが、一方で家族との間では問題が絶えず、苦労話が煙たがられるようになる。そしてひたすら利益追求をはかる次男の経営方針が、大きな危機を招く。それはおしん自身の選択でもあったが、浩太がそこに手をさしのべ、危機は土壇場で回避されるのである。ただし、実質的にはこの時期は長い「エピローグ」に見える。おしんを苦難に陥れた時代の制約は取り払われ、基本的には成功物語になって、本人も家族もおおむね順調に歩むからだ。田中裕子の最後の登場回を映像でみると、まるで最終回のように作られている。「戦後」はこの時期、歴史となるほど古びてはいなかった。そういう意識が反映されているようだ。

ホームドラマを多数手がけ、大河ドラマ「おんな太閤記」を世に出していた橋田壽賀子の、渾身の一作だった。ある女性の生涯をつづった手紙をきっかけに、自らがあたためていた構想や、激動の時代を組み合わせ、東北から九州までを舞台とする壮大なストーリーである。女の一生からみた、日本の20世紀を描いたといってもいい。
おしんは少女時代から過酷な運命に見舞われるが、持ち前の根性と器用さで乗り切っていくストーリーは、中盤まではある種の爽快感がある。ひたすら「辛抱」しているヒロインではないのだ。一方で、佐賀での姑による仕打ちは観ていてもつらい。そしておしんは戦争協力に踏み込む庶民の一人であり、戦後は愚痴の多い姑ともなっていく。戦後編は橋田壽賀子お得意の嫁姑・家族劇だが、どこかコミカルになってしまう「渡鬼」と比べると、それまでの歴史を踏まえているので重みがある。

それにしてもよく計算された脚本で、話のスピードが速い。15分の中できちんとヤマ場を作り、次回への引きを作る。これは、1週間で話の区切りをつけることが主流になっている最近の朝ドラとは明らかに違う。そして何より、丁寧に作っていることがわかる。セリフやナレーションでしっかり説明し、行動描写もぬかりない。そして、「本当の幸せ」は「経済的な豊かさ」では得られないのではないか、というメインテーマが明確である。いろんな苦労はあるが、現代のおしんが登場するので安心感があるし、おしん自身が自らの行動を批評する視点もあって、本編が相対化される効果もある。

もちろん描写に古さは感じるが、世界で受け入れられた普遍性と、話の「強度」を感じる。何よりも脚本家に書きたいテーマがあり、それに応える役者とスタッフがいた。おしん風にいうなら、今のテレビドラマは「何を失ってしまったのだろう」。そして、36年もたっているのですでに故人となった出演者も多い。ちょっと切なくなるのだ。



ktu2003 at 17:15コメント(0) 

2019年01月20日

相変わらずごちゃごちゃしている。

金栗四三は海軍兵学校の受験に失敗したので、志望を東京高等師範学校に変え、これに合格した。あこがれの嘉納治五郎が校長である。そして美川孝信とともに東京へ。とはいえ東京ののりにはどうもついていけず。

夏休みに帰郷したところで、幼なじみのスヤが女学校を卒業して見合いをすると聞かされる。ちょっと残念に思う。自転車を思いっきりこいで、見送りには来てくれたのだが。
東京に戻り、偶然にも学生たちの競走大会に出会う。長距離走、すなわちマラソンとの出会いである。

まだまだ人物紹介のパートが多い。今回は三島家が少し詳し目に紹介されたのだが・・・。
猥雑な明治末期の東京。この雰囲気は確かに大河ドラマとしては異質で、楽しめればいいのだけれど。


ktu2003 at 20:38コメント(0) 

2019年01月19日

日本は超高齢化社会である。
それは世界でももっともスピードが速いという。人類史に前例のない社会がやってくるということだが、するとエンタメの世界はどうなるのだろうか。

刑事ドラマは昔から作られてきて、一定の視聴率を見込めることから今もよく作られる。今季もそうだが、高齢化社会をまさに反映するような設定のテレビドラマが2本ある。

「メゾン・ド・ポリス」は、若手の女性刑事が主人公だが、捜査を助けるのは退職したかつての元刑事たち。演者は70代2人、60代2人。そして40代の西島英俊が主人公との間をつなぐという感じ。若者をベテランが取り囲む構図。主人公を演じる高畑充希は若手とはいえ演技力には定評があるし、若い世代向けの作品でも実績がある。

もう一本は「記憶捜査」。こちらは主人公がベテラン刑事で、定年間際に捜査中のケガで車いす生活となったが、能力を買われて定年後に再任用された、という設定。そして主人公とともに捜査にあたるのが、若手の男女という設定。北大路欣也は言うまでもなく大ベテランだが、共演の風間俊介はすでに実績十分。上白石萌音は若手の注目株の一人である。

一目瞭然だが、両者とも若手とベテランとの組み合わせ。それも、親子かそれ以上の年齢差がある同士だ。そして活躍するのが定年を過ぎた人物。テレビが年配者中心の娯楽となる中で、こうした作品が多くなってくるであろうことは予想されていたが、それが刑事ドラマの世界においても明確化したといえる。

社会が高齢化しているということは、芸能人も高齢者が多くなってくるということになる。彼らをどう起用するかという場合に、設定もそれに合わせたものになる。ただ、それだけでは若い世代に振り向いてもらえない。そこで、若い世代に人気があるキャストと組み合わせるのだ。同時に、若い芸能人が年配層に知名度を広げるきっかけにもなるだろう。

おそらく刑事ドラマ以外でも、ベテランと若手が組み合わさった設定のドラマは増えるだろう。さてそれで、若い世代のテレビ離れを食い止めることができるだろうか。




ktu2003 at 20:08コメント(0) 

2019年01月13日

とりあえずレビューを続けようと思う。

今回からは、志ん生のシーンを挟みながら、金栗四三のおいたちを描いていく。
接点はまったくないけれど、志ん生は金栗の1歳年上。まさしく同時代人だ。

熊本の田舎に生まれた四三。病弱な父に代わって、長兄が育ての親のようなもの。
その幼い日、熊本に嘉納治五郎がいた。のちに大きくかかわる二人が、同じ地域にいる。日本は島国で、人は多いがつながりは濃密だ。そして、同じ場所にはのちの文豪・夏目漱石も教員としていたりする。こういう小ネタが楽しい。

体を丈夫にするため、また学校に通うため、四三はとにかく走る。そして「いだてん」と呼ばれるようになり、自ら海軍を志望するが、目が悪くで試験に受からず。幼なじみのスヤに励まされる、というくだり。スヤはのちの金栗の伴侶になる女性。実家は医者で、女学校に通っている。その恰好は「はいからさん」だ。そして自転車を乗り回す。

一方志ん生は幼いころから放蕩三昧。店の代金を払わず逃げ回りながら飛び込んだ寄席で、名人・橘家圓喬の落語に出会う。ほぼ同じころの話だ。

とにかく走る走る。四三も、志ん生も、スヤも。そして明治時代こそが、是非はともかく疾走の時代である。熊本は西南戦争の激戦地。去年の大河とのつながりも意識しつつ。たしかに大河ドラマではなかなかない、スピード感と活気にあふれる世界観だ。

ktu2003 at 21:34コメント(0) 

2019年01月06日

どうなるかわからない、異色の大河ドラマが始まった。
33年ぶりに近現代を舞台とする。テーマは「オリンピック」。
脚本宮藤官九郎、音楽大友良英、制作統括訓覇圭、演出井上剛、とくればそう、「あまちゃん」の製作スタッフが勢ぞろい。異色の朝ドラで一大ブームを巻き起こした彼らが、今度は大河ドラマでまたも異色作を提示してきた。

1話目から異色である。はじまりは1959〜60年。古今亭志ん生がオリンピックについて語っているシーンと、東京五輪招致活動に携わる人々。そこから時間をさかのぼり、明治末年の東京。若き日の志ん生に絡む街の人、そして嘉納治五郎。2つの時間が、流れている。

1話目の主役は、嘉納治五郎だった。オリンピックというものの存在を知り、そして参加を決断し、選手の選考を始める。「スポーツ」の概念が理解されていない時代。世間の無理解がありながらも、それをものともしない嘉納の思い。そして何かよくわからないがスポーツを楽しむ若者の集団・天狗倶楽部。そして選考会のマラソン種目でトップを切ってゴールしたのは、東京高等師範学校の金栗四三だった。なんと、主人公とアナウンスされていた人物は最後の最後に登場。

