桑原武夫

2017年04月28日

仏文学者で京都大名誉教授の桑原武夫さん(1904〜88)の遺族が京都市に寄贈した蔵書約1万冊について、市教育委員会は無断で廃棄していたと27日発表した。市教委は生涯学習部の担当部長の女性(57)を減給6カ月の懲戒処分にした(朝日新聞)。

価値も認識されなければ、ただのゴミと変わらない。
博物館・図書館などの運営が危機に瀕していることはとみに指摘されている。貴重な文化財が破壊されたり、廃棄されたりするニュースが、近年増加傾向にある印象がある。それはまずもって、金銭的な余裕がこの社会になくなってきていることの反映でもあるし、また歴史や文化というものに対する認識の問題でもある。

桑原武夫氏はその分野だけではなく、日本の「知」を代表する存在であった。だが没後30年近くにもなれば、知らない人も増えるだろう。だからこそ、その関連資料を残し、人物を研究し、業績を明らかにしておく必要がある。

もともと氏の蔵書は市国際交流会館にあって、閲覧することができた。それが08年に新しい図書館が右京区にできて、移動した。図書館内には桑原記念コーナーが作られたが、蔵書群は正式な図書目録には登録されず、別の市内図書館の倉庫に保管してあったという。その倉庫が改修によってなくなるため、スペースがなくなるので廃棄したいという相談に、該当の職員が了承の判断をしたのである。

判断の理由は、利用希望が極めて少なく、また既存の蔵書との重複が多いため、目録を残しておけば大丈夫ということだったらしい。それに、物理的な置き場所がないということが加わった。

いくつか問題があるが、まず「廃棄」という判断を図書館職員の独断で行ったことが問題だろう。館で購入した蔵書ではないのだから、寄贈した側に確認をとるのが社会的な常識である。資料の取り扱いについてはこうした場合、通常は施設側に一任されているが、さすがに「廃棄」となれば無断はまずい。これは文化的な問題以前のことであろう。

次に、図書群がそれ自体として、必ずしも貴重書でなかったり、ほとんど利用がないものであった場合に、図書館の判断として「不要」としてしまうことはありうる。しかしながらそれらは価値基準の一つではあっても、全部ではない。1万冊ともなれば、そのすべてがありふれた本だったとも思えないし、難解な本なら利用が少ないのはむしろ当たり前である。

そして、「桑原武夫という人物が持っていた本」であることに価値がある。彼が何か書き込みをしていたり、資料が挟まったりしている場合もある。彼の人物を研究する上で、どのようなことに関心があったのか、どんな本を参考にしていたのかなど、蔵書群が残されていることでうかがい知れる彼の人物像がある。

資料の経緯をみると当初あった場所から移っている。こうした経緯をたどると、当初の趣旨や価値判断が忘れられてしまうことが多い。しかもスペースがないという問題が起こったことを考えると、図書館がそもそも引き受けても活用できる力量がなかったのであって、資料を持て余していた実態がみえる。

こうした問題は全国で発生している。しかし、文化・歴史について全国にアピールしている京都市でもこういう実態であることは、日本全体の現状も推して知るべしなのであろう。


ktu2003 at 10:47コメント(0)トラックバック(0) 
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