プロ野球

2020年02月16日

00年に西武でプレーしメジャーでも活躍した元内野手トニー・フェルナンデス氏が死去したと、現地メディアが15日、ツイッターで伝えた。約2週間前に腎臓病で危篤状態が続いていると報じられており、57歳だった。(日刊スポーツ)

またも日本でプレーした外国人選手が若くして亡くなってしまった。
フェルナンデスといえば、4球団に在籍したホセ・フェルナンデスの印象が強いが、それより前に西武に1年在籍した選手である。

1983年にブルージェイズでメジャーデビュー。3年目にはレギュラーを確保し、86年には全試合に出場して.310、10本塁打をマーク。ショートで4年連続のゴールドグラブ賞を獲得するなど、守備に定評があった。さらに87年には32盗塁するなど、10年連続2ケタ盗塁を記録する俊足の選手でもあった。91年にトレードでパドレス、ついでメッツと移籍して93年途中に古巣へ復帰、さらにレッズ、ヤンキース、インディアンスと1年ごとに移籍を繰り返した。98年にまた古巣へ復帰し、2年連続で打率3割2分を超える好成績を残したが、99年に西武にやってくることになった。メジャーリーガーにありがちなわがままやプライドの高さもなく、むしろ奇妙な行動が珍プレーに取り上げられたり親しまれたりした。そして打率.327、11本塁打と、期待通りの成績を残したのである。

しかし年齢的なこともあって1年で退団。翌年ブリューワーズ、ブルージェイズと移って、引退した。最後の年は出場が少ないながらも.293の打率を残している。通算成績は2158試合、2276安打、94本塁打、844打点、246盗塁、.288。サイクル安打を記録したり、オールスター出場5回など一流の実績を残し、カナダ野球殿堂入りも果たしている。引退後は財団を運営していたようだが、持病が悪化したとのことである。

これまで日本に来た外国人の中でも、最高クラスの実績のある選手だ。ただ、あまり一球団に落ち着けないというのは、やはり長打力がないと評価が低いということなのか。

ktu2003 at 13:31コメント(0) 

2020年02月11日

野村克也










プロ野球の往年の名捕手で戦後初の3冠王であり、監督としても3度の日本一に輝くなど活躍した野村克也(のむら・かつや)元楽天監督が11日、亡くなったことが明らかになった。84歳だった。(毎日新聞)

沙知代夫人の死後、衰えは顕著ではあったが、先月も各種の行事に顔を出していただけに、急なことで驚きである。
1954年に南海(現・ソフトバンク)に入団。高校時代はまったく無名の選手で、テスト生として入団した。すぐに戦力外になりかけたが懇願して残してもらい、努力を重ねて3年目にレギュラーを確保した。そして57年には30本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得。打者として、また捕手として常勝・南海の中心になった。肩の弱さや変化球への弱さなど、弱点をトレーニングと創意工夫で克服していった。投手のクセを見抜き、過去のデータから配球を読んだ。相手打者に対しては「ささやき戦術」を駆使して心理的な圧力をかけた。61年からは8年連続の本塁打王、62年から6年連続の打点王と、捕手ながらパリーグの最強打者としても君臨。65年にはついに戦後初の三冠王に輝く。また、弱いといわれた肩も克服して、長く盗塁阻止率は4割台を維持した。

70年からは監督兼捕手となり、弱体化していた南海を立て直して73年にはリーグ優勝を果たした。30代前半という若さから、40代まで兼任監督を長く続けるというのは、空前絶後のことである。しかし沙知代夫人の現場介入などで球団との軋轢が深まり、ついに退団して78年にロッテ、79年には西武といずれも一捕手に戻ってプレー、45歳まで現役を続けるのである。通算成績は3017試合、2901安打、657本塁打、1988打点、.277。3017試合は谷繁に破られるまで歴代1位、安打・本塁打・打点はいずれも歴代2位である。

スコアラーを活用したデータ駆使や、投手のクセの分析、クイックモーションなど、今や野球界で当たり前になっていることを、プロ野球の世界で定着させたのは彼の功績である。これによって日本の野球はレベルが大きく上がった。解説においては「野村スコープ」を画面に見せ、打者への攻め方を示して人々の野球に対する見方を大きく変えた。

90年からはヤクルトの監督に就任。弱小チームにデータ重視の緻密な野球を持ち込み、池山・広沢といったヤンチャな選手を使いこなし、古田を英才教育で日本を代表する捕手に育てて、92年にはリーグ優勝、そして93・95・97年には日本一に輝いた。「ID野球」は野球界のひとつひとつのプレーに理論や根拠を持たせた、という意味で大きかった。感覚や才能だけではないスポーツの世界を見せ、それはおそらく様々な競技に影響を与えている。そして一度は戦力外になった選手をよみがえらせることも多く、「再生工場」と呼ばれた。99年からはこれも弱小・阪神の監督となり、結局チームを浮かび上がらせることができず、妻の逮捕で辞任したものの、後任・星野仙一に遺産を残した。同じパターンを新球団・楽天でも繰り返すことになる。

野村の教えを受けた多くの選手が、今や指導者として活躍している。口をそろえてその野球観の影響を語る。そして本人は、最晩年まで野球への関心を失わず、独特のぼやき口調で意見を述べ続けていた。多数の著書もある。もし「野球学」という学問があれば、彼は間違いなく第一人者であろう。一方で人間関係では好悪が激しく、沙知代夫人をめぐって多くの軋轢を招き、私生活でも苦労は絶えなかったが、常に妻への愛を語っていた。

スター性という意味では王・長嶋に一歩を譲る。しかし野球界に与えた影響という意味でいえば、あるいは彼ら以上だったかもしれない。昨年金田が亡くなり、続いての野村の旅立ちは、いよいよ「昭和のプロ野球」のレジェンドたちが歴史になろうとしているのを、実感する。


ktu2003 at 11:21コメント(0) 