いわば今回は「オリンピックはじめて物語」という趣き。大河ドラマというよりは、歴史教養番組の再現ドラマのような印象があった。合間に資料映像や写真が多数入ってきたせいもあるだろう。これまでの近現代を舞台にした大河では、こういう演出はなかった。

とはいえ描かれていたのは「スポーツ」をテーマとする上で重要な点。永井道明がオリンピックのマラソンで起こった事態をみて、「選手に国を背負わせること」の危険性を指摘していた。また、当時の日本が「体育」を重視していたこと。スポーツを楽しむのではなく、日本人の体格を向上させ、ひいては強い兵士を作り出すことが国家的課題であったことがささやかに示される。これに対して嘉納はお互いを尊重する真剣勝負、というオリンピックの理念を説く。いまだに対立が続くスポーツ界での「楽しさ」と「厳しさ」に対する見方が早くも提示されている。これはやがて、国策に翻弄されるスポーツ界、そして重圧を受ける選手が描かれる前振りだろう。

どうやら2回目からは、金栗の生い立ちを描いていくようである。1回目を見ただけでは、面白さを判断するのは難しい。宮藤作品ではいつも言われることが、果たして視聴者がついていけるかどうか。

ktu2003 at 21:09コメント(0) 

2018年09月23日

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このドラマに引きつけられた。
沖田✕華作の漫画原作。90年代後半を時代設定に、産婦人科病院の日々を描く。
作者の看護婦時代の体験をもとにしているという。

青田アオイ(清原果耶)は高校3年生。看護婦を目指しており、そのための経験として産婦人科病院でアルバイトを始めた。初日から出産と、中絶手術に立ち会うことになる。産婦人科を訪れる妊婦とその家族たち。妊娠・出産は「病気ではない」のだけれど、無事に済むことは決して当たり前ではない。そういう瞬間が、日常でもある。

妊婦たちの体調も様々である。精神的に参ってしまう人もいる。つわりがひどい、持病を抱えている場合も。人間関係も様々である。不倫相手の子を産む。未成年で妊娠してしまう。夫との関係に悩んでいる。夫が死の危機に瀕している。出産後に間もなく亡くなってしまう人も。あるいは、赤ちゃんが先天的異常で長く生きられないということも。

そういった一つ一つの重い話が、折り重なるように展開するが、あくまでも病院においては日常。アオイは看護婦ながらバイトなので何もできず、傍観者的位置にいる。とはいえアオイは素直な心持ちの少女。病院で出会う人々の気持ちを理解したい、と空気を読まずに行動することがある。少し滑稽さを盛り込みながら、時にその純粋な行動が事態を動かすことがある。

アオイ自身も発達障害を抱えていて、物事に熱中しすぎて周りの状況を考えられなくなり、突飛な行動でトラブルを引き起こしていた。そのことで、母との関係に長年悩んでいる。そんな状況も、産婦人科で働くことで、生命の奇跡、母親の思いを感じて変わっていくのである。

テレビの医療ドラマは今ほんとに多い。ヒロイックに医師を描くものもあれば、病院内での権力争いなどを娯楽として描く場合もある。視聴率も全体的に好調だ。だがこの作品は医師も、看護婦も、もちろん患者も悩み、苦しみ、そして容易でないながらも答えを模索する。そこにリアルさが感じられる。何かを決断しても、人生はその後も続く。答えが正しいかどうかはわからない。ある種ドキュメンタリーのように、淡々と話は展開する。

主演の清原果耶はこれが初めての主演ドラマだが、いい作品に出会ったものだ。そして演技も素晴らしい。実際に生まれたばかりの赤ちゃんを扱うのは緊張を伴っただろうし、展開される物語も重いが、本人のリアルな受け止めのように伝わってきた。裏番組で20代の女優が高校生を演じる話をやっていたわけだが、実際の高校生を観るならこっち、という側面もある。

NHKらしい、真摯に作ったドラマだ。



ktu2003 at 08:30コメント(0) 

2018年07月24日

 アニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)の製作委員会が、TBS系で放送中の実写ドラマ版の内容などについて「一切関知しておりません」と表明した。(日刊スポーツ)

クレジットにてっきり「special thanks」とあったものだから、製作委員会とやりとりがあったのかと思っていた。ではこの謝意には何の意味があるのか。何かを参考にしたのかどうなのか。いずれにしても無断でこんなクレジットを入れるのは、マナーに反する。通常は、何等かの形で協力した相手に対するメッセージである。

同じ原作をもとにした作品だから、セリフや表現が似通ったからといって問題だとは思わないし、映画と表現が似てくるところもあるかもしれない。ただ、この企画自体映画の大ヒットに便乗したものではないのか、という不信感がある。

映画はクラウドファンディングを使うなど、製作費調達にも苦労したし、当初は「戦争もので地味だし当たらない」と思われていて上映館数も少なかった。しかし片渕監督はじめスタッフは実に綿密に考証をやって、当時の料理の再現までやったのである。そんな作業が5年あった。そして主役に起用したのは事務所ともめて干された女優である。テレビで番宣も一切できなかった。地味な作品とはいえ、通常なら朝ドラ主演女優が声優として主演する作品では、考えられないことである。圧力の存在は明らかになっている。そうした悪条件を越えて観客が押し上げた映画だ。

別に便乗でもいいと思っていた。私も漫画原作の時から注目していてブログでも取り上げていたし、作品が広く知られるのは原作者も儲かるからいいことだ。だが、前にブログでこうも書いた。
「映画のイメージを上書きすることよりも、ちゃんとリスペクトしてほしいと思う。」
で、「リスペクト」の方法がこれでは、ちょっと失望どころか怒りすら覚えるのだ。

出演する俳優陣も、製作側も、インタビューなどで不自然なくらい映画にふれなかった。たとえば、「映画が素晴らしかったので、それに負けないような作品にしたい」という一言でもあれば違ったと思う。これができなかったのは、あるいはのんの演技をほめなきゃいけないからか。TBSは映画の大ヒットについてもっとも報道が少なかった局である。邪推だが、映画大ヒットを受けて企画がスタートしたところで、映画に触れないよう統制をしいたのではないか?

TBS側はこう反応している。「Special thanksについては、先行して公開されたアニメ映画への尊敬の念を評したものです」「ドラマ版については、当社が独立して制作したオリジナル作品です。声明の公表について、当社としてコメントする立場にありません」

少なくとも今までのTBSや製作サイドの姿勢をみると、とってつけた感は否めない。オリジナルな部分はあるから、その部分を含めて映画版と競いたいなら競えばいいと思う。おのずから結果は明らかだろうが。



ktu2003 at 21:53コメント(0) 

2018年07月16日

果して視聴し続けるかどうか、ちょっと迷ってしまう内容だった。
原作も映画のできにも満足していた人間としては、ドラマは非常にハードルを上げてしまったからなのかもしれない。

もちろん漫画・アニメと同じ表現をする必要はない。実写ならではの部分があっていい。ただ、本編をみると説明的な部分が補われただけで、実写ならではのいい部分というのが見えてこなかった。脚本家の岡田氏は戦時中を描いた経験もある。俳優陣をみても、NHK朝ドラを意識した描き方をしたいのがよくわかる。プロデューサーもそう言っていた。ある意味「朝ドラ」的に戦時中を描くというのなら、それはまったく新しくないのではないか。経験的に水準に達するものはできるが、それ以上ではない。
原作やアニメに「忠実」ではあった。映画の製作委員会に感謝するテロップも出た。だが、「忠実」であることは単に雰囲気を似せればいいというものではない。

原作は、実際はそれほど大きな事件が起こるわけでもなく、淡々と日常が進んでいき、その中に多少の波風も立ち、じわじわ戦争が入り込んでくる、というストーリーだ。だから評価は高かったが大ヒットはしなかった。だが新しかった。それは、ところどころ入るコミカルな描写であり、そして緻密な日常描写である。

コミカルな描写が少なかったのも気になった。娯楽性という意味ではやはり、「朝ドラ」風にしてしまうのは厳しいのではないか。映画は、実は娯楽性が非常に高かったことは周知のとおりである。笑いあり涙あり、男女のつながりもあり。しかるにドラマは、全体的にトーンが暗い感じがしたのである。要するに、ストーリーは知っているから、おっという描写がないと眠くなってしまう。

