August 03, 2005

ストーン・ローゼズ


ザ・ストーン・ローゼズ DVD

 7月9日スミス、21日ジーザス&メリーチェインの続きです。ジザース&メリーチェインの功績はパンクの復活と思われがちですが、実はメロディの重要さを久々に思い出させた事にあるんじゃないか、ということを書きました。イギリスのロック史の中ではストーン・ローゼズの登場は突然変異みたいな形でとらえられがちですが、メロディということで考えればジーザス&メリーチェインとの繋がりも何となく見えてきます。またストーン・ローゼズのギャング集団のようにツアーをするスタイルはジーザス&メリーチェインの臨時ドラムだったボビー・ギャレスビーのプライマル・スクリームに影響をされていたというのは有名な話です。「シュガー・スパン・シスター」などの初期のイアン・ブラウンの歌詞のサイケデリックな感じはボビー・ギャレスビーぽいですよね。
 
 あのブラックプールのライヴがDVDになってます。ホワイト・ストライプのDVDと同じ会場です。ロンドンで100人もお客さんを集められないバンドがイギリスの北部で本当に6千人も集められるビッグ・バンドというのを証明した偉大なライブです。イアンが「俺たちビッグだぜ」としきりに言っているのはロンドンの評論家に向けたメッセージです。

 このライヴでジョン・スクワイアが弾いているグレッチが後にオアシスの1枚目の最後の曲「マリード・ウイズ・チルドレン」で聞けるあのギターです。ジョンに内緒でグレッチを持っていったのが、このライブでモニターをやっていたオーエン・モリス、後のオアシスのプロデューサーです。オアシスのDVDで語られてます。感動。

 何かこのライヴを見てるだけで、色んなことが見えてくるな、友達にこのライヴに来いと言われたんだけど、行かなかっただよな。この日全てが変わったのだ。このライヴでイギリスは本当にパンクの呪縛から解放されたのだ。スミスはトップ・オブ・ポップスに出ることによってやっとハシエンダをソールド・アウトすることが出来るバンドになった。ジーザス&メリーチェインはNMEの煽動によって話題のバンドになることが出来た。ストーン・ローゼスは本当に自分たちの力で何千人も集めることが出来た。北部の人間がロンドンなんかいらないと証明した瞬間だった。
 
 イアン・ブラウンはちょうどライブの終わり間際に飛ぶようにアシッドかエクスタシーをやっていたのではないだろうか?自分を祝福するためにライヴ最後でのどんよりさは笑う。ストーン・ローゼスの成功とはダンス・ビートを取り入れたと言うのは当たり前で、彼らが目指したものはレイヴでのドラッグ体験での、自分が生まれ変わったような気になる感動を何とかみんなに提示しようとしたことだったのではないだろうか、「I AM THE RESURECTION」はまさにそのことについての歌だ。それがスミスやジョイ・デヴィジョンが背負ってきたマンチェスターからの解放であり、パンクからの解放であった。“毎日同じ生活が嫌なら、変えれるぞ”と歌ったパンクやロックと同じメッセージなのだが。このライブを見ていてもその意思は十分伝わってくる。いつまでも同じでいることの危険性、変わることによって前進しようとする意思、ストーン・ローゼスは10年前パンクがやったように、20年前サイケデリックがやったように、25年前ビートルズがやったようにそうしたのだ。

 ストーン・ローゼズの終焉はレディング・フェスティヴァルだった。オリジナル・メンバーは2人しかいなかった。あのライヴはストーン・ローゼズの復活を証明する重要なライヴだったのにイアン・ブラウンはブラックプールの再現を夢みたのか、ありえないぐらいのドラッグをやっていた。NMEの表紙を飾ったイアン・ブラウンの顔のアップは瞳孔が開ききっていた。その表紙のタイトルは確かなことは忘れたがストーン・ローゼズ・イズ・デッドみたいなことだった。  
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August 01, 2005

The Longcut 『A Quiet Life』


A Quiet Life


The Dresden Dolls

 7月29日の原稿書くのすっかり忘れていました。すいません。フジロックに行かれた方フジロックは楽しかったですか?雨で中々辛かったですか?ぼくは初日のThe Longcutがジョイ・デビジョンというか、モグワイをジョイ・デビジョンにしたようなアッパーな感じで面白いと思いました。こういうバンドやりたいなと思いました。