2020年02月09日

日本ハムで活躍したエンジェル・エチェバリア氏が7日(日本時間8日)に、米コネティカット州ブリッジポートの病院で死去したと8日(同9日)、地元紙が報じた。48歳だった。死因は明らかになっていない。(日刊スポーツ)

日本で活躍した外国人選手の訃報がまた入ってきた。
1996年にロッキーズでメジャーデビュー。打力には非凡なものを見せながらも、出場機会は少なかった。99年には102試合に出場して.293の打率を残したが、翌年不振となりブリューワーズに移籍。さらにカブスへと移った。そして03年に日本ハムにやってきて、長距離砲として活躍。31本塁打をマークして期待に応えた。
翌年はオバンドーがけがから復帰した関係で出番が減り、16本塁打にとどまって退団。その後はメキシカンリーグや独立リーグでプレーし、06年に引退。通算成績はメジャーで328試合、152安打、21本塁打、90打点、.280。日本では、204試合、197安打、47本塁打、138打点、.268。
引退後は子供たちに野球を教えていたということだが、体調を崩して倒れたときに頭を打ったという。

日本で活躍できたのは1年だけだったが、比較的最近の選手だということでいち早く訃報が伝えられたのだろう。外国人選手は今日本でも昔より増えている。いつのまにかいなくなる選手も多いが、OBも多くなってくる。縁があった選手のその後を気にしている人は意外と多い。マスメディアはしっかりそのあたりの情報を取ってほしい。
それにしてもエルビラといい、若くして亡くなるのは誠に残念である。

ktu2003 at 09:55コメント(0) 

2020年01月29日

元近鉄投手のナルシソ・エルビラ氏が死去したと、母国メキシコのメディア「Universal Deportes」など複数メディアが28日(日本時間29日)に報じた。52歳だった。(デイリースポーツ)

またショッキングなニュースが入ってきた。息子とともに射殺されたというのである。
1990年にブルワーズでメジャーデビューするも、4試合に登板しただけで以後はメジャーに上がれず。2000年近鉄でプレーし、先発として6勝。そして西武戦でノーヒットノーランを達成する。この年はあともう1試合完封をマーク。しかし翌年はチームは優勝したが自身は低迷し、退団。02年は韓国・三星でプレーし13勝、防御率2.50で最優秀防御率のタイトルを取った。しかし翌年はまた低迷し退団。
通算成績は日本で33試合、7勝8敗、防御率4.79。韓国では28試合で14勝7敗、防御率は3.12。

その後はサトウキビ工場を経営していたが、2015年に誘拐され無事救出されたという出来事があった。そしてまたも犯罪に巻き込まれた。

ktu2003 at 19:31コメント(0) 

2020年01月18日

 プロ野球・中日で活躍して「ミスター・ドラゴンズ」と称され、監督も務めた高木守道(たかぎ・もりみち)さんが17日、死去した。78歳だった。(朝日新聞)

12日に板東英二のラジオ番組に出演していたというから、まったく突然のことだったようだ。持病もなかったという。

名古屋生まれの岐阜育ち。名門・県岐阜商で選抜大会準優勝。1960年に地元・中日に入団。プロ初打席で本塁打を放った。その後徐々に出場機会を増やしていき、4年目の63年、133試合に出場して50盗塁で盗塁王となり、セカンドのレギュラーを確保する。65年には初の3割と2度目の盗塁王をマークして、球界を代表する選手へと成長を遂げた。しかし68年には顔面に死球を受けて長期の欠場。その影響から打撃不振が続くことになったという。とはいえ69年には24本塁打を放つなど、長打力も十分にあった。
しかし守備は一級品。バックトスを代名詞とし、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞の常連となった。現在に至るまで、史上最高のセカンド、という声が上がるほどである。守備に関する数値データでは二塁手としてはプロ野球史上最高を記録している。
74年には読売のV10を阻止することに貢献。その優勝パレードと長嶋茂雄の引退試合が重なり、中日球団はパレードを優先して引退試合に控えメンバーを出した。これに不満をあらわにしたという。高校時代に長嶋に目をかけられ感激した過去があり、どうしても試合に出たかったのである。
その後は打撃も復調し、38歳に至って再び打率3割を記録するほどだったが、翌80年限りで引退。通算成績は2282試合、2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁、.272。

引退翌年からコーチに就任。二軍監督をへて86年途中からは代理監督を務めた。一時現場を離れたあと、92年から監督に就任。経歴からすると監督候補生として予定されていたが、初年度は最下位に終わって期待外れ。翌年からは連続2位。とくに94年は最終戦で優勝が決まる、という10.8決戦に臨んだが読売の前に屈した。95年には低迷に陥ってシーズン途中で解任。不運な終わり方となってしまった。
2012年、17年ぶりに監督に復帰。この人事は世間を驚かせたが、顕著な成績を残した落合監督の後任になり手がいなかった、というのが実態だっただろう。12年は2位となるが13年限りで退任。以後は解説者としても一線を退く形となった。

現役時代は口数が少なく、いなくなったことに気づかれないほどだったが、怒ったときは目上相手でも反抗することがたびたびだったという。監督としても激高することがあり、コーチと喧嘩する場面が映像で抜かれた場面もあった。指揮官としては、自制が効かない行動をすることがあって、成績が決して悪くないながらも批判が多かった。星野・落合といったカリスマ的な監督の後任となったことも、本人にとってはしんどかったかもしれない。

板東英二とは公私ともに親交が深く、結婚の仲人をしてもらったほどだったし、最後の番組も事実上レギュラーとして出演していた。

現役時代を知らず、またプレーVTRをみる機会もあまりない人で、監督など指導者としての印象が強い。評価は高くないが、人柄の評判は非常に良かったという印象もある。選手としては間違いなく、ミスター・ドラゴンズの名にふさわしい実績を残している。彼を中日球団はうまく生かしきれなかったのではないか、と思うのである。

ktu2003 at 07:28コメント(0) 