すずというキャラクターの作り方も難しい。18歳とはいえ、原作では基本的に大人である。自己主張はしないが感じるものはあるし、女性としての感情も露わにすることがある。アニメーションではのんが解釈して、子供っぽい部分を残しながら大人へと成長する物語として描くことに成功した。ドラマはどうか。松本穂香の雰囲気は悪くないが、1話段階ではキャラクターが固くて、見えてこなかった。経験が浅いだけに、演じることで精いっぱい、となると作品の質を上げるのは難しい。どういう方向性をとるのだろうか。

謎の現代パートもある。ああ、普通の発想だとこうなるんだ、というもの。現代と過去を地つづきにさせたいとき、現代人を登場させるやり方だ。これは多くの戦争もので使われた手法である。連続ドラマということで、時間を埋めるための発想かもしれない。

ktu2003 at 08:01コメント(0) 

2018年06月03日

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鬼太郎が最初にアニメ化されたのは1968年。それから今年は50周年である。それを記念して、6度目のアニメシリーズが始まった。なかなか出来がいい。50年ともなると、その変遷を分析するだけで歴史叙述が出来る。
「ゲゲゲの女房」にも描かれたように、アニメ化にあたってはすんなりといったわけではない。「墓場鬼太郎」を当時のアニメのメインターゲットである子供向けにどうアレンジするか。これが課題となった。タイトルを変え、さらに絵柄も変えて水木しげるは対応していくことになる。

第1シリーズは子供向けにストーリーをマイルドにし、鬼太郎が妖怪を懲らしめるという基本構図を作り出した。鬼太郎の声を演じたのは若き日の野沢雅子。記念すべき初主演作だそうである。まだ画面は白黒だった。そして3年後に制作された第2シリーズは、第1シリーズの続編として制作され、原作に近いやや暗めのストーリーやオリジナルも多く、のちのちまで長く再放送された。私もこの第2シリーズの再放送が鬼太郎にふれた最初だった。

このあと水木しげる自身が低迷期に入ったこともあってブランクが空く。妖怪という題材が時代に合わなくなっていったのかもしれない。
85年の第3シリーズは大胆に原作のコンセプトを転換した。主題歌をポップにして、オープニングはビル街から鬼太郎が一反もめんに乗って飛んでくるというシーンから始まる。現代社会の中で肩身の狭い思いをしている妖怪と、人間がどう共存していくのか?そのために鬼太郎は奮闘する。人間の女の子・夢子をレギュラーとして配し、鬼太郎が仲良くなって妖怪から守ってあげる、というヒーローアニメとなった。このシリーズで「鬼太郎ファミリー」として砂かけ婆・こなき爺・一反もめん・ねこ娘・ぬりかべが位置づけられる。鬼太郎はさまざまな武器や技を駆使していく。以後のシリーズの基盤を作ったのである。そして空前の大ヒットとなり、水木しげる自身の懐をも再生させた。

第4シリーズは96年。原点回帰を掲げ、原作に比較的近いダークな雰囲気に戻す一方で、現代に合わせて原作の話が変わっていくのもこのシリーズからである。第5シリーズは2007年。さらに現代的な雰囲気へと変わっていき、ねこ娘がメインヒロインとして話を動かしていく存在になった。妖怪47士の設定など、長期シリーズ化を狙ったが挫折したという。

そして今回は、原作者水木しげる死去後初のシリーズとなり、目玉おやじの声優を務めてきた田の中勇も死去して、後釜に初代鬼太郎の野沢雅子がつく、という意外なキャスティングとなった。そして第3シリーズ以来となる人間のヒロインとして中学生・まなが設定されたほか、ねこ娘が長身の美少女となるなど、女性キャラを前面に押し出そうとする戦略が見える。そしてブラック企業問題や電力自由化、高齢化社会やストーカーなど、現代社会を風刺する狙いが明確である。スマートフォンを妖怪が当たり前に使用するのも面白い。

他のアニメの長期シリーズに比べると、時代ごとの変化が非常に大きいのが鬼太郎の特徴だ。この分析を精緻にやれば研究書がたぶん一冊書ける。なるほど、こういう商売を続けて、水木プロは水木しげる死後も存続していくのか。


ktu2003 at 18:19コメント(0) 

2018年05月06日

TBS日曜劇場「この世界の片隅に」(7月スタート、日曜後9・00)の取材会がこのほど横浜・緑山スタジオで行われ、主人公の北條すず役を女優の松本穂香(21)が演じることが発表された(スポーツニッポン)。

今の日本のテレビ業界としては、かなり力の入ったスタッフとキャストをそろえたという印象はある。考えてみれば、映画の大ヒットがなければなかっただろう企画だと考えると、いまだ芸能界の闇に包まれているのんが前代未聞の影響を与えているともいえて、ちょっと痛快ですらある。
と同時に、もしその制約がなかったら、やはりのんがキャスティングされたのだろうか、と思うと、映画のファンものんのファンも釈然としない気持ちが残る。その点でいうと、スタッフとキャストはあらかじめハンディを背負っているとみることもできる。

主演はキャリアの浅い女優になるだろう、という見立てのとおりだった。もちろん主人公の設定年齢もあるが、松本穂香は連ドラ初主演。のんと雰囲気が似ているともいわれており、強烈に意識しているとみられる。夫・周作は松坂桃李。イメージ的には悪くない選択だと思う。義姉の径子に尾野真千子を配してきたところには、本気度が感じられる。
他のキャスティングも力が入っていることがうかがえ、脚本の岡田恵和は朝ドラで時代物を書いているし、音楽に久石譲を起用するのも異例のことだ。

設定が変更される部分もある。すずの隣組での主婦仲間は、原作では中年女性だが今回は同世代になった。ここから話を広げたいという意図があるかもしれない。連続ドラマ化ということになると、映画でカットした原作の部分に加え、オリジナルのストーリーもある程度入れないと話が作れないだろう。

もっとも壁になるのは時代考証や戦闘の再現である。呉から古民家を移築したという発表がされているが、ここはかなり難関になる。予算的にはドラマとしては潤沢に使えるにしても、CGを多用せざるを得なくなりそうだ。料理をきちんと再現するのかとか、遊郭をどう表現するかなども課題になる。

実は映画の大ヒットなどに関して、もっとも報道が少なかった、というより皆無に近かったのがTBSであった。もしかするとこの企画を意図していて取り上げなかった可能性もあるが、映画のイメージを上書きすることよりも、ちゃんとリスペクトしてほしいと思う。映画のヒットに乗った安易なつくり方では通用しない作品である。

もっとも、この作品によって映画への関心が高まればそれは良いことだ。のんがどういう形でもかかわらないのだとすれば、このドラマの意味はむしろそこにある。


ktu2003 at 07:43コメント(0) 

2018年03月21日

こうの史代「この世界の片隅に」のテレビドラマ化が決定した。今夏放送される(コミックナタリー)。

テレビドラマ化自体はすでに2011年、単発作品としてなされている。北川景子が主演だったが、あまり話題にはならなかった。今回の企画はもちろん、アニメ映画の大ヒットをうけたものである。

それにしてもハードルが高い。誰が主演を務めるにしろ、映画との比較はまぬかれない。のんの声優としての演技が、ヒットの大きな要因であったことは誰もが認めている。そして声の演技だけで、個人の映画賞を獲得するという異例の評価を得た。したがって、今回の実写版でものんがやるべきだ、という声が大きくなるのは当然である。他の女優に、この役を納得させる形で演じることは可能だろうか。ましてや、のんの現状抱える事情を踏まえると、芸能界の力学が見えてしまうだけで作品にとってマイナスになるのではないか。のん以外の女優が主演する場合の反発は、尋常なものにならない気がする。私自身も基本的には受け入れがたい。

また、緻密な時代考証が可能かという点にも疑問が残る。単に戦前の風景を再現すればいいというものではない。実際にはCGを使ったりすることになるのだろう。それでリアリティを伝えられるかどうか。「戦争もの」の実写作品の今後を占うものになる。