 あと、2日目The Dresden Dollsがブラック・サバスの「PIGS」?をやって感動しました。今ぼくはエルトン・ジョンにハマっていて、モジョか何かでオジー・オズボーンがマイ・ベスト10ソングにエルトン・ジョンの「ユア・ソング」を入れていて、“さすがオジー”と思いました。そのThe Dresden Dollsの「PIGS」を聞くとオジーがどうエルトン・ジョンを自分のものにしているのかの答えが分かったようでうれしかったです。どんだけ、ヘウ゛ィな曲を書こうとも、その根本にはいい曲がないとダメなんだという当たり前のことをあらためて教えてもらいました。マイケル・ジャクソンか、誰か忘れたのですが、どんな曲でも一度ピアノ伴奏だけでやってみて、それでいい曲だと録音するという話を聞いたことがあります。まさにそれですね。

 そしてもっと涙したのは二人がジャック・ブレルの「アムステルダム」をやったことです。シャンソーン、本人たちデヴィッド・ボウイ好きに見えるからあまりにもベタなんですけど。これまたメロディと言葉だけで泣かすいい曲の典型です。彼の最後のアルバムはまもなく病気で死ぬ、自分の死を受け止めたアルバムでジャケットは青い空だけが写った素晴らしいアルバムだったと思うのですが見つけられませんでした。デヴィッド・ボウイの初の引退宣言は彼の死に対するリスペクトだったと思います。これで彼をこえることは出来なくなったからと。

 もっと書きたいことあるんですが、今日はこの辺で。

  
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July 31, 2005

ヴァン・モリソン 『ムーンダンス』


Moondance

素晴らしくソウルフルなヴォーカル。

 フジ・ロック3日目です。みなさん疲れてきましたか、昨日フジロックで見たいのはポール・マッカトニーと書きましたが、一番見たいのはヴァン・モリソンかもしれません。オッサンですいません。でも今まで見たライブで一番よかった何?と聞かれたらヴァン・モリソンと答えてしまうかも。

 グラストンウ゛ェリーで見たんですが、本当に凄かった。ヴァン・モリソンの時、バックステージに一人もいなかった。全ての人がステージ前にいました。こういう時何かいいですよね。フジでもたまにこういう雰囲気になりますよね、ニール・ヤングの時とか。たくさんの人がある一つのことに集中しているパワーって凄いですよね、気持ちいいですよね。気とかそういうのぼく嫌いですけど、確かに気みたいなものあります。

 フェスだとサウンド・チェック出来ないので、音がかたまるまで、どのバンドも結構苦労します。1曲目はけっこうどのバンドも捨ててます、というかそういう気持ちでやっている人の方がうまくいっているような気がします。1曲目は気合いで乗り切って音よりも根性で客を引きつけるというか「エイヤ!」って感じが好感持てます。その間にエンジニアの人たちが調整していく。毎日ライヴしているような人たちですから、1曲目の途中で音が固まってくる、それはもう職人さんの世界ですね。美しい。

 ヴァン・モリソンはグラストンウ゛ェリーではインストで始めて、バンドの音が固まるまでヴァン・モリソンだけが、客にお尻を見せていて、バンドの音が固まったヴァン・モリソンが思った瞬間振り向いて歌いだしたのです。その瞬間音楽が光り輝いたように見えました。全てが調和しているような、これが正しいんだという感じでした。その時の凄さと言ったら、ステージからビューと風が吹いてきたようでした。それからはヴァン・モリソンの世界に引きずり込まれます。

 本当に素晴らしいヴォーカルです。ぼくが生きていけるのはヴァン・モリソンがいるからです。恥ずかしながら、ボイス・トレーニングやっているんですけど、夢はスモーキー・ロビンソンのように完全なファルセットで歌うことと、ヴァン・モリソンのようにソウルフルに歌うことです。Rケリーのようにかっこよく歌いたいけど、ぼくオッサンだし、でもヴァン・モリソンの10分の1くらいには70歳に成ってもなってもいいじゃないでしょうか。本当にうれしい「息子」とかそんなん歌わんでもいいんだよ。子供の時年取ったら演歌なのかなと思っていたけど、大人のジジイのソウルがあるってうれしいじゃないですか。