2020年01月03日

プロ野球の西鉄で投手として活躍した井上善夫氏が昨年12月31日午後2時42分に敗血症のため死去した。78歳。西武が3日に発表した。(スポーツニッポン)

年明け早々から野球界に訃報が相次いだ。

日大二高時代には春夏の甲子園に出場し、高校日本代表にも選ばれた。1960年に西鉄(現・西武)に入団し、2年目には主力として定着。貴重な左腕として活躍した。63年には日本シリーズ登板、64年にはノーヒットノーランを達成するなどして17勝を挙げ、オールスターにも選ばれている。翌年も11勝を挙げるがその後は成績が落ち、読売、さらに広島へと移籍して、主に中継ぎとして活躍した。71年に引退。通算成績は379試合、47勝58敗、防御率は3.39。引退後は飲食店を経営した。

ktu2003 at 18:34コメント(0) 

2020年01月02日

米大リーグのワールドシリーズ(WS)で唯一の完全試合を達成したヤンキースの元投手、ドン・ラーセン氏が1日、死去した。90歳。食道がんを患っていた。(共同通信)

今年最初の記事は訃報になってしまった。
1953年にブラウンズ(現・オリオールズ)でメジャーデビュー。1年目から先発投手として活躍するも、2年目には3勝21敗でリーグ最多敗戦を記録。そのオフにヤンキースにトレードされた。すると成績も上向き、行状の悪さは評判だったものの、主力として活躍した。ワールドシリーズで完全試合を達成した56年はキャリアハイの11勝を挙げている。その後は成績が下降線をたどったからなのか、再び放出されてチームを転々とすることになる。60年代からは中継ぎ、抑えとしての起用がほとんどとなり、62年には11Sを挙げている。67年カブスを最後に引退。通算成績は412試合、81勝91敗23S、防御率は3.78。
選手としての実績は飛びぬけていないが、ワールドシリーズという舞台ではいまだにただ一人の快挙を成し遂げた選手として、名前は広く知られている。こういう形で記憶に残っていく選手もいるのである。


ktu2003 at 18:43コメント(0) 

2019年12月25日

プロ野球の阪急で投手として活躍した原田孝一氏が24日午後0時25分、慢性心不全のため兵庫県西宮市の自宅で死去した。91歳(スポーツニッポン)。

熊本商から1950年に阪急(現・オリックス)に入団。1年目から28試合に登板し、その後もコンスタントに登板を続け、52年に9勝、54年に15勝を挙げるなど、主力投手として活躍した。1959年、南海(現・ソフトバンク)に移籍し、その年限りで引退。通算成績は229試合、43勝44敗、防御率は3.22。引退後は審判に転身し、その後は飲食店を経営した。

ktu2003 at 19:13コメント(0) 

2019年12月13日

プロ野球のセ、パ両リーグを通じて最多となる代打本塁打27本をマークした元阪急ブレーブス(現オリックス)の高井保弘さんが13日、腎不全のため死去した。74歳だった(読売新聞)。

愛媛・今治西高から社会人をへて1964年に阪急に入団。66年に1軍デビューし、67年から70年までに2軍では無双の打力を誇ったが、変化球に弱く守備に難があったため、あまり起用されず代打にとどまっていた。チームメイトのスペンサーの影響を受け、投手の癖を見抜くすべを身に着け、代打としての実力を研ぎ澄ませていく。72年には規定打席に届かないながら15本塁打をマークし、74年には通算代打本塁打を14本として当時の新記録を打ち立てた。そしてその年のオールスターでは史上初の代打逆転サヨナラ本塁打、さらにシーズン代打本塁打6本も新記録となった。

この活躍が注目され、翌年からパリーグに指名打者制度が導入された。すると指名打者としての起用が増え、77〜79年は規定打席に到達することになる。おりしも阪急は黄金時代。78年は22本塁打、79年は.324と、30代になってキャリアハイをマークすることになるのである。82年限りで引退。通算成績は1135試合、665安打、130本塁打、446打点、.269。

引退後は解説者を務めるかたわら、経営者としても活動していたが阪神大震災で店舗を失い、サラリーマンや警備員などの職についていたという。

打力を磨くことで野球界の制度を変え、生きる道を切り開いたという特異な選手である。投手の癖を見破る力を挙げて、とかく難しい代打という立場で結果を残し、ついにスタメンまで這い上がった。一芸に秀でればプロ野球では生きていける。それを体現した。

ktu2003 at 18:25コメント(0) 

2019年12月11日

プロ野球ロッテで4打席連続本塁打を放つなど活躍した醍醐猛夫さんが11日午前0時42分、急性骨髄性白血病のために東京都内の病院で死去した。81歳。(共同通信)

早稲田実時代、王貞治とバッテリーを組んで夏の甲子園に出場。1957年毎日(現・ロッテ)に入団し、1年目から113試合に出場してレギュラーとなった。しかしその後打撃不振もあってレギュラーを奪われてしまい、64年に自己最高の.273をマークして、レギュラーを奪い返した。すると翌年は全試合に出場して15本塁打を放つ活躍で、初めてオールスターにも出場し、以後打てる捕手として定着することになる。70年にはリーグ優勝して日本シリーズで全試合マスクをかぶり、翌年には2試合にまたがり4打席連続本塁打を放った。74年にはコーチ兼任として日本一を支えるベテランとして役割を果たした。75年に引退。通算成績は1775試合、1132安打、81本塁打、472打点、.234。

引退後はコーチ・スカウトとしてロッテに長くかかわった。
高卒1年目から100試合以上マスクをかぶるというのは、相当なレベルの選手だったことがうかがえる。一度不振になるも盛り返して、長い現役生活となった。

ktu2003 at 19:18コメント(0) 