この作品を受け入れられる条件があるとすれば、以下の点が満たされる場合だろう。
・のんが主演を務めること。これなら、自らがつくったハードルをどう超えるかという見どころができる。長いブランクは明らかにマイナスになるが。本格的な女優復帰作になるのであればなおよし。
・のんが他の作品で女優復帰している。その場合は、完全に割り切ってお好きにどうぞ、ということになる。

発表の仕方から考えると、民放の通常1クール作品の枠とは違うのではないかと推測される。7〜9月の放送にしては発表が早すぎる。




ktu2003 at 06:46コメント(0) 

2018年03月17日

視聴率では10%前後だが、内容評価は今クールで圧倒的だった。
「これはおもしろそうだ」と観てみて、期待通りだった数少ない作品でもある。

一昨年、「逃げるは恥だが役に立つ」のヒットを飛ばした野木亜紀子が挑んだオリジナル脚本。題材は法医学である。日本では法医学の専門家が少ないため、解剖されない変死体が多数あるという。その問題を解決するため設置された民間施設「UDIラボ」。その活動を描く。組織自体は架空だが、最近実際にこうした趣旨の施設設置が検討されていたという。ここに、架空の話ながらリアリティがある。

法医学といえば、98年に「きらきらひかる」というドラマがあった。漫画原作を大胆にアレンジし、続編も作られたほど好評だった。この作品を思い出してみると、主人公の新米医師を中心に、女性たちが死因究明から事件解決を目指すというもの。当時のフジテレビらしく、娯楽性に徹しつつも事件の背景や人物をしっかり掘り下げて、「死体は語る」というテーマをうまく見せていた。1話完結ながら、最後は戦争や原発事故、震災といった悲劇を背景とする物語へと収斂していった。

最初は二番煎じ的なものかと思っていた。しかしまったく違っていた。情報量の多さに面食らった。主人公をめぐる物語はそこそこに、「事件を法医学の観点から解明する」という部分があくまで中心。そのため事件関係者はそこまで掘り下げられず、医師たちの活動が中心となる。そこに織り込まれるのはむしろ、現代社会の問題点である。今のトピックとあまりにも重なる点が多い、と驚きの声が上がるほどに、事件や社会問題とシンクロしていった。自殺志願・下世話なマスコミ・ブラック企業・女性蔑視・仮想通貨・いじめ問題そして最終回では文書改竄を要求される、というところまで。昨年段階で脚本は書き上げていたというから、偶然には違いないが、いかに社会を見つめるアンテナがしっかりしていたかを物語る。

1話完結ではあるが、大きな物語として用意されたのは、医師・中堂の恋人を殺した人物を解明すること。中堂は報復を辞さない姿勢だったが、土壇場でそれは回避され、そして恋人の遺体から決定的な手掛かりが見つかる。

なんといっても強引な展開に説得力を持たせるスピード感があった。そしてUDIラボのリアリティ。登場人物のドライな会話。しかしどの人物も一癖ある。まるで海外ドラマのようだ、という評も多かった。所詮は架空の話に、どうやってリアリティを持たせるのか。海外ドラマが人々をひきつけるのは、実はその力量の差なのだと思う。日本の場合はキャストや予算に制約がありすぎ、リアリティよりもそっちが優先されてしまいがちだが、本作はよく頑張っていた。

続編は必ず作られるだろう。


ktu2003 at 09:26コメント(0) 

2018年03月08日

こういう追悼の仕方がある、と目を見張った。

いまだに信じられない。元気いっぱいに活動していた大杉漣が急逝した。あと3日で撮影を終える予定だったようである。
脚本を急遽変更し、追加のシーンも撮影して最終回までこぎつけた。

昨年1月からテレビ東京系深夜枠で放送されたドラマで、好評を博して続編が制作された。映画に備えて日本を代表するバイプレーヤーたちが、共同生活をするという内容。それぞれが自分自身の役柄を演じ、どこまでが演技でどこからが素か、わからず、そして和気あいあいな雰囲気を醸し出した。

今回は、朝ドラ撮影のため島に向かったところ、勘違いで遭難するなどの経緯を経て、島で共同生活を営みながら、端役で撮影に参加するという内容だった。

最終回は3割程度しか撮り終えていなかったという。おそらくはオフショットと思われる、大杉が楽器を奏でているシーンは感動的だった。共演者・スタッフへの感謝の挨拶、「大杉漣記念館」の構想など、あまりに暗示的すぎる。この作品が最後だなんて、誰も思わなかったに違いないが、最後まで現場の人でいられたのは、役者にとってこれ以上幸せなことはないだろう。

そして作品を完成できたのは、架空の物語ではなく、本人役というちょっとノンフィクションが入った内容だったからでもある。あらゆる役柄を演じてきた大杉が、最後は自分自身の役を演じて逝ったというのは、偶然にしてはできすぎというしかない。それにしても惜しい。

このメンバーで続編が作られることはもうないだろうが、このドラマのようなノリは別のキャストでまた考えてみたら面白いかもしれない。テレビ東京には期待したいところである。


ktu2003 at 19:28コメント(0) 

2017年12月30日

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2017年のアニメは「けものフレンズ」が最大の話題を集めたが、密かに高い評価を得ていた作品があった。

ジブリの名作「耳をすませば」的な要素もあるし、昨年の大ヒット作「君の名は。」を思わせる要素もある。もしこの両作品を好むならば、必ず心に響くであろうという内容である。

舞台は小江戸と呼ばれて古い町並みの残る、埼玉県川越市。中学3年生の男女の初恋を描く。今時太宰治のファンで、小説を書いて投稿しているという文学少年の安曇小太郎。陸上部の短距離選手で、走ることが大好きな水野茜。この二人、どちらもシャイでお互いに学校ではあまり話ができない。そんな二人が意識するようになって、やがてLINEでやり取りするようになり、そして恋愛へと発展していくというもの。

こういう設定の場合、どちらかが学校内では目立つ存在で、もう一方は地味で何の取り柄もない、というパターンがありがちだが、本作の場合はそうではない。小太郎は勉強もスポーツも大したことはないが、小説家を目指して行動しており、また地元の祭りで御神楽を担当していて、大人たちの知り合いも多い。そしてクラスには気のおけない友達もいる。一方、茜は陸上の短距離選手としてはかなり優秀な成績を収めていて、勉強もそれなりにできる。もちろん容姿も悪くない。ただ人前では極度に緊張するたちで、クラスではグループの中でもあまり本心を表に出すことができない。

そんな二人が体育祭の同じ準備係になったことからLINEをやり取りするようになり、小太郎は茜の短距離走をみて、茜は自分の失敗をうまくフォローしてくれた小太郎に感謝して、互いを意識するようになる。そして小太郎の告白を茜が受け入れて、密かに付き合いはじめるが、両者にそれぞれ恋敵が出現する。

三角関係ないしは修羅場が展開するかと思いきや、そこまで重い展開にはせず、それなりに葛藤はあるものの、二人の気持ちは揺らがない。恋愛において小太郎が、茜をリードする行動力を見せるからだ。
むしろ障害になるのは進路の問題である。茜は父親の転勤で千葉に引っ越すことになり、千葉の私学を志望。小太郎も同じ学校を受験しようとするが、母親に反対されたり、そもそも学力が足りないという中で無理をすることになる。

ほんとうに胸をかきむしられるような、あるいはもどかしい、中学生の、あるいは初恋の気持ちを思い出させてくれる作品だった。制作者は実際に中学生に取材を重ねたというが、LINEというツールが現代の中学生にとって果たしている役割の大きさと、しかしそれ以外は昔とそれほど変わらない、素朴な恋愛事情があるのだという。そういう意味では、お互いの気持ちの変化には、時代を超える普遍性がある。

お互いに打ち込んでいる対象があって、その姿を好きになって、という意味では「耳をすませば」だし、地域の風景を美しく描写し、神社や祭りといった和の文化が話の大きな舞台になっているという点では「君の名は。」と共通する。

大きな事件が起こるわけではないから、ストーリーが面白いというわけではないが、多くの人が経験してきた中学生や初恋のころを思い出す内容で、感情移入してしまう作品だった。時々は、こういう作品で心を浄化したい。


ktu2003 at 19:28コメント(0) 

2017年04月21日

この春、テレビ朝日が昼間に帯ドラマ枠を設定した。
その第一弾として放送されているのが、「やすらぎの郷」。倉本聰が脚本を書き、主演の石坂浩二はじめ、70代以上の俳優が顔をそろえるという、かつてない作品である。