 ギターもジミー・ペイジみたいにちょっとでも弾けるのが夢なんですけど、35歳位から習いだして何してんですかね。子供の時、タモリさんや筒井康隆先生などが習いごとをしているというのを何となく見ていたからですかね。たけしさんもピアノ習ったり、タップ習ったりしてますもんね。毎週1回ギターを習うのがぼくの楽しみなんですけど。ぼくの息子も同じ先生なんですけど、半年でぼく以上に弾けていてムカつきます。泣きながらでもちゃんとピアノ行けと子供の時にやらしていたからです。ぼくピアノ一週間で逃げていたもんな。でもぼく大人になって気づくんですけど、ぼくは人よりモノを習うのが2倍時間かかるみたいですね。レコードのピッチ合わせるの大体の人が1年で完璧にあわせれるようになるんですけど、ぼく2年かかりました。カメラも何となく食えるよに成りましたが、本当は人の2倍努力していたのかもしれません。バカだからよく分かっていなかったのがうまくいったようです。思い込み激しいからな、ぼく。

 ヴァン・モリソン『ムーンダンス』ロックの騒擾が終わり、何もかも夢物語だったような佇まいを持ちながらもこれを聞くとぼくはまだまだこれからだという気にさせられる。  
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July 30, 2005

ビートルズ 『プリーズ・プリーズ・ミー』


プリーズ・プリーズ・ミー

 フジ・ロック2日目です。みなさんはどうしてますか?やっぱりフジロックに行った方がよかったと思ってますか?どうでしょう。フジ・ロックでもこの毎日1枚CDレビューをやろうと思っているのですが、これは書き貯めヴァージョンの方です。これがアップされているということは遊びほうけているということです。というのは嘘で仕事に疲れて寝てるんだと思います。

 去年のグラストンウ゛ェリーの目玉はポール・マッカートニーでした、というかグラストンウ゛ェリーの歴史のハイライトでした。ぼくもやっぱり、フジロックでポール・マッカートニーみたいです。ビートルズから全ての妄想が始まったのですから。ビートルズがいなかったら確実にこういう世の中になっていなかったでしょう。オタクが初期のロカベリーのシングルを切手のように交換したりしてるぐらいでしょうね。ライブも全て小さなライブ・ハウスでほそぼそとやっているだけでしょう。サイケデリックも本当に上流階級で細々と広がって終わっていたでしょう。

 ビートルズが始めてアシッドをやったのは歯医者さんの家のパーティーに呼ばれた時だったみたいです。ジョンとジョージです。歯医者はアシッドやって乱交パーティーとかやりたかったらしいですが、そういうのごめんだと、ジョンとジョンの奥さんシンシアとジョージと彼女のパティはその場を早々と立ち去ります。車で帰っている途中に大変なことになってきて、こりゃやばいとクラブで休憩しようと、クラブに行きます。エレベーターが空いた瞬間、火がボーッとはいてきて「ウワッ」と思ったそうです。トンでる(笑)。
 
 ポールはそんな二人よりも遅くアシッドを体験したそうです。ジョンがスタジオの仕事に疲れたのでアンフェタミンでも飲もうと思ったのですが、間違ってアシッドのカプセルを飲んでしまい、気分が悪くなって、スタジオでぐったりとしていると、メンバーがドラッグをやっているのを知らないジョージ・マーティンが、「屋上で風でもあびてきたら」と言うのでジョンはトンでるもんだから屋上に行く、これが一番危ないですね。

 それに気づいたポールが大変だとジョンを連れ戻しに行きます。そしてポールは今こそぼくもアシッドをやるべきだとジョンのピル・ケースからアシッドを取り出し、飲み込みます。そしてジョンがポールの目を見て「分かっただろう」と聞いてポールがジョンの目を見て「分かった」と答える。ウワッー、アシッド、いい話。でも嘘だと思う。この事実ポールが普通にインタビューで答えているけど。たぶん作り話、そんなきれいな話ないやろ、チッチキチー(児玉ひびき風で)。
 
 ロバート・ワイアットが車イスなのはアシッドやって木の上から飛んでしまったからです。当時はそういう事件が多かったとピート・タウンゼントが本当に悲しそうに言っていた。『トミー』はアンチ・アシッドのアルバムである。映画での出だしの裸の男は「戻ってきたぞー」ということなのだ。笑うな。

 何の話だ。ビートルズだ。全てはここから始まったのだ。たった1日で録音されたアルバム。声が枯れるからと一番シャウトとする「ツイスト&シャフト」は最後に録音された。ライナーには1曲足らなくって、最後にきめたと書いてあったけど。