2019年12月01日

田中 達夫氏(たなか・たつお=元プロ野球南海、阪急投手)27日午前9時17分、肺炎のため大阪市西成区の病院で死去、92歳(サンケイスポーツ)。

佐世保商から社会人軟式野球を経て、1950年に南海(現・ソフトバンク)に入団。1年目から22試合に投げて4勝を挙げた。しかし翌年は0勝に終わり、52年に阪急(現・オリックス)に移籍したが結果を残せず球界を去った。通算成績は31試合、4勝4敗、防御率は2.81。

今ならもっと見てくれる成績だと思うが、各チームとも大エースが君臨する時代。投手の頭数はそれほど必要とされていなかった。小柄ながらきれのいいボールを投げる投手だったという。

ktu2003 at 18:34コメント(0) 

2019年11月18日

 野球の国・地域別対抗戦「プレミア12」は17日、決勝と3位決定戦が東京ドームであり、決勝で世界ランキング1位の日本代表「侍ジャパン」が韓国を5―3で破り、初優勝を飾った(朝日新聞)。

どんな大会でも負けるよりは勝つほうがいいわけで、地元開催とはいえ東京五輪に向けてははずみのつく結果になった。今大会は楽勝の試合は少なかったものの、全体として安定感はあったように思う。辞退者が続出したり、秋山が練習試合で骨折したりといったピンチはあったが、投手陣は分業の人選がうまくいったし、野手陣の守りは固く、選手起用においては俊足の周東、そして主砲の鈴木の絶好調がよかった。

国際試合では基本的に打てないので、その中でどうやって1点を取りに行くか、またどう守り勝つか、という野球になってくる。その制約の中で、ベストの戦い方ができたということだろう。

とはいえ大会自体の盛り上がりには疑問符がついた。時期の問題もあるがベストメンバーがそろわない。現役メジャーが参加しないのではどうしようもない。アメリカ系のチームはメキシコを除くとあまりやる気が感じられなかった。日本で開催する形でないとスポンサーがつかず、大会も果たしていつまで存続できるのか。開催時期の問題もあるし、開催形態の問題もある。今の時期にやっている限りメジャーからの参加は見込めない。

国際舞台をどういう風に設定するか。野球界の模索は続く。

ktu2003 at 19:17コメント(0) 

2019年11月12日

ボビー・ミッチェル氏(元プロ野球日本ハム外野手)が9月29日死去。75歳。

1970年にヤンキースでメジャーデビュー。翌年ブルワーズに移籍し、都合5シーズンをメジャーで過ごした。年々成績は向上していったものの、年齢のこともあってか日本に活路を求めた。76年に23本塁打を放ったものの打率は低かった。翌年は32本塁打だが打率は2割4分台。158三振で当時の日本記録を作るなど、粗い打者だった。4年連続でリーグ最多三振である。
しかし78年、36本塁打をマークして本塁打王となり、打率も.274に向上。その翌年は成績を落として、現役を終えた。通算成績はメジャーで273試合、143安打、21本塁打、91打点、.235。日本では474試合、429安打、113本塁打、294打点、.250。

日本で活躍した外国人選手は訃報が伝えられないことも多いが、さすがにタイトルを取った選手ということで伝えられてきた。だが一般紙やスポーツ紙はまだ報じていない。
当時の外国人に期待された長打力という点では、十分に当たりの成績を残したといっていい。ただ打率が2割台前半であることが多かったのは、当時では確実性に欠けるとして批判されただろう。

ktu2003 at 18:55コメント(0) 

2019年11月01日

ロン・フェアリー氏(元米大リーグ野手)が10月30日死去。81歳。

1958年にドジャースでメジャーデビュー。61年に111試合で規定打席不足ながら.322をマークし、翌年からレギュラーに定着した。その後は59、63年のリーグ優勝、65年のワールドシリーズ制覇にもレギュラーとして貢献。コンスタントに2ケタ本塁打を放つ活躍を見せた。
66年にけがをしてから打撃が低迷し、69年途中にエクスポズに移籍。これで調子を取り戻して再び安定的な成績を残し、73年にはついにオールスターに選ばれた。この年に、17本塁打.298でキャリアハイといえる成績を残している。75年カージナルスに移籍すると、そこからは球団を渡り歩くようになり、77年にはブルージェイズで自己新の19本塁打を放っている。78年限りで引退。通算成績は2442試合、1913安打、215本塁打、1044打点、.266。
引退後はアナウンサーに転身してメジャーの試合を伝え続けた。

ktu2003 at 07:48コメント(0) 

2019年10月23日

今年の日本シリーズはあまり観ていない。ラグビーと重なっていたこともあるが、セパの力量差も明らかだったからでもある。
通常ならリーグ優勝チームと2位チームの対戦だから、優勝チーム優位という見方がオーソドックスなのだろうが、読売は6年ぶりの日本シリーズ。かたやソフトバンクは3年連続。この経験値の差があった。
そして近年顕著になっているセ・パの力量差。これが如実に出たシリーズだった。

もっとも差があったのは投手陣。読売は先発が踏ん張れないと難しいのに対し、ソフトバンクは中継ぎ・抑えにもパワーピッチャーが続々と登場。リリーフ勝負になっている近年の野球では、この差は埋めがたいものがあった。
打線では、読売の原動力となった丸が不発。そうなると他の選手ではカバーしきれない。ベテランの亀井がかろうじて当たったぐらいで、特に下位打線の差は大きかった。一方ソフトバンクはグラシアルが大当たり。
読売の若手がミスを連発したのも印象的だった。使うほうが悪いのだろうが、若手に頼るしかない状況というのもあった。3戦目のリリーフ、戸郷、決定的な2つのエラーを犯した山本。いずれも若い。

それにしても、これで7年連続パリーグの勝利。ソフトバンクは9年でセリーグ全球団を制覇したことになる。この彼我の差をいかにすべきだろうか。セ・リーグは「セカンドリーグ」だという揶揄も的を射ているかのようである。このところ毎年指摘している気がするが、選手を「獲得」することに主体をおくのか、「育成」することに力を入れるのか。90年代のFA導入以降、一時セリーグに人材が流れた時期があったが、パリーグはチームの構造を育成主体に転換していった。セリーグはそこで立ち遅れてしまったようにみえる。逆指名の廃止も大きかった。