高齢化社会の進展とともに、テレビを観る視聴者の傾向も、高齢化社会を反映したものとなってきつつある。若い世代向けの番組が視聴率が上がらない。すでに、子ども向けのアニメーションはほぼゴールデンタイムから消えている。そして、いわゆる「学園もの」と呼ばれる中・高校生役が多数登場するドラマも、そういえばほとんど消えてしまった。フジテレビ「月9」の低迷は、恋愛ものがうけなくなってきた象徴とも指摘される。

一方で、中高年以上の視聴に耐える番組が増えているのかというと、そうでもない。やはりスポンサーは、消費意欲の高いより若年層向けのCMを打ちたいのであり、そうした層の観ない番組には関心が低いともいわれている。テレビ局もやはり若者向けの番組を作りたい気持ちが、まだまだ強いようだ。ところが、肝心の若い世代がテレビから離れていっている。視聴率が上がるのは、比較的高齢者も観る番組になってきているのが現実だ。

すでに、テレビ東京が「三匹のおっさん」で60歳の3人組をヒーローとしたドラマを作って成功。テレビ朝日は「相棒」に代表される中高年向けシリーズ化路線が成功しており、この春も安定した成績をあげている。「やすらぎの郷」のような作品が出てくるのは、当然の流れである。

舞台は往年のスターが集う老人ホーム。そこで繰り広げられる、元スターたちの人生模様。まだはじまったばかりで方向性は不明だが、高齢者には高齢者しか表現できないテーマがたくさんある。ではより若い世代に道はないのかといえば、そうではない。若い芸能人はこういう作品に出て、ベテランと絡んで勉強し、高齢者にも顔を売れば、若者人気とは違った安定した知名度と人気を得ることができる。視聴者は親世代・祖父母世代の考え方を知ることができる。おもしろければ年齢は関係ない。

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2016年12月19日

大河ドラマ「真田丸」が完結した。

たびたびささやかれながれも、題材として取り上げられなかった戦国時代の武将、真田信繁が、ついに登場、そして三谷幸喜2度目の大河ということで、注目された。主演はこれもいまもっとも実力と人気のある堺雅人。

観終わって、第一の感想は「時代劇でありながら同時代的な視点で見せてくれた」ということだった。つまり、後世の人間から見た視点ではなく、あたかもその時代の人たちが考え、見ていたかのような視点で描かれた時代劇ということである。その要素を出すために、「真田が関わらないことは描かない」という手法がとられた。

したがって、本能寺の変や関ケ原の戦いといった大事件は、ほぼ説明だけで終わった。そして情報を真田家は聞くだけであり、そして驚くのである。それは最後までつらぬかれ、大坂夏の陣にしても秀頼親子の最期は描かれなかった。

第二の感想は、最新の歴史研究の成果を効果的に盛り込んだということである。これは時代考証を担当した先生がツイッターでつぶやくという、新たな展開もありながら、「国衆」という概念や信繁の豊臣家とのつながり、災害が与えた影響、そして秀頼の人物像などを、話を面白くする材料として使ったのである。数年前の「清盛」ではかなりの批判を浴びてしまったが、今回はそういうことは聞かれなかった。

第三はキャラクターの面白さである。特に、昌幸の草刈正雄、きりの長澤まさみは、そのキャラクターが際立っていた。昌幸はまさに主人公的な役割を担ったし、きりは現代人のような言葉遣いで浮き上がっていながら、最終的にはちゃんとヒロインだった。

視聴率的には大したことはなかったが、経済効果はかなりあった。また出演者が地方でイベントに積極的に参加し、宣伝した。ネット上でも盛り上がった。たぶん、ヒットの指標がこれまでと変わりつつあるのだろう。

そういうようなことはありつつも、やはり今のテレビ界、時代劇の現状を示していると思うのは、戦闘シーンの迫力のなさである。今回は戦闘シーンそのものが売り物ではなく、三谷お得意の会話劇だったといえるのだが、戦闘シーンに昔ほどお金もかけられないし、演じる役者も難しくなっているのだろう。「大河ドラマ」という枠組みが果たしていつまで続けられるのか、今年は「大河ドラマ」を再生したとまでの成果が上がったとはいえない。

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2016年11月20日

 NHKは16日、2019年の大河ドラマが、五輪を題材にした企画に決まったと発表した。脚本は連続テレビ小説「あまちゃん」の宮藤官九郎氏(46)が書き下ろす。東京が主な舞台となる群像劇で、タイトルや出演者は未定。(朝日新聞)

つい先日、再来年の大河のネタが発表されたばかりだというのに、もう3年後の内容が発表された。制作スタッフは「あまちゃん」と共通の布陣。

大河ドラマについては以前改革を論じたことがある。
http://blog.livedoor.jp/ktu2003/archives/52084058.html

そして、33年ぶりに近現代が扱われることになった。題材はオリンピック。スポーツというのはうまいと思う。政治的な分野はやはり扱いづらい。経済人や文化人を扱うこともできるが、ストーリーが地味になるおそれがある。その点、オリンピックとスポーツ選手ならば、戦前のエピソードによく知られたものもあるし、政治的な激動と関わりつつ距離をとることもできる。そして、1964年までとなればハッピーエンドで終わることができるだろう。

起点は1912年の日本勢オリンピック初参加から、ということになるようだが、日本選手が活躍し始めるのは昭和に入ってから。つまり、事実上は激動の昭和史が戦前・戦後を通じて描かれることになろう。これと、東京の街の変遷が絡んでくるという。主人公は特定の人物一人ではなく、群像劇のようなものになり、実在の人物も架空の人物も検討されている。おそらくは、これまでの大河ドラマの歴史にない、内容になりそうである。

成功するかどうかは不明である。いかに「あまちゃん」の布陣とはいえ。だが、このチャレンジにまずは敬意を表したい。いい加減に時代物はネタ切れなのであり、製作費の問題を考えても、近現代に踏み込むべき時であろう。「大河ドラマ」というなら、日本の歴史上でももっとも激動期だった「昭和」の時代こそふさわしい。問題は、何を題材にするかだった。そこに、2020年を控えたオリンピックというアイディアが浮かんだ。

「あまちゃん」を生み出した訓覇圭・井上剛のコンビは、今年「トットてれび」という黒柳徹子を通じた昭和芸能史ものを生み出した。このコンセプトが踏襲される可能性も十分にあるといえよう。そしてやはり期待されるのは、「あまちゃん」出演陣がどのような形で絡んでくるのかである。とくに声優として復活を遂げたのんが、主要なキャストを務めることにいやがおうにも期待が集まるだろう。東日本大震災を経験したヒロイン、第二次世界大戦を経験したヒロインを演じた女優が、今度は激動の昭和史に飛び込んでいく。そういう作品を、期待したいものだが。

ktu2003 at 19:00コメント(0)トラックバック(0) 

2016年05月10日

近年低迷が続いたNHK大河ドラマ。
今年だめならもう、という声すらささやかれていた。

「新選組!」以来2度目の大河ドラマとなる三谷幸喜が手がけたのは、真田一族。戦国時代の最後を飾った、大坂夏の陣の英雄・真田信繁を主人公とし、父・昌幸、兄・信之ら、真田家の物語を描く。

今や屈指の演技派俳優とされる堺雅人が主人公だが、英雄のイメージはない。史料に残る信繁の、むしろ温厚と評された部分を膨らませるのかもしれない。キャスティングも意外性がある。兄・信之は従来コミカルな役柄の多かった大泉洋。今回は面白みはないが確実な道を歩む長男を演じる。

そして序盤を盛り上げているのは、父・昌幸を演じる草刈正雄である。かつて、NHK時代劇で幸村を演じた俳優が、時を経てその親を演じる。もちろん狙ったキャスティングに違いない。この昌幸が、まさに権謀術数の限りを尽くすさまを、どこかおかしみをもって描いているのである。

大坂編に入ってからは、小日向文世扮する豊臣秀吉もいい。ダークな部分と、人当たりのいい部分が同居する、複雑な人格として演じており、権力者の怖さが感じられる。また、参謀石田三成を演じる山本耕史は、土方に続いてまたもぴったりはまっている。彼の年代で時代ものにしっかりはまれるというのは、貴重だろう。