 何時何分に全てのレコーディングが終わったのか分からないけど、本当は分かる。それは克明に記録されている。10時過ぎだった。その瞬間に立ち会えた人間はメンバーも含め10人もいなかったかもしれないけど、その興奮がどういうものだったか、このアルバムを聞くと30年以上経っても聞こえてきそうだ。まだエンジニアとかは白衣を着せられていた。そのざわめきの中でロックンロールはブルースはR&Bは次なる世界に歩き出したのだ。

 一曲目はポール・マッカトニーが始めて作った曲18歳? 今もその曲は古くさくも子供ぽくもない、素晴らしいロックンロールだ。ポールのベース・ラインも本当に美しい。  
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July 28, 2005

クリーム


クリームの素晴らしき世界

CD2枚目のライヴが本当にかっこいいです。

 ピーター・バラカンさんがレッド・ツェペリンをあまり好きじゃないのは、クリームがいるからだと思います。クリームを聞くとクリームこそがハード・ロックの原点であり、真の改革者だったと感動するのです。ジミ・ヘンドリックスがイギリスに行けると聞いて、まず聞いたのは「エリック・クラプトンに合わしてくれるかい」だったそうです。

 バラカンさんがレッド・ツェペリンを評価しないのは、ツェペリンにはクリームのようなブルースのねちっこいグルーヴがなくなって、ホワイト・トラッシュのような性急なビートが我慢ならかったのではないでしょうか?。ぼくなどはジョン・ボーナムのタイトなリズムを聞いているだけで幸福になります。うちのギターの先生が「ジョン・ボーナムのドラムがヒップホップでよくサンプリングされたのって、そのヘウ゛ィな音色以上に、正確でループさせるのが簡単だったからだ」と言っておられました。

 まっ、そういうことは置いといて。ロバート・ジョンソンの「クロスロード」のエリック・クラプトンのブルースに対する解釈を聞くだけで胸が震えます。この解釈がハード・ロックなんだと思えます。エリック・クラプトンにはブルースがこう聞こえたのか、こうしなければならなかったのか本当にエリック・クラプトンに1度聞いてみたいです。

 よく言われるのはエリック・クラプトンがレスポールをマーシャルにぶっ込んだ時、ハードロックが生まれたと言われますが、まさにそうです。でもどの時何でしょう?、ヤードバーズ?ジョン・メイーオール&ブルース・ブレイカーズ?謎です。クリームを作った時にはもうハードロックになっていたような気がします。

 ピート・タウンゼントはアメリカ・ツアー中にブルー・チアーズ?ブルー・チアー?などのハードな音楽を聞いてこれに対抗しないと大変なことになるとああいう音楽になっていったそうですが。あのアンプを壁のように積み上げるのもブルー・チアーズのステージを見てからだそうです。

 ヤードバーズの3人のギターリストが全てハードロックの基礎を気づいたのが面白いです。でも生きていく為にそうやっていたような気がします。

 ジミ・ヘンドリックスを始めて見たピート・タウンゼントが、それまであまり喋ったことないのに、エリック・クラプトンかジェフ・ベックを突然「映画でも見に行かないか」と誘い、エリックが“こいつ何で俺を映画に誘ったのに何で一言もしゃべらないんだろう”と思っていたら、映画のエンドロールを見ながらがピートが、暗闇の中で「ジミ・ヘンドリックスみたか?俺たち仕事なくなるぞ。どうする?」と言ったそうです。

 いい話ですね。ジェフ・ベックなどは電話に出れなくなったそうです。かけてくる奴全部がジミ・ヘンドリックスを褒め讃えるから。ジミー・ペイジはどうしてたんでしょう。ヘンドリックス・ショックの話があまりないんですよね。性格の違いですかね。

 多分こんな勝負がハードロックを生んだんでしょう。いいな。モンタレーの時ピートとジミ・ヘンドリックスはどちらが先に出るかで揉めたそうです。よく揉めてたそうですが。先に出た方が勝つだろうとどちらも相手の様子を伺っていたそうです。そしてどちらも遠慮して中々決まらず最後はコインできめたそうです。そしてフーが先にでてあのダイナマイトを仕掛けた大爆発ライブをするのです。フーの勝ちだ。でもジミーも負けてません、ジミーはギターに火をつけたのです。でもフーの勝ちだったと思います。ウッドストックでも。ロックに勝ち負けなんかないという人がほとんどだと思います。でも人生は全部勝負なんだと思います。勝ち負けはあるんです。だから努力するんです。だからハード・ロックは生まれたんです。