例えばDH制の有無を格差の根拠にしている論が多いが、それよりも3軍や育成選手、独立リーグとの連携など、選手育成のあり方をセリーグは全体的に見直さない限り差は埋まらないような気がする。繰り返しになるが、読売・阪神・中日の老舗3球団に大きな問題がある。彼らが今や変革を求められているのである。

ktu2003 at 21:55コメント(0) 

2019年10月16日

 阪神は16日、OBの山本哲也さんが13日に心臓突然死のため、熊本市内の病院で亡くなったことを発表した。85歳だった。(デイリースポーツ)

1953年に入団。徐々に出場を増やし、5年目の57年から正捕手となる。打率は2割前後にとどまったが阪神の豪華投手陣を支えた。オールスターにも2度出場したほか、59年の天覧試合でもスタメンだった。キャリアハイでもホームランは3本、打点は21だった。1964年限りで引退。通算成績は854試合、341安打、12本塁打、109打点、.206.。引退後はコーチ、スカウト、スコアラー、業務部次長を歴任し、都合阪神球団に40年以上在籍を続けた。

選手としての実績は華々しくないものの、阪神の伝説的な投手陣を支えた正捕手であり、かつ阪神球団に選手、指導者、スタッフとして一筋でかかわり続けた重要人物といっていい。スター選手をたびたび放出してきた球団だが、こういう選手もいたのである。
今年は鎌田実、バッキーと阪神の名選手が亡くなったが、彼もまた同時代を支えたプレイヤーだった。

ktu2003 at 21:17コメント(0) 

2019年10月13日

接戦には持ち込んだが、そこまでだった。
西は負傷上がりだったがいい投球。しかしそういうときは打線が振るわない。
それでも何とか先制したが、岡本に同点弾を打たれ、そして丸のセーフティースクイズで勝ち越された。そうすると跳ね返す力がない。

今シーズンは昨年最下位だったことを思えば、最終的にAクラス入りした結果については評価できる。しかし優勝チームとはかなりの差があった。挙げればきりがないが、やはり一番は守備の乱れが目立ったことである。打率はせいぜい3割。しかし守備率は9割以上が当たり前。そこでミスすれば響く確率は高い。
さらに先発陣が今一つ。リリーフ陣も防御率は素晴らしいがここ一番で打たれる場面も多かったように思うし、連投すれば疲労もあって投球内容が難しくなる。
打線の弱さは深刻である。来年も福留や糸井が中軸を打つようでは、今年とあまり変わらなくなる。トレードやFAを含めた補強が重要だろう。一方で、盗塁を大幅に増やすことができた。機動力や小技を確実にする方法を模索するのは当然だ。

読売は6年ぶりの日本シリーズ進出だという。思えば阪神がCSで4タテした2014年から、おかしくなってしまったのである。そういうことを考えると、読売にしっかりダメージを与えるには阪神が頑張らないといけない。

ktu2003 at 19:13コメント(0) 

2019年10月10日

アンディ・エチェバレン氏(元米大リーグオリオールズ捕手)が5日死去。76歳。

1962年にメジャーデビュー。しかしその後2年間マイナーどまりで、65年に復活し、66年正捕手に抜擢され、121試合に出場、ワールドシリーズ制覇に貢献することになった。翌年にはオールスターにも選出されている。以後は他の捕手と併用される形になり、出場試合数は減った。

75年途中にエンゼルスに移籍し、翌76年には久々に103試合に出場。78年にブリューワーズに移籍してその年限りで引退した。通算成績は948試合、615安打、49本塁打、305打点、.235。引退後はマイナーリーグからメジャーのコーチを歴任した。

ktu2003 at 21:53コメント(0) 

2019年10月07日

3試合とも厳しい試合だった。

今日は投手戦になった。先発も早くから降ろされ、リリーフ陣の勝負に。
阪神が相手暴投で先制すれば、DeNAはエラーで同点とする。
勝ち越したのは阪神。梅野の犠牲フライ。またもエスコバーからの得点だ。

そして雨の中となったが、ドリス、藤川とつないで決着をつけた。
緊迫の3試合だったが、阪神がリリーフ陣の勝負に持ち込めたことが勝因といえるだろう。逆にDeNAは、初戦で継投に失敗、2戦目は抑えの山崎が同点ホームランを浴びるなど、リリーフ陣の不調が響いた。

1日の休養をおいてファイナルステージへと向かう。何よりも、シーズン中読売には負け続けた。ここでうっぷんを少しでも晴らしてもらいたい。無抵抗主義にならないように。

ktu2003 at 22:10コメント(0) 

2019年10月06日

金田













プロ野球の投手として唯一の400勝を達成した元ロッテ監督の金田正一(まさいち)さんが6日、急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で死去した。86歳だった(朝日新聞)。

日本にプロ野球がある限り、破られない記録とともに語られていくだろう。
愛知県出身。1950年に享栄商(現・享栄)を中退して国鉄(現・ヤクルト)入り。2年目には22勝を挙げてチームのエースとなり、早くもノーヒットノーランを達成するなど、弱小チームにあって絶対的な存在となっていった。当初はコントロールが悪く、荒れ球だったがそれを改善していった。おそらくは150kmを超えていたであろう直球と、縦に割れる大きなカーブが武器。バックが頼りないので三振を取るスタイルだった。その実力がピークに達したのは57〜58年ごろだろう。2年連続で最多勝&防御率1位を記録。58年は31勝と防御率1.30と、いずれもキャリアハイを記録した。

そのピークの年の開幕戦でぶつかったのがスーパースター、長嶋茂雄であった。4打席4三振を食らったのは、無理もなかった。史上最高の投手の、史上もっとも力があった時代だったからである。おまけにその試合は、父親を初めて球場に招待していた。本人もいつも以上に気合を入れていたという。