正統派の時代劇ではない。言葉遣いもどことなく現代を思わせる。ヒロインの一人、きりを演じる長澤まさみなどは、完全に現代人を放り込んでいるような形。たいへん不評だったようだが、大坂に舞台が移り、成長を見せてきている。

どこか人を食ったような内野聖陽の徳川家康もいいし、怪演が恒例になった高嶋政伸の北条氏政もいい。2人とも、かつて大河ドラマで実績を残したことがある。

何より、ちゃんと歴史を知って描いてくれているのがいい。勉強不足を感じることがない。名前の呼び方など、細部にこだわりが見える。登場人物の人間関係もしっかりふまえて、伏線を張っている。その後を知っている後世の人間の視点ではなく、当時彼らがどう考えていたかに迫る形での描写は、面白い。重厚感はないかもしれないが、現代的な大河ドラマとして成立しているように思う。こうやって書いてくると、若干女優陣が弱いのかな、という気はするのだが。

この作品の有利な点は、真田信繁という人物が、人生の最後に最大のクライマックスを迎えるという点である。信繁は、真田家の次男坊で終わってしまう人物だった。その彼が、天下人をひやりとさせたシーンこそが、クライマックスになる。それに向けて、盛り上げるという作業ができる。

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2016年03月20日

今回が、ほんとうに「映像の世紀」の続編だったのである。
前回のシリーズが1995年だった。それからおよそ20年。

続編をやるとしたら、そこからはじめないといけない、アメリカ同時多発テロの映像。まさにあれは、その様子を映像でうつされることをも計算した上での所業でもあった。そして「テロとの戦い」へ。

映像で正当化をはかったアメリカに、アルジャジーラなどを利用してテロリスト側も対抗した。そしてその流れはやがて、自ら発信することによって対抗していく方向へと進んでいく。

2004年のスマトラ大津波の映像が、ほとんど市民によって撮られたことにヒントを得て、Youtubeが誕生。世界中から、映像が投稿されるようになった。そして、アラブの春へ。あるいは、世界を動かすムーブメントへ。

前回から一番変わったことは、前回までの映像が、特別な技術を持ち、編集する能力があり、それを発信する力を持った一部の人たちが作ったものであったのに対し、今回は世界中で、特別な能力も権力も持っていない人が、自由に発信したものが多くなっていたことだ。そしてそれが何をもたらすのか、まだ誰にもわからない。映像が革命を起こしたといわれたアラブの春も、今や見るも無残なことになっている。

新・映像の世紀は、前回に比べると演出過剰が目立ったが、だんだんよくなっていった感じもした。それがなぜなのかと考えてみると、前回は映像が語る「世界史」として精緻に組み立てられていたのに対し、今回は映像をストーリーに当てはめてしまう「ドキュメンタリー」だったからなのだろう。そしてそれは、現代に近づいていくにつれてしっくりきたのである。まだ、どういう「歴史」になるのかわからない度合いが大きいほど、はまる手法なのである。その意味で、今回のシリーズはやはり学校の教材としては使えない。

インターネットが起こし続けている人間社会の「革命」の、映像表現もその一つなのだろうと思う。これからも、予想もつかない波紋が、ネット上から起こるだろう。それだけは、確実に言えそうだが。


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2016年01月02日

昨年大みそかに放送された第66回NHK紅白歌合戦の平均視聴率は、第1部(午後7時15分〜8時55分)が関東地区で34・8%、関西地区で36・8%、名古屋地区で38・8%、北部九州地区で28・6%、第2部(午後9時〜11時45分)が関東地区で39・2%、関西地区で43・0%、名古屋地区で42・5%、北部九州地区で35・8%だった。ビデオリサーチが2日、発表した。(朝日新聞)

目玉不在といわれていたが、やはり視聴者は意外と正直だったともいえるだろう。
かつてほどではないにしても、今でも紅白歌合戦はあらゆるテレビ番組の中で、もっとも視聴されている番組であることは間違いない。近年は、視聴率も40%をこえて、そこそこ安定感があった。8年ぶりに視聴率が40%を割ったのは、裏番組の格闘技の影響もあったといわれる。

今回は事前段階で不安視されていた。年間を代表するヒット曲の不在、目玉にする企画や歌手の不在などである。「企画」で釣るやり方は、毎年続けるのはかなり難しい。ここのところ朝ドラが好調なので、寸劇を遣り出して、それも3年連続になる。だが13年の「あまちゃん」がはまったのはストーリーと紅白が絡む内容だったからで、そのあとは単なる寸劇になってしまっており、何の必然性もない。企画として浮いてしまっている。他の企画も、ネタに苦労しているという様子がうかがえるものが多かった。

復活組や再結成組などで目玉をつくるのも、いい加減ネタが切れてきたのではないか、と思う。今や80年代も「懐メロ」枠に入りつつあるが、80年代は急速に音楽業界が変化した時代、すなわち、世代を超える国民的な歌手・楽曲が生まれにくくなった時代である。そして、歌手のレベルが下がった時代でもある。今回のトリを飾ったのは松田聖子・近藤真彦という、80年代を代表する2人ではあるが、とても前の時代の大御所のような、貫録もパフォーマンスも見せることができなかった。特に近藤真彦は、芸能活動をはじめて節目の年ではあるが、近年歌手としての活動に乏しい。そのことへの批判はかなりあると思う。

では現役ばりばりの歌手勢が支えればいいのだが、そこに訴求力がない。AKB・ジャニーズ・EXILE系が多くを占め、彼らは彼らなりにパフォーマンスをしているのだろうが、純然たる「歌」で勝負できないのは事実だ。ファン以外に届かない歌声なのである。ほんとうに今、支持されている歌い手が出場できているのか。単なる事務所の力に過ぎないのではないか。そういう不信感も、今やかなりの広がりを見せている。もしかしたら今回の近藤真彦の登場は、紅白自体の「終わりの始まり」になるのかもしれない。

89年以来続いてきた放送時間のワイド化だが、番組内容の水増し感もある。私は、もう少し短くする方向を考えてもいいのではないかと思う。それから、司会はやはり司会慣れしている人選をするべきだ。ヒットしたNHK番組絡みの女優は、華やかではあるが仕事をこなすのが精いっぱいな様子が見えて、落ち着かない。




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2015年12月06日

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追悼番組でその人物をモデルとした朝ドラが放送されるというのは、異例のことだろう。

NHK朝の連続テレビ小説にとって、まさに勝負に出た作品だった。
この作品から、放送時間が8時となった。視聴率が低迷し、朝ドラが終わるのではないか、とささやかれる中での変更だった。滑り出しは過去最低の視聴率を記録し、厳しかった。

しかしぐんぐんと視聴率は伸び、改めて水木しげるという人物の作品と、その生き方に注目が集まったのである。「ゲゲゲの〜」が流行語大賞をとり、主題歌が選抜高校野球の行進曲に選ばれた。
朝ドラとしては、それまで続いてきた「自立した女性」「仕事に奮闘する女性」ではなく、夫を支える専業主婦を描くという、新機軸を打ち出したことが画期的であった。

昭和30年代ブームが、この直前から始まっていた。「三丁目の夕日」がかなりデフォルメされた、美化された昭和30年代だったとすれば、この「ゲゲゲの女房」は、その時代をよりシビアに描き、しかし救いのある物語として描いたものである。
ヒロイン・布美枝が嫁いだのは、貧乏な貸本漫画家の村井茂。高度成長まっただ中の世の中にあって、波に乗れず極貧にあえいでいた。描いても描いても売れず、原稿料も入らない斜陽の業界。しかしなお描き続けるその懸命さに打たれ、布美枝はそれを信じてついていく。やがて大きな成功がやってきた。そこまでの、貧困時代の様子を描いた時期の出来栄えは、特にこの作品の評価された点である。やがて成功が待っているという、有名漫画家の物語であるという点は、次々と苦労が降りかかるストーリーでありながら、ある種の安心感を与えていた。

高度成長で日本は豊かになっていったが、時代の波に取り残された人々も多かった。この作品は「貸本漫画」の世界を描くことでそこにスポットを当てた。その世界を「戦後漫画史」として注目して視聴していた漫画家も多かったという。一方で、戦争の影を引きずってもいた。茂は戦争で片腕をなくし、その経験をもとにした戦記ものを描いていた。けっして受けが良かったわけではないが、ほんとうの戦争を描くという信念があった。