 「フォー・ユアー・ラブ」みたいなポップな曲やってられるかいとヤードバーズを止めたエリック・クラプトン、でもクリームを聞くと「フォー・ユア・ラブ」のようなバカらしい曲も入ってます。サイケデリックがそうさせたのか、ブルーズのヘウ゛ィさとこのサイケのバカらしさもハードロックを生んだんじゃないでしょうか。


フェアウェル・コンサート~1968ロイヤル・アルバート・ホール

下のレッド・ツェペリのDVDと同じ会場、客はこちらの方が年上な感じだけど、前の方はツェペリンと同じようにヘッド・バンキングしている。前で写真撮ってるのペニー・スミスなんじゃないかな。あの望遠ペンタックスぽいよな。ペニー・スミスだったら感動。ペニーがツェペリンを撮っているのは知っているがクリームまで撮っているとは。


Led Zeppelin (2pc) / (Dol)

一人一人の音を聞いているだけで感動する。比べるのは間違っていると思うがロイヤル・アルバート・ホールに関してはクリームの方が百戦錬磨かな。復活、最後?のネブワースは噂ではよくないということだったのだが、何げにいい、このライヴ行こうかどうか迷ったんだよな、いけばよかった。初めてビッグ・プロジェクターを使ったライブだったそうだが、それがかっこいい。メンバーがちゃんとスタイリングされているのも笑う。ニュー・ウェイヴ風だったんだろうな。ジミー・ペイジのあのストラトでトレモロというのも。ジミー・ペイジだけが異様に汗をかいている、それが後のドラッグ問題を物語っていてちょっとつらい。ロイヤル・アルバート・ホールでのあの無邪気なアンコール、エディ・コックランの8ビート、ブルースじゃないかもしれないが、この8ビートがジミー・ペイジの子供の頃に好きだったものなのだろう。それがレッド・ツェペリンになったのだ。盗難された黒いレスポールを弾いているのもかっこいい。動きはチャック・ベリーそのもの、あのジミー・ペイジのかっこいいアクションはチャック・ベリーだったのかと感動する。  
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July 27, 2005

カルチャー・クラヴ 「グレイテスト・ヒッツ」


Greatest Hits

 久保憲司て革ジャン着てタバコを吸うような人だと思ったとよく言われるですけど、革ジャンなんか中学校の時に着てたくらいです。タバコも吸いません。出来たらお酒も止めたいです。ドラッグも8年近くやってません。

 でもそういえば革ジャン、ロンドンに初めて行った時、ジョンソンズの白い革ジャン買いました。ジョンソンズの革ジャンむちゃくちゃかっこよかったんですよね、でも白って(笑)。ベンジーさんにその話したら、ベンジーさんもそれと同じ革ジャン買っていて、今も大切に持っているって。ベンジーさんなら今も似合うだろうな。この前白いブーツ履いていてかっこ良かった。

 ベンジーさんその革ジャン、セクシー・ストーンで復刻したらいいのに。どんなんかというとロード・オブ・ニュー・チャーチとかの写真を探してください。よく着ていたと思う、黒だけど。後フレッシュ・フォー・ルルとか。ギターの人がその革ジャンの白のベスト着てたような、それに白のグレッチ。ジョンソンズのあの革ジャン本当にかっこ良かったんだよな。ぼくらのブルー・スェード・シューズです。

 その革ジャンどうしたかというとロンドンに着いた日に買って、2週間後お金がなくなって、一緒に行っていた1984という大阪の服屋さんのキースさんに売ってしまった。ぼくはそのお金で後2週間ロンドンに住んだ。キースさんはその白い革ジャンをボロボロにして着ていて、それがかっこよかった。

 その頃ぼくがどういう格好をしていたかというとカルチャー・クラヴのDVD『グレイテスト・ヒッツ』を見てください。4曲目「church of the poison mind」です。ボーイ・ジョージと一緒に車乗ってるのぼくです。17歳くらい、笑う。最後のカットもぼく。シアター・オブ・ヘイトが大好きだったからカウボーイのジャケット、恥ずかしい。ツタヤで借りれると思うので見て笑ってやってください。

 初期のカルチャー・クラブは本当にいいですね。「karma chameleon」までのカルチャー・クラヴは最高です。もう手に入らないと思うけど、インディ時代のカルチャー・クラヴはラテン色が強く最高にトレンディでした。12インチを2枚くらいだしていたと思います。売れる前のカルチャー・クラブのライブを見てるんですけど、それもよかった。ヘブンで、前座は子供のレゲエ・バンド、ミュージカル・ユース。子供が深夜にライブしていいのかと。ボーイ・ジョージが着ていたスー・クロウズ復刻しないかな。今はリウ゛ァティーンがこういう感じかな。スー・クロウズはもっとカラフルなシルク・スクリーンだから、オッサンは着れないけど、でもリウ゛ァティーン高すぎない?Tシャツが2万とかって。ニューヨークだと安いのかなと思っていたら、バーニーズと同じ値段だった。