その後も弱小チームながら勝ち続け、14年連続20勝以上という記録を打ち立てる。これも不滅の記録といえるだろう。ときには他の投手の勝ち星を強引に奪った試合もあったというが、何せチーム内では監督よりも権威ある存在になっていた。都合、国鉄では353勝を挙げたが、当時の監督と対立し、64年限りで退団し、読売に移籍した。この一件で国鉄は球団経営の意欲を失い、身売りすることになる。

移籍初年度は登板数、勝利数とも激減したが、それでも1.84で防御率1位を獲得。読売がV9時代に入っていたこともあり、自らの活躍はほどほどでも勝ち星がついた。そして若手の手本となる役割を果たし、69年に400勝達成を花道に引退する。通算成績は400勝298敗、防御率は2.34。とにかく多くの記録がいまだに日本記録である。勝利数、敗戦数、完投数、投球回数、与四球数、奪三振と、そのすべてがもはや破られなさそうである。また打者としても活躍し、代打ホームランも記録している。

この活躍の背景には、当時としては卓越したコンディション管理があった。利き腕を大事にするのはもちろん、車の運転を自らせず運転手を雇ったり、食事管理を徹底したり、禁煙を貫くなど当時としてはかなりストイックな選手でもあった。この経験を投手指導にも生かし、走り込みを奨励した。その方法論の正しさは多くの教え子が証言している。

73年には在日コリアンの縁でロッテ監督に就任。パリーグを盛り上げようと太平洋(現・西武)との遺恨を演出。翌年には日本一となるなど、指導者としても成功を収めるのである。一方で気性の粗さからたびたび自ら乱闘に加わったり、審判に暴行して退場となることもしばしばであった。そんな一面も含め、現場を退いてからも「カネやん」との愛称で親しまれた。

さびしくなる。日本プロ野球の黄金時代を作り上げた人物が去り、その時代が一つの歴史になっていく。多くの強打者と渡り合い、監督時代を含め人間離れしたエピソードの数々を残した。野球界において最晩年まで圧倒的な存在だった。この夏に倒れたというニュースが入っていたが、ついに力尽きたのである。





ktu2003 at 21:55コメント(0) 
シーズンでこれぐらいの試合を見せてくれれば負けても納得するのだが。

青柳もピリっとしない内容だった。次のステージへ行けても先発陣の不調は懸念材料。
ともあれ今日も打線がよく粘った。中継ぎ陣も連日奮闘しているが、今日は昨日ほどの内容にはならず。DeNAも本拠地だけに必死である。ホームランを打たれるのは悔しいがしょうがない。

ともあれ明日でまずすべてが決着がつく。全力でいけるところまでいってほしい。

ktu2003 at 18:30コメント(0) 

2019年10月05日

こういう試合をシーズンでもっとやってほしかった。
初回、西がホームランなどいきなり5連打を浴び、打球を受けて1死も取れず降板。
反撃はしたものの、中盤には島本が4失点して今日は難しいか、と思われた。
ところがDeNAはやはりリリーフ陣が不安で、バリオス、エスコバーと繰り出すものの、北条の3ラン、木浪のタイムリーと出て、そして国吉から北条が逆転の2点タイムリー3塁打。

阪神はリリーフ陣を総動員し、最後は藤川が締めた。
6連勝でシーズンを終えた勢いはまだ続いているのか。この最終盤でこれだけ強い阪神を見るのは、あの2014年以来か。あの時と比べるとチーム力は弱いが・・・。DeNAに勝って、読売にあっさり負ける、というパターンは気に入らない。勝つなら勢いを読売戦まで維持してほしいが・・・。

まず明日で押し切る形にならないと、苦しいだろうか。


ktu2003 at 18:59コメント(0) 

2019年10月01日

まるで談合のような試合展開ではあったわけだが。
モチベーションのない中日は、先発に防御率1位のかかる大野雄。その大野が3回と3分の1をパーフェクトに抑えると、降板。するとそこからヒットが出て、点が入るという試合展開。引退する高橋聡は顔見せ、そして元中日でもある。退団する鳥谷も顔見せ。

何はともあれ、最後に6連勝して貯金をつくって、広島を逆転して3位に入ったという事実は重い。前年最下位のチームをここまで持ってきたことについては、結果的には矢野監督を評価しなければならない。とりあえずはやりくり算段ながらも、投手陣を整備できたのが大きいだろう。中継ぎ陣は藤川が見事に復活し、序盤から大活躍したジョンソン、そしてビハインドを含めてフル回転した岩崎、若い守屋や島本の活躍も大きかった。これだけの質で中継ぎをそろえているのは12球団でも阪神だけだろう。

先発陣はメッセンジャーが衰え、藤浪が立ち直れず、ガルシアも思うように勝てずで苦しい状況だった。そんな中でFAの西がさすがの実力をみせ、青柳がローテーションを守った。この二人の活躍が大きかったといえよう。

打線に関してはコメントしづらい。大山が来年も4番を打つような打線だと、苦しい。福留・糸井も休み休みの起用になろうし、やはり軒並み伸び悩む若手がどこまでやってくれるのか。今年はルーキーの近本と木浪が活躍してくれたからなんとか恰好がついたという感じ。それでも長打力は物足りない。

そしてなんといっても守備の乱れはひどかった。秋は猛練習が必要だ。そこが良くなれば、今年以下になることは絶対にない、というのが明確なのは逆に幸いかもしれない。
CSはあまり期待していないが、読売に4連勝するような14年の再現ができるのなら、日本シリーズに行く資格はあろう。しかしそこで勝てるとは思えない。なんせ貯金1で終わったのだから。

とりあえずもう少しだけシーズンがある。短期決戦を経験することは若い選手にとっても、首脳陣にとっても財産になるだろう。

ktu2003 at 19:17コメント(0) 