そういう重層的な「戦後」が、この作品では描かれた。戦時中の苦労は朝ドラでは数多く描かれたが、「戦後」をきちんと描いたという点でも画期的だったと思う。同じ形ではなくても、戦争を引きずる人々、貧困にあえぐ人々が、当時もたくさんいた。そんな時代を知る人々の共感も広がったのではないだろうか。

いい場面が多い。結婚式前日の父と娘の会話、茂の仕事する背中を見て涙する布美枝、近所の貸本屋をめぐる物語や、漫画業界の苦闘など、涙を誘う場面が数多くみられた。それが決してあざとくなかったのも、奇跡的なことであろう。

「戦争」が風化し、「戦後」という時代も確実に過ぎ去ろうとしている。「戦後」を力強く生き抜いた人の物語も、今や過去の歴史となってしまったのである。水木しげるという人物の死は、そんな意味がある。

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2015年10月25日

続編が正編を超えることはない。
それはドキュメンタリーにおいても、また例外ではなかったのだろう。

NHKスペシャル「新・映像の世紀」第1集を観た。
第一次世界大戦。今回のシリーズでは、「人間」にスポットを当てるのだという。
何人かのキーパーソンが登場した。毒ガスを開発した化学者ハーパー。撃墜王リヒトホーフェン。革命家レーニン。策略家アラビアのロレンス。1時間ちょっとの内容によくもこれだけ詰め込んだ。

たぶん、単発のドキュメンタリーとしてなら、そこそこの水準にはあったのかもしれない。だが前作の目を離せない映像の連続に比べると、今回は観てて疲労感を覚える感じがした。それは決して、既知の知識だったからだけではない。

ナレーションがかなり多い。山田孝之やアナウンサーのナレーションによる説明が多く、その説明がまた、やや演出的に聞こえた。さらに当時の人たちの回想や音声も多く盛り込まれていた。個々のコメントは興味深いが、量が多い。それに比べると、「映像の世紀」のはずなのに肝心の映像が少なくなっている。

第一次世界大戦についても、科学技術の発達の問題、外交戦、戦争の経過説明が縦横に展開して、非常に複雑な事実を複雑なまま提示している。女性や民族対立の問題などを視点として出している点はたぶん、前回からの時代の変化を反映しているが、それらも複雑な提示の中に埋もれてしまった。

一つの歴史観として、100年前のこの戦争が、その後の悲劇の起点であるという部分を強調していた。その点に異論はないが、それを説明するのがナレーションだったのである。

このシリーズは、学校等で教材として使うのは難しいだろう。少なくともこの回は。今後はどうなるだろうか。

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2015年09月06日

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BSでデジタルリマスター版が放映されているという。
1995年、NHKスペシャルで1年にわたり放送され、大きな反響を呼んだ。ドキュメンタリー作品としては、NHK、いやテレビ史上に残るものといえよう。

とかく固いイメージのあるドキュメンタリーだが、本作はまずテーマ音楽に加古隆「パリは燃えているか」を採用して歴史の流れを表現し、サントラも個性的であった。さらに、抑制されたナレーションと、同時代人の言葉を豪華声優陣を配して挿入した。硬派な内容でありながら、芸術性も高かったのである。

映像で人間を記録するようになったのは、19世紀の末。輝かしい近代の残影が、20世紀初頭の映像をみると感じられる。音声はまだ入れられない。その輝きが失われたのが、第一次世界大戦であった。大量殺戮が行われる様子が、映像によって記録された。日本ではおそらくほとんど知られていない衝撃映像が、第一次大戦に関して紹介された。

第一次大戦の間に、台頭したのはアメリカだった。1920年代の繁栄を謳歌する様子は、ほぼ現代の要素がそろっているといってもよかった。だが繁栄は1929年に突然終わりを告げる。
世界恐慌の衝撃は、やがてドイツに独裁者を出現させる。ヒトラーの卓越した扇動術もまた、映像で紹介された。そして「世界は地獄を見た」と題された第二次世界大戦へと進む。

大きな犠牲のあとに訪れたのは、米ソ冷戦であった。核の恐怖を背景にした均衡は、常に全面核戦争と隣り合わせながら、一方で平和の中の経済成長も進んでいった。アジアでは、ガンジー・毛沢東・ホー=チ=ミンといった指導者が、欧米列強の支配から抜け出そうと苦闘し、第二次大戦後に相次いで独立を果たしていったが、その国造りは困難を極めた。

超大国として君臨したアメリカだったが、ベトナム戦争をめぐって国内が分裂し、そして敗北を喫する。冷戦は1980年代をもって終わるが、民族・宗教をめぐる紛争は20世紀を通じて果てしなく続く。最後に取り上げられたは、悲惨なユーゴスラビアの内戦だった。

日本についても1話が割かれた。19世紀末から、欧米列強に伍して急成長を果たした日本は、やがて世界の大国として認知されるものの、その秩序に挑戦し、そして敗れた。敗戦後と復興に立ち上がる人々の様子を描いて、作品は終幕を迎える。

人類は常に争い続けている。リアルタイムで観たときの印象はまず第一にそれ。決して希望をもたらす内容ではない。むしろ、抗うことのできない歴史の流れの中に、誰もが呑み込まれてて行くのだという、ある種虚無的な歴史観を持ちかねない内容だった。だが、目を離すことができない。それでも人々は必死にその時代を生きていた。

放送されてから20年がたった。世界で紛争は絶えず、テロの恐怖におびえている。超大国の時代は終わり、新興国が次々に台頭。しかし世界資本主義は必然的に格差拡大を招き、それがさらに紛争の原因となる。日本は不況から立ち直れず、空前の自然災害にも見舞われた。一方、映像技術は格段の進歩を遂げた。デジタル処理の技術が大きく上がったのも、今回のような放送ができる一因であるし、世界中で、映像を手軽に撮影し、発信できるようになった。

秋には新作が放送されるという。前回はまだ20世紀が終わっていなかった。新たな映像と、視点が必要になるだろうし、この20年間の映像がどのように取り上げられるのかも興味深い。

ktu2003 at 19:30コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月30日

この夏のテレビドラマ界、視聴率の不振ぶりが顕著である。
「2ちゃんねる」の表から関東の視聴率をみてみよう。

曜 時...         [01] [02] [03] [04] [05] [06] [07] [08] [09] [10] [11]   
月【21】恋仲        *9.8__*9.9__11.9__10.8__11.8__*9.5__
火【22】コンシェルジュ*9.4__*8.5__*8.9__*8.2__*7.9__*8.2__*6.7__
  【22】HEAT.     *6.6__*3.9__*4.2__*3.4__*3.4__*2.8__*3.1__*3.3__
水【21】刑事7人.     11.8__10.6__*9.0__*9.4__*6.6__*9.1__*8.4__
  【22】花咲舞      14.7__12.9__14.7__14.1__13.6__14.3__15.6__14.2__
  【22】リスクの神様...*7.0__*6.0__*5.7__*5.0__*4.8__*4.9__*3.9__
木【20】最強のふたり *9.7__*6.2__*6.5__*6.7__*6.5__*8.0__
  【21】ハラスメント.. *9.7__*9.1__*9.2__*8.0__*9.0__*7.7__*8.4__
  【21】37.5℃の涙   *7.2__*6.3__*6.1__*5.5__*5.6__*5.3__*5.8__
  【22】探偵の探偵  11.9__*7.5__*8.7__*8.7__*7.4__*6.5__*8.2__*5.4__
金【20】プレイボーイ....*3.4__*4.1__*2.6__*3.8__*3.2__
  【22】表参道合唱部*6.6__*6.9__*5.6__*5.6__*4.8__*4.6__
  【23】民王        *8.5__*7.0__*4.8__*6.6__
土【21】ど根性ガエル 13.1__*8.5__*6.4__*8.7__*7.0__*7.0__
  【23】ブスと野獣.   *4.7__*2.8__*2.1__*1.9__
日【21】ナポレオン.... 12.7__*7.4__*9.1__*8.5__
  【22】デスノート...  16.9__12.3__*8.7__10.6__*8.2__10.2__11.6__11.4__