 当時のライブもフルで入っているのですが何げにいいです。全ての曲でボーイ・ジョージがまずその曲について説明していて、何とか自分のファンである若い子にコミュニケーション、エディケーションしようとしているのがすがすがしくっていいです。  
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July 26, 2005

スモール・フェイセズ プリティ・シングス


Ogden's Nut Gone Flake [Bonus Tracks]


S.F. Sorrow [German Bonus Tracks]

 これでサイケ打ち止めということで素晴らしいサイケ・アルバムを2枚。スモール・フェイスズ『OGDEN'S NUT GONE FLAKE』プリティ・シングス『SFスワロウ』。

 熱い夏どこにも行きたくないときは、こんな夢物語のようなアルバムをクーラーの聞いた部屋で聞くのはどうでしょう。子供の頃『OGDEN'S NUT GONE FLAKE』『SFソロウ』などをぼくは寝物語によく昼寝をしていました。

 残念ながら大人に成った今もいまだに話を追えてないのが残念です。400字くらいでいいんであらすじを書いてください。『OGDEN'S NUT GONE FLAKE』はコックニーの伝説?ハピネス・スタンとマッド・ジョンの月の裏側を探す物語?『SFソロウ』はお手上げです。何とか調べたいと思いぜんぜんやっていません。

 どちらもサイケと言われてますが、とってもロッキンです。でもXTCのアンディ・パートリッジが影響されたというだけあって音の感触がとっても最高です。ドヨーンとしているようでスコーンとしている。まさにそういうのをサイケというのかもしれませんね。フィリップ・K・デイックの小説のような、突然場面が変わるような。全て真実なのに、どこか一部がおかしいみたいな。XTCの変名サイケ・バンド久しぶりに聞きたくなりました。

 おもしろいのは誰よりもコックニーな人たちが一番最初にアシッドに手をだしたことです。そして芸術に昇華しよとしたことです。日本だとそういう人たちが一番拒否反応を示すと思うんですけど。階級がある所ではその呪縛から一瞬でも解かれようと酒とかドラッグに何の躊躇もなく行くんでしょうね。

 スモール・フェイセズはかっこいいインストから始まります。こういうインストに影響されてポール・ウェラーもこういうの作っていましたよね。ポール・ウェラー自叙伝みたいなアルバム作っていたと思うですが、あの時期ってポールのサイケ期ですよね。オアシスとつるんでいた時期、絶対エクスタシーやってた。グラストンウ゛ェリーかどこだったか忘れたのですが、登場した途端、汗かいていて、“うわーエクスタシーやってる”とびっくりしたことがあった。でもそれけっこう凄くいいライヴだった。ポールみたいに真面目な人はたまにそういうのもあったりする方がいいかも。

 すいません、変な話してそして2曲目スティーヴ・マリオットが“愛が、愛がぼくの周りにあふれている”とソウルフルに歌いあげる「アフターグロウ・オブ・ユア・ラヴ」そりゃアシッドやっていたらそうなるよって(笑)。でも不思議ですよね、アシッドやったりエクスタシーやったりするとそうなるって。でもスティーヴ・マリオットは“君がいればそれでぼくは幸せと”素晴らしいラブ・ソングに仕上げてます。このサビの所は涙する。そして“でもその愛が永遠に続かないかもしれない”という思いも歌います。“愛の残光はどういうもんだ”と、でもスティーヴ・マリオットは“ぼくは君といられればそれで幸せだ”とまた熱唱するのです。ウーン、ソウルだ!!。スティーヴ・マリオットのようなソウルフルに歌えるならぼくは今すぐ死んでもいい。

 イアン・マクレガンのハモンドも気持ちいいです。黒人のバンドがサイケ時代にサイケなおもしろいアルバムを出していましたが、それよりへヴィーでソウルフルでサイケデリックでかっこいいです。プリティ・シングスはむちゃくちゃイギリスですかね。両方続けて聞いても飽きないです。まずは濃いスモール・フェイセズからどうぞ。


  
Posted by kuboken99 at 07:25Comments(1)TrackBack(2)CDレビュー