2019年09月20日

次々と元メジャーリーガーの訃報が伝えられた。

ウォリー・ウエストレイク氏(元米大リーグ外野手)が6日死去。98歳。
1947年にパイレーツでメジャーデビュー。1年目からレギュラーとなり、安定した成績を残す。48、49年には連続してサイクルヒットを記録。51年途中にカージナルスに移籍。すると成績が低迷するようになり、都合6球団を渡り歩いたのち56年限りで引退した。通算成績は958試合、848安打、127本塁打、539打点、.272。

ジム・グリーングラス氏(元米大リーグ外野手)が9日死去。91歳。
1952年にレッズでメジャーデビュー。1年目から打数は少ないながらも打率3割をマークすると、2年目には20本塁打、100打点をマークして一躍主力打者となった。そして翌年も27本塁打、95打点をマークして、順調なキャリアを重ねていた。しかし54年9月に足首を負傷したため成績が低迷。フィリーズに移籍して56年に退団。以後は西部の独立リーグでプレーしたがメジャー復帰はならず。通算成績は504試合、482安打、69本塁打、282打点、.269。

アレックス・グラマス氏(元米大リーグレッズコーチ)が13日死去。93歳。
1954年にカージナルスでメジャーデビュー。1年目からレギュラー内野手として活躍。しかしメジャー昇格が28歳と遅かったせいもあり、間もなく内野をどこでも守れる便利屋としての起用が主になった。56年レッズに移籍。その後カージナルス、カブスと移籍して63年限りで引退。通算成績は913試合、512安打、12本塁打、163打点、.247。
引退後は指導者の道を歩み、70年からレッズの三塁コーチとしてチームの連覇に貢献。76〜77年にはブルワーズの監督となった。しかし2年連続最下位に沈み、レッズのコーチに復帰。さらにブレーブス、タイガースのコーチとして91年まで務めた。

いずれも90歳を超えた高齢。歴史の長さを感じる。日本ではまだその年齢に達した元選手は少ない。

ktu2003 at 19:02コメント(0) 

2019年09月15日

かつて阪神の助っ人投手として活躍したジーン・バッキー氏が米時間14日(日本時間15日未明)に死去したことが分かった。82歳だった。(デイリースポーツ)

メッセンジャーが引退を表明したまさにそのタイミングでの報。こんなこともあるものか。

メジャー経験はない。3Aのチームを解雇されそうになっていたタイミングで目を付けられ、1962年途中に阪神に入団。1年目は0勝に終わったが、2年目には8勝して主力となり、その年のオフ、杉下茂のコーチングによって64年に一気に開花する。村山実との2枚看板で大活躍し、29勝9敗、防御率1.89で最多勝、防御率1位となり、阪神のリーグ優勝に貢献した。その後も安定した投球で5年連続の2ケタ勝利を挙げた。南海(現・ソフトバンク)のスタンカとともに、助っ人外国人投手のさきがけとして知られたのである。この年の200奪三振はメッセンジャーが更新するまで球団外国人投手の記録だった。

65年には読売を相手にノーヒットノーランを記録。読売戦には特に闘志を燃やすなど、熱い性格でもあったという。それが裏目にでたのか、68年9月、王貞治への危険球をめぐって読売との大乱闘の時、荒川博コーチを殴った際に親指を骨折。翌年近鉄に移籍したが腰も痛めてしまい、1勝もできず引退した。
通算成績は251試合、100勝80敗、防御率は2.34。

引退後は野球界を離れ、中学・高校教師を長年務めたのち、牧場を経営。レジェンドとしてたびたび来日することもあり、メッセンジャーとも連絡を取り合っていた。

日本で活躍した助っ人外国人が、チームに愛着を持ち続けることはうれしい。そして後輩の外国人との交流があるのもまた、心強い。チームに伝統として引き継がれていくのだ。バッキーの100勝はメッセンジャーによって更新されると思っていた。だがメッセンジャーは急速に衰えて、それが成らなかった。そのことを、病に倒れたバッキー氏は知らなかったようである。

ktu2003 at 08:10コメント(0) 

2019年09月08日

2006年にカージナルスのワールドシリーズ制覇に貢献したクリス・ダンカン氏が6日、脳腫瘍のため死去した。38歳だった。(日刊スポーツ)

事情が何であれ若い人の訃報はつらい。
父も兄もメジャーリーガーという一家。2005年にメジャーデビュー。翌年には22本塁打を放ち、チームのワールドシリーズ制覇に貢献した。翌年も21本塁打と順調にキャリアを重ねたが、08年に首を痛め、結局09年を最後にメジャー昇格を果たせないまま終わった。通算成績は389試合、295安打、55本塁打、175打点、.257。引退後はラジオ局でスポーツを担当していたが、12年に発病し、闘病を続けていた。

宮崎康之さん88歳(みやざき・やすゆき=元早大野球部監督)8月26日、多臓器不全のため死去。葬儀は近親者で営んだ。(毎日新聞)

戦後すぐの中等〜高校野球界を席巻したのが小倉中学である。エースは福島一雄。その時の主将だから、もうレジェンドだ。早大では広岡達朗と二遊間を組んだということだが、もう彼もそんな年齢になるか。社会人でも都市対抗優勝を経験している。昔の都市対抗は今よりもずっと野球界・世間での栄光度が高い。地元の英雄だった。プロがまだ海のものとも山のものともつかない時代で、社会人野球が実質キャリアの頂点みたいなところもあった。



ktu2003 at 07:14コメント(0) 

2019年09月01日

今季で5年契約が切れるプロ野球阪神の鳥谷敬内野手(38)が31日、球団から引退勧告を受けたことを明らかにした。引退を受け入れるか、現役続行を希望して他球団への移籍を目指すのかは「なんとも言えない。いろいろ考えて決めたい」と態度を保留したが、今季限りで縦じまのユニホームを脱ぐことは、確実になった。(朝日新聞)