ワンクール・20〜23時枠の民放ドラマで、最新回が10%を超えている作品が2本しかない。全話10%を超えているのは1本である。

作品そのものの評価は高いものもあるが、スポンサーとしては観てもらわないと広告を出す意味がない。視聴率だけがドラマの評価の指標ではない、という声も根強い。今は録画したり、スマホ視聴も広がっているという議論もある。しかしビデオ録画が普及してからすでに何年たっているのか。視聴率以外の評価指標もさまざまに提言されているが、いまだ確立されたものがない。数値が低くても、だんだん上がっていくような、話題を集めるような作品もない。

人気俳優・女優が出ていないわけではない。しかし本人の演技の問題なのか、脚本や演出の問題なのか、あるいは放送時間帯と内容のマッチングの問題なのか、原因は様々に考えられるだろう。こうもそろいもそろってダメなのだとすると、それは構造的な問題と考えざるをえない。

ドラマの本数もこれから減っていくだろう。かつて、アニメがゴールデンタイムから消え、野球中継やプロレス中継が消えていったように。すでにTBSがこの秋からと合わせて今年2本減らしている。フジテレビも1本減らしている。あるいは枠が深夜に移行することもあり得よう。

俳優もこの流れに敏感である。すでに、テレビドラマに全然出なくなり、もっぱら映画に傾注している俳優が、それなりに多くなっている。あるいは地上波を避け、BSやWOWOWの作品に出ている俳優もいる。そこなら、視聴率という雑音に惑わされないからである。そしてその分、テレビに出てくるのがジャニーズ、AKB、EXILEときたら、悪循環が始まる。ファン以外は誰も観ない作品の出来上がりだ。

人々がテレビ自体から離れていく傾向にある、と言われる中、ドラマ界の前途は厳しい。そして、俳優の生活も厳しくなる。だが、日本が貧しくなる中で、芸能人だけ無縁というわけにもいかない。構造変化にどのように対応していくのか、動画配信や海外進出などに活路を見出すのか、原点回帰で映画や舞台に力を入れていくのか、それぞれの生き方も問われるだろう。

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2015年06月05日

BSで再放送されているNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」。調査では、今BSNHKの全番組で一番視聴されている番組になっている。再放送の開始以来ずっとそうだという。しかも立て続けに現在放送中の「まれ」が放送されるため、比較が容易になっている。

今日は本編中でも名シーンの一つとされる「お座敷列車」の回。潮騒のメモリーズが「潮騒のメモリー」を歌う。エキストラの人たちも、俳優もほんとうに楽しそうだ。まるでドキュメンタリーを見ているような感じがする。イベントとして潮騒のメモリーズが歌うシーンはカットされていて、放送されるのは地元の人たち(主要キャスト)を目の前にした特別列車。ここで、主要キャストの見せる表情がほんとにいい。歌う二人をあたたかく見守る感じがして。

「あまちゃん」には名シーンが数々あるが、この回は構成も含めて特に素晴らしい。もう放送から2年もたっているのだ。今、地元久慈では現実にお座敷列車が走っている。

ktu2003 at 19:06コメント(0)トラックバック(0) 

2015年04月25日

この4月から始まった連続ドラマも、多くは視聴率の低迷が続いている。
木村拓哉や堺雅人といった人気のある俳優を主演に据えた作品ですら、視聴率は15%に満たない。もちろん、リアルタイム視聴以外のあり方が広まっているという指摘は常にあるが、録画率の高い番組は視聴率もいい番組が多いという指摘もある。

そんな中、2014年にテレビ東京で同局史上でも最高の視聴率を記録したドラマがあった。「三匹のおっさん」である。
原作は有川浩。「図書館戦争」「フリーター、家を買う」など、映像化され、ヒットした作品の多いヒットメーカーである。子どもの頃悪がきだった三人が、60歳を迎えて町内の悪を懲らしめるために立ち上がるという、コミカルタッチのドラマである。その続編が、スタートした。

主演は言わずと知れた大物・北大路欣也。そして、連続ドラマでは意外にもヒット作に数多く顔を出す泉谷しげる、低音の魅力で名わき役として地位を確立している志賀廣太郎と、強力な布陣をそろえた。この平均年齢65歳を超えようかというキャストが、正義の味方として町内の悪を懲らしめていく。

懲らしめる相手は極めて「町内」である。詐欺師・ひったくり・万引き・動物虐待などなど、いかにも近所で起こりそうなトラブルを、ベタな登場の仕方で懲らしめていく。そういう意味で決して無理をしておらず、しかしながら剣道・柔道・スタンガンを駆使して戦うそのやり方は、けっこう本格的でもある。

正義の味方が悪を懲らしめるという意味では、非常に単純な、新しくもないストーリーだ。だが新しいとしたら、ヒーローが60歳のおっさん3人ということだ。そして演じる俳優がベテランだから、安心してみることができる。かといって若い世代がみられない内容かといったら、そうでもない。高齢化社会で年配者が悩んでいる社会問題もしっかり盛り込まれつつ、子・孫世代のストーリーも盛り込まれていて、幅広い世代に楽しんでもらえる内容になっている。

今回は最新の流行、妖怪ウォッチを題材に、その解説もきちんと入れて、すたれていく着物屋を守るという、年配層にアピールする内容も盛り込んでいた。

どういう作品が今の日本で受け入れられるか、ヒントがあるように思う。旬のタレントだけを並べても、その世代が少なくなってきている以上、人気を獲得するのは難しい。ましてや、若い世代のテレビ離れも進んでいる。多分、年配層と若い世代をうまく融合させた作品が、今後当たっていくのではないかと思う。それは、ストーリー的にもそうなのだが、キャスティングもまたしかりだろう。



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2015年04月13日

12日にNHK総合で放送された大河ドラマ「花燃ゆ」(総合、日曜、後8・00)第15話の平均視聴率が、関東地区で9・8%となり、1月のスタート後、初めて2ケタを割ったことが13日、分かった。関西では11・6%だった。関東地区で大河ドラマの視聴率が10%を切ったのは、2012年の「平清盛」以来となる。(デイリースポーツ)

今年のNHK大河ドラマは、題材が不安視されていた。すなわち、吉田松陰の妹・文という、歴史的な事績を残していない女性が主人公だったからだ。そしてさらに不安をかきたてたのは、「幕末男子の育て方」という、なんともスイーツ感あふれる、そして幕末という時代を表現する方法としてはたして大丈夫かという、キャッチコピーが伝わったことだ。

そして視聴者の評価はほぼ決まったといってもいいだろう。スタートからわずかに3か月半にして、視聴率が関東で10%を割り込んだ。過去最低だった「清盛」ですら、8月まで10%はキープしていたことを考えると、選挙速報があったにしても異例の低迷ぶりである。

こういう視聴率の話題では、必ず「視聴率=内容ではない」という反論が出る。まったくその通りだと思う。昨年の「軍師官兵衛」は、視聴率はそれほど伸びなかったが内容については高い評価もあった。私はまったく観ていないが。ところが「花燃ゆ」はそういう声も少ない。「清盛」にあった批判の声すら少ない。つまり、話題になっていないということである。視聴率の推移も、おもしろければ上がっていくか、少なくともそれほど変わることなくキープできるはずだが、だんだん下がっている。はじめ観ていた視聴者が、離れていったということだ。そして、民放の裏番組も強くなっている。

こうした大河ドラマの低迷は、今や俳優・女優にとって出演することが「リスク」になり始めている。ここ数年をみてみると、「江」で主演した上野樹里や、「清盛」で主演した松山ケンイチは、明らかにその評判が仕事に影響した。今年の井上真央も厳しいだろう。有名な俳優・女優ほど尻込みをするようになる。そしてキャスティングに苦しみ、また作品のレベルを下げていくことになる。

来年の「真田丸」も、三谷幸喜という変化球であることを考えると、堺雅人主演とはいえ安心できないし、変化球は何年も続けられない。いつ大ナタが振るわれるのか?朝ドラは放送時間変更、ヒロインの有名女優起用、時代ものへの回帰など、大きな改革を実行して立て直しに成功し、社会現象となるヒットを生み出している。大河ドラマにそれは可能だろうか?

さまざまなことが考えられるだろう。放送時間の変更から、1年という単位の見直し、題材の見直し、歴史解説のあり方、番宣の仕方まで。起用する俳優についても、大胆な人選が求められようか。

ktu2003 at 19:46コメント(0)トラックバック(0) 
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