あまり長期の契約を結ぶと、その最後はこういう形になりやすい。年々選手は年を取り、成績が年俸に見合わなくなっていく。FA導入後、とくにこういうケースは増えた。

鳥谷は連続試合出場記録や、2000安打、ベストナインやゴールデングラブなど、一流というに足る実績を残してはきたが、いわゆる主要タイトルにはこれまで縁がない。また、性格は非常にストイックでシーズンオフに積極的にメディアに出るタイプでもないし、チームリーダーでもない。むしろその姿勢、背中で周りを引っ張っていくタイプである。
個人的にいうと評価の難しい選手だ。長打を常に期待できる、というほどでもないし、安打製造機というほど打率が高いこともない。チャンスに強いという印象もないし、守備は安定しているが名手かというとそこまででもないような気がする。ただ極端に調子が悪くなることもない。何か当たり前に試合に出ている、という印象である。選球眼の良さは際立っている。とにかくその安定感が特徴である。

脚光をものすごく浴びたのは、2013年のWBCで土壇場に盗塁を決めたとき。これも、鳥谷が特に盗塁の多い選手だったわけでもない意外性を含めて、騒がれた。

そんな彼も2016年には不振に終わって、翌年にはサードにコンバートされたが、これが功を奏したのかどうなのか、持ち直した。しかし18年には再び不振に陥り、連続試合出場がストップする。そして今年は大山がサードに固定された関係で、代打が多くなった。だが代打で力を発揮するタイプでないことは、衆目が一致している。今年は打点がまだ0だ。少なくとも成績だけをみれば、戦力として厳しいのは明らかである。

ただ、球団の対応については議論が沸騰した。引退勧告とは何事か、と。また近年の起用法へのファンの不満も強い。代わりに起用している若手が軒並みいまいちなのが原因だろうが・・・。本人が現役続行を考えているのは、肉体的にはまだまだ燃え尽きていないという自負もあるのだろう。
たとえば大幅減俸の上で残留させるという対応もあったはずだが、私としては今年の成績では難しいという球団の方針はわからないでもない。

問題はやはり世代交代がうまくいっていないことである。糸井・福留にも近い将来同じ問題が起きる。話は違うが藤浪の低迷などと合わせると、第三次暗黒時代を覚悟せねばならないのかもしれない。読売に対する絶望的な弱さもファンのフラストレーションを高める。

ktu2003 at 09:09コメント(0) 

2019年08月02日

阪神で吉田義男、三宅秀史とともに「100万ドルの内野陣」を形成した鎌田実さん=元デイリースポーツ評論家=が、1日に兵庫県内の病院で死去していたことが2日、明らかになった。80歳だった(デイリースポーツ)。

長年サンテレビの解説でおなじみだった。ちょっと辛口ながら愛がある。

1957年に大阪(現・阪神)に入団。ショートはすでに吉田義男がいてとても試合には出られないかと思われたが、吉田の故障でチャンスが巡ってきた。翌年からはセカンドに転向。60年にレギュラーを確保して、日本屈指の内野陣を吉田・三宅らと形成することになる。この時代には日本で初めて守備でバックトスを行うなど、超一流の守備の人だった。
67年に近鉄に移籍し、3年間主力として活躍したあと、70年に阪神に戻り、72年限りで引退した。通算成績は1482試合、1041安打、24本塁打、264打点、.234。
引退後はスポーツ用品店を経営しながら、野球解説者として活動。93年から2年間は近鉄のコーチに復帰し、その後は再び解説者に。近年は大学の野球部監督など、育成・普及活動を活発に行っていた。


ktu2003 at 17:19コメント(0) 

2019年07月29日

元楽天のルーク・ファンミル投手が29日、亡くなったことがわかった。オランダ王立野球・ソフトボール協会が公式ホームページで報じた。34歳だった(スポーツ報知)。

野球というスポーツも、サッカーほどではないが、そこそこグローバルである。
オランダ出身ながらアメリカで夢を追った。しかし、メジャー昇格はならず、2013年にソフトバンクのテストを受けて不合格、次いで楽天のテストを受けて合格し、育成登録、次いで支配下登録となり、14年9月に初登板。7試合に投げて1敗、防御率は4.15。これだけで楽天を去り、以後はオランダリーグでプロとして生きていくことになる。その程度の実績の選手だが、何せ背が高い。身長216cmは日本プロ野球史上最長身。さらにオランダ本国出身選手が日本でプレーしたのも初めて。そういう意味では記憶すべき選手だ。
一方、08年の北京五輪以来、オランダ代表の一員として選出され続けていた。WBCにも2度出場している。そして16年以来オーストラリアのウインターリーグにも参加し続けていた。

昨年12月、登山中に足を滑らせて頭を強打し、重傷を負ったが回復と伝えられていた。しかし、またまたというか交通事故に遭ったという。

日本で活躍こそできなかったが、オランダではトップ選手として活躍し、アメリカ・オーストラリアでもキャリアを重ねた。グローバルに活躍した選手だった。

ktu2003 at 22:26コメント(0) 

2019年07月21日

グレン・ミケンズ氏(元プロ野球近鉄投手)が9日肺炎のため死去。88歳。

1950年にドジャースに入団。53年にメジャーデビューしたが、メジャーの実績はその1年だけ。59年に来日し、11勝。翌年には13勝を挙げ、チームのエースとなった。そしてオールスターにも60・61年と2年連続出場。弱小近鉄を文字通り支えた選手である。そして63年には、日本プロ野球初の1球勝利投手となり、球史に名を残すことになった。63年限りで退団し、母校でコーチを務めた。

通算成績はメジャーで4試合、1敗、防御率は11.37。
日本では169試合、45勝51敗、防御率は2.54。当時の近鉄という弱小チームにあって、ほぼ5割に近い勝率を残しているのは相当価値が高い。

ktu2003 at 17:28コメント(0) 
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